そこそこ省きましたが、想像するとちょっとグロイので注意です。
ようやくここまでこれました。
体勢も気にせず、本能のままに神裂は地を蹴った。神裂の足が地を離れた瞬間に轟音が鳴り響き、巨大なクレーターが出現する。少しでも反応が遅れれば、間違いなく神裂は絶命していた一撃。それを放った人物は、神裂を高みから見下ろしていた。
赤い修道服、そして拘束具を纏った少女。右手にはバールを握り締め、まるで地球の重力に喧嘩を売るかのように、遥か上空に彼女は静止していた。背中には青黒い翼の様な物を背負ってはいるが、それが彼女を空へと浮かべている直接的な要因ではない事は明確だった。
少女にとってそれは、風を掴み空を翔るための翼ではなく。
命を刈り取り対象を絶命させるための、猛禽の爪と同義である。
パキリ、と翼の一部が剥離し、その直後。圧倒的な力でもってそれは発射された。壮絶な加速の果てに巻き起こる衝撃波にも、少女は瞬きすらもせず。ただその先の、本来であればとっくに絶命しているはずの標的を睨みつけている。
「解せない、という顔ですね」
対して、その標的の声は冷静だった。戦車の砲弾が可愛く見えるような一撃を、真正面から切り捨ててみせたのだ。
『唯閃』。聖人である神裂火織が誇る必殺の抜刀術。仏教、神道、そして十字教の魔術構成を融合することで生まれた最強の一撃。だがその真随は、物理的な破壊力だけには留まらない。
「貴方のその翼は、水を媒介にしているとはいえ『
既に何百という『水翼』を放った。だが予想に反して、目の前の人間が潰れる事はなかった。残ったのは無数の大穴と、真っ二つにされた残骸のみ。浴衣姿の女は息を切らしながらも、未だに五体満足で立っているのだ。
人の身にて、神の使いの想像を超える。この奇跡を可能にする手段を、『
「我が術式は、天草式十字凄教のもの……弾圧の果てに祈りが隠匿に特化し、仏教や日本神道に見せかけた十字教信仰を編み出したのが、その始まりとされています」
始まりは単なる
発覚すれば即座に刑罰が待っている。そんな緊張感の中で彼らの隠匿技術は洗練され、精錬され、常識の範囲を逸脱していく。それこそ、踏み絵の最中にでさえ主への祈りを捧げる事を可能とするレベルにまで。
同時に彼らは、形だけではなくその教義も学んでいった。偽装のためというのも一つの理由だったが、何よりも彼らは心苦しかったのだ。偽装の殻を被る事で起きてしまう、僅かな矛盾も彼らは許容できなかった。矛盾を繋ぎ合わせ、似通った部分を抽出することでその穴埋めを図った。他宗教への信仰が、主への冒涜にならないようなこじつけを求め続けた。
その建前が、本音になった瞬間は覚えていない。
いつから十字教の枠を逸脱したのかもわからない。
やがて彼らは───期せずして、異なる宗教を束ねる事に成功してしまった。
「永きにわたる偽装の結果。彼らは、偽者と本物を区別する事をやめたのです。仏教、神道、そして十字教の全てを内包した、多角宗教融合型十字教。教義の矛盾、弱点とも言うべき要素を、他宗教の特性によって補う事で成立している天草式の性質。その神髄を体現したのがこの術式なのです」
神裂が言い終わるか否かというところで、次なる『水翼』が放たれた。だが神裂は動揺することなく、七天七刀の居合抜きでそれを切り捨てる。
「十字教では、人間にとって天使は絶対の存在と言えるでしょう。ですが多神教たる神道では、神の使いのみならず神そのものを討ち払う術を内包しています。仏教では天上に住まう者は天人と規定され、その死の過程すらも記述されているのです」
ゆっくりと、神裂はその切っ先を天へと向ける。そして、吐き捨てるようにこう言い放った。
「いえ。神の思惑、その枠組みから逸脱してしまった貴方は今や、天道ではなく外道……妖怪の類と称するべきかもしれませんね」
