本の虫と保護者のはなし
それなりに任務で忙しいとは言え、高専生にもちゃんと休日はある。どちらかというと私は寮に引きこもって本を読んでいることのほうが多いのだが、今日は別だ。適当な上着を手に取り、靴を選んだ。帰りは大荷物になるだろう。ヒールのない靴の方がいい。
寮の外に出て強い日差しに目を細めていると、慣れた気配を感じた。
「美作さん。おはようございます、珍しいですね」
「おはよう、七海。私だってたまには外出くらいするよ」
「それは失礼。いつも部屋に引きこもっているイメージだったので」
いやあ、すっかりバレている。さして長い付き合いでもないのに把握されているものだなとしみじみ思いつつ、私服の七海を見返した。
「七海もどっか出かけるの?」
「ええ、読む本がなくなったので本屋にでも行こうかと。……ひょっとして行き先は同じですか?」
「本屋というか、古書店に行こうかと思って」
どうせ山を下りるまでは同じ道なので、何となく並んで歩き始める。別に一緒に行こうと言ったわけでもないのに、こういうときにちゃんと歩幅を合わせてくれるのが七海だった。
古書店ですか、と七海は繰り返す。
「本屋はよく行きますが、古書店にはあまり行ったことがないですね」
「なかなか面白いよ。新刊書店もいいけど、掘り出し物を見つけるなら古書店かな。私は店の人の趣味が見える店が結構好き。そういうところはハシゴするのも楽しいし」
今日は昔からの行きつけに行くつもりだけど、と言えば、ふむ、と七海は少し考え込む。その翠の瞳は、好奇心でわずかに輝いていた。
「興味あるなら一緒に行く?」
「いいんですか?」
「いいよ。ちょうど荷物持ちがほしかったんだ」
「まさかその大きなトートバッグいっぱいに買うつもりじゃないでしょうね」
「いつもこれに入りきらない分は宅配で送ってもらうんだけど、七海なら持てるよね」
「トートどころじゃなかった」
七海は頭の痛そうな顔をしたが、それでも行かないとは言わない。女性が重い荷物を持つのを見過ごすのも、とか律儀に考えてんだろうなあと思うと少し笑えた。
この呪術師らしくない真面目さを、七海はいつまで経っても捨てようとしない。もうひとりの同期といい、いつまでたっても折れず曲がらず、このクソな世界を泳ぎながらもいまだ変わることはなかった。本当に奇妙な人間だと思う。
けれど私は、このふたりのそういうところがわりと嫌いではなかったりした。
*
私の行きつけの店があるのは、高専から少し離れたところにある古書店街だった。
派手な活気はないが、それでも通り全体から紙やインクの匂いがするこの場所が昔から好きだった。店頭に出された安売りの本を眺めながら歩くのも、ここを歩く醍醐味だ。
しかし何というか、素直に街歩きを楽しませてくれない気配がどこかからするような。しかも、何かちょうど目的地からその気配がするような。
行きつけの古書店の前に立ち、嫌な予感が当たってしまったことに頭を抱える。
「……やっぱ帰ろうか、七海」
「……ここまで来て状況を確かめないわけにもいかないでしょう。場合によっては高専に連絡をしなくては」
やけに禍々しい、呪力の気配。
活動している様子はないから能動的にひとを襲うタイプの呪霊ではないだろう。おそらくは自分では動かないタイプの呪霊か、あるいは呪物の類い。
呪力量的に七海と私で対応できないほどの等級ではなさそうだが、正直見なかったふりができるのならしたかった。わざわざ休みの日にボランティアとか本当にやってられない。
とはいえ、ここで放置してこの店が閉店しても困る。
「七海、今日呪具持ってる?」
「さすがに休みの日には持ち歩きません。……が、今後は持ち歩くことも考えた方が良さそうですね。携帯しやすい方法を考えなくては」
「ホルダーとかあると楽だよ。じゃあはい、これ。七海が持ってたほうがいい」
いつも脚にとりつけているホルダーから愛用の短刀を外し、七海に差し出す。七海は複雑そうな顔でそれを受け取った。
「……いつも思うんですが、呪具を取り出すためとはいえ躊躇いもなくスカートの裾を上げるのはどうかと」
