ウマ娘に責任を取らされる成人男性   作:もちもち大根

4 / 8
※文字数・独自解釈注意


カレンチャン編

 

 ──ふと、学生時代を思い返す。

 

 梅雨時の濁った水溜りが点々とする校庭。傘を畳む生徒で賑わう下駄箱。

 初夏の水泳授業の後に、白南風に乗って塩素の匂いが漂う教室。

 冬は窓側の席がいつも冷えていて、下校時には暗い道路に冷たさと寂しさが滲む。

 満開の桜は新しいクラスメイトと出会うことへの期待。綺麗に整った制服で教室に入るときには緊張と興奮が何度も交錯する。

 きっと、それは、誰もが経験した日常の断片。

 期間は短く、内容は濃い、人生の貴重な時間。

 

 そして特殊な部類だが、トレセン学園も歴とした学校施設だ。アスリート色が強くとも生活基盤は学生にある。

 授業を受けて、テストに臨み、成績に一喜一憂する。学園祭や校外学習もあり、普通の学生と変わらない日々を送っている。

 ウマ娘である彼女たちも『青春』を楽しんでいるのだ。

 

 ──しかし、そのキラキラした輝きは、俺にとって眩しすぎる。

 

 俺の学生時代はトレーナーになるため、中高6年間を勉学に捧げた。

 学習時間を最大限に確保するため、友人などと呼べる人物は作らず、クラスでのコミュニケーションも最低限しか行っていない。

 そんな協調性の劣った人間など日陰者になるのが当然。入学当初は話しかけてくれたクラスメイトも、次第に距離を取るようになる。

 最終的に彼らが俺に話しかけたとしても、その内容は教室変更などの事務的な連絡のみ。授業でグループを作るとなれば、俺は教室の端で単語帳を捲り、最後に調整として割り振られるのを待っていた。

 

 その結果が先ほど並べた記憶に辿り着く。

 浮かび上がる学生時代は誰もが知っているものだけ。友人との下校時の買い食いも、部活の合宿も、恋心だって抱かずに青春を終えた。

 今までも、そしてこれからも同窓会などには呼ばれないし、俺の顔など覚えている同級生はいないだろう。

 学生としては底辺の生活。後悔はしておらずとも、忘れられるのなら本望だ。

 

 そんな記憶の中で、唯一俺という学生を表現できるのは卓上の記憶だ。

 古本と型落ちのパソコンが並んだ学校の図書室。自習席の角を陣取り、デスクライトの位置を調節。分厚い参考書を開き、白いノートに求められた解答を埋めていく。

 時折聞こえる楽しそうな学生の声に大きく息を吐いて、できるだけ無心を保って問題に取り組み続ける。

 小指に沿って手の側面が黒鉛色に染まるのと、机の端に増えていく消しゴムのカスで、経過時間を予想した。

 下校時刻になったら塾に移動して、また同じことを繰り返す。

 そんな退屈で仕方ない日々が俺を作り上げた。

 

 ──正直、心はギリギリだった。

 

 しかし、自身の目標であるトレセン学園のトレーナーに求められるスキルは多い。主要科目の知識は勿論、運動を教えるのにスポーツ学、身体のケアのために医学は必須だ。必要であればウマ娘の前で走り方を実演するため、トレーナー自身にも運動能力が要求される。

 国立大学の卒業者たちが、僅かな枠に就職するために争うのが当たり前の世界だ。一つたりとも取りこぼすことが出来ない。

 

 それこそ目に見える欠点を抱え、それでもトレセン学園のトレーナーになった者など、長い学園の歴史を紐解いても一人しかいないだろう。彼女は運動音痴ながらも、それを補う知識と指導力を備えた超人であった。

 ……ちなみに、その人は高校時代の先輩だ。彼女が生徒会長で、俺が副会長。それでもって当時から同じ目標(トレーナー)を夢に掲げていたため、俺は彼女に追い付くために必死に勉強した。

 ただ彼女が卒業するまで、俺は模試で一教科も彼女を上回れていない。彼女のように秀でた人物でないとトレーナーになれないのではと、自信を失った回数は数えきれなかった。

 

 そうなれば、凡人の俺に休む暇は無い。

 劣る部分は時間を掛けて、学習を繰り返して積み重ねなければならない。一日でも休んでしまえば、きっと天才にはすぐに追い越されてしまう。

 

 高校受験で補欠合格した学校は偏差値が高かった。

 勿論、補欠合格した俺の入学時点での学内偏差は、学年の平均をしっかりと下回っていた。入学時はトレセン学園どころか、トレーナーになれる訳がないと陰口のネタにされた。

 翌年は生徒会に入れたのは、学校への賄賂だと噂されることもあった。

 最高学年では永遠に机に居座る俺を、周りは独りよがりの夢想家と貶していた。

 

 ──でも、それならと愚直に進み続けた。

 幸運にも生徒会長が難関大学に進学するのを間近で見られたのだ、示してくれた道を無駄にしてはならない。

 歯を食いしばって、周りに対して込み上げる感情に耐えた。

 

 

『いつか、私のトレーナーになってね』

 幼いころに結んだ一言の約束。それを実現させるために走り抜けたのだ。

 

 

 さて、そんな地味陰キャ学生生活で、心から楽しかったのは就寝前の数十分。内申点に要求される勉学ではなく、自分の好きなウマ娘について自主的に勉強する時間だ。

 ヒトとは違う筋繊維や骨格について教本を読んだり、録画していたレースから自己流の作戦を考えたり。時には、キタちゃんのお父様に教わった歌唱技術を書き記したノートを手元に、ウイニングライブの映像に没入していた。

 

 ……ああ、そうだ。ライブで思い出したことがある。

 

 世間ではウマ娘の肺活量について考えることが少ないらしい。気になるのは、彼女たちの突出した速さばかり。深めのファンでも、足の構造をネットで調べるレベルだ。最長3000Mをあの速度を維持している肺の構造や、血管強度・酸素供給などの人気は低い。

 どれだけの神秘が隠されているのか、ぜひ知って欲しいものだ。

 

 それに、トレーナーを経験して、今まさに肺活量の凄さを実感している。やはり、ウマ娘はヒトの数倍の声量があり、真っすぐで綺麗な声をしている。

 

「お兄ちゃん!! カレンがいるのに浮気したでしょ!!」

 

 まあ、だから大声で叫ばれるとピンチだ。トレセン学園のデカイ校舎でも、彼女たちなら余裕で建物中に響き渡らせられる。

 それにウマ娘は耳も良い。つまり、敷地面積が広くとも致命的な一撃になるわけで……。

 ──つまり、この後は社会的な死が待っているんですわ。

 

 

 

 *

 

 

 

 一人のウマ娘が乱入したことでミーティングは中断した。静まった部屋を支配しているのは、見知らぬ少女が放った爆弾発言の残響だけ。

 放課後の人通りの多い廊下も、数秒間だけの静粛を留めていたが、すぐさま驚きと困惑の混じった悲鳴が広がっていく。

 身に覚えのない浮気を咎められた男性は、急いで弁解文を脳内で検索する。

 しかし、残念なことに彼の辞書に恋愛の文字無し。修羅場の対処方法はマニュアル化されていない。非リア充とは哀れな生物なり。

 

