アブソリュートゼロ・動じぬ心の可憐な標的者 作:kazuya2009
アブソリュートゼロが礼儀正しくお辞儀をしてトレーナー室を去っていく。
最後に聞いた事が少し考えさせられた。
事の発端は大したことじゃなかった。いや、良くあることだったと言っていい。
俺はPCに向かいアブソリュートゼロの出走した共同通信杯の結果を左に右にレース映像を出す。
レース自体に何か不正になるような事があったとかそういうのではないのは聞いていた。
『ーあとは、レース映像で彼女を見ていれば嫌でも分かります』
言われたとおりに問題のウマ娘に注意して映像を確認した。
「……。これはー」
強い嫉妬。いや憎しみとさえ言っても過言じゃない。
アブソリュートゼロはこの時、先行策を取って第三コーナーから仕掛けると第四コーナーの中盤には先頭を捉えて直線は二着を五バ身差の圧勝だ。
で、問題の部分が第四コーナーだ。ニ着のウマ娘ー問題になっているウマ娘ーが中団からスパートを仕掛ける。当然この時点では十分に勝てるチャンスはある位置。しかしだ。
「先行して上がり三ハロン三十二秒九か。このレースで最速。ニ着のこの子も悪くない。上がり三ハロン三十三秒ジャスト。このメンバーで二番目だ、がー」
このニ着のウマ娘の脚質は差しだ。他のレースもチェックしたが悪くない末脚を持ってる。持ってるのだがー
「脚質を自在に変えられ、なおかつ毎回そつなくこなす上に末脚は、どの作戦でもしっかり残せるアブソリュートゼロ相手じゃ……。気の毒にも思うな」
しかもアブソリュートゼロと同じレース時は必ずアブソリュートゼロが先着している。挙げ句、陰口でこういわれいたらしい。
「アブソリュートゼロの金魚のフンか。ソリューが同情するのも無理はない。しかも下級生に言われたとなるとな」
彼女らの同期だとアブソリュートゼロは上位の成績者だ。ニ着の娘も上位にはなるが、嫉妬か……。
こんな嫉妬がなければもっと力が出せるのだろうに。だからアブソリュートゼロが何とかしたいと思ったのだろうが。
綾峰が強硬手段を取らなかった理由も、そこにあるのだろうな。彼女自身が成績が良く、かつアブソリュートゼロの同情。これらが無ければ良くて一定期間の出走停止かつ停学処分。本来なら一発退学だ。
「しかしなー」
それとアブソリュートゼロへの仕打ちは別だ。実力で勝てず陰口を叩かれた腹いせは決して容認出来る事じゃない。
まして最近は以前より勝てなくなり余計にアブソリュートゼロへの当たりが強いというのはただの八つ当たり以外の何物でもない。
あとはこの子の取り巻きか。悪ノリでアブソリュートゼロに対して嫌がらせをする奴ら。まあこの娘をどうにか出来れば収められる。
人が真剣に映像を見ていると視界の端にコソコソとする人影が見えた。
「全く、たまに訪ねてくるといつも難題ばかりを寄越すよな。綾峰ー」
俺はため息を付きながら俺の後ろに立っていた綾峰を見る。
「何だ、気づいてたのね? 真剣に見てるから気が付かれてないと思ったのに」
「あのな。いくらそっと入ってきて足音を抑えながら来ても視界には入る。で、どうした?」
「あなたに任せてるけど、やっぱり気になっててね。どうなったのかしらと思って」
「そうだな。俺も君にもう一度話をしないと、と思ってたところだ。コーヒーを淹れるからソファーに座って待っててくれ」
「ふふふ、じゃあそうさせて貰うわね」
俺はいつものように二人分のコーヒーを用意し始めた。
アブソリュートゼロとの話、彼女から聞いたきっかけの話、そして俺の考えを伝えた。
最初こそはいつもの調子で俺を茶化しながら聞いていたが、最終計画を話したときに空気が一変した。
「……荒療治、ね。本当に」
呆れとも関心とも言えぬつぶやきにも似た感想。
「あなた本当に実行するつもりなの? そこまでしなくともいいんじゃないかしら? 私は嫌われ役をお願いしたつもりはないのよ?」
さすがに心配するか。
何せ、同じものを用意するにしてもー。
「彼女にも大事なものを壊される気持ちを『目の前で』味わってもらう」
「学園長には? あの子には? どう説明するつもりなの?」
「この計画はまだ誰にも話していない。綾峰、君だけが知っていてくれればいいさ。最後は一世一代の大演技だ。知らない人が多い方がリアリティが出る。周りの反応が本気でこそ、効果があるはず。だからこれも出すつもりだ」
すでに用意していた辞表をテーブルの上に出した。
