綺麗な月がのぼる夜。
まだ少し肌寒いものの、外を出歩くのに分厚いコートは必要ではなくなってきた……そんな時節。
あなたは、ある人物に呼び出されていた。
呼び出された場所は屋外。
そのまま座っても気持ちよさそうな、青々とした芝が茂る、静かな場所。
そこに生えているのは、今の時期のみ白い小さな花を幾つも咲かせる木……桜の木。
ここは、まだ散り始めてもいない、満開の桜がいくつも生えている静かな丘。
あなたは、待ち合わせの目印である、この丘で一番大きな桜の木の下に来ていた。
……どうやら、待ち合わせの相手はまだ到着していないようだ。
なので、その木の根元に座り込み、その相手を待つ事にする。
……折角早く着いたので、ここに来る際に灯りとして使っていたカンテラの光を最小限にし、夜に咲く花達を眺める事にした。
――夜の桜たちは、昼間とはまた違う姿を見せる。
金色に輝く月の光を浴びることにより、白い花がうっすらと透け、さらにはきらきらと光っているように見えるのだ。
しかし、その姿は一年のうち、一週間程度も続かない。
そのわずかな時間に必死に輝こうとするその姿は、はかなく、せつなく、意地らしく……そしてなにより、とても美しかった。
……そんな風に桜を楽しんでいると、遠くの方に小さな光が見えた。
何だろうかと目を細めてみると……どうやら、手持ちの提灯の光のようだ。
その光はゆらゆらと揺れながら少しずつ近づいてくる……恐らく、待ち人が到着したのだろう。
その待ち合わせをしていた人物は少女のように見える程小さい……いや、一部を除いて、幼いと言える程華奢な体躯をしていた。
長い髪は青みがかった紫色をしていて、かんざしやリボンで複雑だが綺麗にまとめられている。
さらに、何故か前髪の一部分のみ黒い髪色をしており、そこだけ特徴的な形に整えられていた。
目元はやさしく、その瞳は紫紺の宝石のように輝いていて。
服は高貴な紫を基調にした和服で、それを大胆にはだけさせ、着こなしている。
そして、一番特徴的なのは、頭から生えた二本の立派な角。
彼女の属する種族、鬼の象徴である。
彼女の名は竜胆尊。
少女のような見た目をしているが、数千年の時を生きる、とある世界にある鬼の国。それを治める女王である。
その鬼の女王が、周りの景色を眺めながらゆったりとこちらに歩いて来ていた。
彼女が歩くたびに、手に持った提灯がゆらゆらと揺れ動く……その動きは、まるで真っ暗な空を飛ぶ、光る蝶々の様。
そんな風にのんびりと歩いていた鬼の女王だったが、ふとした拍子にあなたと目が合った。
彼女は目を見開いたかと思うと、少し早足になってこちらに近づいて来る……なので、あなたは立ち上がって、それを迎える。
「こんばんはじゃ、お主。すまぬ、少し遅れてしまったようじゃ……。」
そう言って、申し訳なさそうな顔をする。
だが、待ち合わせの予定よりかなり早い時間なので、彼女に責任はない。
そう伝えると、鬼の女王は、ホッとしたようにこちらに笑いかけてくれる。
「そう言って貰えるとありがたい……しかし、かなり余裕を持って出てきた筈なんじゃが、お主、随分と早くから来ておるのう?……ふふっ、今夜が楽しみすぎて、待ちきれなかった?」
と、出会って早々図星をつかれてしまった。
困ったように頭をかくあなたの顔を覗き込みながら、楽しそうに微笑む鬼の女王。
まるで、いたずら好きな少女の様だ。
「ふふふ、そこまで楽しみにしてくれておったならば、誘った甲斐があると言うものじゃ……わらわも楽しみにしておったからな?」
そう言いながら何処からか敷物を取り出し、大きな桜の木の下に敷いた。
そして、履き物を脱ぎ、あなたを敷物の上に誘い、今宵の準備を始める。
「さて、今日はわらわの誘いに応えてくれて、ありがとう。今宵は、共に楽しもう。」
