その夜、昨日同様にクリスティアナは庭園の演習場へと向かうコトにした。
理由は単純。
それでいて何度も己で自覚しているモノでもある。
――――腹立たしい。
気に入らない。
休憩時間の逢瀬も、昼食の誘いも、午後の訪問も。
なにからなにまで「ごめん、今日は先約があるんだ」と断られた事実。
――――酷く、心が荒れている。
もはや我慢ならなかった。
こんな心境でいては遅かれ早かれどうにかなってしまう。
むしろ現在進行形でどうにかなりかけている、と彼女は歯ぎしりしながら自覚する。
「あんのォ――――バカ王子ィイイィイィイィイイッ!!!!」
振り抜いた拳は近くに植えられた木の幹に突き刺さった。
べぎゃあ! と悲鳴をあげて外皮を砕かれる自然の緑。
代わりに「ぶしゃっ」と果汁のように彼女の手からはじけ出る血が大地を染める。
「ふ――――ッ、ふ――――ッ、ふゥ――――…………
……痛くはない。
いや正直めっちゃ痛いしクソ痛いし今すぐ痛いと言いたいぐらい痛いが――――何度も言うように、このぐらい心の傷に比べれば大したコトではない。
そう、傷だ。
彼女は傷を負っている。
確実に心を抉られている。
何故なのか。
意味もない自問自答はすでに出た答えしか返してくれない。
私のモノを取られかけている。
私のモノだった彼の隣が奪われている。
私のモノであった彼の婚約者という座が脅かされている。
――――それが、心を傷付けた。
「本当にッ――……どうか、してますわよ。わたくし。そこまであのクソ殿下のことが好きでしたの……? このイライラのもとが愛? 甘酸っぱい恋心? ざけんじゃねえですわよそんなんだったら愛などいらぬですわ……!!」
うがーっ! と叫ぶが気分は晴れない。
もやもや。ムカムカ。イライラ。
胸の奥はざわついたまま。
……ワケが分からない。
分からないコトだってそうだ、腹立たしい。
それが自分の心情だとすれば尚更のことだ。
「はぁ…………、」
ひとつ、大きなため息。
夜風にあたればこの熱も冷めるかと思ったが、そうはいかないらしい。
身体は冷えても胸にはぐちゅぐちゅとした
――――思えば。
昔からクリスティアナ・ヴァルトーレという少女は、ちょっとおかしかったのだろう。
他人と分け合うという事ができなかった。
その意味がさっぱり理解できなかった。
なぜだろう、と幼いながらも心底疑問に思ったのを覚えている。
私が持っているモノ。
私がもらったモノ。
私が手に入れたモノ。
それらはすべて私自身のモノだ。
私だけに与えられた私のモノだ。
なのになぜ――――私以外の他人へとそれを渡さなくてはならない――――?
(わたくし、思ったより狭量なのですかね? 器の大きさは海より広いと自負していましたが、せいぜい巨大湖ぐらいに訂正しなくてはならないかもしれませんわ。……いえ巨大湖は言い過ぎましたわ。大陸ぐらいにしておきましょう。流石に湖とか小さすぎますわよね、わたくしにとって)
はあ、と二度目になるため息を吐きながら歩を進める。
月が照らす夜の庭園。
彼女はこの場へと足を運ぶ際に絞め落としてきた。
一時間ちょっともすれば目覚めて騒がしく探しに来るだろう。
――――それまで、クリスティアナひとりの時間だ。
「………………、」
昨夜同様、演習場は散らかっていた。
人影はおろか人の気配もない様子。
そっと落ちていた木剣を拾う。
くり返すように握り絞めれば
打ち込む先は――先日と同じく地面に刺さった丸太。
「――――――」
剣を構える。
腰を落とす。
自然と呼吸の乱れは消えた。
あれほどうるさかった心臓がやけに大人しい。
思考には一分の余計なモノはなく、身体はすでに切り替わったように緊張を保つ。
――――わずかな静寂。
風の音。
月の光。
水のせせらぎ。
枝葉がざわつき草花が揺れる。
「――――――、――――――」
昨日は真横に振り抜いた。
今度は縦に裂いてみよう。
冷静にそんなコトを頭で考える。
……両手で握った剣を、頭の上へ。
「…………、」
右足を下げて地面を踏みしめる。
腰はさらに深く、低く。
視線は真っ直ぐ標的へ。
柄を握り絞める手は砕けんばかりに。
後ろへかけた体重を一気に前へ出しながら――
「ふッ」
左足で、大地を抉り抜く。
(少し、ズレましたわね)
一瞬の浮遊感が全身を包み込んだ。
超速の勢いで跳んだ肉体が空を翔る。
衝撃を上手く制御できずまたしても足首を挫いたよう。
――――関係ない。
ここから先、
視覚ではなく、聴覚でもなく。
五感すべてで彼我の距離を測る。
到達は一瞬。
機会は一度。
逃せば次はない。
これで決めなければ無様に転がる。
そんな醜態を許せるか?
