生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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スペシャルウィークは動じない

『さあサイレンススズカずーっと上がっていく、期待に応えてサイレンススズカ早くも先頭!』

 

 実況の言葉通り、サイレンススズカが競り合うこともなく先頭に立った。そこまでは当然ながら全員の想定内だ。沖野は他のウマ娘たちに視線を移した。

 

 他の有力なウマ娘を探す。サイレンススズカの後ろ、逃げと先行のウマ娘が集まっているところにタイキシャトル。エルコンドルパサーもここだ。次のバ群、差しウマ娘たちの先頭にエアグルーヴ。何人か挟んでグラスワンダー。

 

 ……スペシャルウィークはどこだ? 

 

 残るバ群は後方、追込を選んだであろうウマ娘たちの集団しかない。順番に見ていくと、確かに彼女はそこにいた。文字通りの最後尾、一番後ろだ。

 

 出遅れたのか? いや、沖野が見ていた限りそのようなことはなかった。そもそもスペシャルウィークはゲートを苦にしないタイプだったはずだ。

 

 つまり、意図的にその位置を選んだのか? 先行有利とされる東京芝1800で、それこそ先行策に向いているはずの彼女が? 

 

「……スペは素晴らしい才能を持っていますが、問題を抱えていないわけではありません」

 

 誰に問われるでもなく、未だ隣に立ったままの陽室がそう言った。

 

『乾いた西日を浴びて、秋の府中のターフ開幕週。早くも7バ身8バ身と差をつけて、サイレンススズカが当然行きます。問題はペースです。それに食い下がるネレイドランデブーとジュエルアズライト、激しく二番手を争います。さらに少し離れてエルコンドルパサーとタイキシャトルが横並びです』

 

 レース場にいる者のほとんどはスペシャルウィークの不可思議な位置にまだ気付いていない。真逆の最前、先頭のサイレンススズカにほぼすべての視線が注がれているからだ。

 

「スペの問題は、精神面と身体面の調子がリンクしすぎること。すなわちメンタルが上向けば上向くほど彼女は凄まじい能力を発揮しますし、その逆も然りです」

「メンタルが弱い……って訳じゃないだろ?」

「むしろ強い方ですね。だからこそ、レース直前に潰れてしまうと如何ともしがたい。そういうタイプだと私は見ました。彼女に黒星が付く可能性があるとすれば、最も現実的なのはメンタルの不調に他なりません」

 

 陽室が語り続ける間にもレースは刻一刻と進んでいく。

 

『続きますカルンウェナン、その内やや掛かり気味かアクアリバー。外からエアグルーヴが並んでくる、イノセントグリモアがその後ろに付けた。3、4バ身開いてサルサステップ、ぴったり後ろにイッツコーリングとグラスワンダーです』

 

「私はトレーナーとして紛うことなき新米です。最低限の知識だけは詰め込みましたが、経験では他者に及ぶべくもありません。ですが、メンタルに関する問題ならば話は変わります」

「……そういやお前さん、前職は芸能関連だったか」

「ええ、だからこそ当初はライブトレーナーとしてトレセンに来たわけですからね」

 

 元々芸能関連の仕事に就いていたのなら、プレッシャーに負けないメンタルを育む方法や、そもそもメンタルを悪い方向に持っていかないための方法に詳しくても不思議ではない。なるほど確かに筋は通っている。

 

 だが、本当にそれだけか? 

 

 そんなわけはない、と沖野の直感は告げていた。陽室琥珀の性格はよく知っているし、スペシャルウィークの能力は目の当たりにしてきたし、なにより沖野がトレーナーとして積んできた経験そのものが、そんなものだけで済むわけがないと言っていた。

 

 その直感を証明する機会はすぐに訪れた。

 

『ここでコンフュージョンとイレジスティブル、さらにベーサルシュートが後方から一気に加速、しかし3コーナー迫って追い抜き叶わず。そして2バ身離れてスペシャルウィークが最後尾という格好です』

 

「妙だな」

 

 コンフュージョン、イレジスティブル、ベーサルシュート。揃って追込を得意とするウマ娘だが、いずれも終盤で一気に捲る走り方をするタイプではなかったか? まだ距離的に半分も走っていないこのタイミングで、何故3人揃って無理な加速をする必要がある? 

 

 一方で、その3人の後ろにいるスペシャルウィークも加速態勢に入りつつある。いや、そもそも彼女がこんな場所にいること自体がおかしいので、加速して前に出ようというのは自然な行動のはずだが……と、そこまで考えたところで沖野は気付いた。

 

 グラスワンダーが加速している。いや、彼女だけではない。その前のイッツコーリングもサルサステップもイノセントグリモアも、何故か揃って前に行こうとしている。

 

 これは加速というよりも……全員揃って、掛かっているのではないか? 

