足跡辿って、また青春
「いや、やっぱね? キャラ的な問題はあるにしろ、僕や燈が経験している以上、そこは平等であるべきだと思うのよ僕は。曲がりなりにも教育者である僕としては、仲間外れなんて認めるわけにはいかないし、ほら、何よりもう僕たち十年以上の付き合いなんだよ? つまり僕たちはもはや一心同体であり、あらゆる経験を共有しているべきだと思うわけ」
「長ェよ。結論言え」
「うん、だからつまり、」
「……は? やろう」
***
変な人という以外に、何て表現すればいいのかわからなかった。
*
叶木燈というひとについて虎杖に尋ねられ、まず出たのは「変」という言葉だった。いやそれはわかると真顔で返されたが、まあそれはそうだろう。
呪力もなく、かといって天与呪縛があるわけでもなく、本当に文字通りの一般人。本当に才能は欠片もないそうで、呪霊に追いかけまわされたときですらまったく見えなかったらしい。もう逆に才能だね、と夏油さんに言われ、褒めるなよ~と笑っていたが多分絶対褒めてはいない。
だというのにあの人は、呪術界でも有名な三人と友人関係を築き、「見えない」のに呪術師の世界を「当たり前」に受け入れている。
『君が伏黒恵くんか。初めまして、私は夏油傑だ』
『俺は叶木燈、よろしくな~』
俺が五条先生と出逢い、その傍若無人ぶりにようやく少し慣れてきたころ、五条先生は夏油さんと叶木さんを連れてきた。自分が遠出しているときに何かあったら、この二人を頼るように、と。
丁寧に自己紹介をしてくれた夏油さんと、軽く手をあげて笑った叶木さん。
夏油さんを紹介してくれた理由はよくわかる。五条先生が信頼する、同じく特級の呪術師。万が一にも禪院家や呪霊がちょっかいを出してきたときの対策として、頼りになるひとを紹介してくれたのだろう。
けど、一般人に過ぎない叶木さんのことは何故、と思った。そもそも、この人に一般人の友達がいる事実が信じられなかったというのもある。いや、友達がいること自体おかしいだろと言われればそれまでなのだが。
『あー、うん、そっちの関係で危ないときは俺を頼るなよ。足手まといにしかならない自信あるからな』
『うん、普通に恵のが強いヨー』
『よーし黙ってろな若白髪。ま、かわりに俺、人間の相手はわりと得意だと思うから』
隣で五条先生が指を鳴らしているのに、平気な顔で笑って見せた叶木さん。そのときは人間の相手は得意ってどういう意味だ、と思ったのだが、確かにこの人、人間の相手がめちゃくちゃ上手かった。
『誤解をさせてしまったようで申し訳ありません。僕は叶木と申しまして、恵くんが通っている……そうですね、道場のようなものの関係者です』
『はい、背の高い、銀髪の。彼はそこの道場の主で、僕はお手伝いをしています。恵くん、とても筋が良いんですよ。先が楽しみだといつも話をしていて。ああ、はい、長い黒髪を束ねている男もそうです』
『ええ、彼ら姉弟のことは聞いています。血縁というわけでもありませんし、あまり具体的な援助が出来ないのが悔しい限りですが……たまにこうして様子を見に来ているんです。何か困ったことがないかと思って』
『今後もお会いすることが多いかもしれませんね。どうぞ、お見知りおきを』
当時近所に住んでいたお節介でゴシップ好きな年寄りを軽く言いくるめ、それとなく俺たちが過ごしやすいように手を回してくれた。
それ以外でも、学校で保護者が必要なときは出席してくれたり、重い買い物をするときには荷物もちをしてくれたり、津美紀がいないときはメシを作ってくれたり、テスト勉強を見てくれたり。両親のいない俺たちが困りそうなことを何故だかすぐに察知して、いつも先んじて手助けをしてくれた。
津美紀もそんな叶木さんをとても頼りにしていたし、俺も感謝はしている。
「いや、叶木さんめちゃくちゃいい人じゃん」
「……何つーか、素直に感謝させてくれない人なんだよ、あの人は」
「何、どゆこと?」
「虎杖お前、めちゃくちゃ礼儀正しく笑ってた人が、相手が視線外した瞬間にあくどく笑ってたらどう思う?」
「え、……人間コワイ……」
