雨宿り   作:特遅やくも

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龍の住処

 赤々と燻る、暖炉とキャンドルの熱りの滲んだ、木々の優しい薫りが部屋を満たす。

 外とは一切を隔絶された、鈍い琥珀色に明らむ一時の安息。

 枝分かれした燭台の、または煉瓦造りの窯の灯というのを目にした事の無い少女は、その揺めきを数えるのに心を奪われていた。

 

 と、そんな浮わつき気味の少女を手柔らかに引き戻すような、そんな耳通りのする声がする。

 

 

「すみません、人間向けの料理には馴染みが無くて。お口に合うと良いのですけれど……」

 

 熟れた手付きで目前の木机に音を立てて置かれたのは、燻製の獣肉だった。皿全体を覆う瑞々しいレタスの玉座の、更にその上に鎮座するそれ。香辛料の相乗した非常に食欲を煽り立てる匂いが鼻腔を撫ぜ、そして、

 

「……………」

 

 でかかった。

 その大きさ、人の頭の相当以上。

 

「わぁ、お姉ちゃんの良いな……!」

「はいはい、貴女の分もあるから少し待っててね」

 

 

 外は雨。

 じんわり抉れるような胃痛と、注がれる邪気一つ無い羨望の視線を傍らに途方に暮れながら、事の経緯を振り返る。

 

 

 

 状況は奇々怪々だが、それに至る道程は大して複雑な話でもない。

 

 旅の中途、それまで穏やかだった雲行きの急激に芳しく無くなったのに気付いた少女は、焦っていた。その日一日は晴れると見越して一気呵成に山越えを敢行する予定だったのを、半ばにして無に還されたからである。山の天候の移り気を重ね重ね耳にしつつ内心楽観していた己の愚昧ぶりをものの見事に晒された形となった。

 

 一人身で野営を試みる訳にも行かず、しかし周囲に都合良く洞穴の見つかるはずもそう無い。八方塞がりとなり天を仰いだ少女の眼中を、道標の狼煙が立ち上がった。

 比喩でも何でも無かったそれをすわ山火事かと焦った少女だったが、今にも空が泣き出そうという時に有り得ないと思い直し、次いで一抹の希望を抱いてその下へと向かった。

 

 斯くして、妖精の隠れ家の様にぽつんと建っていた山小屋を発見した少女を、その家主は寛容に迎え入れてくれた。

 それはもう、寛容に。

 

 

 滞在を許すだけで無く夕食も振る舞うという彼女から最終的に押し切られる形で、少女は現在、見も知らない家族の食卓に異物の如く同席している。

 

 

「すみません、急に押し掛けただけでも迷惑なのに、ご飯まで貰っちゃって……」

「だから、お気になさらないで。私が望んでやっている事ですから」

 

 結局半分程フォークを進めた時点で限界に達した少女は、残った半分を家の娘に譲って白旗を揚げた。その時の娘の輝かしい瞳と、お気を使わせてすみませんと苦笑いの母親が、少女の良心をひどく苛んだ。

 

(それにしても)

 

 大きいなぁと、少女は空になった規格外のサイズの食器……を、厨房へ持ち運ぶ母親を見ていた。

 概ねの人の男をも見下ろすだろうその身長は、暖炉の火種を世話するのにも苦労が窺える。全体的にそれを見越して逐一規模を大きく造られているらしい家の内観は、少女の目の退屈を大いに紛らわしていた。

 

 天を衝く両角と、髪と同じ紺の身の丈半ある尻尾。

 彼女は、自身は泥龍との混血なのだと明かした。

 

 

 

 龍と人の混血、龍人。

 

 龍というのは基本的に、リザードの雄が突然変異により超常的な成長・進化を遂げたものというのが概説である。

 しかし、その究極の力と引き替えに元のリザードのコミュニティを追われた龍は、己の血を残す手段として他の種の雌との交配を選んだのだという。内、拐われた、或いは龍の力を頼りに自ら共生を選び献身した人の娘との間に成された子が、龍人のルーツと語られている。

