雨宿り   作:特遅やくも

3 / 6


「はぁー…………」

 

 深々とした溜め息と共に、丸太仕立ての床に寝転がる。痛みはあるが、これで三夜を明かしたのだからいい加減慣れたものだ。

 

 少女はひどく退屈していた。

 ここ数日見る景色は変わらず、出歩く事もままならず、出来る事はと言えば天井に絡む蔦の葉を数えるくらい。

 

 怠い上半身を持ち上げれば手前の床には、先程運ばれてきた食事が置かれている。野菜と、兎か何か、色素の薄い小動物の肉。

 共々木製の皿に盛られたそれは、先の龍の作るものに比べ豊かな彩りで見栄えこそしたが、素材の味をそのまま、悪く言えばあらゆる手間も省かれた、味付け等も当然されていない甚だ質素と言わざるを得ない品である。しかもこれがまた三日に亘り提供されている為、少女がうんざりするのも仕方の無い様相であった。

 

 重ねて嘆息しながら、無限の天上を回想する小鳥の様な眼で、格子越しのまた昨日と同じ虚空を見上げた。

 

 

 少女は今、檻の中である。

 

 

 

「…………はぁぁ」

「お前、何回やるんだそれ。こっちの気分まで滅入るからやめろ」

 

 外から苛立ち混じりに聞こえてくるのは、此方も大概聞き飽きた監守の声。

 牢の扉を蓋する様に凭れているそれ、少女が暇潰しに時折その背を小突くと、不満を露に舌打ちしながら長耳をひくつかせる。懲りずに少女が再びちょっかいを掛けると今度はそれを真っ赤に茹だらせて怒り、面白がった少女がまた不定期に繰り返すので、ストレスのあまり目元には隈が出来ていた。

 

 

 此処は森のど真ん中、エルフ達の領域である。

 同族間の強い結束で繋がれた彼らは一生涯をその狭き社会で終える者も多く、それを背景に形成された排他的な種族柄で知られる。この監守の男にしても例外でない様で、少女が語り掛けてもその悉くを粗雑に返していた。

 

 

「こんな所にずっと閉じ込められて、溜め息だって吐きたくなりますさ。嫌だったら早く出してくださいよ」

「はいわかりました、とでも言うと思うか?」

「じゃあせめてその杖だけでも返してよ、そしたらもう愚痴とか言わないからさ」

「だから言ってるだろ、みすみす武器を掴ませる奴があるかっての」

 

 格子の隙間から未練がましく伸びた手の先に立て掛けられているのが、投獄に当たり没収された少女愛寵の杖である。それを身から引き剥がされる時少女は幼子の様に泣き叫んだものだったが、聞き入れられず敢えなく取り上げられた。今では落ち着いているが、直後の彼女の沈みぶりと言えば当のエルフすら見かねて憐憫を垂れた程である。

 

「大体こんな目に見える位置にわざわざ置いてやってるんだ、これでも譲ってるんだから感謝しろよ。本当なら身ぐるみ全部剥いでやったって良かったんだぞ」

「……最低」

「心配せんでもお前みたいなちんちくりんを好き好んで見る奴なんか居ねぇよ」

「は!?何よそれ!あんたみたいな配慮の欠片も無い奴好き好む女だって居ませんから!」

 

 憤るまま勢いで放たれた言葉はしかし二十余年独り身の精神に深い傷を刻み、それきり男は口を閉ざしてしまった。

 清清した少女は無益な口論で空かした腹の埋め合わせに着手しながら、外の世界の営みに耳を澄ませる。

 

 

 

 外は雨。

 の、はずだった。監獄の天蓋、その上を更に大樹の枝葉が落ちる雫を阻んでおり、直々の確認は出来ない。

 しかし、近辺から響く滝の様に低く轟く音は、豪雨の未だ止まぬ事の何よりの証明であった。エルフの村の生命源たる大河が氾濫し、一帯を呑み込む怒涛の濁流と化しているのである。

 

「……これ、いつになったら止むの……?」

「馬鹿か、今は雨季だぞ。ちょっとやそっとじゃ止まない、少なくとも後三ヶ月はこの調子だ」

「雨季」

「……まさか冒険者の癖に雨季も知らんのか?いや、知らないからこんな所に居るのか。はは、ひよっこも良いとこだな!」

「ひよっこって言うなー!」

 

 エルフの森は一年通して多湿で、特にその凡そ三分の一は降水量の非常に多い雨季となる。農作業の行えず、外部との連絡も断たれるこの時季は限られた食料を徹底した管理の上遣り繰りしなければならない為、その妨げになる外来人は一層手厳しく扱われる。

