ようこそ悪霊と逝く楽しい学校生活 作:ふにふら
少し開いた部屋の窓から、虫の鳴き声と微かに吹き付ける夜の風が入ってくる。
「…………」
オレは放課後の勉強会を終えてから学生寮に戻り、風呂や食事を終えてからベッドの上でボーっとしていた。
"あれから1週間か……"
須藤がハジメに腹パンを叩き込んで両手を骨折した翌日から、ハジメは甲斐甲斐しく須藤の世話を焼くようになった。
須藤の為に弁当を用意するのは序の口。
放課後は堀北と教師役の分担を切り替えたことにより3バカに勉強を丁寧に教え、一緒に帰宅し夕食の差し入れ。明日までに勉強しておくことや、その日分からなかった箇所の説明をして帰っていくと至れり尽くせりらしい。
"そこまでしなくても良いと思うんだがな"
全力で鳩尾を殴ったAさんと殴られたBさんと聞くと、普通は誰が聞いてもBさんが被害者だ。むしろ大怪我してもおかしくない。
オレはハジメなら大事にはなるまいと思っていたが、あの異常な
「…………」
Dクラスは、今月ポイントを支給されていない。それでも散財しなければ4月に支給された10万ポイントは早々無くなるものじゃない。現にオレも欲しい物が無かったとはいえ、まだ8万ポイント以上残ってる。だがハジメの場合は……いや、当人達が納得済みなら……
「……何か買いに行くか」
なんとなく寝付けなかったオレは、ロビーに置かれた自販機で飲み物でも買おうかと部屋を出た。
"それにしても、相変わらず変な商品があるな……"
オレはあまり自販機の飲み物に詳しいわけじゃないが、『ハバネロパイナップルジュース』や『カツサンドドリンク』が可笑しいのは分かる。誰が買うんだこんなの。
それ以外の適当なジュースを購入してエレベーター前に戻る。
「ん?」
一階で止まっていたエレベーターが4階に動いていた。
「…………」
なんとなく気になったオレは、エレベーター内の映像が映るモニターを見た。そこには帽子を被ってマスクをつけた男子生徒がエレベーターに乗る姿が映っていた。
──特に不自然な光景ではない。帽子はファッションとしてありふれているし、花粉症のピークは過ぎたとはいえ意外と量も種類も多いのが5月だ。マスクをつけている生徒も少なくない。
「ハジメか」
ただ、それだけで友人を見間違える筈もない。
キャリーカートのような物を持っている見慣れない姿だが、どうやら買い物にでも行くらしい。
"……こんな時間に?"
この60万平米を超える敷地内は小さな街になっており、『東京都高度育成高等学校』の関係施設しか存在しない。つまり殆どが学生を中心としたサイクルで回っているため、夜間の営業はあまり活発ではない。一応24時間営業のスーパーもあるが……
「……隠れるか」
声を掛けようかと思ったが、夜遅い時間にマスクと帽子という格好から、今ハジメは声を掛けて欲しくないと思っている可能性がある。
──気にし過ぎかもしれないが、オレにとって初めての友人だ。慎重過ぎる位で丁度いい。
そんな風に思いながら、自販機の陰に身を潜めた。
「…………」
エレベーターで降りてきたハジメは、ゴロゴロとキャリーカートを引きずりながら寮の外に歩いていく。
"じゃあなハジメ。また明日"
その後ろ姿に心の中でそっと声を掛けて……
「?」
その足が、ピタッと止まった。
そのままくるりと身体が回転し、後ろ姿を見ていたオレと目が合った。
「あ、やっぱり清隆だ!こんな時間に奇遇だね?」
「…………」
本当に嬉しそうな声で寄ってくるハジメを見て、自分が考え過ぎていた事を実感した。話しかけられたくないなんて微塵も考えてなさそう。
「後ろに目でも付いてるのか?」
「んなわけないじゃん」
おいこら笑うな。非常識なのはお前だ。