 男は弁解文構成の時間稼ぎを頼もうと、教え子のウマ娘たちに目線を配る。

 ──ああ、残念。頼れる仲間はみんな目が死んでる。

 キタサンブラックは絶望した表情で、スぺは都会は進んでいると例の妄想状態。サイレンススズカは、……直視出来ない。笑顔なのに、鉛のようなオーラが滲み出ている。一部の生徒からレグルスの正妻と思われている彼女には、こんな事実は到底許されることではない。

 

「カレン聞いたんだよ!! 日曜日に学校の子とアクセサリーショップにいたんでしょ!!」

 

 自分をカレンと呼称するウマ娘は、片方の頬を膨らませ部屋に入り込む。その大足は、のしのしと漫画なら表現されるだろう。

 そして勢いのままに書類が並ぶ机に手を付き、のめり込む体勢で男性に詰め寄った。

 

 芝崎は眼前に迫る美少女に慌てつつ、直近の日曜日の記憶を引き出す。──ああ、それはキタサンブラックの髪飾りを修理した日だったと。

 

 以前、キタサンブラックは芝崎から貰った髪飾りを壊している。その原因が自らであり、大切にしていたモノを壊した罪悪感は強い。そのため、律儀にも芝崎へ謝罪を行っていた。

 それに対して、芝崎は破損の原因を経年劣化として、しかたがないと笑って済ませる。加えて、彼は長く愛用してくれたことに感謝し、新しいモノを買おうと提案した。

 ただ、キタサンブラックとしては直せるのであれば直したい。試せる手を探したいと願っており、彼もその意思を尊重する。

 こうして、日曜日に都心部のアクセサリーショップへと赴き、髪飾りの修理を依頼したのだ。

 

 そう、やましい気持ちは無い。完璧な師弟愛である。二人で一緒に事情を説明すれば誤解も解けるだろう。

 芝崎はこれで一安心だと視線をキタサンブラックに向ける。

 

「あわわわ……」

 

 ……残念。突然の事態に盛大にあわわっている。この具合だと彼女の助けは期待できない。

 むしろ修理を待っている間に映画を観たとか、一緒に喫茶店に行ったとか、余計な燃料を溢すだろう。

 

 これで怒っている少女の説得は芝崎自身に託された。仕方がないと腹をくくって、身を乗り出している少女と目を合わせる。

 ……しかし、弁解までに時間が掛かり過ぎた。

 芝崎の前で可愛く膨れていた頬がスッと引く。そして、彼女は冷たく細い瞳で、静かに口を開く。

 先の対に放たれたのは、又しても重い口撃。

 

「──お兄ちゃん? ウマ娘の方が強いんだよ?」

 

 あわわわ……。

 教え子に似た慌て方で、美人は怒ると怖いんだなと今さら再確認。

 

 このまま彼女に押されたままだと、怒りの増幅は免れない。それに、いつの間にかドア付近に集まって、こちらの様子を覗いている生徒たちに良からぬ噂を広げさせてしまう。

 そうなれば優先すべきはキタサンブラックの安全。彼女の名誉を死守することである。

 芝崎はようやく始めた弁解の最初に、最重要な関係性をはっきりと伝えた。

 

「ち、違うんだカレン。その子は姪っ子みたいな存在でさ……」

「──へぇ? カレン以外に……、そういう子いるんだ?」

 

 選択肢ミス。バッドエンドは不可避。芝崎走一は『カワイイ』の養分にされて消えていくだろう。

 少女の一層鋭くなった瞳に覚悟を決めて、身体に飛んでくるだろう衝撃を耐えようと身構える。

 

 ……しかし、待てども事は進まぬまま。彼は反射で閉じていた瞼を恐る恐る開く。

 すると、眼前にいた彼女が消えていた。その代わりに彼の足元から鼻をすする音がしている。

 釣られて視線を下げると、少女は顔を手で覆って蹲っていた。小さく肩を震わせて、まるで悲劇のヒロインのような雰囲気である。

 純粋なスペシャルウィークは驚愕の声を漏らしておろおろとしているが、いくらか面識のある芝崎には泣いたフリは効かない。むしろ、一連の流れで少女の魂胆は勘付かれ始めている。

 

 ただ、周りの見物している生徒は、スペシャルウィーク同様にカレンの演技が上手いことを知らない。

 このままだと成人男性が女生徒を泣かせたことが、明日には校内ニュースとして取り扱われる。芝崎は彼女の計画に乗るしか打開方法は無いのだ。

 

「……何が目的だ?」

 

 芝崎の溜め息が漏れるようなセリフ。それを待っていたと言わんばかりに、泣きマネしていた耳がピンと張った。

 すぐに座り込んでいた体が跳ねて、やはり泣いていなかった瞳を輝かせる。そして、彼女はポケットから取り出した紙を丁寧に開き、両手でそれを芝崎に渡した。

 

 彼の嫌な予感は的中。彼女の手に握られた紙は入部申請書であり、レグルスと彼女の名前が書かれている。

 お願いの部類としては一番面倒なものが飛び込んできた。

 

「カレンをレグルスに入れて下さい!!」

「断る!!」

 

 芝崎は間髪入れずに申し入れを拒否。

 現状の立場で断られると思っていなかったのか、少女が一瞬たじろいだ。──が、しかし、彼女はウマスタグラム(SNS)で、アンチコメントを完全無視できる精神の太さを持っている。却下されたことを何らかのギャグと捉えて、面接よろしく自分の持ち味のアピールを始める。

 だが、どのようなメリットがあっても、芝崎はカレンを加入させることは無い。無駄に続けても両者に利益は生まれない。

 

「……部外者なのに、他所様のミーティングを邪魔するような選手を歓迎できるか?」

 

 芝崎の強い語感に少女が口を閉ざした。

 スパイ活動がご法度のトレセン学園において、これまでの行動が重大なマナー違反であることは、彼女も十分に理解している。

 大人気SNSのウマスタグラム、そのインフルエンサーの彼女は、天真爛漫でカワイイ天使だ。そして多くの人気を集められるのは、他人や周りの状況を正確に捉える冷静な視点が必要不可欠。そんな彼女が一般常識を履き違えるなどありえない。

 たった一言で彼女の優位は崩れてしまった。

 

「……ごめんなさい」

 

 少女は耳をへにゃっと曲げる。今度こそは本当に泣き出しそうな悲壮感があった。

 もうそこからは何も喋らない。少女は扉付近で頭を丁寧に下げてから、部屋から退出した。一部始終を覗き込んでいた野次ウマも彼女を避けて、気まずそうな視線だけを向けて散っていく。

 

 台風が去ったトレーナー室は元の静けさを取り戻すが、やはり三人からも困惑した感情が見え隠れしている。

 その意を代表するのは年長者のサイレンススズカ。ミーティングらしく挙手をして芝崎に質問した。

 

「その、今のは……、中等部の?」

「ああ、ウマスタのカレンチャンだよ。俺は実の兄でも、親族関係でもない」

 

 彼女たちは優しい。もしくは空気が読める。

『お兄ちゃん』が愛称であり、血の繋がりがないことが分かれば、個々の理由に深入りはしない。男の端的な説明でも、流行に疎いスペシャルウィーク以外は大まかに納得を示した。

 

 ……しかし、どのような形であれ、カレンチャンがレグルスに興味を持っている。この事実が芝崎にはとっては非常に厄介な問題だった。

 それこそ彼にとっては、メンバー不足以上にこの問題は根深く、因縁的な危険性を孕んでいる。

 

 ──芝崎走一にとってカレンチャンの加入は、再びトレーナーを辞する結果と同等なのだから。

 

 

