マーガレットはパラネロス伯爵家の管理する領地に生まれた貧しい子供だった。
物心ついたときからすでに両親はおらず、家もない。
当然お金もない彼女の居場所は町の隅――薄汚い路地裏になる。
日々の生活は飢えを凌ぐためと生きるため以上を求められないもの。
ゴミ箱を漁って食べられるものなら腐っていても口に入れた。
同じ境遇の子供と協力して盗みだって働いた。
決して誰かに誇れるような生き方であったコトはない。
汚く、穢らわしく、そして嫌悪され蔑まれるのが彼女たちの身分だ。
人らしい
必死に命を繋ぐことだけができること。
――そこに他人の温もりはなく、結束はなく、ただ孤独な死を待つのみ。
終わり方はそれぞれ。
病で倒れるか、怪我をして悪化させるか、夜の寒さに耐えきれず眠るか――
すでに空っぽ寸前のこの身を
――そうなっていった誰かを何人も見た。
『薄汚えガキがいっちょ前に口をきくんじゃねえよ。コイツは俺のもんだ。俺の食いもんだ。悔しかったら取り返してみな』
『おまえらみたいな弱っちい雑魚は所詮大人に勝てないってことだな。悪く思うなよ、俺らだって明日をも知れない命なんだしなあ』
『呪うなら国でも世界でも自由に呪えよ。俺は悪くねえ。だってそうだろ? 生きてくことに必要なんだ。生きることは悪くねえ。そうだろ? なあ?』
殴られた回数は覚えていない。
蹴られた回数は両手足の指でも足りない。
そんないざこざで負った怪我が原因で何人も死んだ。
……もちろん、マーガレットだって例外じゃなく。
歪に抉れた脇腹。
瞼が切れたせいで半分しか開けなくなった左目。
左手の小指は折れ曲がって常に外を向いていた。
……本当に、誇れるものはなにひとつない。
誰かに自慢できるコトは微塵も存在しない。
ただいつ途切れるか分からない命を、今日も明日もと文字通り死に物狂いで繋ぐだけ。
――夜に輝く星に、一体なんど願っただろう。
目に見えないものは要らなかった。
ただたしかな
強く、強くと――――
『私と共に行こう。もうお前に、不幸な思いなどさせないと誓う』
そんなときだった。
突然現れた体格の良い長身の男性が、彼女へと手を差し伸べたのは。
『家族になろうと言っている』
『……どう、して?』
『いずれ分かる。いまは話しても意味がない。故に言っておこう。お前さえその気があるのなら、私たちはお前を歓迎する』
『――――――』
気まぐれだったのか、偶然だったのか。
はたまた言葉の通り狙いがあったのか。
……いまはまだ分からない。
ただ、彼女はその日誰かの手によって明確に救われた。
救われてしまった。
真意はどうあれ現実はその通り。
今まで薄汚い路地裏で藻掻き生きてきた貧しい少女は、一夜にして伯爵家の令嬢となったのだから。
『良く食べ、良く動き、良く寝ろ。マーガレット。お前は私たちの子だ。気を遣う必要などない。健やかに育て、それが全てだ』
『ちょっ、ちょっとっ。あなたそんな言い方はないでしょう? マーガレット、この人の言うコトは真に受けては駄目よ。喋るのが致命的に下手だから』
『――――アリス』
『な、なんですかっ』
『少し黙れ。食事中だ』
『――――なんてことを……! 妻にはもうちょっと優しくしてください! あなたの物言いの悪さは昔からですがもう赤の他人とは違います! 拗ねますよ!?』
『これでも優しくしているつもりだが』
『どこが!?』
公爵夫妻は優しい人たちだった。
口数が多くなく鋭い雰囲気を放つ伯爵と、その隣でどうにか空気を明るくしようと微笑む伯爵夫人。
軽い喧嘩は絶えなかったが、本気で怒っているというよりはそれが染み付いている感じ。
決して悪い間柄ではなく、むしろその逆で。
……この先ずっともらえることがないだろうと思っていた、大切な
人として、家族として、娘として。
伯爵家の一員として。
(そう――私は、あの人たちにたくさんもらった)
だから、報いようと思った。
少しでも役に立てるなら良いと考えて、そのために学園への入学を決めた。
せめて必要な知識を身に付けて、返していけるコトがあればと。
でも――――ああ。
結局は、生まれ持った素質が――人間性が間違っていて。
『お嬢様ッ、お嬢様!?』
『ぁ――――――』
『大丈夫ですか、お嬢様!? お怪我はッ!! お嬢様ッ、しっかり!』
『ゎ――――……た、し……は……ッ』
――十二歳のときだった。
不正取引を暴いて事業を潰した下級貴族からの逆恨みで、パラネロス家に送られた手練れの