あらゆる事にリアリティを出す。多くの人が自分の行いのせいでトレーナーが辞表まで出す事態になる。その上で彼女自身が周りから許されることの意味とアブソリュートゼロの思いを彼女には理解してほしい。この計画が成功出来ればアブソリュートゼロも彼女も今以上に心の強いウマ娘になるはずだ。
最悪の場合の責任は俺が取ればいい。中央をやめても地方でトレーナーは続けられるだろうし。
「ふざけてるの! リアリティを出す? あなた本当は最悪の自体も想定して全部自分一人で責任も取ろうとしてるわけ!?」
珍しく綾峰が声を荒らげた。握られた拳が激しく震えてる。
「俺がふざけてると思うか?」
「ふざけてないなら大馬鹿よ! 誰がこんなの喜ぶの!? わたしは! わたしはそんな覚悟をあなたにして、とまで頼んだ覚えはないわ!」
怒りの勢いでテーブルを叩く綾峰。コーヒーカップが揺れてわずかに中身が零れた。
彼女の怒りは最もだがー
「なあ、共同通信杯のあとのあの子はどうだった? お前なら少し違和感を覚えたはずだぞ。あの嫉妬は異常だ」
異常。そういうには十分な行動を起こしてるのだ。実際に。
「だからってあなたが! あなたがトレーナーを辞める覚悟してどうするのよ! ウマ娘に最高の走りが出来るようにってあなたの理想は!? あなたはウマ娘の最後の拠り所なのよ! 他に方法はないの!?」
他の方法か。恐らく難しいだろうな。事がすでに大きい。私物がなくなるのはよくある話だ。俺が学生の頃もそんな、いじめはよく目にしたのを覚えいる。
だが勝負服の破損―これは看過できないレベルにあるのだ。
「なら停学処分、もしくは退学処分とかにでもするか? それが出来るなら俺に話なんて持ってこないだろ?」
「ちゃんと話せば!」
「何をちゃんと話すんだ? 知られたって事でも、たとえ証拠を突き付けて話したとしても下手すればソリューを更に逆恨みするだけになってもおかしくない。そこでソリューが許すとなっても、見下されてると勝手に思うんじゃないか?」
すでに数か月の時間をかけて嫉妬は憎悪に変わっているはずだ。そんな相手が話をして納得出来る程度なら、そもそもここまで事は大きくならずに済んでいるはずだ。
目を覚まさせるにはこれくらいしないと無理だ。
「そんなことは……」
綾峰のトーンが落ちる。気がついたはずだ。中途半端にしたら禍根が残る可能性があることに。
取り巻きはどうにか出来るだろう。それこそ面白半分でやってるだけだ。彼女らの悪事の証拠を突き付けて、お灸をすえれば反省させるだけの自信はある。後はアブソリュートゼロが許せば事は収まるだろう。
だが彼女はどうだろうか? 逆恨みであっても共同通信杯の表情は憎悪を垣間見た。まだ片鱗だったが―結果はアブソリュートゼロの勝負服の破損という言うところまで来てしまっている。
勝負服はウマ娘にとって魂の一部と言っても過言ではないだろう。それぞれ強い思いが込められたのが勝負服だ。ウマ娘によっては親から引継いだという事もあるだろう。だからこそ、あの子はアブソリュートゼロの勝負服を破いた。アブソリュートゼロの心を砕くために。
だがアブソリュートゼロは強い子だった。そんな仕打ちをされたのに彼女自身に自分の行いがいかに酷いものだったかは知ってほしいと考えている。
「もし、本当に解決を望むならこの方法に懸けたい。全員が最良にこの状態を乗り越えらえると信じてるさ」
「そして最悪があったとしても、最悪を最小限に済まそうって事ね……」
米神を押さえて頭痛を堪えるような仕草をする。少しの間そうしてから天井を見上げると彼女は盛大にため息を吐いた。
「馬鹿と利口は紙一重とは言うけど、本当だったわ。身近にこんな例を見るなんて思わなかったわよ」
天を仰ぐ綾峰にちょっと悪いことしたなと思ったが、どちらにせよ引き下がるつもりはない。こんなことを知ってしまった以上は。
「ひとまず乗ってくれるって事でいいんだな?」
「はいはい。もう好きにして頂戴。そもそもあの子にあなたを紹介したのは、わたしだったのだから。だけど、やるからにはわたしも出来る限り協力するわ。必要なら、わたしも一芝居打つわよ」
「じゃあ改めて問題解決のためによろしくな」
「もう、何が『よろしくな』よ」
差し出した手を呆れ顔で握ってくる。
だが綾峰が納得してくれたなら、事の進みはいくらかスムーズにいくはずだ。
その後、俺の計画の全容を綾峰に伝えるのであった。