ゆっくり投稿していきます。
公爵令嬢クリスティアナ・ヴァルトーレは王太子ライセス・ベルリオンの婚約者だ。
婚約は彼女が七歳のときに決まり、以来クリスティアナは次期王妃として相応しくなるよう様々な教育を受けるコトになる。
……そこに少女らしい感情があったかと言えば、正直まあ、そうでもなく。
所詮は親同士が決めた政略結婚。
愛し合う誰かと熱い抱擁やら触れ合いやらを楽しむ――なんて夢のまた夢。
そもそも彼女自身がそういった感性とかけ離れていたのもあって、ふたりの間に恋愛感情は一切なかった。
だからといって
貴族の令嬢たちにとっては次期王妃など憧れのモノ。
願い、望み、羨む人間も、
妬み嫉みも相応に多かった。
価値があった。
彼女が手に入れた唯一無二の座は、それほどまでに大きな意味を孕んでいる。
彼女のモノになった瞬間からその事実は変わりない。
――――つまり、
「ふっっっっっっっっっっざけんじゃねえですわよあのクソ王子ィ!!!!」
その領域に土足で踏み入られたも同然な思いを味わったクリスティアナは、とんでもなく怒り狂っていた。
「おッ、お嬢様ッ!? 落ち着いてください!? 壁に穴が! ああ穴が!」
「知りませんわよ穴なんてェ! ぶち抜いて差し上げますわ! わたくしのこの手が熱く燃え滾っていますのォ!! どぉおうしてくれるんですか
「れ、冷静に! 冷静になってください! ほら、お嬢様の素敵で白く細い指から、血、血が出ております!! すぐに治療を!!」
「その前にわたくしの傷心を直してくれますぅ!? 心! 傷付いてるんですのよッ!?」
「無茶を言わないでくださいお嬢様! とりあえず傷の手当てを!」
「うんにゅぎあ――――――――――ッ!!!!」
「お嬢様ァ――――――ッ!! せめて! せめて人語を喋ってくださいィ!!」
専属侍女であるアジーの説得も振り切って放たれる拳。
名付けて「公爵令嬢怒りの鉄槌~殿下への罵倒を添えて~」は大理石で出来た女神の彫刻へと見事に着弾した。
――――瞬間、どばっとクリスティアナの手から血が噴き出る。
「ぎゃあぁぁああああッ!? お。おじょっ、お嬢様!! お嬢様!?」
「なぁあにが学園では外の事情は関係ないですかぁ!? ありありでしょうが貴方は我が国の王太子ですのよ!? 頭イッちゃってるんじゃありませんの!? わたくし貴方の正式な婚約者ですけれど!? 次期王妃ですけれど!? なんなんですのあのクソガキャァ!!」
「血が!! 血がぁ!! お嬢様おやめください手がもう限界です! 痛くありませんか!?」
「こんなのはわたくしの心に受けた圧倒的屈辱の痛みに比べれば蚊に刺されたようなものですわよッ!! 死ねぇライセス・ベルリオンッッッッ!!!!」
「いけません! お嬢様いけません!! 王族に対して不敬ですよそれは!!」
「あのゴミ王子に敬意もなにもありませんわぁぁああああッ!!!!」
叫びながらガンガンと壁に頭を打ちつける公爵令嬢。
だらだらと額から流れる血が床を濡らすも本人はまったく止まらない。
少しも止まらない。むしろ白熱していくだけ。
それぐらいに今の彼女は機嫌が悪かった。
ザ・腹の虫の居所最悪である。
なにせ彼女は本日昼食を一緒にしようとしたライセスに他の女を優先されたのだ。
婚約者である
政略結婚の相手である
「ええいちくしょうですわッ!! よりにもよってあの元平民ッ!! 伯爵家の養子にならなければ路地裏の掃き溜めで野垂れ死んでいたような小娘がわたくしより先ィ!? わたくしよりも選ぶべき相手ェ!? とんでもねえ冗談ですわねえ!! 王太子殿下は冗談のセンスも一流ですわ!!」
「流石はライセス殿下! 文武共に優れた素質をお持ちで聡明という噂通りです!」
「皮肉ってんですのよアジー!! 殴りますわよ!?」
「お、おやめくださいお嬢様! せめて! せめて見えるところでお願いします! 公爵様にお伝えする際に色々と楽ですので!!」
「アジー!! 貴方わたくしの専属でしょう!? 味方ではなくて!?」
「はいっ! 私、お嬢様の味方ですけれど従順な奴隷とは違いますので!!」
「うーんそういうところが素晴らしくわたくし好みの
「お嬢様!!」
「アジー!!」
ひしっと抱き合うクリスティアナとアジーのふたり。
気のせいか彼女達の背後に百合の花が咲き乱れている幻覚まで見える。
そっと回された手は肩と腰へ。
ほんのすこし込められた力がアジーの給仕服へわずかにシワを生む。
――――そして。
「そぉいッ!!」
「お゛じょ゛う゛ざま゛ッ!?」
ゴッ、と鈍い音をたてて背中から床に叩きつけられるアジー。
一瞬の隙に繰り出された足払いで体勢を崩し、即座に宙へ浮いた身体を掴み倒す。
容赦ない、見事なまでの投げ技だった。
