アブソリュートゼロ・動じぬ心の可憐な標的者   作:kazuya2009

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5.軽くなった心ーティアラの道は必ず護る

 トレーナー室での事件があった日。アブソリュートゼロが本当にこれ以上ないくらい泣いて気持ちをすっきりさせる事が出来た。

 あの後、まるで俺を父親とでもいう感じで甘えてくる彼女に気が済むまで頭を撫でてやった。

 気持ちを落ち着けて自分の醜態を晒したのが恥ずかしいのか、それとも父親のように甘えたことが恥ずかしいのか顔を赤くしながら部屋を後にしたのが、可愛らしかった。強いウマ娘が見せた弱い一面に我ながらドキリとさせられたのは言うまでもない。

 

 彼女が部屋を去ってから、俺はPCを立ち上げてある事を確認する。

 アブソリュートゼロに言った通りあらゆる事態を想定して対策をしていた。

 トレーナー室に監視カメラがいくつか仕掛けてあったのだが、気が付かなかったのだろうか。それとも知った上でどう行動するのか試しているのか。

 監視カメラの映像を確認すると、どこで手に入れたのか鍵を掛けていたはずのトレーナー室の鍵を開けて入ってきたのだ。問題のウマ娘、テレイアーが。

 間違ってなければギリシャ神話のオリュンポス十二神で嫉妬の女神ヘラの添え名だ。つまるところ嫉妬の女神を意味すると言ってもいいだろう。名は体を表すと良く聞くが、彼女の本質はまさに嫉妬なのだろう。

 最初名前を見た時は何かの冗談かとさえ思った。ウマ娘の名前は魂に刻み付けられた名前である。このウマ娘にはそんな嫉妬が刻み込まれていたのだろう。

 しかし嫉妬の心は昇華させると向上心になる。彼女の心が正しくあれば努力家として名を馳せるに違いない。

 全く、面倒くさい魂の名前を持ったウマ娘に目を付けられたものだ。

 しかしだ。本来なら持っているはずのない鍵を持っているとなると色々と対策を講じなければならない。

 この分だとアブソリュートゼロの部屋の鍵だって手に入れることは十分可能と言っても過言ではないのだ。

 ギリシャ神話のヘラは情報収集に長けているとも言われている。また高い監視能力を持っていたという。旦那のゼウスがすぐに浮気をするのだから嫌でもそんな能力が高くなるだろう。

 しかし、シャレにならない。そんな能力を持っているならこっちの網を搔い潜ってくるかもしれない。

 面白いじゃないか。このウマ娘は―

 本来の目的も相まって彼女が正しい道に進ませる事が出来た時がとても楽しみだと本気で思った。

 

 トレーナー室での事件が起きてから、アブソリュートゼロのタイムは劇的に上がった。思い切り泣けたのが良かったのだろう。心に圧し掛かっていただろう重りが明らかに軽くなったのが分かった。

 そしてタイムだ。

 劇的に上がったタイムはもはや最後のティアラは間違いないと思う程のタイムを叩き出している。

 ここ最近の芝二千メートルでのタイムアタックの平均が一分五十八秒五。自己ベストは一分五十七秒七だ。

 秋華賞レコードが一分五十六秒九だが、平均タイムは凡そ二分前後である。そう考えるとレコードにコンマ八秒足りないくらいのタイムだ。勝ちに行けると言っていい。ただ、このタイムはトレーニング場でのタイムだから実際はレース展開次第としか言えないだろう。

