乙名史さんの提案で、喫茶店へと向かう事になった。
ここにしようと、案内されたお店は、先程までボク達が居たビルから、少しばかり歩いた場所に有った。
何度か目の前を通りがかった事はあったけれど、入るのは初めての店だ。
店内には学生の姿も多く、それなりに繁盛している様に見える。
「いらっしゃいませー」
小気味いい挨拶に迎えられ、入り口で待つ事なく座席へと案内される。
座席へと腰を下ろし、軽く飲み物でも頼もうかとメニュー表へ手にかけると、近くに居た店員がこちらに気付いて駆け寄って来た。
「乙名史さん、いつもご利用有難うございます! ご注文は何時ものモノで大丈夫ですか?」
笑顔で店員が乙名史さんへ声を掛ける。常連なんだろうか。
「そうだね、珈琲をブラックでアイス。砂糖ありミルクありありで」
変な頼み方だな。
ラーメン屋じみた注文方法に、思わず心の中で突っ込む。
アイスもミルクも入れるなら、ブラックじゃなくて普通にコーヒーを頼めば良いだろうに。
注文の癖に気を取られていると、店員から声を掛けられた。
「お連れのお客様は如何致しましょうか? まだお決まりでは無いようでしたら、後ほど伺いに」
「あ、いえ……、今頼みますね」
少しの間逡巡し、アイスココアを頼む事にした。
「はい、畏まりました。それではご用意次第、注文のお品お持ちさせて頂きますね」
失礼しました――。と店員が厨房の方へ消えた後、乙名史さんがニヤニヤとこちらを見ながら口を開く。
「志村くんはぁー、もしかして珈琲飲めない? フフッ、子供だねぇー」
いや別に、なんとなく甘いものが飲みたい気分だっただけなんだけど。
「気分じゃなかっただけで、別に飲めないって訳じゃないですよ」
「ふぅーん、そっか」
髪の毛先を弄りながら、乙名史さんが一言呟く。
別に人が何頼んだって良いじゃないか。
人の舌に茶々を入れる前に、彼女はそもそも自分の注文方法を見直すべきだ。
「それを言えば乙名史さんこそ。
砂糖とミルクを頼む位なら、そもそもブラック頼む必要なんて無いでしょ」
揶揄われたのが癪で注文方法を指摘すると、分かってないなあ、と首を左右に振る。
どんな行為や所作にも意味は有るんだよ、と喋り始める。
「うーん、そうだね……。本来そのままを楽しむ物って有るじゃない。例えば出された料理であったり、嗜好品一つにしても、ね。
それに敢えて添加物を入れる行為は、一見無価値に見えちゃうのは分かるよ。――でも、そこにはきっと、その当人にしか分からない意味や、拘りが有るんだろうなー、って私は思ってるよ。」
だから、他人の嗜好や、ルーチンに文句を付けるのは辞めた方が良いよ。ちなみに私のこの頼み方は、好きだったドラマの物真似なんだよ? と乙名史さんは話を締めくくる。
はあ、そういう考えも有るんだなあ、なんてボクは素直に同意してしまった。
「なるほど」
「まあ、細かい事気にしてたら、女の子にモテないよって話かな」
先輩からのアドバイスだよ、と乙名史さんは楽しそうに笑う。
ひとしきり笑い上げると、目に涙を浮かべながら、そう云えば、お店を出る前にした質問って覚えてる? と問い掛けが飛んできた。
一瞬なんの話だと思ったが、レースの予想の話だったっけ。
「ああ、覚えてますよ」
騒いでいた客が居たのも有ってどのレースだったかも覚えてる。
開催場は東京右回り1600Mの第六レース。今年本格化を迎えたウマ娘達12人立てで行う一般レースだった筈だ。
「あのレース、誰が勝つと思う? えーっと、マスコミからの評価は8番の――、リズミックトイって娘みたいだねえ」
リズミックトイか――。確か一番人気だったっけか。
能力だけを見れば、参加者の中での実力は彼女が頭一つ抜けていた。恐らく彼女が1着を取るのが、現実的な予想だろうけど。
