雨宿り   作:特遅やくも

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キノコ

 人間という生き物はどうしても、あらゆる事象を明確に区切って考えたがる。

 

 その物差しで測れる世界の内ならそれでも良いのだろうが、事移ろい止まぬ自然界に於いても何だって自分達の枡目に収めてしまおうとするのは、最早傲慢とすら言えよう。季節外れの熱波だので泣きを見るのも仕様の無い、身から出た錆である。

 

「……参っちゃったな」

 

 特に、この森の真っ只中で行き場を失い所在無く三角座りしている少女等は、全くその通りの人間であった。

 

 

 外は雨。

 桶の中身をぶち撒けたような勢いのそれは、寸分先の視認すら覚束ないような水のカーテンを作り出すまでに荒れ狂っていた。汗と湿気で服が纏わり付き、少女の淀んだ心地が余計に濁っていく。

 

 長雨が上がったのを良い事に意気揚々と森の可及的速やかな踏破に乗り出したのだが、そもそもこの辺りは元より多雨な地域。

 雨季が収束したとてその次から間を持たず快晴倒しになるはずも無しに、そこまで思考の及ばない少女の学習能力の無さは推して知るべし。かなり調子付いた行軍をしていた為に既に川の氾濫域から遠い位置に居たのは幸い、もしそうでなかったらこの時点で少女の命は無い所である。

 

 更に幸運だったのは、ぼろ家の一つとして目に付かない場所に、都合良く雨除けを見つけられた事だろう。

 

 

 赤地に、白の斑点。そんな悪趣味な模様に彩られた屋根が、否が応でも主張してくる。同じく白塗りの壁には窓はおろか扉さえ無く、匠の斬新な創意工夫に家主は驚愕の余り泡吹いて卒倒する他無い。

 

 つまるところそれは、一本のキノコ。

 この雨風を凌ぎ切るには些か心許なかったが、それでもその辺に生え散らかした木偶の坊にへばりつくよりは遥かにマシであった。

 

 

 

 先述の通りこの周辺域は湿地であり、少女の見渡す限りでもちらほらとキノコが群生しているのが分かる。

 だが少女が背を凭れるそれは、中でも他に類を見ない程に巨大だった。人の身長大もあるキノコとは、如何な環境がそうさせるのか少女にもまるで見当が付かない。結果としてそれがこうして己の身を助けているのだから、深く考えず有難がっておくことにした。

 

 

「……おお、凄いなこれ」

 

 ともあれ、この雨の止まない事には少女の旅は何一つ進まない。

 未だ記憶に新しいようなデジャヴを感じる手持ち無沙汰な時間を、折角なので少女は例の整髪料を試すのに使う事にした。キノコの傘の下に水溜まりを作り、そこに己を写しながら、髪に指を絡めて酸味ある果実の香りを馴染ませる。そこにほんのちょっと回復魔法を交えればあら不思議、外跳ねと枝毛だらけだった少女の長髪は見る者羨む艶やかなストレートへと早変わり。

 生まれてこの方まともに身だしなみを整えたりはしてこなかったから、いざやってみるとこうも心躍るものなのかと、少女は少し興奮していた。こんな事なら村で同じものを買い込んでおくべきだったかも知れない。せめてこの一本は、大事に扱う事にしよう。そんな事を考えていた。

 

 

 そして、たったそれだけでこの一面の暗灰が晴れるまでの時間を誤魔化せる訳も無く。

 再び少女は、退屈の淵に沈んだ。

 

「………………あれ、どこまでいったっけ」

 

 少女はいつの間にか、傘の裏のヒダを地道に数える作業に興じていた。

 滑らかな表面の裏側を所狭しと埋めているそれらははっきり言えば気持ち悪かったが、数え始めると意外と飽きない。牢獄での蔦の葉を指で折った日々に比べれば、まあどちらも大概不毛だった。

 

 ふあ、と欠伸を漏らす。そのまま眠りに落ちてしまいたいのは山々だったが、しかし火を焚けない現状、魔物に襲われるリスクは無視し得ない。雨季明け間も無い今は魔物の数もそれ程多くは無いようだが、身の安否にも関わる懸念は用心の上に越した事はないだろう。この雨の中を強行突破しようにも、体を壊してしまえば旅どころの話ではなくなる。要約すれば、今少女に出来る事は何も無いのであった。

 

 

 ふと、寄り掛かっていた真っ白い幹に目を向ける。

 大の男の肩幅程もあるかというそれに、一心不乱に齧り付いている虫が一匹。取り立てて注目すべくもない、ありふれた生存活動の一コマであったが。

 

(……おいしいのかな)

 

