ようこそ悪霊と逝く楽しい学校生活   作:ふにふら

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ニ進一退

 

 

 

 

「……………………」

「……………………」

 

 チッチッチッと秒針が動く音が聞こえる。

 辺りが暗くなった放課後、その時計の音だけが響く生徒指導室で俺は茶柱先生と向かい合っていた。

 

「……(はじめ)

「…………はい」

 

 あの後、俺は蹲ってしまった須藤くんを抱き抱えて保健室に走った。そして保健医の先生は、須藤くんの腫れ上がり始めた手の甲を見て即座に骨折と診断。車を出して病院に連れて行ってくれた。そして俺は職員室に行き茶柱先生に今回の出来事について説明し、須藤くんの診察結果が出るまで指導室に待機していた。

 

「先程、須藤の診察結果が出た。右手の第二指中手骨骨幹部の横骨折だそうだ」

「…………」

 

 心が、痛い。

 

「堀北、櫛田、綾小路から事情は聞いている。併せて図書室の監視カメラの映像も見た……全くお前という奴は」

「ごめんなさい」

 

 須藤くんには悪いことをした。

──でも後悔だけはしない。できない。あそこで止めなければ堀北さんが傷つけられていた。

 

「いや、責めてはいない……お前は須藤を止めようとしただけだ。今回の場合は正当防衛に当たる」

 

 まあ呆れはしたが、と続ける茶柱先生。

 

「でも先生、須藤くんが怪我を」

「言っておくが(はじめ)、お前だから贔屓している訳ではないぞ。あの切迫した状況でお前は堀北を守ろうとした。須藤の怪我は、取り押さえられた後にあいつが暴れたことによる不幸な事故だ。お前がなんと言おうが、私は担任としてこの判定を覆すつもりはない」

 

 強い口調で断言する茶柱先生。

 

「……でも無罪放免は、充分贔屓です。茶柱先生」

 

 そう言うと、茶柱先生は微笑んだ。

 

「何のことだ?……まあ私も人間だからな。今回のこととは全く関係ないが、判断に私情を交えてしまうこともあるかもしれない」

 

 そう言うと先生は椅子に座り、隣のパイプ椅子を引いて手招きした。

 

「少し話そうか」

「……はい、先生」

 

 先生の勧めに従い、隣に腰掛けた。

──身体は触れなくても、お互いを感じる距離

 

「……………………」

「……………………」

 

 少し沈黙が流れる。

 こうしてただ自分を受け入れてくれる人と一緒にいる時間は、居心地が良かった。

 

「先生」

「……ん」

 

──でも、今の俺にこの時間に浸る権利はない。

 だから、伝えるべきことを伝える。

 

「今回の件で、須藤くんは勉強に集中せざるを得なくなります」

 

 怪我をさせてしまったのは、誓って態とではなかった……だが、心の何処かで苛つきがあった。

 入学してからずっと彼のことを観察していたが、出た結論は生粋のトラブルメーカー。授業はサボり居眠りし他人に喧嘩を売るなんて日常茶飯事。彼の行いによってクラスポイントは相当すり減らされただろう。

 

「実は先輩から過去問も入手してあります。これでクラスから赤点が出る可能性もグッと減りました」

 

 正直、俺はAクラスに上がること自体にさして興味はなかった。Aクラスの恩恵が俺にとって役に立つか分からない。それに茶柱先生の"お願い"を聞いた時点でクラスポイントが減るのは予想通りだった──例えそれが、俺にとってどれだけの苦痛を伴うものだったとしても。

 

(ぽん太郎……)

"ああ、大丈夫だよ"

 

 4月の後半は本当に辛かった。でも茶柱先生と契約(・・)を交わしたおかげで、何とか今後の目処がついた。

……だから、俺には状況を報告する義務がある。

 

「先生、安心してください。今年中には必ずCクラスには上がって──」

 

 ぽん、と太ももに手を置かれた。

 

「?……あの」

 

 そのまま指を摘むような仕草がされ、非常に擽ったい。

 

「……皮膚も摘めないとは、本当にお前の身体はどうなってる」

 

 不満げな顔をした茶柱先生が、太ももを抓ろうと何度も挑戦していた。

 

"……何してんのこの人?"

(スキンシップ楽しそうです!)

