剣気を使えても魔剣は使えない。
それは聖剣を相手にする上で致命的な欠点だ。
ふたつは対極に位置するが故に対等である。
聖剣に適うのは魔剣であり、魔剣を破るのが聖剣の役割。
どちらも人智を超越した御技であるからこそ、位置づけは同列。
――――であるのなら、
「――――、――――」
ボタボタと血をこぼしながら床を這う。
まるで力が入らない。
意識がすぐにも途切れそうだ。
握っていたはずの剣は手元からなくなっている。
どこかに落としたのだろう。
それを探す手間も――いまはかけている時ではない。
「……驚かされる。まだ生きているとは」
頭上からかけられる声。
寒気がした。
間違いなく、己の首に。
心臓に。
魂に――――生命に手をかける感覚。
手足を総動員してその場から飛び跳ねる。
全身に流した剣気はなんとか彼女を生き長らえさせた。
瀕死の重傷、放っておけば死ぬ致命傷でありながらクリスティアナはまだ動けている。
――――とん、と軽い着地。
けど、すでにその衝撃を逃す体力は残っていない。
「ッ」
身体が沈む。
四肢の反応が鈍い。
肉体の維持に剣気を回しているせいだ。
これでは反撃はおろか、堪えることすら難しい。
「――――ッ、――――……!」
「逃げても無駄だ。私の聖剣に距離が関係ないことぐらいもう分かっているだろう」
「――――ごぼッ!? がッ、ぅ、えほっ、げぼぉ――――」
「……大人しくここで命を散らせ。勝手なことを言わせてもらえば、貴様ほどの剣士が藻掻く姿は見たくない」
「――――――……ッ」
すでに勝利を確信した様子のアッシュバルトを睨みつける。
怪我の痛みで苦しんでいた。
謎の負傷にワケも分からず混乱していた。
……そんな彼女を一瞬で冷却したのは、逆に熱された心だ。
はじめから抱いていたモノ。
こんなところまで上り詰めた単純にして簡素な想い。
彼女のすべての発端となった起源の感情。
――――気にくわない、気に入らない。
自分に傷を負わせたからと、
圧倒的なまでの実力差を見せつけたからと、
最早返す術はないとして未来を決めつけている――
――――その顔が、いま、一瞬、気にくわない――――
「――――――――――フ――――ゥ――――」
細く取り込んだソレを肺に回して鋭くこぼす。
刹那の激情。
一秒にも満たない怒りが彼女の心を奮い立たせた。
命を繋ぐための剣気を解き放つ。
抑えこんでいた傷が一気に開いていく。
「――――――――ッ」
死ぬかもしれない。
ダメかもしれない。
完璧な無茶だ。
そんなことは分かりきっている。
全身の穴という穴から血を垂れ流す公爵令嬢。
そんな姿は過去と未来を含めても自分ひとりぐらいなものだろう。
――――ああ、だから愉快で。
そんなコトがどうしたものかと、クリスティアナは微笑んだ。
「――――――ハ」
「!!」
少女が地を蹴る。
怪我は省みない。
流れる血は必要な犠牲とした。
傷を押しての大疾走。
――――駆けながら落ちていた剣を掴む。
得物はたしかに。
彼我の距離は十メートル。
これならば一瞬で――――
「ごぼォッ!!??」
「――――無駄だ」
心臓から
ありえない。
けど現実として映った目の前の光景だった。
アッシュバルトは剣を振りさえしていなかった。
あと三歩。
せめて二歩近付けたのなら、切っ先が届いたであろう位置。
――――意識が薄れる。
思考は闇に呑まれるように、だんだんと泥の中へ眠っていって――――
〝――――――――〟
ばちん、と。
直感に電流が走った。
――――感じる。
同じ校舎の中、離れた誰かの気配。
――――感じる。
彼は戦っている。本気ではない、もっと手加減をしてそれながらも圧倒。
――――感じる。
彼は勝っている。辛勝ではない、余力を残した上での完膚なき勝利。
――――これは。
……ああ、肌で感じる、心がささくれ立つ、浴びるだけで心底思い出したくもない顔を思い出すこの剣気は。
間違いない。
〝――――ライセス〟
彼が居る。
腹が立った。
言いたいことがあった。
聞きたいコトもまだまだだ。
――――はじかれるように意識が戻る。
心臓からの出血?