 その前提から、冒険者界隈では雨季の近い森には近付かない事が定石となっているのだが、それも知らずエルフへの興味本位で訪れた少女は村の掟に従い拘束され、獄中での監視生活を強いられる羽目になったのだった。無知は罪とはよく言ったものである。

 

 

 表面的には理不尽な災禍の様にしか思われぬ大雨だが、実際には周辺域の古い土壌を洗い流し、来期以降にも糾える豊作を約束する、肥沃な森林環境の維持に不可欠な現象でもある。例え少女が今妄想する様に杖先で雲海を割ったとて、奇跡足り得ぬどころか青天井の馬鹿の所業でしかないのだ。

 ともあれひよっこ魔法使い風情にやはり大自然の摂理に太刀打ちする技倆が有るでも無く、少女の拘留生活は続く。

 

 

 

 三週間が過ぎた。

 

 

 こうも一個人の尊厳もへったくれも無くなる空間に長期間放置された人間からは、やがて己が人間らしく人間であろうとする力の喪われていくものらしいと、少女は今後まずひけらかせたでは無いだろう啓蒙を得ていた。

 今では目の前の監守の存在のみが体面だけでも保たせる理由と手段になっていたが、結局この男が少女の朝々暮々を余すところ無く間近で座しているのが少女の羞恥を著しく煽っているので、感謝出来たものかはまた別である。

 

 

「………?」

 

 そうした見世物の畜生のそれと薄皮一枚の生活の中、娯楽に飢え地獄に堕ちた少女の耳は、激流の奥の人々の喧騒を拾っていた。

 

「なんか、騒がしいですね」

「ああー?……あー、行商が来てるのかもな」

 

 長耳は伊達ではなく、卓越した聴力で同じものを感じ取ったらしい男の口からの言葉に、訝しむように目を細める。

 

「行商?でも今は雨季なんでしょ?」

 

 邪険にするように見えてそんな少女の問いにあー、等と顎を摘まむ男も、大概暇らしかった。

 

「普段上流の底に棲んでる種族が、増水に乗じて村まで下りてくるんだ。去年の雨季に外来人に備蓄を盗られてな、それで困窮した集落の元に奴らが来てどうにかその年を乗り切ったって事があったんで、以来村全体と繋がりが出来たって話らしい」

「ふーん……どんなもの売ってくれるんです?」

「普通に魚とか……干物になってて日持ちするんだよ。後は何だ、骨飾りとか石細工とか」

「えー何ですかそれ、おしゃれ!良いなー、私もほしい」

「はー、あんな悪趣味なもの欲しがる感性が俺にゃ分からん」

「……はいはい、どうせ貴方みたいなのには分かりませんよーっと」

「あ?そりゃどういう意味だおい」

 

 振り返った男が詰め寄ろうとした時には、既に少女は檻の端の方にまで転がり外方向いていた。

 

 

「……あれ?去年に外来人が、って」

「おう、外来人の監視制が出来たのは今年からだよ。こんな時季に来る方が悪いとは言えアンタも間が悪いな」

「…………」

 

 一端の悪事の為に大凡が割を食うのは、何時の世の中も同じらしい。

 

 

 

 二月が経った。

 

 

 そうでもしなければいよいよ精神が持ちそうになかったのも勿論だが、乙女の文化的生活を侵している誅罰とばかりにこれまでの毎日、時を選ばず少女は監守に一度は会話を吹っ掛けている。当の男も気怠げにしながら何だかんだで応答はするので、この日に至っても展開される最早恒例行事である。

 

「そう言えば貴方、ずーーーっとそこ居ますよね」

「そりゃ監視だしよ」

「そうじゃなくて、交代とか無いんですか」

「……ほう、その隙に脱出しようってハラか?生憎だが担当は俺一人だ、諦めな。次いでに長老に報告しとくか」

「なっ、そんな事一言も言ってないじゃない!」

 

 ここまで来ると、お互いがお互いに食って掛かる構図はすっかり板に付いていた。変わらないとすれば外の雨だけが相も変わらず猛威を振るっており、寧ろその横行は加速してさえ思える。自由の日は未だ遠い。

 

「……というか、じゃあ貴方いつ寝てるんです?私が見る度に起きてますけど」

「寝てるさ。まあタイミングは選んでるが、怪しい挙動は大体この耳が気付くからな。万一俺が抜けられても、外には別の仲間が数人詰めてる。だから異な事は考えん事だな」

「へー………………

 