 

「なんて顔をしてるんだ、(はじめ)

「……顔、ですか?」

 

 別にいつも通りだと思うが……そんなことを考えていると溜息をつかれた。

 

「自覚なしか。全くお前というやつは」

 

 やれやれと肩を竦める仕草を見せながら、未だに抓ることを諦めず場所を変えながら挑戦し続ける執念深い茶柱先生。

 

「いいか(はじめ)、私とお前は一応教師と生徒だ」

「はあ」

 

……何が言いたいのか分からない。

 

「お前が辛そうな顔をしていると、私も教師として構わざるを得ない。しかしそれでは仕事に支障を来す」

 

 そう言った茶柱先生は一拍置いて、

 

「だから(はじめ)、私の前では笑え。心配かけるな」

「────」

「お前に頑張らなくていいとは言わない。むしろ頑張ってほしい……だが辛いなら私に言え。我慢したまま実行するな。耐えるな、頼れ」

 

 ぽんぽん、とこちらを叩きながら言い聞かせるように呟く茶柱先生。

──何処か矛盾したような言葉だけど、嬉しかった。

 

「……はい、茶柱先生」

 

 そんな彼女に、今の俺が出来る笑顔を向けた。須藤くんのことがあった手前、流石に難しかったけど……

 

「──まあ、今回は及第点としておこう」

 

 そう言って茶柱先生はポケットをゴソゴソと漁って……いや

 

「あの、先生。流石に生徒指導室で煙草を吸うのは不味いのでは……?」

 

 そんな言葉に構わず、茶柱先生はそれを口に咥えた。だが、ライターは取り出さない。

 

「勘違いするな。これはチョコレートだ」

「……すっごい紛らわしいですね、それ」

 

 どうやら茶柱先生が咥えたものは、所謂シガレットチョコレートらしい。パッケージも中身も本物そっくりだった。

 

「今は禁煙中でな……何か咥えてないと落ち着かん」

 

 どうやら煙草の代用品らしい……それにしても

 

「先生、禁煙始めたんですね……煙草は似合ってましたけど、やっぱりそっちの方がいいと思います」

 

 そう言うと、返事の代わりかチョコレートの先端が上下に揺らされた。

 

「……お茶淹れますか?」

 

 上下に揺れる。

 

「……じゃあお茶飲みながら、今後の相談に乗ってくれませんか?須藤くんのこととか、テストのこととか。もう結構遅い時間ですけど……」

 

 今は夕方に近い時間だった。まだ最終下校時間まで少しあるが──

 

「…………」

 

 無言でこちらにもシガレットチョコレートのパッケージが差し出された。

 

「……ありがとうございます、茶柱先生。これからも、よろしくお願いします」

「ん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

綾小路視点

 

「清隆?何してるの」

 

 驚いたように声を掛けてくるハジメ。

 

「今日は偶々早く目が覚めたから、ボーっとしてただけだ」

「……こんな場所で?」

 

 ハジメは、オレの他に誰もいない学生寮のエントランスホールを見渡しながら呟く……まあ、まだ朝7時ちょいだからな。

 

「ああ……そういうハジメも随分早いな。普段はこんな時間に登校しないだろ」

 

 そう言うと、ハジメはバツが悪そうな顔をした。

 

「……早くみんなに、直接謝りたくて」

 

 昨日の放課後に起きた勉強会のトラブル。その顛末は昨日のうちにハジメから電話で聞いていた。勉強会に参加した他のメンバー全員にも連絡すると言っていたが、加えてハジメは直接謝罪したいらしい。

 

「ハジメ、昨日も言ったけどあまり気に病む必要はないと思うぞ。あれは挑発した堀北と、暴力を振るおうとした須藤が悪い。お前は力加減を間違えただけだ」

 

 怪我をしてしまった須藤には悪いが、これはあの場にいたメンバーの総意だろう。実際、2人が居なくなった後もハジメを責める声は挙がらなかった。それは須藤の友人である池、山内も同様だ……まあ、ハジメの埒外の腕力にちょっとビビってはいたが。

 

「……ひょっとしてさ、清隆」

 

 そんなことを考えていると、ハジメがおずおずとした様子で確認してきた。

 

「それを言うために、わざわざ待ってくれてたの?こんな、誰もいない場所で、こんな早い時間から」

「………………」

 

 最初は、また偶然だと言おうとした。だが、ハジメの目を見て何故だか言葉に詰まる。

 

