「ハイこちら僕の数少ないパンピーの友達、叶木燈くんです!」
「オイオイ見栄張るなよ悟、パンピーだろうが呪術師だろうが、そもそもお前友達すくな、いだだだだだコブラツイストやめて!!」
「悟、少ない友達がさらに減るからやめな」
「夏油、それ追い打ち」
「だいじょぶだって悟、心配しなくても友達の少なさなら傑もどっこい、いっだい!! 傑もやめろ助けて硝子ちゃん!!」
「学生のノリ続けんのもその辺にしときなよ。叶木、私と付き合う?」
「ゴメンナサイ」
「じゃあ助けない」
「ひどい!!」
そんな、馬鹿みたいな日常。
俺はそんな日々が、どうしようもなく好きだった。
***
あんな奴らとダチやってれば、まあこれくらいは予想の範囲内だ。
と言っても、意外と危なかったことは少なくて、本当に死ぬかと思ったのは傑の代理でみみななちゃんたちを夏祭りに連れていき、ふたりの呪力に惹かれたらしい呪霊に襲われたときくらいか。でもあのときはみみななちゃんたちのおかげでちょっとした重傷で済んだし、そのおかげでふたりも俺に慣れてくれたようだから結果オーライだと思っている。幼女ふたり抱えて全力疾走したのも、もはやいい思い出と言えるだろう。
ああ、恵の式神とかなんとかいう見えない何かに覆い被さられたときも結構危なかったか? 見えない毛玉に潰されて圧死しかけるって、なかなかない体験だった。珍しく恵が青い顔して謝ってきたけど、まあ生きてたし怪我もなかったし毛並みもよかったので、これも特に問題なしでいいだろう。そのあと恵もさらに気合い入れて修行するようになったらしいし、これも結果オーライ。もともと生真面目なんだからそんな無理しなくてもいいのにな。
「大事なオトモダチが苦しんでいても、同じことが言えるかな?」
ゆったりと意識が浮上してくる感覚は心地よかったのに、汚いダミ声に邪魔をされて気分が悪い。どうやら俺の身体は冷たい床に転がされているらしい。うすく目を開けると、電話を片手に喚いている黒服の男が見える。
バイト帰りに夜道を歩いていたことまでは覚えている。一瞬で意識が途切れたような気がするから、何か呪術の類いで襲われたのだろうか。別に身体が動かないわけではないのに拘束をされていないのは、この男には何か俺の動きを止める手段、あるいは俺を殺す手段を持っているからだろう。それがわかるまでは下手なことをしないほうが得策かな。
少し身じろぎをすると、男は俺が起きたことに気づいたらしい。こちらを振り向いて、にやりと気色の悪い顔で笑った。
「ああ、お目覚めかな。すまないね、君には何の恨みもないが、君の友人にはごまんと恨みがあるんだよ。どうか彼らのかわりに苦しんで欲しい」
「あ、どっちの恨みかと思ったら両方か。何かすいませんね、アイツらマジで人の迷惑考えないから」
「おや、ずいぶんと余裕があるようだ。これから君は死ぬより辛い思いをしてもらうというのに、怖くないのかい?」
怖くないかと言われると、とても微妙なところではある。死ぬのは多分怖いが、前に傑に殺されかけたときのが怖かったなぁと、しみじみとそんなことを思った。
「ちなみにその電話、どっちに繋がってるんです?」
「これかい? 五条だよ。話すかい?」
「いいんすか? やっさしー」
「何、どちらにしろこれから君の苦しむ声をたくさん聞いてもらうつもりでいたからね」
スピーカーに切り替えてあげよう、と男が携帯をいじった。瞬間、笑いを堪えているような声が、狭い部屋に響く。
『燈、何、マジで捕まってんの? ウケんね』
何の心境の変化か、最近は少し言葉が柔らかくなってきてちょっと驚いていたのだが、それで誤魔化せるほど悟の性格の悪さは甘くなかったらしい。自分たちのせいでダチが拉致られているというのに、あのクズ野郎、欠片も慌てた様子がないどころか、完全に面白がっている。
「……開口一番これなんだもんなー。お前らのせいで拉致られたんだけどな-。マジでお前人の心拾ってこいよ」