「そういうことだよ」
人の中で生きていくということを、何故だか叶木燈という人は完全に理解していた。自分の態度で、言葉で、他人がどう動くのかを完璧に把握していた。世渡りというはこういうことを言うのかと感心すると同時に、俺は幼心に完全にドン引いた。
それでも叶木さんは、その反応が正常だと軽く笑い飛ばす。
『はっは、まっすぐ育ってる証だな。そのまま育てよ青少年!』
というか頼むから悟や傑には似ないで津美紀ちゃんを見本に育って、といつも真顔で続けられ、お前にだけは言われたくない、と五条先生か夏油さんにはたかれるのがテンプレート。
手加減をされているとはいえ、全く懲りずに特級呪術師ふたりに喧嘩を売り続けるのだから、やっぱり叶木さんは頭がイカれている。
一度、夏油さんに近接戦闘を見てもらったときにそうこぼしてみたら、夏油さんはそれは愉快そうに笑った。
『怖いもの知らずに見えるかい? 残念、燈は根っからの
『え、』
『まあ、頭がイカれているというのは全面的に同意するけどね。燈の世渡りは参考にしてもいいけど、人間性は真似しないでくれ』
ろくな大人じゃないことは確かだから、と言い放った夏油さんに、アンタもろくな大人ではないですよね、と言おうとしてやめた。叶木さんと同じ轍を踏んではいけない。
「……
「夏油さん曰く、な。俺も正直よくわからん。……けど、」
「けど?」
あのときの、叶木さんの顔。
津美紀が呪いに倒れ、目を覚ます方法がわからないと聞いたときの、自分の無力さを噛み締めているような、表情。それでも叶木さんは、すぐに頭を切りかえて学校や病院、警察への対応を手際よくこなしてくれた。
それを見たときに俺は、思った。きっとこの人は、自分にどれだけのことが出来ないかをよくわかっている。その現実を直視した上で、それでも行動を起こすことが出来る人なのだと。出来ないことを嘆くよりも、出来ることを数えることが出来る人なのだと。
そこだけは見習うべきなのかもしれないと、少しだけ思ったのを覚えている。
「弱いけど、……弱くは、ない。上手く言えねーけど」
弱いなりの、生き残り方を知っている人だ。だからきっと、「最強」を謳われる人たちの隣でも、平気な顔で笑っていられるのだろう。言葉にすると矛盾するようだが、それもまたひとつの「強さ」と言えるのかもしれない。
俺の意味不明な言葉に、そっか、と頷いた虎杖は小さく笑って、あ、そうだと、声を上げた。
「そうそう俺、叶木さんにオススメのラーメン屋教えてもらったんだよ、食いに行かねえ? あ、釘崎たちも誘う?」
「確か今日、その叶木さん荷物持ちにして買い物に行くっつってたぞ、あの三人」
「え、そーなの? つーか叶木さん、荷物持ちって……」
多分両手いっぱいに荷物持たされてるな、と零すと、めっちゃ想像出来る、と虎杖も大きく頷いた。
叶木さんは、基本的にあの双子に甘い。たいていの我が儘はハイハイと聞いてやるし、こき使われても笑って流すところがある。が、その一方で、夏油さんの言うことしか聞かないところがあるあの双子に、ある程度言うことを聞かせているのも事実だった。
「多分荷物持ちしながら、あの双子が無駄遣いしないように見張ってる」
「めっちゃ保護者じゃん」
「意外と金の管理はきっちりしてる人なんだよな。何でも買い与えんなって夏油さんに説教してるの見たことある。特級呪術師を正座させてたぞあの人」
「何その面白い通り越して恐ろしい絵面」
そんな話をしながら虎杖と二人でラーメン屋に向かえば、ちょうどその店の前で意外な顔と鉢合わせた。
「あ、ナナミンだ」
「いやナナミンてお前」
「その呼び方はやめなさい」
***
「燈、どっちが夏油様の好みだと思う?」
「俺に聞かないでほしいんだよなぁ。白」
*
菜々子と美々子に買い物に誘われ、二つ返事で頷いてみれば何故か当日にはこの人がいた。燈のことは気にしなくていいから、と菜々子が言うと、ははは、と叶木さんは硬い笑みを零す。聞けば、二人の買い物に付き合わされるのはいつものことなのだと言う。
「意外。誘うなら夏油さんかと思ってました」