ボロボロの手足? 身体?
関係ない。
あと三歩か、二歩か、それとも五十歩か百歩か。
いくらだって詰めてやろう。
ならばこそこんなところで立ち止まっているワケにはいかない。
「な――――――――ッ」
ぎしぎしと引き攣る頬肉。
ぐにゃりと歪む眼光。
三日月のように曲がった唇の隙間から剥き出しの歯が覗く。
クリスティアナが嗤う。
とても貴族とは思えない、とても淑女とは思えない、とても人間とは思えない修羅の顔を。
「――――――――アハハッ!!」
振り抜かれる横一閃。
薙ぐように裂いた剣はアッシュバルトの聖剣を側面から叩いた。
――――すると、
「やはり凄まじい。実に見事だ、ヴァルトーレ」
彼の聖剣が、刀身が、
砂のように溶けていく。
「故に残念でならない。こういう真似しかできん私を、どうか軽蔑するといい。所詮はそれだけの人間であったということ。いまの己は剣士を名乗る資格もないのだ」
――――全身を、内側から突き破った刃が襲う。
〝…………あぁ、そういう……こと、ですのね……〟
瞬間、彼女は理解した。
粉々になった刀身。
ところどころで見られた肉体内部の裂傷。
そして肌を突き破って出現する剣。
アッシュバルトの聖剣は粒子だ。
空気と一緒に吸ってしまえるほど細かい。
分解、凝縮は能力の基本だろう。
わずかでも刀身から流した刃の粒子は、呼吸と共に取り込まれて内臓を傷付ける。
どころか身体を中から刻み込んで血管も神経も骨も断つワケだ。
初手の遠距離攻撃はその応用。
すなわちある程度まで凝縮させた、目には見えない小さい刃の集合体を飛ばしていた。
〝なんとも、厄介――――な――――〟
「手荒な真似を許せ、令嬢」
土手っ腹を蹴り飛ばされる。
剣気は纏えずとも鍛え抜かれた剣士の脚力。
少女ひとりを吹き飛ばすのに問題はなかった。
……身体の奥底から疼くように走る衝撃。
クリスティアナはそのまま宙を舞い、壁を突き破って瓦礫と共に転がっていく。
「――――――――ッ、…………ぁあッ」
ズキズキとした痛み。
頭が割れそうなほど苦しい。
ともすれば全身が火傷でも負ったかのような熱さだった。
――ばしゃり、という飛沫の感触。
校舎の一室、
「――――ッ、――――…………!!」
身体を覆っていた剣が消失する。
傷を塞いでいたものがなくなれば、当然止まっていた流れが決壊する。
どばどばと血が溢れだした。
大量出血にもほどがあろう。
剣気を回さなければ即死。
剣気を回したとしても数秒、数十秒マトモに居てくれるかどうか。
――ばちゃん、とあたりに広がる水へ浸かる。
身体が、痛い。
「剣を手放したようだな。無理もない。あの傷ではまともに握れぬだろう」
「――――、――――……」
「これで抵抗する術は完全にない。大人しく首を差し出せ」
「………………、」
「……返事をする気力もないか。ならば早々に――――」
「ふはッ」
噴き出すような笑い。
ぴくり、と剣を持ち上げかけたアッシュバルトの動きが固まる。
「……なんだ。なにがおかしい?」
「はははッ――――よっぽど、わたくしへの警戒が強かったんですのね」
「……当然だ。この場に於いて貴様以上に気を配る要素など何もない」
「ええ、そうでしょうそうでしょう。なにせわたくしは真実貴方より格上で強かった。聖剣がなければおそらく圧勝でしたもの。ですから、そこはきっと正解ですわ」
「…………なにが言いたい? ヴァルトーレ」
「ですから、それが貴方の敗因だと言っていますの」
「だからなにを――――」
と、彼はふと気付いた。
ゆっくり、きっちり。
鮮明に思考が回る。
――待て。
彼女は。
クリスティアナ・ヴァルトーレは。
いま、この瞬間。
こんな風に、冗談を交えて笑えるような状態か?