 

 *

 

 

 

 サイレンススズカは悩んでいた。

 彼女にしては珍しく、走っている最中も意識が悩みに向かうほどに。

 

 カレンチャンの突撃訪問から一週間が経過。メンバー不足の廃部危機は継続しており、そのタイムリミットも二週間を切っている。

 過去にキタサンブラックが発案した勧誘方法で、レグルスに興味を持つ生徒を少数ながら発見することは出来た。

 しかし、有効策を導き出した時期が遅すぎる。この時期では有望な生徒は既に他チームとの契約が済んでいるか、それが間近なことが多い。

 結局、リストアップした生徒を誰一人として体験入部まで運べず。一週間の短い期間で、メンバーの勧誘書類の名前欄はバツ印で埋め尽くされてしまった。

 これで残されたのは、トレーナーである芝崎走一の直接スカウトだけだ。

 

 ……と、ここまでが前振り。本題はここからで、サイレンススズカの悩みの種になる。

 

 勧誘最後の手段となったトレーナー。その彼に異変が起きている。

 しかも、それを感じ取っているのは、彼と最も距離が近いサイレンススズカのみ。彼女にとっても最初は微かな違和感に過ぎなかった塊が、今や大きな不安に膨れ上がっていた。

 

 異変の発端はレグルスでの夕食会でのこと。料理中に加熱していた鍋を触ってトレーナーが火傷を負った。

 火傷の箇所は指の先。すぐに冷やしたので翌日には痛みも治まり、火傷跡も残っていない。怪我そのものは何ともない普通なものだ。

 ……しかし、鍋を触った理由が『考え事をしていて集中力が無かった』と言うのが、サイレンススズカには腑に落ちなかった。

 

 完璧超人の揃うトレセン学園のトレーナーでも、人である以上はどこかでミスを起こす。もちろん、芝崎もミスはする。それも比較的にうっかりミスは多い方だ。

 例えば、パソコンを叩く動作で珈琲を書類に溢す。レース策を考えていて翌日の早朝まで経っている。書類に没頭して校内呼び出しが耳に入らない。

 サイレンススズカは、そんなミスに芝崎が慌てる姿を何度も見ていた。

 

 だからこそ、彼女の直感は疑問を立てた。

 芝崎は目の前の仕事に集中していて、そのせいで別の箇所でミスをすることはある。しかし、今回の火傷は別だ。料理というタスクを進めているのに、進行中のタスクに集中していないのは初めてのことだ。

 

 サイレンススズカはミスの原因が疲労だと推測した。

 少数ながらもレグルスのメンバーが増え、それに比例してトレーナーとしての仕事量も増えている。それに、チームにはマネージャー(・・・・・・)がいない。本来は自分たちがするべき洗濯や補給食の用意なども彼が担当していた。

 

 無論のこと彼女たちも、自らに雑用をさせてくれと説得は試みていた。

 ただ、そこはトレーナーが一枚上手。彼女たちが授業を受けている時間や、トレーニング前後のストレッチ中など、トレーナーが離れていても問題ない時間帯は把握されている。

 それはもう魔法のように身の回りが片付いているのだから、彼女たちも手の出しようもなかった。

 

 それならばと、練習後に嫌がるトレーナーを捕まえて疲労回復マッサージを施した。

 トレーナーから教わった施術、その効果は自分たちが一番理解しているのだ。これで状態が良化すると信じていた。

 頼りすぎていたことに反省して、今まで以上に彼の支えになろうと気を引き締めなおした。

 

 

 ──しかし、彼女の行動とは真逆に、男の状態は悪化を辿る。

 這って進む蔦のように、纏わりつくように。徐々にではあるが、確実に異変に犯されていく。

 

 

 トレーナーが作業中に集中を切らして、空を見上げる、溜め息をつく。些細だが珍しい行動が増えた。サイレンススズカが彼のためにと淹れていた珈琲を初めて残した。淹れ始めた当初は味が定まらず、美味しくないと彼女自身が分かるレベルでも、文句を付けずに飲み切っていた珈琲をだ。

 

 それなのに、その症状を隠すことが上手くなっている。腑に落ちる理由を付けて、今までなかった細かい休憩を取り始めている。

 もう火傷のような外傷を負うことはない。第三者から見れば、それはいつもの彼と同じだ。

 

 サイレンススズカ、彼女だけは異変を感じている。

 もし、その原因が精神的なものだったら……。そうやって心に淀みを抱えるのなら、その末に辿り着く結末は──。

 きっと、それは彼女が一度体験した絶望で、彼に救ってもらった奇跡。あの日、一歩でも間違えたら終わっていた状況に似ている。

 

 

 それなら、──今度は私の番だ。

 

 

 午後練習後のシャワーで火照った体を冷やす。散らばっていた思考を整えて、これからの行動に覚悟を決めた。

 両の手で頬を叩き、心が鈍らないように強く蛇口を締める。

 これがただの考えすぎならば、彼女が恥を掻いて終わるだけ。寧ろ、彼女にとっても歓迎される結果だ。

 

「あれ? スズカさん、どこか行くんですか?」

「……そうね、少しだけ」

 

 時間の無い朝の身支度のように手早く着替えていると、その様子をみたスペシャルウィークが近づいてくる。サイレンススズカより早くシャワーを終えた彼女は、既に制服姿に着替えを済ませタオルで髪を乾かしていた。その奥には疲労困憊のキタサンブラックが、冷房の風を受けて椅子に傾れ溶けている。

 

「それなら私も一緒に行きますよ、夜ご飯は一緒に食べたいです!!」

「わたしも──、お供します──……」

 

 練習後でも底抜けな明るさと、切れ切れながらも前向きな声が届く。

 ただ、サイレンススズカが取ろうとしている行動は、結果が出なければ余計なお節介だ。しかも、今から訪れる先のウマ娘には有らぬ容疑をかけることになる。

 そんなことに彼女たちを付き合わせてはならない。サイレンススズカは、先に寮に帰るように言葉を返す。

 ──しかし、これで引き下がる軟さならば、レグルスでは戦っていけない。

 

「でもでも、最近スズカさん元気無かったので」

「そうです──、お助けキタちゃん出動です──……」

 

 そう言って、二人の後輩がサイレンススズカの両隣に立つ。ほんのちょっと、いつもより互いの距離を近づけて、励ますような笑顔を覗かせる。

 

 二人とも選手としては赤ん坊。才能はあっても未熟な部分が多い。そのため一流選手であるサイレンススズカが身近な手本だ。二人は技術を吸収するために、日ごろから彼女のことを観察している。

 

 だからこそ彼女たちは、サイレンススズカが頭を悩ませていたことに気が付いていた。

 それはサイレンススズカが師を思っていたのと同じ。立場が少し違うだけで、彼女たちも大切な友人を心配していた。

 二人の同行にサイレンススズカ程の覚悟が無くとも、チームメイトとして、友達として一緒にいたい気持ちが軽いはずがない。

 

「──ありがとう、二人とも」

 

 その言葉に両隣の大切な後輩が笑顔で返す。

 未熟ながら、頼もしい二人の帯同。踏み出したサイレンススズカの足に不安は無かった。

 

 

 *

 

 

 寮に帰る生徒たちの波に加わり、三人が向かったのは栗東寮の一室。言わずもがな部屋の主は件のウマ娘だ。

 訪問の土産としてスペシャルウィークが人参を両手に握りしめ、緊張で目が覚めたキタサンブラックはぐるぐると尻尾を回す。

 道場破りにも思える気合の入り方に、廊下を通る他の生徒から不思議そうな視線が刺さっていた。

 先ほどに吹っ切れたサイレンススズカは、それを意に介さず扉をノックする。

 

