上条が目を覚ますと、見慣れた光景が視界に入ってきた。昨日から滞在している旅館『わだつみ』の天井である。
「……寝てた、のか?」
身体を起こせば、掛かっていた布団がずり落ちる。布団を敷いて床についた記憶がまったくない。その証拠と言っては難だが、上条の服装は寝巻きでもなく浴衣でもない、海パン一丁だった。布団で寝るのにこの服装は流石にあり得ない。どう考えても、上条の意思で寝ていたわけではなさそうだ。
とっさに上条はおでこに手を当てた。ぼんやりとした頭をフル稼働させ、記憶を掘り返しにかかる。
(えーと……ビリビリが妹キャラで、インデックスが母さんで? いや、何言ってんだ俺は)
だが考えれば考えるほどに、自分の記憶が現実感を失っていく。あのあり得ない出来事の数々は、本当にあったことなのだろうか。たしか最後の記憶は───
(あー……夢だな。空からインデックスの知り合いが降ってくるなんて、どう考えてもイカれてる)
上条は確信した。まるでB級映画のような登場をかましたあの女性。アレが現実であってたまるものか。クレーターを作って登場したり、凄まじい速度で飛んだりと、流石に物理法則を無視しすぎである。学園都市の第1位じゃあるまいし、いくら
そして同時に、とある可能性が上条の脳裏をよぎった。もしかしたらアレは、上条の内なる願望たる『年上のお姉さん』が具現化した存在なのかもしれない。何故空から降ってきたのか、何故殴られなければならないのかは謎だが、それくらいしか心当たりがないのだ。また、その場合危ない水着を着た母親役のインデックスや、インデックスの姿をしていた青髪ピアスの謎は解いてはいけない。自らの深層心理に一体どのような闇が潜んでいるのか、想像しただけで鳥肌が立つ。
「……ん」
ふと、上条は人の気配を感じた。視界の端に布団がもう一組。衣擦れと、整った寝息。嫌な予感と共に、一体誰がと目を移すとそこにいたのは───
長い黒髪の女性。神裂火織が、とても心地良さそうにすやすや寝息を立てていた。
「……不幸だ」
どうやら、世界は上条に喧嘩を売ってきているわけではないらしい。
殺しにきているようである。
「やれやれ、カミやんだけでなくねーちんまで気を失っちまうとは。ま、アレのインパクトは確かにヤバかったが……なんだかんだで、ねーちんも疲れてたのかにゃー」
「……精神的に、か。イギリスでは心配かけっぱなしだったからな……主に俺が」
「あー別に責めてるわけじゃないぜい。木原っちが気にするような事じゃない。そのツケはまず、御使堕しを起こした術者に払わせるべきですたい」
「はー、そう言って貰えると助かる。こんなふざけた術式とっととぶち壊して、学園都市に帰ろうぜ」
「……ああ」
旅館『わだつみ』。上条と神裂が寝ている部屋の前の廊下にて、俺と土御門は見張り番をしていた。
「にしても、見張りだったら俺だけで十分じゃないか? いい加減休めよ土御門」
「いやいや、何があるかわからないからにゃー。それに、十分ここでも休めてるぜい」
「……お前、もしかして。この状態を楽しんでないか?」
とっととこの術式をぶち壊したい。そんな俺の言葉は紛れもなく真実だ。最初は隙を見て『わだつみ』を抜け出し、上条家を爆破しようとさえ考えていた。だが、土御門の意見を聞いて、すぐさま方針を変えた。俺の記憶が正しければ今夜、この旅館には二人の危険人物が尋ねてくるのだ。現在時刻は昼、今から上条家へと俺が向かったところで、上条家爆破の前にひと悶着ある事は間違いない。そんな状態でほいほいとここを離れるわけにはいかないだろう。
(……そして、もう一つ。特大にヤバイ問題を俺は抱えちまってる)
「あら、あらあら。当麻さんをこんなにも心配してくれるなんて。いいお友達を持ったものねぇ」
そんな俺達の前に、とある女性が現れた。上条詩菜、上条当麻の実の母だ。既にあの危険な水着は着替えており、今は旅館で用意された浴衣を着用していた。
「しかもそのお友達の一人があの
そう言って、上条詩菜は土御門に飛びついた。本日何度目のハグだったか。まったく持って積極的過ぎる女性である。当の土御門は困惑気味な表情だった。