 ターフを駆け抜けるアブソリュートゼロ。

 肩にも力が入っておらず本当に自然体で走れている。

 そして再び、ストップウォッチを持つ俺の目の前を風の妖精のように可憐に駆け抜けていった。

 一分五十七秒五。また自己ベスト更新だ。

「トレーナーさん! タイムどうでしたか? 結構、手ごたえあったと思うんですが―」

 嬉々として訪ねてくるアブソリュートゼロ。

 だから俺は口ではなくストップウォッチを見せながら答えた。

「おめでとう。自己ベスト更新だ。これで今週二回目の自己ベスト更新だぞ」

「ふふふ。これも全部トレーナーさんのおかげです! あの、それで……」

 とても嬉しそうにしながら、それでいて甘えるように俺を見る。

 あの日から肩肘を貼らなくなったアブソリュートゼロは良く俺に甘えてきた。

 俺はアブソリュートゼロに一歩近づくと、頭を撫でてやる。

 とても気持ちよさそうに目を瞑りながら頭を撫でられるアブソリュートゼロ。

 ただ、あんまり甘えさせるのも良く無くてだ。

「んっんん!」

 後ろから聞こえる苦情―ただの咳払いなのだが―をよく聞くようになったのだ。

「そろそろ、わたしたちがここを使う時間なのだけれども? ねえ? イチャつくなとは言わないわ……。でも、せめてわたしの目に入らないところでやってほしいのだけれども!」

 苦情を伝えてくるのはもはや全ウマ娘が知ることとなった俺の元カノ、綾峰だった。

「そんな嫉妬するなよー」

「誰が嫉妬してる、だなんていった!?」

 やばい。これはマジで怒っている。

 まあ時期が時期だけに仕方ない。更に彼女の担当するウマ娘も二人ほど出るのだ秋華賞に。

 二人のうち、一人はテレイアーなのが実は厄介だなと思っているのだが、事情を知っているからと言っても、本人は秋華賞に出るだけの力があり出走除外ということはなかったようだ。

 こっちは色々と気を揉んでいるのにいい気なものね。そういう視線を遠慮なくぶつけてくる。

「すまなかった。とりあえず今日の芝コースでのトレーニングは終わったから」

 アブソリュートゼロを撫でていた手を放す。

 彼女は少し物足りなそうにしていたが、俺がトレーニングルームに場所を移すぞと伝えて一先ず、その場を去った。

 去り際にテレイアーと視線があったが、なかなかにこちらも気が強そうな娘だ。俺を睨みつけて来たのだから。

 まあ彼女の心を折り、俺にも動揺を与えようと思ったのだろうが全く反対の方向に展開が進んでいる事が余程、面白くないのだろうと思う。

 刺激しても良くない。俺は彼女の視線に気が付かないようにした。

 

 トレーニングルームへ向かう途中。

 俺はある視線を感じ、その方向を見ると久しぶりにプライドクラッシャーの姿を見た。彼女の視線は何かを訴えたいように見え、俺はジェスチャーで付いて来いと合図を出した。

 トレーニングルームに入り、アブソリュートゼロに指示を出すと彼女は早速トレーニングを開始した。

 全力で走った後だから軽く体を動かしてもらって最後にストレッチを指示している。

 アブソリュートゼロがトレーニングを始めたのを確認するとプライドクラッシャーが俺の隣に立った。

「今年の秋華賞はアブソリュートゼロで決まりじゃないかって話題で実は持ちきりなんですよ」

 彼女のトレーニングしてる姿を眩しそうに見ながら秋華賞の前評判を話してくる。

「わたしはクラシック戦線を棒に振ってしまいましたけどね」

「今度の天皇賞・秋に出走するんだろ? クラシック戦線は逃したかも知れないが今の君だって十分話題のウマ娘だ」

「トレーナーには感謝してもし切れません」

「君が諦めなかったからだ。しかし、なんだ。俺の周りの女たちはどうも綾峰にタイプが似る。こんな世間話をしに来たんじゃないんだろ?」

 俺の言葉に彼女が頷く。

「わたしも実はゼロさんの事は知ってまして。というか生徒の間じゃ実は有名なんです。ゼロさんへのいじめは……」

 なるほど。俺の学生時代も、いじめを把握できる教師なんてほとんどいなかった。情報提供しなければ本当に知れない。学生生活なんてまさに閉鎖空間だ。ましてトレセン学園となれば外とも一定の隔たりがある。