「はーい、どうぞー!!」

 

 部屋の中から入室を促される。聞こえた声は籠っているが、甘く、少女らしく、探していたウマ娘の色合いをしている。

 サイレンススズカたちは彼女が部屋にいてくれたことに一安心して扉を開く。

 

 寮は基本的に二人一部屋である。扉の延長線で部屋面積が二等分され、ベッドや机が鏡映しで配置されている。そのどちらかの範囲で各生徒がプライベート空間を創り上げるのが鉄則だ。

 三人が今回訪れた部屋の左側は、住まう生徒がいるのかと疑うほどに殺風景だ。入寮初期に近い状態の家具。私物らしき物が少ないのに、整理が行き届いているから未使用とさえ思える。……ただ、その何もない空間に、大型の布団乾燥機が稼働しているのが癖のある味を出していた。持ち主が不在で、その顔を確かめられないのが惜しい。

 そして対極に、右側の領域はファンシーな小物が多い。全てがピンク系統で統一され、化粧品やファッション雑誌が積まれている。ごった返すほどではないが、隣と比べると賑やかさに拍車がかかる。

 

「お邪魔します、チームレグルスです」

「……こんばんは。訪ねた理由は──。まあ……、カレンだよね」

 

 カレンチャンはベッドに腰掛けていた。部屋着姿で手元には読んでいただろう雑誌が置かれている。

 しかし、そのリラックスした見た目とは裏腹に、彼女の眼差しは力が入っている。

 ただ、それは敵意ではない。──むしろその逆。自身の行動を省みて、罪として受け入れるようにも思える。

 

 彼女が罪の意識を感じるのは先日の訪問──、以外にもいくつか心当たりがある。

 確かに、ここ一週間のカレンチャンの行動を称える者は少ないだろう。

 

 彼女はミーティングに突撃して以来も、ほぼ毎日レグルスに訪れている。その数は十回前後。それもサイレンススズカたちが目にしただけでの回数であり、実際はその倍の回数に近い。

 同一チームに何度も自分を売り込むことはエリート校では珍しい。ルールとして禁止されていなくとも、一部からすれば滑稽にも映る行為だろう。

 

 しかし、以前のような学内マナーに欠ける振る舞いはない。彼女が訪ねる時間は、練習の前後や下校時間のみ。毎度、丁寧に申請用紙を新品に書き換えている。

 それがサイレンススズカたちにも熱心に感じられていた。自分が主役であっても、丁寧に誠実に行動する。たまにブレーキが外れるけども、それは若さの特権だ。

 レグルスメンバーも、最初に受けたヤバい奴(・・・・)の判定が綺麗に流れ始めていた。

 

「ごめんなさい。……カレンのせいだよね」

 

 ──だから、なぜカレンチャンが覚悟を決めているのかが分からない。

 芝崎走一の異変と彼女が訪れた時期は同時でも、ルールに則って努力するウマ娘は彼の好みだ。彼女の行動に困っていたとしても、精神を懐すほどの原因になるとは考えにくい。

 以前から面識のある彼女ならば、異変の理由が分かるのではないかと、蜘蛛の糸を信じて来ただけだ。もしかしたら、彼女を加入させないことと、何かしら関係があるのではないかと思っていただけだ。

 誓って、彼女を責めに来たのではない。

 

「……でも、カレンはお兄ちゃんと約束(・・)してたのに」

 

 カレンチャンの顔が曇る。

 トレーナーの問題を解決したい、サイレンススズカはその気持ちで訪れている。だからと言って、好印象に変化しつつある彼女が原因ならば心は痛むのだ。可能ならば、問題を解決した後に、彼女が加入する手助けだって考慮していた。

 俯く彼女をみて次を躊躇う。

 

「約束って、どんな?」

 

 でも、彼女には思い当たる節がある。それらしき発言をしている。そうなれば、そこを掘り進むしかない。

 今のままで停滞してはトレーナーも、彼女も、辛いままなのだから。ここで踏み込むのが勇気だ。

 

「──お兄ちゃんとは契約しない、って約束」

 

 掠れながら呟かれた内容にサイレンススズカは困惑した。

 前例がないことに、意味が分からない──と、その言葉が喉元まで出た。

 

 真逆の契約なら何種類だって挙げられる。

 例えば、入学前の有望なウマ娘にチームに加入することを確約させて、入学資金の一部を援助する。その上には、入学直後からのレギュラー選出を約束することがある。

 良い意味なら手厚く、悪い意味なら囲い込み。ウマ娘にチーム契約を結ばせる手段は山ほどある。

 

 しかし、契約しないという約束は聞いたことがない。

 チームと生徒が契約しない関係性は、この学園で基本的には一つだけ。一度でもチームからクビになった生徒は、同チームに再加入するのが稀だということ。

 ただ、ウマ娘は後発的な才能の開花もある。実際にそれを規則にしているチームは少ない。それに、カレンチャンはレグルスの加入歴は無く、レグルスも再契約を禁止していない。

 

 ならば何故、カレンチャンは契約を出来ないのか。ここまで加入を望む生徒に、何故そんな約束をさせていたのか。

 いずれにせよ、理解は追い付かず。予測は導けず。次の質問へと言葉は紡げない。

 

「……えっと、ちょっとだけ長くなるけど。話していいかな?」

 

 ただ、そこは空気の読めるウマ娘のカレンチャン。三人を愛用のクッションに座らせて、彼女の過去について話し始めた。

 

 

 

 *

 

 

 

 カレンチャンは『カワイイ』を追い求めるウマ娘だ。美人が多いウマ娘の中でも、特にビジュアル面には優れている。発育も良好で健康的で、モデル雑誌の表紙も担当中。一部業界にとっては時代を象徴するウマ娘の一人であり。若者でも最大の人気を誇るウマスタグラマーだ。

 この自他ともに認める『カワイイ』が生まれたのは、彼女がまだ幼いころ。起源は彼女の『本当の兄』であった。

 

『カレンの可愛さは、みんなを幸せにするね』

 

 幼少期のカレンチャンの笑顔に対して、彼女の兄は嬉しそうに言った。

 自分が幸せを感じて笑顔になる。そしてその笑顔で誰かが幸せになる。幸福の連鎖を自分で呼び込めるなど、幼き少女には何とも神秘的だろうか。

 たった一つの偶然のような、魔法のような出会いが、今の彼女にとっては必然となる言葉。

 それが彼女にとって初めて訪れた人生の転機になったのだ。

 

 それからは、子供ながらに『カワイイ』の努力を積み重ねた。

 幼くて読めないながらも、覚えたての漢字と平仮名から雑誌の情報を得ていた。得た情報からは、どうすれば自分に似合う服を選べるのか考えた。本当は化粧がしたかったが、それは親が時期尚早というので断念。その分、笑顔や立ち居振る舞いなどの基盤作りに注力した。

 

 その努力の過程で、ウマ娘なのに外に出る頻度が低いと罵られても平気だった。可愛い子ぶっていると、小学校の女子グループに陰口を言われていても信念が勝った。

 それもこれも誰かを幸せにしたかったから。幸せを広めるためには必要な研鑽だと、小学生ながらに自分の道を決めていたから。特に自分の『カワイイ』を教えてくれた兄に、もっと褒めて欲しかったから。

 

 大丈夫、いつかカレンの魅力で、みんなをもっと笑顔に──!! 