――――否、否、否。
強く思う。
固く願う。
ここで――――――
(――――この瞬間に、断つッ!!!!)
斬撃は鈍く鋭く。
衝撃は壊音を伴って。
空中で円を描くように振り抜かれた木剣が、丸太を中心から真っ二つに叩き割った。
…………今回は、得物も無事。
「――――ッ、ふぅ…………――――」
左足は駄目になったので、右足で滑るように着地する。
振り返って見てみても結果は同じ。
手には明らかに「やった」という感触が残っていた。
…………ぞくり、と。
背筋から這い上がってくるような、奇妙な悦び。
「…………は、ははっ。あははははっ」
思わず笑った。
なんでかはよく分からない。
けれど、おかしなぐらい上出来だった。
自分が自分じゃないみたいだ。
いつもいつもキーキーと声を上げて、叫んで、そんな己がどこかへ消えた。
胸に宿したはずの怒りも、憎しみも、心の雑念がすべて。
――その瞬間は、ただ剣を振るうコトにしか意識が向かないから。
「――――――――…………ふ、ふふひっ……」
ゆらりと立ち上がって歩く。
左足が痛い。
昨日よりかマシだけれど肉体に損傷が発生している。
ああ、今はすぐにでも。
「ふ、ふふふっ、あははっ」
試すことは沢山ある。
やりたいことは無限に湧き出てくる。
――剣を持つだけで心が躍った。
――刃を振るだけで血肉が湧いた。
「あははっ、あはははははっ」
それは間違いなく、彼女に隠されていた才能のひとつ。
奇妙な形で発芽した、あまりにも素性とかけ離れたあるべきではない姿。
月夜の晩。
静寂の包む庭。
暗く散らかった演習場。
剣を振る令嬢の姿は、まるで月に狂わされたかのような笑顔だった。
◇◆◇
――――翌日。
「あぁぁういぎにゅぅううぅぅうううンンンンッ!!!!」
「お嬢様?! お嬢様しっかりッ!?」
「ううんッ!! んぐぬぬぬぅいあァアあァあぁぁあッ!!!! おぉおおぉおッ!!」
「お嬢様!! お嬢様ァッ!!」
ジタバタと暴れるクリスティアナをアジーは必死で抑えつける。
異変に気付いたのはつい先ほど。
いつも通り彼女を起こしに来た侍女は、ベッドの上で水に打ち上げられた魚みたいに飛び跳ねる主の姿を見た。
――――正直ちょっと面白い光景であったか否かと言えば、前者だが。
それはともかくこの暴れっぷりには最悪の未来が頭をよぎるものである。
もしや、まさか、彼女は――――
気が触れたのか、毒でも飲まされたのではないか――と。
(い、いやでも昨日の夜までは普通だったわ! あんなに元気よく木剣を振り回していたんだし!! 朝は私が一番にお嬢様に会いに来るから、そんな、コトは――――)
「クリスティアナッ!!」
「早く医者をッ! こっちよ!!」
「――ッ、公爵様!! 公爵夫人様!!」
「アズリル! なにがあった!? クリスティアナは無事なのかッ!?」
「わ、わかりません! 急にっ、私もッ――だって、お嬢様ッ――あぁあぁッ」
「クリス! クリス!! しっかりなさい!! 貴女は私の娘でしょう!?」
「ぎぃいぐぅうぅんんんん!! んんんんッ!! ああぁぁああぁあぁあッ!!!!」
毛布を掴み喉から必死に声を上げる様はなんとも痛々しい。
なにが彼女を苦しめているのか。
一体どうして、誰が、どうやって、こんな。
(――――私のお嬢様に、こんな、コトを――――)
「……えー、重度の筋肉痛……ですね……」
「「「――――――――??」」」
「ん、ぐふぅッ!! うにゅああぁああぁああぁッ!! おおッ!! おぉおぉお――」
「あと、肉離れと、捻挫と……疲労骨折が二箇所ほどですか。内出血もしていますね。よほど激しい運動をされたのですかね……? これほどまでの症状は初めてですが、教会製の回復薬を塗って一日安静にしていれば治りますよ。あ、痛み止めも一応処方しておきますね」
ニッコリと笑って人の良さそうな医者は荷物を仕舞いにかかる。
「…………アズリル」
「……はい」
「心当たりは……」
「……昨日、夜遅くまで演習場で……」
「…………、」
「……アホみたいに、剣を振っておりました」
「――――そうかぁ…………」
ヴァルトーレ公爵の目は、どこか遠くを見つめていた。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いィイィィイイイ!! 死にゅうう!! 死んじゃうぅぅうぅうぅう!!