 文字通りここには俊逸揃いなのだ。

「以前の生徒会ならすぐにでも動いていただろうな」

「シンボリルドルフ学園長代理ですね」

 もう既に伝説となったウマ娘たちだ。いつまでも学園の生徒というわけではない。教官になったウマ娘のように、それぞれの道を歩んでいる。

 シンボリルドルフはその理想の高さから次期学園長と言われてる。現在は学園長代理であり学園理事でもある。

「わたしが言いたいのは、ゼロさんがとても元気になって本当に嬉しいと思っているんですよ。それにゼロさんとトレーナーは噂になってるくらいですからね。トレーナーの彼女候補だなんて話もあるんですよ?」

 嬉しそうに話すプライドクラッシャー。

 入れ替わるように入ってきたアブソリュートゼロはタイミングが合えば共に時を過ごす妹分、仲間だったかも知れない。そんな彼女が、まして生徒の中でも有名になる程のいじめの中、こうして次の秋華賞ウマ娘候補だなんてなれば余計だろう。

「あと、もう一つトレーナーの耳に入れておきたいことがありまして」

 トーンが少し下がった。あまり良い話では無さそうだった。

「彼女と同室だったウマ娘。カントリーマスターのカンちゃんなんですが、気にかけて貰えませんか?」

「まさかとは思うが……」

「ゼロさんへのいじめの効果がないと分かったテレイアーさん達が、彼女が『他のウマ娘』に気を遣えるところを突いて何か企んでるみたいなんです」

「秋華賞前にそんな事をしている暇が彼女らにあるのか」

 呆れてものが言えない。いや、テレイアーが出走するからこそ絶対にアブソリュートゼロを出走させないか、しても勝てないようにしようという魂胆か。

 大体分かる。分かるが考えたくもないな。反吐が出る。

「情報ありがとう。一応、なぜ教えてくれたか聞いてもいいかな?」

「そういう所、相変わらずですね。他のウマ娘の子達もそうですが、出来るならみんな仲良くしたいんです。ゼロさんへのいじめも見てて気分悪かったですし……」

「分かった。安心してくれ綾峰トレーナーから直々に頼まれているソリューの友人だ。全力を持って対処するさ」

 そもそもが彼女、テレイアー自身に改心してもらうのも目的だ。これ以上彼女に罪を重ねさせたくない。

「ありがとうございます。―ところで相変わらずですね。あだ名のセンス」

 苦笑いをするプライドクラッシャー。

 そこでちょうどトレーニングメニューを終えたアブソリュートゼロが汗をぬぐいながらこちらに来た。

「あれ?プライドさん」

「こんにちは、ゼロさん。話には聞いてたけど調子よさそうね」

「はい! トレーナーさんのおかげで今、とっても調子がいいんです!」

 元気いっぱいの笑顔が、俺が見ても眩しい。

 それだけにさっきの話は絶対にアブソリュートゼロには気が付かせてはならないな。

「トレーナ。とても優しいでしょう?」

「あ、はい」

 少し赤くなりながら答えるアブソリュートゼロ。

 いや、何かその照れ方は色々と誤解を生みそうなんだが?

「ふふふ。ゼロさんもすっかり心奪われちゃったみたいね」

「えっと……。はい」

 優しい笑顔。それは心からだろう。トレーナー冥利に尽きるが。

「トレーナーはとても女ったらしだから気を付けてね?」

「おい、何を気を付けろと言うんだ?」

「あー……。それは乙女の内緒ってところですね?」

 アブソリュートゼロとプライドクラッシャーが顔を見合わせるとくすくすと笑いだす。

「おいおい二人ともなんだよ」

「トレーナーさんは知らなくていいんですよー」

 二人がまた顔を合わせて、「ねー」と息を合わせる。

 そんな二人を見て改めてウマ娘たちの笑顔を守りたいと思うのだった。

  




いじめっ子の名前を嫉妬の強いウマ娘という事で嫉妬で有名な女神ヘーラーにしようと調べたら、既に競走馬の名前が登録されていたので女神ヘーラーのあだ名(添え名)を使用しました。
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