「――――――――貴様」
「気付いたところでもう遅いッ!!」
ざばぁ! と薄青色の液体から身体を持ち上げるクリスティアナ。
時間は十分稼がせてもらった。
劇的なまでに走っていた
傷口はしっかりとなんでもないかのように塞がっている。
――そうとも、剣は手放したのではない。
蹴られてやったのは、抵抗しなかったのはなにもできなかったからとは違う。
彼女は最初から、こうなると予測した上で彼の脚撃を大人しく受け、辿り着いた場所でその剣を水槽向けて放った。
――――そう、水槽。
学園の中でそんなものがあるのはどこか、言うまでもない。
「我らが女神よ! どうか許可なく触れるお許しをッ」
駆けるのは一瞬だった。
不意をつかれたアッシュバルトは追いつけない。
割れた硝子。
その真下。
水に濡れながら突き刺さる剣を――渾身の力で引き抜く。
「――――残念。はずれクジですわッ!」
光は、走らない。
彼女は適合者ではない。
それは薄々感じていた。
剣気が増していくたびに己の素質を直感していたからだ。
剣士としての才覚は最上級であっても、掴めないものは掴めない。
彼女は聖剣使いになれない。
でも、
「……ただの刃として振るうつもりか、まさか」
「そのまさかッ! たかだか重い程度の剣をわたくしが扱えないと思っていて!?」
「いいや、当然扱えるだろう。――――だが、それでは私に勝てまい」
「いいえッ」
聖剣を構える。
女神ステラはその刃を握って傷のひとつも残さなかったという。
比べるまでもなく勿体ない。
宝の持ち腐れだ。
――――でも。
いまこの瞬間、誰かを前にした状態であるのなら、これほどまで心強い武器はない。
「勝ちますわ。すでに勝利は掴んだも同然ッ。その栄誉はわたくしの
息を吸う。
剣気を回す。
五感を研ぎ澄ます。
身体中に張り巡らされた神経。
五体と五臓と六腑。
二百本以上ある骨と、それらを包む人肉の筋繊維を掌握する。
――――聖剣は重く、軽い。
「――――――――、」
機会は一度。
仕留めるなら一瞬だ。
怪我に動きを止めてはならない。
アッシュバルトの聖剣は粒子となってクリスティアナの身体に漂っている。
それを刃として凝縮されれば治ったばかりの身体にまた傷がつくだろう。
その前に首を刈るのが一番だが、彼とて一介の剣士。
おそらくはここぞという場面でクリスティアナの攻撃を止めに来る。
ならば道理は貫き通すまで。
どんな痛みを受けようと、どんな怪我をしようと次の一太刀を押し切る。
一刀両断。
選んだのは――――縦の軌道。
静かに剣を振りかぶる。
「――――――――、」
「――――――……」
クリスティアナ・ヴァルトーレは天才だ。
彼女には類い希な才覚がある。
ただの剣士、剣気を扱えない凡人に負ける要素などない。
だが、才覚があるが故に経験は実力に追い付いていなかった。
そこが聖剣を持つアッシュバルトとの差となったのだろう。
彼には剣を握った時間があり、すなわち実力差を返すだけのモノがあったのだ。
すなわち足りない。
不足している。
いまの彼女の全身全霊がわずかに適わず苦戦する結果となった。
……ならば、どうする?
