「死ぬかと思いましたわ」
「それはこっちの台詞ですよぉお!! お嬢様ぁぁあぁぁああ!!」
「うふふ、アジーったら。涙でお顔がぐちゃぐちゃになってますわ。ちょっと離れて?」
「びえええええええええええええ」
「離れてくださいまし?」
「うえええええええええええええ」
「離れろって言ってんですのよッ!?」
「おじょおざまぁぁああぁぁあうあううあうあうあう」
ひしっとしがみつくアジーを片手でぐいぐい押し退けながら、クリスティアナはほうと息を吐く。
――――いや
たったの一度であれだけ体に負担をかけた動きを何度もくり返した所為だろう。
快感は一時の麻酔みたいに効いてくれていたが、その効果も切れてしまえばあの通り。
剣を振るのは気持ちが良いが、毎回コレだともしや大して才能もないのでは、なんて考えてしまう自称才色兼備な公爵令嬢である。
護身術を習った時ですらこんなになったコトはない。
「……クリスティアナ」
「お父様! アジーをなんとかしてください! わたくしの素敵な寝衣が涙と鼻水でべとべとですわ! コレはハンカチではありませんわよ!?」
「今日から一週間……いや二週間の謹慎を言い渡す。それまで部屋から出ないでくれ」
「はァい!?」
「食事は持ってこさせる……欲しいものがあれば言ってくれ……それだけだ……それだけでいい……というかもう二度とこんな真似はしないでくれ頼む……」
「なにを仰ってますのお父様!? 学園はどうするんですの!?」
「そんなモノ休みに決まってるだろうがァッ!! いいかッ、クリスティアナ! 私はッ……パパはなァ!! おまえが死んだら国を
「おやめくださいッ!? ご乱心ですか!? お父様いま国家反逆罪に問われても言い逃れできない発言でしたわよッ!? わたくしの婚約者はその国の王太子ですがッ!?」
「知るかあんなクソガキィイィイイィイッ!!!!」
「お父様!?」
この親にしてこの子ありだった。
アルバート・ヴァルトーレ。
現在帝国で最も影響力のあると言われるヴァルトーレ公爵家の当主であり、名実ともに優れた人物である彼は――――大変娘に過保護だった。
欲しいものは買い与え、望みのままに願いを叶え、それはもうダラッダラのデレッデレに甘やかすというのは社交界でも有名な話。
そんな彼が若い頃はちょっと――すこし――わりと――……ぶっちゃけ先代当主が縁を切るか悩むほどの悪餓鬼だったのは知る人ぞ知る事実。
今の姿からでは想像することもできない過去である。
「おやめなさい、みっともないですよ貴方」
「メアリ……」
「お母様……」
「クリス。落ち着いたようでなにより。やはり貴女は強い
「っ……お、お母、様 ……っ」
「――ところでどうして急に剣なんかを? 習ったことすら無かったのに」
「鬱憤晴らしですわ!」
「そう。一ヶ月は部屋で過ごしなさい。大丈夫、なにかあったら言うのよ」
「お母様!?」
「いい、絶対に部屋から出ないで。家の外はもちろん、庭に向かうのも駄目だわ。心と体をゆっくり休めて。母はそれを願ってます」
「ちょッ! 待っ――お、お母様! お母様!? それはいくらなんでもッ!? というよりお父様の提示した期間より長いですわ!! なんでですの!?」
話は終わり、とばかりに踵を返して扉のほうに向かう公爵夫人。
抗議の意思を一切薄めないクリスティアナは当然起き上がって追い付――こうとして身動きが取れないコトに気付いた。
「お母様ッ! わたくしを見てください! ほらこんなにも元気です! あと三日……いえ! 二日もあれば怪我だって治りますわ!」
「クリスティアナ。無理をするんじゃない。ここはお母様の言葉に従うんだ」
「ですがお父様! 一ヶ月は長すぎますでしょう?」
「はっはっは。私はもうひと月伸びてもいいと思うがね?」
「
「ハッハッハ。口が悪いよ私のかわいいクリスティアナ」
そこもまた愛らしいんだが、なんてアルバートは頬を緩めながら立ち上がる。
両者の意向、処遇の内容はこれにて決定した。
屋敷内に悲鳴を轟かせて身体をボロボロにした娘に容赦はしない。
泣き落としも懇願も効かない、聞かない、といった感じ。
「そういうことよ、クリス。分かったら大人しくしていて。いい? もしも破るようなことがあれば――――」
「…………あれば、どうなりますの?」
「――――とても恐ろしい〝体感〟をするコトになるわ」
バタン、とドアが閉まる。
カツカツと遠退いていく足音が、それで彼らが去ったのを知らせてくれた。
部屋の中には呆然と扉のほうを見るクリスティアナと、その腰に抱きついてぐすぐすと鼻を鳴らすアジーのふたり。
……きゅっと、無意識のうちに布団を握りしめる。
(――――――……体感……?)
