「……クリス?」
思わず笑えてくる。
なにを考えているのだろう、と彼女は内心で自嘲した。
正しく生きれば満たされるのか。
知らずにいれば幸せになれるのか。
――――そんなハズはない。
「――――――、――――……」
震える手足に意識を送る。
萎縮した心臓に無理やり
呼吸の痛みは一瞬。
それさえ我慢すればどうというコトはない。
もとより彼女にとって痛みは些事だ。
身体に感じる刺激は
故にこそ、クリスティアナはすでに知っている。
ああ、そう、
「――――お母様」
「……、」
わずかに肩を跳ねさせて
響いた声は微かの揺らぎも含まなかった。
たしかな意志とたしかな強さ。
それは精神的にも、身体的にも本来彼女に成し得ないコトだ。
暗緑色の光は未だ周囲を取り囲むようにクリスティアナを圧迫している。
それでも立ち上がり、真っ直ぐ親を射貫く視線を投げるのは――
「わたくし、お母様が大好きです」
「そう。私も貴女が好きよ、クリス。愛しています」
「……お母様がどうしてこのようなコトをされるのか、わたくしには理解できませんわ。けれど、必要なことですのね。ですから――こうまでして、わたくしに言ってくれるのでしょう?」
「ええ、もちろんです。だからクリス。分かっているなら、早くその――」
「ですが」
木剣の柄を握りしめる。
身体はまだまだ万全の状態とは言い難い。
回復薬を塗ったとはいえ効果は学園の
医者の言ったとおり、一日は安静にしていなければ治るモノも治らないだろう。
――――それでも彼女はここに足を向けた。
痛みを引き摺ると分かっていながら。
それが愚かな行いであると頭の中で理解しておきながら。
……なぜか。
〝ハッ――――――〟
言うまでもなく。
問うまでもなく。
その答えはすでに胸の中、はっきりと浮かび上がっていた。
決まっている――――
「いくらお母様とはいえ、
「……なんですって?」
言葉は放たれた。
得物は手のうちにおさまっている。
もう後戻りはできない。
この
けれども止まらない。
止まれない。止まれるワケがない。
なにせ此処に来た瞬間から、彼女の思いはただひとつで。
「わたくしが剣を振るのも、それによって受ける傷も、痛みも、愉悦も――――すべてわたくしだけが甘受できる、わたくしだけの
「……誰に向かって〝許可〟なんて? 私は貴女の母でしょう?」
「であれば申し訳ございません。お母様。わたくし、実はすでに話し合いでの決着など求めておりませんの。なので――――」
くすりと笑う。
いつも通りの感覚が段々と身体に宿った。
平時よりも凍てついた思考。
規則正しく跳ねる心臓。
呼吸、脈拍、血の流れ。
ところどころに損傷は残っているが、大目に見て問題なし。
そもそも、問題があったとしても構うものかと。
「押し通させていただきますわッ!!」
全力で地面を蹴り抜く。
異様な空気、重苦しい圧力、内側を指す鋭い痛み。
それらすべてを「邪魔くさい」と切り捨ててクリスティアナは宙を翔る。
手にした木剣はせいぜいが彼女の腕より少し長い程度。
故にこその接近。
昨日もその前もくり返した、矢のように鋭く疾る飛び込み。
常人の――しかもドレスで着飾った夫人ならば、そんな彼女の初手に反応できるワケがない。
「あらまあ、なんて――」
――――そう、常人なら。
「かわいらしいコトを言うのかしら?」
鋼の響く音。
薄暗い月光の下に銀色が光る。
クリスティアナの軌道は簡素な袈裟斬りだった。
メアリの右肩から左の脇腹にかけて、叩きつけるような一撃。
躊躇いはなく、弛みはなく、正真正銘クリスティアナの全身全霊だった初撃は。
――――当たり前のように、裾から引き抜かれた細剣に弾かれた。
……驚くべきは。
その予備動作も、ましてや引き抜いた瞬間も。
クリスティアナの目で追えなかったという、規格外の速さ。
「なッ――――」
「どうしたの、そんなに吃驚して。――――お腹がガラ空きよ?」
「ッ!!」
下から掬い上げるように振られる細剣。
今度はハッキリと
咄嗟の判断で弾かれていた木剣を手元に戻す。
――――間に合う。
この程度なら、無理をせずともこのまま――
「ふふっ」
分からない。
けれど、得体の知れない悪寒がクリスティアナの背を走った。
なにか、致命的な間違いを犯しているような――
〝あ〟
そしてそれは、彼女が刃を受けた瞬間に理解する。
木片が砕ける。
力がまったく適わない。
細い刃は本来もっと
用途で言えば基本は刺突。
斬りつけることもできなくはないが、にしても限度というものがある。
――――原理、法則、すなわち意味が分からない。
振れば揺れる細剣をまったくしならせずに、そのまま木剣の刃を
一体どうすれば、そんなコトができる――?
