とある科学の極限生存(サバイバル)   作:冬野暖房器具

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 あと1話で四章完結です。

 ちょっとだけ長いです。

 そして……過去最大級に地味な戦いです。
 
 
 






 
 



063 偽りだらけの今 『8月28日』 Ⅷ

 

 

 

 

 

 

 魔術師、土御門元春は向けた銃口をそのままに、その異変と対峙していた。

 

 木原統一。数分前に確実に絶命していたはずの男だ。能力を発動させないように、土御門は口蓋から脳天を撃ち抜くようにして殺害を決行した。演算領域が確保できなければ能力者は能力を使えない。故に、肉体再生を有する木原統一に対しても、この方法は有効であるはずだったのだ。

 

 だが彼は立ち上がった。当たり前のように肉体再生を使ったと言い放ち、土御門がこれまで見た事のないような現象を引き起こしながら。肉体再生に全身を紫電で覆うような効果はない。そして、土御門元春という魔術師から見て、この現象は魔術でもないとも断言できる。

 

「納得できない、という顔だね」

 

 そんな土御門の混乱を見透かすかのように、木原統一は語りかけてきた。ネッシーや宇宙人などの未確認生物、はたまたドラゴンやグリフォンのような空想上の生き物と同じ領域に片足を突っ込んでいる友人が。科学でもなければ魔術でもない、土御門の常識の遥か彼方の存在は、まるで昔話を語る老人のように話し始めた。

 

「思い出してみるといい。絶対能力進化(レベル6シフト)計画においても、木原統一は予測を超えた回復力を見せた事がなかったか? 決して戻らないと言われた記憶……言うなれば"自我"を形成していたデータの物理的な損失。あの状態からどうやって木原統一は戻ってきたのか、そこに答えはあるんだけどね」

 

 思い出すも何もない。学園都市最強に挑み、そして実質的に死んでしまった木原統一を前にしたあの時の光景を、土御門は決して忘れないだろう。明確に表と裏に分けられた自分の人生、その両方に等しく登場し土御門元春という人物像を正しく理解する友人の死。その衝撃があそこまで暴力的だったことに、土御門自身も酷く驚いたものだ。

 

 そして今回。土御門が木原統一の裏切りに対してここまで心動かされたのも、おそらくは同じ理由だったのだろう。

 

「ああ、そうだった。君は確か既に、学園都市のアレについても把握しているんだろう? アレに関する知識やとっかかりがあるなら理解も早いんじゃないかな。原理は似通っているし、スケールが小さい分その馬鹿馬鹿しさに首を振る事もないだろう」

 

「……何の事だ?」

 

「虚数学区・五行機関。その正体についてだよ」

 

 その言葉を聞いて、土御門は大きく目を見開いた。木原統一の言う通り、たしかに自分は虚数学区・五行機関の正体を突き止めている。そしてそれを学園都市上層部にも把握されながら泳がされている事も。だがその事実を、目の前の男にまで知られているとは考えもしなかったのだ。

 

 虚数学区・五行機関とは、23の学区から構成される学園都市において、半ば都市伝説のように語られている存在である。『始まりの学区』、『極秘研究施設』、あるいは学園都市を陰から操る秘密組織とも言われ、その形態や存在意義すらも一切が不明。そんな謎に包まれた設定と意味不明な名前からか、科学の街における数少ないオカルト話としてはかなりメジャーな位置を占めているらしい。今日(こんにち)では伝言ゲームの要領で様々な意味が付加されてしまい、その言葉自体は何の意味も持たない状態である。

 

 だが、一部の真実を知る者にとっては違う。学園都市統括理事会、あるいは一部の極々限られた科学者。そして土御門元春には、その言葉は学園都市の闇の技術の名称として扱われる。

 

(能力者の発する微弱な力……AIM拡散力場が寄り集まって形成される"何か"。それが虚数学区の正体……組織でもなければ施設でもない、利用価値すらも不明な代物だが……それが目の前のコイツとどういう関係がある……?)

 

「僕の正体に至るには、そこからもう一捻り加える必要がある。まぁ、今はわからなくともいずれは理解できると思うよ。科学と魔術、その両方に精通している土御門ならね」

 

 そう言って、木原統一は言葉を切った。これ以上は語る事がないとでも言うように。そんな木原統一の様子に土御門は少しだけ逡巡し、そして答えた。

 

「……くだらない謎掛けならもうたくさんだ。謎をばら撒いて翻弄するのはお前の常套手段。時間稼ぎに付き合う気はないぞ」

 

 土御門は思考をばっさりと斬り捨て、木原統一に銃口を向け直した。今すべきなのは、敵から提示された材料を吟味する事ではない。目の前の脅威を排除し世界を救う。それが、土御門元春に課せられた使命なのだ。

 

 そんな様子を見て、木原統一はクスクスと笑っていた。銃を向けられて笑っているのも十分異常ではあるがそれ以前に、こんな仕草をする木原統一を土御門は見た事がなかった。

 

「ああ、失礼。別に君を笑ったわけではないんだけどね。むしろその逆、その迷いの無さは流石だと感心してたところなんだ。そうだな、君がそういう展開を望むなら(やぶさ)かでもない。面白そうだし少しばかり付き合ってあげてもいいだろう。つまり僕がするべき事は、その引き金を少しでも軽くする努力ってところかな?」