そんなことを思っていると、近寄ってきたハジメはオレが手に持っていたペットボトルに気がついた。
「あ、そこの自販機?『ガラナ青汁』と『いちごおでん』は二大地獄だからやめた方が良いよ」
あれ買ったのか……というかあんなの買ってる時点で意外と余裕あるなこいつ。
「あの、なんでそんなジメッとした目で見るの?」
「気にするな」
どうやら、オレが気を回し過ぎていたらしい。
……須藤には弁当を作っているのに、自分は昼に山菜定食しか食べないのを見ていると、本人がいくら大丈夫と言っていても不安になるのだ。
「ハジメはこれから買い物か?」
「いや……あれ?ある意味買い物かも」
考え込むように腕を組んで唸り始める。
「……ごめん清隆、あんまり詳しく言えないんだ」
その口元はマスクで隠れて見えないが、露出している目尻が困ったように下がっている。
……どうやら、言い難い用事だったらしい。
「無理に言わなくてもいいぞ」
まだあまり長い付き合いではないが、ハジメの性格はある程度理解している。
「ごめん助かる……あれ?」
ほっとした顔で此方を見ていたハジメだったが、唐突にエレベーターの方を向いた。
見ると一階にあったエレベーターが7階に止まっている。エレベーター内の映像が映るモニターには制服姿の堀北が映っている。
「あ、堀北さんだ。こんな時間にどこ行くんだろ」
ハジメと担当を交換した堀北は、意外なほど丁寧に赤点組に勉強を教えていた。ただ沖谷と赤点組5人に1人で勉強を教えるのは手が足りないという事で、櫛田が一緒に付いて行った……これまでの2人のやり取りから何かトラブルが起きないか不安もあったが、今のところ問題も起きていない。そして堀北は意外と面倒見が良い所もあるらしく、授業の合間におずおずと質問に来た赤点組に分からなかった箇所を説明したりしていた。
"あともう少し愛想が良くなれば完璧だが……"
だが歴戦のボッチ個体にこれ以上を求めるのは酷だろう。そっけなくはあるが辛辣ではない現在でも、入学当初に比べれば格段の進歩である。
「……今はちょっと見られたくないかな」
だから、ハジメがそう言って自販機の陰に移動するのは意外だった。
「……じゃあオレも」
最近クラスメイトに対しても態度が柔らかくなったような気がする堀北を避ける理由は、オレにはない。
だが、ハジメが隠れるというなら話は別だった。
「…………」
そして少しして堀北は一階に降りてきた。
きょろきょろと辺りを見渡し、見るからに周囲を警戒しながら堀北は寮の外へと出ていく。闇に姿が消えたのを確認してから、オレ達も自販機の陰から出て
「ハジメはどうする」
「少しだけ。何も無さそうなら引き返そうかな」
「見られたくないんだろ?」
「流石に比べられないよ」
堀北の後を追った。
「まさかここまで追ってくるとはな、鈴音」
寮の裏手の角を曲がり少し進んだところで堀北の足が止まった。
そして、そこにはもう一つの影があった。
「もう、あの頃のダメな私とは違います。追いつくために来ました」
「追いつくか……お前は3年前から何も変わらないのだな。ただ俺の背中を見ているだけで、自分の欠点に気がつけない。この学校を選んだのは失敗だったな」
……こんな時間にどこに行くのかと思ったが、男と落ち合う予定だったのか。
不穏な雰囲気を感じて念のため付いてきたが、杞憂だったかもしれない。
「清隆、清隆」
ハジメが小声で囁いてきた。
「あれ、堀北さんのお兄さん」
暗がりで姿はよく見えないが、話し相手は堀北の兄貴なのか。
「家族の会話みたいだし、あんまり聞かない方が……?」
そこまで言ったハジメだが、その動きが唐突に止まった。
「……どうした?」
共に建物の陰に身を潜めて団子のようになったため、身体の硬直がダイレクトに伝わる。