その瞬間、ミーシャの殺気が膨れ上がった。氷のような冷たい視線が神裂に降り注ぎ、思わず神裂は七天七刀を強く握りしめる。
「天の号令を待たずして人を殺めるのは、貴方にとって禁忌のはず。貴方が何を想い、このような所業に及んでいるかはわかりませんが……私の言葉で、怒りを表すことが出来るのなら。貴方はまだ止まれるはずです! 主の意思に反してまで天に還る事に、一体何の意味があると言うのですか!?」
ミーシャの無表情な顔に、神裂はわずかに動揺の色を垣間見た。続く『水翼』が撃ち出される気配はなく、ミーシャ=クロイツェフは、完全に動きを止めている。
「……もう間もなく、私の"仲間"が御使堕しを解除してくれるはずです。そうすれば───ッ?」
突然、景色が変わる。気が付けばミーシャはバールを天へと向けていた。その動作を合図に、夕日の色が混じる鮮やかな空は消え、魔法陣と共に漆黒の夜空が作り出されていく。
交渉は決裂した。彼女の陳情は、目の前の大天使には届かなかったのだ。
(雰囲気が変わったのは明らかに仲間という言葉を聞いた時……やはり彼女の狙いは木原統一? しかし、一体何故……)
思考時間は少ない。神裂の視界の端に宙を舞う濁流が映る。ミーシャによって操られ、巻き上げられた海水だった。荒れ狂う滝がミーシャの背後へと集中し、新たに大量の翼が作り出されていく。
(……属性は青、月の守護者にて後方を加護するもの……なるほど。天の使いにして
その絶望的な景色から、ようやく神裂はその正体を察知した。水を操るという特徴からある程度の当たりはつけていたものの。その中での最悪のカードの出現には流石に動揺を隠し切れない。
(預言の天使……今さら木原統一を疑う気はありませんが、完全に無関係という事ではないようですね。ですが───)
無関係ではない。つまり、彼は少なくとも自分より状況を把握しているはず。その彼を逃した時点で、神裂の目的はほぼ達成されていると言っても過言ではない。既に彼は土御門と合流を果たしていることだろう。ならば、術式が解除されるのも時間の問題だ。
この身は十分役目を果たした。そう考え、神裂は……がっくりと両膝をつき、天使の前に頭を垂れた。
(どうやら……ここが限界のようですね)
磨耗が限界に達した。元来、神裂の行使する抜刀術『唯閃』は連発して放つような代物ではない。にも関わらず、彼女はそれを実行し続けたのだ。そうしなければならない程に、神裂は大天使に追い詰められてしまっていた。
全快の神裂火織ならば、『唯閃』を行使せずとも防げるはずの連撃。『
(騎士団長との戦いでここまで消耗しているとは……実際に動き出すまで自覚できないようでは、まだまだ修行が足りませんね)
神裂自身、この短時間で立て続けに死闘を演じるのは初めてだった。人間の限界を、そのハードルを何段をも飛び越すことで成立する音速の世界。如何に聖人といえど、その領域への
遥か上空から天使は神裂を見下ろしていた。まるで地に這う虫を見るような目で。そんな眼差しを見返しながら、神裂はぽつりと呟いた。
「……後は任せましたよ、木原統一」
一度は背負いかけた彼の十字架。どうやら今度は、彼に背負わせてしまう事に神裂は罪悪感を感じながらも。彼女は微笑み、そして───先ほどとは比べようもない大出力の『水翼』に、その姿は呑まれていった。
だが、彼女の物語は終わらない。
「……これ、は」
神裂を襲った『水翼』は、その全てが狙いを外していた。無数に起立する『
次に神裂を襲ったのは変化だった。身体の中を、自分の知らない力が駆け巡る感覚。不快感はない。まるで自らに足りない部分を補ってくれるような、不思議な現象だ。
(……いや、違う。この現象を、私は知っている……?)
