トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。 作:カモねぎ屋
つまらないものですが、と。
目の前のウマ娘から差し出された、二本の長ネギ。
引越しの挨拶でこんな物を手渡されたのは初めてだ。
「ど、どうも。ありがたく、頂くよ」
「はい。そうして下さると嬉しいです」
リングメビウスと名乗る少女は、カモのぬいぐるみを抱えたままペコリと頭を下げた。
「長ネギは健康に良いですので。鍋にでも入れて食べてください」
「ああ、そうさせてもらうよ」
今は四月の中旬なので、鍋の時期ではない気もするが。
「ところで、貴方のお名前をお伺いしても」
「失礼した。俺は、
「わかまつ、まどかさん……ですね。覚えました。いつからここにお住まいなのですか?」
「先月から、ここの二〇四号室に」
「そうなんですか。私は、今月の本日からです。お揃いですね」
「お揃い……?」
「はい。この生活に、まだ慣れていなさそうなところが、です」
そう言うと、リングメビウスは俺の顔をジッと見つめ始めた。
天然じみているのか、それとも。何かを見透かしてるのかような発言が、少し不安になる。
怠そうなジト目を常としているらしい、緑色の瞳が目に映る。
切長のまつ毛と吸い込まれそうな瞳。少し大きめなウマ耳が微かに揺れていた。その裏で、何を考えているのかさっぱり分からない雰囲気がある。
「な、なにか俺の顔にでも……?」
「…………いえ、なんでもありません。隣りの角部屋に住むことにはなりましたが、出来る限り、うるさくはしない様にしますので。以後お見知り置きを」
彼女はもう一度頭を下げる。俺もそれに応じて軽く会釈をしようとしたところ。彼女が背負う風呂敷から数本の人参とネギが、するすると抜けて転び落ちてしまった。
「あっ……私のネギと人参が……」
リングメビウスから小さく溢れる焦りの声。
風呂敷からコロコロと俺の目の前に転がる人参とネギ。その状況に急いで彼女が手を伸ばすと、抱えていたカモのぬいぐるみも足元へ落ちてしまう。
「慌てなくてもいい。俺も拾うよ」
それに気付いた俺は、人参とネギを拾い彼女に手渡す。
「すみません」
謝り受け取ると、リングメビウスは自身が背負う風呂敷に人参とネギをしまい直す。
後は落としたカモのぬいぐるみを、と。
俺が手を伸ばしたその時。
彼女もまた手を伸ばしており――カモのぬいぐるみに触れる前に。
互いの手が重なり合った。
「――えっ」
それは、どちらが先に溢した声だっただろうか。
不思議な感覚だった。
懐かしいような、はたまた最近にもこの触れ合いを知っているかのような。
馴染む。この存在が、何よりも。
そんな風に、勝手に思ってしまったからだろうか。
直後。とんでもなく不用意な発言が、俺の口から飛び出してしまったのは。
「その」
「俺達さ」
「……はい」
「どこかで出会ったこと、ないかな」
ヤバい、と思ったのは、言葉にしてしまってからだった。
「…………あの」
「――あ、……その、なんというか」
「……………私は」
「すまん、忘れてくれ」
「――ないです。貴方に会ったこと」
当然の返答だった。
先程の彼女の長い沈黙が、言外の答えだと思った。
事態に気付いてから、さっと顔から血の気が引いていく感覚が過ぎる。
忘れていた。
今日の俺は、考えるより先に言葉が出てしまうことを。
隣りの部屋に住まうからと、丁寧に挨拶をしにきた少女に対して――しかも、自分が勤める学園の生徒に対して。出会い頭にこんな面倒なナンパ紛いな発言をしてしまうなんて。何をしているんだ、俺は。
見上げると、彼女のウマ耳と尻尾が、せわしなく揺れていた。
「……そういうのは私……間に合って、ますので」
「すまない。その、つい」
「私、間に合っていますから」
「頼む。忘れてくれ、今のは」
「人参とネギと……あと、カモちゃんを拾ってくれて、ありがとうございました。では、これで」
カモのぬいぐるみを受け取ると、俺から手を離し。
今度こそ本当に、リングメビウスはドアの前からから立ち去った。
見送るまでもなく、足早に彼女が自室へ戻り。
そして、ドアを閉める音が、パタンと聞こえた。
「――また、やってしまった……」
一人で頭を抱えた。
どういう事情かは知らないが、トレセンの制服をまとっていた彼女は、それがコスプレでもなければ、間違いなくうちの生徒だろう。
言いふらすような性格にも見えないが、人の口に戸は立てられない。
変な噂をささやかれでもしたら、俺のトレーナー生活は早くも岐路に立たされてしまう。
だが――。
「本当に、知っているような気がしたんだよな……」
感触を思い出すように、手の平を覗き見る。
いや、雑念だ。頭を振りかぶって俺も部屋に戻る。
頭を振りかぶると、俺は机の上にあるノートへ手を添えた。
「一旦、忘れよう。気を取り直して。今度こそ、だ」
先程は水をさされたが、もう後退りするつもりもない。
決して、先程の出来事にやけになったわけでない。そう、決して。
一呼吸。己の頬を、両の手でパチンと叩く。
これで、十分だ。
意を決して、俺はノートのページをめくる。
『――やあ、初日の俺。随分とお疲れだろうな』
早速ながら、ノートの俺はうるさかった。
こいつ、分かって書いてやがる。
『さて、このページを見ているということは、「最初の三年間」の初日を終えて自室に居る、ということだろう』
このノートを読んだ今日が起点なら、その通りだ。
『色々な事があって、混乱しているはずだが……前の俺も、その前の俺も同じ有様であったからな。気にすることはない』
それでいいのかよ。
『今後も不用意な発言を気をつけろ、とは言わない。俺もその都度で、記憶の混濁に悩まされてきた。感情の奔流にもだ。だが、それは受け入れるしかない』
受容しろ、と。
『受け入れた上で、たとえ失言をしたとしても、その都度うまく立ち回ることを優先すればいい。故に、常にこのノートを頼りにする事が、正解ではないことを理解してくれ』
確かに、それが正しいのかも知れない。さっきもそうだが、俺の口は緩くなり過ぎている。起きてしまったのなら、その時に対応するしか無い。それが致命的な発言にならないことを祈りたいが。
『さて。早速だが……ここからは、俺の三年間の分岐点の話になる。よく考えて決断をして欲しい』
……分岐点?