「……そっか」

 

 ハジメは一瞬目を瞑ったが、すぐにいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう、清隆」

 

 感謝の言葉が頭の中で反響する。

 そして脈絡なく、そういえばハジメは茶柱先生に暴露された入試の結果についても、これまで一度も触れようとはしなかったな……と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めてお礼を言わせてくれないかしら、本くん」

 

 オレと登校したハジメの元に真っ先に向かってきて礼を言う堀北。オレ達も相当早く登校したが、それ以上に早く登校したらしい。まだ他の生徒の姿はなかった。

 

「ううん、堀北さんに怪我がなくてよかった……せっかく協力してくれたのに、ごめんね」

「貴方は悪くないわ。悪いのは須藤くん──」

 

 そこまで言って、堀北の言葉が止まる。

 そして、溜め息をついた。

 

「……それに私ね。悪いのは」

「何…だと…?」

 

 思わず呟きが漏れて堀北に睨まれる。

 だってあの堀北が謝罪って……いや、思い返せばハジメに対しては自分の非を認めることあったなコイツ。

 

「一番悪いのは、もちろん須藤くん。自分で勉強会に参加しておきながらやる気がないと宣言するなんて、ふざけてるのかしら。その後暴力を振るおうとしたのも、元々彼がそういう性格だからよ」

 

……うん。言ってることは間違ってはいないが、人を気軽に脅迫するお前が性格云々は違和感が。

 

「──でも、その次に悪いのは私よ。彼の性格を理解していながら、あの場であそこまで言うべきではなかったわ。これは私の判断ミス……綾小路くんは後で覚えておきなさい」

 

 相変わらず堀北は無駄に鋭かった。

 

「うん、2人の会話は最初から聴こえてたよ。確かに、やる気のないあの3人に堀北さんが怒るのは当然だよね……でも、きっと他人の夢を否定する権利は誰にもない。君にも、俺にも」

 

……あの距離で勉強を教えながら聴いてたのか。

 

「……偉そうな事言ってごめん。本当は俺に堀北さんを責める資格はないんだ。堀北さんは言葉で彼を傷つけてしまったけど、俺は須藤くんに怪我をさせてしまうもっと前から、彼を行動で傷つけたから」

 

 堀北は言葉で須藤の夢を否定した。

 ハジメは行動で須藤の夢に罅をいれた。

 そこには何の違いもないとハジメは言う。

 

「それは……」

「前に言ってくれたよね、優れたものは活かすべきだって。ありがとう、嬉しかった」

 

 でも、と言葉が続く。

 

「他人の努力を全て否定(・・)してしまう俺が、軽い気持ちで彼の領分に関わるべきじゃなかった」

 

──きっとこれが、オレが心の中で怪物と呼んだ少年の本音だった。

 

「……とは言っても、怪我の件とは違って部活の仮入部の方は、謝りようもないんだけど」

 

 そう言って項垂れるハジメ。

……まあやったことはバスケ部に仮入部して、真面目に部活しただけだもんな。もっと言えば怪我の件も須藤の暴走止めて起きた事故みたいなものだし。

 

「……須藤くんとは、まだ連絡がついてないの?」

「……はい」

 

 教室への道中ハジメから聞いた話だが、須藤と連絡がつかないらしい……学生寮の管理人に頼み室内電話を掛けたり、部屋の前に行きチャイムを押しても反応がなかったそうだ。

 

「室内電話は切られて、チャイム押したらドアスコープ覗いて、静かに引き返されました……」

 

……さっきは控えめに表現していたらしい。というか須藤、玄関まで来て引き返したこともバレてるぞ。

 

「…………」

 

 それを聞いて、堀北は静かに何かを考えていた。

 

(はじめ)くん」

「……はい」

 

 落ち込んでいるハジメに堀北が話しかける。

 

「須藤くんの件、私に任せてくれないかしら」

「え?」

「ええー?」

「……怒るわよ、綾小路くん」

 

 疑問の声を上げたオレ達だったが、何故かオレだけ不興を買った。

 

「……あの、堀北さんと須藤くん喧嘩してなかった?大丈夫?」

 

というかそれが今回の件の元凶だからな。

 

「違うわね。争いは同じレベルの者同士でしか発生しないわ。昨日の件は彼が一方的に私に絡んできただけ」

「…………」

「…………」

 

