其れは幸福の物語   作:ふみどり

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「解釈は自由」と五回唱えてからご覧ください。
書籍にした際の書き下ろしです。


託された結末

 学生寮の狭い部屋に、幻想の宇宙を敷き詰める。

 どこからか銀河ステーション、という声が響けば旅の始まり。夜の帳の内側で、ぱっと光が溢れ出る。まるでそれは億万の蛍烏賊の火、ひっくりかえしてばら撒いたダイヤモンド。強すぎる光に、思わず眼を擦る。

 

「《気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。》」

 

 鉄道の振動が青い天蚕絨(びろうど)の張った座席を通して身体に伝わる。それに驚いたのか双子たちは夏油先輩にきゅっとしがみついたが、その瞳に恐怖はなかった。

 私が物語を辿るたびに現れるそれら――黒曜石でできた円い板のような地図、車窓の外に輝く銀色の空のすすき、月長石で刻まれたような紫のりんどうの花。天の川の水はガラスよりも水素よりも透き通り、光の加減なのか色もカタチもさまざまに、一瞬だって同じ表情を見せてはくれない。

 銀河鉄道の車窓から見えるこの天の野原の景色の、うつくしさと言ったら。

 

「わあっみてみて夏油さま、きれい!」

「きらきら、してる……!」

 

 ああ綺麗だね、と自分の両側ではしゃぐ双子に頷く夏油先輩の視線もまた、車窓の外に向けられている。私の隣に座る硝子先輩もこりゃすごい、とニヒルに口元を歪め、通路を挟んだ反対側の座席に座る灰原や七海も銀河鉄道の揺れを楽しんでいた。ただひとり、灰原や七海の前に座る五条先輩だけが仏頂面だが、そもそもこのひとに私の芸術(のろい)を素直に楽しむ感性があるのかは甚だ疑問なので特に気にはしない。無粋な朴念仁め。

 幻想の銀河をはしる銀河鉄道。ジョバンニとカンパネルラ、二人の少年がたどった不可思議な旅路。この物語なら双子たちも喜んでくれるのでは、と勧めてくれたのは灰原だった。

 たまたま見ていたテレビ番組の内容がきっかけで灰原や七海とプラネタリウムの話題になり、行ったことはないけれど偽の星空を映し出すくらいなら私でもできる、と術式を使ったのが事の発端。呪いというのは何もひとを傷つけるためだけのものではない。私が映し出した「うつくしさ」に夢中になる二人の横顔はなかなか悪くなかった。

 ひと通り鑑賞を終え、興奮さめやらぬ様子の灰原は言う。

 

『これならその子たちも喜んでくれるんじゃない?』

 

 子ども向けのお話だし、きらきらしてて綺麗だし、と元気に笑った灰原に、七海は少し難しい顔でそれはどうでしょう、と小さく言った。

 

『うつくしい物語ではありますが、ハッピーエンドとは言いがたいですから』

 

 貧乏で空想好きな孤立気味のジョバンニと、そんな友人を気にかける裕福で人気者のカムパネルラ。物語を読み進めていくと、実はカムパネルラがすでに死者であることが匂わされていく。

 銀河鉄道は、死への旅路。カムパネルラもそれをわかっていた。乗客の中でジョバンニだけが生者であり、ジョバンニだけがそれを理解していない。あるいは、うすうす感じるものがあっても目をそらしていたのかもしれない。

 ジョバンニはカムパネルラのことが大好きで、離れたくなんてなかったから。

 

『……ねえ七海、知ってる?』

 

 宮沢賢治の死後に発表されることとなった、この『銀河鉄道の夜』。事実上の遺作とも言われるこれは、確かに「離別」「死別」の物語といえる。ただそこにひとつ情報を足してやると、もう少し解釈を膨らませることもできるのだ。

 美々子と菜々子に、その話をしてあげたいと思った。できたら、そこから自分でも考えてみてほしいと。お節介な説教のようなことはしたくないけれど、ようやく外の世界に触れて笑えるようになった二人だからこそ。

 感じてほしい。考えてほしい。この物語の「うつくしさ」を。この世界が、いかに自由なのかということを。

 