 

 そう信じて疑わなかった。

 実際、絶え間ない努力の結果が今に繋がるのだ。彼女の映る画面や雑誌の前には笑顔がある。彼女を目標に努力を積み重ね始めている若者がいる。

 歩んできた道に間違いなどない。

 

 ──それなのに、彼女には笑顔を伝えられない人がいる。こんなにも活躍しているのに、直接幸せを届けられない人がいる。

 人数にしてたった一人だが、されども重要な一人。

 彼女が誰よりも笑顔を、幸せを繋げたい『兄』にはもう会えないのだから。

 

 

 

 *

 

 

 

 カレンチャンの小学校高学年への進級間近。春が訪れる直前のこと。

 いつも通りに日課のランニングを終えて、美容のためにもしっかりと夕食を取った。本日のノルマを終えて彼女が鼻歌交じりに雑誌を読んでいると、いつになく疲れている様子の父に呼ばれた。

 面倒ながらも自室から出てリビングに向かった。……すると両親が隣同士で座っていて、やけに重苦しい雰囲気を醸し出している。

 

「──カレン。兄さんのことで話があるんだ……」

 

 ──嫌な予感がした。

 ──愛している両親の前に座ることに躊躇った。

 

 ……でも、きっと大丈夫。

 だって、今まで自分は頑張ってきたから。これからも頑張っていくから。みんなに、両親に、兄さんに、幸せでいて欲しいから。──今、想像している悪いことなんて起こらない。

 そうやって、小さく震える手を隠して両親の前に座った。

 

 

 最愛の兄が亡くなったのは、それから3か月後のことだった。

 

 

 カレンチャンが覚えているのは、黒い恰好をした両親と、高く真っすぐに登る白い煙。大勢集まった兄の友人たちが皆一様に泣いていた。そして彼女を抱きしめて、撫でて、励ましの言葉を残した。

 彼らの行動で兄が慕われていたのが良く分かった。……でも、なんで泣いているのか、その理由が実感は出来ずにいた。

 

 何日か振りに家に帰ってくると、やけに家が広い。物音も少なくて、温かみも減ってしまった。

 お風呂の順番待ちも無くなっていた。アイスの奪い合いも、見たい番組の言い争いもない。自分の好きなのを食べられるし、ソファで寝っ転がっても文句を言われない。

 そんな自由な生活が一か月も続いた。

 自由で、退屈で、楽しくて、暇な日が続いた。

 

「──ああ、また四人分作っちゃった」

 

 母は同じミスを繰り返していた。この一か月ずっと。困ったように、仕方なさそうに。

 まあ、少し前までは泣き続けていたから、今の方がよっぽどマシだと、カレンチャンは苦笑いを浮かべて返した。

 

「カレン、事故には気をつけろよ」

 

 父は娘の心配をする回数が増えた。怪我とか、事故とか、──病気。

 彼女は大丈夫だと二度繰り返す。そうでないと、向こうがもう一度同じことを言ってくる。

 学校でも似たような状態だ。体調を質問されて、無理はするなと心配された。あの悪口を言っていた女子たちでさえ、なぜか一緒に遊ぼうと言い始めている。

 

 カレンチャンは対応に困った。みんなが自分に優しいのは嫌ではないが、最近は度が過ぎている。本来はカレンチャンが誰かに活力を与えたいのに、これでは彼女が貰っている側だ。

 立場が逆転している日々に困惑がある。どうすれば皆の心配を解消できるか。また自分が誰かを思える形になれるのか。その案は小学生の彼女には浮かばない。

 

「そうだ、兄さん(・・・)に相談しよう」

 

 ──彼女は自身が壊れていることに気が付いていない。何故周りの人たちが声を掛けていたのか理解していない。生活の端々から兄が生きているような言動があるのを、彼女自身は知らない。

 

 学校から帰宅して、急いで兄の部屋に向かった。階段を上って、ランドセルを廊下に投げる。いつも通りに兄を呼んで、彼の部屋の扉を開いた。

 

 ……でも、そこにあるのは空っぽの部屋だけ。

 初夏に近づいているのに空気が冷えていて、勉強机には兄の笑った写真が置いてある。使われずに畳まれたベッド。カーテンから射す夕日は溜まっていた埃を反射させている。

 部屋に充満するのは緑色の匂い。夏の虫よけと同じ、あの黒い服を着てみんなが集まった日に嗅いだ香り。

 

「──そっか、もう……」

 

 自らの手で開けてしまったパンドラの箱。逃げて来た事実に頭を叩かれた感覚だった。

 指先が冷たくなって、体が重い。それなのに心は静かに、ゆっくりと動いている。

 もう、兄の声は聞こえず、笑いかけてもくれない。抱きしめられることも、抱きしめることも叶わない。

 自分に『カワイイ』を教え、その『カワイイ』を見せたかった兄は──

 

「いないんだ──……」

 

 自分の口でソレ(・・)を形にした。次第に視界がぼやけて、温かいものが頬を伝って落ちる。

 喉が枯れるまで泣いた。

 帰宅した父と母に抱きしめられて涙を流した。

 ──涙と共に生き方さえも流していることを露知らず。

 

 

 

 *

 

 

 

「──んで、家庭訪問しろって言われて……。どう思います?」

 

 当時の芝崎走一は新米トレーナーだ。倍率の高いトレセン学園のトレーナー試験には合格したが、未だ自分のチームは持っていない。レグルスというチームで事務仕事に追われて不満を垂れている。

 このタイミングでは次期会長になるウマ娘とも、現最強ウマ娘とも出会っていない。

 

 そんな彼に一つの仕事が舞い込んだ。

 やっとトレーナーらしい仕事かと意気込んだが、残念ながら期待には沿えない案件だ。内容もシンプルながら、どこか奇妙な外仕事。

 書類に書かれていたのは、不登校のウマ娘のカウンセリングについて。それもトレセン学園の生徒ですらないウマ娘をだ。

 ウマ娘の専門的な機関に所属しているとはいえ、怪しさを感じずにはいられない。

 

「これ怪しい依頼なんですが……、どう思われます? ──あ、店員さん、つくねと皮ください!!」

「行ってください。貴方に与えられたのなら、貴方が適任です」

 

 不満を漏らす芝崎に、高校時代の先輩である女性が仕事を催促する。二人とも指揮するチームは違いながらも、こうして食事を共にするのが恒例だ。

 

「……それに、そのウマ娘は『妹』のようですし」

「え……? リコちゃん、そんなことまで知ってるんですか? 俺の周りのこと調べすぎでしょ。好きかよ」

「ちがっ──!? 貴方は後輩ですので、フォローが必要になった時にと──!!」

 

 慌てる先輩トレーナーを他所に、芝崎は再度資料に目を通す。

 確かに相手が『妹』となれば、トレセン学園内で最適なカウンセラーは芝崎だ。それに、メンタルケアも今後のトレーナー業で活かせる。彼にとっても良い実践練習だ。

 完全に切り替わったとはならないが、なあなあの気分は無くなった。

 

「リコちゃん、ありがとうございます」

「……なんで貴方は私の名前だけ敬語を使わないのですか?」

 

 ──ノリである。

 