『――リングメビウス、というウマ娘について話そう。恐らく俺は今日、どこかで彼女と出会っているはずだ』
出会い頭にナンパ台詞をかましてしまった直後の俺に、ドンピシャな内容だった。
『もしも今の俺に、彼女と深く関わるつもりがなければ。今日はこの後、何があっても気にせず――この部屋から出るな。何があっても部屋からは出ず、素直に今日は寝ればいい。それが間違いだとは言わない。どちらの選択肢を選んでも、ある意味正解だとさえ言える』
部屋から出るな、とは。一体何が起きるというんだろうか。
『これから何が起きるのか。それをここにつぶさに書けば、俺の行動は縛られ、偏ってしまう。過去の――いや、今の俺からすれば未来の話なのかもしれないが、その経験上の話だ。だからここには、この後何が起こるのかについて詳細な明記はしない』
親切な不親切だが、結局は今の俺自身が決めることだと、ノートの俺は言いたいらしい。
『それに、俺にも何が正解なのかは分かってはないんだ。極論を言えば、正解なんてものは無いのかも知れない。そもそもの話――何を成す事がこの「最初の三年間」から抜け出すために本当に必要な事が最初から分かっていれば、俺は繰り返されるこの状況からとっくに抜け出していると思わないか?』
どうだろうな。俺も人間だ。案外、それでもやり直したいと思う事もあるんじゃないか。
学生生活をやり直してより良く出来るものなら、もう一度戻ってみたいと思ったことだってある。
『もしも今回の俺がただトレーナーとしての栄達を望むのなら、このまま寝るのもまた正解だ。それを肯定も否定もしない。推奨しても良いほどだ』
だからこその、正解はない……か。
『だが、それでも敢えて俺は言おう。もしも今回の俺が、このループを超えていくための可能性へ足を進めること。運命を受け入れて、恥も外聞もプライドも何もかも捨てて、そのために最初の三年間を使う覚悟をこの瞬間に決めることが出来るのなら。愛バと共に駆けろ』
それは、誰のことなのか。
『幻のような日々を確かなモノに変え、俺の現実を飛び越えていけるのは――きっと、彼女の脚だけだから』
続きは明日になってから読めばいい。
後は、任せる。
その文字を最後に、そのページは終わっている。
色々と考えさせられることはあるが――。
随分と大袈裟で漠然とした書き様なんだな、と。
今の俺はただ、そう思うしかなかった。
▽
ノートを読んでから、一時間ほどが経過した。
あれから特に、なんの音沙汰もない。
俺はベッドの上で天井を眺めながら、今日の出来事を思い返していた。
おそらく、あのノートに書いてあることは本当だ。
微かながら、その実感を持ち始めていた。
故に、待つ。
この後何が起きるのかを。
俺はどうするべきなのか。それは事が起きてから考えても構わないのだろうか。
「さて、何が起きるのやら。まさか、空から隕石が落ちてくるわけでもあるまいし」
言うや否や、変化はすぐに訪れた。
ピンポン、と。
インターフォンの音が鳴り響いたのだ。
「……来たのか。俺の分岐点とやらが」
書いてある通りなら、何もせずに。つまりは、チャイムの主に会うことなく過ごせばいい。
簡単なことだ。何もしないだけで良いのだから。
俺はベットに横たわったまま、ドアを見やる。
別に、このまま寝ていてもいい。それもまた正解だと、ノートの俺は言っていた。
ピンポン。
もう一度、静寂の中に音が鳴り響く。
二度目のチャイムだ。ここでこれを無視すれば、利口な訪問者であればこれで帰っていくことだろう。
夜も遅い。俺が寝ていても、おかしくはないと。
別に、それでも構わない。
去ってくれればいい。そうすれば、別の道もある。
俺の中の何かが、そう言っているような気がした。
出ても出なくても、この先はある。
だが――。
「……いや。違う」
ふと。ダメだ、と。思った。
あの壁の向こうに居る誰かが、俺の運命なら。
出なければならない。出てあげなければならない。
それはきっと、『彼女』のためにも。
それは、直感だ。
起き上がる。
不思議な事に、気付けば俺の腹は決まっていた。
逃せない。逃したくない。
離せないし、譲れもしない。
あの扉の向こうにある、俺の運命を――。
俺は、玄関の扉を開いた。