「――《「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。》」

 

 銀河鉄道は死への旅路だが、ジョバンニとカムパネルラにとっては本当の幸いをさがす旅路でもあった。さまざまな不思議な出会いを通し、たくさんたくさん考える。おおよそ答えなどない問いを、ずっと。

 

「《「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」》」

 

 そう言ってジョバンニが振り向いた先に、もうカムパネルラの姿はなかった。

 銀河鉄道が消える。車窓から見えていた天の川や蠍座の赤い星は天上に戻り、周囲は何の変哲もない丘の上に景色へと。丘を駆け下りて町を走り抜け、河原に出る。そこで告げられたカムパネルラの死、遠く漁に出ていた父のまもなくの帰還。言葉にできない感情を抱えたジョバンニが母のいる家へ帰るところで、物語は途切れた。

 

「――宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より」

 

 ぷつ、と糸が切れたように世界が晴れる。窓から差し込む日光がまぶしい。お疲れ、と硝子先輩に肩を叩かれて身体が揺れた。比較的短い物語なうえに、銀河鉄道に乗り込む前の部分はあらすじの説明だけをして省略したというのに、やはり朗読するには長い。術式効果を幻覚にとどめてもこんなに疲れるのかという反省はさておき、お客様の反応はどうだろう。

 額に滲んでいた汗をぬぐい、視線を正面に戻す。夏油先輩にぴったりとくっついたままの双子の瞳には、涙の膜が張っていた。

 

「……え、あ、えっと、」

「なに佳乃、急に狼狽えるじゃん」

「あ、今日の美作の目標は『泣かせない』なんですよ!」

「目標低すぎてウケるんだけど」

 

 でも達成できてねーか、と続けられた言葉が胸に突き刺さる。いや、ちゃんとこの物語について説明までさせてほしい。焦って言葉を続けようとすると、まあ待って、と夏油先輩に止められる。

 

「まずはちゃんと聞くことだよ、美作。ほら美々子、菜々子、どうだった?」

 

 幼い口が同時にきゅっと結ばれる。菜々子はぐしぐしと目元を擦り、きらきらしててすごくきれいだったの、と真剣な顔で言った。

 

「ぴかぴかしてた! しらないものいっぱいあったの!」

「うんうん、知らないものは後で一緒に調べてみようね」

「ザネリがやなやつだった! ジョバンニいじめるやなやつなのに、……なんで、」

 

 なんでカンパネルラは、ザネリをたすけてしんじゃうの。

 ぐす、と菜々子の瞳にまた涙がたまっていく。同意するように美々子が鼻をすすった。

 窓際で壁に寄りかかっていた五条先輩も、確かにな~と腕を組む。

 

「確かに身を挺して誰か護るとかキショいな。しかもダチいじめてたやつ」

「えっ五条とおなじなのやだー! うわああん真似すんなぁ!」

「んだこのクソガキ」

「こら悟。子ども相手にムキにならない」

 

 五条先輩に同意されたことで菜々子の目から涙がこぼれ落ちてしまったが、これは私のせいではないのでセーフだということにさせてほしい。それにしても五条先輩ときたら、ひたすらにこの双子に嫌われていた。このひとは(最近になってようやく)このひとなりに上手く接しようとしているのだが、それはもう私より下手くそで笑えてくる。

 すっと息を吸って、小さく吐き出す。自分より子どもの扱いが下手なひとを見て少し落ち着いた。ええとね、と涙に拭う二人に話しかける。

 

「『銀河鉄道の夜』は、完成してない物語なの」

 

 え、と同じ形の二対の瞳が、まんまるに見開かれた。

 何年もかけて推敲されながらも、この物語は草稿のかたちで遺されていた。完成されることなく遺された物語。完成できなかったのか、完成させなかったのか、それは誰にもわからない。けれど、どんな作品も解釈は自由。未完の作品ならなおさら、その結末は読み手に託されたのだと思いたい。

 ジョバンニは生きている。きっと「ほんとうのさいわい」を考え続けていく。その果てに、夢でも幻想でも構わない、再び銀河鉄道の切符を手にする日が来るかもしれない。またあの天蚕絨の座席に腰掛けることがあれば、その傍らには逝ってしまったはずの友人がいるかもしれない。