 一度そう思ってしまった途端、少女の頭の中を急速に空腹感が圧迫し始めた。思えばここ数日は歩くばかりに集中して、纏まった食事の記憶が残っていない。若き故に、気力さえあればいろいろと無理が通ってしまう。

 

 立て続けに襲い来るは、刹那的かつ不可避の欲求。それを親指程に残った理性で押し止める。

 キノコ等というのは、冒険者界隈では薬草モドキに次ぐ毒物の代表格である。森で迷い食糧も尽きかけた頃、その誘惑に掛かり人知れずも虚しい死を遂げたという悲劇の噂は枚挙に暇が無い。

 

 だが、と。

 そのなけなしの理性をすらが、少女に都合の良い推論を並べ立ててくる。

 

(でも、こいつ食べてるし……)

 

 虫だって生き物だ。どうせ食えるなら無害で美味いものを、真理である。そしてこの虫は、図らずも少女の毒味係にさせられた訳だ。

 

 一寸の虫の一寸ばかりも無い脳味噌を信じる愚考も顧みず、意を決し、ナイフで削ぎ落とした切れ端を、おっかなびっくり口へと運ぶ。

 

 

「…………あ、おいしい」

 

 或いは空腹のもたらした錯覚だったのかも知れないが、果たしてその味は、見掛けに依らず甘々としていた。歯応えある弾力、その度にまた溢れ出す深い旨味がクセになる。ぴりりとする舌触りもアクセント。さっぱりした色合いに反し、腹持ちもボリューミー。久方ぶりの美食に、思考も心なしか蕩けてゆく。

 

「お前ずるいな、こんなものを独り占めしていただなんて」

 

 すぐ横にナイフの先が走るのに、夢中にして逃げもしない虫に大して恨めしげも無く言いながら、次の一口、また一口へと手を伸ばし、赴くまま、四つ目を一頻り咀嚼し嚥下した所で。

 

 

 少女の意識は闇へと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた時、少女は、肌触りの良い柔らかな何かに身を沈めていた。

 

「ん……?」

 

 寝惚け眼の視界に写るは、知らない天井……否、天蓋のようだった。

 さてはまた、かの牢に舞い戻ってしまったのか。外への恋しさ余ってその虚像でも見ていたのだろうか。心底うんざりした所で、光を覆っているそれが淡い紫色に彩られているのに目を瞬かせる。あれは無骨な木製の檻だったような。そう思えば、今身を横たえているらしいベッドも存在しなかったはずで、ご丁寧に布団まで掛けられている。

 

 訝しむまま上半身を持ち上げると、少女の傍らに見知らぬ女が立っていた。

 

「お目覚めになられましたか」

「ぇ……?ああ、はい……」

 

 未だ覚醒し切らない目を擦る。どうも奇抜な格好をした女だ。かと思えば短く纏めた茶髪、顔は愛想の悪い仏頂面であり、人相の印象はやや弱い。装いのありふれたものなら一晩も明かせば忘却の彼方へ飛んで行きそうな風貌、実際少女にはこのような女の記憶は無かった。

 

「只今朝食を作らせておりますので、その間に身支度をお済ませください。お着替えは鏡の前にございます、お顔は此方でお洗いください」

「はぁ……」

 

 着替え、と言われた所で、今自分の着ているのが普段の旅装では無いのにやっと気付いた。やたらと布地が薄くゆったりしている、上下の繋がった面妖な服。察するに寝間着だろうか。

 脇の小机の上には、水の張られた盥が乗っている。浮かんでいるのは、慣れ親しんだ己の顔。状況がまるで理解出来ないと、何とも雄弁に語っている。

 

「では、ごゆるりと」

 

 少女が疑問を口にする前に、茶髪の女はさっさと扉を開け、一礼してから去っていってしまった。

 

「…………」

 

 添えられた水を顔に引っ掛けてみる。

 冷たかった。

 

 

 

 人三人が横並びに歩いたとして尚余りあるだろう廊下を歩く。

 あの後、素直に着替えに着手した少女だったが、いざ畳まれていた服を広げると、不可解な構造をしておりどこから手を付けたものかさっぱり分からない。十分程悪戦苦闘した後、仕舞いには朝食の完成を知らせに戻ってきた茶髪の女に着付けて貰ってしまった。普通一人で着る物では無いらしく謝罪までされたが、とうに幼児と呼べる齢は過ぎたというのに、その気恥ずかしさと言ったらない。そんな少女の心情もいざ知らずと、茶髪の女は迅速に作業を済ませ、今は少女の数歩先を先導している。

 

 

 しかしながら、と。

 

(ここ、何処なんだろ)

 

 先程から歩いている廊下には埃の断片も見当たらず、敷かれた赤の絨毯は踏んでも音一つしない。純白の壁は黄金と、蔦状に象られたレリーフによって装飾されており、絢爛豪華と言うに相応しい空間。口伝てにしか出会った事の無い、農村の外れに生まれ落ちた少女には一生涯関わろうはずも無かった世界に、視線は忙しなく動くばかり。