「その傑とのデートに着てく服を選ぶために俺が呼ばれんの」
「ああ……って、それでいいの叶木さん」
「まあ、……うん、慣れた」
「目が死んでますけど」
「はは……いやでも悪かったね野薔薇ちゃん、俺がいること知らなかったんだろ?」
「私は別にいーですけど」
ありがとう、と叶木さんはいつも通り軽く笑った。
五条先生が連れてきた、完全な一般人だという叶木さん。いや五条先生と友達やってる時点でパンピーじゃねーよとは思ったが、本当に呪霊の類の一切が見えない人であるらしい。
第一印象はただのチャラ男。しかし、硝子さんの告白を適当にかわしているのをみて、第二印象は最低なチャラ男になった。それについて叶木さんは、慌てたように首を振る。
『いやいやいや待って! どこどう見ても可哀想なの俺の方でしょ!?』
『私だろう。十年振られ続けてんだから』
『俺としては十年もてあそばれてるって感じなんだけど』
『見解の相違だな。で、そろそろ私と付き合うか?』
『勘弁してクダサイ』
『また振られた。ヤケ酒しよう』
『最近飲みすぎだから。いい加減控えなって』
そして叶木さんがため息をつくのを、硝子さんは愉しんでいるようだった。よくわからない関係性だけど、五条先生も夏油さんも当たり前にスルーしてたから本当にあれが日常なんだろうと思う。
それにしても硝子さんを振るとか贅沢すぎる。
「燈、これとこれなら?」
「右のがいいと思うけど……でも美々子ちゃん、似たようなやつ前に買ってたろ」
「えー」
「いくらお金稼ぐようになったからって無駄な買い物は良くない。金銭感覚まで傑の真似しちゃだめ、本当に」
「……燈のケチ」
「俺が普通なんです〜。ほら、返しておいで」
叶木さんは文句一つ言わずみみななに連れ回され、両腕にショップバッグをいくつも引っ掛け、時に夏油さんの好みを教え、時に無駄遣いを窘めている。
それにしても、どっちがいいか意見を聞かれ、どっちでもいいとか適当なことを言わない辺りは確かに評価してもいい。しかしそれは同時に、女の子の買い物に付き合うのに慣れているということで。
この男、それらしい気遣いで女の子オトして適当に遊んで捨てるタイプだな。野薔薇さまが言うんだから間違いない。
「……何、野薔薇ちゃん。何かすげー誤解されてる気がするんだけど」
「叶木さんて彼女いるんです?」
「唐突だな。いないけど」
うっそ、と言えばほんとほんと、と軽く手を振られた。
「これでも俺けっこー忙しいの。ここ数年は全くそんな話はなし」
「ふーん? その割に女の子の買い物に付き合うの慣れてないですかー?」
「そりゃ、あの子たちの買い物には何度も付き合わされてきたからね」
「彼女じゃなくて?」
「はっは、何言ってんの彼女の買い物とか絶対付き合わねー……あっ嘘、冗談冗談」
違う意味で最低だった、とうろんな目線を送れば、叶木さんは誤魔化すようにアハハと笑った。
「いや、まあ、ねえ」
「最低」
「……女の子に言われると刺さるな〜」
硝子さんはこんな男のどこがいいんだか、と思わず零せば、叶木さんは少しだけ目を見開いて、ほんの少し、ほんの少しだけ切なさを滲ませたような気がした。
「……本当にね」
瞬きをする間に、その切なさは消えてしまったけれど。
硝子ちゃんも俺からかってないで適当にいい男捕まえりゃいいのにな〜と、いつも通り軽く笑って見せたその人。叶木さんはふとスマホの画面を表示させ、時間を確かめた。
「お、結構いい時間だな。野薔薇ちゃん、お腹すいてない?」
「んーわりと。甘いものの気分」
「任しといて。おーい二人とも、ちょっと休憩しよーぜ」
ええー、とまだ服を選んでいた双子は顔を顰めたが、叶木さんの次の一言で目を輝かせた。
「評判のパンケーキ屋に連れてってやろうと思ったんだけどな〜」
「行く!」
「会計してくる」
即座にレジに走った双子に笑いながら、叶木さんは両手いっぱいのショップバッグを持ち直す。
その中にひとつだけ、さっきまでなかった紙袋があることに気づいた。
*
