けれど伝説環境じゃ火力が足りない。
……どうしたものか。
辺りを漂う、森林の香り。
木々一つ一つから感じられる、妖艶な雰囲気が穢れた心を少しばかり浄化してくれるような気がする。
ルミナスメイズの森。アラベスクタウン近くにある、一度入れば二度と戻れないと変な噂の立っている森だ。所詮そんな物は、子供を躾けるための騙し文句に過ぎない。
草木に囲まれて、スミレは幹に背中を預けて座り込んでいた。
ここは陽の光も差し込まぬくらいに木の葉が生い茂っているためか、目の感覚が狂う。それが何故だか心地がいい。例えるなら、ふかふかのベッドで、眠る寸前まで陥ってる気分。
虚ろな目で、スミレは延々と続いているような森を眺めていた。吸い込まれてしまいそうで、度々視線をずらした。
「クルル……」
オンバーンは、何処で遊ぶわけでも、獲物を狩るわけでもなく、ただひたすら、じっと彼女を見守っていた。
一緒に出していたオノノクスは、呑気に昼寝を始めている。本当にポケモンという生物は、個体によって性格が様々だ。人間のようで、親近感さえ覚えてしまう。
気晴らしにオンバーンの顎下を、指で撫でてやる。ぐるぐる喉を鳴らして、気持ち良さそうに首を伸ばした。
「おや、誰かと思えば……一回戦で敗退されたスミレではないですか」
茂みの中から姿を現したのは、ピンクの衣装で着飾った白髪の青年。男にしては華奢な風貌に、キラキラした瞳が、女性を彷彿とさせている。
彼はビート。アラベスクタウンのジムリーダーで、フェアリータイプの使い手である。
「此処は私の特訓場です。用が無いのなら、少し離れてもらえますかね」
彼の口調は、いちいち鼻につく。はっきり言って、苦手なタイプだった。
「それとも……私と戦うのですか?」
「いいや。あなたには勝てっこないし」
「別にドラゴンタイプに拘ることありませんよ。あなたレベルにもなれば、色々なポケモンを持っているでしょう」
スミレは地面を殴りつけながら立ち上がり、ボールを構え、何も言わず距離を取る。
ビートはこちらを嘲笑的な目つきで見据えた。
「行きますよ、クチート」
「やろう、バクガメス」
ビートは、長い髪のような角の大顎が特徴のクチート。
対するスミレは、フェアリーを諸共しない堅い殻を持つバクガメスを繰り出している。
相手の選出を読んで、自分もそれを対策したポケモンを出す。上を目指すトレーナーにとっては、誰もが覚える戦術だ。
「っ……クチート、じゃれつく!」
「バクガメス、てっぺき」
クチートは高速で接近、バクガメスに素早い猛撃を叩き込むも、紅の殻で受け流され、目立ったダメージを与えられなかった。
「バクガメス、もう一度てっぺきよ」
「クチート、怯まず攻撃です!」
大きく開いた、大顎に似た角が叩き出す連撃が、バクガメスの甲殻を砕かんばかりの金属音を奏でた。
しかしバクガメスの甲殻は傷一つ付かず、当の本人もピンピンしていた。
「バクガメス、ボディプレス」
「なっ……」
首と脚を殻の中へ引っ込め、巨体が飛び上がった。回転しながら高速で落下し、クチートの小さな身体を限界まで踏み潰した。
次に離れる頃には、ヒビの入った地面に横たわる、クチートの姿がそこにあった。
「戻りなさい、クチート」
「大口叩く割にはこんな物なのね」
「なんですって……? もう一回言ってみなさい!」
スミレの言葉を火種に、喧嘩が巻き起こりそうになった瞬間、優しげな口調でそれは一気に鎮火された。
「はいはい、喧嘩はやめよう。ジムリーダー同士、仲良く高め合うのが理想だろう」
茂みの中から現れたのは、ヒイロだった。派手な衣装は身に纏わず、赤い襟詰めシャツにジーンズ、その上から深緑のコートを羽織った服装の。
「ヒイロですか……あなたまで」
「ビート、君は熱くなり過ぎる。ポプラさんに教わったんだろう?