その日の夜、偶然喉が渇いて部屋を出てしまった彼女は、奇しくも侵入者と鉢合わせしてしまった。
……幸か不幸か、いまとなっては判断もつかないけれど。
それを、彼女は――――
『何があった。これはなんだ』
『伯爵様! お嬢様が、この者をッ』
『――医者を呼べ。すぐにだ。怪我をしている』
『は、はいッ』
『お、とう……さま……わたし……っ』
『……よく耐えてくれた。お前はよく頑張った。それは事実だ。胸を張れ』
殺した感触が嫌だった。
――そんなワケがない。
対峙したのが怖かった。
――そんなハズはない。
傷を負ったのが辛かった。
――そんなコトもない。
ただ、思ったのは。
『わたし……ッ、わたし、は……!!』
明らかに自分より強い相手をこの手で越えた、優越感と達成感。
心の奥底から湧き上がる、否定の出来ない歓喜の衝動。
――――そう、
ただ、誰かより強くなりたくて、強く在りたくて、強く生きたくて。
(――――いい、のかな)
そんな馬鹿げた
……だって、そうだ。
こんなのは間違っている。
当たり前の恐怖と、当たり前の価値観と、当たり前の考えを持たずに強さだけに固執する。
普通じゃない、おかしい、正しくない。
強い相手と対面したとき、彼女は怯えて震えるべきだった。
傷を負ったとき、彼女は痛がってその身体を抱えるべきだった。
人を殺したとき、彼女はその感触に嫌悪を抱いて涙を流すべきだった。
――――そのどれもが、できなかった。
狂っているとしか言いようがない。
そんなんじゃ伯爵令嬢として返せるものも返せない。
だからこの気持ちは永遠に隠して、ただの平凡な人間として一生を過ごそうと思っていたのに。
(私――……これが、私だって……)
なにもかも、台無しだ。
(認めても……いいの……かな……――――)
……分からない、分からない、分からない。
答えはでない。
クリスティアナからかけられた言葉がぐるぐると脳内を駆け巡る。
自分は一体どうしたいのか、なにを望んでいるのか。
〝このまま負けて、雑魚と
(――――――――、)
弱いままで満足か。
……決まっている。
それはきっと生まれたときから。
もしくはもっと以前のはじめから。
否定しようのない己自身が持つ生来の本音で。
「――――まだ、です」
口に出せば異様なほど爽やかだった。
身体はボロボロだ。
手足の骨はぐちゃぐちゃで、内臓は潰れていて、まともに生きる機能も働かない。
どう考えたって命はない。
致命傷。
放っておけば死ぬような――いますぐ回復薬をぶっかけて浴槽いっぱいのソレに浸からなくては助からないほどの――風前の灯火。
でも。
「……なに?」
「まだ……と、言い、ました――――」
ああ、そうだとも。
すべては〝強さ〟を示すため。
世界で一番、誰よりなにより、己が〝強い〟のだと証明するため。
それこそが彼女の願い、真なる望み、心の奥底に眠る魂の渇望。
故に少女は立ち上がる。
瀕死の身体を引き摺って、
生きる力を振り絞って、
その
「雑魚は、イヤ……です……」
諦めたくない。
負けたくない。
弱いままじゃいられない。
「私は……貴女に、勝ちたい」
もう
「勝って、叩きのめして、叩き潰して――私のほうが強いって、たしかにしたい」
心は正直だ。
声が聞こえる。
満身創痍でもやれることはある。
思考は澄み渡るように晴れやかだ。
マーガレット・パラネロス。
その人間が――この瞬間、ここに確立する。
「ありがとう。クリスティアナ様。私、きっと間違ってました。だから――」
ならばやることなどひとつ。
できることなどふたつと有らず。
――――目に見えた壁を、重苦しく道を塞ぐ扉を。
「貴女に勝って、正しいと答えます――――!!」
限界さえをも、乗り越えて――
「吼えましたわねえ元平民の小娘風情がッ!!」
クリスティアナが再度跳ねるように地面を蹴り抜く。
放たれる剣気は凄まじい。
刃の軌道はすでに並の騎士を凌駕していた。
元からあった才能をこの短期間で磨き上げた結果だ。
学園に通う普通の生徒たちではきっと束になっても適いやしない。
(――――あぁ。なんて強さ)
対するマーガレットはどうか。
彼女の刃はそこらの少女が握るモノと大差ないだろう。
鋭さはなく、鮮やかさなど微塵も存在せず、凡愚といって差し支えない腕前だ。
当然のコト。
なにせクリスティアナと違ってマーガレットには才能なんてモノがない。
いくら鍛えたところで、いくら業を極めたところで至れる場所はわずか高み。
