『なんかもう、夢が意味してる事なんてどうでも良くなって来たな』
そんな事を、この前考えた。
結論から、言う。
『お兄ちゃん、起きてる?』
全くどうでも良くなんて、無かった。
『このハンカチ、お兄ちゃんのじゃ無いよね? 誰の?』
『あんな人、どうせお兄ちゃんの事何も分かって無いんだから!』
『お兄ちゃんの嘘つき!』
『アタシに隠れて浮気ってどういう事!? 信じられない!』
繰り返される詰問と暴力、怒声と罵声。
『ずっと一緒にいようね……お兄ちゃぁぁぁん!』
そして、避けられない殺意。
あれから何週間も経つが、俺は毎日、この夢を見させられている。
何度、渚に突き飛ばされただろう。
何度、監禁されたのだろう。
何度、食い切れない食事を強要されただろう。
何度、八宝菜を食べて、そして何度──渚に殺されたんだ?
嫌なのに、痛いのに、何もしてないのに、何もできないのに、逃げたくても、死にたくなくても、謝りたくても、別の言葉を言いたくても、何もできない。
ただひたすら、夢の中の出来事を見させられて、体感させられて、そして起きたらいつも、真夜中。寝巻きが汗で濡れる感触にも慣れてしまった。
「……何なんだよ本当に」
目覚めてそう呟くのすら、最近は億劫になってきた。
汗を拭きたかったが、洗面台のそばに置いてるタオル入れから持ってきた分は全て昨日までに使っていた。
仕方ないので、一階まで降りるか。ついでに顔も洗おう。きっと今は酷い顔になってるだろうから。
同じ二階の部屋で寝ているだろう渚を起こすわけにいかないので、静かに階段を降りて、洗面所に行く。
「──はぁ……」
お湯に濡らしたタオルを絞らないまま顔に浸す。少し息苦しくなるけど、それ以上に暖かい感触が凝り固まった頭を柔らかくしてくれる。
昼間、普通に生活している俺は、勉強、水泳部、友人との会話をして。
夜、渚に殺されて、こうして顔を洗って目を覚ます生活。
こんなのが、気がつけば日常になってしまった。
当然最悪極まりない事だが、何よりも一番辛いのは。
「──お兄ちゃん」
「──ッ!?」
いきなり後ろからから聞こえた声に、全身が恐怖した。
ビクッと、殴られる寸前の幼子みたいな身体の震えを理性で抑え込みつつ、俺はゆっくりと後ろを見た。
「……お兄ちゃん? どうしたの?」
この家で他に住人は当然1人しかいない。渚だ。
「な、何でもないよ……完全に油断してたから、声に驚いただけ」
ちゃんと顔を見る事ができないまま、俺はしどろもどろに答えた。
「近頃、なんか寝付き悪くてな。ホットアイマスク代わりにほら、濡れタオルで目を温めようとね。そ、それより渚は? どうしたんだ、こんな時間に」
「お兄ちゃんを……お兄ちゃんが起きてるのが聞こえちゃって、気になったの」
「音出ないように気をつけたつもりだったけど、悪い事したな」
「ううん、そんな事ないっ。謝らないで、お兄ちゃんは何も、何も悪くないから」
「お、おう。そんな力説しなくても分かるって……それじゃあ、改めて寝るよ。おやすみ渚」
「──うん……おやすみなさい」
言葉を交わして、俺は足早に渚から離れて自分の部屋に戻っていく。
部屋のドアを閉めて背中を預けると、自分の心臓がどれだけバクバク鳴っていたのかが分かった。
恋してる奴がするような胸の高鳴りではなく、純粋な恐怖による早鐘。
俺はさっきまで、正真正銘現実の渚を、怖がっていたんだ。
「──やんなっちゃうな、もう」
これが、ここ最近で一番辛い事。
俺は、現実の渚を怖くなってしまった。数分間会話をするだけでもこんなに手足も心臓もおかしくなっちゃうほどに。
本当に、どうして──、
「どうしてこうなっちゃったんだろうなあ」
「ん、何が?」
ところ変わって心のオアシス、学校。
朝食も渚を前に緊張して喉を通らず、朝の投稿までずっと胃が重かった。
それなのに今日は体育が2時間連続だったから、栄養不足で疲れ切ってた俺はお昼になっても教室で死んだように自分の席で寝っ潰れていた。
お昼になっても学食にも購買にも姿を見せない俺を探しに亘利が来て、今に至る。
「本読んでも、ネットで調べても、やっぱそれらしい解説が無かったんだよ」
「主語がないから何の話かわからない」
「夢。前に話したじゃん」
「あー、何週間も前の事。え、まだ続いてるのその話?」
「だからこうして、昼も食えずに疲れてるんだ……」
「大袈裟……でも無いかぁ。自分の妹に毎日殺されるんじゃねぇ」
机に突っ伏したまま、亘利の言葉を聞く。
「夢の内容もさる事ながら、最近は渚と話すのも気まずくなって来て」
「うぇ、そこまでかい?」
「うん。渚は何も悪く無いのは理解してるけど、つい身構えちゃうんだ」
「重症だ……」
本当、どうしたら良いものだろうか。最後の手段としては病院で診てもらって薬もらうってのがあるけど、そんなの渚が知ったら滅茶苦茶心配するし、親戚に知られたら2人の生活が崩れるなんて可能性も……。
「今更だけどさ」
「はい……?」
「夢で君を何回も殺すその子は、本当に渚ちゃんなのかい?」
「うん。見た目と声は完全に一致してるよ」
厳密には細かい部分で差異は多い。制服とか、髪留めが左右逆だったりとかね。
他にも特徴的なモノでは以前、亘利との会話で『一人称』が話題になった事があるけど、夢の渚はそれも現実とは異なっている。
俺の妹の渚は自分を『私』と言うけど、夢の渚は『アタシ』だからね。なんかこれだけでもだいぶ別人感ある。
あとはやっぱ料理のレパートリーかな。夢の俺はにんじんが嫌いらしいけど、俺はゴーヤが嫌いなだけでにんじんは問題ない。それに渚が八宝菜を作る事は一回も無いし。
考えれば考えるほど、やっぱり渚と夢の渚は別人にしか思えない。
「やっぱ見た目と声が与える印象や影響はデカいよ……いくら違う部分並べても、全部上書きされちゃう」
「そうかぁ……」
「加えて、夢の中じゃ意識がはっきりしてるのに何もできないってのがキツい。せめて反抗とは言わなくても口答えくらいできたらさ」
「聞いてる感じだとそっちの方が参ってる理由を占めてそうだね」
「かもな」
出来る物なら最初の『お兄ちゃん起きてる?』に対して寝たふりをして無視したいし、あの渚が出してくる料理全てに『マズい!』と言ってやりたさもある。
暴力振るわれる前に逃げ出したいし、何なら速攻で警察に通報すらしたい。もしくは思いっきり噓つきまくって監禁される暇もなく殺されてしまおうか。
……ばか。ちょっと自棄になってるな。ノイローゼ気味かもしれない。
とにかく、渚とそっくりな渚に、何が起こるのか分かったまま毎日殺されるのは本当にしんどい。
「夢の中で自由に動ける様になるおまじない、知ってるけど試してみる?」
「…………マジで言ってる?」
「例によって女の子にウケる狙いで集めた知識だけど」
「………………藁にも縋るわ」
「妥当な例えですね」
苦笑いしつつ教えてくれたおまじない。早速今日の夢で試してみる事に決めたのだった。
⇒続く?
次回最終回です