「いつも目線を外して見ないようにしてくれてるよね、七海は」
「わかってるなら少しは考えてくれませんか」
「これが一番手軽なんだから仕方なくない? そのためのスカートだし」
ほかに合理的な代替案があるなら検討するけど、というと七海は黙る。
紳士的な七海には申し訳ないが、周囲にバレずに持ち歩くのはこれが一番楽なのだ。そのために制服もロングスカートに直してもらっている。
じゃあ行こうか、と肩を叩くと、七海は短刀を自身の鞄に隠して大きなため息をついた。
「……極力戦闘は避ける方向で行きますよ。呪霊であっても、緊急性がなければ様子見で高専に連絡。先ほどから動いた気配もありませんし」
「もちろん。本に傷でもついたら大変」
「せめて中にいる人間の心配をしてください」
「してるよ。ここの店主のおじいさん、本の趣味がいいんだ」
「貴方らしすぎて泣けてきます」
え、と思わず顔をのぞき込むと、もののたとえです、とばっさり切り捨てられる。世にも珍しいものが見られると思ったのに。
ちぇ、と肩をすくめて改めて店に向き直った。
「ま、この感じなら十中八九ただの呪物だと思うけどね」
「油断は禁物ですよ。呪霊を寄せている可能性もある」
「わかってる」
すっと小さく息を吸って、全身に呪力を巡らせる。いつでも動けるように臨戦態勢を整え、古めかしいガラス戸に手を掛けた。
*
からり、とガラス戸は何の抵抗もなく開いた。
店内は静かなもので、いつもと変わらない古書独特の甘い香りが漂っている。しかしまあ、目を凝らさずとも低級呪霊がそこかしこにあふれていた。たいした害のない蠅頭も、ここまで蔓延ればさすがに毒になる。
とにかく、元を絶たなければいくら祓ってもキリがない。強い呪力を発していたのは、カウンターのすぐそばに置かれているガラスケースだった。
「……ああ、佳乃ちゃんかい。いらっしゃい」
カウンターに腰かけていた店主には、いつもの闊達さなど見る影もない。本がぎっしり詰まった段ボールのひとつふたつくらい軽々と持ち上げていた腕は妙にしなびていて、目の下には色濃い隈があった。
どうも、と軽く挨拶を返せば、つらそう眦を細められる。
「今日は彼氏と一緒かい? 君、ちゃんと本以外にも興味があったんだねぇ」
「彼氏ではないんですけど、まあそこはいいです。これ、なんですか」
それを指さして言うと、店主はぴくりと肩を揺らした。ガラスケースの中で展示されている、上品な黒革で装丁されたそれ。タイトルも刻まれるように印刷されているが、どうも靄がかかったようにぼやけて見える。
呪術師としての本能が告げる。そのタイトルを読んではいけない、と。
「ちょっと、趣味が悪いのでは?」
本から無理やり目をそらし、珍しく、と言葉を付け加えると、店主は驚いたように目を見開いた。わかるのかい、とその口が動いた。
長い付き合いとはいえ店主はあくまでも一般人。だが、長い付き合いだからこそこんな適当な答えでも十分だ。
「私の読書量はよく御存じだと思いますけど。変な本くらい見ればわかりますよ」
「そう言われちゃ何も言えんほどの本の虫だからなあ、佳乃ちゃんは」
「美作さん貴方、本当にどれだけ本を読んでるんですか?」
「古書店の店主に本の虫認定される程度。で、どうしたんです、これ」
「……いや、実はね」
店主は疲れ果てた様子で頭を撫でつけた。
曰く、それは読者の気を狂わせる「呪いの本」であるらしい。
「作者も不明、いつ書かれたのかもわからん本なんだがね。とにかくこの本を開いたが最後、あまりの面白さに寝食も忘れて没頭し、何度も何度も繰り返し読んじまうんだそうだ。どこまで本当かはわからんが、実際にそうやってこの本に呪われて衰弱死しちまったっていうひとの遺族に押しつけられたんだよ」
「……へえ」
「そのひとは処分しようともしたんだが、燃やせど燃えず、傷を付けても一瞬で直っちまうらしくてな……わしもせめて人目につかんところに仕舞っておこうと思ったんだが、気がついたら目につくところに出ていて……まるで、さっさと読めとでも言うように」