休日の高専は、さすがに静かだ。といってももちろん人がいないわけではなくて、時折ばたばたと誰かが走って行く音が聞こえる。
暇しててくれるといいんだけど、と思いながら、目的のドアをノックした。中から、はい、と気怠げな声が返ってくる。
「失礼しまーす」
「釘崎か。どうした、怪我したってわけでもなさそうだが」
白衣と目の下の隈がもはやトレードマークになっている美女が、椅子に座ったままくるりとこちらを向く。どうやら患者がいるわけではないらしいことにほっとしながら、つつつと近づき、身体の後ろに隠していた紙袋をじゃーんと見せた。
「ちょっとおつかい頼まれて。これ、硝子さんに」
「おつかい?」
「叶木さんが。渡しといてくれって」
叶木が、と不思議そうに硝子さんはそれを受け取った。
今日みみななと買い物行ってたんですよ、と言えば、また荷物持ちしてたのかアイツ、と言いながら中の箱を取り出す。かぱりと蓋を開けて中を見ると、硝子さんは小さく笑った。
「……ああ、なるほど。わざわざ悪かったな、釘崎。礼代わりにコーヒーでも飲んでいくか」
「いいんですか?」
ああ、と硝子さんは立ち上がる。その辺に座って待ってな、といわれて、とりあえず手近な椅子に腰かけた。
硝子さんは箱から中のものを取り出し、流しで丁寧にそれを洗う。質のいい、淡い水色が見えた。
「硝子さん、それ」
「ああ、マグカップだよ。こないだうっかり割ったって話をしたのを覚えてたんだろ」
「……今日って硝子さんの誕生日とかそういう?」
「いいや? アイツはこういうプレゼントを何の気なしにしてくるやつなんだよ。しかも下心なく」
「逆に最低では」
「全く同感」
十年振り続けている女性に思わせぶりなプレゼントって、それはちょっとひどすぎでは。
しかし硝子さんは特に気にした風もなく、むしろ機嫌よさそうにマグカップをゆすぎ、丁寧に布巾で水気をふき取った。棚からマグカップをもうひとつ取り出し、サーバーの中身を確認してそれぞれにコーヒーを注ぐ。ふわりとコーヒーの香りが部屋に漂った。
「砂糖とミルクは?」
「あ、欲しいです」
「はい。じゃあお好みで」
シュガーとミルクを添えて渡されたマグカップ。もちろん、水色のそれは硝子さんが持ったまま。その色や形は硝子さんにとてもしっくりきていて、いいの選ぶわねあの最低男、と心の中だけで呟いた。
ふ、と息をふきかけて、硝子さんはカップに口をつける。
「……硝子さんも叶木さんとは付き合い長いんですよね?」
「そうだな。まだ学生だったとき、夏油に紹介されてね」
そういえば、確かもともとは夏油さんの幼馴染みだったとか言っていたような気がする。その縁で五条先生や硝子さんと知り合ったとか何とか。
「叶木さんて、昔からそういう感じなんですか?」
「そういうって?」
「何て言うか……わりとクズ?」
ついつい本音を零したが、お前は男を見る目があるな、とむしろ頷かれた。というか硝子さん、クズだと認識したうえで告白してんの? マジ?
そんな私の視線に気づいてか、硝子さんは小さく唇を歪める。なんだか楽しそうに、とん、とデスクにもたれた。
「知ってるか? アイツはね、自分の恋愛遍歴を私にだけは知られたくないらしい。よくそれをネタに夏油に遊ばれてるんだが」
「ええ……どんだけヤバいんですか引くわ……」
「見てればだいたいわかるっていうのにな。変なところで鈍いというか、馬鹿というか。まあ馬鹿なんだけど」
「……そういえば今日、叶木さん、彼女の買い物には絶対付き合ったりしないとか言ってましたよ」
「へえ、叶木にしては珍しく口を滑らせたな」
でもそういうこと、と硝子さんは綺麗な水色を見つめた。
「ま、そもそもが誰とも付き合う気はないんだろうね。基本告られても適当にかわすけど、かわしきれなかったしつこい奴だけ仕方なく付き合って、しかも絶対に大事にしない。何なら付き合う前の方が親切にしてやるんじゃないか? そうやって、向こうから振ってくるように仕向ける」
「普通にめちゃくちゃ最低では」
「はは、全くその通り。何せ完全なるクズだから」
でも、だからこそ、わかるだろう?