……試しに体重をかけてみるが全く動かない。大木に寄りかかっているような感覚だが、どれだけ強靭な体幹をしているのだろうか。
「すぐにAクラスに上がって見せます。そうしたら」
「無理だな。お前ではAクラスには辿り着けない。この学校はお前が思うほど甘いところではない」
「絶対、絶対たどり着きます……」
「……本当に聞き分けのない妹だ」
堀北の兄貴……壇上で見たこの学校の生徒会長が、暗がりからゆっくり姿を見せる。その表情に感情は一切なく、ただ興味のないものを見る瞳をしていた。
堀北の兄貴は無抵抗の妹の手首を掴み、強く壁に押し付けた。
「…………」
同時に下に敷いていたハジメの身体が震え始めたため、そっと下に降りた。
「どんなにお前を避けたところで、俺の妹であることは変わらない。お前のことが周りに知られれば恥をかくのは俺だ。今すぐこの学校を去れ」
「い、いやです……っ。私は絶対にAクラスに上がって、それで」
壁に押さえつけられながら、弱々しく首を横に振っている堀北。
「……愚かだな、本当に。昔のように痛い目に遭いたいのか?」
堀北を壁に押し付けたのとは逆の手が、腰だめに構えられた。掌底の形をとった手は、強い力が込められているかのように筋が浮かび上がっている。
"さて、どうするべきか"
助けるのは構わない。だがここにはこの場を収められそうな人物がもう1人いる。まして相手はこの学校の生徒会長、目立ちたくないオレにとってはあまり関わりたくない相手だ。
そう思いハジメに視線を向けようとして──
「──兄さん、私は」
「お前には上を目指す力も資格もない。それを知れ」
微かに動いたハジメの頭を軽く叩き、駆け出す。
「!」
堀北の兄貴に気配を悟られる前。物陰から飛び出したオレは腰だめに構えられた腕を掴み取り、その動きを制限する。
「──何だ、お前は」
掴まれた腕を見た後、ゆっくりと此方に鋭い視線を向けてくる。
「綾小路くん…?」
似た光景を見た事があった。
あの時オレは、動かなかったことを後悔することになった。自分に後悔を許さず、罪の意識に苦しみながら償おうとする姿を見ていた。
だから今回は、
──たったそれだけの話だった。
「彼女から手を離せ」
「…………」
オレと兄貴は睨み合い、少し沈黙が流れる。
「……いいの。やめて、綾小路くん」
堀北の絞り出したような声。こんな状態の堀北をオレは一度も見た事がない。
「……わかった」
渋々、堀北兄の腕を離した。
──その瞬間、凄まじい速度の裏拳がオレの顔目掛けて飛んできた。
「っと」
当たると拙いと直感し、仰反るようにして裏拳を躱す。細い身体してえげつない攻撃だった。そして続け様に急所を狙って鋭い蹴りが飛んでくる。
「危な!?」
当たれば一撃で意識を刈り取りかねない威力だと分かる。半身になるように身体をずらして蹴りの打点を空中に変更し、同時に伸び切った足を外側に押すようにしてバランスを崩す。
「……?」
僅かに体勢を崩して疑念の表情を浮かべた堀北兄は、短く息を吐き指を伸ばした手を此方に伸ばしてきた。掴まれれば地面に叩きつけられると感じたオレは、腕の内側に腕を差し込み裏拳で打ち払った。
「……随分良い動きだな。何かやっていたのか?」
払われた手の調子を確かめるように動かす堀北兄が話しかけてくる。ようやく攻撃を止める気になったらしい。
「昔ピアノと書道を少し」
「中々ユニークな男だ……綾小路と言われていたな。そうか、お前か」
どうやらこちらの名前に心当たりがあるらしい。
「面白い」
同時に、やる気に火がついたらしい。
「……兄さん……?」
一旦解かれた構えが戻る。
妹の疑問の声に応えることなく、此方を鋭く見据える眼差しからその意図は明白だった。
「生徒会長が暴力振るっていいんすか」