「……そうなんだ」
相槌を打ちながら、じりじりと私の視線はその本に向いていく。呪いの本、なるほど確かにこれは立派な呪物だ。早いとこ回収して高専に持って行かなければ。低級とはいえ呪霊もたくさん寄せてしまっているし、こんなところに置いておくわけにはいかない。
「気味が悪いがどうしたらいいのかもわからなくてね。仕方がないからこうして鍵付きのケースにしまって置いてあるんだよ。お客さんの誰かがいい知恵貸してくれるかもしれないと思って……佳乃ちゃん?」
呪いの本なんて、さすがの私も読んだことない。寝食を忘れるほどの面白さとは、いったいどんな物語なのだろう。
込めた思いが呪いに昇華されるほど、作者が心血を注いで書き切った物語なのだとしたら。そこにはどれほど甘美でうつくしい世界が広がっているのか、想像も出来ない。
とうとう私の目がタイトルを辿ろうとしたとき、骨張った大きな掌が私の視界を遮った。
「……美作さん、馬鹿なことを考えてないでしょうね」
「馬鹿なこと? うちの学校なら何とか出来るかなって思っただけだよ」
「学校?」
「私たち、ちょっとした宗教系の学校に通ってるんです。そういうのに詳しい先生もいるから、ちゃんと供養してくれると思いますよ」
「ほ、本当かい?」
そいつは助かる、と喜色を浮かべた店主に笑顔を向ける。斜め後ろからの物言いたげな目線なんて、私は気づかなかった。気づいていない。
「じゃあそれ、お預かりしても?」
「もちろんだよ。……ああ、だけど、佳乃ちゃん」
「何?」
ケースの鍵を取り出した店主に、心配そうな目線を向けられる。
「いくら本好きの君でも、これだけは読んではいけな、」
「もちろん」
しまった、つい食い気味に答えてしまった。店主の弱弱しい笑顔が凍り付き、斜め後ろから大きなため息が聞こえる。
数秒の沈黙が流れた後、店主は私の隣に視線をずらした。
「……そっちのお兄さん、任せてもいいかい?」
「責任をもって。絶対に彼女には触れさせませんのでご安心ください」
「……七海~~~~~」
「ダメです。絶対読むでしょう」
「一回読んだら満足するから~~~~~」
「読むなと言っているんです」
「佳乃ちゃん……いい彼氏さん捕まえたなぁ」
「彼氏ちがう」
「ええ、そういう関係ではありませんが、確かにお預かりします」
呪力のない人間ならともかく、呪術師ならばある程度の呪いには対抗できるはずだ。目と脳に呪力を集約すれば不可能とは思わない。
第一、呪いにとらわれてしまったとしても最悪七海に引き剥がしてもらえばいい。だというのに七海は生真面目な顔のまま受け取った本を高く掲げ、私の手を避ける。この身長差が憎い。
七海、ともう一度呼んでも、その翠の瞳は揺らがなかった。
「ダメです」
「……ケチんぼ」
何とでも言ってください、と言い切った七海は黒い本を鞄にしまった。それから店主に例をして、さっと店の入り口に足を向ける。さりげなく手近な蠅頭をついでに祓っていくあたり、なんとも器用な。
からりとガラス戸を開けて、さっさと行きますよ、とこちらを振り向いた。
「本の処理が済みましたらまたご報告に伺います。そのときは是非、店内をゆっくり拝見させてください」
「ああ、ありがとうね。本当にしっかりした彼氏さんだなぁ」
彼氏ちがう、ともう一度繰り返して、仕方なく私も七海に続いた。蠅頭を足で蹴飛ばして祓いながら、呆れた様子の七海に駆け寄る。
足癖が悪い、と小さく落とされた小言を軽く無視して、ガラス戸に手を掛ける。気がかりを手放した店主は、少しだけ晴れ晴れとした顔をしていた。呪物は回収したし、蠅頭も少しは減らした。おそらく数日もすれば元気になってくれるだろう。
まったく、とため息交じりに声を飛ばす。
「またすぐ来ますから、今度はちゃんと真っ当ないい本仕入れといてくださいよ。次はいつもの倍は買いますからね」
「はは、いったい段ボール何箱分だろうね。覚悟しとくよ!」
いつも通りの軽快な笑い声に少しだけ安堵して、私たちはその店を後にする。急ぎ高専に戻りましょうという七海の言葉に頷いて、私たちは足早に歩き出した。