 大分思考は明瞭になってはいたが、直前に何をしていたかは靄掛かったように思い出せない。盗賊辺りに襲われ、気を失っている内に何処ぞの気の良い貴族の元にでも売り飛ばされてしまったのだろうか。

 

「此方です」

 

 ふと手前の女が足を止め、その先の扉に手を掛ける。

 眼前に現れたのは、滑らかな白布を被せた大型の机を中央に構えた部屋。

 その上には、これでもかと小綺麗にされた高級感ある食器の数々。更にその上にはまるで馴染みの無いような料理が、食欲を擽る香ばしい薫りを漂わせていた。

 

「茸と長芋のソテー、それからオニオンスープになります。ごゆっくりご賞味ください」

 

 異言語のような単語交じりに紹介されたそれの前に座らされると、女はまた一礼して斜め後方に居残った。そこから眺めているつもりだろうか。

 その視線と少女一人には不自然なまでに広がる机上にやり辛さを感じつつも、慣れない手付きで食器を弄り、一口目を吟味する。

 

「……おいしい…………!」

 

 一度そう知れれば胃袋は正直なもので、少女は皿の中身を忽ち空にしてしまった。

 用済みの食器を皿に無造作に置いたところ女に苦言を呈された。食事一つするのに堅苦しい所だった。

 

 

 

 食後、例の女が横に出てきては、懐から紙束のようなものを取り出して覗きつつこう告げてきた。

 

「この後、お嬢様にはお父上と共に、伯爵家主催のパーティーへご出席頂きます。今からご用意の程を」

 

 少女にとっては余りに唐突な話だ。平民上がりの淑女擬きがいきなり家長に伴って名家の社交場にしゃしゃり出る等、普通の感性ではまず考えられまい。

 だが、少女の引っ掛かりはそこではなく、また別の箇所に向いていた。

 

「……お父様……が、いるんですか?」

 

 自分で放ったはずの台詞をしかし頭の中で反芻する度、それは否定されるべき文言であるという確信ばかりが渦巻く。だって、自分の父は、あの時___。

 

 この場に於いてそれは不自然な問いであったはずだが、女は暫し黙したのみで、奇妙な顔一つとせず淡々と答えた。

 

「此方にはおられません。パーティーの前準備の為、早朝に先方の元へと向かわれました」

 

 それを聞いた少女は嬉しいやら、寂しいやらが混在した感情に絡み取られた。

 父となる人物は、いるのだ。

 そして彼は、既に此処には居ない。

 

「……ありがとうございます」

 

 自分でも無理しているのを分かっているつもりで、少女は柔らかく、微妙な笑みを浮かべた。

 

 

 出立の前、自分は屋敷に残るという女に、もう一つの疑問に答えて貰う事にした。

 

「私の……お母様は、どちらに?」

「……後宮にお住まいです。お嬢様とお顔合わせする事は、基本的にございません」

「……そうですか」

 

 再度感謝を言うのも忘れ、少女は俯き加減に馬車へと乗り込んだ。

 

 

 

 がたごとと小気味良く音を鳴らし蒼天の下砂利道を往く馬車、その窓から顔を乗り出し振り返った先にあるのが、先程まで少女の居た屋敷であるとは、彼女には到底信じられそうも無かった。廊下にしても階段にしても規模が段違いだとは思っていたが、まさか、ギルドの三階建ての本部を一段更に上回るとは。そこに金細工に庭園も付いてくるのだから、建築費用に関しては比較するも馬鹿らしいだろう。

 是非自分をちみっ子と散々コケにしてふんぞり返っていた本部の冒険者連中に見せてやりたいと思って、売られた身分で何の意趣返しにもならない事を直後に悟った少女は、一人勝手に落胆した。

 

 しかし、乗り心地の良い馬車だ。街を行き来する乗り合い馬車には何度か乗ったが、此方は屋根で雨風を凌げる上に馬の蹴り上げた小石も飛んでこない。

 何より、揺れが小さいのはこれ以上無い程の利点だろう。この世界の乗り合い馬車は移動の時短を重視しているのも有るが乗り手や馬もそれ程熟練していない場合が多く、そういう時は荷台の方も大概ろくに点検されないので、馬と車輪と荷台が大きく、かつそれぞれ食い違った揺れ方をするのだ。幸い少女は酔いには強い方だったが、真横で名も知らない無精髭らの顔面蒼白を視界に収め続けるのは、何れにせよ良い気分ではない。

 

