トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。   作:カモねぎ屋

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第14話 君のトレーナーになりたい

 

 

 納得がいくまで走り終えた、リングメビウス。

 荒天の中で走り続けた彼女には、身体を温める必要がある。

 

 メビウスが更衣室でシャワーを浴び、制服に着替え直した後。

 

 俺たちは学園近くの喫茶店で腰を落ち着けていた。

 

 彼女が走り終えた後、「少しゆっくりしながら話をしたい」と提案した俺の言葉に、「それでしたら、どこか近く喫茶店にでもいかがでしょうか」と返した彼女の言葉に従った結果である。

 

 洋風な佇まいのファミレス規模の喫茶店。

 

 そこは、トレセン学園から歩いて五分程度の位置にある喫茶店だ。

 店内に入ると、店員に窓際の座席へと案内される。

 ふかふかとした座席が心地良い。

 

 俺たちは向かい合って座ると、メニュー表を眺め出す。 

 向かい合わせる互いの顔。

 そこで視線に入るのは、濡れた後に乾かされた彼女の白金の髪色だ。それが艶やかに映える――のは、いや、違う。

 

「……? どうかされましたか、まどかさん」

「んっ! ……いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 

 じっと眺めてしまったのがバレただろうか。

 しっかりしろ、俺。そういうことじゃない。

 

 喫茶店には、俺たちの今後について話をしに来たのだ。

 頭を軽く振りかぶる。

 過去の俺の意識に引っ張られているのか、果たしてただの今の俺自身の感覚なのかも分からないが――今日はどうにもリングメビウスから目が話せない。

 

「とても、落ち着いたお店ですね。私、こういう所には初めて来ました」

「初めて、か? 学園から歩いて数分の店なんだが」

「…………はい。初めてです。こういった所には、あまり縁がないので」

 

 ほんの少しの間が気になったが、まあ、確かに近すぎると逆に寄らない事も得てしてあるものだ。

 その反応を特に気にすることもなく、俺は席に近付いた店員に注文をする。

 

「注文、頼んでもいいかな?」

「どうぞ。いかがなされますか?」

「俺は、アメリカンコーヒーのホットで。メビウスは?」

「…………あ。えっと……では、私はアールグレイのホットでお願いします」

 

 その注文に、「承りました」と一礼して店員は去っていく。

 

 静かな店内の中に響く、運ばれていく食器が擦れる音。

 漂うコーヒー豆や紅茶の香り。寮から出て楽しげに談笑するウマ娘たちの会話。

 雨が降って気温の低い今に対応して、少し暖まるように設定されて掛かる暖房の温度。

 

 すっと互いの心地が安らいでいくような空間に、なんとなく安堵を覚えていた。

 

 最初に通された水に口を付けながら、雨が降り続ける窓の向こうを二人で眺める。

 沈黙。だが、言葉を交わさないその時間が不思議と心地良い。

 

「――お待たせしました。アメリカンコーヒーとアールグレイのホットになります」

 

 運ばれてきたコーヒーと紅茶に、ホッと一息互いに口を付ける。

 芳しい香りに辺りはつつまれた。

 茶葉の匂いは、人の心をゆったりとさせてくれる。

 

「まどかさんは、普段からアメリカンコーヒーを飲まれるのですか?」

「そうだな。コーヒーは眠気覚ましに、よく飲む」

「……眠気覚ましに」

「まあ、アメリカンなんてのは、喫茶店に来た時くらいだ」

「そうなのですね。コーヒーの事はよく分かりませんが、どうしてアメリカンコーヒーなのですか?」

 

 どうして、とは敢えて聞かれると理由なんてないものだが。

 

 だが、何故かその問いを投げかけるメビウスは食い気味に顔を乗り出している。なんとなく、としか言えないが、確かに普段喫茶店に来てもアメリカンを飲むことはない。別段それにした理由など……あるとすれば――。

 

「――あっ……マンハッタンカフェ、か」

「……え?」

「いや、一昨日マンハッタンカフェに会ったからかも知れない」

「どういう、意味ですか?」

 

 ずい、とこちらを覗き込むような形でメビウスの視線が俺に向けられる。

 これは昨日の段階でも、やけにメビウスが対抗心を見せていた名だったはずだ。

 

 これも過去の記憶の影響か。

 アメリカンコーヒーを飲むことは、過去の俺にとって余りにも自然な事だったのかも知れない。

 自然に口から出た感想とはいえ、これは今の状況においては失言だった。

 考えなしに出た言葉故に、目を逸らしながら答える俺の返答は、適当かつ曖昧となる。

 