そういって、硝子さんは余裕の笑みを見せる。それは、同じ女の私から見ても、とってもかっこよくて魅力的な笑顔。
かざすように、目線の高さまでカップを持ち上げた。
「十年、私のことは振り続けてる。他の女だったらとっくに付き合って、適当に振られてやるところを」
「え、じゃあ、つまり、」
「そう」
私のことが大切だから、私とは付き合わないんだよ。
とんでもないクズだろう、と硝子さんはデスクにカップを置いた。カップのふちに、淡くルージュの痕が残っている。
「……ひょっとして叶木さんて、すでに硝子さんにベタ惚れだったりします?」
「さあ? それがどういう感情なのかは知らないけどね」
ただ間違いなく言えるのは、と硝子さんの唇がゆるく弧を描く。
「叶木がそんなに大切にする女は、私くらいだってこと」
しかも、あれで隠してるつもりなんだ、あのクズ。
可愛いもんだろ、と笑ってみせた硝子さんは何となく得意げで、少し幼く見えた。硝子さんのこんな可愛い顔を引き出せるなんて、あのクズやるな、と私もちょっと笑う。
「で、結局硝子さんは叶木さんのことが好きなんですか?」
「それは女の秘密だな」
「あっずるい!」
ふふ、と軽く微笑んだ硝子さんは、そういえば、と思い出したように続けた。
「最近五条の機嫌がやけにいいから、多分何か企んでるぞ。巻き込まれないように気を付けておくといい。まあ、十中八九巻き込まれるだろうけど」
「いや気を付けようがないじゃないですか」
「おふざけの範囲だとは思うけどね。あの感じは多分、夏油か叶木と何か企んで……いや、タイミング的に叶木とか」
「タイミング?」
硝子さんはそれ以上に答えずに、少し呆れたように微笑んで、また水色のカップを手に取った。手のひらを温めるように、両手でカップを包み込む。
「まったくアイツら、いつまでもガキで困るね」
大人の女性の、笑い方だった。
***
「ナナミンも叶木さんと仲良いの?」
「そんなつもりはありませんが、たまに美味い店を教えてもらうことはあります。あの人はB級グルメに詳しいので」
俺たちと同じく昼飯を食べに来たというナナミンも一緒に、三人でカウンターに並んだ。ラーメン屋とナナミンという対比が何となく似合わなくて面白い。しかし話を聞いてみれば、この店のラーメンは高専のときからたまに食べに来るのだという。
「高専時代に夏油さんと五条さんに連れられて以来、ですね。ここはもともと、叶木さんのバイト先です」
「へえ! じゃあナナミンも叶木さんとは付き合い長いんだ」
「顔を知っている期間が長いだけです。個人的に話すようになったのは呪術師に戻ってからですよ」
注文をしてすぐに出てきたラーメンに両手を合わせる。
もう香りからして美味かった。ずず、と麺をすする。美味い。何これめちゃくちゃ美味い。うっま、と思わず言葉にすると、目の前にこと、と餃子の皿が置かれた。
「あれ、餃子は頼んでないっすよ」
「野暮言うなよサービスだ。どうせ燈の知り合いだろ? そっちの兄ちゃんもよく来てくれるしな」
「いつもありがとうございます」
「こっちのセリフだよ。まあ食ってけ食ってけ」
店主のおじさんは、そう言ってひらひらと手を振って背を向ける。
「どうぞ、二人で食べてください。この店は餃子も美味い」
「え、ナナミンも食べたらいいじゃん。数あるんだし」
「食べ盛りが遠慮するものではありませんよ。私はこの後ひとに会う用もあるので」
「……いいんですか?」
「どうぞ」
借りてきた猫状態の伏黒がおずおずと尋ねると、ナナミンはまた頷く。やった、と俺たちは同時に箸を伸ばした。
そんな俺たちを、何故かナナミンはじっと見ていた。やっぱ食べたら、と言ってみれば、いえそうではなく、とナナミンは首を振る。
「仲良く食べ物をわけられるのは良いことだと。高専時代に連れられてきたときは、いつも五条さんと夏油さんが餃子の奪い合いをしていたので」
「……五条先生はともかく、夏油さんも?」
「あの人普段はそれらしく振舞いますが、普通にちゃんとクズですよ」
「いや普通にちゃんとクズって何」
「ちなみに私は夏油さんのことも尊敬はしていません。信用と信頼はしてますが」
五条さんの友人やれる人間がまともなわけないでしょう、とさらりと言ったナナミンに、伏黒も大きく頷いた。いやそこ同意しちゃだめなところだと思うんだよな、俺。
「意外と下衆いことも言うし、わりと沸点も低いですよね、夏油さんて」
「ええ。叶木さん曰く、五条さんより夏油さんの方が煽り耐性が低くてキレやすくてめんどくさい、と。私は五十歩百歩だと思いますが」
「へえ、意外」
「ちなみにそれを言ったあと、叶木さんは夏油さんに逆エビ固めを食らっていました」