七海の鞄から漂う禍々しい呪力が、今は甘美な香水のように思えてならない。
***
「……あ~、こりゃそこそこの呪いだな。一般人ならソッコー、呪術師でも警戒してなかったら
「古書店で偶然呪いの本を見つけるなんてついてないね。いやすまない七海、だいたい事情はわかるんだけど、どうしても笑ってしまうのは許してほしいというかね」
「……まあ、理由はお察しの通りです」
呪いの本を回収し、そのまままっすぐに高専へと戻った。
その足で先生のところに提出に向かおうとした途中、残念なことに任務帰りの先輩がたと鉢合わせた。鞄の中の呪力を見とがめられ、仕方なく事情を説明し、……いや、そんなことはどうでもいい。このクズの先輩たちも心底どうでもいいと思っているだろう。そう、重要なのはそこではなかった。
その六眼でしげしげと本を見つめているふりをしている五条さんの頬はにやにやと気色悪く緩んでいて、人好きのする笑みを浮かべているつもりらしい夏油さんの肩は揺れている。
もう、ここまできたら好きに笑えばいい。
「いや、普通は『付き合ってるの?』とか聞く場面だと思うんだよ、まさか君たちが仲良く手をつないで帰ってくるなんてさ」
「いやもう完っ全に喧嘩した兄妹か、下手したら説教した娘を連れ帰るパパ? めっちゃ板についてんじゃんいつでもパパになれるぞ七海ィ!」
「だから手ェ離してって言ってるのに……!」
「そう言って手を離した瞬間に本を奪おうとしたのはどこの誰なんですか。私だって心底嫌だというのに恥を忍んでるんですよ」
「だって呪いの本なんて読んだことない!!」
「読むなと何回言わせるんですか貴方は!!」
目の前で笑い袋がふたつ破裂した。五条さんは遠慮なく声を上げ、夏油さんは腹を抱えて震えている。
笑いごとじゃないんですよ、と私は右手で目を覆った。相変わらず私の左手は、美作さんの手をしっかりと捕らえている。うっかり力を抜こうものなら一瞬で手を振り払われ、即座に本を狙おうとするのが目に見えていた。というかこの帰り道、すでに幾度となく襲撃されている。
日頃は彼女の強さを頼もしくさえ思っているが、まさかこんな形で苦労させられるとは思いもしなかった。
「いや、うん、笑ってすまないね七海、本当にお疲れ様。良かったらこの本、私たちから先生に提出しておくよ。どうせ今から報告書を出しに行くところだから」
「いいんですか?」
「ついでだからね。美作、まさか私たちから本を奪えるとは思っていないね?」
「……」
「うわぶっさいくな顔」
「うるせーんですけど」
言葉遣い、と小言を落とせば、完全に拗ねた様子の彼女は口を尖らせてそっぽを向く。
本が関わると彼女の精神年齢は一気に低下する。そしてこうなると、彼女が言うことを聞く人間は非常に限られていた。
やれやれと、大きくため息をつく。
「では申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「ああ、確かに。詳細についてはまた先生に報告してくれ」
「了解しました。……ああ、お二方」
黒い本を夏油さんに託し、ようやくひと心地ついた。しかし、まだ彼女の手を離してやるつもりはない。その細い手はまた私の手から逃げようとしたが、決して逃がすまいとその上から力を込める。
重ねて言っておくが、これは下心からくる類いのものではまったくない。
「どこかで家入さんと灰原を見かけませんでしたか?」
どちらかというと、教育的指導という方が正しいだろう。
*
『硝子先輩は硝子先輩だからお説教とか本気でへこむし、灰原は灰原で善意という善意で情に訴えて説教してくるから逃げられない感じがしてイヤ』
以前そう零していた彼女だから、これで少しは反省してくれただろうか。
美作さんを家入さんと灰原のもとに送り届け、私は寮の自分の部屋で珈琲を飲んでいた。二人に事情を説明すると、家入さんは大きなため息をつき、灰原はそれはダメだよと怒った顔。腕を組んで仁王立ちする二人の前では、さすがの本の虫も小さくなるしかない。