 オレとハジメの間で忙しなくアイコンタクトが交わされる。果たしてこの爆弾を須藤の元に届けてよいものか。

 

「決まりね。須藤くんの件は私に任せて、(はじめ)くんは勉強会の続きをしていて。教師役は平田くんのグループから1人借りるか、最悪櫛田さんに頼めばいいわ。彼女も赤点組に教えられるだけの学力はある筈だから」

 

 そんなオレ達に構わずぐいぐいと話を進める堀北。

 

「それと綾小路くんも借りるわね。まあ、彼が居なくても勉強会には全く支障ないでしょう」

「おい」

 

 抗議の声を挙げたがスルーされた。

 

「……本当に大丈夫?」

「ええ、任せて」

 

……何故か自信満々に答える堀北を見てると、悩んでる自分達が馬鹿らしくなる。オレとハジメは少し笑った。

 

「……ところで本くん。貴方が作ってくれた問題、中間テストと少し範囲がズレているのだけど」

「ああうん、近いうちに試験範囲の変更が伝えられるんじゃないかな。少なくとも他のクラスは」

 

 追加された爆弾に、オレの笑顔は引っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

「試験範囲の変更を伝え忘れていた……?」

 

 昼休み、オレと堀北は職員室で茶柱先生の元を訪れていた。

 

「ああ……今日の朝に変更が決まったのだが、ホームルームで伝えるのを忘れていた」

 

 茶柱先生は自分の席で弁当をつついていたが、こちらをチラッと見た後ノートにサラサラと五科目分のテスト範囲と思われる部分を書き出し、ページを切り取ると堀北へと手渡した。

 

「これが変更後の試験範囲だ……必要ないかもしれないが、一応受け取っておけ」

「……今回は偶々早く気が付けました。次からは、気をつけてください」

「そうだな、気をつけよう」

 

 そう言うと、茶柱先生はこちらに見向きもせずに食事に戻った。

 

「…………」

 

 堀北は苛立った様子だったが、何を言っても無駄だと思ったのかそのまま引き返す。

 一瞬、茶柱先生の向かいの席に居る星之宮先生と目が合った。だが場合によってはDクラスにとって、一大事になったかもしれない担任のミスを責める様子はなく、少し感心した様子なのが印象的だった。

 

「たぶん、そういうことだよな」

「……ええ、そうね」

 

 職員室から教室に戻る途中、オレと堀北は意見を交換していた。

 

「最初は、あり得ないと思ったわ。だって」

「ああ、まさかDクラスだけ試験範囲の変更を伝えることを遅らせる──学校の方針(・・・・・)なんてな」

 

 Dクラスは不良品。これは茶柱先生が言い放った言葉だった──なら、その不良品を更生(・・)させるため学校側は何をするのか。

 これが、その答えだった。

 

「叩いて直す……勘弁してほしいよな」

 

 おそらく、これが能力はあるが問題を抱えた生徒と、能力が平均に満たない生徒へのテコ入れ──試練を与え成長を促しているのかもしれない。

 

「……ええ。本くんがいなかったらどうなっていたか、考えただけでゾッとするわね」

 

 数年分の過去問を入手していたハジメが居たから、今回のことに気が付けていた。既に他クラスとも交流のある櫛田が、テスト範囲の変更に気が付けた可能性もある。だが、他クラスの生徒とテスト範囲の変更の話をする確率はそう高くない。ただでさえ学力が低い生徒が多いであろうDクラスにとっては、気が付けるまでの時間差が致命的になったかもしれない。

 

「でもDクラスだけ試験範囲変更の伝達が遅くなるかもなんて、ハジメはよく気が付けたよな」

 

 情報源は秘密で、職員室で茶柱先生に尋ねる場合は偶然知ったことを強調して欲しいと言っていたが……

 

「……そうね。不思議なこともあるものだわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に戻ったオレ達は、試験範囲の変更を平田に伝えた。当然クラスは混乱したが、他クラスも同じ条件であること……そして実はハジメが作った問題は変更された範囲に最初から合わせてあり、更に過去3年分程の過去問は例年ほぼ同じ問題が出ていて、それを参考に作成したものだという追加情報によって、逆に沸き立っていた。

 

(はじめ)ぇぇ〜〜!お前って奴は、本当にありがとうございます!」

「何事!?」

 