「……ほら。マンハッタンといえば、アメリカだろ? だからおぼろげに頭を過ぎったというか……なんとなくだ」

「どこかの政治家みたいな言い方ですね」

「……すまない。無遠慮だった」

「いえ、良いのです。――ところで、まどかさん」

「なんでしょう、メビウスさん」

「コーヒーではなく、こちらのアールグレイはどうですか?」

「え」

「アールグレイ、飲みますか? ぜひ飲んでください」

 

 言うが早いか、メビウスはズイっと紅茶のカップをこちらに差し出してきた。

 それと同時に、俺の前に置かれたコーヒーカップをすっと自分の方へと引いていく。

 

 自分が飲んでいた紅茶を、俺に飲めということらしい。

 

 同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、言外の確固たる意志を感じる。

 ウマ娘としての対抗心なのか、それとも。

 

「あ、ああ。ありがとう」

「はい。とても美味しいですよ。代わりに、私がコーヒーを頂いても良いですか?」

「……もちろん。君がそれでも気にしないのなら」

「……? 何を気にしない……と? 私はただ、まどかさんに美味しい紅茶を飲んでほしいだけです」

 

 言葉とは裏腹に、有無を言わせない勢いでカップを交換したメビウス。

 これ以上は決して俺にコーヒーを飲ませる訳にはいかないという、凄みがある。

 しかし果たして分かってやっているのか、気付かずに言っているのか。それとも俺が気にしすぎなのか。

 

 互いに口を付けたカップの交換は、いわゆる間接キスの形になりかねないのだが……まあ、彼女がそれで良いのなら構わないか。

 学園のトレーナーとしてどうなのか、というのはもうお得意の棚上げの刑に処しておきたい。

 

 交換したカップを手に持ち、俺とメビウスは互いにカップへ口を付ける。

 

「普段あまり俺は紅茶を飲まないんだが、こうして飲んでみると、アールグレイも美味しいな」

「それは良かったです。コーヒーも……いえ、すみません。ブラックだと凄く苦いのですね」

「無理してブラックのまま飲む必要はないさ。ミルクやシュガーを、好みに合わせて飲むといい」

「分かりました」

 

 その言葉を受けて、メビウスはミルクを四つと、角砂糖を八個ほどドボドボと入れてかき混ぜる。元の味が分からなくなりそうな程の見事な入れっぷりである。

 カフェオレやコーヒー牛乳より甘そうだ。メビウス、もしかしなくとも、本当はコーヒーが苦手なのに交換したんだな……。

 

「コーヒー、美味しいですね。まどかさん」

「……それは、良かった」

 

 いつもの無表情じみた彼女の口元が、嬉しそうに小さく口角を上げる。うん、君がそれで良いなら、良いんだ。それで。

 

 さて、お互いゆっくりとした心地になったな、と。

 そう判断したところで、俺はようやく本題を切り出すことにした。

 

「メビウス。雨の中で走るのは、どうだった?」

「……そうですね。本当に不思議な心地なのですが、今日は随分と脚が前に進みました」

「そうみたいだな。普段から、重バ場は得意だったのか?」

「得意……? いえ、そのような事は……」

 

 そう言われて、キョトンとした表情をメビウスは浮かべていた。

 そんな事があるのだろうか。客観的な計測結果があるのなら、彼女がこれまでに自覚し得ない筈がないだろうに。

 

「これまでに、道悪状態で計測した事は無いのか」

「あります。今日程の不良バ馬とまでは行きませんが、近い状態であれば。ですが、特に教官から何か言われた事もありません」

「記録についても?」

「はい。良バ場と変わらず、トレセン学園では平凡な結果であるとしか」

「……だが今日のタイムは明らかに、君の普段の脚力からは想像し得ない程の速い時計を叩き出していた」

 

 そう告げて、俺は今日の重バ場での記録と、昨日計った良バ場での記録を比較した表を鞄から取り出し、彼女の前に提示する。

 その記録を見て、メビウスは小さく目を見開いた。

 

「良バ場の時と……記録が大きく変わっていない……のですか?」

「そうだ。あれだけの不良バ場にも関わらず、君の脚は芝で圧倒的に好走している」

 

 ウマ娘には脚質にあったバ場が存在している。

 芝とダートには、それぞれ特徴があるためだ。

 

 芝のコースは雨を吸えば足場がぬかるみ、条件はダートの良バ場に近づく。

 すなわち、芝のコースが道悪となれば、ダートも好走できる脚質のウマ娘が有利となる。

 

 逆にダートのコースは雨を吸えば足場が固まり、条件は芝の良バ場の状態に近づく。

 すなわち、ダートのコースが道悪となれば、芝も好走できる脚質のウマ娘が有利となる。

 

