トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。   作:カモねぎ屋

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第24話 夢、追憶、ウマ娘にて

 

 

 ▽

 

 

 激闘の選抜レースを終えて。

 あれから、幾日が過ぎた日の事。

 

 私は今、夢を視ていた。

 幼い頃から時折、視るようになった世界の夢。

 

 出会う人の名前と顔も、言葉も。

 それを夢の中で聞いても、いつも目が覚める頃には忘れてしまっていた。

 

 ただ、何度もみる度にその物語は自然と記憶の中を巡るようになる。

 トレセン学園に来て障害レースを観るようになってからは、私は以前よりも、その彩度が上がっていくのを感じていた。

 

 繰り返していく内に、その夢は私の中で現実味を帯びていく。

 あれは、本当にあった『私』の物語のようだと、思うほどに。

 

 ()()()と呼ばれている――あの姿でいる私。

 

 それが夢が今日は、特に鮮明に視れる。

 いつもよりもハッキリと。

 

 あの頃は、何となくでしか分からなかった、ヒトの言葉も。

 ウマ娘として生きる今の私は、それを理解する事ができる。

 

 これもカレンチャンさんが言う通り、レースの後にまどかさんの手を握ったからなのだろうか。

 

 私が知りたい、大切な事。それが形となって、夢の中の私の前に映り出す。

 

 その夢は、私の目標が生まれた理由。

 競走馬としての『私』が、あの人の元に来た時の物語。

 

 物心ついたという言葉で言い表すならば、それが私とあの人との始まりなのだろう。

 四本の脚と、今よりも随分と高い視界の景色。

 

 馬と呼ばれる存在の私。

 その夢の世界の――魂の記憶。

 

 

 ▼

 

 

「この子の名前は、リングメビウスに決まった。若松円。君にこの馬を任せようと思う」

 

 私がこの世界に生まれてから、景色が一巡して、しばらくが過ぎた頃だったと思う。

 

 いままでとは違う厩舎に連れてこられた私は、あの人の元に預けられた。

 視線を合わせる。

 この人の怠そうな瞳の中には、熱い気持ちが眠っているようにみえた。

  

「綺麗な尾花栗毛ですね。うん、とても綺麗だ」

 

 そう言って、あの人は私の傍に来て、私の首元に触れた。

 

「よろしく、リングメビウス。今紹介に預かったのはこの私、若松円(わかまつまどか)。君が、私の初めての専属馬だ」

 

 嬉しそうな笑顔だった。

 私を見てこんなにも楽しそうに笑うヒトは、初めてだった。

 

 ヒヒンと嘶き、私は蹄で地面を軽くたたいた。

 よろしく、と。

 

 あの人はそれから、随分と私のお世話をしてくれた。

 

 牧場を駆ければ、水で丹念に洗う。ごはんもくれる。いつも熱心に掃除をしてくれる。毛並みをとても綺麗にしてくれる。

 

 走ってぴょんぴょんと飛び回る私を、笑顔で迎えてくれる。私をたった一人でここまで相手するヒトは、初めてだった。だから少し不思議だった。

 

「初めての専属馬となった君は、私の努力が認められた証なんだ。君が綺麗でいてくれて、君が懸命に走ってくれればきっと厩務員である私の評価も上がる。勉強に繋がる。そしていつか、調教師――トレーナーになるんだ。だから、熱心に君の世話を私はしよう。ほら、ビジネスライクだろう? だから、元気で居てくれると助かるよ」

 

 そんな風に言う。意味は良く分からないけれど、私が堂々としていればこの人の助けになるらしい。

 

 私はあの人――まどかさんを背に乗せて、走る日々を過ごしていた。

 背に乗せて、駆ける。休む。牧草を食べて、大好きな人参をたまに貰う。

 楽しい日々だった。最初は嫌だったけど、走るたびにまどかさんは私の首を叩いて誉めてくれた。それが、嬉しかった。

 

 季節が一巡した。

 メイクデビューというものに、私は出るらしい。

 

 私の背に跨るのは、違う人。慣れない感覚。

 懸命に走ったけれども、初めてのレースは、先頭と随分と離されてしまった。

 

 多分、負けたという事なのだろう。

 まどかさんが、私を迎えに来た。

 

 なんだか少しバツが悪くて視線をそらせると、まどかさんは私を真っすぐに見据えると、たくさん私の首を叩いた。

 

 ヒトが馬の首を叩くのは、褒めている事の合図と理解している。

 それにしても、今日は随分と首を叩いて褒めてくれる。

 