 

 

……………わーーーーーーーっ!!!」

「ぐぎゃあああああああああ!?!?」

 

 盛大に放たれた耳元での絶叫は、エルフにとって凶器にも等しい。だから彼が虫螻よろしくのた打ち回り悶絶するのも、決して過剰な反応では無いのである。

 

「あっはっはっはっは!超おもしろーい!ざまあみろ!」

「おま、おまえぇっ、ふざけるな!洒落にならんからマジでやめろ!」

「どうした、何があった!?」

 

 阿呆騒ぎを聞き付けてか、木々の向こうから別のエルフが一人すっ飛んできた。

 

「こい、こいつが俺を気絶させて脱走しようと謀った!」

「は!?違っ、私はえっと、ちょっとその、少し童心が湧いたっていうか」

「………………」

 

 既にこの二人の喜劇役者ぶりは他のエルフらにも知れた所である。額を押さえて心底大儀そうに溜め息を漏らしてから、淡々と伝える。

 

「お前……あまり面倒を為出かすようならそこの杖、叩き折るからな…………」

「__っぇ___」

 

 顔面蒼白で沈黙した少女を尻目に、事は済んだとばかりに撤収したのを見届けて、漸く復活した監守の男が定位置に落ち着く。

 

「……と、いう訳で、何か有れば即座に他の奴らが駆け付ける。妙な気は起こすなよ」

「……最初から二人くらいで見てた方が良くないですか」

 

 気持ち萎んでいる少女の声に、男は思わず痛快と吹き出しそうになった。

 

「…………雨季は気を揉まにゃならん事が多い、お前一人相手に複数人掛かりでかまけている余裕なんざ無いんだよ。今来たのは北部の哨戒役も兼ねてるんだ」

「……もしかして」

「ん?」

 

 哨戒や門番などより会敵の機会の多い役職が存在する中、たかだか未熟な少女一人の為に付けられた、たった一人の監視。

 

「貴方って、割と下っ端?」

「なっ……」

 

 斜め上からの少女の洞察に、刹那喉を詰まらせてから。

 

「……訳、あるか!俺はその、まだ若いから、こんな出来て間も無い閑職に…………!」

「……ふへっ、そっかそっかぁ。そうなんだぁ……へぇ~…………」

「なんだその笑いは気持ち悪い!雨季も知らんひよっこ如きが馬鹿にしてんなよ!おい!!」

 

 耳から顔まで火を噴きながら男が怒鳴っても、少女は暫く気色悪いその笑みを止めなかった。

 

 

 

 そんな他愛も無いやり取りを繰り返したり、しなかったりする内、三ヶ月は矢の如く__否、牛歩の様に過ぎて行く。目覚める度に望む光景も出てくる料理も代わり映えさえしないのだから、時は金なりと言えど精々銅貨一枚になればどうかと思われるのも致し方無いだろう。

 

 それでも、雨は止む。

 

 

「貴方から見たこの村って、どんなとこ?」

 

 河の流れのそこは彼となく弱まった心地のしてきた頃、幾度見たかも忘れたその背に、そんな事を少女は聞いた。

 

「……なんでまた」

「なんとなく」

 

 此処には、少々長く居残りすぎた。

 解放された暁には一刻も早く村を飛び出してしまいたかったが、当初の目当てであった物見は結局ろくに出来ていない。他人の目を通せば、少なからずその代わりになるかと思った。

 

「……まあいいや。俺から見た、か。そうだな…………」

 

 例によって面倒を滲ませつつ、吝かでも無さげに。手に顎を乗せるのは癖なのか、暫し黙考してから、ゆっくりと語り出す。

 

「……変わらないな。不気味なくらい、変わらない。それが温かいような、或いは何処か底冷えするような、そんな感じがする」

「ふぅん」

「…………」

 

 一月前以来、何時にも増して腹立たしいくらい馴れ馴れしくなった雰囲気の少女が一変真面目な面して耳を傾けているのを内心気味悪がりつつ、男は続く口を編む。

 

「理由は単純だ。誰も変化を望んじゃない。時々村を出ていく奴はあるが、戻ってくるのは誰も居なかった。そうした事が“外”への畏れをより強くしてる。時折アンタみたいなのが来て、そういうのはブツを落としていくから拒みゃしないが、“外”との正式な交流は殆どされてない。あの行商連中なんかは特別で、此処はずっと、此処だけで育ってきた土地なんだ。エルフに生まれて、初めからよく受け入れてくれる仲間達に囲まれて、荒波の上にも引っ繰り返らない、けれどいつかは腐り落ちるだろう巨大な木船に乗っている。俺が思うのは、そんな事だ」