「ふん……何だか、気分が冷めました。僕はジムに帰らせてもらいます」
ピンクの青年が、大股歩きで茂みの中へと消えていく。
バクガメスをボールに戻し、早々と立ち去ろうとした時、彼の声に呼び止められる。
「おーい、無視なんて酷いな」
できれば、あまり口を聞きたくない相手だった。しばらく、一ヶ月間くらいは。
オンバーンが彼に近づき、不思議そうに匂いを嗅いでいる。
「久しぶりだね。元気だったかい」
ヒイロの手が彼の額に触れた時、反射的に「やめて」と声が出た。それもかなり強めな口調の、だ。
「……何か、悪かった?」
スミレは歯を食いしばり、こう続ける。
「しばらく……私と口を聞かないで欲しい。見かけても、無視してくれればいいから」
ヒイロは、理解できていない様子だ。それでいて、悲しみの感情が全面に溢れ出ている。
やめてほしい。
悪い事をしているみたいだった。
「スミレちゃん、最近、疲れてるんだろう?」
「……え」
「ナックルジムの人から聞いた。仕事の時も、溜息をついたり、目が虚ろになったりしてる……ってさ」
自覚は無かった。いつも通りしているつもりだったが、周りからそう見えていたとは。わざわざそれを気にかけてくるなど、彼女からすれば、この男は何がしたいのか理解不能だった。
ヒイロは驚く程に優しく、胸に響く声音で続けた。
「休みなよ。きっと、何か悩みがあるんだ。詮索するつもりは無いから、ゆっくり自分と向き合った方がいい」
――何故だろうか。ここまで胸に染みて、涙が出そうになるのは。無意識のうちに、核心を突かれたのだろうか。理解できずとも、彼女の心境その言葉によってが大きく変化した。
「何か心休まる所へ出掛けるといいよ。ジムへの連絡は僕がしておいてあげるから」
肩を二回ほど叩き、一瞬微笑んで立ち去ろうとするヒイロ。
過ぎ去っていく彼の、服の裾を掴む。
――何をしているんだろう。
一瞬、理性で抑え込んでも、言葉は唇から外へ、容易に零れ落ちてしまった。
「あ……あなたと、一緒に行きたい」
緋色の瞳が丸くなって、すぐに細まり、彼の口角が上がった。
「僕でいいなら、一緒に行こう」
優しい笑みで答えてくれた。
高鳴る鼓動と、火照る頬への理解が追いつかないまま、休日、彼と出掛ける予定を背負ってしまったのだった。
◇
朝っぱらから、ナックルシティの駅に向かって小走りで駆ける。着慣れない黒のハイネックセーターに、ロングスカートの為か走りにくくて中々スピードが出ない。
ようやく駅に到着し、目立たないよう辺りを見渡す。普段は結んでいる髪を下ろしているから、首を振る度に鬱陶しく思えてきた。
「ここ、ここ」
小さく声を上げながら手を振るのは、ぶ厚めの緑色のコートで身を包んだヒイロの姿。サングラスの隙間から覗いた目がこちらを見据えたのが分かると、胸元がきゅっ、と締め付けられた。
「それじゃあ行こうか。世間話は、電車の中でゆっくりしよう」
ヒイロは緑のカードを駅員に見せる。
二人はしばらく待つとやってきた少し豪華な電車へと乗り込んだ。
「冠の雪原は初めて?」
「えぇ……どんな所かは知ってるけど」
冠の雪原は、ガラルにある険しい山脈に囲まれた寒さの厳しい土地だ。
雪が降り続けており、一面が白銀の世界。様々な珍しいポケモンの目撃情報もある、ポケモントレーナーなら誰もが足を踏み入れたがる場所だ。あまりの寒さに、皆断念していくが。
「髪を下ろしてきたんだね」
「バレにくいから……さ」
「似合ってるよ」
お世辞のように聞こえるが、嬉しさが勝ってしまう。彼の言葉には、魔法でも込められているのだろうか。
髪を指に巻き付け、くるくると弄る。意図的ではない、自然とやってしまった。
「スミレちゃんってさ、家ではいつも何してるの?」
振られた事が無い話題だ。普段人と会話しないからそうなのだろうが、どちらにせよ答えようがない。
「音楽聞いてる……かな」
「へぇ。どんなの聞く?」
「特に好みは無いから、流行りのもの」
「あはは……ジムリーダーはみんなネズの曲を聞くって思ってたけど、違ったか」
ネズの曲。一度聞いた事があるが、記憶にない。酷い歌では無かったはずだが、趣味には合わなかった。
そもそも、音楽を聞くという趣味自体、この場を乗り切るためにでっち上げた物に過ぎない。
「……綺麗だよ。見えてきた」
淡い吐息を吐くような声で囁いた彼。その視線の先に広がる景色は、一面の雪景色。白銀の羽衣で覆い尽くされた、過酷な極寒の大地ながら美しい大地。
僅かに見える影は、おそらくユキカブリやウリムーといった小さなポケモン達だろう。極寒の地には、そこならではのポケモンが数多く生息している。都会と違って、人工物が限りなく少ない、ポケモンだけの場所だった。
心が休まりそうだ、そう思えたのは、この景色を前にしているからか、それとも――彼と一緒にいるからか。