アブソリュートゼロ・動じぬ心の可憐な標的者 作:kazuya2009
誰かが必死に呼んでいる声が聞こえる。
右手が何か温かいものに包まれているのが分かった。
「―さん! ……ナーさん! トレーナーさん!」
必死の呼びかけに俺はゆっくりと目を開ける。
ぼんやりと白いものが見える。まだあまり良く見えない。しかし、ここがどこかの病室だと言うのが分かるくらいには意識はハッキリしてるようだ。
体の感覚はあまりないようだが。
「トレーナーさん!? わ、わたしの事、分かりますか!?」
声の方に意識を向ける。
まだはっきりとは良く見えない。見えないが、俺のウマ娘。アブソリュートゼロだと言うのだけは分かった。
「ソリューだな」
「あ! はい! そうです! アブソリュートゼロですよ!」
「ゼロ、先生を呼んできて頂戴!」
意識が完全に戻ってることを認識したのか。聞き慣れた声がアブソリュートゼロに指示を出す。
「あ! はい!」
ドアが開く音と走る音が聞こえた。病院内は走っちゃダメなんだがな。
「綾峰か、ここはどこの病院だ?」
「トレセン学園内の医療施設よ。それより話して大丈夫なの?」
「ああ。麻酔が効いているのか痛みはそれほどない。あと確認と伝えないとならないことがある」
「……分かったわ」
俺はこの件に、テレイアーが関わっていると考えているか?と尋ねた。
綾峰は信じたくはないけど、と言う。
次に俺は少なくともテレイアーじゃないと伝えた。詳細は後で話すから今は酔った不良ウマ娘に絡まれたと話を合わせて欲しいと、また学園長には生徒たちへ情報を公開するならウマ娘が関わっていないような表現で偽るように言ってくれと伝える。
綾峰はただ、分かったとだけ答えてくれた。
アブソリュートゼロが医師を連れて戻ってくる。
視力もだいぶ回復して今度はアブソリュートゼロが顔がはっきり見れた。
彼女は不安を隠しきれない顔で俺を見つめていた。
本当に心配をさせてしまったな。
「まさか、もう意識を回復してるとは。最初は信じられなかったが……。さすがトレーナーという事か」
医師が半分驚き、半分呆れつつ俺の様子を見る。
意識もはっきりしていることで俺は自分の状態を伝えられた。
左腕は当然骨折。片方の腎臓に損傷があり、あとは全身打撲もあるようだった。
俺が倒れていた状況を救急隊から聞く限り、ウマ娘にやられたんだろう事は分かったという。
その話を綾峰の隣で聞いていたアブソリュートゼロが体を震わせたのが分かった。
だから、俺は咄嗟にこういった。
「酒に酔った不良のウマ娘にぶつかっちゃいまして。謝ったんですが、ぶっ飛ばされたみたいですね」
俺が笑いながら言うと医師は担当のウマ娘がいる事を考えてか話を合わせて来る。
「君ね。笑ってるが状況から見て本来なら死んでてもおかしくないんだよ?」
ウマ娘が暴走した際は危険だという事は例えトレセン学園での事件がなくても世間では周知の事実。まして酔って暴れたウマ娘相手では運悪く死んでもおかしくない事は大袈裟ではなかった。
そのあと、二ヶ月の入院が必要だという事を告げられた。
医師が今後のことは後日にするという事と、今日だけは特別だとアブソリュートゼロと綾峰との会話が許された。本当なら安静にするべきで面会謝絶が正しい対応らしい。俺が意識がはっきりしているから本当に特別な処置という事みたいだ。
医師が去っていくと、アブソリュートゼロが涙を流しながら手を握ってきた。
「本当に……死んじゃうんじゃないかって思ったじゃないですかぁ」
「悪かった。俺もドジだよなー」
「本当に酔っ払いのウマ娘だったんですか? 死んでてもおかしくないって余程ですよ?」
時期が時期だけに勘ぐるのは当たり前だ。事実、明らかに殺されそうになったんだ。
だがそんなことは言えない。
「たぶん本当よ。わたしがここに駆けつけたら、警察に関係者と言うことで説明を受けてね。なんか暴れてるウマ娘がいるって通報があったそうよ。彼、たまにどうしょうもなくツイてない時があるし」
ナイスフォローだ綾峰。
「そうなんですね……。でも、本当に心配しました。心臓が張り裂けるんじゃないかってくらいだったんですよ」