 

 土御門は答えない。対する木原統一は顎に手を当て、なにやら悩むような仕草を見せた後に。ひっそりと、だがはっきりとこう言い放った。

 

「……先ほどの君の言を訂正させてもらうとすれば、僕は謎をばら撒くつもりはなかったんだ。時間を稼ぐ必要も感じてはいない。土御門元春なんて、殺ろうと思えばいつでも殺れるからね」

 

 瞬間。二人の間を、刺すような鋭い殺気が交差した。引き金に指をかけ、憎しみをぶつけるかのような表情の土御門に対し、木原統一は挑戦的な笑みを浮かべる。

 

「よく狙うといい。尤も、口蓋から頭を撃ち抜いても殺せなかった相手に。残り一発しかない銃で何処を狙うのかは見物だね」

 

 ひんやりとした態度で、そう呟いた瞬間だった。

 

 バン!! という乾いた銃声が『わだつみ』のとある一室で鳴り響く。たった一発の銃弾でも、木原統一にダメージを与えるには十分なはず。そこから回復までの僅かな時間で、土御門元春なら追い討ちで完全に絶命させることが出来る。手元のナイフで木原統一の首を刈り取るだけの、簡単な流れ作業のはずだった。

 

 ……だが。

 

「君が最も警戒するのは炎の魔術。それを封じるためには、魔術の詠唱を妨害する必要がある。つまり狙うべきは木原統一の行動を最も効果的に阻害する一手……だが肺を撃ちぬいてもたった一発では効果は薄い。そしてこの距離での粉砕式弾頭では、硬い頭蓋を狙っても角度次第で貫通せず逸れる可能性がある」

 

 銃撃と同時に飛び出そうとした土御門は、思わずその場にとどまった。

 

「よって、土御門元春が狙うのは喉。そこまでわかれば後はタイミングの問題だ。少し銃弾が掠めたようだが、ダメージを負う前に肉体再生を集中していたお陰で、血を流すよりも早く治療できた」

 

「避けた、だと……?」

 

 身体を僅かに横に引き、無傷の状態で木原統一は立っていた。顔色一つ変えずに、人を見下すような目のままで。そして神裂のような『聖人』でもなく、目の前の怪物は『人間』のままで銃弾を回避してみせたのだ。

 

「さて、時間稼ぎと言われないように、手品の種を解説してみたわけだが……次はどうする?」

 

「くっ……!」

 

 銃を懐に放り込むと同時に、土御門は木原統一の下へ飛び込んだ。紅蓮の炎を操る魔術師相手に、弾切れの銃を向けている猶予は無い。

 

(コイツは格闘戦は不得手のはずだ。詠唱も、魔力を練る隙も与えずに仕留める……ッ!)

 

 拳は握らずに、右手を木原統一の顔面に突き出す。当たれば目を潰し、外れれば頭を掴んで首を折りにいく一手。土御門の用いる格闘術『死突殺断』は、あらゆる格闘技から反則技を集め、人体の急所を突くことに全力を注いだ決殺戦術。あらゆる動作、あらゆる状況から最短で相手を絶命させるための道のりを正確に叩き出す。

 

 土御門の右手に対し、木原統一は首を振ってそれを回避した。そしてそのまま首を抱え込もうとした土御門の耳に、はっきりとその言葉は聞こえてきた。

 

「距離を詰めての短期決戦。そうそう、土御門元春ならこうするんだよな?」

 

「……っ!?」

 

 ガコン! という鈍い音が鳴り響き、土御門の目の前が真っ白になった。飛び込んだ土御門の顔面に、木原統一が頭突きをかましたのだ。ぐらつく意識をどうにか建て直し、そのままもう一度土御門は右手を振りかぶった。

 

「右手はフェイク。本命は足を踏み潰す作戦。土御門ならこうするはずだ」

 

 土御門の足が、何もない畳の床を踏み潰す。木原統一は足下を見る事も無く、土御門の奇襲を見抜いていた。思わず舌うちをしながら、土御門は左手にナイフを取り出し大振りで斬りつける。

 

「ナイフによる一撃……そのまま腕を折り畳んでの肘打ちかな」

 

 頭を仰け反らせ、切っ先を避けた木原統一の顔面に、一歩踏み込んだ土御門の渾身の肘打ちが叩き込まれる。だがその腕には、標的の頭蓋を打ち砕いた感触が返ってこなかった。

 

「相手の力の流れを読んで、受け止めるのではなく受け流す。こうするんだよね、木原数多(父さん)?」

 

 自分の顔にカーテンをかけるかのような動作で、木原統一はこの攻撃を受け流した。そしてそれは回避だけにとどまらず、受け流された左手のナイフがそのまま土御門の右肩に突き刺さる。

 

「ぐっ!?」

 

 傷は浅かったが、流石にこのダメージは無視できなかった。痛みに顔を歪ませながら、土御門は木原統一から逃れるように後ずさる。

 

「いいのかい? 魔術を警戒しての特攻だと記憶しているが」

 

 そんな言葉を無視して、土御門は迷わず背中を向ける。そしてそのまま、闇に紛れるように部屋から走り去っていった。

 

「……なるほど。姿を隠しての遊撃に切り替えたか。流石は土御門だ、判断が早い」

 

 その表情に、殺し合いをしているという雰囲気は微塵もない。まるでお化け屋敷を楽しむ子供のように、木原統一はゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……クソが、何がどうなってやがる……?)