スケールこそ大き過ぎるものの。実際に体感をした事もないが、今起きている現象を神裂は見た事があった。
一つは、遥か彼方の記憶の果てに。
一つは、つい先日の戦闘の中で。
魔術が勝手に逸れる。狙いが外される。その方式を操る少女は、他ならぬ自分の親友ではなかったか?
力を流用し自らを強化するという方式は、イギリス最強の騎士が用いた奥の手ではなかっただろうか?
「……まさか」
まず否定した。天使の攻撃に
「……まさか!」
否定を重ねた。イギリス最強の騎士の奥の手は、様々な制限が付いた上で、『カーテナ=セカンド』という強力な霊装があってこその現象である。地球の裏側でしか成立しないあの現象を、何の霊装も無しに行使できるわけがない。
……考えて、考え抜いて。ふと気がつけば、神裂の頬には涙が伝っていた。理屈でなく感覚で、彼女の存在を確信したのだ。
たった一人だけの戦場に、肩を並べてくれている誰かを。
これは、もう二度とないと思っていた奇跡の到来だった。
「……
変えられてしまった夜空を眺めて、そっと呟いた。魔力の扱えないこの身では、アレに対抗できる手段は無に等しい。たとえ10万3000冊の魔道書の知識があったところで、あの怪物は止められない。
「なるほど。きはらはこれを見越して、この結界魔術をつくったんだね」
同じく、如何に木原統一が天使の来訪を察知していたとしても。彼の有する知識、技量では天使を止められない。魔力を扱えるという点においては、インデックスよりは可能性があるかもしれないが。だがそれでも、天使という強大な敵を前にしては限りなく0に近いのは明白だった。
だから、木原統一はコレを残した。彼の持ち得る全ての知識を。天使を打倒し得る可能性を。局面を打開できる材料を、インデックスが組み立てられるように整えて。優れた奏者があらゆる楽曲を弾けるように、木原統一は鍵盤を最高の形で提供したのだ。
バラバラに用意されたパズルのピースから、インデックスは瞬時に正解を導き出す。まるで電車のレールを切り替えるように、彼女は魔法陣に流れる魔力を操作し、『わだつみ』に仕掛けられた木原統一の魔法陣を造り替える。
「三位一体。
天使の中で唯一女性とされる天使。
人ならざる身でありながら乙女とされる妖精。
人の身にて人を超越する聖人。
「『
「『
強すぎる『
「『聖剣の鞘』よ、王を癒せ……っ!」
直後、
「
術式の構成を中断し、『神の力』の攻撃に強引に割り込む。今やこの旅館の魔法陣はあの大天使と魔術的に繋がっている。「天使は号令なく人を殺めてはならない」という
(……妖精郷の記号で隠蔽できているとしても。あんまり介入を続けるとこっちの居場所がばれちゃうかも……物語の分岐点にだけ登場する『湖の乙女』だと、今のが精一杯なんだよ。だから───)
「ごめんねかおり。これが私の限界かも」
もう天使の攻撃は逸らせない。強大な敵を前にして、自分が出来ることはもう残り少ない。
「『不死鳥』よ、紅蓮の炎より蘇れ」
術式は完成した。ここから自分に出来ることはただ一つ。
ただひたすらに親友の無事を祈る事、それのみだった。
それは、生命を育む恵みの光。
神裂の全身を這うように、青白い光が迸る。他でもない、目の前の大天使の司る青。だが神裂の脳裏に浮かぶイメージは、自らの手を引き笑顔を振り撒く親友の面影だった。
それは、邪悪を罰する裁きの光。
そしてその青に呼応するように、神裂の体を紅蓮の炎が包み込む。『不死鳥』は、自らを焼く事で灰の中から生まれ変わる。傷つけることでしか癒せない赤色は、誰よりもインデックスを愛した男の、不器用な背中を示すような色だった。
「……貴方なのですね、インデックス」
祈りは届く。世界の破滅を前にして、立ち向かえるだけの力と勇気をあの親友は届けてくれた。
不意に、轟音があった。ミーシャ=クロイツェフが動きの止まった神裂に対し、『水翼』を大量に放ったのだ。『
まず間違いなく仕留めた。そう思った矢先の出来事だった。視界の端に何かを捉えたミーシャが、勢いよく振り向くとそこには。
燃えるような青と、赤。
「……!!?」
場所は遥か上空だった。たった今すり潰したはずの人間が、自らのすぐ後ろに───
「『唯閃』」
とっさに翼を動かそうとしたミーシャは、その感覚を失っている事に気がついた。無数に生えていたはずの『水翼』は、その全てが神裂の『唯閃』によって一瞬で叩き折られていたのだ。
見えなかった。目で追えなかった。おそらく幾度となく振りぬかれたであろう斬撃の、唯の一つも視界に捉えることは出来なかった。そんな事実に愕然とする彼女の目に映ったのは、日本刀を鞘に納め、右拳を振りぬく『人間』の姿───!