 速度という点に関してだけ劣っているとは言え、性急さはその分だけ心から余裕を奪うものだ。たまには、こうしてゆっくり揺られるのも良い。

 この見も知らぬ地に来てから一番落ち着いた心持で、少女は外を流れる草花の色彩に顔を綻ばせていた。

 

 

 

 そうして連れて来られた場所。

 そこもまた、先刻の館に勝るとも劣らぬ豪邸であった。

 

「貴女が男爵のご息女でございますか。私は南西領の___」

「は、はぁ。どうも…………」

 

 立食の形態が取られた此度の宴では、如何にも高貴なご身分をしていると見える人間が彼方此方で輪を作っており、その一部は少女の元にもちょくちょくと集まっていた。何かを言い含められているのか深入りはしてこない分まだ良いが、この手の干渉を遇う術を知らない少女は終始たじたじである。テーブルクロスに所狭しと並べられた料理に手を出す暇も無い。

 

「いやぁ、この度地方の領主から、豊作だったというキノコが過量に納められましてな。代わり映えこそしませんが、趣向は凝らさせましたので、是非是非ご賞味あれ」

 

 関心も無く八割を聞き流した主催のカツラの目立つ男の話では、そんな事を言っていたような気もする。

 

 その甲斐性の無さそうな面をした男は、もう一人の壮年と思しき男と雑談する最中であった。

 高い背格好に、さざめく麦畑を連想させる髪。そして、仄かに年季を滲ませつつも整った目鼻立ち。

 

 

 周囲の雑談から齋された、その男こそが己の父親であるという事実を、少女は存外小さかった驚愕と、同時に溢れた寂寥と共に受け止めた。

 

(やっぱり、私のお父さんじゃない)

 

 とは言え、予想出来ていた事ではある。やはり彼は、少女を引き取っただろう養父の男なのだろう。そこに如何なる勘定や思惑が有ったかは知るべくも無いが。

 その様子を眺めていると、ややへり下った調子の仮の父は、主催の男よりも格は落ちると見える。少女の身分で情けないと唾棄は出来なかったが、格好良くは無かった。

 

 

「__ちょっと、貴女!」

 

 そんな名も知らない義父の姿を窺う内、周囲への注意が疎かになっていたらしい。

 

「私の声が聞こえないの!?耳は通っておいでかしら!」

 

 目前で高慢ちきな女が声を荒げているのに、気付く事が出来ていなかった。

 

「はん、この私が直々に声を掛けて差し上げていますのに、無視されるとは。辺境貴族らしい実に高等な教育を修められているようにお見受けしますが」

 

 漸くと目が合ったのを皮切りに放たれた剥き出しの皮肉に、取り巻きらしい複数から失笑が漏れる。既に家の面目なぞ知らぬ存ぜぬと開き直ってしまっていた少女は、大して憤りもしなかったが。

 それよりも、彼女の山の様に巻き上げられた金の後ろ髪、その奇怪な髪型に思わず吹き出しそうになるのを堪えていた。あれに火属性魔法が掠りでもしたらどうだろう、文字通りの灰被りだ。顔立ちは端麗なのだから、変に目立つ真似をしなくても良さそうなものだ。

 彼女こそが主催の貴族の娘であるのを少女が知るのは、パーティーの終わる後である。

 

「お屋敷の中でならそれで良かったのかも知れないけれど、ここは社交場。相応のマナーは弁えておくのが将来の為というものですよ」

「…………将来」

 

 その一語が再び、少女を煩悶の沼に引き摺り込む。

 曲がりなりにも貴族の娘となった己の将来とは、何だろう。この場に於いてもその予想図は頻りに語られている。即ち、政略の手札。そしてそれはあたかも、彼女らにとっての幸せでもあるかのように。

 あの何にも縛られない気儘な旅程は、最早、手にも届かないのか。

 

「……冒険者に戻りたい」

 

 つい、願望が口から漏れた。

 

「冒険者ぁ?」

 

 わざとらしく目を見開き仰け反った娘が、続けて堰を切ったように笑い出す。

 

「あっははははははは!成程、そういう事でしたの!確かにあの野卑な冒険者を目指す上なら、貴族の作法は不要ですわね!ごめんあそばせ?」

 

 やはりそれは、望まれた道ではない。目に見える形で示された現実に、少女が悲嘆に暮れる事は無かった。それ以上の感情が、胸中を満たし始めていたから。

 姦しい女だ。高々と声を上げるばかりに、歓談していた貴族達までもが目を丸くして此方を見ている。この人間達の前で、己の生来の憧憬を、公然と嘲られたのだ。

 

 

「…………ええ。……私の望む先は、其処にしか無いんです」

 

 静寂の中を響いたように錯覚されたそれは、抉るような視線と共に、貴族の娘を震わせた。

 

「………………」

 

