トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。 作:カモねぎ屋
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アパートの自室に帰ってきてから、俺は軽く部屋の掃除をしていた。
それと並行して、作戦会議と銘打ってメビウスと話す内容を考えていた。
あのメンバーを相手に好走するのは、容易ではない。
完全にフラットなバ場において通常の能力値だけで争うのであれば、五十戦しても一勝する事すら敵わないかも知れない。
それほどの開きがあるのは、トレーナーとして自覚している。
だが、条件さえ揃えば全く歯が立たないという訳でも無い。
その双方をどのように話すべきか――。
迷いながらいる内に、時間は約束の時刻となっていた。
ピンポン、と。
インターフォンの音が室内に鳴り響く。
彼女が来たのだろう。
玄関に赴き、ゆっくりとドアを開ける。
そこには、リングメビウスが背中に風呂敷を背負った状態で立っていた。
風呂敷には、カモちゃんの人形と、長ネギが二本突き刺さっている。
そして、彼女は――。
「まどかさん。夜分、失礼します。リングメビウスです」
「いや、何で巫女服を着てるの?」
赤白袴の巫女服を来て、立っていた。
アパートの一室のその前で。少し左右に目を泳がせながらも、しかし堂々と。
ゴールドシチーもかくやな尾花栗毛の金髪に、頬の横で結った彼女の髪飾りが非常に映えており、よく似合っている。
神社にいても全く違和感がないどころか、居れば名物巫女さんとして話題になるであろう位のマッチ感。
本当に、綺麗だ。
が。
――いや、なんで巫女服?
「理由は、後ほど」
「あ、うん。まあ、いいや。とにかく、早く上がってくれ」
さっさと部屋に上がって欲しかった。
この衣装のまま外に立たれたら、とんでもない評判が立ちそうだから。
「では、失礼いたします」
「メビウスにとって落ち着けるかどうかは分からないけど、ゆっくりしていってくれ」
「はい。殿方の部屋に上がるのは、人生で初の経験です。何卒よろしくお願いします」
結構重大な告白だった。
そうか、初か。ウマ娘を部屋にあげるのは、俺も初めてなんだ。実は。
入るや否や、一礼して彼女はトレセン学園の靴――ではなく、足袋から花緒の付いた草履を脱いで、部屋へと上がった。赴きがある、というか、細部まで本格的な巫女服姿だった。いや、なんで?
カーペットの敷かれた部屋の中央にメビウスを案内し、先に座って貰う事にした。
袴にシワが付かないようにと、丁寧に通して足を折り曲げ、彼女はカーペットに座る。
それが妙に様になっていて、一瞬見惚れてしまう。
「……まどかさん? 座らないのですか」
「あ、いや。俺も座るよ、うん」
カーペットの上に置いた折り畳み式テーブルを挟んで、俺はメビウスの向かい側に胡座を組んで座った。
巫女服を来て、自室にちょこんと佇むウマ娘の姿。見慣れないなんてものじゃなかった。
対してメビウスも、珍しく心ここに在らずといった様子で視線が室内を泳いでいる。
あまり物を置いていないので若干殺風景とも言えるが、初めて訪れる人の部屋だ。
彼女としても多少は気になるのだろう。
「で、メビウス。作戦会議なんだか」
「はい。あの出走表を前にして、どのように挑めば良いのか見解を伺いたいのです」
「……そうだな。まず端的にいうべきか、オブラートに包むべきか聞きたいが」
「で、あれば。はっきりとおっしゃって下さい。現実を、まずは受け止めたいと思います」
彼女は巫女服姿で、真っ直ぐに俺の目を見据える。
ならば、差し控える必要はない。俺が思う状況を、ありのままに伝えようと思う。
「晴れの良バ場で立ち向かえば、リングメビウスは勝てない。完敗は必須だろう」
「それは、バ身差でいうとどれ位ですか?」
「……七バ身差は付くだろうな。大差負けの可能性も十分あり得る」
カレンチャンは分からないが、ハッピーミークとマンハッタンカフェを前にして中距離の良バ場で勝つビジョンは見えない。能力値のステージが違うのは明白だ。