土御門元春。御使堕し影響下での彼の見た目は原作通り、かの有名なアイドル『一一一』となってしまっている。ちなみに現在本人は、人気女優とのスキャンダルにより逃亡中らしい。それでも彼を好意的に見てくれる上条詩菜は確かに、ファンの鑑ではあるようだ。
「あ、あはははははは……あ」
そんな二人の姿を笑っていると、廊下の奥からひっそりと顔を出している人物が目についた。上条刀夜。上条の父親にして、土御門に抱き付いている上条詩菜の夫である。ハンカチを噛み、苦々しげな顔でこちらを睨みつけているのを見つけてしまった。
土御門も俺の視線の先を見て気づいたようだ。頬ずりする上条詩菜を除いて、俺と土御門の時が静止する。
「おい土御門、このままだと上条家崩壊の危機だぞ」
俺が望んでいるのは物理的な上条家の崩壊であって、戸籍上の話ではない。コレは流石に不幸では済まされんぞ。
「……そう思うならコイツを剥がすのを手伝ってくれ木原っち」
「……詩菜さんに向かってコイツ呼ばわりはダメだろ」
「あらあら、私は気にしないのよそんな事は。想像よりワイルドな一面を見れて嬉しいわ~」
土御門は絶賛苦戦中である。別に上条詩菜さんが特別怪力というわけでもなく、手段を選ばなければ引き剥がすのは簡単なはずだ。ただ相手はあくまでも女性、しかも土御門の目には殊更にか弱い女性に見えている。脱出に必要な力より、彼女に加えても許されるであろう力の方が弱いらしい。例えるなら、プラスチック製の知恵の輪に挑戦しているようなものだろうか。
そして、事態はさらに混迷を極めた。ガラッ! と勢いよく引き戸が開き、上条当麻が姿を現したのだ。顔面蒼白で恐怖の顔をしていた彼は、土御門と上条詩菜を見た途端。その表情は憤怒の形相へと変貌していた。
「……テメェ。インデックスに何してやがる土御門」
親子2代による3D三角関係が完成した。事の中心点たる土御門の冷や汗が止まらない……にしても。やっぱり上条にはインデックスに見えてるんだよな。土御門からもそうだし、浜辺での騒動を考えると神裂もおそらく同じはずだ。となると、やっぱりコレは非常にマズイ状況だ。
「……カミやん、話せばわかる」
何がマズイかと言えば……端的に言って俺の目には、彼女は上条詩菜さん本人にしか見えないのだ。
これが俺の抱えている、特大にヤバイ問題である。
「『見た目』と『中身』の入れ替わり?」
「そうだ。俺を『土御門元春』として認識出来るって事は、カミやんにも心当たりはあるはずだぜい?」
なんとか詩菜さんを引き剥がし、ひとまず俺達は未だ神裂の眠る寝室に避難した。女性が眠る部屋に、男が3人集まっての秘密会議である。傍から見て非常によろしくない光景だが、表向き神裂はステイル=マグヌスに見えているので問題はない。
そんな事はさておき。未だに青筋の消えない上条当麻に説明タイムのお時間である。
「誰がやらかしたか知らないが、今世界規模でどえらい魔術が進行中だにゃー。このあべこべな世界はその術式の副作用ってとこですたい」
「……いや、ちょっと待て。何でお前がそんな事知ってるんだ? 魔術を知ってる木原ならともかく、お前は完全に学園都市の人間だろうが」
……わかってはいたが、これは少し面倒だな。説明すべき事が目白押しだ。
「いやいや、こっちが俺の本業……俺も、必要悪の教会の魔術師だぜい。カミやん」
ポカンとした表情の上条はそのまま俺を見た。どうやら、隣人木原統一の意見を聞きたいらしい。
「間違いない、土御門は魔術師だ。しかも俺みたいなパチもんじゃなくて、一流の魔術師で一流のスパイ。俺も知ったのは最近だけどな」
「……木原っちに言われると、嫌味にしか聞こえないぜよ」
「あん?」
ぼそりと土御門は何かを呟いたがうまく聞き取れなかった。一方で上条はまだ困惑気味のようだ。そして混乱しながらも、どうにか言葉を搾り出してきた。
「ま、まてよ。土御門は学園都市の能力開発を受けちまってるんじゃねーのか? 能力者に魔術は使えないはずだ。だって───」
「その通り。お陰で一流の陰陽博士たる土御門さんも、今は魔術は打ち止めなんだにゃー。まいったまいった」