 ただ一点を睨む影差した瞳に、息を呑む音がする。宴の場に相応しない立ち込める不穏な空気に、貴族達はおろおろと手を拱いていたが。

 

「……そ。そこまで言うのなら、貴女の望むままを貫く事ですわね。誰にも理解はされないでしょうけど、お情けに口添えくらいはしてあげる」

 

 その声色は、妙に優しげなものだった。

 

「では、私は忙しいので、これで」

 

 自分から話し掛けた癖にそれだけ言い残し、取り巻きを率い立ち去る娘。その背中を少女は、言葉無く見送るしか出来ない。

 ふと向けば、かの養父の男が此方を見ていた。今のやり取りが、都合良く目に入らないとは思わないが。

 

 

 それ以降も養父と口を交わす事もなく、パーティーはお開きとなった。結局、料理には口を付けられないままだった。

 

 

 

 少女に、花への造詣は無い。

 上流階級の文化では花の種類毎、その色の一つ一つまでに細かな意味を持たせているとは聞いた事だけはある。それに精通していたなら或いは、この美しい庭園を今以上の感動を以て迎えられたかも知れないと思うと、少し勿体無くも思えた。無論この様なものを間近に出来るだけで、木っ端冒険者だった少女には幸運でしかないのも理解しているとはいえである。

 外廊下から眺める緑の煌めきは、しかし少女の憂鬱を晴らすに足らなかった。

 

 

 帰る馬車も別であったらしく、養父の声は未だ一度たりと聞かれていない。パーティーに於いては終始、主催の男のご機嫌取りに徹していたらしい彼。少女の起こした軽い悶着も、どうにか誤魔化したようであるが。

 

(やっぱり、所詮、私は)

 

 駒でしかない。そこに言葉は要らなく、有るべきは意のままに踊る傀儡人形。

 思いの外、落胆していた。無色透明の希望は、何を根拠に抱いていたのだろう。それが許される人間である訳も無いのに。半端に上辺だけを繕われるくらいなら、これだけ一貫していれば、いっそ清々しいかも知れない。強がる心は汚泥のよう。

 

「……お嬢様、お加減はよろしいですか」

「わっ」

 

 陰から然り気無く現れたのは、例の女。その役職がメイドと呼ばれているのはついさっきの宴会で知っていた。

 

「失礼、何やら顔色のよろしくないようでしたので」

「あ、あぁ…………いえ、その、大丈夫です」

 

 誰が捉えても苦しい答えだったが、メイドは深く詮索せず一言そうですか、と呟いた。それが有り難いような、冷たいような、少女には分からなくなっていた。

 

「夕食の用意が出来次第お知らせ致しますので、それまではご自由にして頂いて構いません。暫く庭園におられますか?」

「ええと……うん。そうしよう、かな」

「承知致しました。お手洗いはあちらにございます、その他何か御用がございましたらお近くの従者にお知らせください。ではまた後程」

「あ……その、待って!」

 

 一通り話した後、機械のように辞宜し去ろうとするメイドを、少女は衝動的に呼び止めた。返す足を止めたメイドは振り返り、若干にその薄い眉を上げる。

 咄嗟に引き留めながら特に次を考えてもいなかった少女はああ、えっと、等と口籠った後、やがて一つの質問を絞り出した。

 

「……どうして、私によくしてくれるんですか?」

 

 一連の仕草を表情一つと変えず見ていたメイドは、その問いにも、相も変わらない仏頂面で毅然と答えた。

 

「それが、私の仕事です」

 

 

 仕事。

 仕事でなかったのなら、どうしたと言うのだろう。

 

「失礼致します」

 

 この広い屋敷の中に、少女の身の置き処は、何処にも無いような心地がしていた。

 

 

 

 二度目の食卓はしかし、気まずい空気が席巻していた。

 

「キノコとベーコンのスパゲティーです、ごゆっくりお召し上がりください」

 

 またも少女に聞き馴染みの無い語句を冠した料理も、まあ美味そうではあった。しかし朝昼晩とキノコ料理ばかりが供出されているのは何かの偶然だろうか。近隣の領地で豊作だったと言うし、この屋敷でも持て余しているのかも知れない。何処か記憶に引っ掛かりを感じたが、それが何かまでは思い至らなかった。

 

 そんな事がどうでも良くなる程には、少女が直面していた問題は深刻だったのである。

 

「……やあ、娘よ。食べないのかい?」

「あっ、いえ!頂きます……!」

 

 テーブルを挟み、向かいの席に座すこの男。

 その正体は、述べるまでもない。

 

「……それはね、こうやって巻いて食べるんだよ」

「あ……!す、すみません!」

「はは、良いさ。謝る事は無いだろう」

 