 そして食堂から帰ってきたハジメが赤点組に何かの儀式のように取り囲まれて今に至る。

 

「……でもさ、過去問あるなら勉強会いらなくね?」

 

 そして気がついてしまう赤点組。

 

「そう言うと思って中身ちょっと弄ったから、真面目に勉強した方がいいよ?」

「何でだよ!」

 

 ブーイングに対して笑顔を返すハジメ。

 

「言っておくけど、毎年殆ど同じ問題が出てるのは一年生の中間テストだけだから。期末テストからは実力勝負だよ」

 

 その言葉に、浮かれていたクラスの雰囲気に緊張が走った。

 

「だから、今のうちに勉強しないと間に合わないよ。勉強って基本的に積み重ねなんだから……その手伝いなら俺も頑張る。だからみんなも頑張ってほしいんだ。一緒に卒業しよう」

「……勿論だよ。ありがとうハジメくん」

 

 ハジメに対して平田が応えた。そのままハジメの横に並び、クラス全体に改めて呼び掛ける。

 

「みんな、聞いていた通り今回の中間テストは乗り越えられるかもしれない。でも、次の期末テストからは何の保証もないんだ。学校は赤点を取ってしまったら退学にすると言っている……けど、僕もみんなと一緒に卒業したい。だから今後も勉強会は続けていきたいし、出来るだけみんなにも参加してほしいんだ」

 

 平田がそう言うと、クラスの女子を中心に次々と賛成の声が挙がる。

 

「だよね、あたしも退学とか絶対嫌だし」

 

 平田の彼女であり、クラスの女子の中でも中心的人物である軽井沢が賛同したことにより、女子の意見は完全に固まったらしい。

 

「もちろん賛成だよ!赤点を取ったら退学なんて酷い話だよね……それにせっかく友達になったみんなと、そんなことでお別れなんて絶対嫌だもん」

 

 そして、クラスの中で男女問わず非常に人気がある櫛田が同意したことで、男子の意見も勉強会を継続する方向に流れていく。

 

「よかったな堀北。とりあえず中間テストまでは何とかなりそうだぞ」

「……ええ、そうね」

 

 クラスが一つに纏まり、共通の課題に向かって足並みを揃えていく。数日前に比べ、確かにこのクラスは前を向いて進もうとしていた。

──1人の例外を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで堀北。須藤のことはどうするんだ?」

 

 放課後、勉強会の準備をするクラスメイト達と別れオレと堀北は教室から離れていた。

 

「須藤くんの部屋に行くわ。本くんから話を聞いて、今日学校を休むことは予想できたもの」

 

 須藤は、今日登校してこなかった。

 ちなみに、昨日のトラブルについては平田以外のクラスメイト達にはまだ伝えられていない……この話が広まっても何のメリットもないからだ。なので須藤の欠席に関してもただのサボりだと思われている。

 

「彼にも、例の問題用紙は渡せている筈よ。だから本来であれば中間テストは乗り越えられる筈なのだけれど……」

 

 須藤がハジメにお姫様抱っこで連れ去られた後、オレ達は須藤の荷物を纏めて職員室に持って行った。なので今日学校を休んだとしても勉強自体はできる筈だが……

 

「……そもそも須藤にやる気あるのか?」

 

 昨日の時点で著しく低かったモチベーション。そしてハジメによって利き手とプライドを砕かれた須藤は今どのような状態なのか、正直に言って想像に難くない。

 

「………………」

 

 無言で学生寮に向かって歩く堀北の後ろを付いていく。そしてここ1ヶ月程で見慣れた道を通り、学校から然程遠くない1年生の学生寮に到着した。

 

「それで堀北、お前どうするつもりだ」

「……どうする、とは?」

 

 ハジメから聞いた須藤の部屋の階数を押してエレベーターを待つ間、堀北に今日の目的を尋ねる。

 

「朝にハジメが言ってただろ、会ってもくれなかったって。たぶんオレ達も門前払いだろうし、勉強するように説得するなら週明けまで待ってからでも良かったんじゃないか?」

 

 今日はテストの丁度3週間前の金曜日。須藤の学力を考えると勉強は早く始めるのに越したことはないが、過去問から作成した問題集のおかげで少し余裕があった。

 

「何か勘違いしてるみたいね、綾小路くん」

「……ん?」

 