『へえ、生意気言うじゃん。助けて欲しいって言わないの?』
「言う必要ねえだろアホらしい」
ため息交じりにそう言ってやれば、クックック、と楽しそうな声が電話口から聞こえてくる。それを聞きながら、俺はゆっくりと身体を動かした。堅い床で寝ていて少し強ばっているが、特に問題はなさそうだ。
あまりに普通の俺に業を煮やしたのか、男は眉間にしわを寄せて、その辺にあった椅子にどかりと座る。見下すような視線をこちらに向け、足を組んだ。
「余裕でいられるのも今のうちだよ、君」
「うわ、すごい小悪党の台詞」
「……君が呪力をもたない一般人であることは知っている」
思わず口をついて出た言葉は聞かなかったことにしたらしいが、口元が引きつっている。いや~ダメだね、これくらい余裕で言い返すか聞き流すくらいの度量がないとさ。
「呪力の耐性がない人間の方が、私の術式はよく効くんだ。君、痛いのは得意かね?」
「苦手ですけど」
「素直でよろしい!」
じゃあ、苦しもうか。
そして手を向けられた瞬間にきた、衝撃。全身の神経という神経が焼き切れたような、直接高圧の電流を流し込まれたような、途方もない痛み。
「が、あ……!?」
声が出ないどころではない。呼吸ができない。いや、息を吸って吐くこと自体は出来る。ただ、全身を走る痛みを受け止めること以外、何も出来ない。
気づいたときには、また冷たい床に無様に転がっていた。急に呼吸が出来るようになって咳き込む俺を、男は愉快そうに見つめている。
「聞こえたかな? 私の術式はね、痛みそのものなのだよ。可哀想に、君の友人は全身が焼き切れるような痛みに襲われて今も無様に転がっているよ。まあ、ショック死しなかっただけ上等だがね」
『……痛み、ねえ』
「そう、ただ
何だっけこういうの、と動かない頭を何とか動かして思い出す。前に悟が術式の開示がどうこうとか言っていたような。確か、自分の手のうちをさらすことで、術の威力を上げるとか何とか、そういう感じだった気がする。
なるほど、と俺は内心で頷いた。それなら、こいつが言っていることは、嘘じゃない。本当にこれは、ただの「痛み」なのだ。
そもそも痛み、疼痛は、身体的危険を訴えるために身体が出しているシグナルだ。つまりこいつの術式とか何とかはそこにバグを引き起こしているだけで、物理的なダメージを与えるものではない。ふむ、なら話は簡単だ。
ただのバグなら、気にしなきゃいい。
『おーい燈、痛い?』
「……めちゃめちゃ痛いけど、つまりこれ気のせいってことだよな。実際どこも傷とかないし、血も出てない」
「……何?」
「実害のない痛みってこったろ。俺が気にしなきゃないのと一緒だ」
ぐっと身体に力を入れて、起き上がる。
な、と男は驚いた顔をしてまた俺に手を向ける。また、突き抜けるような痛みが全身を走った。
思わずまた倒れかけるが、堪える。オーケーオーケー、痛みと感情を切り離せ。ただの
こちとら毎日必死に生きてるんだ、こんなやつに邪魔されるなんて冗談じゃない。
「な、ぜ動ける……! その辺の呪術師でもとっくにショック死してるレベルの痛みだぞ!?」
へえ、この程度の錯覚で死んじまうやつもいるのか。それも、呪術師で? 俺の知ってる呪術師ならこれくらい鼻で笑い飛ばしそうだけど、呪術師にも意外と根性のないやつがいるんだな。
おかしくなって、勝手に口角があがる。男と目が合うと、また痛みが増した。
「そんな怖がんなくてもいいっしょ、知っての通り俺は呪力もないただのパンピーだぜ? はた迷惑なダチはいるけど、俺自身は至って無力の一般人。今だってほら、アンタの術式とか言うのから逃れることも出来てない」
「く、るな……!」
「落ち着きなって。俺なら簡単にマウントとれると思ったから、拉致って拘束もせずに余裕ぶってたんだろ?」
一歩、また一歩と近づく。
大変失礼なことに、その男は完全に化け物を見るような目で、椅子を蹴り倒して後ずさった。