「後輩とのスキンシップだ」
「おい」
思わずツッコミを入れた。殴る蹴るがスキンシップってどんな世紀末だ。しかも言ってるのがこの学校の生徒会長である。
「お前を見逃すのは惜しいからな……可能性の芽は多い方が良い。お前の底を、見せてみろ」
──困った。実に困った。
目の前で油断なく身構える生徒会長と、壁際に座り込んで震えている堀北。このまま友人と平穏に過ごしたいオレにとって、この状況はあまり嬉しくない。
"……あ"
と思ったが、どうやらここまでらしいな。
「あの、マジで止めませんか」
「…………」
無言でゆっくり距離を詰めてくる堀北兄。
重心の配置から見て打撃にみせた投げ技か……下はコンクリートなのに本当に容赦ない。
「…………?」
一向に身構えないオレに、微かに疑問の表情を浮かべる堀北兄。だがそのまま腕を伸ばして──
「先輩」
その肩に、ぽんと手が置かれていた。
「!?」
堀北兄の身体が強張る。
気配を感じさせることなく後ろに立ち、手を伸ばしたオレの友人がそこにいた。
「無理しなくていいぞ、ハジメ」
ハジメが須藤に怪我をさせてしまって以来、意図的にスキンシップを避けているのは気づいていた。
先程のように此方から触れても石の様に硬直してしまう。だから今回はオレが出張ったんだが……
「ありがとう清隆。でも大丈夫」
さて、と改めて視線を向けるハジメ。それに背中を向けている堀北兄は微動だにしない。
「堀北先輩。こいつ、俺の友達なんです」
いつも通りの穏やかな口調だった。
オレは堀北兄の正面に立っている。だから少し暗い中でも2人の表情がよく見えた。
堀北兄とは違いハジメは未だマスクを付けているため、表情全てが分かるわけじゃない。暗くなってあまり遠くが見えない状況なら尚更だ。
だが、至近距離にいたからその
ピシ、と罅が入るような音を立てながらハジメの額に筋が立っていく。普段より細くなった目が端から充血し、絵の具で塗ったかのように血の色に染まっていくのが見てとれる。
「友人を、あまり虐めないでくれませんか」
「…………」
堀北兄の無表情は変わらず、一見何も変わらない。
だが何も感じていない筈はない。
何かが編み上げられる、気配。
何かが力を伴っていく、気配。
「……そうですか」
その肩に置かれた一見しなやかで繊細にすら見える指。それが何か、別のものに組み上がっていく感覚。同時に堀北兄の眉が少し歪んで──
「やめてッ!」
悲鳴のような制止の声によって、ハジメの動きが止まった。見ると堀北が壁際からゆっくり立ち上がろうとしていた。
「お願い。兄さんを、傷付けないで」
「…………そう」
その様子を見ていたハジメは、無表情で呟いた。そしてチラッと此方を伺った後、堀北兄からあっさりと手を離した。
「──じゃあこれで終わり!堀北さんもまた明日」
それは場違いなほど明るい声だった。
見るといつの間にか眼の充血も引いている。
「……え?」
「清隆はどうする?戻る?」
堀北の疑問の声も、堀北兄もスルーして此方に話しかけてくる……いや、オレもそこまで早く切り替えるのはちょっと。
「……もう少しいる」
少しこのまま戻ろうかとも思ったが、このまま堀北兄妹を放置して帰るのは落ち着かない。
「そっか。俺はもう行くけど、また暴力振るわれそうになったら逃げるんだよ?……あ、それと、さっきはありがと。守られるって悪くないね」
じゃーねーっと間延びした声を残して未練なく去っていくハジメ。
「…………」
「…………」
「…………」
その背中を無言で見送るこの場の3人。
……なんだこの空気。
「……なるほど。これ程か」
肩をグルリと回した堀北兄は
「前言撤回だ、綾小路。お前たちのこれからを楽しみにしている……鈴音、上のクラスに上がりたかったら死に物狂いで足掻け。そして成長してみせろ」