……コレは、まぁ。嘘と言うにはあまりに忍びなく、本当の事と言うには流石に白々しい気がする。
「……木原っちと違ってにゃー」
「おい、話がズレてきてるぞ」
確かに魔術使用による反動の無い俺は、土御門にとっては羨ましいかぎりかもしれないな。考えた事もなかったが、やはり何か思うところがあるのだろうか。
「とにかく、俺はイギリス清教の魔術師だって事を納得してもらわなきゃ先に進まんぜよ」
「ったく、なんだってんだ。朝から納得できない事だらけだ畜生」
「……俺は昨日からそんな感じだよ」
そんなこんなで、どうにか上条は飲み込んだようだ。これでようやく御使堕しの説明に入れる。ったく、先が見えないな。
「……なぁ土御門。術式の説明だけならお前だけでも問題ないよな? 俺はちょっと別行動を取りたいんだがいいか?」
「……何処へ行くつもりだ?」
「言い訳だよ。いい加減、この状況を上条の家族に説明しなきゃダメだろ。空から不良神父が降ってきて息子をタコ殴りにした挙句、その介抱をしてるのが有名アイドルってのは意味がわからねえ……はじめましての挨拶も兼ねて、俺が行ってくる。さっきの上条詩菜さんの事を考えると、アイドルのお前が行くよりはマシなはずだ」
大混乱の上条一家には「ちょっとした誤解があった」としか言っていない。ある意味真実なのだが、この言葉でいつまでも黙っている彼らではあるまい。まずは神裂が空から降ってきたシーンから説明を始める必要があるな。物理法則に誤解もへったくれもないのだから。
それに。俺が抱えちまってる大問題への対応もある。俺を「きはら」と呼んだインデックスだ。この件が土御門にバレたらまた面倒な事になる気がするし、どうにか誤魔化さないと。
「あまり遠くに行くなよ。最低でも旅館からは出るな」
土御門は怖い顔でそう告げた。心配してくれてるのだろうか。
「ああ、わかってる」
「……説明の内容は考えてあるんだろうな?」
「任せろって。俺の得意分野だよ」
「三角関係のもつれ、だと? 当麻とあの男が?」
「あらあら。当麻さんたら……」
極めて真面目な顔を作りながら、俺は上条夫妻に会いにいった。「いつも息子がお世話になってます」から「いえこちらこそ」的な挨拶を済ませ、早速本題に入らせてもらう。
「あーいえいえ。そこまで深刻なものではなくてですね……実を言うと、嫉妬に
筋書きとしてはこうだ。ひょんな事から仲良くなった上条当麻とインデックス。彼らが二人で夏の海に出かけると聞いて、インデックスの幼馴染であるステイルはキレた。
……以上である。作戦名は『
「見た目でよく誤解されるんですが、彼はああ見えて14歳なんですよ。昔からインデックスちゃんの事になると周りが見えなくなる性質でして、前にも同じような事が……今回も、彼女が上条……当麻君と海に行くと聞いて飛び出し、それを止めるために俺達も追いかけてきたんです」
"当麻君"なんて響きに若干鳥肌を覚えながら、俺は淡々と考えてきた筋書きを告げていく。許せステイル、8割くらいはたぶん真実だから。というかお前なら、上条をぶん殴るだけじゃ済まさないはずだ。
ちなみに、あのダイナミックな登場は学園都市の能力です、ということにしておいた。なんかステイルの
「あらあら。インデックスちゃんたらモテるのねえ」
「14歳だと? まさか、そんな」
……まぁ、普通は刀夜さんの反応が普通だよな。大丈夫か詩菜さん、いつか悪質な詐欺にひっかかったりしねぇだろうな?
「なるほどなんだよ」
なるほどじゃねえよ。何でお前はそこで納得してるんだインデックス。お前はこの話を聞いて確実に首を傾げないといけない立場だよ!? もしくは「私のために、そんな……」みたいな具合で顔を赤らめたりとか……いや、ねえか。
「……えー、説明は以上です。実は彼らはああ見えて仲良しなんですよ? この前なんか当麻君の方から彼を殴りつけてましたからねえ。殴り殴られ、女の子を取り合う。まぁ、そんな関係です」
俺の焼死体の横でな。実際に見ていたわけではないが。アレ? 意外とこの嘘、真実の部分が多くないか?