ひどいな、この人はいったい俺の何に怯えているんだろう。俺よりずっとずっと化け物みたいな奴らに、喧嘩を売っているくせに。
『燈く~ん』
聞こえてきた軽い声に、何だよ、と軽く返す。愉快そうな声色のまま、悟は続けた。
『
お前じゃあるまいし、と口にするのと同時に、俺の右足が男の横っ面をえぐり飛ばす。足に響く振動がさらに痛みを煽ったが、そのままの勢いで身体をひねり、左足も同じ場所にめり込ませた。歯の数本が飛んだように見えたが、それこそどうでもいい。
まったく、何で俺なんぞに手を出したかな。これでも俺は平和主義だ、やられたらやり返すが、やられない限り何もしないってのに。
そいつが気絶したのを確認して、床を踏みしめていた脚から力を抜く。倒れる直前に、誰かが身体を支えてくれたような気がした。
*
再び気づいたときには、見知った背中の上で揺られていた。目を開けなくてもこれが誰かわかってしまうのは、付き合いの長さとしか説明のしようがない。
「……すぐる、いま、なんにち、なんじ……」
「ああ、起きたのかい」
ひどく、身体がだるい。もうあの痛みはないが、かわりに全身が麻痺したように動かしづらかった。自分の舌足らずな言葉が、どうにも気色悪い。
「君が攫われたのは昨日の深夜、今はお昼過ぎ。学校が休みだったのはラッキーだったね。バイト先には急病だって連絡を入れておいたよ。大将、いい人だね。たまにはゆっくり休めってさ」
「……そ、」
「身体に異常は?」
「いたく、は、ない。でも、うごかな、」
「術式に堪えた反動かな。まあ、ゆっくり休めば大丈夫だろう。一応硝子のところに連れて行くから、寝てていいよ」
ん、と答えたはいいものの、だるいくせに眠気はこなかった。傑の背中で揺られる感覚が、妙に心地いい。しかしこいつ、体温たけーな。
「……すぐ、」
「ん?」
「……」
「ああ、体勢が不安定で眠れないかな。車に着くまでもうちょっと堪えてくれ」
「そじゃ、なくて……」
「何だい?」
傑の声は、いつものごとく穏やかだった。
ぼんやりしている頭のまま、考える。今日俺は、明確な殺意を人間から向けられた。それは傑に殺されかけたとき以来で、人生で二度目のことになる。殺意を向けられた、という点では何も変わりないのに、傑のときはめちゃくちゃ怖くて、今日は不思議なくらいに平気だった。何故だろう、と思うより先に、結論を見つけた。
助けがくるって、わかっていたからだ。
「……燈?」
俺は黙ったまま、何とか指に力を入れて傑のシャツを握る。すると傑は、不思議そうな声で俺を呼んだ。
助けてと言わないのかと悟に言われたとき、何を考えるでもなく、俺の口は「言う必要がない」と吐いていた。俺がマジで命の危機に晒されたら、悟にしろ傑にしろ、もしかしたら大穴で硝子ちゃんが、助けてという前に助けにくると確信していたからだ。みみななちゃんと呪霊に追いかけまわされたときや、恵の式神に押しつぶされたときも、そうだったように。
絶対誰かが、もしくは全員が、俺を助けにきてくれる。
「……んでもない……」
いつの間にか生まれてしまっていた、三人への信頼。俺みたいなやつの命でも、三人は価値あるものとして扱ってくれる。守ってくれる。それを俺自身が当然として受け入れていることが、俺にとってはひどく衝撃で、ひどく申し訳なかった。
「……珍しいな。そんな様子じゃなかったって悟は言ってたけど、もしかして怖かったのかい?」
「ぜんぜん……」
「いや、全然怖くないのもどうかと思うけどね」
俺、本当に怖くなかったんだよ。お前らが助けてくれるって思ったから。そうだ、傑の言う通り、俺は怖がるべきなのに。助けてもらうのが当然なんて、そんな。俺のために、皆が来て、守ってくれるだなんて、そんな。
そんなの、だめだ。
「……すぐる」
「うん」
いつから俺はこんなに贅沢になった? いつから俺はこんなに傲慢になった? いつから俺は、自分に価値を見出すようになった?