もしも彼女がある程度動きやすい学園の制服ではなく社交界用のドレスであったならこんな体捌きは無理だったろう。
「それはそれとしてなんかムカつきますのでこれぐらいはやらせていただきますわ」
「なッ――か――――は――――ッ……お、じょう……さまぁ……っ……」
「泣いても無駄ですわよアジー。いまは深夜。お父様はわたくしが不機嫌なのを見てディナーにワインをがぶ飲みしてらっしゃいましたわ。いまはぐっすりでしょう。そしてお母様もその隣で熟睡中! 他の使用人も寝静まっていますわ! 起きているのは貴女とわたくしだけ! せいぜいわたくしが手を貸すまで無様に床に這いつくばってなさい!」
「まっ、や――た、すけ……! おじょう、さま……っ、わ、たし……っ」
「安心なさい。肺の空気を一時的に吐き出させただけですわ。じき呼吸も整ってくるでしょう。――それまでわたくしはこの有り余る不満を発散させてきますわ――――!!」
おーっほっほっほ、と高笑いしながらクリスティアナは走りだす。
「クソでございますわァー!!」
屋敷を飛び出して庭園へと足を向ける。
とにかく腹立たしい、気分が悪い。
テンションは最悪を通り越して最低を下回っていた。
ここまで感情が揺さぶられたのは初めてだ。
希有な体験ではあるが、それを引き起こしたのがあのバカ王子と元平民の小娘だというのだから余計に腹の虫がおさまらない。
彼女にとってライセスは別段特別な感情を抱いた相手でも愛した男でもなかったが――ずっとずっとその隣は彼女の手にある
彼の婚約者、王太子の妻となることを約束された地位は完璧にクリスティアナのモノだったのだ。
それが揺らいでいる。
綻びと共に崩れかけている。
自分のモノが、誰かに取られかけている。
――――その事実が、とにかく気が狂って頭がおかしくなるほど腹立たしい。
「このッ! このォ! ああもうッ!! わたくしを誰だと思っていますの!? ヴァルトーレ公爵家の長女クリスティアナ・ヴァルトーレですわよ!? それをどうして蔑ろにできるのかしらぁ!? しかもあんなッ……あんなッ、たかが伯爵家の養女如きに!! わたくしが負けている? わたくしが
ばしぃん! と盛大な音をたてて大木が蹴り抜かれる。
(クソ痛いですわ!!)
脛に響いた。
なんだかこう、じんじんとした熱を持つ刺激を感じる。
それもそのはず、怒りに身を任せて放たれた脚撃はエレガントにも幹の外皮を粉砕。
ゆっさゆっさと枝葉も揺れて、先っぽに付いていた赤い実までポロポロ落ちてくるほどの威力だった。
クリスティアナ・ヴァルトーレ。
頭脳、身体能力ともに神から祝福されて生まれたとしか言えないぐらい多才な彼女は、唯一その性格と言動だけが致命的に悪い。
ちなみに公爵夫妻にとってはそういうところも愛らしい個性として見られているとかなんとか。
親馬鹿ここに極まれりである。
「――――――ッ!! あああッ!! もやもやしますわ! ムカムカしますわ!! なんですのこれェ!! なんなんですのこれェ!! これが恋ですのォ!? ――――いやあのクソ王子の顔なんか思い出したところで腸しか煮えくり返りませんわッ!! めっちゃ悔しくてブチ切れそうですわ!! それこそ物にでも当たらないと気が済まないでしょうにぃいい!!」
ズンズンとクリスティアナは庭園を奥に進んでいく。
帝国有数の公爵邸というだけあって、庭の外観はこの上なく見事だ。
色とりどりの花が植えられた花壇。
手入れの行き届いた噴水。
天気の良い日は読書を楽しむ白い屋根の
「…………む」
そして、屋敷に住み込みで働く護衛騎士たちの為につくられた小さな演習場。
整備された他の場所とは違う風景。
荒れた地面と設備は偏に利用するものたち故だろう。
彼らは午後の暇を優雅にティータイムなんかでもして過ごすより、自分の身体を鍛えるほうが良いという
打ち込み用の丸太はボロボロで、鍛錬に使う木剣も仕舞われずに放られていた。
……
「まったく、淑女であるわたくしからしてみれば、こんな棒切れを振り回すだけの時間なんて等しく意味を見出せませんでしたが――――」
転がっていた木剣をひとつ、ぱっと拾って適当に構える。
つくりが良いのだろう。
ズッシリとしていて手に馴染む。
柄に巻かれた襤褸切れは血が滲んでいるもまだまだ
――はじめて剣を握った。
クリスティアナは剣術を習ったことがない。
剣を振るうのは騎士の役目、公爵家の一人娘である彼女はあくまで次期王妃として帝国に関する知識と上流階級の作法を学ぶのが主だった。
身体を動かすのも最低限の護身術程度。得物なんて握りたくなかったし、握ったコトはない。
正真正銘、生まれてはじめてのコトだった。
けれども。
(うん?)