特にハッピーミークは、現時点での仕上がりが群を抜いている。
すでに重賞に挑める素質に対して、未勝利戦でしばらく勝ち負けを想定するクラスのリングメビウスでは、あまりにも実力差があり過ぎる。
「良バ場の、という事は……」
「条件次第では好走が可能だ」
「では、大雨が降り、道悪状況になった場合には変わると?」
「その通りだ。重バ場、不良バ場レベルまで変化すれば、君が勝ち負けに迫れる可能性が隠れている」
「つまり、まず前提条件は雨が降る事に相違ないのですね」
「そうなる。そうでなければ今回の選抜レース、メビウスが持つ力を周りに示すことは難しくなるだろう」
だが、その前提には問題がある。
元々曖昧ながらも先の天気予報の傾向を見つつレースの日取りを決めてはいるが、数日先の空の天気を完全に見通す事は難しい。
今の所の降水確率は、レースの前々日から五十パーセント。当日で七十五パーセント程度の予報となっていた。
降る可能性は高い。だが、降雨量の次第で展開が大きく変わる事は必至。
稍重程度となるか、それとも荒れるのか。
天気予報を示すスマホの画面を彼女にみせながら、俺は会話を進める。
「つまりは、天気次第で作戦が大きく変わると言うわけだ」
「なるほど……」
「バ場次第で、走る道も変わる事になる。その上でロスの少ない経済コースを如何に通りバ身を稼ぐか。そこにある程度の傾向があれど、当日のバ場状態で考えなければならない側面が大きいんだ」
「分かりました。そうなると、多くの雨が降らない事には今回は厳しい戦いになるのですね」
「端的に言えば、そうだ。短い期間とはいえ俺がトレーニングを施してきた手前で心苦しいが……培ってきた能力よりも、今回は運に左右される事が多いのが実情だ」
相手関係で、レースというのは大きく性質を変える。
一着以外は全て負けというのがレースの世界の必定だが、一着を狙えば大敗し、無理せずに二着以下を狙えば好走する事もざらにある。
「選抜レースで納得できる結果を出す事が、君が提示した正式なトレーナーになるための条件だったな」
「はい。ですが、私にも分かっています。この戦いは、厳しいものになると」
「それでも、敢えて聞きたい。メビウス、君はどうしたい?」
「……まどかさんに負担をかけることになりますが、本音でお答えしても」
「もちろん。望みを言ってくれ。ウマ娘の願いを叶えるために全力を注ぐのが、俺の仕事だ」
じっと彼女の目を見据えて、俺は問い返す。
巫女服姿の清廉としたメビウスの存在が、どうにも互いに真摯な答えを求めさせているような心地にさせていた。
「……普通に考えて、いつもの私なら勝てないと思います。実力差は明白。それも承知しています」
「そうか」
「……でも、今の私は違います。バ場次第では勝てる道筋があると、貴方が言ってくれています。未来のレース結果は、まだ誰にも分かりません」
「その通りだ。レースの世界に、絶対はない」
「そして私は、ウマ娘です。その本能に嘘は付けません」
その瞳の奥に、確かに宿る闘志が見えた。
良い眼だと、思った。ウマ娘に在る魂の炎が、そこに揺らめいている。
「トレーナーさん」
「ああ」
「――勝ちたい、です。走るからには、本気です」
よく言った。それでこそ、ウマ娘だ。
「分かった。勝ちに行こう。メビウス」
「はい。勝利への道筋の指南、当日もよろしくお願いいたします」
「――と言っても、話の根幹を折るようですまないが、まずは雨次第になるのがもどかしいが……」
「でしたらやはり、ここで私の秘策の出番と言うことになりますね」
「……先ほど言っていた、秘策か。それは一体、何なんだ?」
「今からそれをお見せしましょう」
先ほどまで彼女が背負っていた風呂敷。
メビウスはそれをテーブルの上に置くと、広げて中身を取り出した。
出てくるのは、さっきから見えていた鴨(カモちゃん)のぬいぐるみと長ネギ。
その奥には、小さな神棚が収まっていた。
「……神棚?」
「そうです。巫女服。神棚。カモ、長ネギ。これらが揃えば、やる事は一つです」
「全然分からないが、何を?」
「――雨乞いをします」
ん?