 その目を見ると、まどかさんが泣いていた。

 泣いて、喜んでいた。

 

「無事に戻ってきてくれて、ありがとう。格好良かったよ。担当する馬が、無事に帰ってきてくれる事がこんなにも嬉しいなんて。リングメビウス。君の担当であることが、今私は誇らしい」

 

 順位は、まあ初めてだから。と。

 まどかさんはそう言うのだった。

 

 あれから、何度かレースに私は出る事になった。

 けれども、一度も先頭でゴール板を駆け抜けることは出来なかった。

 

 なんとなく、分かった。私はここでは、速くはないのだと。

 

「地方に行けば、君は強いよ。でも、やっぱりここは中央だ。何かが、足りない。でも、足りないものを私は補う事が出来ていない。このままだと、私は君とは離れてしまうことになりそうだ」

 

 そんなのは、嫌だと思った。

 

「ああ、私もね。嫌だよ。リングメビウス。やっぱり世話をしていると愛着ってのは湧いてくるものなんだ。君をどうにか勝たせてあげたい。これからも負け続けたらなら、君を待つ運命は……。……これは、人のエゴだね。あまりにも、独善的な人の世界だ。そうは思うんだけど――」

 

 抗議の意で、私はその場で飛び跳ねる。かつんかつんと地面を鳴らす。この人以上に私を大事にしてくれる人は、きっと居ない。この人と離れたくはない。そして離れた時には、私はどうにかなってしまうのだろう。でも、そのためには私は先頭でゴールを駆け抜けなければならない。

 

 私が何度もその場で飛び跳ねると、ハッとしたような顔で。まどかさんは何か閃いたかのようにその手をポンと叩いた。

 

「メビウス。君、障害競走に出てみないか?」

 

 その日から、私のトレーニングは少し変わった。まどかさんを背に乗せて、障害と呼ばれる壁を、跳ぶ。時には、藁に顔を突っ込む。上手く飛べても身体に突き刺さる感触は、ちょっと痛い。

 

「天性の才能だ。メビウス。君は、跳ぶのが凄く上手い!」

 

 まどかさんはそう言って、私の首を何度も叩いた。褒められると嬉しい。元々飛び回るのは好きだったけれど、それがどうやら私の良いところだったらしい。

 

 私の次のレースが始まった。

 芝を走り、砂の上を走り、時に障害を跳ぶ。

 

 結果は、二着だった。もう少しだった。でも、確かな感触があった。

 走り終えた私を、まどかさんは笑顔で迎えてくれた。

 

 いつもより前でゴールできたから、私は少し誇らしげにまどかさんの傍に寄る。

 まどかさんはその顔を私の横顔に付ける。これが、親愛なのだと思った。

 

「次は、勝てるよメビウス。頑張ろう。私も、君を勝たせたい」

 

 その日から、以前よりもトレーニングは難しくなった。跳ぶ高さも、走る長さも増えた。

 でも、楽しかった。まどかさんを背に乗せて走って、誉めてもらえる度に、私の心は満ち足りていた。

 

 次の障害レースは、雨が降る日に行われた。

 

「雨で馬場が悪いから、君の脚が少しばかり速くなくても、チャンスはある。メビウス。君の持つ飛越は、天賦の才だ。存分に走っておいで」

 

 パドックでの周回を終えて、私の手綱はまどかさんから騎手に渡される。

 

 その日の結果は、一着だった。

 

 私は、生まれて初めてレースに勝ったのだ。

 

 ウイニングサークルと呼ばれる場所に、私は導かれる。

 

 騎手。いつもお世話になっている人。カメラを持った人たち。

 そして、まどかさんがそこに居る。

 

「メビウズ~! よがっだよ。本当に。カッコよかった。嬉しいよ、もう。なんて言えばいいか分からない!」

 

 いつも厩舎にいる人たちも、まどかさんと私に『良かったな、初勝利おめでとう』とねぎらいの言葉を掛ける。みんな嬉しそうだった。

 

 私は、誇らしくなってヒヒンと嘶いた。

 まどかさんは私の手綱をもって、泣きじゃくりながら。そして涙をぬぐうと、見たこともない笑顔を浮かべて私の頬へと口を寄せた。

 少しビックリしたけど、お返しに私もまどかさん頬をペロりと舐めた。

 

 嬉しかった。この人の笑顔を、もっと見たい。またみたい。

 走る事がどんなに苦しくても、それ以上に大切なモノがここにある。

 そう思えるほどに、それは私の生き甲斐になっていた。

 