 

 いくつか角を曲がり、何本目かの廊下の角で土御門は停止した。柱にもたれかかり来た道の気配を探るが、追っ手の姿は見えない。

 

(技量が俺を上回っているわけではない……ただ、俺の攻撃が読まれ、最小限の動きで返される……畜生、奴は本当に木原統一なのか? 俺が知っている奴とはまったくの別人だぞ)

 

 否、ただ読まれるというだけのレベルではない。こちらの動きを正確に予測されているのだ。初めて見せるはずの格闘術相手に、予め知っていてもここまで対応は絶対に不可能。それを格闘において素人だと思っていた相手にやられてしまうのは、まさに悪夢としか言いようがない。

 

(心を読む……いや、それだけでは無理だ。あの動きは……)

 

 嘆く暇はない。土御門は冷静に先ほどの戦闘を思い返す。木原統一の一挙手一投足を繰り返し再生する事で、状況を打破するための情報を掬い上げていく。

 

(……あの頭突き。アレはただの頭突きじゃなく……俺の技によく似ていた。木原統一の得意技は模倣……ッ!? まさか、アイツのやっている事は───)

 

「思考の模倣……と言っても、これ自体が借り物の方法論なんだけどね」

 

 暗闇から声が聞こえてきた。

 

「インスピレーションを補うための手法、エンジンで言う所のスターターの役割を果たす技術。尤も、オリジナルの彼女の場合はここに凶悪な『科学』が加わるけど。僕に出来るのは思考のトレース、そして身体の使い方の模倣までだ」

 

 姿は見えない。長い廊下を照らすには周囲の光量が少な過ぎるのだ。だがこちらから見えないという事は、向こうからも自分の姿は見えないはず。標的が炎を出せば、それが目印となって銃撃が可能となる。既に再装填(リロード)の済んだ銃を暗闇に向け、土御門は襲撃に備えた。

 

「いずれにせよ、『もう一人の僕』が使う『模倣魔術』とは別系統、つまり正確には君の閃きは外れとも言える。コイツは僕たちが入れ替わる前に習得していたものだ。まぁ、本来の目的である『木原』の発現は出来なかったんだが」

 

「……もう一人? 入れ替わる、だと? つまりお前は───」

 

「ああ。君を翻弄していた『彼』とは別人だ。より正確に言うなら、7月20日以前に君と接していたのがこの『木原統一』という事になる」

 

 暗闇に火が灯る。それを見た瞬間に、土御門は銃撃を開始した。乾いた破裂音を数回炸裂させた後に、土御門はその火が魔術によるものではない事に気づいた。

 

「冷静になれよ土御門。こんな子供騙しを魔術と勘違いするなんて、お前らしくもない」

 

 土御門の視界の先に、木原統一の姿は無かった。床に転がっているのは、今にも燃え尽きてしまいそうなマッチの残骸のみ。土御門が錯覚したのは、柱の影から投げ込まれたそれが要因だったのだ。

 

 居場所を把握された。その事実に臆することなく、土御門は言葉を続けた。

 

「……別人、つまりお前は多重人格だとでも言うのか?」

 

「俗に言う解離性同一障害とは違うけどね。分裂ではなく後付された人格だけど、概ねその解釈で間違いない。そして……今回の悲しい行き違いの原因の一つでもある」

 

 今にも笑い出しそうな口調は、説得力を付加する気はさらさらないと、暗に土御門に告げていた。

 

御使堕し(エンゼルフォール)はその副作用で、『見た目』と『中身』を入れ替える術式だ。例外はなく、魔術を逃れた君や神裂でさえこの効果から完全には逃れられない。君が例外だと勘違いした『木原統一』も、実はきちんと見た目が入れ替わっていたんだよ……この僕とね」

 

「信じると思うのか、そんな戯言を……!」

 

「信じろとは言わない。だけど僕が言わなければ、この件を説明できる人間は殆どいないからな。ここである程度ネタばらしをしておかないと、ここを覗いているイギリスの誰かさんは満足しないだろうし。騎士団長以上の難題をぶつけられるのは避けたいんだよ、こっちも」

 

 そう言って、やれやれと木原統一は首を振った。銃を向けられながら世間話をするように。そしてそれを楽しむように。

 

「逆に、『彼』が周囲を間違いなく認識してしまう現象は……まぁ、それは彼の特異性に関わる事だ。例の予言にも関わってくる。その辺の説明は本人にでも尋ねてくれ。まぁ、その時にまだ生きていればの話だがね」

 

 ひたり、ひたりと。木原統一はゆっくりと近づいてくる。その輪郭を土御門がぼんやりと捉えた瞬間に、それを察知したかのように木原統一も足を止めた。

 

「さて、終わりにしようか。僕としてはこのじゃれ合いはまだまだ続けたいんだけどね。このままでは土御門、君が持たないだろう」

 

「……余裕のつもりか? ここまでご丁寧に手の内を晒しておいて、まだ楽に俺を殺せると。本気で思っているのか?」

 

「思ってないよ。ただ終わらせると言ったんだ。消耗戦を仕掛ける気はないから、そこは安心していい」

 

「……ふざけやがって!!」

 

 土御門は激高とともに、再び銃撃を炸裂させる。一度ではなく複数。僅かに見える輪郭に向けて、土御門は銃弾を連続で撃ち込み続ける。

 

(思考を模倣する……もし奴の言う事が本当なら、ランダムな銃撃であれば回避する事はできないはず……ッ!!)

