トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。   作:カモねぎ屋

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第13話 重バ場に愛されたウマ娘

 

 

 ウイニングライブの舞台が、終わりを告げた。

 誰も彼もが満足をした表情を浮かべ、会場の出口へ向かっていく。

 

 スタンドの後方で彼女達の輝きを見届けた俺達もまた、中山レース場を後にしようとしていた。

 

 ライブ会場を出ると同時に、湿気の匂いが強く鼻に掛かる。

 雨も先程の比ではない程に降り始めていた。

 

「……ライブ前よりも、かなり雨が降ってきたな。駐車場まで急ぐぞ、メビウス!」

 

 俺は折り畳みを傘を取り出し、それから彼女と手を繋いで走り出す。

 

「――はい。でも、ウマ娘の私の方が速いですよ」

「遅いのは俺の方だったか……って、そりゃそうだ!」

 

 強い雨が降りしきる中、メビウスと俺は駆け込むようにして愛車に乗り込んだ。

 レース中の雨がこれ程までのもので無くて本当に良かった、と思う程の降り込み方に、戦々恐々とする勢いである。

 

 エンジンを掛けて暖房を付けて、寒さから逃れる。

 場内を徐行し、大量の車で出口の混んだ会場を係員の指示に従ってようやく抜ける。

 レース場を去る時に思い返す、レースへの感動。そしてそのある種のもの寂しさは、次なる楽しみの予感を想起させてくれるものがある。

 

 ハンドルを握る手にも、熱がこもるものだ。

 

「まどかさん。凄かったですね。レースも、ウイニングライブも」

「……ああ、今日はこのレースを、メビウスと()に来れて良かったよ」

 

 信号待ちになった時、助手席に座るメビウスが俺に話しかけてきた。

 同じ感想だった。それに、この返しも俺の本心だった。

 彼女が居なければ、俺は大事な所で目を逸らしてしまったかも知れない。

 それに、勝手な想像ではあるが、彼女も俺が居なければあの走りを直視できなかった可能性もある。

 

 繋いだ手の感触と想いが、二人の楔となった。そんな心地があった。

 今日この日、二人で観たレースだったからこそ。

 走る彼女たちの姿を、最後まで見守る事が出来たのだと思う。

 

「エンジェルシロップさんは、安静のためにウイニングライブでは歌うだけになったことは……少し、残念でした」

「ああ。だが、それでも大きな怪我はしていないようで良かった」

 

 あの後に入った情報としては、後に精密な検査は行うものの、初見ではエンジェルシロップは今後もレースを続けていけそうな状態であるとの事であった。現地でレースを観た者としては、本当に安堵の想いである。

 

「そして、本日一着のミズイロチョウテンさん……圧倒的な走りに、堂々たる振る舞いのライブでした。ウマ娘の憧れの的とは、あのような存在を言うのかも知れませんね」

「……ミズイロチョウテン、か。強かったな。あれだけ過酷なレースを走りきって、脚も残してライブでも全力だ」

「私が今後、中山大障害を目指すのであれば。あれ程の実力が必要になる……のですよね」

「そうだな。日本一のGⅠジャンパーになるには、あの強さを超えなければならない。それが、現実だ」

 

 長い赤信号に、車の足は止まる。エンジンの音が鳴り響く。

 大振りとなった雨音が、俺たちの間に重く乗し掛かっていた。

 

 目指すのは自由だ。

 

 何を憧れとして目標にするのだって、その権利は誰にでもある。

 だが、その壁がとてつも無い高さである事を目の当たりにして、空想と現実の乖離(かいり)に打ちひしがれない事が無いなどとは、誰が言い切れるだろうか。

 

 少なくとも今の俺には、リングメビウスがあのレースで勝つ事が出来るウマ娘になれると断定できる感触は掴めていなかった。

 J―GⅠは余りにも過酷なレースだ。走破する事すら余りにも困難が過ぎるという事は、エンジェルシロップの壮絶な走りを見て、それを実感したばかりでもある。

 

 言い様はいくらでもある。だが、正しい事実は受け止めなければならない。それを伝える事もまた、必要だ。

 その想いから溢した言葉だったが、彼女の反応は、俺の想像とは違うものだった。

 