 雨降って、地は固まる。

 乾いた良バ場のダートよりも、雨で砂が固まった方が脚を取られないため、これは必然とも言える。

 

 よって芝の時計は道悪となれば遅くなり、ダートの時計は道悪となれば速くなる。

 ただし、大雨による荒天により完全なる不良バ場ともなれば話は変わる。

 地面が固まるどころか、水たまりに足を取られるようになりダートの良バ場状態よりも遅いタイムとなることもある。  

 

 このような条件があることを念頭に考えるならば、芝の道悪状態をこれ程までに好走できるリングメビウスはダートの適性もあるべきだと推察できる。

 しかし通常の彼女の適正は低く、ダートにおいての適正はDだと俺は判断している。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「メビウス。何か君に、普段とは違う特別な何かがあった筈なんだ」

「特別な……ですか」

「そうだ。些細な事でもいい。感じたことや気付いた事があれば、それを俺に教えてほしい」

 

 その言葉にメビウスは自身の口元に手を当て、考えるような仕草をみせる。

 反芻するかのように一度目を閉じ、それからゆっくりと開くと、俺の顔をスッと見つめて彼女は答えた。

 

「まどかさん、だと思います」

「……俺?」

「はい。貴方が、私を見ている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう想うと……」

 

 言い掛けて、彼女は自身の手を見つめる。

 

「何か……()()()()()()()()()()()()()()宿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それが、あの不良バ場での君の走りを支えていた、と」

「はい。そう思います」

「……過去に共通の教官の前で走った際には、無かった現象なんだな?」

「ありませんでした。他の誰の前でも、このような事は。本当に……初めての感覚です」

 

 はっきりと言い切るメビウスの姿に――俺は、何か確信めいたものを心に抱きつつあった。

 彼女は本来、特筆すべきウマ娘ではない。このトレセン学園のデビュー前のウマ娘としては、あまりにも平凡だ。

 だが、それは俺にとっては大きく違う。

 

 俺の前でのみ、彼女はこの特異な走力を発揮出来たという。

 

 ならば、平凡ではなく特別な存在なのだ。

 この若松円という人物にとっては、きっと。

 同様に、リングメビウスというウマ娘にとってもまた、俺は特別な存在であるのではないか。

 

 そうであるならば彼女は――。

 

「……やはり君は、俺の運命のウマ娘なのかもしれない」

「運命……ですか?」

「――リングメビウス」

「はい」

 

 尾花栗毛の金色の髪を携えた彼女の、美しい翡翠色の瞳が俺を真っ直ぐに捉えていた。

 

「俺は、君のトレーナになりたい」

 

 淀みなく口を付いた言葉は、あまりにも自然な感情の発露だった。

 

 その言葉に彼女のウマ耳がピンと立ち上がる。表情の薄い彼女の面立ちにも動揺が見えた。

 

「……それは」

「直ぐに結論が出せないのなら、仮契約でも構わない。だから、俺の担当ウマ娘になってくれないか。メビウス」

「私にとって……願ってもない提案です。ですが」

「なんだ?」

「良いのですか。私で、本当に」

 

 その瞳は、微かに揺れているようにみえた。

 不安気にウマ耳は垂れ、彼女の尻尾の先は座席の横で揺れている。

 

「まどかさんは、将来有望なトレーナーさんです。学園のウマ娘にとっても大切な数年間ですが、トレーナーさんもそれは同様です。職業としてその後多くのウマ娘を担当する必要があって、その栄達の為には実績も必要になる筈です。ですが私は……」

「現状では平凡と言えば、そうだろうな」

 

 正直に告げる。この事実から互いに目を逸らすことは出来ないのは、互いに分かっていることだ。

 

「……はい。その私の平凡さを穴埋めするかのように、不良バ場でのディスアドバンテージ(減速)を本当に打ち消せるとしても……」

「それはつまり、常に天候に左右される事に成りかねない。それも、事実だ」

「それに……例えば今の世代では、カレンチャンさん、マンハッタンカフェさん、スマートファルコンさん等。重賞に手が届きそうなウマ娘たちは多くいます。あの方達ではなく、私を選ぶという事はすなわち――」

 

 最初の三年間で輝かしい功績を残すことから、大きく遠ざかる行為に他ならない。

 そう言いたいのだろう。

 目標も障害レースと、新人トレーナーが目指すには特殊なケースでもある。

 

「わかっている。それでもだ。それでも、君と俺は組みたい」

 