 

 撃ち尽くしたところで、土御門は予備の弾倉を瞬時に取り出した。部屋での一戦ではこの隙すらも出し惜しんだが今は違う。この距離であれば魔術が来ても対処が可能なのだ。

 

「やはり用意していたか。装填数の足りない粉砕式弾頭には必須だからな」

 

 たった今銃撃されている相手に、気さくに話しかけられるという異常事態。それを完全に無視し、土御門は引き金を引き続ける。だが───

 

「何の対策も無しに、僕がここに姿を晒すわけがないだろう?」

 

 ゆらりゆらりと身体を揺らしながら、その闇は徐々に近づいて来る。妙な艶かしさを内包した動きで、彼は射線上から逃れ続けているのだ。

 

「くっ……馬鹿な、何故当たらない……ッ!?」

 

「模倣先を切り替えただけさ。本人ですら自覚していないパターンを読むのなら、円周ちゃんでは不適当だからね」

 

 やがて、銃撃が止んだ。二度目の装填が間に合う間合いではない。土御門が睨みつけた先には、殆ど無傷の木原統一がいる。

 

「肩に1発当たってしまったか。通路が狭かったから……と言うのは言い訳かな。『先輩』なら全部避けるんだろうし。肉体再生のバックアップもなく、涼しげな顔してやるんだからなあの人は」

 

 当たった、とは言うが既にその傷跡は無い。既に彼の能力で再生済みである事は明白だった。

 

「ランダム……言葉にするのは簡単だが、人類がそれを真に獲得するには相当の苦労があったそうだ。意識を外した程度では、心は消えないよ」

 

「……一発、か。なるほどな、ようやく見えてきたぞ」

 

「おや、そうかな? こちらはまだ( 、 、)何も見せてはいないんだけど……ッ!?」

 

 次の土御門の一手で、木原統一の顔色が初めて変わった。銃弾を撃ち尽くした銃を、土御門は木原統一の顔にめがけて投げつけたのだ。焦りの表情を見せながら、木原統一はそれを叩き落とす。手に鈍い痛みを覚えながら、黒色の金属の塊を退けた先に。土御門元春が一瞬で距離を詰めてきていた。

 

「このパターンは読めたか?」

 

 どっしりと腰を落とし、土御門は全体重を乗せた拳を突き出した。空手の正拳、それもどこまでも教本通りの一撃は、腕を交差させて防御を図った木原統一をそのまま突き飛ばす。

 

「なるほど。『土御門』ではない教科書通りの動きで来たか。だが、その程度の対応策では───」

 

 木原統一の言葉を待たず、土御門は身軽なフットワークで距離を詰める。

 

「冗談みたいな話だが、本当にお前は俺の思考をトレースしているらしい。だがそれなら俺は、俺自身の裏をかくように動けばいいだけの話……自己分析はスパイの基本だ。そこに大量の格闘技の教科書群を放り込む事で、そのパターンは数十倍に跳ね上がる」

 

「反撃を許さないための連続攻撃、土御門ならそうする。それがわかっているなら、ただ拳を合わせればいいだけの話……だよね木原数多(父さん)

 

 飛んでくるであろう拳の軌道の計算を終える。視界に映し出されるのはボクシングのジャブの連打。それら全てにカウンターを合わせるべく、木原統一が身構えた瞬間───

 

「遅い。既に俺が掌握されていない事に何故気づかない?」

 

 土御門の姿が消える。沈み込むように姿勢を低くし、木原統一の足元まで彼は潜り込んだ。だが木原統一は瞬時に土御門を捉え直し、右拳を彼めがけて振り下ろす。

 

「いいや、その軌道も計算済みだよ」

 

 だが木原統一の拳は空を切った。彼の拳が伸び切ったのにも関わらず、土御門には届かなかったのだ。

 

「そこで計算を止めたのは失敗だったな」

 

 木原統一の右足に、側面から鋭い一撃が叩き込まれた。土御門は木原統一の拳が届かない距離から足払いを仕掛けていたのだ。木原統一がバランスを崩し姿勢が低くなった彼の顔面に、土御門は膝を叩き付ける。

 

「ネタは割れてるんだよ、クソ野郎」

 

 ドゴン、という鈍い音が鳴り響き、木原統一は弾かれたように仰け反った。

 

「人の思考を読む技術……やり方は様々だが、人心掌握において共通する種は思考の誘導だ。恐怖や怒りによって選択肢を狭める方式。お前は演出によって俺の思考を操り、あたかも自身が絶対であると錯覚させた。魔術をチラつかせ選択肢を狭めることで、自らの優位性を保とうとしていたんだ」

 