 

 長々と喋った後、相槌一つと返らないのにまさかと振り向いた男だったが、少女は寝入るどころか話の後を促すように此方の一点を見つめていた。

 自分では何がその気を惹くのかも分からない話を尚続けるのにやり辛さを感じつつ、記憶と句の欠片を刮ぎ集める。

 

 

「……そういう話じゃ、無いよな。じゃあ、そうだな、この村の細かい話でもするか。

 

 ……村のエルフには、一つの世帯につき、この森を覆い尽くす大木の内の一本が与えられるんだ。伐るんじゃない、それは掟で禁じられてる。じゃあ何に使うかって言ったら、住処だ。幹を抉って、その穴蔵の中で俺達は暮らすんだ。木と木の間は橋で渡されていて、地上付近がモロに水没しちまう今の時季は其処を行き来するようになってる。

 

 俺の一族の木の向かいは、薬屋の家の木だ。村でたった一つの薬屋だから、謂わば村の生命線だな。此処の一人娘は気が良くて、売り物をちょくちょく融通してくれるんだ。その次からはきっちり金を取るんで、まあ強かな奴じゃあるんだが、何分あの顔で言われちゃあな……。

 

 …………話が逸れた。その左隣にゃ、村一の力自慢の住んでる木がある。集落で3、4ぐらいのデカさの木なもんだから、ガキの頃からいっつもそれで威張り散らしてる鼻持ちならん奴さ。なまじ腕っ節ばかりは強いんで、今じゃ俺より上の……何でもない、何でもないったら何でもない。これ言ったらお前、笑うだろ!

 ……兎に角!この二人とは特に、長い付き合いになるな。……良くも悪くも……。

 

 

 家を出て、少し東に行った辺りには、服屋がある。村御用達の職人の店で、俺の今着てるこの制服も、道行くエルフが着けてる普段着も、全部が此処で織られてるって話だ。たまに繕い物を頼みに行くと、大概忙しなくしてるよ。

 

 西の外れの方にゃ、胡散臭い爺がぼろい掘っ立て小屋で護符を売ってる。戦士職を退いた男が退屈凌ぎに商売を始めるのは珍しい事じゃないが、この爺の考える事は一段分からん。眉唾なご利益を売り文句にして、耳飾りだの、腕輪だの、何だの…………作りだけはやたらめったら丁寧だから、薬屋なんか事ある毎に立ち寄っては言い包められてやがる。しょうもない…………。

 

 

 ……服屋から、更に東にずっと行くと、集落の集会場だ。此処で雨季の飯の配分だとか、村民の役回りだとかを話し合ってる。最も俺の立場じゃ大した話に混ぜてもくれんがな。……憐れむ目は要らん。

 ……その北に有るのが、村全体の食料供給を担う大農園さ。女手や子供、その他の大体が此方に回されて、途方も無い規模での耕作が行われてる。モノはいろいろ育ててるみたいだが……ナス畑の一画なんかが薬屋のお気に入りらしい。よく分からんが。

 当然此処をやられたら不味いんで、時季を問わず精鋭揃いの護衛が付いてる。この護衛隊と、村の外に繰り出す狩猟部隊のどちらかに配属される事が、村の男の誉れなんだ……」

 

 

 通して話し切ったところで、男は一息吐いた。此処まで一人で喋り倒す機会は後にも先にも無かったろうから、体は仄かに疲れを覚えていた。動かしたのは頭と口だけであるのに、この薄広がる徒労感が何処か可笑しくて乾き笑いが出る。

 

「……まあ、他にもいろいろあるが、大体はこんなところだな。つまらん話だったろう」

「ううん、面白かった。ありがと」

「…………そうかよ」

 

 間髪入れず返った声の主は、先の長話を一語一句として聞き漏らさなかったらしい。人間の理解できないツボに首を振って、男は心做し顔に籠った熱を誤魔化した。

 

 思い返せば、時の移ろいに順わぬ村の緩慢な情景は、しかしどれも優しい色をしていた気がする。

 灰色に塗された眺望より他を知らぬまま去り行く少女に、せめて同じ景色を夢想させられたなら、きっとその色合いはより深くなる事だろう。それなら、何となく男も喜ばしい気がしていた。

 

 

「……まあ、上手く行くと良いね?」

「…………出世の話か?」

「さぁ、どうでしょう」

「はあ?」

 