「ぅ――――――ッ!?」
勢いのまま手前に押された木剣が首にあたる。
呼吸が乱れた。
視界が揺らぐ。
力が入らない。
ほんの一瞬、一秒にも満たないわずかな間。
混濁した彼女の意識が戻るまで、あと二秒は――――
「危ないわ、クリス。もしそれが真剣であったなら、貴女死んでいたわよ――?」
「ッ!!」
――――駄目だ、遅い。
頭より先に体が理解した。
本能は正直だ。
無意識のうちに危険を感じた肉体が反撃に出る。
…………本当に正直に。
手に握った頼りない
「まだまだね」
いとも容易く、弾かれる。
「ふふふっ――――」
……さあ、どうだろう。
彼我の実力差は圧倒的だ。
天秤はもうひっくり返らない。
メアリの着込んだドレスよりもクリスティアナの寝衣のほうが動きだってしやすい。
それでもこの始末、この様、この状況。
このまま負けて、寝込んで、倒れて、剣を捨てる未来が見えた。
――――しかし、
「ッ――――――」
「!!」
叩き起こした意識を全身へ巡らせる。
己の身体にある神経、血管、臓器、筋肉、骨のひとつに至るまですべてを掌握する。
――――いま、生きるための
色を落とす。
味蕾を潰す。
嗅覚を殺す。
残るのは物を認識するためだけの視界と、感触と、耳で拾う音だけ。
それだけでいい、それだけあれば十分だ。
少なくともいまこの瞬間において、それ以外のものは要らない――――
「クリス、貴女――――」
驚くメアリの姿を捉える。
母親のそんな表情を見たのは彼女も初めてだった。
でもやめない。
決めたのなら最後まで。
走りだしたのならどこまでも。
覚悟も決意も胸の中。
このひととき、この一秒、この一瞬、この刹那。
ただこの一刀に、文字通り己の総てを懸ける――――!
「――――――――――ッ」
響く剣音。
自然の刃が銀色を凌ぐ。
押し返す、押し返す、押し返す。
力負けはしていない。
当然のコト。
なにせクリスティアナは総てを賭した。
その結果は如実にあらわれている。
「――――は、ははっ、あははははっ!」
……ふと、どうしてか不思議なことに。
重なり合った刃の響きから、
――愛情、好意、悲しみ、苦しみ。
そして――――もっとも大きな感情の昂り、興奮。
すなわち。
「楽しんで、おられますの、お母様……!?」
「――――ふふっ。ええ、なに? どうして分かったの? でもしょうがないわ。だって自分の娘がこうなのよ? それを、平坦な気持ちで迎えろだなんて――」
無理というもの、と。
「――――見事、クリスティアナ・ヴァルトーレ!」
木剣が振り抜かれる。
細剣が腕ごと後方へとはじかれる。
くり返すように今度はクリスティアナの番だ。
前面――胴体に隙が生まれた。
「――――お母様ッ、お覚悟を!!」
「――――」
瞬間。
ぞくりと、二度目の悪寒が背筋を走った。
今度は大きい。
とてつもなく恐ろしい。
……なんだろう。
なんだろう、なんだろう、なんだろう。
分からない。
分からないけれど――
〝――――――――え?〟
クリスティアナから見て右側。
メアリからしてみると、ちょうど暇にしていた左腕。
――そこに、なぜか腕ごと弾かれた細剣が握られている。
「ふふっ――――」
(――――背後で回したんですの? いまの一瞬で? 嘘でございましょう化け物ですわよお母様……! というかなぜ見え――――)
そう、見えなかった。
邪魔なぐらい余らせた袖。
ふわりと広がる地面につくまでのスカート。
腕もそうだが、顕著なのは足のほうだ。
――――動きの予兆が、分かりづらい!
