人間と魔族の戦争が終結してから百五十年年の歳月が流れた。
例外を除き、人間と魔族の寿命は長くても百年。屈辱を味わった世代は去り、遺恨は風化が始まっている。魔王は人間に祝福を授かることを禁止し、魔法と魔道具の恩恵を与えた。故に敗戦しながらも戦争時より確実に人間の生活は豊かになり、魔族との交流が始まり、商いが栄えた。
このような平和が成り立つのに、魔王はあと三百年は必要だと言ったが、実際はその半分の月日で為された。では何故我々魔族と人間は戦争が終結した後、早急に手を取り合い、良き隣人或いは友となれたのか。著作ではその平和への足がかりとなった英雄たちに、迫っていこうと思う。
見よ、争いは過ぎ去った。武器を捨てろ。これは屈辱ある敗北ではなく、傀儡からの解放である────ジル・アンスロポス
俺、こんなこと言ってない。
魔族と人間の戦争について書かれた本をパタンと閉じる。
著者はイルゼ・グラート。確かダリアくんの名字はグラートだった希ガス。子孫まで告げ口気質で盛り癖があるなんて、血は争えないんだね。
しかしこの本によれば、俺はずっと人間に争いを止めることを訴え続け、享年は不明となっている。ダリアくんどういうこと? 心の中で生きてるから実質生きてる理論? 女神なんか分かる?
「あなたが死んでも、傀儡は消えない。あなたへの感情を忘れた時に、ようやく対象は解放されるの」
おーさすがMegamipedia。
俺が死んでも人間は武器を捨て続けてたとか、なんかごめんね。
もしかして傀儡手に入れてある程度の地位についてからこれやれば、全部解決してた説。その事実に気付いたところで時既に時間切れ。まあでも、戦争と魔族への憎しみしか知らぬ子にそんなこと求められても無理ンゴね。二度目の人生じゃなくて、周回プレイさせてくれたら戦争終結RTA はぁじまぁるよー! ができたというのに。人生の悲哀を感じますね。
なんて独り言ちながら、毛足の長いカーペットに身を沈め、大の字になった。背の高い本棚の上に座る女神は、つまらなそうに俺を見下ろしている。窓からの温かな日差しで明かされた埃が、キラキラと降り落ちる。少しカビ臭いけれどどこか懐かしくも心地の良い、古い本の匂いが肺を満たしている。
ここは書庫だ。
俺たち人間が魔王城と呼んでいた大きな城の書庫であるため、それはもう膨大な数の蔵書がある。禁書と呼ばれる本さえあるので、魔王に致命的なダメージを与える情報もあるに違いない! という建前で、暇さえあれば書庫に足を運んでは本を読んでいる。
最初は魔族の言語を読むだけで女神は目潰ししていたが、最近は建前を信じてくれたのか大人しくなった。きっとアニマルセラピーの効果だ。っぱ小動物よ。小動物+幼女=最強ってこと。
他にもアニマルセラピーの恩恵は絶大で、俺は部屋の外を自由に出歩き、文字を書くことで意思疎通をすることが可能になったのだ。おかげさまで、魔族のぬいぐるみに囲まれお人形遊びに興じる狂気的な日々は終わった。俺に人間性がなかったためなんとか致命傷で済んだが、あの日々はかなり精神的にきていた。チュー太、ありがとナス!
カーペットの埃が舞い、くしゅんとくしゃみの音が耳に届いた。
噂をすれば、チュー太がとっとこ駆けてきた。
俺は起き上がり、ポケットの中に常に忍ばせているパンを取り出そうとする。が、既にチュー太の頬は膨らんでいた。
チュー太はおもむろに、ほおぶくろに入っていたものを吐き出した。
赤い宝石が嵌め込まれた指輪。
これには見覚えがある。
持ち主のもとに返しに行こう、と思い立ち俺は立ち上がった。
餌を詰め込んだチュー太は俺のポケットの中に潜り込む。どうやら寝るらしい。
チュー太には、落とし物などを拾ってくるように傀儡をかけている。それを元の持ち主に返すだけでも感情の値は大きくなるので、傀儡を使える対象者が増えるのだ。
さて、書庫を出て目的地まで歩く。
俺のIQは53万なので、城の構造はもちろん、家族だけでなく使用人の行動まで常に観察し頭に入れている。俺ちゅえー。
道中、使用人の人たちが挨拶をしてくるので『こんにちは!』と返す。声で返してるのではない、小さな白い板に黒いペンで魔族の言葉を書き込み、それを見せているのだ。魔法でペンのインクは無限となっている、優れものだ。因みに挨拶をするだけで、使用人の俺に向ける感情は大きくなっているっぽい。マジうま味である。
しかし幼女にはこの城は大きすぎて、着く頃にはすっかり息が上がっていた。
そこは柔らかな日差しに照らされた、色とりどりの可憐な花々が咲き誇る中庭の庭園であった。
その庭園の前に一人、スラッとした青年が立っている。
目鼻立ちの整った端正な顔立ち、燃えさかる紅蓮の虹彩と髪色、古木を思わせる美しい枝角、鱗のついた強靭な太い尾。
まさしく龍人族の貴公子。
第二皇子リリアナ。
そう、皇子だ。皇子様だ。
俺が女の子にTS転生するくらいなのだから、逆もまた然り。
