森の中に張られた結界、その中には人口が100にも満たない小さな村がある。
農地もそこそこあり、水源も近くにあると立地に関して言えば恵まれているのだろう。
だがそれが豊かさに繋がるとは言えず、この世界特有の問題に加えた様々な事情によって裕福とは言えない。
数年続く厳冬による農作物の収穫の悪化、周辺に出没するようになった魔獣達、何よりいつ終わるとも知れない戦によって村には暗い影が付き纏い続けて来た。
それでも今日、村の豪族である
「
「有難きお言葉です」
男の傍らには山と積まれた魔獣の肉があり、それらは村人全員の腹を満たすには十分すぎる肉の量であった。
それらを入手した一団を率いる男に村人達は感嘆の声を上げる。
「魔獣の肉は分配を行うがそれは
「分かりました」
一団の最年長であった林は各村の村長を集め屋敷を離れる。
それとは別に当主である
だがそれを気に掛ける村人達は一人もいなかった、誰もが魔獣の肉の分配の方が大事であったからだ。
そして屋敷の奥まった場所、人払いの済んだ部屋で三人は顔を突き合わせる。
その表情は庭での論功行賞とは打って変わり重苦しい静寂が支配していた。
だがその静寂を最初に破ったのは当主である慶克であった。
「利長、今年の冬も厳しいがこれで何とかなるか……」
「大丈夫でしょう、問題は海牛を仕留めたのが我らではないと言う事ですが」
「その辺りは口止めをしているな」
「はい、念入りに」
当主の言葉に利長は嘘偽りも無く答える。
その言葉に一応の納得をした慶克は覚悟を決め目下最大の問題、海牛とは別に現れた新たな魔獣についての話し合う。
「さてお前達が見たという魔獣、どんなものだ」
「遠目で見た限りですが海辺に集っていた海牛共を一方的に仕留める程の強さ、見た限りでは余力を残した状態で。奴の強さは正確に測れていません」
「海牛共をアレだけ仕留めてまだ余力があるのか……。歳通、お前はどう見た」
慶克は利長の強さには信を置いている、だが純粋な武とはまた別の霊術を行使できる三男、歳通の意見も聞く必要があった。
「魔獣以上、そして妖に近いモノと考えます」
故にその答えを聞いた慶克は頭を抱えてしまいたかった。
だが当主である自分がその様な情けない事をするわけにはいかない。
ならば利長のせいかと言われればそれも違う。
どうであれ現状において利長が行ったのが最善策であるのは間違いなく、自分が代わりに其処に居ても同じような判断を下しただろう。
ならば今後考えるべきなのは新たな魔獣に関してだ。
「村には知らせずにいるべきか「恐れながら申し上げます!」」
だが現状は想定よりも早く進んでしまっていた。
火急の知らせ以外で入ることが許されない部屋に入って来たのは屋敷の伝令兵、魔獣の肉を運んできた一団にもいた男は顔を蒼白に染めて凶事を運んできた。
「失礼します!急ぎ伝えなければいけない事が」
「何事か!」
「結界超えて侵入してきたモノが現れました!」
その一言で三人の背筋には冷たい物が差し込まれた。
行くらなんでも早すぎる、それ以前に結界を超えてきたと言っていなかったか!?