最後に堀北に声をかけて、そのままオレの横を通り過ぎて闇へと消えていった。
ハジメと堀北の兄貴が去り夜の静けさに包まれる。
「…………」
堀北は精魂尽き果てたかのように、再びズルズルと壁際に座り込んで俯いてしまった。
「……立てるか?」
何も答えない──しょうがないか。
オレは堀北が動き始めるまで、黙って待ち続けた。
「……あなたには、変なとこ見られちゃったわね。それに本くんにも」
それから少しして、オレ達は近くにあった自販機近くの垣根に腰掛けていた。オレはさっき買ったジュースのペットボトル。堀北の手にあるのはオレが買って渡した温かい飲み物だ……普段なら受け取らないかもしれないが、小声でありがとうと言われた。
──『いちごおでん』にしなくて、本当によかった。というかあの謎飲料の魔の手はどこまで伸びているんだろうか。
「ああすまん。寮の自販機でコレ買ってたら、お前が見るからに挙動不審な感じで外に行くのが見えてな。こんな夜中に外行くなんて普通じゃないだろ?気になって追いかけた……ハジメも同じだ」
黙ってしまった堀北に、今度は此方から話題を振った。
「というか堀北の兄貴半端ないな。相当強いだろあれ」
「……空手5段、合気道4段、だから」
……そりゃ強いわけだ。
そんな風にげっそりしていると、堀北がこちらに訝しげな視線を向けていることに気がついた。
「何だ?」
「……あなたは、何かやってたの?あの動き、どう考えても普通じゃない」
「言ったろ、ピアノと茶道だ」
「さっきは書道だったわよ……まあいいわ」
そういうと、堀北は溜息をついた──と微かにゴロゴロと何かを引き摺るような音が聞こえてきた。
"随分早い帰りだったな"
そう思い、視線を寮の方に向ける。そこには予想通りハジメがキャリーカートに荷物を載せてテクテクと歩いてきていた。
ハジメは此方に気が付くと軽く手を挙げた後、そのまま寮の中に入って行く。
「……こんな時間に何処に行っていたのかしら」
その疑問の答えを、オレは持っていない。
誰にだって聞かれたくない事情はあるだろうし、友人から無理やり聞き出そうとも思わなかった。
──ただ、気にならないといえば嘘になる。
「……さあな」
オレにとって初めての友人、本太郎。
だが、オレがハジメに関して知っていることは案外少ない。とは言っても理由は単純だ。
……オレが自分から聞こうとしなかったからだ。
またハジメも、オレが過去の事を話すのに消極的なのに気がついているのか、こちらに深入りするような質問はしてこなかった。
オレたちは友人だ。
だが、それは互いに深く干渉しないという暗黙の了解の元で成り立っている。
「あなたは気にならないの?」
──オレは現状に不満はない。
想像していた学校生活とは随分異なる変わった高校だが、入学初日から同性の親しい友人が出来た。またあまり数は多くないが気まずくならない程度に話ができるクラスメイトや、よく話しかけてくれるクラスのアイドルもいる。それに目の前の傍若無人な女子だって見た目は悔しいくらい美人だし、最近は面倒見もよくなってきたので隣の席に座っているオレを羨んでいる奴もいるかもしれない。
Dクラスということであまり贅沢は出来ないかもしれないが、それだって別に気にならない。
だから、オレは今満たされている筈だ。
「…………」
そう思いながら、寮から漏れる明かりを暫く眺めていた。
本視点
堀北さん家の兄妹喧嘩を見た日から暫く経った。
その間もDクラスは毎日勉強会を行い、中間テストの範囲であれば少し設問を弄っても問題なく解けるようになっていった。
過去問だとは伝えず、毎日1教科ずつ実際の過去問を渡してテストを行ったが、60点以下を取る生徒は1人もいなかった。