「――勝ちたいです。私も、勝ってみせたいです。J―GⅠ……あの舞台で」

 

 その言葉に、俺は横に振り向いた。

 

 彼女の眼は、真っ直ぐその先を見据えていた。

 彼女の翡翠色の瞳は、勝負への強い意志を携えている。

 

「まどかさん……お願いがあります」

「……なんだ?」

「私を今から、トレセン学園に連れて行ってください」

 

 ――今からでも、走りたいのです。

 正面を見つめたまま。ハッキリとそう告げた彼女の言葉を、俺は受け止めることになる。

 

 俺たちを留めていた赤信号の色は、青に変わる。

 

 今後の行き先の地図を頭に思い浮かべながら、俺はアクセルを踏み始めた。

 

 

 ▼

 

 

 トレセン学園は、常に活動を止めない不夜城である。

 土曜日の午後だからといって、職員が居ない事は決してない。

 トレーニング場の許可願いは、今からでも出せるだろう。

 

 彼女のお願いを聞き入れた俺は、車をトレセン学園へと走らせた。

 

 着いた頃には雨は更に強くなり、車を降りた瞬間にずぶ濡れになる程の豪雨となっている。

 風も強い。この中で走ろうとするウマ娘など、おそらく誰一人としていないだろう。

 

「……すごい雨になりましたね」

「バ場状態も相当荒れているだろうな。勢いで来たは良いものの……これでも、本当に走るのか?」

 

 降りるや否や、雨傘を広げた俺たちはその荒天を前にしていた。

 傘をさすその間にも前に俺の頭やスーツは水を被ったような状態となり、メビウスの金色の髪や顔にも水がしたたり落ちている。

 

 少し視線を下げれば、彼女のトレセン学園の制服もまた濡れている。

 トレセン学園の夏服は胸元部分の一部が白色であり、大きく主張する彼女の胸元には雨水を一気に受け、黒色の下着が透けたように見えて――。

 

「まどかさん。……雨が気になるのは分かりますが……その、視線が……」

「――あ。い、いや! なんというか、自然と……すまない……」

「……なんて、冗談です。男の人なのですね。まどかさんも」

 

 ふふ、とメビウスは(ほの)かに笑う。普段は大人しげな年下の彼女に、そんな事を言われてしまい、ドギマギする。

 ……いや、悪いのは胸元をつい見てしまった俺なのだが。男性先輩トレーナーの方々は、どうやってこういう事を対処しているのだろうか。

 心頭滅却、俺はこの学園のトレーナーだ……。

 気を取り直そう。

 

「それで、本当に今から走るつもりなのか。メビウス」

「はい。走ります。走らせてください。今あるこの気持ちに、私は正直でいたいのです」

「ここに来てしまった手前の発言でもないが……風邪をひくかも知れないぞ」

「……分かっています」

「足をとられて怪我をする可能性だってある。それでも、いいんだな?」

「構いません。今日、この瞬間にこそ、走るべきだと。……私はそう感じています」

 

 その瞳で俺をじっと見つめながら、メビウスは主張する。

 この雨を目の当たりにしても、意見を曲げるつもりは無いらしい。

 

「随分と、頑固なんだな」

「そういうウマ娘は、お嫌いですか?」

「……そんな事はないさ。走りたいウマ娘の想いがあれば、それをサポートするのがトレーナーの役目だからな」

 

 これだけ確認しても、走りたいと言っているのだ。

 彼女に、好きに走らせてあげたい。トレーナーである前に、そう想うのも人情だ。

 もちろん、怪我がないように俺がしっかりと見るつもりではいるのだが。 

 

「分かった。学園に申請してくるよ。待っている間に更衣室で着替えて、軽くウォーミングアップをしておいてくれ」

「……本当に良いのですか? 随分とワガママなお願いを言っている自覚がありますが……」

「ウマ娘が走りたいのなら、俺はそれを叶えるだけだ」

「まどかさん……ありがとうございます。では、早速準備をして、お待ちしています」

 

 一度ペコリと丁寧なお辞儀をみせると、彼女は傘を片手にトレーニングコースへと駆けていった。

 片手を振って彼女の姿を見送ると、俺はコース申請許可を取るために事務室へと向かう。

 