ガコン!、という鈍い音が鳴り響く。壮絶な勢いでミーシャは殴り飛ばされ、海面を何度か跳ねた後に海へと沈んでいく。そんな彼女を追いかけるように、砂を巻き上げクレーターを作りながら、神裂は浜辺へと着地した。
「bauo撃grln滅Jjyhb───ッ!」
海を巻き上げ、大量の翼がうねりを上げる。まるでギリシア神話の怪物、複数の首を持つヒュドラの如く。そんな神の遣いの怒りが具現化したような光景を前にして、神裂の表情が変わる事はなかった。
青の属性色たる天使の力が、騎士団長以上の動きを可能にし。
赤の属性色たる不死鳥の炎が、木原統一以上の回復力を彼女に与える。
「……今から貴方に教えてあげます。貴方が踏みにじろうとしたこの世界の重みを」
多方向からの連撃。それも音速などとうに超えた極限の世界の中で、神裂は剣を振るった。紅蓮を纏う七天七刀は鮮やかな軌跡を残しながら、ヒュドラの首を一つ残らず焼き斬っていく。
「私達の世界は、これくらいでは簡単に壊れはしないという事を!」
これは、イギリス清教最強の布陣の再現。
天使をも凌駕する怪物が、世界の守護者として立ち上がる。
目を見開きながら、驚愕の表情で木原統一は倒れた。傷口から血が滲み出し、畳の部屋に血だまりを作っていく。
「これは想定外だったか?」
常人であれば致命傷にもなり得る銃撃。だが木原統一は常人ではない。撃たれた端から傷は修復され、出血は止まり失った血も補充される。俺とは違う
「それとも、まだお前の手の平の上か?」
想定外という顔をしているが油断はできない。ここまでコイツは完全に俺を欺いてきた。この顔が偽りである可能性は十分にある。
「……再生力頼みの時間稼ぎなら無駄だ。撃ち込んだのは例の炸裂する銃弾。模造品だが、同じ効果はあるだろう」
事実だった。俺の予測を上回る速度で魔術を習得していくコイツを、強引にでも止めるために。このふざけた能力に有効な手段を知り、俺は大急ぎでコイツを手に入れたのだ。
「両足両肩に一発ずつ。これでお前はもう動けない。ここから先どういう手を打とうとしていたかは知らないが……これで選択肢はかなり絞られる」
「……どういう意味だ?」
「遊びは終わりだ、木原統一」
時間が惜しい。ねーちんがどこまであの天使の暴虐に耐えられるのかわからない。
「儀式場を破壊し、お前のくだらない企みを終わらせる。御使堕しの儀式場の場所を言え。言わないのなら……」
殺す。表の世界から迷い込んできた友……そんな仮面を付けたクソ野郎を。友情を盾に俺を嘲笑う怪物を。
「……企み? なぁ、土御門。何をどう勘違いしてこうなったかはわからないが───ッ!?」
「もうお前の誤魔化しにはうんざりだ。ここはもう、そういう駆け引きをする場じゃないんだよ」
いつも通りに言い逃れようとする木原統一を黙らせるために、俺はコイツの右肩を渾身の力を持って踏み抜いた。だが奴は黙らず、喚きたてるようにこう続けた。
「違う……違うだろ土御門! お前は確証も無しにこういう事はしない人間のはずだ! 俺は何も企んじゃいない、だから───」
「証拠もない。だから土御門元春は最後まで動かない、か……たしかにその通りだ。自己分析はスパイの基本だからな。お前の読み通りに、土御門元春とはそういう性質を持っている。たとえ世界が終焉を迎えるとしても、確たる証拠も無しに友人を撃ちはしない」
「なら───」
「だからこそお前の裏をかける。本当に木原統一が無実で、俺が間違っていれば世界は滅ぶ。だが正しければ事件は解決する……今わかっているのは、どちらに転んでも木原統一は終わりだという事だ」