俺はもっと、いつだって気軽に死ねる程度に自分を軽く見てきたはずだ。生き物としてどうしようもない死への恐怖はあったとしても、強い未練を残すことなく逝けるようにと思っていたはずだ。
弱い俺には死に方なんて選べない。だから、いつ理不尽に死んだとしても、
傑のシャツを握る手が、痛い。
「……ころすなら、はやくころして」
俺が、もっと生きたいなんて思う前に。
傑の足が止まった。とす、とその振動が身体に響く。
「……今は、もっと生きたいとは思ってないのかい」
「おもってるよ、……いまよりもっと、のはなし」
俺が、俺のあさましい願望よりも、お前の志を優先できるうちに。
俺が、俺の死に意味を与えられることを、嬉しく思えるうちに。
俺が、お前たちとずっと、馬鹿をやってたいなんて望まないうちに。
「おれは、……おまえを、うらみたくない」
たとえ傑が
だって、俺が傑と友達でいたかったから一緒にいただけなんだ。俺のちょっとだけのわがままのつもりで、あのとき傑の手を引いたんだ。進路がわかれれば、そのうち勝手に疎遠になると思っていたんだ。そのくせお前が俺のバイト先に来てくれたの、めちゃくちゃ嬉しかったんだ。お前が繋いでくれたあの二人とも、会えて良かったって思ったんだ。
傑も、悟も、硝子ちゃんも、本当に大事だって、思えたんだよ。
俺なんかには、過ぎた幸せだった。
「……恨めばいいだろう。君にはその権利がある」
「俺が恨みたくねえっつってんだろうが権利とかどうでもいいんだよ」
あ、舌がまわるようになってきた。
「……痺れ取れてきたわ」
「……それは何より。歩くかい?」
「脚はまだ無理」
傑に体重を預けたまま、手のひらをにぎにぎと動かす。シャツがしわになったんだけど、とか小言が聞こえた気がしたが、まあ気のせいだろう。傑の肩に手を置いて少し身体を離し、首をぐるりと回す。最後にふうと息をついて、また傑に体重をかけた。
「……まあそういうわけで、俺が潔く死ねるうちに決めてほしいんだけど、結論出た?」
「君、本当にシリアスとかそういうのが似合わない人間だね。知ってた」
「知ってんならわざわざ口にするなよ傑クン。つーかいつまで足止めてんの、さっさと進んで、って冗談だろ冗談、落とそうとすんな!!」
いきなりのけぞった傑にしがみつきながら、は~~~、と傑が大きなため息をつくのを聞く。それから傑は、気を取り直したように歩き始めた。
「燈」
「ん」
「正直、すまないと思ってるよ。自分でもこんなに結論が出ないとは思わなかった」
「気にすんなよ。お前が悩むと長いのはいつもことだろ」
「やっぱり落とされたいのかい?」
「図星刺されて怒るのどうかと思う」
ぐったりと肩にのしかかると、髪がくすぐったいと首をよけられる。そういやいつのまにか髪ゴムなくなってたな、とぼさぼさの髪に手をやった。床屋に行くのが面倒で伸ばしていただけなのだが、この際すっぱりと切ってしまおうか。
「……もしかしたら、一生悩み続けるのかもしれないな」
「言っとくけど俺にも寿命ってもんがあるからな」
「そこは何とかしてくれ」
「なったら苦労しねえわ。寿命で死ぬならまだいいほうで、いつどうやって死ぬかわかんねーんだぞ、人間。今日みたいにお前らのせいで狙われるかもしれないし」
「とりあえず命だけ残ってれば硝子が何とかしてくれるから」
だから勝手に死なないように、といっそ怖いレベルに軽い声がした。いや、声は軽いが、だからこそ重いというか。お前何でそんなところで変な器用さ発揮すんの?
