炎に捧ぐ   作:ふみどり

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生命を想う

 俺は、その我がままとも言える願いを、自分に許すことにした。

 

 

 ***

 

 

 瑞代時永は、とにもかくにも言葉では説明しがたい人間であった。

 短く揃えられた黒髪に涼やかな目元、あまり焼けていない肌に散るそばかす、感情の起伏は乏しいがときに微笑むように口元を緩め、口数は多くないが少なくもない。率直な物言いを好むが、一応ひとを気遣う努力は見せる。頭を使うのは嫌いだと言うわりに、それが苦手なわけでもないようだ。どちらかというと達観したものの見方をするくせに、剣術となればまるで子どものようにはしゃぐ。

 俺が今まで会ったことのなかった類のひとであるためか、時永といると気付かされることが非常に多い。たまに考えが違いすぎて戸惑うことはあるが、それでも時永と話すのは心地よかった。

 

「良い月夜だな!」

「また来たのか」

 

 呆れたように言われるが、なに、照れ隠しなので気にすることはない。鬼の討伐の先を越されたあの晩から、俺は足繁くこの山奥に通っていた。少し遠いが、その距離を走るのも鍛錬と思えば苦ではない。

 何より、俺の身近に、俺と実力の近い者は時永をおいて他にはなかった。父上が稽古をつけてくださらなくなってからはひとりで鍛錬を積んでいたが、相手がいるに越したことはない。時永もそれは同じなのだろう、口ではいろいろと言いつつも、本気で俺を追い返そうとしたことはなかった。

 

「さあ、今日は俺が一本を取るぞ!」

「いいや俺だ」

 

 そうだ、あの頃はまだ木刀で手合わせを行っていた。その辺の棒切れを振り回す時永を見るに見かねて、稽古に使っていた数本を差し入れたのだ。当時の時永は今よりさらに表情に乏しかったが、木刀を見たときは本当に嬉しそうに目を輝かせていて、いかに剣術が好きなのかが伝わってきた。

 それほど好きなのならば剣で生きればよかろうにと、そう思って何度も鬼殺隊への入隊を勧めたが、返ってくる言葉はいつも「否」だった。

 

「剣術は勉学に支障をきたさない範囲でと決めている」

「むう! もったいないな!」

「そうでもない。俺は剣は好きだが、剣でひとを救いたいとは思ったことがないからな」

 

 時永のその言葉に、とくりと俺の中の何かが動いた。

 

「……そうなのか? 強き者は弱き者を守るべきだろう」

「……そうかもしれない。けど、たぶん、剣だけじゃないだろ」

 

 時永は、深く考えるのを好まないという。だから、思ったままを言葉に乗せる。飾り気のない直線的な、まるで時永自身を表すような彼の言葉は、いつも俺の心にまっすぐに飛び込んでくる。

 俺の反応など構うことなく、時永はそのまま言葉を続けた。

 

「強さも、守る方法も、剣だけじゃない」

 

 時永のお父上は、政府に務めているという。勉学に勤しむなかで、ほんの少しだけその重みを理解したと、時永がこぼしたことがあった。

 多くの民に安寧を。誰もが等しく手をさしのべられる世を。それをつくるために、誰かがやらなければならないことなのだと。時永はそうは言わなかったが、それを理解したときにきっと思ったのだ。ならば自分がそれをやるのも悪くない、と。

 少し考えて、俺は大きく頷いた。

 

「…そうか。そうだな!」

 

 それが時永が選んだ道なのなら、これ以上言うべきではないのだろう。口惜しい思いはあるが、友ならばやはり応援をするべきだ。

 

「よし時永、もう一本だ!」

「ん」

 

 時永は強い。それは、決して剣術のみの話ではなく。そんな友をもつことが出来たこと、その幸運を、俺は心から喜んでいた。

 

 

 ***

 

 

 ある鬼殺の仕事を終えてご報告を申し上げると、最近とても調子が良いようだねとお館様にお褒めのお言葉を賜る機会があった。確かあれは、炎柱の地位を賜ってすぐのことだったと思う。

 目標としていた地位に手が届き、しかし変わらぬ父を見て己の無力を痛感したころ。されど時永の珍しい気遣いを得て、やはり俺のやるべきことは変わらぬと奮起していたころのことだった。

 

「有難きお言葉です! 今後も炎柱として精進して参ります!」

「うん。……炎柱になってすぐのころは少し落ち込んでいたように見えたから、少し心配だったのだけれど」

 

 無用な心配だったようだね、と微笑むお館様に、自身の至らないところを悟られていたことを恥じる。いくらお館様が聡いお方と言えど、何たる不覚か。

 

「ご心配をおかけするなど、一生の不覚! 申し訳ございませぬ!」

「何を言うんだい、杏寿郎。わたしが君たちを心配するのは当たり前のことだよ」

 

 そうして伸ばされた手は温かく、俺の髪を優しく撫ぜた。この方の声は、手は、いつも真綿のように心を包んでくれる柔さをもっている。そして何故だかそれには抗えず、抗おうとも思わなかった。ほかの者の手であれば気恥ずかしさもあってとても受け入れることは出来ないが、この方の手だけは別だった。