 いいと思うのだ、これからも続いていく彼の人生に夢を見ても。誰ひとりとして、完成した『銀河鉄道の夜』を読むことはできないのだから。

 物語(せかい)は作者の手を離れ、結末は読者の手に託されている。

 

「……佳乃さん」

 

 夏油先輩とは違い「さま」でなく「さん」で呼んでくれる美々子にぎこちないながらも笑顔を向け(「友だちになりたいから『さま』はいやだな」と全力で説得した)、言葉に迷う美々子に続きを促す。えっと、と美々子はおずおずと口を開いた。

 

「もうほんとうに、……ジョバンニはカムパネルラには会えないのかな」

「……さあ、どうかな」

 

 でも、もしも読み手がそうであってほしいと願うなら。

 会えるかもしれないよと言ってやれば、美々子と菜々子は少し躊躇いながらも私の膝元に寄ってきた。私を見る二対の瞳は、天の川の水のようにきらきらと輝いている。

 

「会える?」

「会えるの?」

「ふたりはどっちがいい?」

 

 会えるほうがいい、と綺麗にそろったユニゾンに思わず頬が緩む。

 

「じゃあ、会える」

 

 ぱっと咲いた笑顔は、きっと初めて見た満面の。

 慣れないながらも、二人の髪を梳くように撫でる。二対の大きな瞳が柔らかく細められたのが嬉しかった。

 

 *

 

「術式を維持する呪力にムラがあんだよ、無駄遣いしすぎ」

 

 喋り疲れて眠ってしまった双子たちをベッドに寝かせ、私たちは部屋を出て談話スペースで寛いでいた。椅子に腰掛けてさっそく飛んできたのは、五条先輩による容赦のないダメ出し。しかしこればかりは事実なので甘んじて受け入れるしかない。

 

「……呪力操作もっと練習します」

「はは、最近悟は美作の指導に熱心だね。何かあったのかい?」

「べーつーにー。俺らを最強のままにしとかねーなんて大口叩いた以上はそれくらいやってもらわねーとだろ」

 

 べえっと舌を出す精神年齢幼児以下の先輩の顔は死ぬほど腹が立つが、確かにまだ言い返せるだけの実力は私にはない。つい舌打ちすると行儀が悪い、とそういうところにうるさい同期から咎める声が飛んできた。まあまあと相変わらず楽しそうなもうひとりの同期は、でもよかったね、といつもより少し柔らかな声で言う。

 

「美作が伝えたかったこと、ちゃんとわかってくれたみたいじゃない?」

 

 もっと、自由でいいのだと。好きなように解釈していいのだと。

 託された結末は自分の手の中にあり、自分だけのハッピーエンドを夢見ていいのだと。

 そしてそれは、何も『銀河鉄道の夜(ものがたり)』に限った話ではなく。

 そうですね、と生真面目に頷いた七海の声にも、わずかに温かさがあった。

 

「何より、二人ともとても楽しそうでした。まあ『ジョバンニとカムパネルラと再会できるかどうか』から『カムパネルラが実は死んでない説』に話が飛び、いつのまにか『ザネリにいかにぎゃふんと言わせるか』という方向へ話が逸れていったことはどうかと思いますけど。夏油さんの教育の賜物ですか?」

「やられたらやりかえす精神は大事なんだよ、七海。それにしても結構むちゃくちゃな解釈もあったのに、『作者が書いてない部分はどう読もうと読み手(わたし)の自由だから何でもあり』で全部片付けたのがものすごく美作らしかったね」

「うるせーんですよ。いいんです、自由で」

 

 まあ確かに、と硝子先輩も笑って私の頬をつついた。

 

「佳乃らしくて好きだよ、そういうの」

 

 目標達成オメデト、と落とされた優しい声。その声に少しだけ、ほんの少しだけ頬が熱くなるのを感じた。

 




参考文献・引用元
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(新潮文庫)
大変好き勝手に書きました。文豪の皆様、大変申し訳ございません。
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