 こうして私は、未勝利戦を突破した。

 それが、まどかさんの誇りになったのなら、とても嬉しい。

 

 それから少し経ったある日の事。

 今日やることがすべて終わって、馬房で寛いでいると私の隣りでなにやら手の平サイズの四角い機械をまどかさんが操作していた。ウマ娘の世界で言うなら、ウマホに当たるものだと今なら分かる。

 

 なんだろう、と覗き込む。画面の向こうで、馬の耳と尻尾のようなモノが付いたヒトの女の子が走っている。不思議な光景だった。まどかさんは得意げに笑った。

 

「気になるかな? これはね、『ウマ娘』っていうゲーム。競走馬が元になって、こうやってヒトみたいな姿で走るんだ。私の最初の相棒はね、カレンチャン。これが、すごくカワイイんだ。カレンチャンは、私の妹になってくれるかもしれなかったウマ娘だ! なんてね」

 

 ……ウマ娘?

 

 この子が気になってこのゲームを始めたのだと、まどかさんは言う。

 楽しそうにしているまどかさんが見れるのは良いことだけど、今日のそれは何となく、気に入らなかった。

 

 あなたの最初の相棒は、私。リングメビウス。

 ぐいっと、首と顔をまどかさんに私は寄せる。

 

「うわっ。なんだ、おなかでも空いた?」

 

 違う、と思ってもう一度顔を寄せる。

 

 ウマ娘は、馬でありながらヒトの形があって、ヒトの言葉が話せるらしい。私は馬だから、思った事を直ぐにまどかさんに伝えることが出来ない。もどかしい。

 

 ウマ娘が、少し羨ましいと思った。

 

「これはゲームの世界だから、私の手でもカレンチャンにGⅠを勝たせてあげられる。でもまあ、嘘でもないけど、これは私にとって本当じゃない。私の夢というのは、生きた実感をもって、その手で叶えるものだからね」

 

 まどかさんは、()()()をポケットにしまうと、立ち上がる。

 そして私の前で両腕を広げると、仰々しく言うのだった。

 

「私の夢は、いつかGⅠトレーナーになることなんだ。すごいだろう? GⅠだ。レースに携わる者として最高の栄誉だ。リングメビウス。君は私が辿る栄光の道を象る、その始まりの一歩なのさ」

 

 まどかさんは、私の顔を覗き込む。

 

「まだ君しか専属で預けられることがない私が、GⅠなんて夢を語るとね。周りはみんな笑うのさ。調教師(トレーナー)を目指す道半ばの、まだヒヨッこな自分だからね。なぁ、メビウス。君はどう思う?」

 

 GⅠというのが何だかよく分からないけど、それがまどかさんの夢ならば笑うまい。私は、立ち上がって、蹄を地面に打ち付ける。

 

「ああ。分かってくれるのは、君だけだメビウス。君は馬だけど、分かってくれている。そうに違いない。それに、今の私にだって希望はある。君はこれから、オープン戦に臨める。障害レースは、一勝すれば進めるコマが大きい。君が走り続ければ、私も君もこの世界でまた生き残れる」

 

 私にとってレースの世界は、華やかでもなくて泥臭い。

 時には雨の中を、ぬかるんだ大地を。目の前に立ちはだかる障害を。

 無我夢中になって飛び越えるのが、障害レース。

 

「一緒に、跳ぼうじゃないか。これもまた、人馬一体だ」

 

 まどかさんの夢は、私の夢だと思った。

 すっかり私は、この人の事が大好きになっていた。

 私が走る事で、跳ぶことで、勝つ事で。こんなにも喜んでくれる人は他に誰もいない。

 

 ビジネスライクだとかなんだかと言いながらも、この人のその目はすごく優しさに満ちている。

 

 勝ちたい、と思った。先頭で駆け抜ける度に、私はこの人の誇りとなり、私はそれを誇ることが出来る。

 

 それに。誉めてくれる時には、たくさん人参も食べられるから。 

 

 あれから、障害オープン戦に挑み続けて、何回目かの時に私は勝った。

 

 その時も、雨の日だった。

 五馬身差。圧倒的な差を付けて、私はオープン戦に勝った。

 

 それが、二度目の勝利だった。

 私は、障害オープン馬となった。その名誉がどれほどのものかと言えば、きっとこの競走馬の世界では物凄く注目される程の事ではないのかもしれない。

 