「いや、彼女が一着は無いかなって思います」
「えっ、言い切るねぇ。一番人気だよ?」
「事前評価はあくまで事前評価ですよ」
ボクの予想では、彼女は良くて3着かどうかと言った所だ。
「ふぅ〜ん、大した自信だね。じゃあ志村君の予想は?」
「1番、5番、6番の子達で決まりじゃないですかね。一着は1番の子で、二、三着は5番と6番の子どちらかが入るのかなーと。
予想を広げるなら、リズミックトイって子を三着に加えて良いかもですね」
ボクがそう伝えると、乙名史さんがスマートホンを取り出し、調べ始める。
「そうかー、1、5、6と。ええっと、……1番の子は――――。
11番人気じゃん!? こんな人気順でも一着って狙えるものなんだねぇ」
へぇ〜と乙名史さんが手元の機械を弄っていると、店員が注文した品を持って来た。
テーブルに運ばれた珈琲へと目を向けると、大量のフレッシュミルクとガムシロップが添えてあった。
それら全てを珈琲へとドボドボと投入していく。
先程納得仕掛けた意見だったが、この光景を見ると、やっぱり元々を楽しんだ方が良いんじゃないかと考えてしまう。
どこか釈然としない気持ちを抱えながら、届いたココアへと口をつけると質問が飛んでくる。
「そういえば聞くところによれば、志村君。元々はウマ娘のトレーナー志望だったらしいじゃん」
「そう、ですけど――、それが何か?」
当たり前の様にボクの過去話から入るなよ、おかしいだろ。ボクみたいな裏稼業の人間は、個人情報保護法に守られてないっていうのか。
「緒方さんから聞いたんですか? それ」
この話は、ボクの中であまり触れてほしくない部分だと、あの人も知ってる筈だから、そう易々と吹聴しないと思っていたのだけれど……。
「いやあ、最近ね。ウマ娘のレースについて詳しい人間を紹介して欲しい、って知り合いから頼まれちゃいまして。――とは言っても、私にそんな伝手は無いから断ろうかなぁ、と思っていた所に、たまたま」
「僕の話を聞いた、と。貴方、緒方さんとはどういう知り合いなんですか?」
「それ。教えたら依頼を受けてくれたりする感じかな?」
乙名史さんがずいと顔を近づける。近い、キス3秒前の距離だ。
「――条件次第、としか。何をすればいいのかも分からない状態で、首を縦に振れる程、豪胆な人間じゃないもので」
「えー、志村くんは漢気溢れる日本男子だよぉー。だってさ、」
「キミ、レース賭博だけで数千万、いや億単位は稼いだって聞いてるよ」
乙名史さんが口元を吊り上げニンマリと笑う。
背筋に嫌な汗が流れる。何でも知ってるなこの
「それも、緒方さんから聞いたんですかね?」
「ん、探偵は情報源に関しては喋らないんだよ」
なにが探偵だ、勘弁してくれ……。
最悪だ。過去の事情に加えて此処までボクの話を知ってるという事は、相当緒方さんと信用のある付き合いか、彼でも頭の上がらない程の大物がバックに構えている可能性がある。
益々持って、キナ臭い話な気がしてきたぞ。
いや、でもあの人、無茶苦茶だからなぁ……。なんにも考えてない可能性も有る。
以前、緒方さんから買い物に付き合って欲しいと言われノコノコと着いて行ったら、欧州の僻地まで連れて行かれた事を思い出した。
荷物持ち程度の認識で返事したら、翌日には空の上に居たもんな。
もしかすると裏の事情なんてものはなくて、ただただその場の勢いで話を進めたのかもしれない。
「おーい、志村くーん、聞いてるー??」
「あッ――すみません、少し考え事を…」
良くない。思考に耽りすぎていた。
「真剣に考えてくれてるって捉えていいのかな?」
違う、そうじゃない。むしろ逃げ出す方向で脳味噌フル回転だ。
「ま、凄い志村くんならパパッとこなせちゃう依頼だよ、きっと。是非受けてほしいな」