うえ、と俺の声から情けない声が漏れると同時に、クックック、と傑の肩が揺れた。顔が見えないだけに怖い。
「もし勝手に死ぬようなことがあれば、ありとあらゆる手段を用いて君を現世に引きずり戻してでも殺すよ。ああ、そのとき君はきっと呪霊になっているだろうから、私が取り込んで使ってあげてもいい。君と一緒に非術師を皆殺しにするのも、それはそれで一興かもしれないね。悟や硝子がブチ切れそうだ」
うっわ。うっわ。うっわしか言葉でねえわ何コイツ。
「……傑クンよ」
「何だい?」
「率直に言ってクッッッッッソ重いんだけど何? 俺の彼女かお前は」
「何だい、去年押しに負けて付き合って頭抱えてた彼女の話?」
「あああああ思い出さすな!! 俺は!! 忘れた!!」
誰にだって思い出したくないことのひとつやふたつあるし、俺にだってうっかりやらかしてしまった人間関係の失敗のひとつふたつくらいはあるというもの。あれは本当に迂闊なことをしてしまったと心底反省したし、絶対繰り返すまいと心に誓った。いや俺が反省すべき点と言えば、うっかり彼女のしつこさに負けて頷いてしまったことくらいで、疚しいことがあるわけではないのだが。だから硝子ちゃんにだけは知られたくないとか、別に全く思ってない。思ってない。
ひとしきり肩を震わせた傑は、幾分かすっきりした声で言った。
「最終的にどんな形になるかはさておいて、君の死に意味はあげるよ。それまでせいぜい生きてくれ」
「……はいはい、そりゃ光栄なこった」
しれっとお前の命は俺のもの発言をされたような気がするのだが、もう考えるのも面倒になってきた。そもそも俺の命がどうこうなんて、俺に決められるものでもない。だったらもう、なるようになれというものだろう。
「で、いつになんの? 終活始めときたいんだけど」
「さあ、私の気が向いたときかな。というか終活って」
また肩を震わせ始めた傑。その向こうに、ようやく黒い車が見えた。後部座席には見慣れた黒髪ボブの美少女が座っていて、その傍には車体にもたれかかるように見慣れた傲慢最強野郎が立っている。
「そういえば傑クン、俺ちょっとあの白髪野郎殴りたいんだけど、身体動かねえから代わりにやってくんねえ?」
「話次第では構わないけど、悟は何をやったんだい?」
「俺が拉致られたってのに電話口で爆笑してたから。俺の心はいたく傷ついています」
「……一応あれでも心配してたんだよ? 悟が電話に出てたのも時間稼ぎのためでね?」
「俺の心はいたく傷ついています」
「……後でブラックコーヒー飲ませておくから大目に見てやってくれ」
その瞬間写メっといてよと傑の肩を叩けば、もう十年の付き合いになる幼馴染は、ハイハイと楽しそうに笑った。
***
どっちのほうが電話繋がるかな、と一瞬考えて、そういえばアイツは海外がどうとか言ってたな、と思い出し、もうひとりの名前をタップする。
運よく暇をしていてくれたのか、そいつはすぐに電話に出てくれた。
『はい、夏油です』
「ああ傑、今いいか?」
『構わないよ。どうしたんだい、今確か東北だろう?』
そ、と軽く言って手元の手帳を開く。走り書きのメモを見ながら、伝えるべきところを指で辿った。スマホという文化にようやく慣れてきたとはいえ、長い文章をいちいちフリック入力するよりは口頭で伝えたほうがずっと楽だった。