「馬鹿な、魔獣除けの結界は働いていないのか!」
「確かに結界を張っています!しかし、それを超えて来た何かがいます!」
伝令の表情からは嘘偽りは全く感じられない、それ以前に真面目且つ実直に職務を熟す者にしか伝令兵は務まらない。
ならば今までの一言一句が事実なのは疑いようも無かった。
「……利長よ、兵を集めよ。歳通、貴様も参加せよ」
「「はッ」」
此処に至っては疑問も何もない、可能な限りの手を打たねば最悪村が滅ぼされてしまう。
それだけの力を持った魔獣が結界を超えて村に侵入してきたのだ。
◇
トンネルを抜けるとそこは雪国であった、という有名な一節があった気がする。
ソレに倣って膜を抜けた先には~、と少しばかり期待していたが相変わらずの森の中であった。
それでも少しばかり変化したことがあったとすれば、隠されていた獣道が見やすくなったことくらいか。
それでも内心では肉泥棒への警戒レベルは一段上昇した。
今迄の獣達の持つ特殊な力は相手に直接何かをぶつけてくるようなものが大半だった。
数少ない例外が蛇の隠密や、蜥蜴の光学迷彩じみた能力だ。
後は多彩な能力を持っていた即身仏か、とにかく肉泥棒の猿は巣を巧妙に隠す能力を持つ特殊個体がいると考えたほうがいいだろう。
そうであれば特殊個体の暗殺はチビに任せ、自分は別行動で群れの注意を引くために暴れる必要がある。
武装は残りわずかだが、それでも地形操作の応用で即席の武器を創り出せば群れの相手はどうにかなる。
まあ、それも相手の出方によって決めるべきだろう。
そう楽観した考えで森の中を歩いていると遠くから何かの音が聞こえて来た。
一定のリズムで森に響く音、まるで金属同士をぶつけたような音は森の喧騒を掻き消すように響いて来る。
どう考えても何かを知らせる符号の様なものであり、現状から考えれば侵入したのが相手に気付かれたのだろう
──はて、島の猿にこの様な知恵は無かったが、此処の猿にはあるのか?
もしそうであれば一度撤退をして武装を整えてから再度殴り込むべきだろう。
何より此処で逃げて猿共が自分達の方が強いと考えれば舐められる、そうなれば猿の縄張りの範囲が分からない以上今後も食料を持ち逃げされるのは確実だ。
そうなるのは我慢ならないし、分からせるためにも群れを最低でも半壊させておきたい。
森を歩く道すがらに礫を集め貯めると同時に地面の土を操作して即席の大剣を幾つか作る。
一連の作業を見たチビも背中から降りて周囲の警戒を強めながら横を歩く。
そうして森の中を歩き続けると視界が開け──そして目に飛び込んできたのは白い雪が僅かに残った農地の様なものだ。
「グル?」
森の切り開いたかのような不自然に広がる土地、草も無く、小石が疎らにあるのはどう考えても自然に出来たものではなかった。
「くる?」
チビも目の前に広がる地面に違和感を覚えたのか匂いを嗅ぎ、試しにと地面を掘り始めた。
すると掘り始めた穴はどんどん深くチビの全身がすっぽり収まる所までいき、そこで満足したのかチビが穴から這い出してきた。
出来上がった穴を観察してみるが耕しているのは表面から30cmもないだろう、その下の土は固く耕されてはいない。
土塗れのチビが身体を震わせて汚れを落としているなか、目の前にある農地だけでなく周りに視線を向ければ似たような土地がかなりの範囲で広がっている。
だが全ての土地が整備されている訳でなく、幾つかは荒れ果てている所もある。
そして農地の近くには木造の家屋が点在し、特に目を引くのが土地の奥まったところにある屋敷のようなもの──其処から何かが飛んできた。
小さく速いソレが目指す先にいるのは自分であった。
飛翔速度からしてもう少しで首辺りに突き刺さるであろう、だが視認できる程度の速度であるので即席で作った大剣を盾のよう構えて防御する。
硬質な物同士が衝突した甲高い音が鳴る、飛んで来たモノは大剣を少しだけ削るだけで勢いを失くしたのか地面に落ちる。
音に驚いて背中に登って来たチビを感じながら、落ちた物を観察してみる──だが何処をどう見ても見間違い無く矢であった。
そして矢を撃ち込んできた屋敷、それと農地にある家屋から動きがあった。
屋敷からは槍の様な物を持った奴等がぞろぞろ出てくるし、農地の近くにある家屋からも手に鍬や鎌といった農具を持ちながら続々と出てくる。
その目は血走っており、遠くからでも必死であることが伺える──それ以前に向かってくる姿をよくよくみれば猿等ではなくどう見ても人間であった、見間違いでも何でもなく。
まさかトドの次に会うのが猿ではなく人間とは──しかもなんか血走った目で見てくるし、身の危険をヒシヒシと感じざるえないし、マジでどうしよう?