「いや乙名史さん。大体が、色々と大袈裟に伝わってますよ。今までの稼ぎだって、実際にボクが儲けたって訳じゃあない」
「でもそれだけの噂が流れるだけの何かが、君に有るって事でしょ。凄いなあ、尊敬しちゃうなあ」
乙名史さんが両手を顔の前で組み、おどけた態度で褒めちぎってくる。
居心地の悪さを感じていると、乙名史さんが改まって口を開く。
「それで……、本題の依頼についてなんだけどね。志村くん、中央のトレーナーになってみません?」
「は? 中央――?」
「そ、中央」
「中央のトレーナーって云えば、……あのトレセン学園の?」
「そう、日本トレセン学園のトレーナーになる人材を募集してるんだよねえー」
そりゃそうだ、中央のトレーナーといえば天下のURA(Uma musume Racing Assosiation)様直系の、ウマ娘レース専門学校。
『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』
通称、トレセン学園のトレーナーを指す言葉だ。
「いやいやいや、トレセン学園の倍率知ってます? ボクじゃとても合格できませんよ」
「その辺はコネクションで何枠かどうにでもなっちゃうみたいだよー。うんうん、志村くんは昔の夢が叶うし、ワタシも適材を依頼主に紹介出来てー、いや、これはもう万々歳――」
「いえ」
ニコニコと喋る彼女の言葉を遮る。
「――折角訪ねて頂いて申し訳ないですけど、この話聞かなかった事にさせて下さい」
「え?」
「いやー残念ですけどね。ボクなんかじゃ力になれないと思いますよ。いや本当に」
決めた、絶対に受けちゃダメな話だ、これは。
中央のトレーナーになるのがどれだけ難しい事か。
東大に入れる学力が有っても厳しい、数百人の受験者がいて合格者が0人の年度が有ったなんてのも耳に入ってくる凄まじく狭き門。
その険しい正規ルートを一足飛びに即内定――。云わば夢の特急券を複数枚用意出来る程の何かが絡んだ依頼なんて、絶対に碌でもない話に決まっている。
「えぇー、もう少し考えて貰えないかな?」
「いや本当に申し訳ないです。――そうだ、急用を思い出した所ですし、本日は失礼させて頂きますね」
明らかに無理がある話の進め方だが、そんな事構っていられない。食い気味に返事して、帰り支度をする。
「そんな突然、急ぎの用を思い出すことってあるかなぁ〜」
「あるんですよね、不思議な事に。あっそうだ、せめて此処の会計だけは払って帰りますね」
そう言いながら財布を取り出すと、乙名史さんが手を出して遮ってくる。
「いや、会計はいいよ。ワタシが声を掛けたんだし、注文も飲み物一杯程度だしね」
「自分の代金位は置いていきますよ。五百円あれば足りますか」
「もー、良いって良いって――、あ! じゃあさ」
こちらの提案を断る乙名史さんは、何かを思いついたように笑みを浮かべると、目を細める。
「さっきのレース予想を買ったという事で。ふふっ、飲み物一杯で天才ギャンブラーの予想を買えちゃったなぁ。ラッキーだねぇ、私」
「ああー……」
頭を掻き、返事をする。
「じゃあそれで良いんなら。それでお願いします」
もう好きにしてくれ。一刻も早くこの人の前から、厄介事の気配から逃げ去りたい。
「んー、本当はもう少し、話を聞いて貰いたいんだけどね。用事を思い出したんじゃ仕様がないよねぇ」
「すみませんね、また別の機会に」
またの機会なんてものは無いが。社交辞令だ。
残ったココアを一息で飲み干して、帰ろうとすると乙名史さんから声を掛けられる。
「賢治くん、またねー」
コーヒーカップを片手に持ち、空いた手をひらひらと手を振りながら上目遣いで別れの一言。
いや、または無いんだって。……無いよね?