 荒唐無稽と切って捨てられても可笑しくない話だが、実際目の前に生きた証が存在するとなると、少女も口を閉ざさざるを得なかった。

 

 

 泥龍__またの名をスワンプドラゴン___は、湿地に生息する龍である。沼を根城とする為に通常のドラゴンより体躯が肥大化し易い傾向にあり、代わりに飛行は可能とは言え不得手、とされる。

 

「たまに日用品を買い足しに街へ下りるのですけど、やっぱり驚かれますよね。……角と尻尾」

 

 尾の先をひくつかせながら少女が反応に困る冗談を軽妙に飛ばす彼女の伴侶もまた、泥龍である。

 

「お父さま……は、今どちらに?」

「狩りに出掛けています。あと三日くらいで帰るんじゃないかしら」

 

 龍は日々の大半を家族に食わせる為の狩りに費やし、家庭を顧みる事はほとんど無い。と言うより、そもそも一頭の龍は大抵各地に複数所帯を持っているものらしく、そんな余裕は存在しないというのが実態だった。

 寂しくないのか、という少女の質問に母子揃って首を傾げていた辺り、人間とは根本的に価値観を違えているらしい事を少女は実感させられた。

 

 

 

 俄雨と思われた雨足は日が落ち切ってこの上弱まる事を知らず、窓越しの外は屋内とは別世界のように冷たく思われた。

 厭々と沈む心は、止まり木への甘えを意地悪く囁く。毛嫌いするはずの雨も明日まで及べば、もう暫く立ち止まっていられるのにと、そう考えさせるまでに少女にとっての今は居心地の良いものだった。

 

「……ねえ、お姉ちゃん」

 

 そんな少女の憂悶を知ってか、遠慮がちに声を掛けてきたのは、この家の娘。彼女も龍人であり、紺の尾と紅の瞳は血の繋がりというのをよく納得させる。

 一方で髪色は一風変わった黒。母親のそれを星月夜の空とするなら、彼女は宵闇の帳の様に、純粋極まる漆黒。そこに朱も走った短髪は、異形の様な歪さを湛えて尚、美麗だった。

 

 物欲しがる訳では無いが、せめてその一つと無い癖の所以を知り得まいかと少女は思いつつ、上目遣いの目線に合わせる様に身を僅かに屈める。

 

「なに?」

「あの、お姉ちゃんって……魔法使いなの?」

 

 まごまごとぎこちなく問い掛ける龍の娘を微笑ましく見ながら首肯してやると、娘はぱっと華やかな笑顔を咲かせてみせた。

 

「やっぱり!?やっぱりそうなんだ……!凄い凄い!かっこいいよね、その杖!」

 

 一転して捲し立てながら跳ねる娘の、煌めく憧憬の瞳が杖を向いた時、無意識的に少女はそれを小脇に抱き寄せた。

 

「あっ、ごめんなさ……あの、欲しい訳じゃ無いの。ただ、わたし、その。いつか魔法使いに、なりたくて……」

「……!そうだったんだ、ごめん」

 

 このいじらしい子供を脅かし、言葉を選ばせた事で、少女の罪悪感はいよいよ以て極まってしまう。少し小突けば泣き出してしまいそうなその娘におずおずと手を伸ばそうとして、引っ込めて、結局居たたまれなく口を結んだ。

 暫くの沈黙の後、逡巡から意を決したように俯いた顔を再び上げた龍の娘の科白が、そんな少女の心中を更に重く、大きく揺るがした。

 

「あの……よかったら、わたしに……魔法を教えてくれませんか?!」

 

 

 その時の彼女の、地平の彼方の虹を見たような表情は、みすぼらしい未熟者の視るには如何せん、眩し過ぎた。

 

「わたし……たまにお母さんに街に連れていって貰うの。その途中でたまに、魔法を見れることがあって……すごく、すっごく___綺麗だった」

 

 少女は唇を噛んだ。

 

「それでわたし、ちょっとだけ勉強したの。魔法の事。でも、どうしても、使えるようにならなくて……」

 

 やめてほしい。

 その希望を受け止められる程。

 その胸に刻まれた思い出の程、私は。

 