 今度こそ、『死突殺断』による一撃が木原統一を捉える。喉笛をすり潰すように、土御門は木原統一の首を掴んで壁に叩きつけた。

 

「お前を仕留めるために必要な事は、最短で殺す努力ではなく選択肢を広げる努力だった。そこに気づいた時点で、俺はお前と同じ土俵に上がっていたんだよ」

 

「……い、つ……気づい……た?」

 

「マッチの炎。魔術が俺の思考を読むカードである以上、本当に炎を出すわけにはいかなかった。混乱する俺を落ち着かせるための手段だったんだろうが、アレは流石に演出が過ぎたな」

 

 土御門のその言葉に、木原統一は薄ら笑いを浮かべた。だがそれはこれまでの相手を見下したようなものではなく、明らかに諦めの色が含まれていた。

 

「……流石だ土御門。ここまで追い詰められてまだ冷静な思考を保てるとはね」

 

 木原統一を壁に押し付けたまま、土御門はナイフを取り出す。それをそのまま、木原統一の首筋に振り下ろした。

 

「終わりだ、木原統一」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、残念だけど終わりだよ。土御門」

 

 ガギン、という鈍い感触が土御門の腕に返ってくる。変化は一つ。気がつけば、木原統一はナイフの切っ先に手を添えていた。一瞬その行動の意味がわからなかった土御門だったが、そのナイフの感覚と、咄嗟にイギリスでの一幕を思い出し彼は戦慄した。

 

(まさかコレは、騎士団長の時の……ッ!?)

 

「出来ればこんな力には頼りたくなかったんだけどね。悔しいけど、以前の『木原統一』では土御門元春には勝てなかった」

 

 ナイフは動かない。ぴったりと宙に固定されたように、どう力を加えてもピクリともしなかった。

 

「方式は違えども理論は同じ……科学ではない事は『諦める』しかないよね、母さん?」

 

 言葉では形容し難い何かが、木原統一に纏わりつく。肌を刺すような気配が、彼らのいる『わだつみ』の廊下に充満していく。

 

(コレが騎士団長の剣を受け止めたのと同じ現象なら……あのふざけた腕力を押さえつける怪物相手に、この距離はまずい……ッ!)

 

 ナイフを手放し木原統一の拘束を解いた上で、土御門は急いで距離を取る。

 

 そして、次の脅威が訪れた。

 

「脳波変調、神裂火織参照」

 

 木原統一の姿がぶれる。その直後に、土御門の肉体はくの字に折れ曲がっていた。

 

「ご、がっ!!!?」

 

 一瞬の静止の後、恐るべき速度で土御門元春は弾け飛ぶ。大量のふすまを突き破り、いくつかの部屋を素通りし、その終端たる部屋の柱にその身を打ちつけた。

 

「げほっ、ごぼっ……ッ!!」

 

 自らの体内がどうなってしまったのか。それを考えたくなくなるほどに、口から大量の血液が流れ出す。あまりの衝撃に、自分が今どんな体勢をとっているかもわからない。

 

「……気にする事はない、君は間違いなく『僕』に勝った。少なくとも入れ替わる前の僕にね。君の精神力の強さを完全に読み違えていたよ。義妹への愛を語るクラスメートからは想像も出来なかった。お陰で僕は、魔術なんていうふざけた代物を使うハメになったんだからね」

 

 どうやら自分は柱を背にして座り込んでしまっているらしい事を、土御門はこの時点でようやく知ることが出来た。浅く息を繰り返しながら、土御門は必死に声の方へと視線を向ける。

 

「何が起きたかわからないという顔をしているが、既に君は答えの一端を手にしているよ。人工的な『聖人』の昇華は、君の上司が懸念していた事だったか。推測としては間違いだったが、理論としては可能な方式。予言が成立した今、現時点で条件は十分に満たしている」

 

 ぴちゃり、と水溜りを歩くような音をさせながら、闇の中からソレは近づいて来る。

 

「この身体が『天使の力』を受容出来る器だと世界に認識させれば、後はどのポートからアクセスするかを選ぶだけだ。『もう一人の僕』は『魔女狩りの王』を変質させる事でカーテナ=セカンドと接続していただろう? 原理としてはアレと一緒だよ。まぁ彼とは違って、僕は自身の受信能力も変質させる事ができるけど」

 

 そして木原統一は再び姿を現した。まるでバケツを頭の上でひっくり返したかのように、その全身は自身の血液で真っ赤に染まっている。

 

「……ただ、通常の『聖人』と違ってこの身体は生身のままだ。瞬間的とは言え全身に『天使の力』を宿した代償は安くはなかったな。再生する間もなく爆散していた可能性もある。やはり傷を負わずにこの力を運用するとしたら、精々右手一本が限界か」

 

「世界……認識? 一体、何を言って……?」

 

「ああ、この表現では伝わらないか。位相……科学側の言葉で表現するなら、『十字教徒の共有現実(コモンリアリティー)』とでも言うべきかな。砂糖と砂糖水くらいの違いはあるけど、まぁそう大して変わりはしないだろう」

 

 そうして、血塗れの狂人は土御門の下へと辿り着いた。血塗れと言っても今の木原統一には傷一つ無く、対する土御門はもはや腕を上げる事も叶わない状態である。

 