 紐状の細い料理に用意された食器が刺さらず四苦八苦していた所、見かねた相手から助け舟を出されてしまった。どうも此方に来てこの方、恥の掻き捨てをしている気がする。

 

「…………」

 

 男は少女の食事を不気味な程穏やかな顔で見ていた後、自分ものんびりと食事に着手し始めた。

 

「おまえは今年で、十三になるのだったかな」

「え?あぁ……」

 

 前触れも無く問われ、要領を得ない返事が出る。少女が年齢を顧みるのは、久しく忘れていた事だった。当人ですら朧気なのを何故彼が把握しているか、定かでないが。

 

 少女の目元が刹那、暗く陰った。

 あの旅立ちから既に、二年にもなる。

 

 

「そうか……」

 

 聞いてきたはずの男はしかし呟いたきり、浮かない顔で物思いを始めてしまった。

 

 

 沈黙が漂う。

 赤の他人だったはずの、しかし今となっては一番近くあるこの男の前で、何を語れば良いのか。

 少女はその導を、何一つ見つけられないでいた。

 

 

「……我が娘よ」

 

 口を重く閉ざした少女よりも先に切り出したのは、男の方。

 

「…………昼に言っていたのは、本当かい」

 

 そしてそれは、少女の予期していた質問だった。

 道を外し、身不相応の迷妄を語る者は、然るべく咎められるのだろう。糸の切れた人形は、要らない。

 

 それでも、己までを欺けない少女は、答えの代わりに深く頷いた。

 

「…………そうか」

 

 額に拳を当て、男は黙り込む。

 その口から如何に非情な言葉が吐いて出るか、少女は戦きながらも、身構えた。

 

「…………おまえは昔から、魔法に夢中だったものなぁ」

 

 果たして継がれた台詞は、少女に一滴の疑念を垂らした。

 

 この男の懐古する昔とは、何だ?

 この男は私の、何を知っている?

 

「……冒険者とは、死と常に隣合わせの、危険な職と聞く。大半はその日暮らしに近く、食い扶持を稼げる保証も無い」

 

 困惑する少女を構わず言った男は、食器を置き、その瞳の一点に向き直る。

 

「それでも、おまえは、往くのか」

 

 

 その真意は、量りかねた。

 少女の覚悟を問うているのか、遠回しに諭そうとしているのか。少なくともそれは、肯定的なものでは無いだろう。貴族、そして、親の立場としても。

 

 

 それでも。

 少女の希った夢は、今までの一度も、揺らいだ事等無い。

 

 

「……はい。それが、私の誓った道です」

 

 

「…………そうか」

 

 男は表情を固めたまま、動かなかった。

 怒号、剰え手を上げられる事すら受け止める心積もりでいた、少女には。

 

 次に浮かべられた、ごく僅かの哀愁を入り交ぜた男の笑みは、暫く、理解の外にあった。

 

 

 男はおもむろに立ち上がり、少女に歩み寄ってくる。

 

「おまえも、大きくなったのだな」

 

 華奢な身体を包んだその温もりが、抱擁であると少女が認識するのに、些かの時間を要した。

 

 少女の知らない、感覚だった。

 

「おまえの歩もうとするその道はきっと、苦難と共にある。ただ険しいだけでなく、時に、行く手を阻もうとする者も有るだろう」

 

 少女の眦が、微かに濡れる。

 

 想起されたのは、あの龍の家族。

 打算や理屈の無い、あの和やかな関わり合いこそが、親子の理想を象った姿であるなら。

 

「それでも、時には道端に座りながら、真っ直ぐに進むといい。信じて歩む道なら自ずと、何処へだって続く」

 

 彼は、義理や名目の上での、養父ではなく。

 本当の意味での、父親であろうとしているのではないか。

 

「私は、応援しているよ」

 

 

「…………はい、ありがとうございます。……お父さん」

 

 少女が人をそう呼ぶのは、彼女にとって、二年ぶりのことだった。

 

 

 その後の食事は、滞りなく終わった。

 始まった頃の居たたまれなさが嘘のように、少女とその父親は談笑に花を咲かせさえした。昼の貴族達の反応を思うに、偏見も持ち合わせているだろう冒険者や魔法の事について、父親はよく尋ねてくれた。自分の好みの話なので少女も嬉々としてつい柄にも無く話し過ぎたが、父親は嫌な顔一つせず耳を傾けていた。

 

 その父に促された為に、少女はメイドの案内の下、浴場へと移動している。

 

「お父様があんなに優しい人とは、思いませんでした」

「お父上は、ご家族と共に囲む食卓を、日々楽しみにされていらっしゃいます」

「へぇ……」

 

 そんな会話を、道中に挟みながら。

 

 