「本人の目の前で言ったのそれ!?」
「そういえば昔、そういうのは本人の前で言わないと陰口になるだろって言ってたな」
「え、そういう問題?」
ある意味誰よりマイルールとマイペースで生きている人ですから、とナナミンは言うが、そんな言葉で済ませていいのだろうか。
叶木さんの「常識」は俺らとは違うから、と伏黒もさらりと言う。もう理解するのを諦めているらしい。ずず、と麺をすすり、伏黒はふと考えて言う。
「考えてみれば俺、叶木さんがマイペース崩すところ見たことないな。あの二人に締められてるときも、何だかんだで余裕はあるし」
「確かに想像つかねえかも。叶木さんて本気でキレたりすることあんのかな?」
「それは私も見たことありませんが、赤面して狼狽えているのなら見たことはありますよ」
えっと二人してナナミンの方を向く。レンゲですくったスープをひとのみして、思い出すように視線を虚空に上げた。
「叶木さんが自身の研究のために日本中を飛び回る傍ら、曰く付きのものの情報を我々に提供してくれているのは知っていますね?」
知ってる、と頷いた。叶木さんのお陰で見つかった呪物や呪具も多いと聞いている。強力な武器の類も結構見つけていて、わりと呪術師にも感謝されているのだとか何とか。
その通りです、とナナミンは頷く。
「本来呪いに関わるものの情報が提供された場合、高専の調査機関がその真偽を確かめ、場合によっては所有者に対して譲ってもらえるように交渉します。調査自体はそう難しくなくとも、この交渉が難航することが多い」
「お金の問題?」
「お金でケリがつくなら話は簡単ですが、たとえばその呪物を家宝としていたり、村の守り神としていたり。また、相手が一般人であればその危険性を理解してもらうのも骨が折れます」
なるほど、と頷く。
見えないのに呪いを理解してくれるのはそれこそ叶木さんくらいのもので、俺だって伏黒が宿儺の指を回収しにきたときは何のことだかわからなかった。ましてそれが自分たちにとって大切なものだったとすれば、なおさら簡単に譲りたくはないだろう。
「しかし、叶木さんが情報提供者だった場合は話が全く変わります。調査に赴く人間が言うには、あの人の紹介だ、と一言言うだけで、たいていの交渉はほぼ終わるそうです」
「……えっ何で?」
「言っただろ、あの人はそういうのが死ぬほど上手いんだよ」
「ええ、あの人は完全に相手方を上手く言いくるめ、調査と交渉に前向きにさせてから情報を提供してくれるんです。確かに叶木さんは一般人ですし人間性に難はありますが、そういう意味では非常に有益な情報提供者です」
交渉やコミュニケーションに長けた呪術師なんてほぼ皆無ですから、とナナミンはチャーシューをかじる。
しかし、と心底呆れたという風にため息をついて続けた。
「どうやら本人には全くその自覚がなかったようで。私が呪術師に戻り、情報提供者として改めて叶木さんを紹介されたときの話ですが、あの馬鹿はそのときまで
「今さらっと馬鹿って言った?」
「は? 報酬受け取ってなかったんですかあの人」
「ええ。情報提供どころか交渉をスムーズにする緩衝役までしていたくせに、自分は友人に世間話をしただけだから、と。確かにあの人は呪術高専に属しているわけではありませんが、その功績を考えれば報酬は当然です。私もあの人のおかげで発見された呪具を活用したことがある身ですから、そのあたりを説明して、報酬を受け取るべきだとお伝えしました。すると何故だか、真っ赤になって震えていましてね」
夏油さんが笑いを堪えながら連写していました、といっそ不思議そうにナナミンは言う。
何となく、叶木さんが照れてしまった理由がわかって、ちょっと笑った。叶木さんにとって「当たり前」すぎる交渉とかコミュニケーションとか、そういうものによってどれだけ助けられた人がいるか、きっと考えたこともなかったのだろう。しかもナナミンは多分褒めたつもりで言っているわけでもなく、事実を事実として説明しているだけだから、なおさらその言葉には威力があったに違いない。
じゃあそれ以来はちゃんと報酬受け取ってるんだ、と言えばナナミンは頷いた。
「ようやく受け取ってくれるようになった、と夏油さんに感謝されましたからそうなんでしょう。まあ、提示された金額で発狂していたそうですけどね」
「……呪物とか呪具ってすっげー高いんだっけ?」
「まあ、億とかそういう世界だな。そういうもん見つけたんなら報酬もそれなりだろ」
「うっわ」
「本当にそれが適正な報酬なのかどうかで一悶着あったそうですが、それが最低価格だと五条さんにばっさり切られたあとは大人しく受け取って、研究費にまわしているそうですよ」