ちなみに私の説教は「逆に情に訴えれば勝てる気がする」と。はっ倒してやろうか。
「……まったく」
本のこととなると目の色を変えるのは知っていたが、あそこまでブレーキが効かないとは。予想の範囲内と言えばそうなのだが、こちらの身にもなってほしい。いや、もしかして術式を行使しようとしなかっただけマシなのだろうか。彼女はもう、掌印がわりだった「本を開く」という予備動作を行わずとも物語を具象化することが出来る。
相手が私でなく、それこそ五条さんや夏油さんだったらやっていた可能性もあるなとつい遠い目になった。そこまで理性を投げ出したりはしない、と言い切れないところが「美作」である彼女だ。
いや、とにかく終わったことだ、と改めてカップに口をつける。柔らかな珈琲の味が舌に触れたとき、控えめなノックの音が部屋に響いた。
「? はい」
一番この部屋のドアを叩く人間は、こんな静かな気配をしてはいない。その次くらいにあり得る、慕い甲斐皆無のクズの先輩の片割れもだ。となると夏油さんだろうか、と思いながら腰を浮かせる。返事がないのを不審に思いながらドアを開けた。
ドアの前で立っていたのは、気まずそうな顔をした本の虫。
「美作さん。どうしたんです?」
「いや、その……ようやく頭が冷えて冷静になったので……お詫びに」
意外すぎる言葉についお詫び、と言葉を繰り返す。
確かに彼女は自分に非があればきちんと謝罪のできる人間だが、それ以上に物語のこととなると頭がぶっ飛ぶ芸術至上主義だ。
そんな彼女が、読書の邪魔をした私に対して「お詫び」。今夜は隕石でも降るのかもしれない。
「……そんな心底驚いたような顔しなくてもいいでしょうが」
「日頃の行いが少々」
「うるさい。とにかく、……迷惑掛けてごめんなさい」
そう言いながら彼女は手提げの紙袋を差し出した。その中には、見慣れない装丁の本が何冊か入っている。どれも読んだことのないタイトルだった。
まだ、彼女とは目が合わない。
「本買うつもりだって言ってたのに何も買えなかったでしょ。だからこれ、いくつか持ってきてみたの。今までもらった感想の傾向踏まえて、一応好きそうなのを選んだつもり」
「……私の感想、読んでたんですか?」
彼女に本を借りるのはこれが初めてではない。ゆうに十冊は超える冊数を借りたが、彼女は決してお礼を受け取ろうとしないので(本に興味をもってもらえるだけで十二分に嬉しいらしい)、せめてと思って借りた本には一言二言の感想を書いた栞を挟んで返していた。
ただの自己満足であることは百も承知で、彼女がそれを読んでいようが読んでいまいが構わなかった。何なら捨ててくれても構わないと、そう思っていたのに。
私の言葉を聞いた彼女は、心底不思議そうな顔をして私を見返す。
「え、全部読んでるけど。……何で?」
七海の感想は私と着眼点が違って面白いよ、と彼女はさらりと言う。本当に、なんでもないことのように。
とくりと、胸の奥で小さく温かな音が響く。
「いえ、……そうですか、ありがとうございます。お借りします」
「お礼はいいよ、お詫びだから」
七海の趣味に合うといいんだけど、と彼女言うが、古今東西ありとあらゆる物語を味わい尽くしている彼女のおすすめだ。きっとその眼は信頼できるだろう。
それじゃ、と去ろうとした彼女を呼び止め、自室の本棚の前に立った。今日、あの呪物のせいで本が買えなかったのは彼女も同じだ。
それなら、と数冊の本を抜き出す。
「私の気に入ってる小説ですが、読んだことは?」
「ううん、ない。海外作品?」
「ええ、ストーリーもですが、訳者の文章も素晴らしいのでよく読み返しています」
よかったら、と彼女にそれらを差し出した。
「読んでみてください。私も美作さんの感想を聞いてみたい」
そう言うと彼女は驚いたように少し目を丸くして、それから大事そうに両手で本を受け取った。少し赤い顔で、きゅ、とそれらを胸に抱く。
ようやく、彼女と目が合った。
「私に感想語らせると長いよ?」
「受けて立ちましょう」
その笑顔は、子どものように無邪気だった。
色気なんか欠片もありません。