 そうして招かれた浴室の前。

 脱ぐだけなら一人で出来ると言い切ったものの、案の定と手間取った少女は、結局これを見越し待機していたらしいメイドに助力を乞う羽目になった。

 顔から火が噴き出そうだった。

 

 

 

 熱を孕んだ水底に沈めば、溜め息が出そうなまでに、心も身体も解けていくよう。

 湯気立つ水面の下には、少女の肋骨が浮くまでに貧相な肢体が揺れていた。お陰で装備を仕立て直す事は滅多に無いが、それでもギルド本部に駐在する受付嬢のそれくらいのものが有ったなら子供扱いもされないのにと、少女は淡い水月を撫ぜた。

 

 壁を全面、浴槽までもを天然の大理石に由来した浴室は高級感に満ち、極め付けは魔物を彫った黄金像。上下に割れた口から定期的に溢れる湯水も、魔法の一種だろうか。あらゆる部分に少女の関心が掻き立てられる。

 冒険者に限らず、この世界の人間のほとんどに於いて、湯船に浸かるという文化は存在しない。貴族の間ですら、この規模の浴場を個人的に所有するというのは珍しい事らしい。何だか生まれ変わった気分がして、少女は頬を火照らせていた。

 

 肩までその熱りを享受しながら、先刻の父親との会話を回顧する。

 

 

「あと一年したら、おまえを魔術師学校に入れようか」

「えっ」

 

 思わず声を漏らして見上げた先、父親の苦笑いがあった。おずおずと下を向いたのが、今でも思い返すと顔に熱が篭る。湯気のせいだろう。

 

「本当は今の家庭教師が発ったら、貴族学校に入れようかと思っていたんだがね。それは、時間の無駄だろう?」

 

 かつて描いた空想のような話である。

 少女の家はさして裕福でなく、昼の娘はああ言ったが、人の教授なんぞは両親以外に受けた事さえ有るかどうか。その為魔法も大部分を独学で会得したものだ。それを確立された知識と技術として得られるなら、それ以上の事は無い。

 

「……いいんですか?」

 

 同時に、虫の良すぎる話は、逆に少女を不安に駆らせた。父親の話に則れば、自分は彼の描いていた将来像を台無しにしてしまった事になる。

 

 父親は、しかし、何でもない様子で微笑んでみせた。

 

「おまえのため、だからね」

 

 すぐに己を恥じた。

 言葉通り父親は、少女の選ぶ道程を、献身的に均そうとしてくれている。そこに心慮を挟むのは、いっそ失礼に思えた。

 

「……はい!ありがとうございます!」

 

 

「……えへへ」

 

 弛緩した心地と多幸感に、少女はゆっくりと身を委ね続けていた。

 

 ちょっとばかり逆上せた。

 

 

 

 入浴後は、そのまま就寝するのがこの家の習慣らしい。

 脱衣所には用意良く、今朝方身に着けていた寝間着が畳まれていた。今度は一人で着られた、ただのネグリジェなので当然である。

 

 その就寝までには、いくらかの自由時間がある。

 折角なので少女は、自分の部屋の扉を目印に来た道を外さない程度の探索をする事にした。奥へ奥へと好奇に忠実に進めば歯止めが利かなくなりそうなので、まず近場にあった両開きの扉に手を伸ばしてしまう。

 

 ぎぃ、と重い音を立て、少女は開けた空間へと出た。

 燭台に火は灯っていなかった。家具の類いは少なく、個人の生活空間では有り得ない。バルコニーとを隔てる巨大な窓越し、ワインレッドのカーテンに縁取られた宵闇の月明かりだけが、部屋を静かに照らしている。

 

 その中央に、荘厳と佇む、物体があった。

 

(……なんだろ、これ)

 

 四足で鎮座するそれは机に錯視されたが、それでは棒を支えて開きっ放しの蓋の用途に説明が付かない。蓋の中の収納は大した物も無く、代わりに複数の糸が整然と張られており、それに触れるのは躊躇われた。

 何より首を傾げたのが、その反対側を上下二段に大量に敷き詰めた、黒塗りの木材。一つ一つはいつかの観光で古跡に訪れた際見かけた、感圧式の罠の形骸に雰囲気は似ている。

 

 結局湧き上がる興味には抗えず、その内の一つに指を落とす。

 

 

「きゃっ!?」

 

 大仰に飛び退いた。

 木材が沈み込むと同時、物体がいきなり、何とも付かない音を立てたのだ。

 

「…………?」

 

 対侵入者用の罠か、しかしそれを喚起するには音が弱すぎる。そもそもこれ程露骨では、手を触れる者なんぞひよっこの間抜けでも無ければ居るまい。

 疑問を顔に貼り付けたまま、それ以外に何も無いと判断した少女が、次の部屋の物色に掛かろうと踵を返した先。

 