 翌日、芝崎は早速仕事に取りかかった。

 まずは基本の情報の整理。

 送られていた診断書に記されたウマ娘の名前はカレンチャン。精神科での診断結果は重度の鬱状態。原因は数か月前に兄を亡くしたことで、その一ヶ月間はショックで現実を直視出来ずにいた。

 彼女は元の性格が明るく、社交的。そうなれば鬱になった際の人格的な振れ幅は大きい。別人に近い娘に両親も適切な接し方を選べず、現実逃避が後々に響いてくる結果になったのだ。

 

「……さて、ご両親に挨拶かな」

 

 カウンセリングを受諾したことを知らせるために受話器を手にする。依頼者宅の電話番号を押すと、3コールで父親らしき男性が応じた。

 電話に出た声だけで分かるのは男性の疲労具合について。電波状況を疑うほどに細く掠れている。

 

「私、日本ウマ娘トレーニングセンター学園の──」

「──ああ!! お電話お待ちしておりました」

 

 息を吹き返したように声のボリュームが上がった。

 ──ああ、これは危険だと、芝崎は想像していたトリアージを瞬時に変更する。この家族には緊急を要することに危機感を抱き、昨日仕事を急かしてくれた先輩に心で感謝を述べる。

 精神科医でもない人間に対して、ここまで期待と安堵を含めた喋りは異常だ。多くの医者に見放されて、ウマ娘に詳しいトレセン学園に最後の綱を託したことを想像させる。これでは彼らは現状を変えるどころか、耐えることさえもが限界だろう。

 

「突然になりますが、今からお伺いすること出来ますでしょうか」

 

 芝崎がその質問をした時には自家用車に乗っていた。了承の返事を得て、違反スレスレの速度でエンジンを動かす。

 一時間で到着したカレンチャンの自宅は、ごく普通の一軒家であった。戸建てで、二階建ての庭付き。周辺の土地価値を考えると、生活に不自由はなさそうである。

 

 芝崎がチャイムを押すと両親が揃って出迎えた。両者とも疲労が目の下に表れて、肌は年齢よりも老けて見える。

 詳しい話をするためにリビングに促されたが、そこで芝崎は顔を歪めた。

 先に見た立派な一軒家の外見とは異なり、家の中は掃除が行き届いていない。洗濯が畳まれず、ゴミも一か所に纏められているだけで捨てられていない。

 妹の鬱が両親へと精神的に伝播している。最低限度の生活もままならないことが、一家の瓦解を裏付けた。

 

「……では、詳しくお聞かせください」

 

 芝崎は席に座り、両親から彼女とその兄が生まれてからの話を聞く。

 カレンチャンの目標と、その起源。辛いことは兄がいたから乗り越えられて、二人の仲が非常に良かったこと。

 それが兄を亡くしてからは、持ち前の明るさが見る影もない。最初は不登校で済んでいたが、現在は自室から出るのも難しい状況。食事は取るが、三回に一回程度。平均して一日一食。

 

 そして、夜は静かに泣く声が聞こえる。カレンの寂しい心が伝わると両親は締める。

 最後に二人は頭を下げて、どうか救ってくれと願いのように言葉を繰り返した。

 

「──はい、引き受けました」

 

 芝崎は神ではない。ただの人で、それも青春を味わえていない陰キャ野郎だ。これまでの幸福度など一般人から見れば底辺に近い。

 ──ただ、その分だけウマ娘には本気(マジ)である。自分は幸せでなくとも、ウマ娘たちを幸せにする強い意志がある。

 それに、未来に起こる一人の少女の復活劇と同じく、頼られたら見過ごすことは出来ない性だ。何をもって断ろうか。

 

「……では、お二人にお願いがあるのですが」

 

 内容も聞かずに、娘のためだと両親は首を縦に振る。芝崎はそれを見ると、鞄から紙とペンを取り出してメモを書き始める。

 ……そして、数分して書く手を止めると、ビシッと二本指を立てた。

 

「では、二日後、新しい運動靴を用意してください」

 

 書かれた計画書は最短で行わるメンタルケアプラン。精神科が怒り狂うようなショック療法が48時間の時間軸に細かく書き記されている。

 

「それとリフォーム業者呼びたいんですけど、いかがですか?」

 

 その発言に不思議そうにする両親に対して、支払いは此方で負担するのでと男は笑った。

 

 

 

 *

 

 

 

 ──暗い部屋にいる。

 今が何月、何日、何時か。それさえも分からない。

 でも、もうそれで良い。そんなことを気にしても、意味がない。

 

 ──暗い部屋にいる。

 自分の呼吸の音だけが聞こえる。

 肌がカサついて、髪もぼさぼさ。でも、もう努力する必要はない。

 

 ──暗い部屋にいる。

 たまに親が声を掛けてくる。

 でも、私が応えないから、ご飯だけを置いて戻っていく。

 

「──カレン、父さんだ」

 

 ……ほら、また来た。もう来なくていいのに。

 

「今日は会ってほしい人がいるんだ。きっとカレンの力になってくれる」

 

 また同じことを言っている。どうせその人も力になってはくれないのに。

 誰もかれも時間が解決するとか、辛いのは君だけじゃないとか。そんなのばっかり。私のことを何も知らないのに……!! 兄さんのことを何も知らないくせに!! 

 

 だからもう考えないし、頑張らない。

 こうして黙っていれば、その人も勝手にいなくなる。

 

「カレンさん、私はトレセン学園の芝崎走一です。顔を見せてくれませんか?」

 

 ノックの音が五月蠅い。

 トレセン学園とかどうでもいい。貴方なんて知らない。出ないし、会わない。さっさと帰って欲しい。

 

「……駄目ですね。残念ながら、これでは──」

 

 ……ほら、諦めた。やっぱり、いつもと同じだ。

 私はもう動かない。カワイイもどうでも良いし、誰かのためとか思ってもいない。静かにしていれば、もうそれで充分だから。

 

 

「──強行で行くので。カレンさん、ドアから離れてろよー!!」

 

 

 ──は? 

 

 

 扉に視線を向けたら、次の瞬間にはその扉が吹き飛んでいた。家中に響く木の破裂音が、白色電光を運んでくる。

 久しぶりに浴びた光に目を凝らすと、その先に芝崎であろう男が立っていた。天パで、眼鏡をかけた細身の男性。イケてない外見からは想像できない無茶苦茶な行動だ。

 

 その人はズカズカと部屋に入ってくると、そのまま目の前に来て仁王立ちをする。そして、大きく息を吸い込み、右手の親指で自分を指した。

 

「俺は──、カワイイ!!」

 

 何言ってんだコイツ。どう見ても『カワイイ』ではない。……いや、顔はカワイイ系だが、人の部屋を壊しておいて、そのセリフはおかしい。頭がおかしい。

 

「──だが!! お前はカワイイではない!!」

 

 そう男は付け加えると窓に小走りで向かった。そして、カーテンを掴むと、それを遠慮なしで横に滑らせる。そして日光を部屋に突き刺すと、今度は窓をも開け始めた。

 余りにも非現実的な発言で、なんとも非常識な行動の連続。唖然としていて反応に遅れた。

 

「──ッ!! やめて、勝手に開けないで!! ──って、それよりも、勝手に入らないでよ!! 非常識!!」

「確かに、それはごもっとも!! ごめんね!!」

 

 ウマ娘の力で飛び掛かるのは、普通の人間にとっては危険だ。しかし、男の言動すべてにイラついていたし、勝手にされるのは更に腹が立つ。体をぶつけ合いながら、必死になって男の行動を止めようとした。