 エレベーターのランプが点滅し、1階に到着したことを告げる。そして堀北がさっさと中に乗り込んだことで、その言葉の真意を確かめる機会が失われたまま、須藤の部屋に向かうことになった。

 

 

 

「まあ、当然出ないよな」

「………………」

 

 須藤の部屋に着き、堀北がインターホンを押したが応答はない。ひょっとしたら覗き穴からこちらを伺っていたのかもしれないが、ハジメと違いオレにはそれを察知出来なかった。

 

「それで堀北、これからどう」

 

 ピンポーン、と改めてチャイムが鳴る。

 

「いや、たぶん何回押しても出てこないと」

 

 チャイムが鳴る。

 

「……あの」

 

 鳴り続ける。

 

「堀北さん?」

「何かしら、綾小路くん」

 

 堪らず、ひたすらインターホンを連打する女に声を掛ける

 

「いや、こんなんで出てくるならハジメは苦労してな──」

 

 室内から音が聞こえた。

 そのままゆっくりと扉が開かれる。

 

「……何の用だ、クソ女」

 

 オレの懸念を嘲笑うかのように、須藤はあっさり出てきた……だが

 

「────っ」

 

 堀北の息を呑むような音が聞こえる……だが、無理もないだろう。

──須藤の顔はむくみ、瞼は腫れ上がったことで人相が変わってしまっていた。

 

「…………」

 

 たった1日、たったそれだけの短い時間で須藤は憔悴しきっている。

 怪我の程度はハジメから聞いていた……利き手の骨折、完治には数ヶ月を要すると。だが、もはやこれはそういう問題ではない。

 

「……用が無いんなら、失せろクソ女」

 

 掠れた声でそう言う須藤に昨日の激情は欠片も見当たらない。それこそ、必ずある筈の堀北への敵意すら希薄だった。

 

「待ってくれ、須藤」

 

 言葉を発さない堀北の代わりにオレが声を掛けた。

 

「あ?……お前も俺を笑いに来たのか?それともそこのクソ女のボディーガードか?」

「どちらでもない。クラスメイトを心配しただけだ」

 

 そう言うと、須藤は馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「ハッ、余計なお世話だ……それに、もう俺には関係ない」

「……待ちなさい。それはどういうこと?」

 

 須藤の違和感のある台詞に堀北が再起動するが、須藤は返事をしなかった。

 

「あばよ、綾小路……堀北」

 

 そう言うと、須藤は扉を閉めようと──

 

「……おい、何のつもりだ?」

 

 扉の隙間に差し入れられた足を見下ろしていた須藤は、その持ち主を睨みつけた。

 

綾小路(・・・)

「……綾小路くん?」

 

 2人から声を掛けられて、初めて自分が動いていた事に気がついた。

 

"……オレは、何をしている?"

 

 何か考えがあったわけではなかった。

──ただ、忘れられないものがあった。

 

「須藤、中に入れてくれ」

「…………ああ?」

 

 訝しそうにする須藤に構わず、身体をぐいぐいと扉の隙間に捩じ込んでいく。

 

「っざけんなコラ!」

 

 須藤がこちらを追い出そうと、踏ん張りをきかせて身体を押し込んでくる──だが。

 

「──!?」

 

 一瞬の抵抗もなく、須藤が後ろにひっくり返った。

 そして身体が玄関に打ち付けられる前に宙に泳いでいた左手を掴み、身体を支えた。

 そのまま玄関を大きく開け放つ。

 

「綾小路くんあなた怪我人に何をしてるの!?」

 

 慌てたように倒れかけた須藤を支える堀北。

 

「………………」

 

 呆然としたような須藤は、堀北に支えられてもされるがままだった。

 

「綾小路、お前」

「ちゃんと飯食べてるのか須藤。全然手応えなかったぞ」

 

 オレがそう言うと、須藤は少し考えた。

 そして、ぽつりと言う。

 

「……そういや、まともなメシなんて暫く食ってねえな」

「だろうな」

 

 ハジメの仮入部の後から、明らかに須藤の様子はおかしかった。そしてポイントを使い切っていることを考えると、ひょっとしたらあの重箱以降はきちんとした食事を摂っていないのかもしれない。

 

「ちょっと、何の話をしているの。綾小路くんは早く反対側を支えて」

「………………」

「………………」

 

 須藤とオレの目があった。

──どうやら、男子高校生が考えることなんて変わらないらしい。

 

