「俺さ、傑に殺されかけたんだよね」
「何それウケる」
*
叶木に呼び出されたのは、高専からそれほど遠くないところにある小さな神社だった。閑静な住宅街のなかでも、少し小高い場所にある神社。周囲はささやかな林になっていて、ひとが来ることもあまりなく、呪霊もほとんどいない静かな場所だ。
「呼び出してごめんな、硝子ちゃん。任務とか大丈夫だった?」
「んー、平気」
神社の鳥居の外は小さな広場のようになっていて、そこには小さなベンチがある。ここでいっか、とふたりで並んで座った。
叶木とはたまにメールのやりとりをする仲だが、ふたりで会うのはこれが初めてだった。
「で、何? 夏油と付き合いましたって報告ならいらないんだけど」
「硝子ちゃん、あれは俺が悪かったからネタにすんのやめて本当お願い」
引きつった笑顔を返す叶木に、笑う。
数日前、叶木からの着信で携帯が鳴った。いつもはメールなのに、と首をひねりながら出てみれば、開口一番「傑に押し倒されてんだけどどうしたらいい!?」という衝撃発言。いつの間にそんな面白いことに、と思わず素のまま答えを返した。
「テンパった俺が言い方間違えたのは本当に悪かったんだけどさ、だからって『大人しくヤられて来い』って返事はなかなかひどくねえ?」
「女子相手に下ネタ吐いたやつが言うね」
「いや下ネタ吐いたの硝子ちゃんでは」
「え?」
「すいませんでした」
そこで大人しく謝るあたり、まあまあまともな感性をもっているやつだといっそ感心する。夏油や五条なんてクズどもとつるんで遊んでいるくせに、私を女として気遣う程度の良識は持ち合わせている。まあ、それでもただの「善良な一般人」とは言いがたい人間ではあるのだけれど。
テンパった叶木を落ち着かせて詳しく話を聞いてみれば、遠方での任務帰りに叶木の下宿に寄った夏油が突然ぶっ倒れたのだという。救急車を呼ぼうかとも思ったが、呪術師という特殊な立場を考え、とりあえず冷静に指示をくれそうな私に連絡してきたらしい。
『何この筋肉ダルマまじで重い。来たときから顔色最悪でクマもあったから体調悪そうとは思ってたんだけど、やばいレベルで熱もあるわこれ。ねえこれ軽率に救急車呼んでいいやつ? あ、俺にこいつ運べとかそういう無茶は言わないでね』
『あー……うん、高専から迎え出してもらう。ちょっと待ってて』
『わかった。……ちなみに硝子ちゃんか悟か来てくれる?』
『何で?』
『こいつ方々で恨み買ってんだろ。俺、そっちの関係で顔知ってんのふたりだけだから』
意識のない傑を知らないやつには預けたくない、とおそらく夏油に押しつぶされたまま言っている叶木に、少し笑った。
そして運良く任務ではなかった五条に回収にいかせて、そのまま医務室に叩き込む。呪術での不調という気配でもなく、積み重なった栄養不足や睡眠不足、疲労による発熱のようだった。
そう叶木に連絡してやればほっとしたように息をついて、そういえば、とついでとばかりに言葉を続ける。
『傑、任務帰りだったんだろ? どんな任務だったのか聞かねえし知りたくもねえけど、多分、ろくでもないもん見たんじゃねえかな。そのストレスもあったのかもね』
『何、知ったように言うじゃん。そんなに様子おかしかった?』
『いつも通り正常におかしかった。けど……うーん、硝子ちゃん』
『何?』
『ちょっと話したいことあんだけど、時間くれない?』
そして、呼び出されたのが今日。わざわざ五条には秘密で、というあたり、軽い話ではないことくらいは予想がつく。そうでなくてもこの数ヶ月、何故だか夏油は叶木を避けていた。
馬鹿ふたりが喧嘩しようが何だろうがどうでもいいんだけど、と内心で思いつつ、叶木の次の言葉を待つ。それがまさか、こんな爆弾が落とされるとは思わなかった。
「俺さ、傑に殺されかけたんだよね」
何それウケる、以外に何が言えたというのか。
*
世間話でもするかのように、叶木は夏油に殺されかけたことを語った。
