トレーナーである俺は「最初の3年間」を何度も繰り返しているらしい。 作:カモねぎ屋
昼休みの時間は、終わりを告げようとしていた。
随分と
かの有名な物理学者、アインシュタインの提唱した相対性理論はこのように例えられるらしい。熱いストーブの上に手をかざすと、一分が一時間に感じられる。しかし、きれいな女の子と座っていると、今度は逆に一時間が一分に感じられる。
俺にとって、まさにそのような時間だったと。そう言えるのかも知れない。
眠気を誘う穏やかな春の気温とその風が俺達の間を吹き抜けた時、俺は腕時計をみた。昼休みの時間が終わるまで、あと五分程しか無い。俺と彼女がトレーナー室と教室に戻る時間を考慮すれば、解散の頃合いだった。
「……さて、そろそろ時間らしい。名残惜しさはあるが、それぞれの本分に戻るとしようか」
「そうですね。ですが、あの……すみません。別の話にはなりますが、少しだけ、よろしいですか?」
「ん? ああ、構わないよ」
「まどかさんは、トレーナーなのですよね」
先程の雰囲気とは変わり、真剣な眼差しだった。
言い出す頃合いを見計らっていたのか、それとも言い出せなかったのか。その声色は、少し緊張しているようにも思えた。
「先程理解して貰った通り、俺はトレーナーだ。ただ、トレーナーとは言っても、現状は名ばかりなんだけどな」
「名ばかり……そうなんですか?」
「新人だからな。まだ、担当ウマ娘がいないんだ。それ故に実績もない」
「まどかさんには……まだ、担当バが居ない」
言ってて虚しくなるが、事実なのだから仕方ない。
それでも、反応はあった。この言葉に、寧ろ希望を見出したかのように。少しだけ、彼女の瞳が嬉々として輝いた様にみえた。
だが、その直後に彼女は頭を小さく振りかぶる。
「すみません。私は今、良くないことを考えてしまいました」
「……それは?」
「今なら、まどかさんに……お付き合いをする貴方に、トレーナーにもなって貰えると。それを、さほど無理なくお願いできてしまうのだと。そう思ってしまいました」
「そう、か」
「はい。ですがそれは、同じ学園のウマ娘に対しても、まどかさんに対しても。余りにも不誠実なことです」
なるほど。彼女はそう考えているらしい。
だが、これに関しては同じ意見だった。いくらこの状況を互いが望んでいるのだとしても、物事には順序がある。
あらゆる順序をすっ飛ばして、男女交際に至っている身の上で言えることでは無いのかも知れないが――それはひとまず棚上げさせて欲しい。
「私は、ひとえに公私を混同するつもりはありません」
「……そうだろうな」
「それはやはり、駄目な事だと考えます」
「君は多分、随分と真面目な性格だな。その考えは、分かる。まあ、俺もそうなのかも知れないが」
「そうですね。私も、なんとなくですが……分かります。きっと、まどかさんは、誠実であろうとする人ですから」
現状はノートに従っているだけ、とも言えるが。果たしてそれはどうなのだろうか。俺は俺の感情や考えだけでここにいる訳では無い部分があるが、しかし誠実であろうとする心根は持っていたい。
そうは、思っているのかも知れない。
「その上で、お願いがあります。私とトレーナー契約を結んで欲しい――などとは言いません。今は決して、言えません。走りを知ることもなくそれを私が言い出すことは、誰に対しても公平ではありません」
「……同意だ。俺も、この場でそれに答える訳には、きっといかないと思う」
正直な所を言えば、ノートの事は抜きにしても、この話に食らいつきたい。担当ウマ娘が出来れば、俺は半人前ながらも大きな一歩を踏み出せる。
