黒鎖の情   作:ふみどり

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黒鎖の縁(番外)
その日


 感慨というほどのものはない。今日という日を心待ちにしていたくせに、いざその日が訪れても気分は凪いでいた。

 なぜならまだ「終わって」いない。むしろ問題なのは「これから」だからだ。

 ふ、と小さく息をついたとき、からりと襖が開けられた。

 

「来たったで、望くん」

 

 あいつがこの家を去って以降、何故だかこのボンボンはますます俺の前に現れるようになった。

 どうやったらここまで腐った性根になるのか不思議なほど最悪な育ち方をした直哉だが、何となく俺に好意的なのは単純に甚爾のことがあるからだと思う。勝手に「甚爾大好き仲間」的な判定をされたようだった。

 こいつに仲間扱いされるのは心底心外だが、これはこれで便利なのであまり気にしないようにしていた。俺としても「甚爾を評価している」、直哉のこの一点だけは認めている。

 これまで通り丁寧につくった笑顔を貼り付け、すくすくと立派なクズに育った彼に身体を向けた。

 

「どうされましたか、直哉さま」

「最後やから挨拶にきたったんやろ? このあと親父に最後の金を納めたら借金完済、晴れて自由の身や。良かったやんか、長いこと堪えた甲斐あったなァ」

 

 気色悪いねっとりとした口調に、ニタニタと笑う口元。さすがドブ色の人間性をもつクソガキ、俺の()()()()をすべて理解した上で完全に面白がっている。

 何度この顔を切り刻んでやりたいと思ったか、という本心をしまい込んで俺はゆるく首を傾ける。

 

「おかげさまで」

「ハ、顔色ひとつ変えへんか」

 

 まあそんな望くんやからお気に入りなんやけど、と投げられた少しも嬉しくない言葉。俺に関心なんかもたなくていいので頼むからさっさと忘れてほしい。

 そんな俺の内心を察しているのかどうなのか、構わず直哉は肩を揺らした。

 

「なあ望くん」

「なんでしょう」

「俺に仕えへん?」

「おや」

「そしたら守ったってもええけど」

「それはそれは」

 

 ()()()()()()()()、その言葉に目を細める。

 禪院家と鎖桐家の間で結ばれた「縛り」により、俺の命が保障されているのは借金を返し終わるまで。つまり当主に金を渡した瞬間、「縛り」は役目を終える。

 甚爾がこの家を出て以降、当主と直哉を除く禪院のクズどもは俺の心を折ることに苦心してくれた。それは残念なことに無意味な努力だったが、「縛り」がなくなれば今度こそ直接的に命を狙ってくるだろう。禪院家のメンツを保つ、ただそれだけのためにこの家のすべてが俺に襲いかかる。

 だが、それがなんだというのだろう。俺はただ一言を返した。

 

「遠慮しておきます」

 

 お前に仕えるなんて死んだ方がマシ──というのもそうだが、そもそも。そう、そもそもだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺に傷を付けた事実がある限り、俺がそれを覚えている限り、お前らの生命は俺の手の中にあるというのに。

 

「俺は外に出ます。……ずいぶん待たせていますので」

 

 まあ、顔を合わせても「お前誰だっけ」と言われる気が若干しているけれど。

 超人的な身体能力をもっていても記憶力というものをあまり持ち合わせていないクソ野郎なだけに不安はあるが、それでも「先行ってる」と言われた以上は顔くらい見に行かなくてはならない。

 そうして俺は、ようやく進める。ちゃんと「鎖桐望」として息をすることを許されるのだ。

 俺の顔をじっと見つめていた直哉はハッと息を吐き捨て、愉快そうに肩を揺らした。

 

「俺を振るなんてええ度胸しとるやん」

「ここで頷いたらその瞬間に興味をなくされるくせに、よく仰いますね」

「ホンマようわかっとるわ望くん。惜しいわ~、俺ちゃぁんと面倒みたるで?」

「謹んで辞退申し上げます」

「生意気。……まあ、ええわ」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 うっわ鳥肌たった誰が甚爾のやねん、という本音はさておき。

 この禪院家で唯一「最強」の高みを見上げる天才(ぼんじん)の呪術師は、話は終わりとばかりに一歩下がった。

 

「餞別がわりに約束したる。()()()()に俺は参加せえへんし、望くんがウチの敷地から一歩でも出たら終わり。それ以上は俺がさせん」

「……直哉さま、」

「親父も望くんには興味ないやろし、これでさすがに一瞬で仕留められることはないんちゃう?」

 

 嬉しいやろ、と相変わらずのニタニタ顔には拳を叩き込んでやりたいが、確かにこれはどういう風の吹き回しだろうか。当主や直哉の「投射呪法」は数少ない脅威だった。敷地内という「縛り」ができたのも大きい。

 何か裏が、と一瞬疑ったが同時に理解する。これは俺への餞別でも何でもなく、おそらくはそう、──甚爾への義理。

 ここまでくると甚爾から一切興味をもたれていなかった事実が哀れにすら覚えてきた。甚爾に会えたら一言くらいは伝えてやるとしよう。俺が覚えていたらだが。

 本音をしまい込んだ俺に背を向けた直哉は、せいぜいあがき、と肩口で最後に笑う。

 

「ほな、甚爾くんによろしく、──できるとええなァ」

 

 とん、と襖が閉まる音が小さく落ちると同時に、俺は口元を歪めた。

 

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