イカれてる。そう木原統一に思わせる事が重要だ。理屈では止まらない、確実な見返りが無ければ絶対に。そう理解させなければ、コイツはシラを切り通す。放っておけば世界が破滅してしまう現状を見せつけて、土御門元春の刃が鈍るのを待てばいいのだから。
(神秘に頼って……天使を呼び出してでも守りたい者がいると木原統一は言っていた。つまりコイツは絶対に、世界を道連れにしようなんて発想はしないはずだ)
その上で、動きを封じられた現状での次なる一手。俺の推測が正しければ、それは───
「……天使に殺されるか、お前に撃たれるか選べって事か? それは2択になってねえだろ。もし俺が、こんなふざけた魔術を引き起こした犯人だとしたら、世界を道連れに死んでやるって考えるかもしれない……逆に、犯人ではないけど儀式場の場所を突き止めていたとしたら?」
予想通りだった。自らが犯人だとは決して言わない。だが儀式場を破壊しなければ、あの天使は暴れ周り全てを破壊し尽くしてしまう。残されたコイツの選択肢は、儀式場を突き止めた友の役を演じる事。
……それでいい。土御門元春が、儀式場を破壊する事で満足すると思っているのなら。木原統一が告げる座標は間違いなく本物のはずだ。
「何の手がかりもないままに世界が滅びかけているんだ。パニックになるのもわかる。ここまでで一番怪しいのが自分なのも……だけど自棄を起こすのはまだ早い。天使を縛り付けてる術式の痕跡を辿って、儀式場の場所を特定したんだ。そこさえ破壊できれば全て解決さ」
得意気なコイツの顔には反吐が出る。全て解決……ああ、そうだろうな。この状況下で聖人への昇華を果たせば、木原統一の目的は果たされたも同然だ。土御門元春は消耗しきっているし、神裂火織も天使との戦闘で追い込まれている。口封じのために俺たちを殺すことなど造作もない。
「……場所は?」
「上条の実家。少し距離が離れちまってるから、お前の力を借りようとここへ来た。住所は───」
また一つ、木原統一が黒だという確証が出てきた。その住所には聞き覚えがあるが……いいや。この情報を聞かずとも、俺が次にやるべき事は決まっている。
「土御門、どうだ? 魔術さえ用意してくれれば、発動は俺がやる」
「ああ、その場所なら俺の赤ノ式で問題なく破壊出来る」
そんな言葉を聞いて、木原統一は満足そうな表情を浮かべた。
「だが、その前にやる事がある……まずこれだ。これは、お前のカバンから見つけた物だが……」
「……っ!?」
懐に忍ばせていた1枚の紙切れ。それを木原統一に突きつけると、奴は心底驚いたような顔を見せた。
「上条の実家と、この許可証の宿泊予定地が近いのは偶然か?」
外出許可証。学園都市外部に出る際に必要となる書類の一つ。それを奴の目の前で強引に握り潰す。
……質問ではない。これは目的へ至るまでの一つの過程だ。この引き金は、土御門元春が自覚している以上に重い意味を持つ。最後の最後で迷わないように。根拠を並べ立てる事で成立する一種の儀式。
「お前が御使堕しの影響を受けていないのは何故だ? 『見た目』も『中身』も、木原統一のままである理由は?」
「なっ───ごッ!?」
銃口を木原統一の口に捻じ込む。コイツの言葉にはもう惑わされたくない。いっその事反撃でもしてくれれば、容易く引き金を引けるのだが。
「……そして。お前はこの大魔術の発動を、予め知っていた」