「フィールドワークは平和に終わったんだけど、新幹線に乗るついでに駅近くの地域調べてみたら、何かきな臭くってさ」
『へえ?』
「なーんかな、呪い除けの扱いでヤバいもん隠してる雰囲気がある」
高校を卒業して、俺は都内の大学に進んだ。例のごとく奨学金という奨学金を使って選んだ進学で、正直結構悩みはした。でも結局、金を借りてでも研究をしてみたいと思ったのだから仕方がない。
その話をしたとき、うちの下宿の本棚にこっそり置いてあった本を見て察していたらしい傑はいいんじゃないか、と笑い、悟はお前本当に物好きだな、と呆れたように言い、硝子ちゃんは私たちのこと好きすぎか、とニヒルに唇を歪めた。
俺が選んだのは、伝承や逸話、ひとびとの営みのなかで静かに伝えられ、受け継がれているものを見つめなおすこと。それらしい言い方をすれば、民俗学と言われる分野だ。妖怪だの神隠しだの、摩訶不思議なものが多かったりもするのだが、それを「見えないものの存在を知る立場」から研究してみたかった。ちなみに俺の愛読書は「遠野物語」です。
大学で四年間を過ごした後も、バイトに勤しみつつその分野の研究を続け、今ではたまに招かれて講義を行ったり、ちょっとした論文を寄稿したりもしている。
こういう学問は当然、研究室に引きこもっていてできるものではない。俺は日本各地を飛び回り、フィールドワークを行いながら研究を進めていた。
そしたら不思議、旅先で何となく「アレ」なものを見つけてしまうことも、まあ、そこそこにあるのだから日本は広いなと思うわけで。
「呪いをもって呪いを制する風習がこの辺にもあったらしくてさ。やな予感がして、それとなーくこの辺一番の年寄りと酒飲んでみたら、学校を作ったときにどっかから怪しげな木箱を誰かが持ち込んできたって話があったらしい。小さな細長い箱で、中身は不明」
『……小さな木箱ね』
「ついでにそれ以来、この辺で不審な失踪がちょっと多いかな」
『完全にきな臭いな。わかった、あとで学校の詳細を送ってくれ。呪術高専に調査依頼を出しておく。燈、わかってると思うけど』
「俺が危ない橋に近づくわけねーだろ。さっさと帰るわ」
それならよし、と傑が笑った後ろで、何やら女の子たちの騒ぐ声。あー、こりゃまずい、と苦笑しながら、俺は口を開いた。
「何だ、みみななちゃんたちとデート中か? 邪魔して悪かったな、傑パパ」
『せめて兄と言ってくれ。仕事で高専に来ていてね』
「そっか、二人も今年から高専か。恵もそうだよな。いや~時の流れは早いね」
『悟が教師をしているくらいだからね』
「それ何年経っても笑っちゃう。
高専を卒業して後、傑は高専所属の呪術師に、悟は教師に、硝子ちゃんは医師免許を取って医者になった。硝子ちゃんが何をどう誤魔化して二年で免許を取ったのかは知らないが、深く突っ込まないほうがいいんだろうとは思っている。
電話口で、傑が苦笑した気配がした。
『悟に教育の重要性を説いたのは君だろうに』
「俺はただ、腐った組織を変えたいなら使える年下をたくさん作って、老害が死ぬタイミングで多数派になるよう仕組むのが一番確実って言っただけだぞ」
『だからそれが…っと、こら、菜々子、』
『もー燈ってば、夏油様との時間邪魔しないでよ!』
「お、菜々子ちゃんか、久しぶり。ああ悪かったよ、もう切るから」
『今東北なんしょ? お土産買ってきてよね! ほら美々子も!』
『お土産、甘いのがいい』