「男同士の友情か……そうか、アイツも男になったな」
前言を撤回しよう、上条家が危ない。怪しい訪問販売とか平気でひっかかるぞコレ……あ、そうか。上条刀夜はリドヴィア=ロレンツェッティに薦められるがままにおみやげを購入し、それが御使堕しに繋がったんだった。もう手遅れじゃねえかオイ。
「そういう事で。どうかこの件は穏便にお願いします。警察とかは……」
「うむ。そういう事なら、後は当人たちに任せようじゃないか。ところで当麻は───」
「ああ、元気そうですよ。今はつち……えー、例の彼と話してます」
どうか彼の事は内密に、と彼らに念を押しておくことも忘れない。
予想以上に、上条夫妻との話し合いは無事に終了した。その後は主に上条の話だ。学園都市での生活や、勉強。友人関係の事を聞かれた。相変わらずの不幸だったり、補習の補習を受けたりとマシな話題がない。アイツは困っている人を見たら飛び込まずにはいられない奴です、と言ったら嬉しそうだったのでそれでよしとしておくか。
「とうまはいっつもいっつも、危ないところに自分から首を突っ込んでいくんだよ」
「よし、いいぞ当麻。それでこそ俺たちの息子だ」
「そして何故か、いっつも女の子を助けてくるんだよ」
「う、うむ……」
「あらあら、流石は刀夜さんの息子ねえ」
オチは何故かインデックスが持っていった。暗黒面に落ちた詩菜さんを、刀夜さんがなだめにかかる。いや、貴女もさっき土御門に抱きついてただろ、というツッコミは野暮か。どうにも長くなりそうだ。
「インデックス、少しいいか?」
そんな二人はさておいて、俺は二つ目の目標に取り掛かる。インデックスへの口止めだ。上条夫妻とは少し離れたところに移動し、インデックスとの交渉に移った。
「インデックス、わかっているとは思うが……」
「すているがいるって事は、魔術がらみだよね。とうまの家族には隠して正解かも」
なんと、実に話が早い。インデックスは既にその結論に至っていたようだ。つまり、彼女は途中から話を合わせてくれてたということか、なかなかやるな……だがこんな時に鋭くなられても困るのでやめて頂きたいものだが。
「その通りだ……と言っても、今回の術式は、範囲は広いが影響が馬鹿馬鹿しい代物だからな。そんなに深刻なもんじゃない」
「む、まさか。きはらたちは私をのけ者にする気?」
「……ま、ぶっちゃけちまうとそうなるな」
俺のそんな言葉に、インデックスは頬を膨らませた。実に微笑ましい表情だが、土御門や上条から見るとこれが見た目『青髪ピアス』になるらしい。知らぬが華だったな、うん。
「まぁ、待て。これにもちゃんとした理由があってだな」
「余程の事がないと、私は引き下がらないんだよ」
さて、ここからの嘘は完全にアドリブだ。上条夫妻への言い訳は、あらかじめ頭の中に作ってあったイギリス産『御使堕しが起きたらどうしようリスト』から引っ張ってきただけだ。インデックスを引き下がらせる嘘はたった今即興で作った穴だらけの代物。1日もったらお慰みな、お粗末な代物である。感覚としては昔、路地裏で土御門に尋問された時に似ているか……あの時は一瞬で看破されたが。
いやいや、俺もあの頃よりは成長しているはず。失敗したところでここには怒り狂う騎士団長もいないんだ。思い切ってやってやる。
「まずな、俺とステイルにくっついてきたあのアイドル。アレが今回の術式の被害者だ」
「へー、なるほどなんだよ」
まず出だしから嘘である。いや、広義においては真実だがな。
「イギリス清教は便宜上この術式を、『
ネーミングについては今考えた。一瞬"スキャンダル"にしようかと悩んだが、流石にそれはない。
「……あいどるふぉーる……?」
「ああ、英国図書館にも記載のない未知の術式だ。効果範囲は世界全域。俺とステイルは昨日までイギリスのウィンザー城にいたんだがな、あの防御結界を突き破ってきやがった」
ところどころに真実を織り交ぜる。あまり突拍子もないものを採用すると、後で土御門や神裂と口裏を合わせるのが大変だからな。
「それってかなり大ごとかも。それを深刻じゃないって、きはらは一体どういう神経をしてるのかな?」
「まぁ待て。肝心のその術式の効果なんだがな……」
ゴクリ、とインデックスは生唾を飲み込んだ。
「対象者がただひたすらに、全世界の女性から嫌われちまうっていう代物なんだ」
「……………………」