全ての始まり。この魔術の発動を知っていたという事実。あの時点でコイツは殺しておくべきだった。それをしなかったのは、それができなかったのは、コイツが土御門元春の心に深く潜り込んでいたという証。
「なぁ、おい。これ以上の状況証拠が必要か?」
反撃を待ったが、その兆候はない。まだここで俺が止まると思い込んでいるのか? 今まで積み上げてきた友情が、この引き金を止める理由になると。本気で思い込んでいるのだろうか。
『予言者か、詐欺師か』
「じゃあな、クソッたれの詐欺野郎。コイツが、偽りの友情の代償だ」
そして俺はその引き金を引いた。
乾いた発砲音が鳴り響くと同時に、木原統一は動かなくなった。
「……」
友人だった者の亡骸を一瞥し、ゆっくりと土御門は立ち上がった。口蓋を貫通し脳漿をぶちまけ、大量の血が床畳に染みこんでいく光景に吐き気を催しながらも、土御門はその死体から目を離さない。
(結局反撃はなかった……この状態からは……
安心するにはまだ早い事を、土御門は知っていた。これ以上に酷い惨状から、学園都市最高の医者の予測を振り切って完全復活した事もある男だ。イギリス清教をここまで完璧に騙し通した技量、
(このまま教えられた座標を赤ノ式で砲撃したとして……聖人昇華の術式の完成と同時に、なにかしらの回復魔術が発動する可能性……十分あり得るな。なら───)
土御門はナイフを取り出し、木原統一の首に押し当てた。
(首を斬り落としておくか。その後でカミやんの実家を……そろそろ俺の身体も限界だ。次の魔術使用に耐えられるかは未知数だな……)
ふと土御門は木原統一の顔を見た。結局その正体は分からず、情報戦で完全に自分を圧倒したクラスメート。力技で解決した今となっては、もうその真意をはかることは叶わない。家族は? 恋人は? 何処までが演技だったのか。
自分が感じた友情は、その全てが偽りだったのだろうか?
「……お前は一体何だったんだ?」
そう呟いて、土御門はナイフを持つ腕に力を入れた。
「なぁ土御門。それは前にも聞いてなかったか?」
だがナイフは動かなかった。土御門の右手首を掴み、それを阻む者がいたからだ。
「なっ……!?」
土御門はその手を強引に振りほどくと、とっさにその場から飛び退いた。考える間もなく、本能で土御門に『逃げ』を選択させるような何かが、目の前に出現していた。
「……これは、一体……!?」
薄暗い部屋の中、青白い光が木原統一を包み込む。バチリ、という放電のような音が鳴り響く中で、異常の中心は更に言葉を続けた。
「そこまで驚かれても困るな。俺の肉体再生は、一度経験したダメージを効率よく修復する機能がある。それに、弾ける銃弾なんていうあからさまな弱点を、父さんが残しておく筈もない。以前の調整の時にとっくに対応済みさ」
そう言って、声の主は立ち上がった。まるで倒れ込んだ時の映像を逆再生するように。重力を完全に無視し、糸に吊られるかのような動きで彼は直立したのだ。
「……それでも、ここまで動けなかったのは君からの銃撃ってのが大きかったのかな。
「……お前は一体何だ?」
脳に銃弾をぶち込まれ、絶対に動き出すはずのなかった死体。計算外の存在に土御門は銃を向け、再びその疑問を口にする。だが目の前の怪物は動じることなく、謡うようにこう告げた。
「だから、その質問は前にもしただろう? ……木原統一。学生。お前と同じく上条当麻の隣人」
何処かで聞いた事のある回答。だが、今回はその続きがあった。
「『木原』を諦め切れなかった、ただの愚か者だよ」
どこか寂しそうに、怪物はそう呟いた。