だが、それは正しいとは言えない。俺は、彼女の走りも、その目標すらも知らない。そんな状態で答えを出すのであれば、先日の選抜レースで俺が他のウマ娘をスカウトしたその行為、そのものの意味を失う。
そして彼女もまた、トレーナーを求めている。それが例え新人であっても、だ。トレーナー契約に中々漕ぎ着けない多くの学園ウマ娘たちは、そうして忸怩たる想いを抱えている。それは特に、選抜レースで良い実力を出せてないウマ娘たちが抱えている想いなのだろう。
「はっきりと申し上げれば、私は教官からも、秀でた評価を貰えているウマ娘ではありません」
それは、桐生院さんから聞いた評価とも一致する。平凡。彼女は、メビウスの事をそう評した。
選抜レースなどを経てトレーナーと契約する前のウマ娘は、共通の教官から全体指導を受ける。専属トレーナーが付くのは、その後だ。多くのウマ娘をみてきた教官の総評もまた、近からず遠からずなものなのだろう。
「それでも……私は叶えたい目標があるのです」
「君の、ウマ娘としての望みか」
「はい。この機会を逃して、後悔もしたくありません」
「……強い心掛けだ」
「ですから、どうか。まずは――私の走りを見て頂けませんか?」
それは、願ってもない申し出だった。
彼女のウマ娘としての能力。俺が見れば、何か違うものも見えるのかも知れない。
「分かった。今日の授業が終わった後。時間はあるか?」
「あります。充分に」
「良し。それなら、終わった後にジャージに着替えて校庭側の芝の外周コースで待っていてくれ」
「では」
「ああ。俺も君の走りが、見てみたい。一人のトレーナーとして」
そう言うと、彼女は立ち上がり、綺麗なお辞儀をみせて俺に頭を下げた。
「よろしくお願いします、まどかさん」
「ああ。メニューは考えておくよ」
極めて冷静に、頼もしげな声を出すことに努めながら、この時俺は内心で胸が熱くなっていた。
トレーナー業。紛れもなく、俺が望んでいたこと。
これはその一歩を踏み出す、切っ掛けになるのかも知れないのだ。
この言葉を最後に解散をした後、俺は気合いに拳を握りしめるのだった。
早速トレーナー室に戻った俺は、業務に取り掛かる。
それと並行して、リングメビウスの適正を計るためのメニューを作成する。
事務仕事と俺の新たなトレーナー業の並行。一気に濃密な数時間となってしまったが、これは寧ろ歓迎する出来事だ。
それは、俺がやりたかった事。そのものだったから。
「気合い入れて、やるとするか。メニュー作りも、事務仕事も」
パソコンの前で腕を伸ばし、気合を入れた。
▽
――それから、時刻は午後の三時半を過ぎた。
随分と、時間が過ぎるのが早いと感じてしまう。
楽しい時間というのは、本当に一瞬に思えるのだから不思議だ。
そろそろ、待ち合わせの時間になる。
というより、むしろ俺が遅刻しそうな状況だった。
気合を入れて、作り込み過ぎてしまっただろうか。
トレーニングコース、外周の芝コースの校舎側。
そこに向かう途中の、廊下を小走りで歩いていく。
しかし、ここでちょっとした出来事が訪れる。
時間に遅くなりそうだったので、少し俺も慌てていたらしい。
曲がり角を過ぎるあたりで、目の前を通り過ぎようとしていた人に気付いてなかった。
突如。
長い黒髪を携えたウマ娘の少女の姿が、視界に映る。
彼女にぶつかりそうになってしまう。
「あっ……! す、すまんっ! って、……あれ……?」
確実にぶつかった。
衝突という程ではないが、軽い接触はあった筈だ。
しかし、なんの感触も訪れない。
反射的に目を瞑ってしまったが故に、その瞬間は目撃出来ていない。
だが、ぶつからない訳がない。それくらいの距離にいた筈だ。
(……確かに、今。誰かとぶつかったよな……?)
何が起きたんだ?