 祝い事。今日は鴨鍋だ、ネギもあるぞ!とあの人は笑う。

 どちらも私は食べられない。ヒトの食べ物は謎。

 代わりにたくさん人参を貰った。とても美味しい。

 

 喜ぶあの人の顔が、その日も見られた。ただ、それが嬉しかった。

 だからこそ、それも一つの運命だったのだろうか。

 

 オープン馬となった私は、障害GⅢ、障害GⅡを走った。

 先頭では駆け抜けられなかったけれど、前の順位を何度か取る事ができた。

 

 やがて、コマは進む。そのたびに、まどかさんは目を輝かせていた。

 

「リングメビウス。君は、本当にすごい馬だ。君の飛越は、誰にも真似はできない。簡単には大地に足を取られない。完璧に跳び続けられる。雨の日なら、もっと強い。君の武器は、速さじゃない。ひたむきに走り続ける心の強さと、天性の飛越の才能だ」

 

 ――だから。

 

「次のレースはJ-GⅠ。中山大障害。私が推してみたら、調教師とオーナーさんが認めてくれた」

 

 GⅠ。まどかさんが夢だと言っていた、あの響き。

 

「君は、GⅠの舞台に立てるんだよ。リングメビウス。私が初めて担当する馬が、GⅠに出るだなんて。運命としか言いようがない。君はきっと、天が私に用意してくれた、運命の馬なんだ」

 

 それなら、まどかさんこそ。

 私に用意された運命のヒトなのだろう。

 

「勝てるかどうかは、天候にもよる。それに君はあのメンバーの中ではさほど有力馬でもない。でも、君ならきっとやれる可能性がある。私は、そう信じてる」

 

 そういって、まどかさんは私の横顔に触れる。

 

「中山大障害は、今まで走ってきたレースとは違う。距離も、障害の質も、その険しさも桁違いの芝ダート四千百メートル。JーGⅠの名に相応しい、日本で最高峰のレースだ。最後まで駆け抜けることが出来たら、それだけで英雄と言える」

 

 とてもとても、長い距離を走る。レースに向けての練習をしているから、何となくそれは分かる。

 

「君を自ら生き死にの世界に送り込むような事をしておきながら、私は君の無事を願っている。矛盾しているようで、この感情は同時に抱き得るものなんだ」

 

 こくりと、私は首で頷いた。

 

「私がどんなに君と日々を歩み、背に乗ってトレーニングをすることが日課であっても。いざレースのゲートが開けば、私が出来ることは何もない。でも君がレースを走る時は、私だけじゃなく、騎手と。たくさんの想いと夢を背に乗せて、走るんだ」

 

 私の背には、たくさんの想いが乗っている。 

 まどかさんはいつもレースでは乗ってくれないけど、いつも私の背にはヒトが乗っている。

 

「競走馬である君は、走るために――跳ぶために、生まれてきた。だけど、それだけが全てじゃない。長く続くこの道を歩むためにだって、生きていい。勿論、それはエゴだよ。けれど、願わせてくれないか。リングメビウス。どうか、私の元に……無事に帰ってきて欲しい」

 

 そうして送り出された、JーGⅠ。中山大障害。

 

 いつも同じファンファーレしか聴かないけれども、今日だけは違う曲が流れていた。

 このレースが、特別なものだと。それで分かった。

 

 いつもより、ヒトの姿がレース場に多い。

 並び立つライバルたちも、群を抜いて強そうだ。

 

 雨が、降る。それも大雨だった。

 馬場は渋り、走る事も難しそう。でも、脚が凄く速いわけではない私にとっては、絶好の機会。

 

 あの人の夢を叶えたい。

 これは私が挑むことの出来る唯一のGⅠレース。

 いつかとは言わない。あの人に捧げたい。勝ちたい。

 

 レースは順調に進まない。

 脱落していくライバルの姿があった。

 

 最初の障害で、一頭が転倒した。

 大障害の先で、更にもう一頭が転倒したのを横目にみた。

 

 無事なのかは、分からない。

 でも、私はまだ走っている。跳べている。

 この世界で生き続けるというのは、そういう事なのだと言い聞かせた。

 

 この雨の中、最後まで走ることは難しい。

 障害を飛越するたびに、ヒトの拍手が聞こえた。

 

 スタンド前を通り過ぎれば、まどかさんの声援が聞こえる。

 あの人が、私の走りを観てくれている。

 そう思うと、この馬場の中のとても長いレースであっても、頑張れる気がした。

 