夏油が抱いてしまった非術師への嫌悪感、非術師を皆殺しにして呪霊のいない世界をつくる選択肢、そのためにまず叶木を殺して迷いを消そうとしたこと、最初の一発はあえて外して壁に大穴を作ったこと。
あまりに淡々と話すので、やはりこいつの頭はイカれていると改めて思った。
「で、多分、改めてちゃんと俺を殺そうとしたところでぶっ倒れたんだよねアイツ。そのときの俺の複雑すぎる感情察して欲しい」
「それを普通に説明できるアンタがわかんねーわ」
「え? いやだって俺結局生きてるし」
「夏油が元気になったら改めて殺しにくるんじゃないの」
かもね、としれっと叶木は言った。本当に、軽い調子だった。その横顔には、絶望も諦めも見えない。
「まあでもしばらくは大丈夫だろ。昨日電話で傑とちょっと話したから」
「何て?」
「心身ともに健康になってから結論出せって」
だってそうだろ、と叶木は心底うんざりしたような顔を作る。説教でもするように両腕を組み、眉間にしわをよせて大きくため息をついた。
「おおかた俺を避けてた数ヶ月、それについて悩み続けてたんだろアイツ。で、何、栄養不足に睡眠不足? 馬鹿じゃん」
「馬鹿だね」
「身体が万全じゃねえときに考え事したってろくな結論になるわけないだろ。そんな状態で迂闊に行動を起こすなってんだよアイツ、しかも俺の命左右するやつ。これで万が一俺殺したあとに『あんとき体調悪くて正気じゃなかったんです、間違ってました』とかなったら俺マジで死に損っしょ? 温厚な俺もぶち切れて祟るわ」
「アンタのどこが温厚かはとりあえず置いといて、それ夏油に言ったの?」
「言ったよ。爆笑された」
「だろうね」
とりあえずメシ食ってよく寝て気晴らしして、それから殺しに来いって言ったら呼吸困難になるくらい笑ったんだよねアイツ、といっそ不思議そうに馬鹿は言う。
何でそこで不思議そうになるのかの方がわかんねーわ、とは言わなかった。言ったところでどうせ無駄なのはわかっている。
やっぱりこいつ、頭がイカれている。
「で、それをわざわざ私に話した理由は?」
「さすがに重かったから誰かに吐き出したかったってのがひとつ。あと、そっちの関係にも誰か傑の様子見てくれそうなひといないかなと思ってさ。誰かいない? カウンセラーとは言わないまでも、傑がまた無駄に思い詰めてたら吐き出させてくれそうなひと。あ、もちろん悟以外で」
五条以外ね、と笑うと、だってアイツには無理じゃん、と叶木も笑った。まあ、そこは同感だった。
思い詰めるのも、悩むのも、「弱者」の特権だ。「最強」には、その気持ちを理解するのすら難しいだろう。そうでなくても、五条にひとを気遣うなんて高等技術を求めるのは酷というものだ。向いてないにもほどがある。
「無理ってのもあるけど、悟のやつ、傑のことめちゃくちゃ信じてるじゃん。対等っつーか、自分が平気なことは傑も平気だって思い込んでる節ない? だから多分、傑が何か悩んでても気づけない気がする」
「ま、今回まさにそうだったしね」
「傑は傑で、悟には弱いとこ見せたくないから隠そうとすんだろうし。マジでめんどくせーなアイツら」
「はは、同感」
やだねアイツら、と言えば、いや本当に、としみじみとした風に頷く叶木。同じ穴の狢のくせに、一向に自覚がないところが何と言うか。
もう笑うしかできなくて、とりあえず高専の人間を思い浮かべる。
「一応、担任には軽く耳に入れとくよ。呪術師なんてろくでなしばっかだけど、その中ではまだマシな方の人だから」
「教師ですら《マシな方》でしかないの……」
「教師は教師でも、生徒を命懸けの任務に送り出す学校の教師だよ」
「説得力すげえ」
うげえ、と顔をしかめる叶木を横目で見ながら、持っていた煙草をくわえる。火をつけようとすると、さっと横から手が伸びて煙草を奪われた。
「はい禁煙」
「真面目かよ」
「硝子ちゃんが煙草吸うのは自由だけど、俺の前ではやめて。煙草の臭いがついて俺が吸ってると思われたらいろいろ困る」