 

 

 去り際、どう言った風の吹き回しか、監守の男から橄欖色の小瓶のようなものを寄越された。どうも最近はよく物を貰うと、少女は首を傾げながら中の液体に瞳を溶かしていた。

 

 曰くそれは、

 

「村の女がよく使う整髪料……らしい。俺はよく知らん。やたら髪を気にしてるようだったから、まあ、餞別に一つくれてやる」

 

 だそうな。

 

「なんだ、まあ…………せいぜい達者でな」

 

 口ばかりで一向に目を合わせようともしない相手を見ながら、ふと少女は、無味乾燥とした三ヶ月半を想起していた。

 この良い想い出を微塵たりと置いて来なかった村も、いざ旅立つとなると僅か限りでも名残惜しく思えるのは、片時も除かず視界に写り込み続けたこの男の姿の為ではなかったか。

 

「……えーと、じゃあ、貴方も…………」

 

 虫が好かない相手ではあったが、散々に駄弁に付き合わせた義理はあるだろう。何かしら、気の利いた台詞でも掛けてやろうとして、

 

「…………次見る姿がまた、あのちっぽけな檻の前じゃない事を祈ってますね!」

 

 失敗した。

 

「____があぁ、貴様、言うに事欠いて最後がそれか!お前も次に来るんなら初級魔法の一つくらい覚えてから来やがれ!」

「覚えてますー!」

「うるせぇ、行くんならとっとと行けこのひよっこ魔法使いが!」

「はいはい、それじゃあねー下っ端見張り番さん!」

 

 諍いが似たり寄ったりの程度の者同士でばかり起こるのも結局、何時の世の中も同じらしかった。

 

 

 

「やれやれ、やっと厄介払いが出来たか。最初機嫌を損ねた時はどうなるかと思ったが……」

「……あ、長老」

 

 気付けば監守の男の脇には、無駄に立派な髭を蓄えた仙人の如き風貌のエルフが、細い眼で遠ざかる少女の小さな背を共に見送っていた。

 

「……長老自ら出向かれるとは、珍しい。お言葉ですが、あんな小童では村に危害なんて天地が覆っても出せないと思いますよ」

「……お主、彼奴の装備に気付かんか?」

「え?」

「……はあ、良い。それだからお主はいつまでも立身出来んのだ」

「え、何故です!?私は何か間違った事を言っているでしょうか!?」

「まず囚人相手に余計な私情を挟まん事から始めるのだな、全く」

 

 横で慌てふためく監守の男に閉口しながら、老人はその場に心有らず様で佇んでいた。

 

 

 

 雨季が明けると、嘘か夢幻のように重々とした雲は晴れ渡り、その面影を土と木々の葉、その薫りと潤いに残すのみとなっている。

 

「わあ」

 

 しかし、少女の目の前に広がっていたのは、そんな非情の気紛れの齋した壮大な爪痕であった。

 かの溢れ出た大河の奔流、その捌け口が木々を薙ぎ倒し、阻む物の無い広大な交通路を現出している。

 刹那、その光景に圧倒されてから、浮き足立って忘れる前にと立ち返り、自分の持ち物を顧みる。

 

 愛おしく両手に捉えた杖は、先端に魔力の伝導性を高める泥龍の鱗の装飾が施された唯一無二の品。これが無くては、少女の旅は始まらない。

 地龍の外殻は、心臓部を守る胸回りの防具へとその姿を変えていた。武器でも無いのに杖の次いでに押収されていたが、誰の拘りか律儀にも手入れまでされて返ってきた。それだけでも、少女の一時地に堕ちたはずのエルフへの評価はかなりの上方修正が加えられた。喉元過ぎれば恨み辛みも何処へやら、雨季でさえ無ければまた赴いてみても良いかななんて、そんな事を考えている。

 懐には、これまた取り立てられていたナイフと、そして、たった一つのお土産。

 笑みを溢す。忘れ物はどうやら、無さそうだ。

 

 

 狭い牢の中を抜け出して、砂利さえ失せた平坦な道を踏む、この上無い解放感に満たされて。

 小躍りするような足取りで、少女は彼方へ延びる大路を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 後にこの村は、翌年の雨季に某国の要人を拘束した問題が縺れ、最終的に遠征軍による攻撃を受ける。

 上流の種族は商売先の保護を名目として対立に介入し、エルフの森は三方入り乱れる泥沼の戦場と化した。

 

 村のエルフ達の行方は、終ぞ知れない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。