(そもそもドレスはこんなことをするための格好じゃなくってよ……!)
憤りながらもクリスティアナの動きは速かった。
追撃を諦めて後方へ下がる。
咄嗟の行動とはいえ
この短い時間でどれほどやばいのかは身に沁みている。
危険な真似は自ら身を投げるようなもの。
ここは大人しく体勢を立て直して――
「――――考えが、甘いわ」
聞こえてきた声音に、明確な〝死〟を感じた。
「ぇ――――――」
「ふっ――――――」
距離にして三メートル。
腕は届かない。
刃は達さない。
なのに。
それなのに。
――――銀色が、迫る。
〝――――――
(ば、かでございましょう――――!?)
――――――間一髪。
首の薄皮一枚を切って、クリスティアナは回避に成功した。
……いや、厳密に言うと成功させれた、というべきで。
「気付いた? 驚いた? ねえ、クリス。ふふふっ」
「お、お母、様……っ」
「あははっ――いいでしょう。もう、いいわ。だってこんなの、仕方ないもの」
「――――――…………、」
ぽかん、と口を開けて呆然とする。
母親の態度もそうだが、なにより驚いたのはいまの一撃だ。
間合いを越えた刺突。
どころか彼女を過ぎてもまだ貫いた。
その瞬間に迸った暗緑色も気になる。
……だが、見間違えでなければ。
なにより異質だったのは――あのとき、
「関節を外したのよ」
「………………、え?」
「そのまま剣気を流して腕ごと射程を強引に伸ばした。ただそれだけ」
「?? …………????」
「貴女にはできないでしょうね」
「もちろんですわそんなコト意味不明ですわ」
「でも似たようなコトはできるわよ、きっと」
ぴくり、とクリスティアナの指がわずかに反応した。
「私が貴女に放ったのは
「……もしや息苦しさの正体はそれだったんですの?」
「ええ。ふふっ、はじめて見たわ。無理やり剣気を振り切って突っ込んでくるなんて。おまけに私の〝魔剣〟に対する反応も速かった――」
「……? ま、けん?」
こてん、と首をかしげるクリスティアナ。
当然、いまの話が一ミリでも彼女に理解できるワケがない。
「――――まあ、いいわ。好きになさい、クリス。ここまでの力を持っているもの。後戻りなんてできないでしょう? 我が娘ながらとんでもないわ。本当、しょうがないんだから」
「?? な、なんだかよく分かりませんわ。わたくしこれからどうなりますの」
「自由になさいと言ったの。ただ、怪我は勘弁してほしいわね」
「え? あ、うん? ……や、やりましたの?? やったんですのこれ??」
「ふふふっ」
月明かりの下、くすくすと母親が笑い出す。
いつの間にか握っていた木剣は粉々に砕けていた。
柄だけではなく刃の先までだ。
……おそらくは耐えられなかったのだろう。
指を開けばパラパラと木片が風に乗っていく。
「とにかく、無茶はもうやめなさい。貴女の母親として、娘が傷付く姿なんて見たくはないものよ。だから、それだけお願いね」
「え、あ、はい。わかり、ましたわ……」
……なにがなんだか分からないが。
とにかく、明日もまた色々と痛い日が続きそうだと、冷静に己の肉体状況を把握して思うクリスティアナなのだった。
》剣気
剣を握ったら洩れる不思議ぱぅわー。色は暗緑色。素人さんに向けると呼吸困難その他もろもろの圧迫感を与える困ったちゃん。剣士としての実力、素質によって強くなる。要するにオーラ的なナニカ。
》魔剣
あくまで
魔剣の話をしよう(提案)
上述の剣気を使った物理法則とか質量保存の法則とか色々無視して放たれるバグ技。この星における剣技の到達点。極限の頂。ちなみに全盛期お母様はこれで「13キロや」してた人外。ぅゎひとづまっょぃ(コナミ)読みとかルビとかは個人にお任せするぜ!(ぶん投げ)
》心が伝わった
刃を重ねて斬り合った相手の気持ちが分かるとか主人公かな?(注:悪役令嬢です