「自分のためじゃん」
「そうだよ。生活かかってんの」
ほら戻して戻して、と煙草をケースに押し込まれる。ちっと舌打ちしてケースを戻した。やだ舌打ちこわ〜い、と特に気にした風もなく言う叶木。あまりに凪いでいるその顔が、何だか気に食わなかった。
少し踏み込んでやろうと、あえて聞いていなかった問いをぶつける。
「で?」
「何?」
「殺されそうなのに、助けてくれとは言わないの?」
五条に言えば守ってくれるかもよ、と意地悪く言えば、叶木は困ったように笑った。笑うしかない、という風だった。
「悟には極力言いたくないんだよなぁ」
「何で?」
「アイツ意外に、本当にびっくりするくらい意外に、たまーにまともな感性発揮するから、まあ守ろうとしてくれると思うよ、俺のこと。で、傑のことは許さないと思う」
そこで初めて、叶木の視線が下を向く。黒い瞳が、静かに揺れていた。
「……俺、あの二人が喧嘩すんの、見たくないんだわ」
それはこれまでで一番、真摯な言葉だったように思えた。組まれた両手が、わずかに震えている。
「いつもの殴りあって仲直りレベルの喧嘩ならともかくさ、決定的なやつは、やっぱ、ちょっとな。そりゃ、傑が俺を殺す選択をしたら、どうしたって決裂することになるんだろうけど、一応まだそれはわかんないんだし」
せめて俺が生きてる間くらい、仲良く馬鹿やってて欲しいんだよ。
そう俯いて言う叶木の表情は、見えない。
「俺、傑が悟連れてきたとき嬉しかったんだよ。俺じゃどうしたって傑の見てるもん見えないし、同じ目線に立って話せるダチできて良かったじゃんって。悟は悟で、あの傲慢野郎、きっとちゃんと対等に話せて信頼できるやつ、傑が初めてだったんだろうなって見てて思ったし。いいコンビじゃんって」
だから、傑が俺と距離取り始めても別に良かったんだと、強がり半分、本音半分の声色で叶木は言った。
夏油には五条がいて、五条には夏油がいて、それで十分なのではないかと。なのに何故、それを壊すようなことをするのかと。
嗚呼、と思った。
夏油は、自分の見ている世界を呪術師と非術師で分けた。随分と極端で乱暴な分け方だと思ったが、叶木も叶木で随分狂っている。
叶木の世界には、
「……自分が死ぬのはいいんだ?」
「やだけど。やだけど、人間いつどうやって死ぬかわかんないって考えれば、傑に殺されるのはまだマシ。少なくとも無意味な死じゃない」
「知ってたけど、アンタマジで頭イカれてんね」
「頭イカれてねえと呪術師のダチなんかやってらんねえよ」
「うわ正論」
そこでようやく、叶木は顔を上げた。相変わらず困ったように笑って、ベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げる。
細く長く息を吐いて、ようやく安堵したように肩の力を抜いた。
「……やーごめんね硝子ちゃん。硝子ちゃんなら俺が危なくてもちゃんと見捨ててくれるかなと思って、つい吐き出しちゃった」
「マジでしつれーじゃん。助けるとか思わないの?」
「全然思わないけど。助けてくれんの?」
「死にたくないから無理」
ほらね、と叶木は笑う。見捨てると言った私を、当然だとばかりに受け入れた。
その横顔をぼんやり眺めながら、思う。もともと変なやつだとは思っていたが、ここまで変なやつだったとは。あのクズどもに懐かれて気の毒と思ったことすらあったのに、これじゃ気の毒なのはどちらの方なのか。
やっぱりクズどもの友だちはクズで、そして超がつく変人らしい。
「……叶木」
「何?」
「じゃあ、夏油が結論出すまではフツーに友だち続けんの?」
「そりゃ傑次第じゃないの。結論がどうあれ、非術師が嫌いなのは変わんないんだろうし」
「でもアンタから夏油を切ることはないんでしょ?」
「そだね」