「だから……お願いします!わたしに、」

 

 

 やめろ。

 

 

 

「__私からも、お願いできますか」

 

 抑えかね、その一言が口を衝いて吐き出される直前、またしても透き通るような暖かい音色が少女を包んだ。

 

「……元々私達龍は、どうしても魔法との相性は悪いんです。そんなものが無くとも生きられる生物ですから。況して近くに教えを乞えるような人間も居なく、私から出来る事も、何も無い…………けれど、それでも夢見るこの子を諦めさせるのは、私も辛くて」

 

 見上げた先には、不変として在り続く、慈愛と抱擁の顕れたる顔。

 

「お願いします。この娘に、知恵を……夢に手を伸べる機会を、与えてやってはくれませんか」

 

 それを見る度、少女は不思議になる事があった。

 無為無償の愛とは、存在し得るのだろうか。

 ただ一つ、親と子であるというだけ、たった少し掛け違えただけで何にもならなくなる様な脆く弱い楔だけが、それだけの価値に足るものなのだろうか。

 

 

 間近にする今となっても、分からない。

 ただ。

 

 一人の他人として、施された恩に報いるだけの事は、したいと思った。

 杖を握り締め、娘の方に毅然と向き直る。

 

 

「……分かった。何もあげられるものは無いかも知れないけど……やれるだけ、やってみるよ」

「__ッ___ほんと!?」

 

 一身に押し寄せた期待によろめきそうになりながらも、己を鼓舞し、無言で頷き返す。

 

「っ、やった___!!」

 

 その途端、龍の娘は嘗て無いような程の喜色満面を浮かべて跳び上がり、そして、

 

 

「ぅお゙ぇ」

 

 吐いた。

 

 

「…………え?」

「あーこら、そんなに興奮しないの!いつも言ってるでしょ、もう……」

「ぅぇ……ごめんなさーい…………」

 

 当惑する少女を余所に、躊躇い無く青紫をした粘着質の液体を手早に処理し出す母親。

 

「大丈夫?服とかに着いてません?触らないように気を付けて……ごめんなさいね、まだ子供だから……」

「あ……いえ、大丈夫です。うん」

 

 そこで少女の記憶の抽斗の隅から引き摺り出されたのは、泥龍がドラゴンに於ける炎の代わりに吐くという毒の話だった。こんな形で実物を目にする事になるとは想像する由も無かったが。

 鼻のつん曲がるような異臭に顔を顰めながら、少女の一夜はまた過ぎ行く。

 

 

 

 些かの紆余曲折を経つつ、少女による魔法講座が始まる。

 室内で執り行っても構わない、という事ではあったが。

 

「ええと、取り敢えずの指針を決めておこうか。魔法と言ってもいくつか有るんだけど、どんな魔法に興味があるの?」

「うーん、例えばどんなのがあるの?」

 

 えーと、と前置きしてから、少女は指を折って数え始める。

 

「大まかには五つに分かれるって言われててね、炎の魔法、水・氷の___」

「みず!?」

 

 二つ目で唐突に横槍が入った。

 

「わたし、それがいい!水の魔法、使いたい!」

「そ、そう?じゃあ、それから始めよっか」

「やった!」

 

 はしゃぐ龍の娘に苦笑しつつ、家具が濡れかねない懸念を母親に目配せしたところ、彼女は何でもないように頷いた。

 つくづくその並大抵でない懐の深さに感嘆しつつ、

 

「それじゃ、お手本から見せるね。横で真似してみても良いよ」

「うん!」

 

 杖を片手に掲げ、ふぅと吐息して拍動を調える。龍の娘も次いで左手を構えたので、間に説明を交えながら。

 

「まずは、自分の中の魔力の流れを感じて。それが魔力を操る手足になる。それが出来たら、次は自分の周り、空気の中にある魔力を見るの」

「……う、うん」

 

 どういう巡り合わせか、少女の得意魔法もまた水という事になっていた。だから、大丈夫。いける。

 暗示と共に緊張を解し、手と杖、握り締めた結束点へと鋭気を統べる。

 芯から魔石、その先へと集まる魔力が、拳大の水の塊を構築し。

 