剣気を纏うことすら難しいほどの非才。
……けれど。
(そう。私には、才能なんて――――素質なんて、ない――――)
誇れるものなどなにもなかった。
人に自慢できるコトなんてひとつもなかった。
自分の価値なんてあると思っていなかった人生。
――それを、目の前の少女が叱ってくれた。
マーガレットは思わず笑う。
ああ、なんてコトだろう。
はじまりは最悪で、現状も最低で、ずっとなにも変わっていないけれど。
(――――だから)
剣を構える。
格好は無様。
技術だってロクに〝剣技〟と言えるものは持っていない。
……彼女のように、暗緑色の
でも、それは分かっていたことだろう。
才能がないのも、素質が足りないのも、この力が至らないのも。
(私はッ)
――――銀閃を描き交差する刃。
くり返すように片方の少女は満身創痍、瀕死の重傷、最早打つ手なしの重傷だ。
それは決して技術で埋められるような差異ではない。
クリスティアナの剣は重く、鋭く、弧を描くように真横の軌道だった。
結果は当然、胴体に食い込んだ刃がそのまま腹を裂いて薙ぐ。
その場にいる誰もが確信した終わり。
――――でも、そうじゃないのなら。
「まだッ、まだ――――……!」
「貴女…………!!」
ここ一番で閃く太刀筋。
型もなにもない棒切れを振るような一撃は、しかしデタラメな重さと速度を持って。
クリスティアナの刃を、見事に阻んだ。
「私が――――ッ、私の、ほうが――――!!」
(――――っ、なん、ですの……この膂力……!?)
押し負けたクリスティアナが数歩後ずさる。
……ありえない。
技術も力も経験もわずかとはいえ彼女のほうが上。
ちょこっと剣を握っただけの小娘に敵うはずがない。
……ありえない。
手を抜いたつもりはなかった。
慢心したつもりもなかった。
けれども実際、現実問題として目の前の少女はクリスティアナをはじき飛ばしている。
……ありえない、ありえない、ありえない。
なんだコレは。
なんだコイツは。
一体なんなんだ――――
「――――あぁぁあッ」
「!!」
声は響くように。
低く唸るように発された音が、マーガレットの気合いを示すように轟く。
「あぁぁあぁああああぁああああぁあああああッ!!!!」
「ッ、この――――調子にィ!!」
飛びかかるようにしてクリスティアナの頭上へ放たれる縦の振り下ろし。
受ける前から分かる、今までの比じゃない。
風を切る刃金の音、五感で感じ取る危機、彼女自身の込められた力。
砕けんばかりの力で握りしめられた柄は本気で砕けかけている。
マーガレットの握力によるものだ。
ボロボロと先から崩れていく刃だってそう。
いま、この瞬間、彼女の振り絞った限界を超えた力に、
「クリスティアナさまァ!!」
間に合わせた刃で咄嗟に防ぐ。
――そう、間に合わせた。
このクリスティアナ・ヴァルトーレが。
剣気をまとうほどの素質を持った剣士が。
まともな剣筋をなぞることもできない、凡庸な一撃ごときに。
「元平民の小娘、伯爵令嬢のくせに――ッ、わたくしに、なんて真似を――!」
「私はッ!!」
「っ!」
「元平民の小娘でもッ、伯爵令嬢でもありません――私っ、私は! 私の名前はッ」
ギリギリと眼前で刃金が擦れる。
身体に残るすべての力で鍔迫り合う。
クリスティアナにとっては怒りに染まるほど屈辱的な。
マーガレットにとっては渾身の一刀を懸けた刹那の拮抗。
「私はマーガレットッ!! マーガレット・パラネロスですッ!! だからッ、覚えてくださいッ! 刻んでくださいッ!! 私の存在をッ!! 私が貴女より強いということをッ!!」
「ほざくんじゃねえんですわよォ!! 誰がァ! わたくしよりィ! 強いですってェ!?」
互いに一歩も譲らない。
クリスティアナには
マーガレットには
どちらも譲れない、大切な自分の在処だ。
――――弾くのは同時に。
距離を取った両者の影が再び跳ねる。
それぞれ目掛けて、真正面から突撃するように。
「すでに勝利はわたくしのモノッ!! 誰に渡すつもりもありませんわ!!」
「勝つのは私ッ、強いのは私ッ!! だから、絶対に! 貴女を――ッ!!」
刃が擦れる。
想いが交差する。
すでに当初の目的なんて頭から消え失せていた。
みっともない意地の張り合い、子供の喧嘩――馬鹿な争いだ。
でも、負けられない。
(無様なくせにッ、不格好なくせに! それでも貴女が強いですってぇ!? わたくしより上ですってェ!? 笑わせますわッ、ならば絶対この勝負――――ッ!!)