インデックスは俺の言葉を聞いて、なんだか死にかけのハゼみたいな表情になった。どうやら若干やる気が削がれたらしい。
「どうやら術者は一一一の熱烈な大ファンってのが俺達の見解だ。動機はそれくらいしか思いつかない。たぶん嫉妬に狂った魔術師があのアイドルを孤立させて、それから───」
「待って、その部分の掘り下げは流石に私もわかるから言わなくていいかも。というかやめて」
ここまで明確にインデックスに拒絶されたのは久しぶりだ。たぶんインデックスに電子レンジの実習を迫ったとき以来だな。
「……この大規模術式がなんらかのデモンストレーションで、対象を変えての本命がぶっ飛んでくるって意見もあったんだが……規模の割に効果が効果だからな。日本以外ではほぼ影響が出てないと言っても過言じゃない。
「……でも、私やしいなはその魔術に掛かってないかも」
「それはたぶん、上条の右手のお陰だな。
真剣な顔で大嘘を吐く俺に対して、インデックスからは興味の色が急速に薄れていく。作戦は今の所成功のようだ。
「本当にくだらないかも……世界を巻き込む大魔術なのに……せっかくの私の見せ場なのに!」
「むしろ、インデックスは関わらないほうがいい。なにしろ誰も見たことのないような魔術だ。女の子のインデックスにいつ術式が適用されちまうかわからないし、それに……」
俺はここでタメを作り、重々しく口を開いた。
「例のアイドル、一一一も実は魔術師らしいからな。見るからに怪しいし、出来ればあまりインデックスは近寄らないでくれると助かる。それにこんなくだらん魔術にインデックスがいちいち対応してたんじゃ、次からはインデックス自身を目当てに仕掛けてくる魔術師が来る可能性すらあるんだ。これはイギリス清教からインデックスの警護を任されている、魔術師としてのお願いだ。むしろ術式にかかったフリをしてでもいい、アイツを最大限警戒して距離をおいてくれ」
「なるほどなんだよ……カナミンと一緒で、あの人にも色々と裏があるからテレビに出てるんだね」
ちょっと理屈がわからん……まぁ、そういう事にしておくか。何やら予想外の方向に話が転がったが、それで信憑性が増すなら結果オーライだ。
「俺自身も、インデックスの警護役の魔術師だとはアイツに明かしてない。安全のためにな。インデックスも辛いだろうが、この件に片がつくまで俺とは
俺が話し終えると、インデックスは黙り込んだ。おそらく完全記憶能力を駆使して状況を整理しているのだろう。
緊張の一瞬。嘘をつく相手としてここまで適さない相手はいないな。
「……うん、そうだね。ここはきはらを信じて、言う通りにしておくんだよ」
しばらくして、インデックスは俺の望んだ答えを返してくれた。
「ありがとう、インデックス」
チクリ、と胸に何かが刺さるような感覚がする。やれやれ、罪悪感なんてものを感じるくらいなら、最初から嘘をつくなとはよく言うが。現実はそうもいかないもんだな。
(……この罪悪感を、上条は普段から味わってるのかな)
なんてバカな事を考えながら。インデックスに一声かけ、俺はその場を後にした。
インデックスと話した後も、俺は土御門たちの下へは帰らなかった。洗面所の場所を旅館の人から聞きだし、ひとまずはそこへ向かっていた。
「……ふぅ」
顔を洗い、溜息をつく。ひとまず目標は達成した。インデックスへの口止めさえ徹底すれば、今俺に起きている異常に気づかれる心配はない。これでやっと一息つける。
(しかし、また何でこんな事に……原因がさっぱりわからねえぞ)
俺の抱える異常、それは『世界が正常に見えてしまう事』だ。インデックスは青髪ピアスに、上条詩菜はインデックスに、『わだつみ』の主人と女将はステイルと御坂妹に見えるはずだった。覚悟を決めて、出会ったときはそれなりに驚くフリまで準備してきたというのに。いざ来てみればこの様だ。まさか正常である事に驚く日が来るとは。
(誰もが正常に見えるし、誰もが俺を『木原統一』として認識する……それがここまで気持ち悪く感じるなんてな……)
例えば上条当麻。世界の基準点たる
世界は間違いなくおかしくなってしまっている。そして何故か俺は、その影響から完全に除外判定を食らっているのだ。この術式がイス取りゲームだとしたら、イスから動かずにいるのが上条当麻。イスごと動いているのが土御門や神裂だ。だが俺は……そのゲームに参加すらしていない。これではまるで───