 ――まあ、俺も一緒に中山に行きたいとお願いを、メビウスに聞いて貰ったからな。

 彼女のお願いを叶えるのも、一つのお返しだろう。

 目標に燃える一人のウマ娘の熱にあてられた俺は、学園のアスファルトを踏み締めて歩むのだった。

 

 それから、十五分後。

 

 申請はすんなりと通り、許可を得ることができた。

 

 ウマ娘が一人走る分には、今が大雨状態とはいえ、バ場への影響も少ないと判断されたらしい。

 また、元々来週には芝の調整管理で業者が入る予定があったのも大きい。

 勿論トレーナーである俺がしっかりと彼女の様子を監督することが条件とはなっているが、当然の事なので問題はない。

 

 トレーニングコースへ向かうと、彼女は一人、コースの外を緩やかな速度で走っていた。

 メビウスの走りを眺めつつ、コースの状態を判断する。現在のバ場状態は『重バ場(おもばば)』といったところだろうか。

 

 俺の姿に気付いたメビウスが、足早に駆け寄ってくる。

 体操服の姿の彼女は雨に濡れており、やはり胸元を含む衣服が透け掛かっていた。

 ――うっかりと、そこに視線を向けないように。俺は彼女の眼に視線を向けることを意識する。

 

「……まどかさん、お疲れ様です。許可は取れましたか?」

「ああ。思う存分に走ってくれ。ただし、俺の指示には従うこと。これが条件だ」

「承知しました。どんな形でも、今は走りたいです。ご指導、よろしくお願いします」

 

 こうして互いの了承を得て、トレーニングは始まった。

 最初は軽く芝のコースを周回させる。降り続ける雨により芝のコースは水を吸い、非常に走り辛くなっているはずだ。

 

 そこでスピードを維持しつつ転倒もないように走るためには、パワーとスタミナが必要になる。

 

 もしくは、脚質が合っていればある程度変化なく走れる事もあるが、それでも基本的に芝が大量に雨水を吸って『重バ場』以上の状態となれば、タイムが数秒は落ちる。

 更に雨が浸透すると、水の含有量の高さから芝のコースは滑りやすくなり、走破タイムは大きく下がる事になる。この状態にまでバ場状態が悪化した場合は、『不良バ場(ふりょうばば)』と呼ばれることになる。

 

 よって、芝のコースにおけるバ場変化を体系的に分けるとすれば、『良バ場(りょうばば)』、『稍重(ややおも)』、『重バ場(おもばば)』、『不良バ場(ふりょうばば)』の順で、荒天により右の段階に進めば進むほど走破時のタイムは遅くなるのが基本だ。バ場が荒れたこの状態を総じて『道悪(みちわる)』状態とも呼ぶ。

 

 さて、メビウスの走りはこの状況下でどうなのだろうかと観察すると――意外にも、普通に走れている。

 足場が悪い状態と、相性が悪くはないのだろうか。

 フォームを崩す事なく、淡々と走り抜いていく。

 

 良い走りだ。大抵のウマ娘であれば、その走り辛さに苦悶の表情を浮かべるものだが、リングメビウスは寧ろ嬉々として走っているように見える。よほど先程のレースをみて、気持ちが感化されているのだろうか。この大雨と重バ場の状態にあっても、彼女は前向きに、そして直向きに走っている。

 

「それにしても、随分と平然と走るものだな……」

 

 気持ちの問題もあるとはいえ、周目が二周目に差し当たるところでも彼女の勢いは落ちることを知らない。

 

「……一応、計測もしてみるか」

 

 トレセン学園の芝コースは、一周が約千八百メートル。バ場条件によるコーナーを曲がる際の急カーブを避けるために全て少し外目を走るように指示しているため、厳密には距離は僅かに伸びる。一周だけで換算するのであればマイルの距離だが、流しの周回のためこれは長距離走に近いだろうか。

 

 メビウスが俺の前を通り過ぎる瞬間に、ストップウォッチの時計を動かした。

 

 その勢いは落ちる事なく、二周目を終える。

 平凡なタイムだ。だが、昨日測ったタイムから推定するに、良バ場状態と比較して差異は小さいように思える。

 しかし、これから更に雨が振り込めば更にバ場状態は悪化する。走り辛さは増し、タイムは落ちていく事だろう。

 

