天井を色鮮やかに染めていた塗装が剥げ、からからと落ちてくる。
それを見上げながら、リードマイヤーは言った。「誰も彼もが、俺に死神の真似事をさせる。みな同じだ。誰一人として理解していない」
彼の目の前では、長い足を引きずって、フェイ=リンがこちらに歩み寄ろうとしていた。その体は、急速に老いさらばえていった。皮膚がしぼみ、穴の開いた布袋のように、むなしく萎れていった。まとっていた金色のローブは、時の流れにさらされ、たちまちひび割れ溶けていった。乾いた布の切れ端となったローブが床に積み重なっていくのを、リードマイヤーはじっと見つめていた。フェイ=リンの口から悲鳴が漏れた。見上げると、唇がしおれてめくれ上がり、歯茎が乾燥して、歯がぱらぱらと抜け落ちるところだった。もはや生きた存在はそこにはいなかった。辛うじて人型を保ったエルフの長は、かすかな声で哀願の言葉をもらした。「殺せ」聞き取れないほどに小さな声で。「殺してくれ」
「違うんだ。我が友よ」
リードマイヤーの声もかすれていた。十年前と同じく。父のように慕っていたエルフの王を手に掛けた、そのときと同じように。
「俺が殺すんじゃない。みな勝手に死んでいくんだ。俺がここに来た時点で、ほころんでいたエルフの里は重さに耐え切れず、崩壊し始めた。お前も同じだ。もはやここには居られない。エルフは過ぎ去る民になったんだ。ここに居てはいけないんだ。俺の役目は」
つばを飲み込んだ。喉を湿らせなければならなかった。
「死を、ここにつれてくることだ。それでおしまいだ。俺のすることも。俺のできることも。そうして、みな死んでいく。俺の家族。俺の兄弟。俺の輩。王殺しのリードマイヤー。その名を受けて、呪いはどこまでも育っていく」
ついに、フェイ=リンがひざを突き、しわがれた手で喉をかきむしった。その姿は、干からびたミイラと同じだった。にもかかわらず、うつろな虚となった両の眼窩からは、生暖かい涙がこぼれつつあった。
「ああ、リードマイヤーよ。我が兄弟よ」
かつてフェイ=リンという名のエルフだったミイラは言った。
「こんな、このような惨めな死を、俺に与えるのか。恨むぞ、恨まずにはいられぬぞ。我が兄弟、人の子にして血を分けた我が同輩よ、お前はついに、この身に情けをかけようともしなかったのだな」
「恨むがいい。我が兄弟」
リードマイヤーの顔も濡れていた。しかしこれが涙であるはずがない。涙を流したのは十年前で終わりのはずだ。育ての父を手に掛けたとき、己の涙は全て枯れたはずだ。
「その恨みを受けて、俺の呪いはまた強くなる。恨みと呪いは、もはや俺の背に張り付いて離れぬ。いずれこの呪いの集まりが、この世の悪を滅ぼすのだ」
フェイ=リンのミイラは、ついにゆっくりと床に横倒しになった。そして床にしみこんで、跡形もなく消えた。
崩れ行く宮殿から外に出ると、多くのエルフが、遠巻きにこちらを見つめていた。
この滅びつつある里に、これほど多くのエルフがいたのか。ふっと口元に笑みが浮かんだが、口の端に上る笑みはもはや全て冷笑としか受け取れなかった。自分の心が硬い石のように沈んでいくのを、リードマイヤーは感じていた。
正面に、おののきながら立ちはだかっているのは、ベイルンだった。痩身が、氷雨に打たれているかのようにゆれていた。
「殺したのか」
彼はうめくように言った。
「殺してしまったのか! 我らが長を! この里の要を」
「フェイ=リンは死んだ。里の要は、元からいなかったのだ」
リードマイヤーの声は乾いていた。荒野の彼方から吹き付けてくる瘴気をはらんだ風のようだった。「さあ、お前たち、さっさと行くがいい。ここはもはや滅びた。エルフの住まう里はもはやない。気づいているだろう──お前たちは乗り遅れた。ここにはおれず。向こうには行けず。どこにも行く場所などないのだ。そしてそれでも、お前たちは──行かねばならぬ。己の道に従ってだ」
不意に、体の奥底から吹き上げる衝動に突き動かされて、リードマイヤーは長剣を抜いていた。切っ先をエルフの群れに突きつけ、
「さあ、早く行くがいい! 気づいていないのか? お前たちの持つ生は失われた。そしてお前たちはまた、死ぬこともできぬのだ。ここに居ればお前たちは、永遠に滅び行く里の中にとどまることになる。抜けることの出来ぬ永久にだ。それでもよいのか?」
「抜かせ!」
ついにその言葉に答えたのは、べイルンただひとりだった。老いの兆候は彼の身にも現れていた。肌が干からび、銀色の蓬髪が抜けていく。それでも、佩刀をはらってそれを構えるだけの気概が残っていた。
「俺はお前に情けをかけ、命を救った」
ベイルンの口から漏れる呪詛は、血の塊となって彼の口からあふれ出た。
「それが全ての過ちだった。お前がもたらす滅びが、これほどまでに大きくなろうとは」
「滅びは元からあったのだ。お前たちはそれが見えていなかった」
先ほどと同じくかすれた声で、リードマイヤーはそれに答えた。
「常命の身ならぬお前たちには、ついに滅びは見えなかった。だから俺は、生き身のひとりとして、滅びの案内役を務めざるをえなかった。ああ、我が名に、我が家名に呪いあれ。俺は如何にして死に行くべきか? 俺に死はどのようにもたらされるのか?」
ベイルンの刀が振り下ろされ、リードマイヤーをふたつに断ち割った。
同時に、リードマイヤーの長剣もまた、ベイルンを刺し貫いていた。
なにひとつ、手ごたえはなかった。それを絶望とともに、リードマイヤーは噛み締めていた。
ベイルンの刀は、リードマイヤーの体を突き抜けていた。それはいかなる痛痒も、傷も、リードマイヤーに与えていなかった。そしてリードマイヤーの剣もまた、エルフの翁を傷つけることなく、霞を打つようにむなしく振るわれていた。
ベイルンが、ひどく不思議そうな顔をしてこちらを見た。そこまでは覚えている。
次の瞬間には、全てが靄のなかに消えた。焼けた石を水盤に沈めたがごとく、白い煙が吹き上がり、すべてを満たし、隠してしまった。それは正確ではない──リードマイヤーには分かっていた。仙境とこちらが、ついに切り離されつつあるのだ。
エルフたちは、もうどこにもいくことはない。名前のない土地で、一生をそこで過ごすのだろう。常命ならぬ彼らがそこでどう過ごすのかなど、リードマイヤーにとっては不可知のことである。
ゆっくりと靄が晴れ、気がついたときには、リードマイヤーは深い森のなかに、ひとり立っていた。長剣を両手で構え、目の前に突き出した形で。
冷たい雨が降っていた。雨は木々の葉をつたい、幹を流れ落ちて、森をやわらかく潤していた。きっと大昔から、かくあるべしとあった姿そのもののように。かつて森を住まいとする一味が、ここに住まっていたことなど、一度たりともないかのように。
リードマイヤーは剣を天に突き上げ、絶叫した。
だれひとりとして答えるものはいなかった。