『目に見えないルールを思い描いているのは他ならぬ君だ。絵画を描く者では、絵画の中には絶対に入れないという風にね』
頭にアイツの言葉が響く。この世界の何処かで、高みの見物を決めている
ここまでこれた。幾度となく死にかけ、頭と身体をフル活用して。ようやく、俺の知る道筋まで辿り着いたのだ。ここから先は、下手に動かなければ事件は解決に向かってくれるはず。ミーシャ=クロイツェフや火野神作との邂逅こそ気をつけなくてはならないが、それ以上の問題はない。後は、ただ見ていればいいだけのはずだ。
(……いや、ダメだ)
いつだってイレギュラーは存在する。もし、あの脱獄犯が侵入してきた時に、最初に遭遇するのが上条当麻ではなく上条夫妻だったら? ミーシャが暴走したときに神裂が近くにいなかったら、誰があの天使を止めると言うのか。そんなイレギュラーの芽を摘むのが、『木原統一』のするべき事のはずだ。
「……俺はお前とは違う」
俺は絶対に傍観者になんか徹しない。障害物を取り除き、上条家を破壊する。そのために全力を尽くす。絵画を眺めてるだけのクソ野郎と一緒になってたまるか。
……まずは火野神作だな。逃走中の連続殺人犯であり脱獄犯を、この旅館で迎え撃つ必要がある。ここにいる人間を誰一人傷つけさせずに、アイツをぶちのめす。それだけの技術を、俺はもう持ってるはずだ。
仕込みを始めよう。『木原統一』としての知識と技術でもって彼らを……守るために。
「ねーお兄ちゃん。話は終わったー?」
「げっ、ビリビリ……」
木原統一が部屋を後にした後で、上条たちを尋ねてきた者がいた。上条当麻の従妹、竜神乙姫。見た目は『御坂美琴』である。
「もー、そのビリビリってなんなの? 昔みたいに名前で呼んでよー」
そんな事を言いながら、竜神は上条に抱きついてくる。その光景を見て、土御門は顔を引きつらせた。
「カミやん……俺や木原っちが血を吐く思いで頭を悩ませてるっていうのに」
「いや、誤解だ土御門。コイツは妹みたいなもので───」
「へー、一一一さんって、本名は"土御門"って言うんだね。初めまして、従妹の竜神乙姫でーす」
「従妹じゃねえかにゃー! カミやん、"妹"と"従妹"には海よりも深く山よりも高い違いがあるんだぜい!!」
「変なところで反応してんじゃねーよ。上条さんはどこぞのシスコン軍曹と違って、妹キャラにそこまで興味はありませんですのことよ」
「……お兄ちゃん、この人気持ち悪い」
シスコン軍曹と言われ、年下の女の子に気持ち悪いと言われてしまった土御門元春。なかなかにダメージがあったらしく、土御門は意気消沈してしまった。
「畜生、まさかカミやんが"義妹カテゴリ"にまで手を出していやがったとは……」
「えっと、まだ手を出されてないんだけどなー」
そんな事を小声でいいながら、竜神はチラリと上条を見る。だが当の上条はと言えば───まったく話を聞いていなかった。
「それにしても、木原の奴遅いな。今さらだけど、アイツに親父たちの説得を任せて大丈夫なのか?」
「にゃー、その点に関しては大丈夫だと思うぜい。こと口から出任せで言えば、『嘘吐き村の村民』である土御門さんを遥かに凌ぐからにゃー」
「ちょっと、木原さんをそんな風に言うのはやめてよね。あの人はお兄ちゃんの親友なんだから」
途端に、上条は驚いた顔をして土御門を見た。
「……土御門、どういう事だ? さっきの説明だと、木原も別人に見えてないとおかしいんじゃ?」
「いや、木原っちは……まぁ実際はどうであれ、木原っちは彼女とは初対面だからにゃー。どう見えていても、彼女にとっては『木原統一』になるから、何も疑問はないですたい」
ひそひそ声で話す上条と土御門を見て、竜神乙姫はさらに機嫌を悪くした。
「もうっ、信じてないみたいだから言うけど。あの人、私とは初対面じゃないんだよ?」
「何?」
「……何だって?」
「今年の5月に、私の実家を訪ねてきたことがあるの。お兄ちゃんの不幸体質の原因を知りたいから、色々調べにきたって」
土御門の胸に、嫌な感覚が纏わりつく。ここまで積み重ねてきた疑念が質量を持ち、土御門の心に重くのしかかる。
「お兄ちゃんには不思議な力が宿ってるから、それをどうにかしたいって言ってた。友達のためにそこまで考えてくれるんだもん。木原さんはとってもいい人だよ」
破滅が、始まった。