 

 それなのに、男はトレセン学園の人間だからか、上手いこと体を抑えてくる。自室の二つある窓は完全に開けられて、肌寒い風が殴り込んできた。

 

「お前の兄さんの言った『カワイイ』ってのは有り方だ。君が本来持っている明るさと笑顔だ!!」

 

 今度は兄を引き合いに出してきた。

 大好きだった兄について、こんな頭のネジが外れた男に語られるのは腹が立つ。しかも、的外れなら無視できたが、──悔しいが男の発言は的を射ている。今の私を叱るなら、これ以上の台詞はない。

 こうなったら逆切れと言われても構わない。今にでも殴ってやると、歯を噛み締める、──が更に男は非現実的な行動を起こしてきた。

 

「そして安心しろ!! これが、お前がカワイイになる特効薬だぁああ!!」

 

 そう言って男が叫ぶと、窓の外から何かが溢れて来た。……いや、適切な表現をするのなら流れ込んできた、だろうか。

 流れて込んだのは目一杯の()。小さくて、やわらかくて、温かい緑の波。視界を覆うように体にぶつかって息も出来ない。

 ──でも、これはウマ娘(ワタシ)にとって、何よりも肌に合うものだ。

 

「これね、芝崎練習場の芝!! 今朝刈ってきたから新鮮!!」

 

 男の言葉に心拍数が上がった。兄さんの死を受けて入れて以来は、まったく感じていなかった心臓の高鳴り。本能として備わっていた心が跳ねている。どうにか抑え付けていた意識が芽生えてくる。

 

 流れが止むと、部屋中が芝だらけ。どこにもフローリングは見当たらない。手入れをしていないとはいえ、小物や服も芝まみれだ。

 この男は人の家で有り得ないことをしまくっている。怒りは最高潮を迎えている。

 ……はずなのに、変だ。芝の香りが胸に満ちて、風が肌にあたって、なぜか怒るなんて気持ちにはならない。

 

「──よし、走ろう!!」

 

 ボーッと芝を見ていると、男が私を覗き込んだ。そして無理やりに、真新しいシューズを履かせてくる。今度は抵抗する前に──、いや、抵抗する気は起きなかった。履かされていることを受け入れた。

 

 トレセン学園の関係者らしく、男は慣れた手つきで紐を縛ると、私の手を引っ張って駆けだした。廊下を踏んで、玄関を跳ねて、勢いよく道路に出た。

 私が部屋着なのもお構いなし。こちらを見ずにガンガンと手を引っ張っていく。

 

 ウマ娘の私には、この速度は遅い。遅いけど、このスピードの景色はいつも見ていたものとは違うものが輝いている。

 

「カレンちゃん!! また遊ぼうねぇー!!」

「カレン!! 先生は学校で待ってるぞぉ!!」

「カレンチャン、元気になったんかぁー!!」

 

 ──違う景色の中に、いっぱいの人がいた。私を心配してくれた人たちがいた。

 いつもの速さなら、みんなの笑顔をこんなには見られない。でも、今日は違う。

 私がしたかった笑顔が、見たかった笑顔がいっぱいある。

 

 ああ──、私は泣いているんだろう。

 枯れたと思っていた気持ちが流れている。

 

 ──悔しい。

 誰かのために笑顔でいたかったのに。両親に、友達に、町の人に沢山の心配をかけて、今度は泣いているのか。

 長期間放っておいたから、肌はボロボロで、髪もぼさぼさ。部屋着のまま外を走って、カワイイの欠片もない。こんなの私が目指していたものとは全然違う。

 もう感情がぐちゃぐちゃだ。笑っているのか、泣いているのか自分でも分からない。

 

 ……でも、みんなの笑顔に囲まれて走って確信が持てた。

 長らく閉ざしていた口が勝手に開いて、そんな自信を言葉にできた。

 

「……大丈夫。カレンは、もう、大丈夫だから──!!」

 

 もう、兄さんに届けられないと思っていた。

 でも、それは違う。こうして皆が私を見てくれていたなら、兄さんもどこからか私を見てくれている。私がもっと、更に、一番にカワイイなら、遠く離れた兄さんにだって届く。

 今度は曲げない。兄さんがくれた、皆がくれた『カワイイ』を放さない。

 

「そうだ!! 走れ、走れるんだ──、カレン!!」

 

 ずっと手を引っ張ってた男が、ぐっと私を前に押した。いつの間にか周りには誰もいなくなっている。

 視線の先には兄さんと走っていたランニングコースが伸びていた。もう会えない兄さんと、何度も走った場所に来ていた。今までだったら辛く思えていた道は、今日は私を望んでいるように思える。

 

 ──ありがとう、行ってきます。

 

 息が上がっている男性に言葉が届いているか分からない。

 ……ただ、今言わなければ、恥ずかしくて言えそうになかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「それでね、カレンはお兄ちゃんって呼ぶようになったの」

 

 レグルスがカレンチャンを訪問して1時間近く。彼女の長い語りが終わり、芝崎走一を兄と呼ぶ理由が判明した。

 話を聞いた三人は思い思いに感想を口にする。

 

「そればぁ、もう、よんでいいでずよべぇぇえ!!」

「あい!! いいど思いますぅ!!」

「ちょっと、二人とも泣きすぎよ」

 

 感極まって涙する二人に、先輩がハンカチを渡す。……が、そうは言いつつも、その先輩の目元も赤くなっているのは隠せない。

 もう三人には、カレンチャンへの不信感や緊張は無い。努力を続けた懸命な少女が、今や大人気ウマなのだ。そんな感動秘話に心が奪われて、より一層彼女に肩入れしてしまう。

 

「……でも、それだと加入させない意味が」

「分からない、ですよね……」

 

 涙していた二人が、鼻をかみながら言葉を交わす。

 芝崎走一がレグルスにウマ娘を加入させるための条件は一つ。『最強を目指す覚悟があるか』だ。それは日本一を目指すためには必須。ハードな練習にも耐え、僅かな勝利をも奪い取る精神が結果に結びつくからだ。

 サイレンススズカが『先頭の景色』、スペシャルウィークは『日本一のウマ娘になること』、キタサンブラックは『芝崎走一を一番のトレーナーにすること』である。

 三者三様ながら、勝つことが前提の目標に芝崎は首を縦に振った。

 

 では、カレンチャンは何か。話を聞く限りイメージできるのは『カワイイで幸せを届ける』だ。日本一を目指すには、『レースでの勝利』の要素が足りない気もする。

 

「──でも、一番カワイイのは、先頭でゴールした子でしょ?」

 

 ……がしかし、口を開けばこれだ。

 幼いころから探求していた『カワイイ』は、ウマ娘の本能と共に貪欲な勝利へと繋がっている。そもそも、人気ウマスタグラマーな彼女のメンタルが軟なはずがない。練習に耐える面では問題がないと芝崎も理解しているはずだ。

 ならば何故と四人は更に頭を悩ませる。

 

「ちなみに、その契約をしない約束って……」

「それがカレンも全部覚えてはいなくって。……ごめんなさい」

「いやいや!! 謝らないでください!!」

 

 カレンチャンの保有する記憶は曖昧。

 記憶にあるのは、久しぶりの走りを終えて家に帰った後のこと。今後のことを話す際、この約束を言われたということ。男の諸事情でチーム契約は出来ないが、トレセン学園には紹介するとの約束事だけを覚えていた。