「なあ、堀北」

「何なの綾小路くん。いいから早く──」

 

 そして、脱力している須藤を支えている堀北に声を掛ける。

 

「お前、料理って得意か?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおお…………」

 

 須藤が生唾を飲み込むような顔で覗き込んでいるのは、白菜やキノコ類、ネギ、大根などの野菜と豆腐、そして鶏肉がたっぷり入った寄せ鍋だった。クツクツと鍋の煮える音と立ち昇る香りにオレまで腹が減ってきた。

 

「…………」

 

 制服の上からエプロンを外しながら、不満そうな顔をしている堀北。だが堀北なりに今の須藤に対して思う事があったのか、さして文句も言わずに料理を作ってくれた。それも須藤の部屋に碌な食材が無かったため、自分の部屋から材料と鍋まで持ち出して。

……やっぱりコイツ、口は悪いけど優しい所あるよな絶対。

 

「堀北……お前なんで……」

 

 自分の部屋で料理を作る堀北の後ろ姿を、不思議そうな目で見ていた須藤。だが改めて向かい合ったことで疑問が再燃したらしい。鍋に吸い寄せられていた視線を堀北に向けた。

 

「今回の件の埋め合わせよ。あなたがそんな怪我をした原因の……ひょっとしたら1%くらいは私かもしれないもの」

 

 堀北は須藤の右手……利き手に巻かれたギプスを見ながら言った。

 

「……相変わらず、ふざけた女だな。お前」

 

 そう言った須藤だが、意外なことにあまり怒ってはいなかった。

 

「まあ、でもありがとよ。お前みたいな奴でも一応女だからな……最後に良い思い出になった」

 

 それどころか、これまで嫌いだと公言していた堀北に礼を言う。そして須藤はギプスが巻かれた右手と左手を身体の前で合わせ、いただきますと呟いた。

 

「──待ちなさい」

 

 だが、須藤の前に置かれたレンゲとお玉が奪い取られる。

 

「……なんだってん──」

 

 不機嫌そうに言いかける須藤だったが言葉が止まる。オレも須藤の視線を追うように首を動かして──

 

"…………怖っ!"

 

 そこには、オレもこれまで見た事がないほど不機嫌そうな顔をした堀北がいた。

 

「食べる前に質問に答えなさい、須藤くん」

 

 強い視線が、須藤に目を逸らすことを認めない。そして──

 

「あなたは、この学校を辞めるつもりなの?」

 

 オレ達にとっての核心を突き付けた。

 

「………………」

 

 須藤は、暫く何も答えなかった。クツクツと鍋が煮える音だけが響く中、沈黙が続く。

 

「……ハッ」

 

 やがて、須藤が口を開く。

 

「お前も言ったじゃねえか。今すぐに学校をやめて、バスケのプロなんて身の丈に合わない夢なんか捨ててっ、惨めにバイトでもしながら暮らせってよ!」

 

 小さな声は段々大きく、震えるように。

──須藤は落ち着いてなどいなかった。ただ、そう見えていただけだ。

 

「おら、これで満足かよ堀北!俺みたいな屑が消えたら清清するんだろ!?勉強もできねぇ、唯一の取り柄もご覧の有り様だ!」

「っ落ち着け、須藤!」

 

 ギプスが巻かれた右手が振り回すように突き出される。

……その様子を、堀北は静かに見ていた。

 

「言いたいことはそれだけかしら?」

「────────」

 

 先程言ったことは撤回しよう。堀北は血も涙もない鬼だ、間違いない。そんなことを考えていると、堀北は言葉を続ける。

 

「勉強が苦手?だったら怪我が治るまで勉強に集中しなさい」

「私はあなたがこれまでバスケットをしていた時間に、勉強していたからあなたより勉強が出来るの。普段からの積み重ねよ、近道なんてないわ」

「……いや、それだとバスケが」

 

 絶句していた須藤が思わずといった風に口を挟む。

 

「今のあなたに出来ることをやりなさい……というより、何故それが退学しようとすることに繋がるのか理解に苦しむわ」

「…………」

 

 再び口を噤む須藤──だが、オレには最初から理由が分かっていた。勉強が大変……確かにそれもあるだろう。バスケに集中できる環境に行きたい……これもあるだろう。この学校において退学者がどのように扱われるかは公言されていないが、他校に転入という形を取れる可能性は否定できない……だが、今の須藤が最も恐れて(・・・)いるのは。