 飛び越える。芝とダートを横切る。かつてない坂を幾度も降っては登る。

 

 気付けば、先頭の馬との差は、馬が並ぶと三頭分くらい。レースは残り僅か。

 

 最後の障害を、越える。

 その時だった。

 

 私の脚は、もう持たなくなっていた。馬場に脚を取られ、無理をし過ぎたのか、体力が思っていた以上になくなっていた。

 

 ――生まれて初めて、飛越に失敗した。

 

 ドッと音を立てて、私の身体は地面に横たわる。

 

 乗っていた人は、上手く離れてくれた。

 私が踏むことも、他の馬に踏まれることもなかった。

 

 泥のような芝の上で立とうとして、気付いた。

 立てない。脚をみる。

 

 私の脚は、駄目になっていた。

 たった数秒の出来事で、全てが暗転する。

 瞬間的に悟った。

 

 ――私はもう、走れない。

 二度と、跳ぶことは出来ない。

 

 痛みが襲う。苦しい。つらい。

 私はもう、あの人の願いを叶えることは出来ない。

 

 騎手が、私の傍に駆け寄る。

 

 ああ、この人は無事だったんだ。良かった。この人はまだ、この世界で他の馬の背に乗って走り続けられる。

 でも、私は、もう。

 

 程なくして、馬運車が来た。

 

 まどかさんも姿をみせると、直ぐに私の傍に駆け寄った。

 

「メビウス。ごめん。ごめんなさい。君は、頑張った。すごく頑張った。でも、でも頑張らせ過ぎてしまった。自分が願った事が、かえって君を、苦しませてしまった。なんて言ったら良いのか、分からない。大好きなんだ、メビウス。君が居てくれたから、今の私が居る。痛いだろう、辛いだろう。そうさせたのは、私だ。こんな事を言う資格が、私にあるはずもないのに」

 

 ただあなたはずっと、私に厳しく、そして優しかった。

 

「君に、背負わせ過ぎてしまった。こうなるかも知れないと分かっていても、私は君を走らせた。恨んでも、憎んでくれてもいい」

 

 私は走るために生まれてきた。

 跳ぶために生まれてきた。

 でも何よりも、きっと。

 私は、あなたに出会うために生まれてきた。

 

 あなたの隣りで、あなたの笑顔がみたくて走り続けた。

 これはその結果で、運命なのだと思う。

 

「どうしたら良いんだ。君に、死んでほしくない。君が走れなくなっても、私は、まだ君に生きていて欲しい……!」

 

 止まない大雨の中、それでもまどかさんが大泣きしているのが分かった。

 あなたの笑顔が見たかったのに、悲しませてごめんなさい。

 

 最後まで走り切れなくて。

 あなたの夢を叶えられなくて。それが、とても悲しい。

 

 自分の痛みよりも、今はあなたが悲しむ顔をみることが辛い。

 

 私はもしかしたら、このまま。

 まどかさんとお別れをする事になるのかも知れない。

 

 あなたに会えなくなるのは、寂しい。

 あなたの夢を叶えられないのは、悲しい。

 あなたの夢は、私でない誰かがいつか叶えるかも知れない。

 

 それはとても苦しいけど、あなたが喜べることならば、すごく嬉しい。

 それでも、出来れば私が。この脚で、その夢を叶えたかった。

 

 恨んでなんかない。私はあなたが好き。

 あなたが私をみてくれるのが好き。

 あなたを乗せて、走って跳ぶのが好き。

 大好きだった。あの日々も、すごく楽しかった。

 

 全部を伝えたい。

 そして何よりも、ただあなたが大好きだと。

 月並みだけど、伝えたい。

 あなたの言葉と想いは分かるのに、今の私はあなたにそれを伝えることが出来ない。

 

 もしも、私が人の言葉を話せたならば。

 この気持ち全部を、伝えながら走れたのだろうか。

 

 そんな仮定に、意味はない。けれども、ただ静かに祈った。

 

 この人の夢が、きっと叶いますように。

 

 ああ。私も、ウマ娘のように成れたなら――。

 

 

 

 

 目覚まし時計の音で、目が覚める。

 

 私は腕を伸ばして止めると、手のひらを見つめた。

 

 幼い頃から、幾度となく見たことのある夢。

 

 この世界では見たことのない、馬という生き物の姿で走る『私』の物語。

 

 けれど、出てくる人の顔も名前も雰囲気も、目が覚めたらすべて忘れてしまう夢。

 