 

「君の沈んだ心を浮かせるような良いことがあったんだね」

 

 いつも頑張っている君に幸いがあったようで嬉しい、と本心からそう思ってくださることは伝わってくる。知らず、俺の口は「是」と答えていた。

 

「良い友人に、恵まれたのです。お館様」

 

 お話を聞いていただけますでしょうか、と不躾にも言ってしまった俺に、お館様は嬉しそうに頷いてくれた。

 

 

 *

 

 

 時永との出会い、彼と話したこと、交えた剣。話せど話せど話は尽きず、時永と過ごした時間の長さ、その時間の濃さに自分でも驚いた。確かにもう長い付き合いになりつつあるが、こんなにも話が尽きぬほどに良き時間を過ごしていたとは。

 

「ふふ、話は尽きないね」

「……お時間を取らせてしまいました! 申し訳ございません!」

「構わないよ。とても楽しかった」

 

 気づけばずいぶんと話し込んでしまった。お館様のお身体を思えば手短に済ませるべきところを、夢中になって話し続けるとは何たる不覚。よく時永にも「何で刀を持ってないときのお前はそんなにポンコツなんだ?」と心底不思議そうに言われるが、こういうところを指して言っているのだろう。

 変わらず穏やかに微笑むお館様の懐の深さに、俺は感謝をしなくてはなるまい。

 

「瑞代、時永くんか。……杏寿郎、今日も彼のところへ行くのかい?」

「は、そのつもりでおります」

「そうかい、じゃあ……」

 

 私も、連れて行ってくれないかい?

 さらりと告げられたお言葉に、思わず驚いてその瞳を見返す。優しく細められた眦には、ただ慈愛のみが込められていた。

 

「君の友人に、会ってみたいんだ」

 

 俺は自分でも気づかぬうちに、首を縦に振っていた。

 

 

 ***

 

 

「彼は、とても聡い子だね」

 

 時永のもとを訪ねた帰り道、お館様は時永のことをそう評した。日頃から「考えるのは嫌いだ」と公言して憚らない時永に「聡い」という言葉はどうも似合わない気がしたが、お館様が仰るのならそうなのだろう。そうお思いになりましたか、と相槌をうてば、お館様は穏やかに頷いた。

 

「きっと彼は、自分で思うよりもずっと多くのものを見ているし、考えている。けれど、それによって自分が振り回されるのが煩わしいのかもしれないね。だからあえて眼を閉じて、何も見ないようにしている」

 

 そんな気がするよ、と言われて、少し考えた。

 確かに時永は、決して馬鹿ではない。考えるのが嫌いだとは言っても、一を言えば十を理解してくれる察しの良さを持っているのが時永だった。

 そうなのかもしれない、と改めてお館様の慧眼に感服する。たった一度の対話で、お館様はそれを理解してしまわれたのだ。さすがはお館様、と思わず口に出すと、お館様はゆっくりと足を進めながら、おかしそうに仰った。

 

「何を言っているんだい、杏寿郎。彼の眼を開かせたのは、きっと君なのだろうに」

「……俺が?」

「杏寿郎が言ったんだろう? 初めて会った頃の彼は本当に、剣術のことしか頭になかったと」

「確かに申し上げました」

 

 鬼を前に、ただただ楽しそうに棒切れを振るっていた時永。そこには死への恐怖も、鬼への嫌悪もなく。倫理も道徳も飛び越え、純粋に剣術を楽しむ少年がそこにはいた。

 俺はそんな時永を見て、ほんの少しの羨望と、恐怖に似た感情を抱いた。鬼を殺すことでなく、剣を楽しむことを目的とする時永の強さを、俺は危うくすら思った。彼を鬼殺隊に勧誘したのはもちろんその腕を買ったからだが、彼がその力を誤った方向に発揮しないように、という理由がなかったとは言わない。

 しかしいつからか、時永の危うさは消え失せていた。剣術を楽しむことは変わらずとも、時永が道を外れることは、きっとありえない。今の時永を見ていると、そう自信をもって言える。

 

「きっと彼は、少しずつ学んだのだろうね。勉学に励む中からも得たものはあっただろうし、何より傍には君がいたのだから」

「お言葉ですがお館様、俺はただ時永とともに鍛錬をしていただけです」

「うん。彼は、自分と並ぶ強さをもつ君が、弱きひとびとを守るために剣を振るっていることを知った。剣術を楽しむ以外にも、剣を振るう理由は在る。彼はそれを、君を通して学んだんじゃないかな」

 

 お館様の眦は、どこまでも柔く、優しい。その瞳の深い漆黒はどこまでも慈愛に溢れ、何故だか俺はお褒めの言葉を賜っているように感じた。お館様は、時永の話をしているだけなのに。

 

「彼は、眼を閉ざすことをやめた。己という刃を、誰かを守るために振るうことを選んだ。彼の心に炎が芽生えたのは、きっといつも自分の傍らに、燃え盛る炎があったからだよ」

 