そうして、またしても何処からか盃や料理、さらには座卓まで取り出し、敷物の上に置いていく。
こちらも準備しておいたお酒などを取り出し、共に準備を始める。
――今宵、満開の桜と丸い月が揃った日。
あなたは鬼の女王に、夜の花見に誘われていた。
今日の夜は格別に綺麗だから、と言う誘いを受けて、あなたは二つ返事でその誘いに応えた。
「うん、これでよし!さ、座ろ?」
そうこうしているうちに、食べ物の準備が完了した。
鬼の女王に誘われて、やわらかい敷物の上に一緒に座る。
そうして、まずは持参してきた上等な日本酒に手を掛ける。
「お、さっそくじゃな!楽しみにしておったんじゃよ~!」
と喜ぶ酒豪の言葉に苦笑しながら、座卓の上に置いた盃に、とくとくと酒を満たしていく。
その音と共に日本酒特有のふくよかな香りが辺りに広がる。
「おっ、おっ、おっ、お~!んー、良いにおいじゃ~。」
注がれていく酒の香りをスンスンと嗅ぎ、喜ぶ鬼の女王を見て再び苦笑する。
そうして、酒の満たされた盃が揃ったので、二人でそれぞれの器を持つ。
「ふふふふふ、ではさっそく……む?おお、これは……。」
と、盃を構えたところで、鬼の女王が何かに気づく。
なんだろうか、とその手元を覗き込んでみると、彼女が手に持った赤い大きな盃の中に、真ん丸の月が浮かんでいるのが見えた。
よく見ると、自分の盃にも同じように月が映っている。
その姿は、まるで手の中にもうひとつの空があるようだ。
「ふふ、酒に映る月、と言うのも、中々乙なものじゃなぁ……お?」
と、二人そろってふっと空の月を見上げてみると、ひらひらと桜の花びらがいくつか降ってきているのが見えた。
その花びらは柔らかな風に翻弄されながら揺れ動き……まるで、自ら落ちてきたかの様に、それぞれの持つ盃の端に、そっと、添えられた。
まるで、私のことを忘れないで。と、言うかのように。
「ふふふ、まあるい月に、可憐な花、上等な酒に……いや……ふふ、なんとも贅沢な器になってしまったのう?」
その盃を見ながら、楽しそうに微笑む鬼の女王。
そのまま、手に持った盃をこちらに向けてきたので、それに応えて、あなたも手に持った盃を構える。
「では、この夜に……乾杯。」
乾杯。
そうして、二人そろって酒を煽る……一気には飲み干さず、味わうように。
やはり上等な酒なだけあって、とても深い味わいだと思う。
しかし、酒精の強い物を持ってきた事もあり、一口で腹の中がかっと熱くなり、更に頬が赤くなっていることを自覚できる。
……恐らく、大した量は飲めないだろう。
「はぁ、うまい……こんなうまい酒を飲んだのは久しぶりじゃ……。」
と、盃を揺らしながら、鬼の女王は感嘆の息を吐く。
その顔はとても満足そうに見えるが、少しも酔ったようには見えない。
流石は、と言ったところだろう。
「わらわは、幾度かこのような夜を過ごしてきた……じゃが、今宵は一等素晴らしい。」
花咲く夜を眺めながら、そう呟く鬼の女王。
その瞳が夜の光を受けて、煌々と輝いて見える……この夜の輝きに負けない程に。
「このような日に、お主と共に在れた事が……とても、嬉しい。」
そう言って、彼女は目を閉じる。
その姿は、まるでこの夜を……今、この瞬間をまるごと味わっているかのようで。
その横顔から、目を離せなくなる。
「わらわは今日という日を、決して忘れぬよ……ありがとうな、お主。」
目を開き、花が咲いたかのような笑顔を隣に座るあなたに向ける鬼の女王。
金色の光を浴び、きらきらと紫紺に輝く彼女の瞳に見つめられて。
――もしも……もしもこの世に月の女神と言うものが存在するならば、きっと。
きっとその頭には、二本の角が生えているに違いない。
そんな事を、思った。