「……君が諦めを知らない性格なのは今さっき確認したばかりだけども。流石にこれは無茶だと思うよ?」

 

 そんな事を呟きながら、木原統一は土御門の右肩を踏み付けた。傷に響いたのか絶叫を上げる土御門の手元には、一枚の折り紙が握られている。

 

「起死回生の一手、というところかな。まぁその状態で魔術を使えば間違いなく絶命すると思うけどね」

 

(畜、生……ここまで……か)

 

 光は途絶えた。もはや土御門にはこの状況を打破する手段が無い。ただ相手を見据える事しかできない彼に、木原統一は右手を伸ばしてくる。自分が如何なる最期を遂げるのかは不明だが、その死に抗う術がない事を彼は悟っていた。

 

(これで木原統一の目的は達成される……なら、天使による災厄はおそらく無い……なら。アイツは……)

 

 ふと目を閉じると、浮かんでくるのは家族である土御門舞夏の笑顔だった。自分に万が一のことがあったとしても、なに不自由なく暮らしていけるよう根回しはしてある。絶対とは言わないが、少なくとも学園都市の闇とは一切無縁な生活を送れるはずだ。

 

 木原統一の目的はわからない。それでも、彼女の幸せな日常は守れるはずだと。そう言い聞かせながら、土御門の思考は闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「違う、間違っているよ土御門。土御門舞夏には、君が望むような幸せは決して訪れない」

 

 その言葉を聞いて、意識を落としかけていた土御門の指先が動いた。

 

「君はもう知っているはずだ。土御門舞夏の幸せは土御門元春との平凡なる日常であると。だからこそ君は、自らの闇を隠しながらも彼女の側にいるんだろう? リスクを考えれば、彼女の側から離れるのが正解のはずなのに。偽装と言う大義名分を傘に着て、君は彼女の笑顔を見られる特等席に居座り続けている。君にとってあの場所は、もはや偽装ではないだろうに」

 

 ゆっくりと、土御門は瞼を開いた。眼前に映るのは血に塗れた男の顔。そしてその眼は真っ直ぐに土御門の目を射抜いている。

 

「何が、言いたい……?」

 

「……別に。ただ何となく、君の思い違いを正したくなっただけさ。君が木原統一の事を勘違いするのはいいが、土御門舞夏を誤解するのは流石に忍びない」

 

 そう呟く木原統一の表情は、土御門の目にはどこか寂しそうに映った。

 

「彼女には、君の想いはきちんと届いているよ。だから自惚れでもいい、彼女の愛を一心に受けている自覚は持ってあげて欲しい。これは愛に気づけなかった愚か者、その先達としての忠告だ」

 

 そんな言葉を聞いて、土御門の心から何かが消えたような気がした。怒り、悲しみ、焦り……土御門の心を縛り付けていたモノが氷解していく。殺意を向けるべき相手はもういない。恐怖を抱く敵はいない。目の前にいるのは、いつもの飄々とした友人の姿。

 

 気がつくと、そっと伸ばされた手は土御門の懐に入り込んでいた。やがて目当ての物を見つけた彼は、それを手の中で転がしながら注意深く観察し始める。

 

「……これか。なんだか思っていたよりも小さいな。フィルムケースよりは大きいようだが……こんな物を組み合わせて数キロ離れた目標を正確に爆撃出来るとは。目的までの工程が意味不明すぎる。魔術ってやつはこれだから気に入らない」

 

 取り出したのは四つの入れ物だった。それぞれ動物を模した折り紙の入った、傍目から見て子供の玩具のような物。

 

「さて、見た事もない魔術の再現……『もう一人の僕』ならまだしも、僕にできるかどうかは微妙だな。あー、嫌だ嫌だ。こんな理論の理の字もわからない方式を何度も使わなきゃならないなんて。世界滅亡の危機でもなけりゃ、完全に『諦め』てるとこだよまったく」

 

 土御門には、木原統一が何を嘆いているかがわからなかった。木原統一の言う『勘違い』についても同様に。ただ理解しているのは、木原統一が自分を殺す気がまるでないらしい事。そして彼が再現しようとしている魔術の内容くらいである。

 

「えーと、場ヲ区切ル事(それではみなさん)紙ノ吹雪ヲ用イ(タネも仕掛けもない)現世ノ穢レヲ(クソったれな)祓エ清メ禊ヲ(マジックショーを)通シ場ヲ制定(ご堪能あれ)……だったかな」

 

 その言葉に呼応するように、木原統一の手元の入れ物が怪しく光る。だが木原統一が一息ついた途端、バチリ! というブレーカーを落としたような音と共に、その光は消えてしまった。

 

「ダメか……効果は絶大なのにコントロールは繊細なんだなこの術式。コレって本当は発動に2~30分はかけるもんじゃないのか? もっと豪華な霊装で補正もかけてさ。それをこんな適当な物で組み上げるあたり、やっぱ土御門(お前)は凄いやつだよ」

 

 土御門は妙な気分だった。たしかに赤ノ式は高度な術式だが、普段から法王級の魔術を連発、改良していく魔術師にとってはそこまでの物とも思えない。いつもの神憑り的な魔術の冴えは見る影もなく、魔力生成と運用は稚拙と言う他ない有様だった。

 

(……どういう事だ。まさか、本当に別人だとでも言うのか?)