 お館様の仰ったことを、頭の中で反芻する。

 

「……申し訳ありませんお館様、よくわかりません! 不甲斐ない!」

「ふふ、杏寿郎には近すぎて見えにくいのかもしれないね」

 

 つまり杏寿郎と時永くんは、とても良い友人だということだよ。

 お館様は、改めてそう仰った。それについて一切の異論はなく、俺も腹の底から同意をした。さほど大きな声を出したつもりはないのだが、つい腹に力を入れすぎたらしい。寝ぼけていた烏が枝から落ちかける。慌てて羽を広げて体勢を整えた烏に、思わず笑った。

 朝焼けに照らされるお館様は、少し眩しそうに目を細め、声を改める。

 

「杏寿郎」

「はい」

「私は彼に、ひとつ例外を許そうと思うんだ」

「例外、ですか」

 

 うん、とお館様にしては珍しく、何か企んだような悪戯っぽい笑みを口元に乗せる。

 

「己という刃を振るうことを決めた彼には、もしかしたら必要のないものかもしれないけれど。きっと、喜んでくれると思うから」

 

 そして後日、俺はお館様から時永へ、それを渡すように託った。

 預かった時から、その中身が何なのかはわかっていた。例外という言葉の意味も、きっと時永が喜ぶと仰った理由も。無論、剣術を心から愛する時永は、子どものように目を輝かせることだろう。

 それは時永が握ると同時に色を変え、美しい深い緑へと染まっていく。この森の色だ、と反射的に思った。毎夜のように剣を振るう、静かな夜の森。しかしそこには、見えないだけで数多の生命の息吹に溢れている。

 俺の炎の色の刀とはまた違う、静かで力強い、生命の色。時永らしい、色だと思った。案の定、目を輝かせた時永は、期待を込めた瞳でこちらを見る。その意図を理解して、俺も笑って頷いた。

 

「では、今日からは日輪刀で勝負だな!」

「ああ!」

 

 珍しく弾んだ声で時永は応じ、俺たちは同時に地面を蹴った。

 

 

 ***

 

 

 時永は、本当に良き友人だった。剣で競い合い、言葉をかわして互いを知り、他愛もないことで笑いあった。

 煉獄家に生まれた人間として、俺に課せられた責務を負担に思ったことなどない。炎柱として、この刃で皆を守るのは俺の誇り。自分ではない誰かを守るため、最期まで刀を振るう人間でありたいと、心から思っている。

 ただ、そう、俺は初めて時永を見たとき、危ういと思うと同時に、確かに羨望を抱いたのだ。炎から弾けて消える火花ほどの、ほんのひとかけらの感情ではあったけれど、間違いなくあれは羨望であった。

 俺は、心のままに刃を振るう時永を、羨ましいと思った。それはきっと、煉獄家の人間として相応しい感情ではない。俺の刃は誰かを守るためにあるべきで、俺の楽しみのためになどあってはならない。

 ただ、それでも。どうかこの言葉(こころ)を遺すことだけは、許してほしい。

 

「……これは、炎柱としてでなく、煉獄杏寿郎として、頼みたい」

 

 俺の友に伝えてほしいと、そう告げる。

 血を流しすぎて、もう痛みすらも感じない。あるのは強烈な脱力感と、奇妙な寒々しさ。残された時間が少ないことは、理解していた。

 大きな瞳から絶えず涙を流す後輩に、時永への最期の言葉を託す。友よ、と喉を振るわせた。

 

「生の果てにて、君を待つ」

 

 刀を握ると、きらきらと子どものように輝く彼の瞳が好ましかった。

 幾度となく剣を交わし、言葉を交わした。俺と彼とは何もかもが違ったが、それゆえに新鮮で、学びがあった。

 時永と過ごした時間は、俺にとって何事にもかえがたい宝物だった。彼にとっても、そうであればと、願う。

 最後に彼と剣を交わしたときに見た笑顔が、瞼の裏に浮かんだ。

 

『楽しいな、杏寿郎』

 

 嗚呼、嗚呼。楽しかった、本当に楽しかった。だからこそ、心残りがある。心残りに、なってしまった、果たすことのできなかった、約束がある。

 

「……次こそは、決着を、と」

 

 時永がこの世を生き抜いたそのときには、その果てでまた剣を交わそう。心ゆくまで刀を振るい、今度こそ決着をつけよう。

 こんな願いを持ってしまうなんて、柱として不甲斐ない。だが、時永ならきっと、当たり前だ、と言ってくれる。そして、勝つのは俺だけどな、と続けるに決まっているから。

 俺は、今このときだけ、自分自身にこの我がままを許そうと思う。

 

「……よろしく頼む、竈門少年」

 

 目の前の彼がしっかりと頷いたのを見て、俺は笑った。

 

 

 ***

 

 

 ――友よ。君が生き抜いた先で、また。

 

 

 




あまりにもうつくしすぎる生き方に、生きてほしいと思いつつも覆すことができませんでした。
もし来世というものがあるのなら、その傍らにはこんな友がありますように。

お付き合いありがとうございました。
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