最後に残された母親からの一言。
なにかを含んだような微笑といい、どこか気になる言い方といい、単なる警告として聞き流すには気になる。
……が、それにしたって一ヶ月は長い、長すぎる。
あのピンクのクソビッチを思えば一日だって学園を休むのが惜しいというのに、それを一ヶ月間もだなんてクリスティアナとしては到底ありえない。
断固反対だ、絶対に
「――というかアジー! いつまでわたくしにひっついておりますの! 侍女がそんなでは何もできませんわよ! 早く仕事に戻りなさいアジー!!」
「ごべんなばい……!」
「人語を喋りなさい人語を! ああもうっ! まったくしょうがない……!」
安静は必要だ。
回復薬を塗って痛み止めも飲んだとはいえ、傷はまだ残っている。
体力だって完全に戻ったワケではない。
合理的に考えれば部屋で休むというのは間違った選択肢でもなかった。
……ただ、
(……庭にも出られないのは、ちょっと癪ですわね……)
ただ、彼女の理性なんてものは、現状たったひとつの行動に破られるほど脆かっただけのこと。
◇◆◇
ぎぃっとドアを開ければ、外で立っていた見張り番と目が合った。
「クリスティアナ様? どうしたんです、夜遅くに」
「――――アジーは……いる……?」
「? アズリルですか? 彼女はいま東館の見回り中ですよ。……あ、急ぎの用なら」
「いえ、よくってよ。大丈夫ですわ。ありがとう。……すみませんわ、ユーリ」
「ッ!? え、お、ぅッ、く、クリスティアナ様が、お、オレの名前――――!?」
「ふんッ!!」
「ごぺっ!?」
ズドンッ、と腹部に思いっきり突き刺さる細腕の拳。
見た目からは想像もできないぐらい重い一撃はそのまま彼の意識を刈り取った。
……もちろん死んではいない。
確認したが幸せの絶頂みたいな顔で気絶しているだけ。
たぶん夜明けまでは目を覚まさないだろう。
というかなんならそのまま目を覚まさないほうが彼の幸福のためでもある。
「申し訳ございません。貴方のその真面目さは大変好ましいのですが、いまはそれよりも大事なコトがありますので」
そっと手を合わせて拝んでおく。
ごめんなさい、という意味と。
良い夢見ろよ、という意味を込めて。
「さて。東館ということは演習場からも遠いですわね。僥倖ですわ。このままちょろっと――」
そうと決まれば話は早い。
体調は万全ではないが、先日から
今まで動かしていたモノが自分じゃなかったみたいにスッキリと手足を操れる。
だから、いまの彼女からしてみれば足音をたてずに歩くのも簡単なコトだった。
出来るだけ物音をたてず。
気配を殺して、息を潜めるように。
それでいてあまりにも自然体で、屋敷の中を抜けていく。
道も、向かう先も、昨日とまったく同じ。
今夜は雲があった。
月明かりは若干暗くて、冴えた月光が照らすのは一部だけ。
影はより強く濃く、あたりは本当の夜が来たように沈んでいる。
演習場には何事もなく着いた。
追跡されているような感覚はない。
自分以外の人の気配も一切感じない。
ここに居るのは正真正銘クリスティアナひとりだけ。
そのことにホッと胸をなで下ろして、彼女はまたしても落ちていた木剣を――
――――――息が、止まった。
得物を取ろうと俯いた瞬間。
周りの景色から視線をきった束の間。
真っ直ぐ正面、わずかに離れた位置から覚えのある声を聞く。
一体いつから。
どの段階から。
いまの自分なら尾行に気付けるという漠然とした確信がクリスティアナにはある。
身体の感覚によるものだ。
どうにも剣をはじめて手に取って以来、五感が鋭くなったような気がしていて。
「…………お、母様……?」
ゆっくりと顔を上げる。
影になった演習場の端。
半ば木材置き場と化したそこに、足を組んで座る母親の姿を見た。
「クリス。私は言ったはずよ。大人しくしてなさいと。破れば承知しないと」
「…………、」
「――今すぐ戻りなさい。そうすれば、この件は見なかったことにしてあげるわ」
「それは……」
……予想外なぐらい、寛大な処置だった。
父親とは違って叱るときはきっちり叱る
きっと今回も同じように怒られるだろう。
追加の罰だってなにかしらあるはずだと――そう身構えたというのに。
いや、だからこそなのか。
それが逆に、不気味だ。
「……ああ、いえ。これは、やっぱり違うのかしら」
「…………?」
さあ、と風が吹く。
金色の髪が頬を撫でる。
メアリは動かない。
クリスティアナは動けない。
頭上の月はわずかに欠けていて、雲に隠れていた。
その中で、くすりと歪んだ紅い唇が。
やけに、
鮮明に。
「――――それとも、そんなに怖い思いをしたかったのかしら――――?」
〝え?〟
どくん、と。
心臓が。
跳ねて。
――――ォ。
なにか。
――――オォ。
なんだか、遠くの