「……雨乞い?」
「はい。カモちゃんを供物にして祈りを捧げ、長ネギを振って雨乞いを行うのです」
「本気か?」
「ほ、本気です。見てて下さい。やってみせます。私の心がブレないうちに」
俺の言葉に、動揺してるのが見て取れる。
だが、言うが早いか、彼女は神棚の前に鴨のぬいぐるみを置いて捧げると。
立ち上がって目をつむり、握った長ネギを振り出した。
一体、なんの儀式なんだこれは。
「――豊穣の女神様。端的に申し上げますとこの度この上のない私情なのですが、どうか雨の恵みを下さいますよう。このカモちゃんがどうなっても構わない事はありませんが、私とまどかさんのためにここはどうか沢山の雨を降らせて下さい。よしなに、かしこみを申します」
同じ言葉を三度ほど繰り返しながら、俺と神棚の周りをぐるりと回って歩いたところで、彼女の気は済んだ――もとい、祈りの儀式は終わったらしい。
歩いた後に、メビウスは俺の隣りへと腰を下ろしたのだった。
あまりにも自然に、俺の横に彼女は座る。
「……以上になります」
「お疲れ様。ところで、この祈りにはどういう意味合いが?」
「カモは『かも知れない』という可能性を持つ獣です。そして長ネギは邪気払いの意味をもつ野菜のため、祈願にも効果があります」
「過去にも試したことはあるのか」
「あります。幼い頃から統計を取っており、多少ながら効果も折り込み済みです」
「どのくらいの程度の変化が?」
「降水確率が十パーセント程上がります。雨の量も、それなりに増えた事があります……体感ですが」
体感か。
うん。とういうことは。どうなんだ?
「これは、メビウスなりの冗談だったりするのか」
「い、いえ。本気です。……すみません。半分冗談のような行いです。でも、私にとっては本気なのです。信じて下さい」
ついと俺の隣りに座ったメビウスは、上目遣いでそんな事を言い出している。
その瞳に、嘘はない。そんな気がする。冗談ではなく、彼女は本気でその秘策を見せてくれたと言う事なのらしい。
天然さ故なのか、それとも本当に祈るという行為には力があるのか。
「すまない。疑うようなことを言ってしまった」
「いえ、私もやっておきながら、どうかと思うのですが、でも……」
「良いんだ。君がそうだと言うのなら、俺は信じるさ」
「まどかさん……ありがとうございます」
そう言って彼女は、俺の肩へと、自身の肩を預けてきた。
いや、距離感が。というか距離が、近いんですが。
今日は一体どうしたというのだろうか、リングメビウス。
ずっと何か、掛かっていないか?
あまりにも近い距離に、彼女からの匂いが仄かに香り出す。
桃のような、甘い匂い。
服越しに伝わる彼女の体温。静かな吐息。
少し蒸気しているかのように、赤らめているメビウスの頬と表情。
これは、なんというか。流石に変な気分になりかね無いというか――。
頭を振りかぶって、俺は冷静さを取り戻さんがために疑問をぶつける事にした。
「と、ところでメビウス。その巫女服はどうしたんだ?」
「これですか? これは私の、し――」
「し?」
「はい。私の………。………いえ、あの。これは……そうですね。えっと……実は、マチカネフクキタルさんから、お借りしました」
「マチカネフクキタルから、か。確か、実家が神社のウマ娘だったか。なるほど」
「近くにファン感謝祭があるので、『表はあっても占い屋』のお手伝いに誘われていまして、その、それに際して借り受けた事になっていまして」
何か言葉尻がおかしいが、まあ筋は通っている。
そう言う事なのだろう。
「その、今更ながら、あの。急に、日和ってしまい、申し訳ありません」
「何がだ?」
「いえ、こちらの話です……」
それから、少し会話が止まってしまった。
肌が触れ合うほどの距離で、肩に寄り添うメビウスの呼吸と、掛け時計の刻む秒針の音だけが室内から聴こえてくる状態となる。
待て。冷静になれ。
彼女は、俺の担当ウマ娘で。学園の学生で。
それで俺と、恋人関係な訳で――。
いかんでしょ。
心頭滅却、心頭滅却。待て、別の事を考えろ。個人的な感情に流されるんじゃない。本質を見誤ってはならない。これは作戦会議のために開いた会合だ。トレーナーとして、俺が成すべき事はなんだ?
彼女なりの秘策はあった。俺にはまだ無いのか?
秘策といえば、そうだ。あのノートがある。メビウスに見られないよう、今は棚の中にしまってはあるが――過去、いや、ある意味未来の俺が経験した数多の情報が記載されているノートだ。あれには一体、なんと書いてあった?