そう思い、振り返る。しかし、長い黒髪の少女はそこに居ない。
訝しげに思いながらも、曲がり角を抜けて右を向いた。
その先には、先程ぶつかったはずの少女と良く似た容姿のウマ娘の姿があった。
「あれは……マンハッタンカフェ……か」
黒鹿毛を携えた少女。膝ほどまでに掛かる長い黒髪に、怪しげな雰囲気を携え、金色に光るその瞳。片目を隠すほどに長く掛かる前髪が特徴的だ。まだ選抜レースに出てきては居ないが、今年スカウトのできる機会があれば是非にと考えていたウマ娘の一人だ。
独特な雰囲気に加えて不思議な言動があり、そこで足踏みをしているトレーナーも多いという噂だけは耳にした事はあるが、詳細は知らない。そのすらりとした体型は、短い距離よりは長距離を得意としそうだ。その程度の情報は抑えているウマ娘である。
俺がキョロキョロとした動作を見せていたのを見掛けた彼女は、どうにも不審に思ったのか、それとも親切心からだろうか。俺の方へ歩みを進めると、疑問を投げ掛けてきた。
「あの……何かありましたか……?」
「いや、なんというか」
「……はい」
「先程、君に良く似たウマ娘の少女にぶつかったような気が」
「……私に良く似た、ウマ娘……それは……どのような?」
「長い黒鹿毛、その瞳も雰囲気も――マンハッタンカフェ。君によく似ていた」
「何故……私の名前を……?」
「ああ。俺も新人とはいえ、トレーナーだからな。スカウトを考えたウマ娘の名前は調べている」
「そう……ですか。私を……いえ、それよりも……」
口元に手を当て、彼女は考えるような仕草をみせた。
考えてもみれば、俺もいきなり、意味不明な事を言ってしまった。
やはり、疲れていただけなのだろうか。
「いや、すまない。ぶつかったのは、気のせいだったかも知れない。疲れていただけだろう。……ちなみに一応聞くけど、俺は君にぶつかったわけじゃないよな?」
「いえ、私は貴方と接触してはいません。ですが……」
何か、あるのだろうか。
「貴方には、視えたのですね。……私の、『お友だち』が」
「お友だち?」
「はい……私以外にはみえない……存在です」
ともすると、お友だちとは、現実には存在しない空想の存在――もしくは幽霊か何かということか? 待て、俺に霊感なんてものは無い筈だが。ない、よな……? 記憶している限り、少なくとも一昨日までの俺には、無い。
「……あの……お手を、お借りしても?」
「手を? ああ、構わないが……」
そう答えると、彼女の白い手が、俺の右手を包んだ。
瞬間、彼女は目を見開いた。
同時に、俺も全身が泡立つ様な感覚に包まれた。
――知っている。俺が知っている以上に、彼女は俺を。俺は、知っている。彼女が知っている以上に、彼女を。何故? いや、問うまでもないのか。過去に俺は、彼女と共に、異国の地を……。
――
背後に感じる気配に、俺は後方へ振り返る。
『――アナタ ジャ オイツケ ナイ』
声なき声が過ぎる。
そこには、彼女と良くにたウマ娘の少女の姿が一瞬みえたような気がした。
驚き、瞬きをしてまたマンハッタンカフェに振り返る。
すると今度は、彼女の背後にもまた、彼女に良く似た姿のウマ娘の少女が二人。重なっているように視えた気がした。
一人。
潰えたワタシの望みを叶えろと吠えている。
また一人。
手を伸ばしている。深い海が視えた気がした。
瞬きをする。同時に、その姿は見えなくなった。気のせいだと片付けるには、余りにも特異な現象だ。正直、全身に鳥肌が立った。
「すまない。一つ聞きたいんだが」
「なんでしょう……?」
「君に良く似たお友だちとやらは……
「三人……? ……私のお友だちは……一人だけですが……」
「そうか。それなら、きっと俺の見間違いだ」
「……いえ、覚えておきます。ところで……お伺いしても良いですか?」
「ああ。何でも、聞いてくれ」
即答した。聞く必要があると、思った。
この問いには、何か大きな意味がある。
そんな気がする。
「……この世で現実に視えるはずのない、起こり得るはずの無い……何か。例えそれが視えなくとも……それが在ることを……貴方は信じることが出来ますか……?」
現実では有り得ない何か、か。まさに、今の俺の状況を顕した言葉に思える。それを信じられるかどうかと言えば……。
「完全に信じられる、とはいえない。でも、幻のような不思議な何かを、信じようとはしている……というべきかな」
「信じようとは……ですか……」
「――いや、もう信じているのかも知れない。そうせざるを得ない状況を前にすれば、イヤでもそうなるものだと思う。それが目に見えているのなら尚更だ。なんて、変な回答ですまないが」