 

「しょうがない、ここはゴリ押しでいくか……インデックスちゃん、聞こえるかー?」

 

『きはら!? もう、遅いんだよ! 今かおりが大変で───』

 

 通信術式。英国ウィンザー城でエリザードが用いていた単純な方式すらも慎重に組み上げて、木原統一は連絡を取っていた。

 

「あー、そうだろうな。たとえ聖人だろうと『神の力(ガブリエル)』は相手が悪い」

 

『違うんだよ! かおりが天使を圧倒しすぎてて、このままだと天使の方が爆散しちゃうかも』

 

「…………え?」

 

 静寂。何度かインデックスの言葉を反芻し、首を傾げた木原統一は冷や汗を流しながらこう尋ねた。

 

「ま、まってインデックスちゃん? ちょーっと予想していた戦況と違うんだけど? 具体的には180°くらい」

 

『しょうがないんだよ! 『一掃(墜落の火)』の発動を阻止するためには、かおりは絶対に手を抜けない。でも、だからと言って力加減を強め過ぎちゃうと、天使自身が持たないんだよ!!』

 

「いや、手を抜く必要は無いんじゃないかそれ……実はこの大規模術式の儀式場を破壊してもらうために、インデックスちゃんに手伝ってもらおうと思ってたんだけどさ。天使が消えてくれるならどうでもいいというかなんと言うか。魔術使わなくて済むし、そのまま刀のサビコースでやってくれちゃっても───」

 

『そんな事したらこの辺り一面が焼け野原になっちゃう!! そんな事もわからないような魔術師に育てた覚えはないんだよ!』

 

 甲高いインデックスの声に、木原統一は肩をすくめながら目を閉じる。

 

「ああ、そうなの……んじゃやっぱり『諦める』としますか」

 

『何がやっぱりなの!? 諦めるってどういうこと!? そもそも、こんな大魔術の発動を私に教えずに、きはらは一体何処で何をしていたのかな!?』

 

「だーっ! もう、術式は破壊するからそれで文句は無いだろ!? こっちはこっちで忙しかったんだって!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ友人を、土御門はぼんやりと眺めていた。先ほどまで死闘を繰り広げ、そして命を奪われると確信していた相手が。自分をそっちのけで事態の収拾に動いているこの状況が信じられなかった。

 

(何かがおかしい。何だ……俺は一体何を履き違えた……?)

 

 殺気は消えた。いやそれだけではなく、自分を突き動かしていた感情が全て消え去ってしまっている。何が変わったわけではない。まるで騙し絵のように見方が変わり、その直後に元々見えていた景色がわからなくなるような。何故そんな見方をしていたのかすらもわからなくなっている感覚に、土御門はようやく気づいた。

 

(俺の行動に不審な点はなかった……はずだ。だが不自然にならない形で、俺は誘導されていた? アイツを疑うように?……いや、そんなはずは───)

 

『ここである程度ネタばらしをしておかないと、ここを覗いているイギリスの誰かさんは満足しないだろうし。騎士団長以上の難題をぶつけられるのは避けたいんだよ、こっちも』

 

 ふと、木原統一の先ほどの言葉が思い出された。何気なく聞き流した台詞ではあったが、今この状況を作り出した要因、その推測には十分な一言。

 

『盲目のまま前に進みて、崖から落ちぬようにね。土御門』

 

 思い浮かぶのは、言葉だけで各国の要人さえも再起不能にするアレの、悪魔のような声だった。

 

『迷うな』

 

(まさか……まさかあの時───ッ!?)

 

「それじゃ、頼んだよインデックスちゃん。砲身と照準はこっちでやるから……え? 具体的にどうするかって? そりゃもう、魔女狩りの王(イノケンティウス)をいつものようにがーッ! って」

 

『……なんかすっごい適当かも。まぁきはらなら大丈夫だとは思うけど……お願いなんだよ。かおりを助けてあげて』

 

「ああ、任せてくれ」

 

 そう言って、木原統一は通信術式を解いた。直後に部屋全体が青白く輝き出し、四方の壁に魔法陣が出現する。

 

「力を霧散させないための魔法陣……かな。よくわかんないけどサンキューなインデックスちゃん。でもゴメンね、魔女狩りの王(イノケンティウス)なんて僕は使えないんだ。まったく、あんなよく分からないモノをほいほい出す『もう一人の僕』の気が知れないよ……ッ!」

 

 そう言って、木原統一は崩れ落ちた。身体のあちこちから鮮血を噴出しながらも、なんとか体勢を立て直そうと床に拳を叩き付ける。

 

「……こりゃ、爆散するのが先になるか……? ホント、『天使の力』ってもんはとんでもない代物だな……ッ!?」

 

 ぐちゃり、という嫌な音がした。気がつけば木原統一の左腕が肘から弾け飛んでいる。常人では致命傷足りうるダメージだが、肉体再生(オートリバース)を持つ木原統一にはその常識は通用しない。能力を集中する事により、失われた四肢すらも再生出来ることは既に証明済み……のはずだった。

 

「お前……」

 

「うん? どうした、土御門?」

 

