歯の根も合わぬほどに震えている娘は、まだ若かった。十代の半ばか、後半か。本来なら、嫁のなり手を捜すころあいだ。見目も悪くない。懸想する男のひとりやふたり、いてもよさそうなものだ。そのうちの誰か、意中の男でもいれば、しとやかに家内に入り、子を生み、育んでいた。そうなっていたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
「おやめ、おやめください」
娘の声はかすれていた。
「わたくしが、何をしたと……」
「何をしたか?」
リードマイヤーは鼻を鳴らした。
「今更とぼけようというのか、娘。あれを見よ。あの焼けた村を」
リードマイヤーは腕を振った。彼の背後に、木々を通して、未だ燃え盛る村が赤い光を放っていた。これほど離れていても、まだ炎の暑さを感じられた。
「お前のことをずっと見ていた」
リードマイヤーは言った。
「見事だったぞ。見事に姿を隠していた。鼻の聞く狩人がいなければ、お前はずっとあそこに隠れていられた。だがそうはならなかった。狩人がお前を見つけ、狩り立てた。聖火騎士団が、お前を追ってきた。だからだろう? お前は逃げるしかなかった。住む村を焼いてでも。追っ手を皆殺しにしてでも」
甘く見ていた……そうに違いないのだ。聖火騎士団も、狩人らも、そしてこの娘も。その結果が、あれだ。
「お助けください」
娘はもう一度言った。頭を垂れ、組んだ両手に額を当てて祈っている。
「お助け……」
「それは叶わぬ」
リードマイヤーは言った。
「神々はお前を許すまいよ」
娘の背中がうごめいていた。
白い柔肌に、墨を塗ったように、黒々とした何かが這って行く。娘は激しく震えていた。それはもはや恐怖からではなかった。娘は顔を上げた。その顔に瞳は無かった。深遠を湛えた穴が二つ開いているだけだった。口が裂け、白く並んだ牙の向こうに、血よりも赤いのたくる舌が見えた。娘の身体が膨らんだ。いよいよ服が裂けた。身を起こした娘の背丈は、すでにリードマイヤーよりも高い。
〈血吸い〉が、ようやくにして正体を現したのだった。リードマイヤーは長剣を抜いた。鏡のように磨かれた鋼の刃が、月の光を照らし輝いた。
巨大な鉤爪をふるって、娘はリードマイヤーに襲い掛かった。
剣身が揺らいだ。一瞬で娘の腕が切り落とされた。悲鳴と咆哮が、大地を揺らした。すぐさま振るわれた第二撃が、膝の上をなぎ払い、娘はたたらを踏んで巨躯を地面に横たえた。
リードマイヤーは剣を引き、顔の横に剣身を当てて構えた。月の構え。
娘は泣いていた。顔に瞳は無い。もはや獣にしか見えぬ顔で、牙の間からごぼごぼと咆哮をもらして、しかし娘は泣いていた。
そして鋼の剣先が、娘の喉を突き貫いた。
朝日が昇ってきた。
雨上がりの大気は、深い霧を孕んでいた。褥のように纏わりつく濡れた霧を、リードマイヤーは苛立たしげに払った。
村を焼いていた火は消え、行く筋かの煙が立ち上っているだけだった。リードマイヤーは、手近な岩に腰を下ろして、ずっと待っていた。長剣は、墓標のように地に突き立ったままだった。娘の身体は、灰に水をかけたように溶け、わずかに人型の痕として地面に残るだけだった。
「こんな騒ぎになる前に、しとめればよかったのだ」
待ち望んでいた声は、しかし実際に聞くと、耳障りなだけだった。リードマイヤーが後ろを向くと、灰色の長衣を纏った、ほっそりとした男がいつのまにか佇んでいた。
リードマイヤーは答えず、娘の身体のあったところに視線を戻した。
男が歩み寄ってきて、言った。
「お前が最初にこの娘を見つけたのだから、最初に手をつけるべきだった。ぐずぐずしているうちに聖火騎士団の間抜けどもが来てしまった。あの手際では、娘ひとりを仕留められぬのも無理はない。いらぬ人死にを出しただけだった」
「人の死に運命を与えるのが誰であれ、それは俺の領域じゃない」
リードマイヤーは立ち上がった。剣を抜き、懐紙で丁寧にぬぐって鞘に収めた。
そのまま立ち去ろうとするリードマイヤーに、男が声をかけた。
「報酬はいらんのか」
「俺は狩人じゃないし、お前たちの犬に成り下がったつもりもない。後始末にも興味は無い」
「下らぬ矜持だ。それが王殺しの持つせめてもの意地というやつなのか?」
リードマイヤーは脚を止めたが、振り向きはしなかった。しばらく下を向いたのち、また歩き始めた。
その背中に、男は声をかけた。
「そうやって逃げ続けているうちは、誰もお前を認めないだろう。王殺しのリードマイヤーよ。この村を焼いたのも、お前ということになるのだ。一握りの灰となったあの娘ではなく、な。王殺しの忌み名は、背中に一生ついて回る。お前が振り返り、それに向き合わない限りはな」
リードマイヤーは歩き続けた。太陽の光が霧を払ってくれた。鬱蒼とした森が、この先も続いている。人里からは離れるばかり。それでもリードマイヤーは、足元だけを見つめて、両足を繰り出し続けた。