「自分の中の魔力を使って、周りの魔力をやりたい形に捏ねる感覚。そしたら、最後は飛ばし方をギリギリまでイメージして___!」

 

 射出する。

 

 

 ぱしゃん、と窓に水がぶち撒けられるのと、少女の脇からびしゃ、と間抜けた音が聞こえてきたのが同時。

 

「うわぁ!」

「ありゃりゃ」

 

 見れば案の定、床に少量の染みが出来ていた。最もこの程度なら木材から水のみを抽出して放り出し、詰めに軽く温風を送るだけで事足りる。

 

「わ、もう乾いた!凄い!」

「大した事じゃないよ」

「でもお姉ちゃん、凄いよ!わたし、水出せたの初めてだもん……!」

 

 それは並の魔法使いからすれば初歩にも満たない、何物でもないような前進だろう。

 それでも、龍の娘の嬉々とした振る舞いを見ていると、少女の心の臓から月並みな、けれどとても温かく心地良い感情が溢れ出していた。

 

 

「……うん。水の量は使っていく内に増やせるはずだから、問題は飛ばし方かな。すぐに手から放しちゃうよりも、的に当たる瞬間まで持っていく印象で撃つと思い通りに行きやすいよ。狙った所まで糸で通り道を引く感じ、かな」

「えーっと…………」

 

 

 

 夜も更け、娘が寝静まった頃に少女は一度、問うた。

 

「お辛くは無いですか。龍人の、身が」

 

 絶対の力と畏怖の象徴、龍。

 それに近しい龍人の一族は、大樹に擦り寄り、媚び諂うばかりの卑しい存在として、天下の悪し様に扱われている。

 

「……そうですね。確かに、辛いかも」

 

 でもね、と。

 

「だからこそ、貴女のような人との出逢いが、永い生命の中のほんの一会が、一生ものの宝になるんです。あの子にとっても、きっとそうでしょ?だから……嫌な事ばかりでも、無いんだ」

 

 

 そう答えて、彼女はまた、朗らかに破顔した。

 

 

 

 日の出と共に、少女は発つ。

 

 もう一日くらい、と引き止める声もあった。縋りたい気持ちも山々だった。

 それでも彼女は、歩き出す。

 旅路はまだ、途中だから。

 

 

「よろしかったら、これを」

 

 出立する直前、母親に呼び止められた。

 差し出された小包の中を覗き、仰天する。

 

「泥龍の、鱗……!?」

 

 少女が慌てて見上げると、母親は伏し目がちに語る。

 

「古いもの……言ってしまえば老廃物ですがね。だから本当は、贈り物らしく差し上げるのも申し訳無いような代物なんですけど……」

「そんな……!あ、有難く頂戴します!!」

 

 恭しく頭を下げる少女に、母親は困ったように肩を竦めつつも、微笑した。

 

「……それじゃあ。__いってらっしゃい」

 

「…………はい!……いってきます!」

 

 

 

「お姉ちゃーーーん!ばいばーーーい!!」

 

 両手を力一杯振る魔法使いの娘の声を背に、少女は歩く。

 

「また会おうねーーー!絶対だよーーーっ!!!」

 

「うん……いつか、その時にね」

 

 そう呟いたのは、誰に聞かせるものでもなく。

 後ろは振り返らない。尚も遠ざかる叫びに、右手を翻すだけ。

 

 

 

 思うに無為の愛とは、親から子に与えられてやはり、然るべきものなのだろう。それが、きっとまた子を強くする。

 ただ__それを行きずりの人間にをも賜れるのは多分、その人自身の強さだ。

 

 故に彼女は、龍の伴侶となったのだ。

 

 

 だから、少女は決意する。

 未知を廻る果て無き旅程を糧に、私ももっと、強くなる。

 いつか、一人前として胸を張れるくらいになった時に……また、此処に帰れるように。

 

 

 

 光纏う泥濘を、精一杯に踏み締めて。

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