でも、性別違うのに名前をそのまま付けるのは結構クソ親だと思うよ勇者。
「やあ、ジル」
と、女であれば濡れっ濡れになることだろう甘い声で、俺を呼んだ。
リリアナさんめっちゃおイケじゃん。前世の俺よりイケメンとか許せないんだけど。
男としてのプライドズタズタですよ。
「今はかくれんぼという遊びに興じていてね。僕は一人というわけさ」
そしてめちゃくちゃ女を侍らせている。
今日だって、何人ものかわい子ちゃんちゃんたちを城に呼んで遊んでいるのだ。
TSリリアナに全部負けとるが。リリアナさんの前では皆誰しも粗チンということだ。
まあ気を取り直して、目的のブツを渡す。
「あ、それ! お母様にもらったやつ!」
素っ頓狂な声をあげたリリアナは、それからパッと花が咲くような笑顔を浮かべる。
指輪に嵌められたその宝石は、太陽に照らされ色を変えて、深い青緑色の輝きを放っている。
「もう見つからないと思っていたが……ありがとう。ジルは優しいなあ」
お礼はチュー太に言ってね。
リリアナは湧き上がる喜びに身を任せるように、俺を高い高い、と抱き上げる。
前世では俺は男で、リリアナは美しい女性だった。もしこんなことをされたら、カッコつけた顔で「おもしれー女」と言ってやるのだが。今世では俺は幼女で、彼女もとい彼はイケメン貴公子なのである。だから少し困った。こんな時、どんな顔をすればいいかわからないの。笑えばいいと思うよ。ということで笑おう。おら、幼女の笑顔を喰らえ! にぱー。
「くうう〜〜、かわいいなあああああ。お父様もお母様も忙しそうだし、アルバートは引きこもりだし、ユランは家に帰ってこない放蕩妹だし! はあ、癒しはお前だけだよジル〜」
その笑顔に満足したのか、リリアナは頬擦りをしてくる。スキンシップが大好きなので、隙あらばこういうことをしてくるのだが。痛い痛い痛い、龍の強靭な肌痛い。
「って、あ、すまない! い、痛くないのか…?」
赤くなってしまった俺の頬を見て、リリアナはギョッとした顔をする。そして全く表情を変えない俺に、眉を顰めた。
『大丈夫!』
「……そうか。すぐに回復をかけるからな」
すぐさまフォローしたが、リリアナの顔は曇る。なんかごめん。表情の切り替えが咄嗟にできなかったんや。
てか表情の切り替えむずい。むずくない? 前世は無表情の方が舐められないし威厳とか何とか出てやりやすかったから甘えてたけど、今世はピッチピチの幼女スタートだ。
あーでも「無表情ロリも趣がある」とか勇者言ってたしそっちでいくか。お前好みの幼女になってやんよ。
リリアナは俺を下ろすと、回復魔法をかけてくれた。頬の痛みがすうっと引いていく。魔法の力ってすげー!
「これはお詫びだ、甘くて美味しいぞ」
と、飴ちゃんまでゲット。
『ありがとう!』
謝謝茄子!
しっかり感謝を伝えて、後を去る。
そういえば、前世でも家族が大好きだったリリアナ。家族を戦争でなくして訓練所に入るまでは身体を売って生計を立てていたのだと、いつかのピロートークで話していたが、身体を重ねることで家族を失ったことへの寂しさを埋めていたのだとすれば……
まあいいか、今世ではすごい幸せそうだし。
でも俺思うんだけど、どうすることもできなかった仲間の魂を掬いあげて、今世では幸せを手に入れて欲しいからと自分の子供として魔王に産んでもらうって結構狂ってると思う。「お前やべえよ」って言ってくれる人おらんかったん?
なあ女神。
そう問いかけるが、女神の返事がない。
何してんだ? と振り返ると、先程リリアナに返した指輪を穴が開くほどじーっと見つめている。
その瞳はいつもよりも一層昏く、花々が咲き誇る昼下がりの庭園に一人立ち尽くす、帰るべき場所を見失った亡霊のようだった。
『翼が奪われた日』…著イルゼ・グラート。女神信仰を謳い、いかに魔族が正義であるように歴史が修正されたかを訴えている。検閲の目を欺くため最初の方は客観的に歴史を語っているが、後半になるにつれ狂気的染みた女神への信仰心と、女神の使者である(イルゼが呼ぶには)天使への妄執が滲み出てくる。怪文書。てんーしに、告白しようと思ってる。人間のみんなには、悪いけど。抜け駆けで。もちろん禁書行き。
アンスロポス…ギリシャ語で人間という意味。厨二病を患っていた勇者の前世のハンドルネームらしい。なんかカッコいいのでジルは名乗ることにした。
チュー太…厳密に言えばハムスターだが、ジルにとって素早く動く小さな毛玉は須くネズミである。
リリアナ…家族は龍人の炎で焼かれて死んだ。祝福で炎を操る力を得て、逆罰で家族との思い出、顔や声、そして唯一焼け残っていた写真を失った。魔族の住む村を襲った時、家族(弟)の魂が入った魔族の子供を殺そうとしたが顔が似ており、彼女はふと家族を思い出す。その瞬間、逆罰がなくなった。逆罰が失われると祝福も取り上げられる。祝福を失い何もできなくなった彼女は、魔族に嬲り殺され死んだ。
女神「罰なき祝福は驕りを生むからね、仕方ないね」