トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。 作:カモねぎ屋
「……今日は本当に、疲れた」
帰路につき、アパートの自室で横になる。
今日は残業すら碌にせずに帰宅した。
あのままでは全く集中出来なかったからだ。
「それもこれも、あのノートのせいか。……いや、ノートが、というよりは寧ろ、俺の記憶が不明瞭なせいなのか」
大の字になりながら、自室の机を見やる。
この机の上のノートには、本当に過去に繰り返した三年間のことが記されているのかも知れない。
そうでなければ、出会ったばかりのカレンチャンという少女や、ハッピーミークのことにここまで余計な口を出している筈がない。
――だが、本当にこの中身を見てしまって良いのだろうか。
現実かもどうかも分からない、未来のようで過去の出来事。
それを知ることが、正しいことなのだろうか。
今在る自分が、分からなくなることが、怖い。
読んでいなくとも、今日も起きた、時折り思い出すかのように流れる記憶のような残滓。
この程度だからこそ気を保っている可能性もあるこの現況で、それが更に鮮明になった時。
正気を保てていられる自信がない。
今の自分が、どの時間にいるのか。それすらも分からなくなりそうで――。
自分ごとのようで、他人の記憶とも感じるほどに年月を感じる何か。
その混濁に呑まれてしまうようで、言い知れない恐怖に包まれる。
「でも、見ない事には解決はしない、よな」
深呼吸をする。
心を落ち着けて、腕を振りかぶると、俺は立ち上がった。
「……見なきゃ、始まらないんだ。何も分からないまま、今の状況で冷静に過ごせるはずがない」
意を決して、俺は机の前に立つ。
そしてノートを開こうとした、その瞬間。
ピンポン、と。
自室にチャイム音が鳴り響いた。
「――――っ!」
びくりと、俺の身体は反応をする。
タイミングがあまりにも良すぎる。
ホラー映画もかくやの隙間風だ。
「こんなときに、一体誰なんだ……」
急な出来事に上がる心音を抑えながら、俺はひと呼吸を置くと玄関へと向かった。
セールスか何かなら、はた迷惑な話だが。
玄関で靴を履き、俺は戸を開く。
すると、全く予想もしていなかった展開が待ち受けているのであった。
「夜分遅くですが、こんばんは。引越しの挨拶に来ました」
トレセン学園の制服を着た、ウマ娘の少女がそこに居た。
容貌は若い。背丈は百六十センチ程はありそうだ。ゴールドシチーもかくやな見事な尾花栗毛の長い髪を、頬の横に結っている。
中等部か、高等部に入りかけかそこらだろうか。一部が腰にまで伸ばされた長髪と、肩にかかるフワフワとしたボブカットもまた特徴的な少女だ。
少し怠げで陰りのある緑色の瞳がとても綺麗に映える。訝しげに観察してしまう手前故、少女の胸元にまで自然と目が移るが、それなりにあるようだ。
そしてその両腕にはカモを模した人形が抱えられていた。
ついでに言うと、背負っている風呂敷の端からは、太い長ネギが数本飛び出している。
一体どういう状況なんだ、これは。
「あ、はい……どうも。ええと、引越しの挨拶、ですか?」
「はい。隣りの二〇五号室に。私、今日からそこに住まわせて頂きますので」
そういって彼女は、ウマ耳を揺らしながら隣の部屋に指を指す。
……引越し?トレセン学園の生徒が、こんな時期に?しかも、寮ではなくこんなアパートに?
「そこで、つまらないものですが。これをどうぞ」
淡々とした口調でそう告げると。彼女は、背中に背負った風呂敷から、器用に二本の長ネギを取り出すと、すっと俺に手渡した。
「申し遅れました。私、リングメビウスと申します。以後、どうぞよしなに」
彼女が、俺の運命を変える糸口。
この終わらない三年間を超えるために俺に残された、希望的存在との出会いだった。
そんな彼女が今日。
カモのぬいぐるみを手に抱き。
ネギを