トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。 作:カモねぎ屋
「――本当に、申し訳ありません」
「分かってくれて良かった。うん、本当に」
「はい。完全に、私の早とちりでした……」
即落ち二コマだった。
――と、そう表現するには、随分と走らされたものだが。
その誤解は、校門付近まで来てようやく解くことが出来た。
理事長秘書の駿川たづなさんが、校内を爆走する俺たちの様子を見るや否や並走し、何があったのかと校門付近でこちらに問いかけてくれた事によって、この問題は解決したのである。
『若松トレーナー? 元気なのは良いことですが、トレーナーがウマ娘と一緒になって学園内を爆走するものではありませんよ』
『すみません、たづなさん。ちょっと、この子と小さなすれ違いが起きてまして』
『……え? 若松、トレーナー? ということは……まどかさん、トレセン学園のトレーナーさんだったのですか?』
他者からの言及は、主観的なやり取りよりも時に雄弁に事実を物語る。
掛かっていた様子のメビウスも、流石にたづなさんの言葉の前には直ぐに理解が及んだらしい。
その僅かな会話を持って、校内爆走事件は終結を迎えたのであった。
ウマ娘の少女と、手を繋いで校内を走る。これだけでも何か大きな人生イベントの一ページのようにも感じられる。
ついでにそれが公衆の面前に晒されているのだから、後で何を言われるのかもう分からない。
だが、本日の俺たちのアオハル杯は――ある意味これからだった。
▽
その後は中庭に戻り、俺たち二人はベンチに腰掛けていた。
春の暖かな陽気が、心地良い。
俺たちの周りを吹き抜ける爽やかな風と綺麗な青空が、学園のウマ娘を祝福しているかのような晴れやかさだった。
「……本当に、申し訳ありませんでした。まどかさんがトレーナーさんだったとは、考えも及ばず」
「もう謝る必要なんかないさ、メビウス。君なりに考えてくれた行動だったんだろう?」
「だとしても、トレーナーバッジの事に気が付かず、あんな事をしてしまったのは」
「覚えたから、良いじゃないか。俺も事前に伝えなかったのが悪かったんだ」
「ですが、それは…………いえ、すみません」
随分と気にしているようだった。
昨日今日の様子から想像できる彼女の性格からしても、普段の穏やかな雰囲気からすれば、きっと決死の行動というか、本当に俺を守りたい一心で動いてくれた事だというのは分かっている。
だからこそ、その気持ちに嬉しさこそあれども、謝意を感じ続けて欲しくないのが俺の気持ちだった。
しかしそうなると、何か区切りになることがなければ、今の彼女の様子では落とし所が見つかりそうにない。ならば、何かをお詫びとして要求し、すっきりと片を付ける。その方が、彼女も納得してくれるような気がしていた。
「じゃあ、お詫びとして。君に一つ、頼みがある」
「なんなりと言ってください。どんな事でも叶えてみせます」
ずいっと、食い気味に顔を覗かせてくる彼女を前にして、俺はつい両手を空に上げてしまう。
本当にどんなことでも成し遂げてしまいそうな雰囲気を醸し出していたが、彼女の掛かりやすさを考えるとむしろ失敗しそうで、変なことは頼めそうになかった。
「――お弁当。一緒に食べようか。お昼で、お腹も空いてるだろう」
「あ……。はい、そうですね。でも、そんなことで……」
「良いんだ。それが、良い。君と一緒に食べるのが、今の俺の望みだ」
「……そう言って頂けるのなら、分かりました」
「そうか。その方が、俺も嬉しい」
「はい。喜んでお受けします。今日は貴方と、一緒にお弁当を食べます」
俺がお弁当を片手にしていたように、彼女もその手には持参していたお弁当が掲げられていた。
ベンチの上で互いが紫色の包みを開くと、少し小さめな二段重ねの重箱が現れる。
その中を開くと、卵焼きや唐揚げ、トマトに炒めた人参など、彩り豊かな料理が詰められていた。
二段目にはご飯が敷き詰められており、その表面には海苔が置かれているが――そこに一工夫があった。
どちらのお弁当でも海苔が大きな丸を描き、その中央には∞を象るような形で切り抜かれている。
「すごく美味しそうだ。君は、料理が上手なんだな」
「はい。料理には自信があります。きっと、美味しくできていているかと」
「ところで、ご飯に乗るこの海苔の形は?」
「私なりの表現です。円は、まどかさんを表しています。その中にメビウスの輪のような形で、私を入れてみました」
ちょっと、切るのは歪になってしまいましたけれども、と。
そう言いながら、彼女はウマ耳を前に伏せていた。少し気にしていたらしい。
彼女らしい独特さだ。非常に面白い。が、ちょっとした小恥ずかしさもある。本当に、付き合いたてのカップルのような入れ込み方だ。
――いや、そうではない。何を考えているんだ。