 事ここに至り。俺は素直に、そう思っていた。

 繰り返した俺のノートにも書いてあったことだ。

 この最初の三年間で栄達を望むのなら、扉を開けるなと。

 あの時点で、その覚悟はすでに決まっているべきこと。

 

 それに、メビウスを勝たせる算段が無い訳ではない。

 俺の全力を持ってレースでの活躍を見い出し、彼女の目標へ繋げる。

 それを俺自身もまた、望んでいるのだ。

 

「であれば……一つ条件が。……いえ、そんな事を言える立場でない事も承知の上で……それでも、まどかさんにお願いがあります」

 

 俺の誘いに首を縦には振らず、彼女はそこで踏み留まった。

 頑固な部分があるウマ娘であることは、少しずつ俺も理解してきている。

 彼女が息を整えて、次の言葉を繋げるまで俺は黙って待つ。

 

「……私が選抜レースで、良い結果を残せたならば。その時に改めて――私と、本当のトレーナー契約を交わしては頂けませんか」

「つまり、それまでは仮トレーナーとして俺に付いて欲しい、と」

「はい。周りの誰がみても納得できる結果をもって、私はトゥインクルシリーズに挑みたいのです。その我儘を、聞き入れて頂けるのなら……」

「――構わない。それは、当然のことだ。俺も君に、結果を出させる。その上で、契約を結んで貰えるなら本望だ」

 

 双方が納得できる落とし所がそこにあるのなら、それに向かって挑もう。

 それに選抜レースの経験は、俺たちにとっても大きな成長の糧になるはずだ。 

 

「……分かりました。そこまで言って頂けるのなら、是非お願いしたいです」

「ああ。よろしく頼む」

「では……これからは、仮トレーナーさん、ですね。まどかさん」

「うん。俺が、君の仮トレーナーだ」

 

 呼ばれて少し照れかけた俺の返答に対して、彼女は丁寧におじきをし、ゆっくりとその顔を上げる。

 

 それに合わせて俺はメビウスの前に右手を差し出すと、彼女は俺の手を、その小さな手の平でしっかりと握り返してくれた。

 

 固い握手を交わし、互いの手を離す。

 

 それから少し経ってから、不意に彼女は、自身の口元をその小さな手で隠すような仕草をみせた。

 

「……ところで、トレーナーさん」

「ん?」

「いえ……まどかさん。これで一区切り付きましたよね」

「そうだな」

「今ここで貴方に、私の本音を少し……言っても良いですか?」

「ああ、構わないさ」

 

 少し身構えるも、間髪いれずに俺はそう返す。

 唐突な申し出ではあったのだ。何を言われても、受け入れる覚悟でいなければならないだろう。

 そう思い、佇まいを直して彼女に向き合うと――拍子抜けするかのような。それで居て、感情のこもる言葉が待っていた。

 

「……すごく、嬉しいです。本当に、すごく。貴方に、他の誰でもなく――私を選んで頂けたことが」

 

 綻ぶ。彼女は確かに笑っていた。

 それは春の陽気を感じさせるような、朗らかな表情で。

 

「どうぞ、よしなに。よろしくお願いいたします。私のトレーナーさん」

「こちらこそ。これから頑張ろうな、メビウス」

 

 互いにそう言い交わすと、メビウスはその表情の恥ずかしさを誤魔化すかのように。

 

 少し慌てて、手前のコーヒーカップに口を付けた。

 そこでメビウスは何かに気付いたかのように、「あっ」と呟く。

 

 驚きながら視線を逸らすような仕草を見せると、彼女はウマ耳を伏せて急に頬を赤らめる。

 

 ――互いのカップを交換する行為は、間接キスを望んだとも思われることに、どうやらようやく今になって気付いたらしい。

 

「間接キス……だったのですね」

「君は本当に、面白いな。メビウス」

「……からかわないで下さい。緊張していて、気付かなかったのです」

 

 少し剥れっ面を見せながらも、横目に俺の表情をみるメビウス。

 それから少し経って、お互いにフッと笑みを零した。

 

 これが今の、俺たちの関係だ。それが困難な歩みだとしても、俺と彼女は挑んでいく。

 そしていつか彼女が、勝負服を着れるような大舞台に臨めるように――。

 

 ふと示し合わせたように、俺たちは窓の外を眺めた。

 

 降りしきる雨は、今だに降り止まない。風も強く吹き荒れ、ガラスは小刻みに揺れている。お世辞にも良い天気とは言えないだろう。

 

 だが、それが俺たちの駆ける道だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それでも、いつか虹が架かるその空に想いを馳せながら。

 

 空が曇る大粒の雨音の中。

 俺たちは二人、静かに微笑み合うのだった。

 

 

 

 

 

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