 

「──須藤、お前ハジメが怖い(・・)んだろ?」

「なっ!?」

 

 驚いたように口を開閉する須藤。

 だが、あの仮入部の日に須藤がハジメに向けた表情をオレは間違えない。あれは紛れもない──恐怖だ。

 

「ハジメの動きを見て、これまでの努力を否定された気がしたんだろ?本物(・・)には絶対勝てないって」

 

 奇しくも、それはハジメ本人が言っていたことだった。あれだけ落ち込んでいたのは、きっとこの事が分かっていたんだろう。

 

「…………だったら、なんだってんだ」

 

 少しの沈黙の後、須藤がぽつりと呟いた。

 そしてその下を向いた姿は、ここ数日で見慣れかけたものだった。それと同時に──

 

「……お前らに、俺の気持ちが分かってたまるか」

 

──オレには、対処の仕方が分からないものでもあった。ハジメにアドバイスを求められた時も、なにも意地悪をしようとしたわけではない……オレには相手と共感して心から親身に寄り添うことが、とても難しかったのだ。

 

「………………」

「………………」

 

 こちらが言葉に詰まったことによる沈黙。須藤もそれ以上の言葉を発する気配はなく、オレ達の間で少し無言の時間が続いた。

……正直に言えば、対処の仕方は思いつく。須藤に対する声掛けも、須藤が復帰するまでの道筋も、さして悩むことなく思いつく。

 

 だが、オレはこの居心地のよい時間をもっと過ごしていたかった。手段を選べる(・・・・・・)この時間を大切にしたかった。思ってもいないことを、口にはしたくなかった。

 

「…………そう」

 

 そんな様子を見ていた堀北が、無表情で呟いた。

 そしてため息をつく。

 

「今日私は、初めて彼に腹が立ったわ」

「……あ?」

「他人の努力を全て否定してしまう?馬鹿にしないで。私は、私の為に努力してるの」

 

 唐突な堀北の言葉に、オレも須藤も最初は何を言っているのか分からなかった。

 

「私は諦めない。他人に何て言われようが絶対に諦めない──たとえそれが、私なんかよりずっと優れた人からの言葉でも」

 

 それは、独り言のようなメッセージだった。

 

「須藤くん、あなたの夢は、1人の天才に出会って、ただのクラスメイトに好き勝手言われただけで、簡単に潰れてしまうものだったのかしら?……だとしたらお笑いね」

 

 最後にそう言った堀北は、カセットコンロでぐつぐつ煮立っていた鍋を須藤の方に押しやった。

 

「因みに、昨日のことはまだクラスには公表してないけれど……月曜日に登校して来なければ、言いふらすから」

 

 そして堀北は去っていった。後に残されたのは、少し火が通り過ぎた鍋とそれを囲むように座る男2人。

 

「……訳わかんねー」

「ああ。堀北に友達なんて居ないのに、一体誰に言いふらすんだろうな」

「──ぶはっ」

 

 須藤は少しだけ吹き出した。そして何処がツボだったのか、そのまま小さな声で笑い出す。

 

「綾小路、お前意外と面白いな」

 

 やがて笑い止んだ須藤が話しかけてくる。

……その顔を見て、オレもそろそろ帰ることを決めた。

 

「元気出たみたいだな」

「……いや、元気はねーよ。勉強は怠いし、そもそもこの手全治3ヶ月だぞ。その間バスケは流石に出来ねーし、1年の間にレギュラーになろうと思ってたのにこれじゃあパーだ……あ、なんか腹立ってきたな」

 

 だから、と言葉が続く。

 

月曜(・・)にハジメの奴をぶん殴る。それでチャラだ」

 

"……ひとまず、これで安心か"

 

 そして鍋を見て腹が減ったオレはそのまま自分の部屋に帰宅し、今日の顛末をハジメに伝え、弾むような感謝の声を聞きながら寝た。良い夢が見れた。

 

 

 

 

 そして、月曜日。

 前言通りハジメに腹パンを叩き込んだ須藤は、左拳を負傷した。

 

──全然安心ではなかった。

 

 

 

 

 






・中手骨頸部骨折(微小)
多くがパンチ動作で発生するためボクサー骨折とも呼ばれる。今回は完治まで2〜3週間。




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