 そしていつも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 それもまた、目が覚めて忘れてしまったのだけれども。

 

「でも、今日は……少し覚えています。容姿も話し方も、雰囲気も今と違うけれども。夢に出てくるあの人は、今の私のトレーナーさんでした」

 

 一人つぶやいて、確認する。

 私が何度も夢で出会っていたあの人は、まどかさんだった。

 容姿も雰囲気も今と随分違うけれども、その存在自体が、今の彼と違わない。

 何よりも、名前が同じだった。

 

 もしかすると、今の世界の名前を反映している、だなんて事もあるのかも知れない。

 

 ただ、いずれにしてもあの人物が、まどかさんである事にはきっと変わりない。

 朧気ながら記憶に残るこの夢の中で、障害レースを走った私を笑顔で迎えてくれる人。

 

 あれは――まどかさん。そんな心地が、確かにある。

 夢の中の話なのに、不思議とそう信じられる。

 

 私はずっと、あの世界で走る私のように成りたかった。

 

 そして、夢に出てくる『あの人の夢』を、私のこの脚で叶えたい。

 

 そんな気持ちで、私はJーGⅠの中山大障害を目指すと決めていた。

 障害レースで、憧れのウマ娘はいない。エンジェルシロップさんのように応援したいウマ娘は居ても、本当の目標はこの世界には居ない。

 

 私が憧れるのは、夢の中の私。

 

 私も運命の人と出会って、あんな笑顔が、みたい。

 あのレースを走って、私の脚で障害を飛越したい。

 そう願い、中山大障害で走る勾配によく似た道を走りたくて。私は寮から飛び出した。

 

 友人のマチカネフクキタルさんに相談すると、フクキタルさんが占いで水晶に尋ねてくれた。そして『この方角の、ここに、メビウスさんにとってのシラオキ様がいます!』と答えた、このアパート。

 

 そこには私の、運命の人がいた。

 

 引っ越しをした時には分からなかったけれども、結果だけを振り返れば、そういう事になる。

 隣りの部屋に、ずっと恋焦がれていた夢の存在が、輪郭をもって立っていたのだ。

 

 シラオキ様というのが何なのか今の私にはよく分かってはいなけれども、彼はきっと天が授けてくれた人なのだと思う。

 

 ああ、もしかしたら。この出来事もいつものように時間が経てば忘れてしまうのかも知れない。

 

 そう思って私は、まだ何も書かれてないノートを棚から取り出して、今みた夢の内容を綴ることにした。

 

 夢中になって、ハッと時計をみると、時刻は朝の七時となっていた。

 

「今日は、ファン感謝祭の日でした。表はあっても占い屋の、お手伝いに……急がないと間に合いませんね」

 

 大きな風呂敷の中に、必要な道具。それから半分は趣味の、私物の巫女服を包んで私はアパートを飛び出した。

 

 まどかさんが住む隣りの部屋を、少しだけ眺めて。朗らかな気持ちとなって私は階段を駆け下りる。

 

 ――そういえば、と思い起こす。

 

『俺たちさ。どこかで出会ったこと、ないかな』

 

 あの扉の前で、ウマ娘の私と出会ったまどかさんのあの言葉。いわゆるナンパのようで、私に対するアプローチだと思っていたけれども。

 

 夢の中のあの人が、本当に、まどかさんであったなら。 

 それは自然に思ったことを口にしただけで、女性に対するアプローチではなく。

 

 私の盛大な勘違いだった可能性も、あったりするのだろうか。

 

(……いえ。ううん、そんな、ことは)

 

 ない、と己に言い聞かせたい。

 最初こそ、先程のように自身の勘違いを疑ったけれども。

 翌日にも、『好きに決まっている』と。

 まどかさんはそう言ってくれたので、私と同様に、彼も一目で私を好きだと思ったに違いない。

 

 ただ。時に、人生には三つの坂があるという。

 上り坂、下り坂。

 そして、まさか。

 

 ……気を、取り直す。

 仮にそうだとしても、互いにそう言い合えたのならそれもきっと、ひとつの出会いの在り方。

 

 今一度、前を見据える。

 

 今日もまた学園で友人たちと、あの人に会える。

 大好きなあの人と、言葉を交わせる。

 この脚で走り、跳ぶことが出来る。

 

 こんなに嬉しい事はない。

 

 一呼吸おいてから私はもう一度駆け出し、いつもの急坂に挑む。

 

 こんな日常が、幸せが。今の私にはある。

 

 その気持ちを、胸に抱きしめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

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