別に俺が傑嫌いになったわけじゃねえしなぁ、と叶木は言うが、嫌いも何もアンタこそ夏油のこと好きすぎだろと思う。冗談で付き合うとか何とか言ってみたが、あながち冗談とも言いきれないところが笑えた。ああでも、五条のこともそうなのか。そして夏油や五条も、また。
何と言う、クソ重感情の三つ巴。三つ巴のくせに多分、叶木は自分に向けられた矢印の存在と重さに全く関心がないときた。やっぱ頭イカれてるやつらは違うわ、と思いつつ、何となく私も気まぐれを起こしてみたくなる。
別に、深い意味はない。ただ、面白そうだと思っただけ。ただ、こいつの世界に、こいつ自身を引きずり出してやりたくなっただけ。そして私の見ている世界に、叶木燈という人間がいることを、教えてやりたくなっただけだ。この、超ド級の馬鹿野郎に。
叶木、と名前を呼び、私の方を向いたその顔を覗き込む。
「私と付き合う?」
「……何て?」
「私と付き合う?」
「うわ聞き違いじゃなかった。どしたの硝子ちゃん、急に」
「別に? それもいいかもと思っただけ」
美人だと言ってくれた顔を近づけていけば、ヘタレ野郎は同じだけ後ずさる。嫌なの、と聞けば、そういう問題じゃないんです、と何故か敬語でふるふると首を振った。じゃあどういう問題なんだ。
「そういう冗談はちょっと俺には刺激が強い」
「冗談じゃないけど」
「なおのこと刺激が強い。えーと、あー……硝子ちゃん」
「何?」
「……硝子ちゃんと付き合ったら傑に殺されたとき未練になりそうなので、ちょっと勘弁してください」
おそらく限りない本音を返されて、思わず噴き出した。何という最低の振り方だろう、叶木らしすぎて笑える。
そんな笑わなくても、と恨めしそうな顔を向けてくるのがまた面白い。
「夏油のせいで叶木に振られたーって言いふらしとくわ。面白そ」
「各所で誤解生みそうだからマジでやめてほしいな! 話聞いてくれた礼も兼ねて何か奢るから! 何がいい!?」
「じゃあラーメン」
「はいはい」
そんじゃ行きますか、といつも通りの軽い調子で叶木は立ち上がった。その背中を見ながら、私も立ち上がる。
ひょろくはないとは言え、普通の域を出ない体格と、何の変哲もない黒髪黒目。呪力もなくて呪霊も見えず、本当ならそんなものと無関係に平穏に生きるはずだった一般人。
だと言うのに、特級呪術師であるアイツらとクソ重な友人関係を築き、その片方にいつ殺されるかわからない状況を受け入れているイカれっぷり。
とんでもねー変人だなと心から思いつつ、少しだけ、本当に少しだけ、こんな面白おかしい変人があの真面目系クズに殺されて終わるのは勿体ないような気がした。
「……叶木」
「ん?」
かと言って夏油の手から叶木を守るのは無理なので、せめて少しでも彼が死にきれなくなる理由を作ってやろうと思う。
振り向いた馬鹿面に、私はにやりと笑って言った。
「やっぱ付き合う?」
「勘弁してクダサイ」
***
呪術高専に戻り、頼まれものを胸に抱えながら寮を歩く。
さっさと渡すだけ渡して部屋に戻ろうと思ったところで、目当ての人間がふらつきながら自販機で飲み物を買っているのを見つけた。
「起きてんじゃん、夏油」
「硝子。ああ、喉が乾いてね」
まだ調子の悪そうなところを見ると、熱が下がったわけではないらしい。誰かパシればいいのに、と言えば、今皆出払ってるんだよ、と苦笑して言った。ふーん、と頷いて、私は持っていた紙袋を差し出す。
「ちょうど良かった、これ、叶木から」
「燈から?」
「見舞いだってさ。林檎とスポドリ」
紙袋ごと渡せば、相変わらず変なところで律儀だな、と夏油は苦笑したまま受け取った。
叶木の名前を出しても全く動揺しない夏油が、何となく面白くない。このクズ、自分が殺そうとした相手が見舞いを寄越してきたことを、当然のように受け止めている。
「わざわざありがとう、硝子。燈にも後で礼を言っておくよ」
「ん。……夏油」
「何だい?」
皮肉のひとつでも言ってやろうと思ったが、どうせこのクズには響かないんだろうと思うと面倒くさくなった。かわりに、素直な疑問が口から零れ落ちる。