『以下、俺の経験上から、四月中に行うべき事を記載する。長くなるが、よく読んで覚えておいてくれ。
①トレーナー業に関して誤解を受けている場合は、任意のタイミングでその誤解を解くこと。
②リングメビウスの今の適性を全て確認すること。
③正式なトレーナー契約を交わすのは、彼女の夢と目標レースを理解した後であること。
④彼女と二人で中庭に揃う機会があれば、どこかで必ず三女神像の前で祈りを捧げること。
⑤カレンチャンと話をすること。
実行の順番は問わないが、以上のそれら全てが果たされるまで、このノートを開く必要はない。なお、これらを実行するかどうかについても、今の俺に任せる。後のことは、己で考えて動くべし』
確か、こんな内容だったはずだ。①、②、③、⑤の流れは、一応満たしてはいると言えるのだろうか。
とあれば、暫定で残すところはあと一つ。
④の、三女神を前に二人祈りを捧げるという事になる。
そして、今の状況はなんだ。
カモちゃんを供物に、長ネギを使い、そして巫女服を着て――祈りを捧げていた。
「……あっ」
閃いてしまった。
気付かされた、というべきか。
敢えてこのタイミングであのノートの事を思い出してしまったという事は、つまり。
そういう事なのか。
これを、行えという事なのではないか。
学園の、三女神像を前にして。
先程のこれを、しかも、二人で。本当に?
――正気とは思えない。
だが、ノートにはこうも書いてあったはずだ。
恥も外聞をも、か殴り捨てろと。
点と線が繋がるのであれば、もうこれは、そういう事なのではないか。
いや、果たして今の俺は冷静なのか?
メビウスが近くに居すぎて、ある種奇行とも取れなくも無い祈りをみせられて判断力が鈍っていないか?
そもそも祈って何の効果があるんだ?どういう意図で、ノートの俺はそれを示唆しているのか。
いいや、違う。もうそれは問題ではない。
やるか、やらないかだ。俺が、覚悟を決めるんだ。そしてそれを、メビウスにも背負って貰う覚悟を持つんだ――。
「――メビウス!」
「……は、はい。何でしょうか。まどかさん」
思い立った俺は、隣りに座るメビウスに向き合い、彼女のその両方を掴んで相対した。
この頼み事は、相当に相当である。
彼女に対面するのは、真摯に。
実に真摯に、話す必要があるからだ。
「メビウス、君に一つ。お願いがある」
「お願い、ですか」
「ああ。俺達二人の関係が上手くいくために、君に……一肌脱いで貰いたいんだ」
「……え。あの、それは。……今それを言うという事は、どういう意味で……」
「いや、違うか。言葉のあやだな。というよりも、君がその巫女服を着たままでないと、出来ないことなんだ」
「巫女服を、着たまま、ですか」
「そうだ。そうでないと、ダメだ」
「あの、えっと。まどかさんは、実は巫女服がお好きで――」
「好き嫌いの話じゃない。メビウスがその巫女服を着ている。それが重要なんだ」
「は、はい」
有無を言わせぬ勢いで俺は迫る。日和ったら、ダメだ。
ここは、押しが肝心――!
「世間的には、だいぶマズい事かも知れない。俺たちは、好奇の目で見られるかも知れない」
「だと、思います。でも。でも私は……いえ。構いません。今更なお話です。私もまどかさんの前では、一人のウマ娘です」
「もう一度聞く。学園ウマ娘として、好奇の目に晒される可能性もあるかも知れない。それでも、良いか」
「――私は……貴方が、望むのであれば。いつでも、
「……ただ?」
「その、先程この巫女服はマチカネフクキタルさんからお借りした物と申しましたが、それでも……」
「それが借り物でも、構わない。それ以上に俺は、君にその行為を求めたいんだ」
やるしかない。いや、やるんだ。
「……そこまで、真摯に求められるのであれば。否やは、ありません。寧ろ先程は、試すかのような物言いになってしまった事に、恥じいるばかりです」
「であれば」
「私は、貴方に付いていくのみです」
「そう言ってくれるか」
「私も、ウマ娘です。……覚悟を決めました」
すっと俺の目を見つめて、メビウスは目を閉じた。
そして、俺のへと両の腕を差し出した。巫女服の振袖が、サラリと目の前で揺れた。
全服の信頼を感じる。彼女の肩を通じて、心音の高まりさえも分かるようだった。
そうだな。俺も、初めての事だ。どうなるか分からず、怖ささえある。
それでも、言うんだ。このお願いを。
きっとこれは、前に進むための道程になるのだと信じて。
「メビウス」
「はい。まどかさん」
「お願いを、言うぞ」
「どうぞ、よしなに」
「
「――はい。……?」
「明日、俺と一緒に。二人で」
「……………………えっ?」
『根性トレーニング、発生!』