「何故……何故肉体再生(オートリバース)を使わない!?」

 

 傷が、再生していなかった。腕は元より、裂けた皮膚は治るどころか更に広がっていく。そんな自身の状態を無視して、木原統一は立ち上がり天を仰いだ。

 

「残念だけど、今はそんな事に割く様な演算領域(余 裕)は残ってないよ。『もう一人の僕』と違って、今の( 、 、)僕は自身の能力を完全マニュアルで操作していてね。能力(発信)魔術(受信)を使い分けるためには、更にその二つを仕切るための思考が必要になる。生憎と、僕はそこまで器用じゃないんだ」

 

 やがて青の属性色と混ざり合うかのように、赤色の閃光の柱が四方に(そび)え立つ。それぞれの柱中心には、紅蓮に輝く神鳥が翼を畳み佇んでいた。

 

「この術式も妥協策だ。お前みたいに、四神をきちんと操って力の方向性を定めるのは無理そうだし『諦めた』。炎……つまりは赤ノ式の火力担当である朱雀にだけ目標を絞って、インデックスちゃんには魔術の核である弾丸(テレズマ)を用意してもらって……ここまでして貰って初めて、僕にはこの魔術を起動できる。まぁ、破壊力だけなら原典を越えていると思うけど、砲身(からだ)にかかる負荷は見ての通り」

 

 あまりにも散々な状態だった。もはや人の形を保っているのが奇跡のような。人と言う器に、これほどの血液が詰まっている事が信じられないと思わせるような、そんな光景だ。

 

「やれやれ。このよくわからない物を扱うのは、金輪際コレっきりにして欲しいね。まぁ死んでしまえば、その悩みともおさらば出来るのかな」

 

「待、て……ッ!」

 

「待たないよ。残念だけどお別れさ」

 

 紅蓮の炎が木原統一を包み込む。その身体を炎が焼く事はなかったものの、所々に走る亀裂は更に勢いを増した。

 

「僕が死んだら、父さんを頼む。あと、散々痛い目に遭わせてゴメンな土御門。こんな形でも、久しぶりに君と話せたのは嬉しかったよ。友達と殴りあうなんていう人生のトロフィーも埋まった事だし、実に有意義な時間だった」

 

 眩い閃光が部屋を満たす。その時土御門が目撃したのは、寂しそうに笑う友人の姿。そのまま彼はそっと目を閉じ、全てを終わらせる一言を口にする。

 

「『不死鳥』よ、紅蓮の炎より蘇れ」

 

 瞬間。爆炎の閃光が、『わだつみ』から漆黒の夜空へと放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして、静寂が訪れた。

 

「……木原っち?」

 

 小さく、土御門はその名を口にした。随分と久しぶりに出たその単語だったが、返事はなかった。

 

 目の前にあるのはただの死体。木原統一だったモノだ。莫大な『天使の力』によって、彼の身体は下半身が全て弾け飛んでしまっていた。左腕もなく、唯一無事な右手を前に投げ出しながら、それはうつ伏せで横たわっている。

 

 気がつけば、窓の外からは優しい日没の明かりが差し込んでいる。天使の降臨と共に差し替えられた夜空が消え、元の景色が帰ってきていた。

 

 終わった。何もかも終わってしまったと、土御門が錯覚しかけた時に、それは起こった。

 

 死体の右腕がピクリと動いたのだ。死後に起きる自然現象かと思ったがそうではない。ゆっくりと、落としたメガネを探すような手つきで動くソレは、土御門の足首を弱弱しく掴んだのだ。そして指先で、緩慢だがゆっくりと何かを描き出した。炎と始まりを示すルーン文字。日本語でいう所の「く」の字を指し示すそれは、ステイルの扱う攻性魔術によく用いられるモノだ。

 

 だが、土御門は動かなかった。これはそんなつまらないものではないと、何故か今の土御門は確信していた。

 

 そして、先に描いた「く」の字を反転させたモノを、木原統一は重ねて描いた。豊穣(ing)を示すルーン。豊かな実りと活力の象徴たるソレが描かれた直後。土御門の四方を囲むように魔法陣が出現する。あらかじめ旅館に仕掛けられた魔術が、そのルーンを目印に発動した証だった。

 

 一つ一つでは効果が薄い。だが、複数の魔法陣がその動きに呼応し、その効果を増大させていく。傷を癒し出血を止める、聖剣伝説における『失われた鞘』の術式。身体を覆う光は、暖かな陽射しのなかにいるかのような錯覚を与え、そして土御門元春の傷を癒していく。

 

 言葉は出なかった。

 何故、という疑問も抱かなかった。

 

 やがて夕日が沈み、それと同時に木原統一の右手から力が抜け、ポトリと床に崩れ落ちる。まるでやるべき事はやったとでも言うように。表情も見えず、ピクリとも動かない死体であるにも関わらず、どこか満足げな雰囲気を土御門は感じ取っていた。

 

 ……もしも。本当に木原統一が『二人』いるのだとしたら。人格レベルで別人が存在するとして、今の治癒魔術は一体どちらの木原統一なのか。その答えに至った途端に、土御門は拳が割れるかと思うほど強く握り締めた。

 

 指先一つで、ここまでの魔術を発動する技量。それが答えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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