なんだかとても、しっくりくる。
(あれれ? あれれれれ?)
――――腰を落とす。
大地を踏みしめる。
怒りに支配されていた心が急速に凍てついた。
思考は人生で最高潮に冷静だ。
自分がどういう体勢を取っていて、どういう動きをどの程度の力で熟せるのかが
心臓の鼓動。
呼吸の隙間。
筋肉の伸縮、関節の駆動。
すなわち五感全てで感じ取る身体駆動。
(なんだか、コレ――――)
木剣を振りかぶる。
低く落とされた腰はさらに深く。
後ろに下げた右脚で抉るように地面を掴んだ。
――――一息、二息、三息。
これ以上はない、と確信した瞬間に彼女は跳ねた。
「――――――――――――」
風を切って身体が宙を翔る。
爆ぜた土が遠く後ろでぽつんと散った。
己の体の状態を把握する。
木剣はわずか右後ろ。
地面を蹴った右の足首がいきなりの衝撃についていかなかった。軽く捻っている。
それでも力は十分だ。
真っ直ぐに飛ぶ身体の勢いに乗せて――――
「――――――あぁあぁぁぁああッ!!!!」
思いっきり、腰の回転と共に剣を振り抜く。
(――――すごい)
手元で粉々に砕ける木製の刃。
丸太は彼女の剣閃を受けて盛大に折れた。
破壊音、としか言いようのない快音が演習場に響いていく。
流れる金髪、飛び散る木片、ふわりと浮かんだ汗。
妖しく光る碧眼に、どこか愉悦の色が宿った。
(爽快――――……です、わね……)
ぽかんと大きく口を開けて佇むクリスティアナ。
握り込んだ指を解けば手のひらから木剣の残骸がこぼれ落ちていく。
妙な感覚だった。
なんでもできるという慢心とも違う確信。
すべてを把握した上で「これならできる」と身体を動かした実感。
気のせいでもなければ、彼女は心臓の拍動、呼吸のひとつに至るまですべてを己の意思で操作した。
とんでもなく、ありえないコトに。
「――――ッ、わ、わわわッ、あぁあッ、痛ッ、イタタタタ!? イッテェですわ!?」
右足首、捻挫。
右肩、脱臼。
左手首、骨折。
その他小さな出血と肉離れを少々。
慣れない運動を文字通りの〝全力〟でこなした反動がきた。
どさり、と力無く彼女は地面に座り込む。
「――――ッ、あーもう……最悪ですわよぉ……、アジー! アジー!? 早く起き上がって助けにきてくださいまし! わたくしこのままだとここで寝ちゃいますわ! 夜は冷えますわよ! 体調ぶっ壊しますわよ! わたくしの健康が心配ではなくてー!? アジーーーー!?」
叫びながらクリスティアナは仰向けに寝転がる。
全身の痛みは酷いが、それにしたって
苦しいのは身体ではなく心のほうだ。
自分のモノを奪われた。他人に取られた。
その事実のほうがよっぽど痛い。辛い。耐えられない。
そうだ、そんなものに比べれば。
――彼女にとって肉体の損傷など、至極どうでもいいコトだ。
結局、探しに来たアジーに発見されるまでの三時間、クリスティアナはその状態でひとり夜空を見上げ続けたのだった。
「アジー! 遅いですわよッ!!」
「ぎゃーっ!? お嬢様が倒れてるぅーーー!?」
この作品はノリと勢いだけでぶん殴る頭空っぽなギャグ空間と申し訳程度のシリアスでお送りいたします。