「チェンバロに、ご興味がお有りですか」

「うわっ」

 

 蝋燭の火を片手に石のような表情を灯していたのは、最早恒例のメイドだ。毎度の如く音も無く出現するので、暗殺者か何かかと疑ってしまう。

 少女が迷わないよう後を着けていたというメイドが、チェンバロと呼ばれた物体の横まで摺り足で歩いてくる。とても余計なお世話だと啖呵は切れなかった。

 

「これは半年前、ご主人様……貴女のお父上が、行商から購入されたものです。以来触れられる事は然程ございませんが、時折思い出されたように嗜まれます」

「それ、何なんですか?」

「楽器です」

「楽器」

 

 少女の記憶の中の楽器とは、吟遊詩人の持ち歩く笛や弦楽器のようなものだ。この様な斬新な形状をしたのは、全く飲み込み難い。そう考えるとあの糸は、弦と同じ役割を果たすものなのか。

 

「……実は私にも、多少ですが、心得がございまして」

 

 ふと、いまいち歯切れ悪く、メイドが句を並べる。目は少女から逸らされ、遠慮がち、深掘れば恥じらいがちに見えなくもない。表情は平常通りの無で、確証はまるで得られないが。

 

「……よろしければ一曲、お聞かせしましょうか」

 

 或いはそれは、彼女の従者としての自覚が取らせる、不器用な距離感なのかもしれないと一瞬、少女は思った。

 

 

「……おねがいします!」

 

 その顔が、ほんのちょっぴり、綻んだ気がした。

 

 

 

 部屋に椅子はチェンバロの脇の一つのみだった為、自分の部屋からもう一つ都合して腰掛ける。

 同じく椅子に浅く座したメイドの姿は、夜空を背景に影となり、それだけで芸術的にも感じられた。

 

 これから奏でられるのは、雨が題材にされた曲だと言う。此方に来てもまた雨かと、少女はやや辟易して顔を顰めた。

 

 

 またとは、何だ?

 

 

 意識の混濁を起こした少女を意に介す事無く、メイドの細い指が鍵盤へ臥せられる。瞳は閉じられたまま、瞼の裏に譜面が焼き付けられているかのように、一切の迷い無く、優美な旋律が紡がれていく。

 

 何かが、違う気がした。

 雲行きの怪しくなるような場面は有るが、これは、雨ではない。

 それと言うには、あまりに、情緒的過ぎるようで___。

 

 

 途端、空が暗雲に閉ざされた。

 

 

 等間隔で刻まれる八分が、絶え間無く零れる雨垂れを思わせる。微妙に移ろい続ける低音は、迫り来る嵐を予感させて。

 

 そしてその訪れは、唐突に。

 稲光のように、一杯の感情を以て、その両手が突き落とされる。

 二十七小節は、嵐の前の静けさに過ぎなかったのだ。

 

 

(ああ)

 

 

 それは、間違いなく、雨の音だ。

 

 そしてそれを手掛かりに、少女の脳裏へと、遠ざかっていた記憶が蘇る。

 

 

(そうだな)

 

 

 気付けば雨が、通り過ぎていく。

 荒れ狂う森の情景が、木漏れ日を纏った、本来の姿を取り戻していく。

 

 

(帰らなくちゃ)

 

 

 人影が終止符を静めるのを、見届けたのが最後。

 

 

 少女は、夢から醒めた。

 

 

 

 

 

 

「ひゃっ」

 

 少女が目覚めて最初の感触は、頬に落ちた水滴の冷たさだった。

 

「ん……」

 

 何か、とても長く、不思議な幻を見ていた気がした。

 未だ覚醒し切らない目を擦る。自分は、何をしていたのだったか。

 

 見上げた空を覆ったもので、漸く思い出す。まんまとこのキノコの毒にやられ、昏倒していたのだ。落ち着いて鑑みればこれ程あからさまな色合い、疑いの余地しか有るまいに。いくら何でも浅慮に過ぎて、涙すら出てくる。

 

「……お前」

 

 もたげた顔を落とせば、偉大なる先駆者である彼が、仰向けにして同じく眠りに就いていた。

 今は過去の失敗の上に立つ。きっとこの虫の尊き犠牲は、少女の生きる知恵の糧となった事だろう。時既に遅すぎる気もするが。

 

「……ん?」

 

 そして少女は、見つけた。

 見つけてしまった。

 

 その虫の更に奥、既に事切れている、一回り大きなもう一匹。

 その腹部から、先端を覗かせる、赤地に、白の___。

 

 

「……………………」

 

 

 ありったけの解毒魔法で、どうにかなるだろうか。

 身体中の寒気に打ち震えながら、少女は再び、風に吹かれるがままの旅路へと就いた。

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