本当に付き合っているのだった、俺たちは。
もはやこの状況下においては、紛れもなく。
学園ウマ娘と交際しているという状態に現実感がなさ過ぎて、思考がおかしい。
というか、勘違いで交際していることが既におかしいのは、もう棚上げしている自分がそこにいた。
ところで、
少し頭を捻る。俺は、これを何処で見たのだろうか。必ず、見た事がある筈なのだが。
「あの、お気に召しませんでしたか?」
「あ、いや、そんなことはないさ。すまない。綺麗なお弁当に、少し見入ってた」
「……そうですか。それなら、良かったです。では、どうぞ。食べて下さい」
いただきます、と手を合わせる。
箸でオカズつつくと、俺はそれらを口に運んでいく。
思わず、舌鼓をうった。卵焼きも、唐揚げも、野菜炒めも。本当に美味しい。食材の味が生きている。
紛れもなく、一品級の出来栄えとでも言えば良いのか。家庭料理とは思えない程に、その全てが美味しかった。
「どう、ですか?」
「すごく、美味しいよ。まさか、こんなに料理が上手だなんて」
「お口にあって、良かったです。安心しました」
「合うに決まってる。こんなに美味しいんだから」
「そうですか。あの、今後も作りましょうか?」
「メビウスの負担にならないなら、頼みたいくらいだ。きっと君をお嫁さんに貰える人は、本当に幸せなんだろうな」
「ありがとうございます。でもそれは、貴方の事なのでは?」
「……えっ?」
「…………?」
何かおかしい事でも?と言いたげに首を傾げてから、しばらくして、その発言の意味に彼女は気付いたらしい。
あ、とだけ呟くと。彼女はウマ耳を倒して顔を背けてしまう。その尻尾は誤魔化すかのようにブンブンとベンチの上で揺れ出していた。
彼女の表情は窺い知れないが、横から見ても明らかにその顔は真っ赤に染まっている。
「すみません。その……私、また掛かってしまったようです」
「いや、そうまで言ってもらえるのは、冥利に尽きるというか、うん。ありがとうな、メビウス」
ヤケクソのようで、もう半ば本心のような気がしていた。
世間体と社会常識という壁さえ取っ払えば、こんなにも美味しい料理を作れて尚且つ意地らしいウマ娘を誰が逃げさせるだろうか。春の暖かさは、考え方さえもどこかおかしく陽気にさせるらしい。今となっては、俺の頬もきっと熱い。
俺の言葉を聞いたメビウスは、一度小さく咳払いをすると、こちらへもう一度振り返る。
平常心を保とうとしているようにも見えるが、やはり恥ずかしさからかその面立ちは紅潮していた。
「それなら。こういう事を、してみても良いのですよね」
「こういう事、とは?」
「まどかさん。あーん、です」
「……ん?」
卵焼きをお箸に挟んだ彼女は、俺の口の前にそれを差し出してきた。
「食べさせて、あげます。その、お詫びの証です」
「お詫び?」
「一緒にお昼を食べる。それが、まどかさんの望みだったはずです」
思わぬ形で、逆に言質を取られた形になってしまった。
彼女の表情は大きく変わらないが、そのウマ耳は自信なさげに前に倒れている。みれば、先程よりも頬も赤い。きっと、相当な恥ずかしさと不安があるのだろう。
そこまでされて、世間体のために彼女の想いを拒否なんて出来るはずもない。
意を決する。悔しいけど、俺は男なんだな。
彼女から差し出された卵焼きを、口に含む。
味が分からないくらいに緊張しても良いはずの状況なのだが、それでも美味しいのは余りにもずるかった。
「……うん、美味しい」
「まだ、ありますから。こちらもどうぞ。でも、今度は私にもお願いします」
どうやら、一度では終わらないらしい。
逆に、今度は俺が食べせさせる事になっていた。
公衆の面前にも関わらず、もう、ヤケクソだった。
さて、それと同時に辺りに耳をすませば。
いや、耳をすまさずとも聞こえてくるものもある。
『――ええっ!? メビウスさん、今度はお揃いのお弁当を!?』
『ヤバいヤバいって、今度はお弁当を食べさせ合ってるよあの二人! 激写しなきゃ!』
『おや! 恋はバクシンと言うやつですね! ――ところで、恋とはなんですか?』
気付けばどこからか、キャーと黄色い声も飛んでいた。
春の爽やかな薫風と共に、周りから再び学園ウマ娘による実況のコメントも聞こえてくるが、これも今更である。
ノートにも書いてあったが、恥も外聞も何もかも捨て去れというのは、こう言う事も含まれているのだろうか。
決意の前には、動じない。動じるべきではないのだ。
何だか先程騒いでいた連中と面子が全く同じような気もするが、戻ろうと思っても既に軌道は変えられないので、俺は考えることをやめた。
そうして、ただ今日の幸せな時間を共有していた。
これが、いったい何周目であって、何度俺が彼女と出会い。そして、どんな流れの中で俺達がこの関係に至っているのか。
――そんな事に、思いを巡らせることもなく。