そりゃ金銭感覚まともな人がいきなり大金手にしたらビビるよなぁと。
それでも双子たちに無駄遣いを窘める程度にはまともな感覚を維持しているのだから、いっそすごいのかもしれない、とひとつ頷いた。
「お金にちゃんとしてるってだけですごいちゃんとした大人に見えるよな」
「虎杖くん、同じセリフを是非五条さんと夏油さんの前で言ってあげてください」
「あの人たちどんだけ金銭感覚ぶっ壊れてんの?」
「常識外れなのは確かだな。まあお金にちゃんとしてるからってまともな大人とは限らないけど」
「呪術師もその友人もだいたいクソですからね。世の中そういうものです」
そこまで話した頃には、ラーメンのスープまですっかり飲み干していた。
食べ終わりましたね、とさっとナナミンに伝票を奪われる。七海さん、と思わず伏黒が手を伸ばすが、すでにナナミンは財布を開いていた。
「こういうときは年長者が払うものです。君たちも後輩ができたらそうしてあげなさい」
そうきっぱりと言い切られては、それ以上騒ぐことも出来ず。伏黒と視線をかわして、頷いた。
「……うす! ごちです!」
「……ご馳走様です」
「よろしい。では出ましょう、随分と長居してしまった」
店主のおじさんの景気のいい声に背を押されて暖簾を潜る。
いい感じに膨れた腹を撫でながら、改めてナナミンに礼を言った。構いませんよ、と軽く手で制される。
「そういえば、先日叶木さんと少し話したのですが、やけに機嫌が良かったのでおそらく何か企んでいます。一応気をつけておくといいでしょう」
「……えっ」
「何歳になろうと馬鹿やるのがあの人たちです。それに確かもうすぐ、」
夏油さんの誕生日ですから。
思わず俺たちは、目を見合わせた。
***
その日、めちゃくちゃ機嫌の良い五条先生と、何やら大きな紙袋をもった叶木さんの姿が高専にあった。そしてその二人に挟まれるように、めちゃくちゃ嫌そうな顔をした夏油さんが立っている。
「は~い皆〜今日は実習やるよ〜! ここに今日誕生日の夏油傑くんと、燈特製のクリームパイがあります! やることはわかるね〜?」
*
「だーから実習だって実習。僕だってね、お前のことを舐めてなんかないよ。いくら僕の可愛い教え子たちだってね、まさか特級のお前にパイ投げなんかキメられるわけないでしょ。今回は僕も手出さないし」
「お前が避けきったら皆で食おうと思って作ってきたんだよ。だから上手いこと落とさずに避けきってくれよな」
まさか出来ないわけないよな、と言わんばかりの顔の二人にため息をつく夏油さん。なるほど、ナナミンが言ってたのはこういうことかと俺たちも頷いた。
夏油さまにパイ投げなんて、と双子はぷりぷりしてたが、すごいなちゃんと傑に当てられる気でいるんだな、と叶木さんに笑顔で言われると黙った。さすが扱いをわかっている。
「全く……何を企んでいるのかと思ったら。わかったよ、避けきればいいんだろう?」
「さすが傑、話がわかる。たまには他の呪術師のすごさを知ってもらおーっていうちょっとしたデモンストレーションだよ。制限時間は三十分、傑は呪力使うのなし」
「はいはい。で、本当に悟は手を出さないんだな?」
「もちろん。生徒たちの実習だからね」
俺はしっこで応援してるからな〜と手を振る叶木さんと、その隣でにこにこ笑う五条先生。
やれやれとため息を着く夏油さんは、改めて俺たち五人に向き合った。代表として今パイは俺が持っている。マジでいいんだろうかと思いつつ、とりあえず俺は口を開いた。
「……えーと、お誕生日おめでとうございます……?」
「ああ、ありがとう。まあ成り行きとは言え実習らしいからね、遠慮せず掛かっておいで。恵、菜々子や美々子も、成長ぶりを見せてくれよ」
「うす」
「はい!」
「はい」
こき、と夏油さんは肩を鳴らす。全く仕方ないね、とあくまでも軽い調子で言った。しかし、それだけの周囲の空気が、変わる。
「さあ、始めようか」
*
結論として言うと本当に無理でした。完膚なきまでに実力差を見せつけられました。
いやわかってんだよ五条先生と並んで最強を謳われる特級呪術師相手に、いくら呪力なしでったってそう簡単に隙を突けるわけがないって。だけど一発くらい何とか当てたいって思うじゃん? いや無理だったんだよ。
三十分が経過した今、俺たちは汗だくで倒れている。
「なんっで一発当てるどころか掠りもしないのよ……!」
「さっきの菜々子とのコンビネーションはなかなか良かったよ、野薔薇。惜しかったね」
「さ、すが夏油さまです……!」
「うんうん、皆強くなっていて頼もしいな」
「夏油さん汗ひとつかいてないじゃん……!」