〝決まっている――――〟
踏みしめた地をひと息に蹴る。
アッシュバルトが目を細める。
――恐れるな。
怯える心などいまは捨て置け。
そんなものはまったく要らない。
――不要なモノを切り捨てる。
視覚の色。
嗅覚の匂い。
味覚の味。
痛覚の刺激。
捨てる、捨てる、捨てる――――
その分だけ、この一刀に捧げる。
「――――ごぼッ!!」
内側からの傷。
口から血がこぼれた。
よろけた足をどうにか踏ん張らせる。
「ッ!!」
……堪えきる。
歩みは止まらない。
――――また一歩、踏み出す。
「――――――――ッ」
血を吐きながら狙いを定める。
すべて間違えていた。
認識が甘かった。
全身全霊、例え身体が壊れようとも斬るなんて生温いもいいところ。
不足を補うのなら躊躇してはならない。
犠牲を払うのなら覚悟して。
捨て去るのなら最初から。
――――この身を壊す前提で、奴を斬り殺す。
それは生命への冒涜だ。
なにせ自分たちは
その奇跡を自ら捨て去るのはあまりにも生物として間違っている行為。
感情ではなく遺伝子に刻まれた思念が震え出す。
死への恐怖。
種の継続をかけた強迫観念。
――――要らない、関係ない。
いま必要なのはどう生きるか、なんてくだらないコトではない。
どう斬るか、それだけだ。
「――――――――――――――」
自己保存の楔を外す。
それだけでヒトの力は規格を越える。
当然だ。
自滅を前提とした力の行使などマトモな生き物には行えない。
本能をおさえて知性と理性で動くなど人間にしかできないコト。
故にその蛮行は最も人間的でありながら、最も生物からかけ離れている。
――――地を踏み砕く。
床がひび割れる。
震脚の衝撃でアッシュバルトの身体が宙に浮く。
校舎が崩壊しはじめた。
無理もない。
人並み以上、超人よりもっと上、生き物として眠っていた力だ。
――――剣を構える。
よもや、逃れる術はなく。
「魔剣」
紡いだ声音は自然とこぼれた。
確信と直感。
囁くように脳がソレと認識する。
神域の業。
極限の技術。
剣の頂。
そこにいま――――十六の少女が足を踏み入れる。
「終閃散華」
目で追えず。
太刀筋は見えず。
通った後に血飛沫が舞う。
鉄臭く咲く曼珠沙華。
脳天から股下まで。
かち割るように叩き切られた男が、力無くその身を倒す。
――そして一方討ち手は。
千切れかけの両腕と砕けた両足をそのままに、ニヤリと笑って振り返った。
「――どうでしょう。ほら見たことですか。この通り」
眼窩から血を流し、口元から胃液を垂れ、赤色に全身を塗れながら、
「――――わたくしの、勝ちですわ」
堂々と、その一言を宣言する。
「――――…………嗚呼。そう、だ――――」
「楽しかったですわ。満足でした。――偏に剣才と言えど千差万別。わたくしはこの通り聖剣を扱えない。なればこそ、その素質を以てして、貴方は聖剣使いということ」《
「――――――――――――」
「最初から最後まで、貴方は手強い〝剣士〟でした。アッシュバルト」
「――――…………そう、か。私、は――――」
くすり、と。
はじめて。
剣を手に取ってから、その限界を知ってから。
いつからか忘れていた笑みを、男は浮かべた。
「――――あぁ。そうか、そうか。ふ、ふははっ」
「…………」
「――――――ありがとう、我が好敵手――――クリスティアナ、ヴァル、トーレ――……」
勝者は此処に。
限界を超えた少女の刃はついぞ――――極点へ届いた。
》魔剣
人生に於いて本来一度きりの自滅技。悪役令嬢ちゃんの身体掌握をフルで使って放たれる。防御されても防御ごと叩き切る。回避は人間の反射速度的にほぼ不可能。シンプルイズベストッ!(脳筋)
》悪役令嬢
大勝利。やったね!(血みどろ) ところでこの魔剣をどう思う? すごく……頭が悪いです……(諦め)
》冷徹紳士
満足。