ループしていると告げる謎のノート。過ぎる既視感。そして、今起きた現象。確実に、通常では有り得ない出来事が俺を取り巻いている。それが事実なのだから、信じるしかないのかも知れない。
だが、これらの現象も無しに、無条件に信じられるかといえば、それはどうなのだろうか。
「では……もう一つだけ」
「なんだ?」
「誰に視えるはずの無い……自分だけが感じ、視えるモノがある時。それを誰かと……その全てを認めて貰えるまで……同じ様に共有したいとは思いますか?」
「いや、どうだろうか。思わない、とは言い切れないが、全ては望まないだろう」
「………それは、何故?」
「知って欲しいとは思うかも知れない。だが、必ずしもその全てを共有することは望まないかも知れない。それは、その一部は自分だけのモノだと思うかも知れないから。言えば壊れるものもあると思うから、かな」
全てを解る必要はない。
だが、何もかもを一緒に共有して背負うこともまた違う気がする。
それぞれが抱えるものも必要だ。
「そう……ですか。貴方がそう思うように……己の中にそれを……留めておこうと考える人。それは……貴方だけではない可能性もあります」
「俺だけでは、なく?」
「……はい。その事は……胸に留めて置いた方が良いのかもしれません」
それは、何に対しての忠告なのだろうか。俺に対してか、マンハッタンカフェ自身に対してか。それとも、彼女では無い誰かの事なのか。
「……いえ、余計な事だったかも……知れません」
「そんなことは。俺の方こそ、変なことを」
「では……お互い様だった、ということで」
「まあ、そうだな。それは、そうに違いない」
はたからみれば、随分と変に哲学的な会話だ。
当人である俺でさえそう思うのだから、周りからすれば尚更そうだろう。
「最後に一つ……貴方へ」
「なんだ?」
「……貴方がいつか、
「ああ。また、な。カフェ」
そう言って、彼女は俺の手を離した。
彼女が握っていた、俺のその手に宿った確かな体温を感じる。その、不思議な名残惜しさ。俺はそれを
おかしな質問に、おかしな回答だった。
宗教勧誘もかくやな問いだが、俺の返答もまた同等におかしな内容だったかも知れない。
終わらない輪。
彼女が表現するそれは、俺が自覚しきれていない今の状況を指しているのだろうか。
「いや……そう決めつけるのは、早計か」
一人呟き、思案する。
しかし、会話をしていて分かったことがある。彼女と俺は、良く馴染む。恐ろしい程に。……だが、それは恐らく正解ではない。何故なのだろうか。その理由も、不思議と分かる。
親和性が高過ぎるが故に、俺は彼女を否定することが出来ない。その願いを拒めない。彼女も俺を否定しないだろう。例え、俺に起きているこの不思議な現象を全て伝えたとしても。それが転じて……いや、災いして、だろうか。
どこか重要な時にさえ、互いの意思を拒めず、もしくは引き摺り込まれてしまいそうな雰囲気がある。それは、時としてトレーナーとして致命的な失敗に繋がることだろう。
結論として、きっと俺は。
何度繰り返しても、それは変えられない。
それでも、もしもあの時扉を開けず、メビウスよりも先に彼女と会話を交わしてたのなら。俺は確実に彼女をスカウトしていたとさえ思う。それが叶うかどうかは、別として。だが断られたとしても、粘り強く俺は彼女を追い掛けただろう。
そのお友だちの背をも、一緒に。最期の時まで。
そう思ってしまうくらいに彼女は、俺にとってあまりにも魅力的なウマ娘だった。
……どうにも自分が、分からなくなる。
本当に出逢いを何度も繰り返しているのなら、いっそのこと、全てを覚えていれば良いのに。それすらも本当の意味で自覚ができない、今の自分がもどかしい。確かな記憶が無いが故に、分かるようで、分からない。
マンハッタンカフェ。
俺が彼女と組んだのであれば、どんな歩みがあったのだろうか。
それでも、今の俺が先に
その未来はない。過去も訪れない。それは、きっとこれからも。
ふっ、と一息つく。
俺はトレーニングコースで今も俺を待っているであろうウマ娘の事を今度は真っ先に頭に浮かべた。
彼女の適性を確かめるために作成した資料をその腕での中で確かに握りしめる。
俺は振り返らず。
その足を、
マンハッタンカフェの育成シナリオは、ウマ娘の世界観の言及において最もメタであり、尚且つ最も重要なシナリオの一つだと思っています。ウマ娘のシナリオとは思えない程に圧倒的なホラーテイストかつ難解な物語でもあるため、解釈は様々あると思いますが、独自の見解で書いています。ご了承ください。