「叶木、殺すの?」
夏油は一瞬目を見開いて、すぐに表情を戻した。困ったように笑って、穏やかに言葉を続ける。
「……そうか、硝子には話したのか」
「五条には言うなって口止めされたよ」
「だろうね。悟が知っていたら、とっくに私に掴みかかってる」
「アイツ、よく自分を殺そうとした相手に見舞いとか寄越すよね。アンタが倒れたとき、めちゃくちゃテンパって電話掛けてきたよ」
「はは、イカれてるんだよ、頭」
アンタが言うな、と返すと、そうかもしれない、と夏油はよろけるように長椅子に座った。さすがの夏油も、高熱を出した状態で長時間立っているのは辛いらしい。
「……今は、考えないことにしたよ。燈の言う通り、心身ともに健康になってから考えるさ」
「殊勝なこと言うじゃん」
「昨日ボロクソ言われたからね」
ちょっと反省した、と担任に叱られても言わないようなセリフを吐く夏油。嘘ではなさそうだが、胡散臭いことこの上ない。そんな私の視線に気づいたのか、本当だよと言葉を重ねてきた。
「確かに体調は悪かったし、冷静じゃなかったのも事実だ。その状態で結論を出すべきじゃなかったよ。たとえ最終的に、同じ結論に至ろうともね」
「……叶木、任務でろくでもないもんでも見たんだろって言い当ててたよ」
「本当に鋭いな、燈は」
ちなみに夏油が保護した幼い双子は、高専と繋がりのある病院で手当を受けている。双子の保護の際に夏油が一般人を傷つけたことは問題となったが、何せ事情が事情だ。建前上停学ということにして、それを夏油の療養期間に当てている。つまり、実質上の無罪放免。
燈のことがなかったら鏖にしてたよ、としれっと言う夏油に、もう、いろいろと呆れてコメントが浮かばない。アンタら本当に出来てんじゃないのかと言いたくなった。
緩やかに下がっていった夏油の目線が、再び私に向けられる。
「私が燈を殺そうとしたら、硝子は止めるかい?」
「止めないけど。死にたくないし」
そうか、と穏やかなまま言う夏油は、全てわかっているようだった。夏油の選択を阻まない私だからこそ、叶木が事情を話したということを。叶木が、どこまでも夏油の選択を尊重しているということを。
うっわこいつらキッショ、と心から思う。何でもいいから夏油の余裕の顔を崩してやりたくなって、私はさっさと叶木との約束を破ることにした。
そういえば、とさも今思いついたように、それを口にする。
「今日さ、」
「うん?」
「叶木に告って振られた」
「……硝子、さすがに趣味が悪くないかい?」
「ちなみに夏油のせいで振られたんだけど」
「は?」
どういう意味、と間抜け面で聞き返す夏油に笑って背を向ける。硝子、と困惑した声を無視して、とっとと部屋戻れよ、と手を振った。
何となくやり返してやった感がして、足取りが軽い。
*
元気になった夏油は、叶木を殺すかもしれない。非術師を鏖にすべく、呪術界を敵に回すかもしれない。五条と敵対して、殺しあうのかもしれない。
けど、そうならないかもしれない。
今確かに言えるのは、「叶木燈」というただの一般人がいたからこそ、特級呪術師同士が殺しあうという、どう考えても被害甚大なシナリオを少なくとも先延ばしにすることができたということだ。もっとも叶木には、それがどれだけとんでもないことなのか、まったくわかっていないのだろうけど。
「とりあえず、五条は叶木に感謝すべき」
たとえ薄氷の上を歩いているような状況であったとしても、五条が数少ない友人をふたりも失わずに済んでいるのは、あの頭のイカれているパンピーのおかげなのだ。
何となく愉快な気分で廊下を歩いていると、仲のいい先輩と鉢合わせた。
「あ、おかえり硝子。……なんかいいことあった?」
「ただいまっす歌姫センパイ。そうなんですよ、ちょっと聞いてください」
今日、夏油のせいで振られたんです。
そう言ったときのセンパイの顔ときたら、それはそれは面白かった。