「欠席者は無し、全員きちんと揃っているようだな」
そう言いながら茶柱先生は教壇に立ち、不敵な笑みを浮かべている。
──そう、今日は中間テスト当日だ。
「お前たちにとっては最初の関門だが、質問はあるか?」
先生が教室を見渡すが、どの生徒も顔には自信を覗かせていた。
「無いようだな……では配ってしまうか」
そう言いながら茶柱先生はプリントの束をトントンと揃えて、試験問題を配り始めた。
中間テストは、1時間目に社会、2時間目に国語、3時間目に理科、4時間目に数学、最後に英語の予定。
(ぽん太郎、本当にお疲れ様でした……)
"……終わりというか、むしろ始まりなんだけど"
須藤くんが利き手を骨折し、追い討ちのように逆の手をやった時は別の意味で終わったかと思ったが、ギプスに固定された人差し指は使わず、親指を使うことで文字を書くことができることが判明して本当によかった……
「もしお前たちが、今回の中間テストと7月に行われる期末テスト。この2つを誰一人赤点を取ることなく乗り越えられたら、全員を夏休みバカンスに連れて行ってやる」
とはいえ無事全員が揃って試験を受けたことに安堵していると、茶柱先生が変な事を言い出していた。
騒めきが広がる中、手を挙げてみる。
「どうした、
「それって強制ですか」
「……ふふ。まあそう嫌がるな。青い海に囲まれた無人島で、夢のような時間を過ごさせてやるだけだ」
楽しいぞ?とニヤニヤ笑いながら、その豊満な胸を持ち上げるように腕組みする茶柱先生。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
そしてその光景に色々刺激された男子生徒たちによるスタンディングオベーション。茶柱先生は自分でやっておきながら少し赤くなり、座れ馬鹿共と教卓をクリップボードでバンバン叩いている。
(わふーーー!)
俺は脳内の馬鹿によってそれどころではなかった。
「──それまで。ペンを置いて答案用紙を裏返せ」
そんな一幕はあったものの、最初は社会、次に国語、理科、数学と続けて試験は進んでいった。
「いやー、楽勝だったな!」
「だよな!俺今回は120点くらいとっちゃうかもよ!?」
そして今、最後の英語が終わった。
──結論から言うと、やはり中間テストは過去問と全く一緒だった。一言一句変わらない。答えさえ覚えていれば、問題を読まなくても構わない位に。
ただ、これは予想できていた。"本当の実力主義"を謳う学校が運動自慢で鳴らした、例えば須藤くんのような生徒を対応策のない学力テスト一回で落とす可能性は低い。入学試験である程度の学力は把握されている筈だし、それでも赤点を取らない方法があると判断されたから入学を許された筈なのだ。
"……まあ、一時はどうなるかと思ったけど"
ざわざわと喧騒が広がっている教室の中に漂うのは、気楽な雰囲気だった。それこそ3バカに数えられている池、山内くんの台詞が教室がクラスの総意だろう。
「ほんとどうなるかと思ったぜ。なあ須藤?」
「…………」
順調、順調だった。
──その筈だ。
「……なあ、大丈夫だよな?」
だって、ずっと付きっきりで支えてきた。
毎日勉強会を開いたし、寮に帰ってからも勉強を教えた。朝は部屋に迎えに行ったし、ご飯だって作った。前に彩りとか言ってたから、ちゃんと栄養バランスにも気をつけた。
解いて貰った過去問だって……完全に理解してるかは怪しかったけど、80点は取れていた。
──怪我だって、もう痛まないと言っていた。
(ぽん太郎……)
"…………行こっか"
須藤くんの席はそう離れていない。
席を立って少し移動すると、須藤くんの席の周りには戸惑ったように立ち尽くす池くんと山内くんがいた。