 そう思い、計測をする。

 

 三周目。――タイム更新。

 

 記録は、落ちない。スピードは落ちるどころか、寧ろ少し伸びている。

 かなり大幅に速度を落として流して走っているとはいえ、この雨の中、長距離を走行しているにも関わらず、伸びている。

 

 四周目。――タイム更新。

 

 先程よりもまた僅かに速くなっている。おかしい。落ちないはずがない。気合いで上がるようなものでは無いはずだ。上げようと思ってもバ場の悪化に伴って脚を取られ、速度が落ちる方が自然と言える。

 これでは寧ろ、バ場が彼女に適しているように変化している様ではないか……?

 

「メビウス、一旦休憩だ! 少しずつ速度を落としたら、コーナー手前でも戻ってきてくれ!」

 

 四周目を終えた時点で、大声で指示を飛ばす。それに従い、メビウスは緩やかに減速すると、俺の元へ帰ってきた。

 

「……メビウス。この雨の中で走るのに、問題はないのか?」

「はい。これほどにバ場状態が荒れている際に走るのは初めてですが、不思議と良く走れました」

「そうか。……まだ、走れるか?」

「勿論です。走らせてください」

 

 彼女の確認を得た俺は、休憩を挟んだ後。脚質別のタイム計測を行う事にした。

 ふいに、あのノートに書かれていた内容が脳裏を()ぎったからだ。

 

『以下、四月中に行うべき事を記載する』

『②リングメビウスの今の適正を全て確認すること』

 

 全てというのは、どこまでを指すのか。具体性に欠けているが、ともすれば天候条件、バ場状態もそこには含まれている――?

 

 休憩を十数分ほど取った後の計測再開となったため、止まない強い雨にバ場状態は更に悪化した。

 

 芝の地面に手で触れば、既に水分による湿り気の方が強い。

 重バ場から更にバ場条件は変化し、今は完全なる不良バ場だ。風もそれなりに強い。

 場合によっては滑り兼ねないほどに、慎重さとパワーが要求される状態になっている。

 

 非常に走り辛い状態であることは間違いない。

 

 もしも少しでも危険だと感じたら、直ぐに判断して緩やかに速度を落とすこと。

 それを伝えて、俺はメビウスをコース場に送り出す。

 

 果たして――結果はどれも、想像を遥かに超えて良好だった。

 

 昨日測ったどのタイムとも、大きな相違がない。

 

 タイムが落ちない、だと……。

 

「――あり得るのか、こんなウマ娘が……?」

 

 まさか、本当に存在するのか。

 思わず呟いてしまう。目を疑いたくなる程の記録だった。一体何が起きているのか?

 

 つまりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 千八百メートルを走って百十秒が全力のタイムのウマ娘が居たとすれば、稍重のバ場であれば約〇・五秒から一秒程は遅くなる。重バ場となれば、一秒から二秒程度の変化が生じる事になる。そして不良バ場ともなれば、四秒以上の差が生じることも少なくはない。

 

 それにも関わらず、同条件に近い形で比較をしても、メビウスのタイムは不良バ場にありながら一秒程度しか落ちていない。

 元来の能力が平凡である事を棚上げするが、仮に他のウマ娘と同じ状況下で同時に走った際に生じるアドバンテージは、実に三秒近くになる。

 

 ……確かに、得意な条件下や、特異な条件下では実力を大きく発揮できるウマ娘というものは存在する。

 

 芝が良好な条件では無類の好走をみせる者がいると、『良バ場◎』、『良バ場の鬼』などという、まるで能力(スキル)じみた特性が存在するのではないかと囁かれたりもするものだが――。

 

 彼女の場合は、その真逆をいく。

 

 『道悪◎』、『道悪の鬼』……いや、その変化の度合いを鑑みれば、彼女は『不良バ場の鬼』とも呼べるのかも知れない。

 スピード、そしてパワー。バ場条件が道悪かつ湿潤状態になれば成る程に、バ場が彼女の脚質に向いていく。

 

 普段は、平凡な記録しか出せていないウマ娘だ。

 だが、今の状態を考慮し、結論付けるのならば。

 

 リングメビウス。彼女は――。

 

 重バ場に愛されたウマ娘だ。

 

 

 

 

 

 

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