 約束をしたのは運命の出会いをした当日だ。激動の一日、その終盤の会話をハッキリと覚える方が難しい。

 

「だからね、レグルスが無くなるから契約できないんだって、今まで思ってたの」

 

 カレンチャンの推測も仕方がない。彼女が入学したタイミングのレグルスは廃部中。芝崎も学校の片隅でパソコンを叩いていた。そうなると契約不可の理由は、後にレグルスが廃部することが決定していたからにも思えてしまう。

 

 そのため、レグルスが再稼働して、カレンチャンは機会を窺っていた。加入不可を告げられながらも、状況が変わったから可能性があると信じた。……大好きな人の周りにウマ娘が増えることには少しだけイライラしつつ、彼に突っかかれる理由を探した。

 

 ──だが、良いネタを探し当てても彼女の状況は変わらず。約束の理由も分からず。

 それを知っている本人は不調で、サイレンススズカは彼の異変の原因を欠片も見つけられない。

 

「やっぱり、カレンが迷惑かけたから……、お兄ちゃんが……」

 

 そんなことは無い。そうであって欲しい。

 ……しかし、異変の原因が分からずに、彼女自身が原因と言われてしまえば、完全に否定も出来ない。

 完全に行き詰った状況。次第に四人の口数が減り、感動していた温かな雰囲気が窮屈なものになっていく。

 

 コンコンッ──

 

 その濁った空気を整えるように、木製の高い音が響いた。

 何者かが部屋をノックしている。思いもよらぬ訪問者に、驚きが四人の口を閉ざす。

 

「──おい、いないのか?」

 

 ぶっきらぼうな声が廊下から伝わる。

 部屋の主であるカレンチャンが焦りながら入室を許可。彼女の声は上擦っていたが、確かに訪問者には届いていたらしい。扉の向こうから聞こえた荒い喋りとは裏腹に、寮マナーを守って扉はゆっくりと開けられた。

 

「すまないな、邪魔をする」

 

 廊下に立っていたのは、凛々しい顔立ちをしたウマ娘であった。

 海外モデルのようなメリハリのあるスタイルに、和美な漆黒の長い髪。部屋に入る威風堂々とした姿が、それらを引き立てている。

 それなのに、鼻筋に貼られたテープと、野菜のような枝葉を咥えているのが視線を奪う。豆苗っぽいですねと、スペシャルウィークだけが楽しそうにしている。

 

 ……だが、他の三人は別。訪問者を見てからは体が固まっていた。

 それもそのはず。彼女の名はナリタブライアン、現役選手としては二人しかいない『クラシック三冠』の栄誉を持つ。

 その他にも多くの重賞を勝ち取り、今は生徒会の副会長も担っている。トウカイテイオーと共に生徒の憧れの的だ。

 

 ただ、その男前の性格と感情の起伏が乏しいことから、彼女への尊敬は半分が畏怖と混じっている。そのせいでトウカイテイオーに人気が一歩及ばず。

 今も田舎っ子で知識がないスペシャルウィーク以外は、マイナスな緊張で縮こまっている。

 

「カレンに何か──?」

「……そうだな、お前たち(・・・・)に用がある」

 

 部屋に入ってきたナリタブライアンは、カレンチャンの問いに含みを持たせて回答する。

 彼女は人数が揃っていることに頷くと、スカートポケットから一枚の紙をサイレンススズカへと手渡した。

 はがきサイズの紙は真っ白ながら、少し年季の入っていて端のほうが折れている。そして右下に書かれた数年前の日付が紙の年季を表していた。

 ただそれだけではこの紙に意味は無い。彼女たちが確かめるべきなのは、その反対側に写された過去についてだ。

 

「……これ、昔のレグルスですか?」

 

 これは一枚の写真。撮影場所は学園のグラウンド。写っているのはジャージ姿のウマ娘が六人と、写真を見ている彼女たちが知った男性が一人。

 ウマ娘たちは各々がトロフィーや優勝旗を掲げている。しかも、その年号はどれも同一で、この多くの栄光を一つのシーズンのみで勝ち取ったことを表していた。

 シンボリルドルフ、ナリタブライアン、トウカイテイオー。錚々たる顔ぶれは、まさしくレグルスにとって栄光の時代であろう。

 

「スズカさん、このウマ娘さんは知ってますか?」

「……ごめんなさい、私も分からないわ」

 

 しかし、そのメンバーの中に一人だけ無名のウマ娘がいる。男性トレーナーの隣に立ち、一番小さいトロフィーを大切そうに抱えている。

 

「ナリタブライアン……、さん。もしかして、この子って──」

 

 真っ先に勘付いたのは、インフルエンサーとして容姿を気にかけて来たカレンチャン。彼女は大きな衝撃を受けて、そうだったのかと言葉を繰り返している。

 信じられないものを見たような彼女の表情に他の面々は驚くが、次第にこれまで疑問だったパズルのピースが当てはまり、他の者も同じ表情へと移り変わっていく。

 

 男性と無名のウマ娘は、両者ともに黒髪の天然パーマで、優しい目元は僅かに垂れている。写真のトレーナーが眼鏡をしていないから、二人の瞳をハッキリと比べられた。写真でここまで分かるなら、学園で会えば一目で気が付けるだろう。

 ──なのに、トレセン学園では彼女のことを一度も見かけたことがない。

 

「そうだ……、アイツの妹だ」

 

 ナリタブライアンの答えは、全員が想像していたもの。予想が当たっているのに、その事実に困惑が増えていくだけ。

 芝崎走一はレグルスが解散した理由を語らない。それは、その過去については触らない方が良いと、現レグルスが思っていたからだ。加えて、トレーナーがその過去に触れられることに強い拒否を示すのではないかと、そんな雰囲気を感じ取っていた。

 

 多くのスター選手が生まれた前レグルスで、たった一人名も知らないウマ娘がいる。

 そのウマ娘は今やトレセン学園に在籍していない。

 考えられるのは実力不足でトレセン学園を退学したか、選手生命を絶たれる怪我か。

 ……だが、芝崎走一がチームに加入させる選手の力不足は考えにくい。そして、学園にはトレセン学園のスタッフ研修生枠や、選手のサポーターを育成する学科もある。怪我をしたことと退学は必ずしも一致しない。

 

 ──もう、結論は一つだった。

 

『妹』と『妹分』が同じチームで重なることは避けたい。優先するのは先に所属している妹で、彼の肉親である妹だ。彼なら無駄に不和を生む要素は避ける。カウンセラーとしても、カレンチャンが彼に依存する可能性を極限まで下げる。

 

 そして、今──。

 

 いない『妹』と、現れた『妹分』。

 そのタイミングで男は調子を狂わせ、『妹分』に対しての違和感のある拒絶を続ける。

 まるで『ソレ』から避けるように。まるで『ソレ』から逃げるように。

 現実を塞いだ過去を持つカレンチャンが最後の確認を取る。

 

「──私と同じ、なんですか」

 

 ナリタブライアンに四人の視線が集まる。

 その視線の先で黒い髪が静かに揺れたのは、彼女がゆっくりと頷いたから。彼女たちの疑問に、これまでの答えを照らし合わせる準備が出来たから。

 彼女は口を開き、ついに芝崎走一とレグルスの封を解き始めた。

 

 

 

「──事故、だったんだ」

 

 

 




次回 トレーナー編

リンク先、言い訳と次回予告です。
お手数おかけしますが誤字を見つけたら報告をお願いします。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=294161&uid=15254
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。