「そこはまあ、私も一応特級の呪術師だからね」
落とさなくて良かった、と余裕で笑う夏油さんの手にはクリームパイがある。最後の一撃をかわされたときに、するりと奪われてしまった。悔しい。
お疲れ、と言いながら五条先生と叶木さんが寄ってくる。いつのまにか硝子さんもいた。
「何だ、硝子もきてたのかい」
「やけに騒がしかったから様子を見にね。全く、一発くらい当たってやれば良かったのに。大人げないよ、夏油」
「私にだってプライドはあるんだよ」
「やー、何が起きてるか全然わかんなかったけど傑が余裕だってことだけはわかったわ。傑、切り分けるからパイ貸して」
叶木さんに言われ、はい、とパイを差し出す夏油さん。そこから先は、何故かスローモーションに見えた。
手を添えるようにしてパイを受け取る叶木さん。同時に、五条先生が音もなく夏油さんの背後にまわる。それに気づいた夏油さんが、何を、と後ろを振り向き掛ける。切れ長の視線が背後に気を取られたそのとき、クリームパイが宙を飛んだ。
べしゃと、クリームが強くぶつかる音。その一瞬後に、パシャリとシャッターの音が響く。
あ、と俺たちの心の声が揃った。
「……意外とやれるもんだな。叶木、画像送っとくよ」
「写真係ありがと硝子ちゃん!」
「よしよしいい感じに顔面に食らったね! 傑、生徒どころかパンピーの燈にパイ投げ食らった気分はどう? ねえねえ、今どんな気持ち?」
「……最初からそういう計画かな?」
ずるりと落ちたパイを手に取り、夏油さんは軽く顔を拭った。かろうじて、本当にかろうじて、その顔には微笑みがのっている。
「パイは皆で食べる用にもう一枚焼いてあるから心配しなくていいぞ。傑、美味い?」
「うん、レモンとチーズが利いていて美味しいよ。で、言い訳があるなら聞いてあげるけど」
「悟の発案です」
「そうやってすぐ人のせいにするのどうかと思うな! ただ僕は傑を仲間はずれにしたくなかっただけなんだって! ほら、僕は傑に、燈は僕にパイ投げ食らってんだから、傑だって燈から食らうべきでしょ? 僕たち親友、あらゆる経験は共有すべきってね!」
「ふふ、そうかい」
それが遺言でいいんだね、と地を這うような声が聞こえると同時に、五条先生と叶木さんは脱兎のごとく走り出した。
ぶわ、と夏油さんの手に呪力が集まる。
「逃がすと思うなよ馬鹿二人!! 悟、そもそも授業中に教師が生徒放置して逃げ出すな!!」
「皆息が落ち着いたら反省会しといてね! 教室に燈のパイあるから食べていいよ!」
「うえっ何いま何か腕掠ったけど何かいるのこれ!?」
「うっわ呪霊出すとか傑くんちょっと大人気なくない?」
「いい歳してパイ投げキメるやつが何言うか!!」
「じゃあちょっと燈、囮よろしく」
「あっ悟てっめえええ!!」
五条先生に足をかけられてすっ転ぶ叶木さんに、笑いながら宙を駆け上がる五条先生、顔にクリームをつけたまま呪霊を操る夏油さん。
俺たちはただ呆然としたまま、それを見つめることしかできなくて。
「……先生たち、あれで本当にアラサー……?」
「いつまで経ってもでかいガキなんだよ、全く変わんない」
ドン引きの顔で思わず呟いた釘崎に、硝子さんは軽く笑う。
その盛大な追いかけっこにスマホを向けて、またパシャリとシャッターを切った。
「死ぬまでやってろってんだ、クズどもめ」
その言葉には、どう聞いても親しげな響きしかなくて。
何となく俺はもう一度先生たちを見て、それからクラスメイトの四人を見て、笑った。それぞれにも、呆れと一緒に笑顔が浮かんでいる。
「ま、たのしそーでいーじゃん? さ、パイ食いながら反省会しようぜ!」
「ていうかスルーしてたけど、叶木さんてお菓子とか作れんのね」
「うーん、料理はできるはずだから多分味は大丈夫っしょ。夏油さまも美味しいって言ってたし!」
「五条先生にパイ投げキメたときもあの人が作ったって聞いたから、初めてではないと思うぞ。まあ食えるだろ」
「燈、まあまあ器用だからね。硝子さんも一緒にどうですか? あんまり甘くないって言ってたし」
「ああ、いいな。たまには私ももらおうか」
背後で聞こえる悲鳴と笑い声を綺麗に無視して、俺たちは教室に足を向けた。
五条先生はともかく、叶木さんは生きてるといいなと思う。
*
この人たちはきっとずっと仲良くて、一緒に馬鹿やって、そうやって年を重ねていくんだろうって何の疑問もなく思えたし、それが少し羨ましかった。俺も十年後、こんな風に笑ってたらいいなって、どうなっているかわからない未来を想像して、ちょっと切なくなったりもした。
そう、思っていたのに。
ただ仲良いだけの関係じゃなかったことを、俺はずいぶん後になって知ることになる。