(全部この身で分かってるッ! クリスティアナ様が強いってことも! 私の力に
〝
「小娘ェエエェエエエエッ!!!!」
「クリスティアナ様ァアア!!!!」
ガキンッ! と。
異様に硬い音をたてて両者の刃は止まった。
見れば間にもう一本、別の剣が。
「あなた――――」
「な…………――」
「なんの騒ぎかと思えば決闘だと? これが――こんなモノが決闘? なんだそれは。ふざけているのか。おまえたちは――――」
怒りに震える声がすぐ傍から聞こえてくる。
……誰か、なんて言うまでもない。
クリスティアナには聞き覚えがあった。
それも今朝、記憶が曖昧でもない時間に。
「ヴァルトーレ。パラネロス。おまえら、
「お退きなさいッ! 男爵家ごときが邪魔をするなァッ!!」
「せ、生徒会長には関係ありませんッ! 邪魔しないでッ!」
「――――
どん、と本日一番の鈍い衝撃。
「あふん」
「きゃっ」
くらくらする意識。
ぼやけていく視界。
爆風じみた圧力をその場で受けたふたりは、年頃の少女よろしくそのままこてんと倒れこんだ。
すっかり、しっかりと気を失って。
「――――さて」
静まり返った闘技場に恐怖の声が反響する。
びくん、とその場で観戦していた全生徒の肩が思わず跳ねた。
「おまえたちもだ。まさか逃げられるとでも思うなよ。全員顔をこの目で見たぞ。悪いが生徒会長権限だ。今日の授業は免除――中止とする」
「お、おい! イザヤ! おまえ勝手になにを――」
「そ、そうよイザヤくん! これは、別に! 見ていただけで悪い事なんかっ」
「ですよ会長ぉ! 俺らなんもしてないっすー!!」
「黙れェッ!!!!」
二度目の咆哮。
当然、反論できるものなどひとりもいなかった。
「――――罰として全員学園外周三百周だ……! それまで寮にも実家にも帰れると思うなよ……! こんな決闘を見てなにもしないコト自体がおかしいだろうが常識的に考えてェッ!! 正気か貴様らァ!!」
「やっべ、イザヤブチギレじゃん……」
「あっはっはー……終わったわコレ……」
「え、私も? 私も走るの?? え?? 子爵家のお嬢様なのに!?」
「家柄なんて関係ありませんわよ……残念ながら聖女ステラの前に皆平等、生徒会長はその上でまとめ役ですので……」
「まァ反抗してもいいけどアイツなにするか分かんないから従っておいたほうが明日の身のためだぜ! ……うん。三百が三倍になるとか、考えたくもないワー」
「嘘ぉ…………」
「全員覚悟しろ。なに案ずるな回復薬はとってきてやる。いくらでも転べ。怪我でもなんでもしろ。ひとり残らずしっかり完走するまで生徒会役員全員で見ておいてやるからな」
「監視じゃねーかちくしょー!!」
うわぁあぁああああ! と阿鼻叫喚の嵐に包まれる闘技場。
その中でも比較的顔色を変えない――ただ静かに佇む男子へとイザヤは視線を向けた。
「――ライセス・ベルリオン。貴様にも受けてもらう。その上で今朝の騒ぎは俺からも報告させてもらおう」
「……ああ、良いよ。イザヤ。好きにしてくれ。俺は最初からそのつもりだからな」
「――――――莫迦者が。少しは反省しろ」
「しているよ。ちょうど省みていたところだ。……彼女じゃなくて、俺が
「…………、おまえというヤツは……」
》ヒロインちゃん
世界で一番強くなりたい(ガチ)系美少女。ちなみにクソ死にそうなところを勝ちたいという気持ちだけで動き続ける化け物です。タネはあるけれどピンチに陥ったり強い相手と戦うと急に覚醒して相手を上回るぞ! 流石主人公だァ…()
》生徒会長
なんかやけに学園の様子が変だなと思ってたら授業ほったらかして殺し合いまがいの決闘してた。は?(マジギレ)帝国一のクソデカ学園の外周マラソンは言うまでもなく地獄。なお本人は毎日朝の走り込みで慣れている模様。
》殿下
公爵家のお嬢様はちゃんと強くなって剣を振ってくれてるかなー? \イイトモー/って観戦してた馬鹿王子。まあこんな状況にまで発展してなにもないワケがなく……そこも狙い。