ホントにホントに生きてて良かったです。と目をつむる。
「ありがとうな心配してくれて」
「当たり前じゃないですか。わたしの心を奪っておいて死なれちゃったら、わたし、わたし……」
強く目を瞑るアブソリュートゼロ。流れる涙は本当に辛そうで、本当に悪いことをしたなと思った。
同時に本気で死なずに済んで良かったと思う。下手したらさすがのアブソリュートゼロも例え違ったとしてもテレイアーのところに殴り込みに行ってもおかしく無かった。
それだけじゃない。本当に全てが最悪の方向に向かっていただろう。
「トレーナーさん、わたし必ず秋華賞を、最後のティアラを取ります! そしてトレーナーさんにティアラを捧げます!」
涙を拭いながら彼女は高らかに宣言をする。
「いい決意だ。そうだな、俺のことを本当に思ってくれるなら秋華賞を取ってくれるのが何より嬉しい」
「大丈夫です! わたしなら絶対にティアラを取れますから! 絶対に誰にも譲りません!」
俺は彼女の思いに応えるように握ってくれている手を何とか握り返した。
「俺の事は気にするなとは、さすがにこの状況じゃ言えない。せめてご褒美に頭を撫でたときの事を思い出しながら走ってくれ。あ、それじゃあ、顔がデレデレになってまともに走れないか?」
「もうトレーナーさんは……。でも、トレーナーさんの事を想いながら走ります」
「ああ、期待して待ってるからな」
その後、綾峰に念の為にテレイアーについての対策を話すから先に戻るように伝えた。
名残惜しそうにしてたが、彼女は素直に病室を後にするのであった。
「それで?」
アブソリュートゼロが帰ったのを確認して、綾峰は口を開いた。
「本当のところはどうなのよ? あの子は誤魔化せてもわたしは誤魔化せないわ。わたしが駆け付けた時にはあなたは酷い状態で倒れてたのよ……」
そう。あの時、緊急事態を知らせたのは綾峰だった。
彼女以上に信頼できるトレーナーはいない。恐らくあの場所も素早く封鎖したに違いないだろう。
そして、あれを見たなら、ウマ娘が「暴れた」程度ではない事は分かるはずだ。
「あなたなら少しアルコールが入っていても不良のウマ娘くらいなら取り押さえられるだけの技術を持っているのは知ってるわ。同期ですもの。でも、公園のあれはそんなレベルじゃなかったわ」
綾峰に詳細を話すとは言ったが、実はアブソリュートゼロ以上に、この事実は本来伝えたくない相手でもある。だが、信頼してるからこそ話すべきだと思ったのだ。
「俺をやったのは、軍人崩れ。そう言えば、綾峰なら分かるだろ?」
軍人崩れ。その言葉を聞いて、綾峰は青ざめた顔で口を両手で覆うと「うそでしょ……」とつぶやきながら力なく壁に寄りかかる。
対ウマ娘戦術カリキュラムを受けていなければ出てこない。つまりトレセン学園のトレーナーか、自衛軍所属の軍人、警察関係者の人間だ。また言葉の意味から裏社会が関わっている事が十分に分かる。
つまり俺が殺されそうになった事実を彼女は言葉で認識してしまったのだ。
誰が、どんなルートで依頼したかまでは分からないが。
「あの惨状を見たなら、勘づいてたろ? 相手がプロだと。それを口にして伝えるとなると、やはり俺も辛い」
「っ! わたしのせいだわ……。すぐに動くべきだったんだ……」
アブソリュートゼロとまた違った意味合いで彼女は涙を浮かべる。
「綾峰、お前が自分自身を責めるな。これは誰も想定なんか出来なかっただろ?」
「そ、そうだけど……。でも……」
悔しそうに握りこぶしを作る。
自分がもっと正しく動けたらと、非道でも引導を突き付けて入ればと考えてるんだろう。
「さっきも言ったとおりだが、テレイアー自身は知らないはずだ。この件に関しては、な。相手が馬鹿なのか、俺を動揺させるためなのか、それとも依頼者がテレイアーを守るためなのか。ただ今回の首謀者はたぶん、テレイアーの取り巻き達の娘の一人だろう。しかも最悪病院送りに出来ればいいと言っていたらしい。恐らく出来心だったんじゃないか?」
自分で言っておきながら俺は出来心で殺されかけたのか。冷静に考えれば怒りすら通り越し呆れかえる。生きてるから言えることでもあるがー