「はいはい了解。美々子ちゃんも元気そうだな、良かった」
はしゃぐ二人の声と、それを諫める傑の声。全く、相変わらず仲のいい。しかしあの二人、傑にどんだけ言われても「夏油様」呼びをやめない辺り、逆にすげえなと心から思う。まあその頑固さは、当の本人に似たんだろうけど。
ふ、と笑うと、電話口に傑が戻ってきた。
『……ああ、すまない、燈。騒がしくて』
「いーよ、じゃ、俺もそろそろ新幹線の時間だから切るわ。詳細は切った後送っとくから」
『ああ、よろしく』
それじゃ、道中気を付けて、と言う言葉で通話は切れた。途端に静かになったことに少し笑って、とりあえず必要な情報をスマホに打ち込んでいく。
すると途中、画面の上部に通知が現れた。誰かと思えば、今海外のはずの甘党教師。
『僕にもお土産よろしく♡』
ハートつけるな歳考えろ、と即座に返信すれば、さらにハートマークが追加された。これはOK出さないと延々送り続けてくるやつだな、と判断し、さっさと了解、と返信する。
言われなくても、悟用の甘いものはすでに準備してあった。遠出するときは必ず旅先のスイーツマップを用意するレベルのあの甘党は、土産がなかったら本当にうるさいのだ。そして拗ねると後輩に八つ当たりするという最低の先輩でもある。さすがに七海くんや伊地知くんに迷惑を掛けるのも心苦しくて、忘れずに買って帰ることにしている。
お菓子系の土産は余分に買ってあるからみみななちゃんたちの分もあるし、恵も甘いもんは普通に食べるし、硝子ちゃん用に地酒も買った。多分買い忘れはないだろう。
「……帰るか」
誰に言うでもなくそう呟いて、リュックを肩に担いだ。
傑に会ってから二十年、
俺の命が傑に握られていることは変わりないのだが、今も縁が切れることのないまま、そこそこ平穏な生活を送っている。まあ何をもって平穏とするかは個人の主観によると思うけど、俺としてはきっと多分「平穏」だった。……「平穏」だったんじゃないかな。多分。
アイツがいつまでも悩んだままで
『何だろうね、とてもザマーミロって気分だよ』
どういう意味だ、と言っても傑は笑うだけで答えることはせず、結局そこに悟が飛び込んできて話はうやむやになってしまった。ザマーミロって、どういう意味だったのだろう。
年を重ねればさすがに馬鹿をやることは減って(当社比)、暇があれば家に乗り込んでくるようなこともなくなって、でも何だかんだで顔を合わせて、面倒を見ていた子どもたちの成長ぶりを肴に酒を飲むようにもなった。悟はメロンソーダ。
それでいいのか、と俺の臆病な部分はいまだに叫ぶことがある。この手のひらに、大切なものを握ったままでいいのかと。でも、それでいいんだと、少しだけ思えるようになった。多分、俺も大人になったって言うことだと思う。
たとえば俺が、明日、死ぬのだとしても。殺されるのだとしても。
俺はきっと、大切なものと離れることを泣きながら、でも大切なものを得られたことを喜びながら死ねると思う。
それだけで俺の人生、わりと上等だったんじゃないかと思えた。
***
___本心からそう思ってるんだよ、俺は。
そう、目の前の幼馴染に語りかける。その頬をつたった涙が、血だまりに落ちて溶けた。
泣くなよ、と言ったその言葉が、声になったかどうかはわからない。
完結です。
お付き合いありがとうございました。
死んだかもしれないし、そうじゃないかもしれません。