――――――――――――――――――――
<side 乙名史愉子>
うーん、普通。彼と話をしてみて、抱いた印象だった。
普通陽の当たらない場所に身を置いた、それも大金を動かす様な人間からは、どこかギラついた印象を受ける物だが、彼からは特段そういった空気感は感じられなかった。
彼が帰った後の喫茶店内にて、私は携帯で彼から聞いたレースの結果を、スマホで確認していた。
ええっと、レースの結果は、と。あったあったこれだ。
「えー、なになに?
『レースは大荒れ。一番人気が走行中に突如失速し、終了後に怪我を申告』
あちゃー運が無かったねぇ。――って、一番人気?!」
確か彼、レース前に一番人気が来る事は無い。なんて言ってたけど……まさかこの展開を予想してたって事?
慌ててニュースの続きを読む。
【第六レース:レース結果】
一着、1番(11番人気)
二着、5番(6番人気)
三着、6番(5番人気)
レースの結果コメントには、事前予想11番人気の娘がまさかのV。三着内に上位人気の四バが入着無しの、大荒れレースとなりましたと有る。
これって凄い事なのだろうか。レースを見たことはあれど、余り詳しくはない私ではピンと来ない。
気になった私は妹へ携帯からメッセージを送る。
妹はウマ娘レース関係の雑誌編集に携わっている為、私よりは事情に詳しい筈だ。
『悦子、お疲れー。今送ったレースって、結構荒れたみたいだけど、今回の結果って、誰か予想出来てた人がいたりするのかな? 業界の詳しい人とか』
送って暫くすると返信が来た。
内容へ目を通すと、中々の長文が届いていた。
『お疲れ様です、姉さん! 姉さんも最近はレースに興味が出てきたんですか?! 嬉しいです〜!
いやー……、今回詳しい人ほど予想出来てないと思います! 一番人気が怪我で一気にペースダウンした訳ですからね。その所為で周囲にいたウマ娘達にも影響が出てしまって、ハイペースの先行策を強行していた子達が全員残った異例な結果なんですよ、今回は!
レースが終わってから、本人からは若干の脚部不良を感じていたとの発表は有りましたが、事前の予想ではどの誌面でもぶっちぎりの一番人気でしたし、予想はか〜な〜り〜〜、厳しいと思います!』
どこまでスクロールしても終わらない文章に、眉を顰める。
ダメだ。スイッチが入っちゃってる。
このテンションになるのが分かっているから、普段は私の方からウマ娘関連の話を振らない様にしているのだが……。
ざっくりとした意見が知りたかっただけなので、流し読みしていくと、長文を最後の締めくくった言葉に目が止まる。
――もしも彼女の脚部不良を予想していたとしても、レースを走っている娘の怪我を想定した上での予想なんて、悪魔みたいな発想です。
とメッセージは締め括られていた。
うーん、悪魔ねぇ。
そんな大層な言葉が似合う様な人には見えなかったけど……。
まあ、女の子達が必死に走っている姿に金銭を賭けてる人間な訳だし、あながち間違いじゃ無いのかもしれない。
私は、先程から胸の奥に熱い何かを感じていた。
予想が的中していたからか、妹の熱量に当てられたからか。
そもそも今回の出会いは、私の元に舞い込んできた一件の依頼だったか。
内容は人探し。
曰くトレーナー業に精通した、在野の人間を探して欲しいという依頼。
内容の完遂は問わず、料金は前金として半分を。
上が納得する人材を用意出来れば、残りの代金を支払って貰えるという、街の探偵に対しては破格とも言える条件の依頼。
良くは分からないけど条件は良い、その程度に考えていた依頼だったけれど。
――俄然燃えてきた。
どうやら私はあの子に興味を惹かれてしまったらしい。
そうと決まれば即行動だ。私は直ぐに一件の電話を掛けることを決意する。
「逃がさないよ〜、賢治君……!!」