全く人の命を軽く考えやがって。
「ごめん……なさい……」
綾峰が震えた声で頭を下げる。わずかに体が震えてるのも分かった。だが、これは怒りではない。
「わたしが、わたし自身の手で、あなたを殺してしまうところだったわ……」
顔を上げると後悔の念に駆られている表情だった。
泣き笑いのような顔で涙を縫うぐ事もせずにいる。
「だから―」
「だからじゃない! だって、だって……。わたし、あなたら上手く事を運んでくれるって甘えてたのよ? あなたなら大丈夫だって……」
「綾峰……」
信頼してくれてたことはとても嬉しい。甘えられる程、俺を信用してくれていたのだから。むしろ今までが上手く行きすぎたと言っても過言じゃない。だからこんな手段を取らせてしまったのだろう。
だが、さすがに事が大きくなり過ぎた。もはや勝負服の破損が霞んでしまう程度には。
「綾峰だけのせいじゃない。俺も油断してたんだと思う」
「油断? いいえ、あなたは万全だったわ……。ゼロがすでに被害にあってないのよ? あとカントリーマスターもあなたから話を聞かなければ分からなかったわ。でも、これも無事に乗り越えられてる。そして……。軍人崩れ相手に生き伸びれたのだもの」
あのウマ娘も言っていた。
軍人以外の相手で決まらなかったのは初めてだと。つまり普通なら初撃で終わったことの方が多いのだ。
軍人崩れを相手に、大怪我を負ったとは言え生き伸びれたのは本当に、運だ。
街中、それも公園での襲撃、緊急事態時の連絡手段、現場からの距離。
どれが欠けても俺は生き残れていなかっただろう。
「わたしは、トレーナー失格なのかも知れないわ」
力ない声だ。いつもの綾峰とは全く違う。
「生きて帰ってきた俺の命を考えるなら、そんなことを考えないで欲しい。あの計画を秋華賞が終わったら実行しようとのんびり構えていたことも一因だ。頼むから自分だけを責めるのはやめてくれ」
謝って欲しくて俺は生きるのを諦めなかったわけじゃない。
「でも、これからあの子達にどう向き合えば……いいの? あなたを失いそうになって、それでもあの子達を自分の担当ウマ娘としてちゃんと見れると思えないわ……」
この前、俺の部屋で飲んでいたときの事を思い出す。普段の態度はどうあれ最後に押し倒された時の言葉は本音だったんだろう。
だから別れているとはいえ未だに俺に想いを寄せてくれている。
そういう意味ではさすがに今回の件は堪えても無理はないが。
また事の重大さも。
「それに、この問題に関してはさすがにわたしも何かしらの責任を取らないとならないわ」
監督責任か。さすがに担当してるウマ娘がこんなことをしでかしてしまったら問われかねない。
学園長自身も場合によっては責任自ら取りかねない自体でもある。
……。なにがあらゆる事態を想定してるだ?馬鹿か俺は。想定していた最悪の事態以上のことが起きた。いかにこの事態を想定できなかったからと言っても彼女らを追い詰めたのは明らかに俺だ。
早く行動に移すべきは俺の方だった。
さっさと証拠を突き付け、アブソリュートゼロと同じ痛みを味合わせて反省を促せればこんな事にならなかったのだろう。
自分の自惚れに反吐が出る。生き延びれたのが本当に不幸中の幸いだ。この始末を何としてでもつけないとならない。
後始末の対策は考えるとして―
「綾峰。こんな状態の俺が言えたことじゃないが一先ず、休め。俺がここから最小被害に抑える方法を考える」
「でも……」
「冷静になるための時間が必要だろう。明日、学園長ともう一度来てくれればいい。この分なら面会謝絶にはならないだろうしな」
「わかったわ……」
返事はしたものの、終始後悔したような表情でいるのであった。
問題は山積みだった。
もはや今回の件で、テレイアー達が何らかの処分を受けるのは免れない。アブソリュートゼロも依頼の事を知れば許せないだろう。
すべてをうまくコントロール出来ているつもりだった。
だが向こうの計画を悉く失敗するようにすれば何をするか? そこまでは考えが至らなかった。
いや、至ったとしてもここまでの事態は考えられなかっただろう。
本当にどうするべきなのだろうな。