◇◆◇
「――ねえ、聞いた?」
「うん。ヴァルトーレ様、今日お休みなんだってね」
「どうされたのかしら。今まで一日も欠席したコトなんてなかったのに」
「ほら、あれよ。殿下を取られてついに心がやられちゃったのよ」
「ああ、パラネロスの子だっけ。元は平民の養子でしょ? 運が良いわよね」
「クリスティアナ様が気の毒だわ。はやく元気になってほしいものよ」
「なんだかんだでいないと寂しいのよね」
「ええ。あの明朗快活さ……ではなく陽気さ……とも違う……こう、なんというか……」
「喧しさはわりと重要ですわよね。ヴァルトーレ公爵令嬢の代名詞ですわ」
「そんなコト言ってると
「あらあら、お上手なこと」
不意に聞こえてきた会話は、彼にとっても朗報だった。
くすりと笑いながらなんでもないように廊下を抜けていく。
詳しい事情は独自の情報網からすでに把握済みだ。
なんでも馬鹿みたいに
まったくもって愉快。
今すぐ大声で笑い出したい気持ちを抑えながら、自教室への扉を潜ろうとして。
「――――お、お待ちくださいっ、ライセス殿下!」
「……うん?」
最近、ずっと耳にしている声に呼び止められた。
振り返ると見えるのは肩にかかるぐらい伸びた桃色髪。
自信なさげでありながら透き通る空のように鮮やかな青瞳。
どうにも珍しい、向こうからの接触である。
「いきなりどうしたの、マーガレット。なにかあったのかい?」
「ッ……ぁ、その……っ、ら、ライセス殿下」
「うん」
「いっ……いつ、まで……こんなコトを……するつもり、なの、ですか……?」
「――――ああ。なるほど。そういう話をしたいのか。君は」
「ッ」
びくん、と肩を震わせた彼女にどうしたものかと眉尻を下げる。
……そう怖い思いはさせていないハズなのだが、どうにも彼女は鋭い。
おそらくは気取っているのだろう。
とはいえちょっと迂闊だ。
話を聞かれると不味い、というのは分かっているだろうに――と、彼は小さく息を吐きながら耳元へ口を近付けて。
「ごめん、もう少しだけ。本当に」
「そ、そう言って……もう、二ヶ月以上……ですよ……?」
「だからもう少しなんだ。お願いだ。ほんの少しで良いから」
「で、ですがっ……今日だって、ヴァルトーレ様、が……!」
「――君の家の領地が凶作だからと、支援はしてあげただろう?」
「っ」
「……最初から交換条件だって、そう言ったじゃないか。俺は先にもう済ませた。次は君の番なんだから、ちょっとだけ我慢してほしい。お願いだ。でもないと――」
……ああ、でもないと。
「――俺は、一生後悔するから。生きていても、死んでいても」
その楽しみを味わえないという一点だけで。
》筋肉痛
本作最大のえっつぃ♡なサービスシーン。ほら、かわいい女の子がイキそうになって喘いでるぞ服を脱げ(響き渡る獣のような咆哮)
》殿下
わりと早いネタばらし。かませっぽい空気出してる殿下が見られるのは今だけ!(半額)実のところ最初は冗談半分だった。反省はしている。後悔はしてない、と供述しており……