――――――オォオォ。
おかしな、ものが。
ゴオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオオォオオォオォォオオォオォォオオオォォオオォォオオ――――――
〝――――――ッ!!!!????〟
反応は速かった。
思考よりも先に肉体が危険を前に跳び退こうとする。
でもどうだ。
足に力が入らない。
身体が上手く動かない。
指が、腕が、口が。
「かッ――――ぁ――――っ――――!!」
呼吸が、うまくできない。
「苦しいでしょう、クリス」
「――――ぉ、かぁ……っ、さ、ま――…………!?」
息苦しい。
狭苦しい。
屋外の真っ只中でそんな感想が浮かんでくる異様さ。
なぜならおかしいのは環境ではなく己自身だ。
身体が極度の緊張で落ち着かなくなっている。
喉元に直接ナイフを突き付けられたような感覚。
不味いでも、悪いでもなく――――空気が痛い。
息を吸うたびに咽喉がめった刺しにされてしまう。
肺が裂傷だらけだ。
そんな、鋭さしか覚えない錯覚。
原因は――――
「昼間に訊いたわよね。どうして剣を取ったのかと」
「――――…………っ、そ、れが……ッ、なに、か……?」
「私はね、クリス。その理由は、大きく分けてふたつだと思うわ」
一歩、メアリが近付く。
クリスティアナは動けない。
「ひとつは誰かのため。なにかのため。他人のため。国のため。守りたいものがあると願うため。……帝国の騎士たちは、そうやって剣を学んでいくの」
もう一歩、メアリが近付く。
クリスティアナは動けない。
「もうひとつは自分のため。己のため。その心のため。感情のため。やりたい事があるからと貫くため。他人を害そうとも歩んでいく、そんな人間の動機」
見れば母親は豪奢なドレスを着込んでいた。
コルセットまで巻いている。
普段着ではない。
ましてや寝衣でもない。
舞踏会や夜会、貴族の集まりに着ていくような一点物の高級品。
「己のために在るは騎士に在らず。帝国騎士団の教えよ。であるのなら、自らの勝手で剣を取った人は騎士ではないの。ねえ、クリス。なんになると思う――?」
彼女と同じ金色の髪。
彼女と同じ碧色の瞳。
メアリ・ヴァルトーレはクリスティアナの誇りであり憧れだった。
この人と同じ血が流れている。
この人に望まれて自分は産まれてきた。
その立ち居振る舞いは洗練されていて、元商人の男爵家から嫁いできた人物とは思えないほど公爵家に相応しいものだった。
だから。
ああ、だから。
こんな母親を見るのは、正真正銘産まれてはじめてのコト。
「っ――――ぅ…………ぁッ…………」
「剣士よ、クリス。刃に乗せるのは己自身。命と、信念と、誇りと、意地と――――自分の持てる全てを剣に懸ける愚かな生き方。それが自らのためだけに剣を取るということ」
「…………ッ」
「悲しいわ。私、貴女にはそんな風になって欲しくないの。きちんと世界を知って欲しいのよ。剣に生きては刃金の冷たさしか分からないわ。人の温もりを、肌の暖かさを、愛と勇気の尊さを。きちんと知って、感じてほしいの。ねえ、クリス。それでも――」
ざっ、と。
その足がクリスティアナの真正面で止まる。
「――――貴女は、剣を取るというの?」
身体中を刺すような空気の軋み。
存在ごと切り裂かれていく幻肢痛。
暗緑色に輝く
……なんだろう。
クリスティアナには分からない。
分かるハズがない。分かるワケがない。
なぜなら彼女は、今までひとつも剣を知らなかった少女で。
「帰ると言いなさい。二度と剣を握らないと。そう誓うだけでいいの。それで今回の件はすべて不問とします。……これが最後通告ですよ、クリス。ほら、早くその木剣を手放して。未来の王妃であり公爵令嬢である貴女が、そんなものを手にしてはいけませんよ」
優しい声音だった。
諭すような口ぶりだった。
メアリは母親だ。
クリスティアナを愛している。
だからこその言葉なのだと彼女だって理解している。
正しい選択は明白だ。
ここで大人しく引き下がれば良い。
部屋に帰ってぐっすり眠って、なにも知らずぜんぶ忘れて朝を迎えればいい。
それでこの話はおしまい。
おかしな母親も、おかしかった自分もおさらばだ。
いつも通りのやかましくて、キーキーとわめいて、周りの皆と騒ぐ、ちょっと落ち着きのない
――――――
》パパ
娘大好き。政略結婚は致し方なし。それはそれとして自分から娘を奪っていくあのクソガキは死ね(直球)昔はやんちゃしてた。
》ママ
お淑やかな女性ナンバーワン(暫定)なお努力の結果な模様。
実は昔は刃みたいな冷たい女剣士だったのがとある貴族の少年と運命的な出会いをして恋と愛を知り周囲の反対を押し切って格差結婚したとかいうエピソードがあるとかないとか。
》だからどうした?
俺のほうが強い(頭暴窮)