「…………」
須藤くんは机に突っ伏して何も言わない。
「……そっか」
深く息を吐いた。
──全く予想しなかった展開と言うと、嘘になる。
過去問は問題なく解けていたことからきっと怪我の影響か……俺には骨折の経験が無いため想像になるが、たぶん相当無理をしていたのだろう。
休み時間毎に体調を確認していたが、それでも単語や英文の記述が多い英語で限界を迎えたのだ。
つまり俺のせいで。
「どうしたハジメ」
「…………」
そんな風に立ち尽くしていると、心配した清隆が近寄ってきて話しかけてくれた。
「……何か問題でも起きたのかしら」
俺と勉強会の担当を交換してくれた堀北さんも一緒にやってくる。
「あの、本くん。ひょっとして須藤くん……」
堀北さんと一緒に赤点組に勉強を教えてくれた櫛田さん。
「……………………」
この3人だけじゃない。
赤点組以外の勉強会を取り仕切ってくれた洋介。意外な統率力でそれを手伝ってくれた軽井沢さん。口では渋りながらクラスの為に勉強を教えてくれていた幸村くん。苦手な勉強にも関わらず最後までついて来てくれた赤点組。それ以外のクラスの為に協力してくれた皆。
そして、他でも無い須藤くん。
彼の宝物を奪ってしまった俺から勉強を教わるなんて、嫌だったに決まってる。でも彼は俺の我儘のような担当変えに文句一つ言わず付き合ってくれた。
彼の努力を知っている。苦しみが分かるなんて口が裂けても言えないけど、彼が頑張っていたことはきちんと知っている。
だから、力になりたいと思った。
そしていつか、こんな俺でもと希望を持ってしまった。
……知っている筈なのに。
(それで、諦めるんですか?)
悪霊の声が響く。
──俺の感情は筒抜けなんだから、分かってるだろ。
「ちょっと職員室行ってくるね」
諦めるのは出来ることを全てやってからだ。
「ちょい待て、ハジメ」
「……何、清隆」
呼び止められて、振り返る。
こちらを見た数名が息を呑んだ。
"……顔が強張ってたかな"
「たぶん職員室には行く必要ないと思うぞ」
顔を揉み解していると、清隆がいつもと変わらない様子で話しかけてくる。
「なんで?」
そう尋ねると、清隆は突っ伏した須藤くんを指差す。
そしてそのまま──
「ほら
指先が須藤くんの脇腹に突き刺さった。
「ッ!?」
──須藤くんが、バネ仕掛けのように起き上がる。
「おい誰だ今の!……あん?」
自分の席の周りに集まった俺たちを不思議そうに見渡して、ついでに大きな欠伸を一つ。
「ああ、試験終わってんのか」
「…………おはよう、須藤くん」
湧き上がる感情をどうにか抑制し、そんな彼に話しかける。
「おおハジメ、おはようさん!」
笑顔の須藤くんと、目が笑ってない俺を見て察した生徒が席から離れていく。
「ひとつ訊いていいかな、須藤くん」
「何だよ水臭えな。お前には大分世話になったからな、何でもきけよ」
頼もしげに胸を張る須藤くんに、最後にひとつだけ確認した。
「テストの出来は、どうだった?」
その質問に須藤くんは──
「──バッチリだぜ!」
それは、輝かんばかりの笑顔だった。
「あんまり余裕だったんで寝ちまってたぜ!」
……彼に他意はないのだろう。純粋に喜んで、それを表現しているに過ぎない。
(あ、あわあわあわ)
そう、彼は悪くない。勘違いした此方が悪い。
「…………ふ」
だがこの、溶岩のように煮えたぎり液体窒素のように冷え切りコールタールのように粘つく感情。
「ふ、ふ、ふ」
「ふ?」
呑気に首を傾げる顔を見て俺は……
「ふざけんなバカーー!!」
──人生初の八つ当たりをしたのだった。
1年中間テスト
全教科クラス平均点
Aクラス:82点
Bクラス:72点
Cクラス:65点
Dクラス:87点
赤点者数──0名