 

「始まりましたね。さて、どこまで通用するやら」

 

 陽室の不穏な呟き声。

 

 スペシャルウィークが追込ウマ娘たちを外から追い抜いていく。先程まで必死に前に行こうとしていたはずの彼女達は既にそのスピードを失っていた。それどころか、レースを勝とうという気概すら失ったかのように、ふらふらと下がっていくではないか。

 

「一体何を仕掛けたんだ?」

 

 沖野が問いかける。今起こっていることは、誰かがそうなるよう仕向けたものであるのは明白だった。

 

 スペシャルウィークがあらゆるウマ娘を掛からせた日本ダービーは未だ記憶に新しい。だがあれは理外の逃げあってこそ、そしてダービーというレースだからこそ成立したものに他ならない。この毎日王冠では、彼女がただ走るだけで他のウマ娘が掛かることなど有り得ないはずなのだ。

 

 その疑問に対する陽室の返答はシンプルだった。

 

「自己暗示、あるいは自己催眠です」

「……自己催眠?」

 

 胡散臭いワードが出てきた、と言わんばかりに眉を顰める沖野。

 

「重要なのですよ、演劇やアイドルといった分野では……『自分は役者ではなく登場人物そのものだ』『自分こそが理想のトップアイドルだ』などと自ら本気で思い込むことに成功すると、面白いことにこれが素晴らしい結果をもたらすのです。無論、あらゆる役者やアイドルがそうだとは申しませんが」

 

『先頭変わらずサイレンススズカ、3コーナーのカーブに入ってここまでは安定した展開です。果たして後続は追いつけるか、ここで二番手エルコンドルパサーに変わる、さらにグラスワンダーも競り合ってきた』

 

 サイレンススズカのリードは揺るがない。序盤に稼いだ7バ身の差はまだ生きている。しかし彼女の後方は、沖野が目を離した10秒そこらで滅茶苦茶になっていた。

 

 いつの間にか二番手をエルコンドルパサーとグラスワンダーが奪い合っている。彼女達の後ろに逃げウマ娘がいるあたり、二人して完全に掛かってしまっていると言っていい。

 

 その少し後ろに目を向けると、最早先行ウマ娘と差しウマ娘の区別が付かなくなっていた。綺麗に分かれていたはずのバ群がひとつの塊に変化しているのだ。差しウマ娘たちが先行ウマ娘たちのバ群に入り乱れて突っ込んでいき、中には先行勢を追い越してしまった者の姿すら見える。

 

 そんな中でも比較的冷静に見えるのは、バ群の先頭に立つタイキシャトルと、早めにバ群から離れて迂回することを選択したエアグルーヴの二人しかいない。

 

 そして、彼女達の後方。10人近いウマ娘たちが焦りに駆り立てられているのを眼前に、スペシャルウィークが凄まじい速度で大外を駆けている。距離的には大幅なロスだが……あの混沌としたバ群をまとめて追い抜かせるなら、話は別だ。

 

「ふむ、クラシック相手ならこれで充分ですか。ですが本物に()てられた経験のあるウマ娘には不足と。やはり付け焼き刃では限度がありますね」

「……お前さんは、スペシャルウィークに自己暗示させたのか? 自分こそが最強だ、と」

 

 沖野の言葉を聞いて、陽室はくすりと笑った。

 

「それこそまさか。それは我々にとって前提ですから」

 

『ここでタイキシャトルとエアグルーヴも前を目指す、先頭のサイレンススズカを追って団子になったまま大欅の向こう側を過ぎていきます』

 

 双眼鏡から、そして大欅の方角から視線を離して陽室は続ける。

 

「スペは他のウマ娘がいない環境で育ちました。長らく競走相手が存在しなかった彼女は、燃え盛る闘志を自身の外側に発するという行為への理解が疎かったのです」

 

『さぁ、どうだ! どうだ! サイレンススズカに詰め寄ってきたのは外、外、スペシャル……スペシャルウィーク!?』

 

 実況の声に、沖野は弾かれるようにして4コーナーに目を向ける。

 

 スペシャルウィークがそこにいた。

 

 ラストスパートに入ってスピードを増したはずのサイレンススズカに追いすがる影。この一瞬で10人以上のウマ娘をごぼう抜きにして、大外からスペシャルウィークが二番手につけている。

 

『息を潜めていたスペシャルウィーク、600通過は1分9秒! 後方離されてエルコンドルパサー、グラスワンダー、しかしこれはすごい差だぞ!?』

 

「彼女の抱く闘志の一片だけでもプレッシャーとして放つことが叶えば、何が起こるだろう……そう考えるのは極めて自然でしょう?」

「……その結果がこれかよ」

「そのようですね。もっとも、あまり効かない相手もいるようですが」

 

 例えばタイキシャトルのような、気迫を受けることに慣れているウマ娘ならば。

 

 例えばエアグルーヴのような、むしろプレッシャーを放つ側のウマ娘ならば。

 

 そして……例えばサイレンススズカのような、レース中は何事も気に留めないウマ娘ならば。

 

『さあ最終直線、サイレンスとスペシャルの真っ向勝負だ!』

 

 東京レース場、500mを超える最終直線。ウマ娘たちのスタミナをこれでもかと奪いにかかる上り坂。その戦いの舞台に上がることを許されたのは、たったの二人。

 

『サイレンススズカ4バ身先を行く、スペシャルウィークその外を猛追! 坂を登ってサイレンスまだ逃げる!』

 

 その光景を見て陽室は確信を深めた。やはりサイレンススズカは常軌を逸している。

 

 前半で逃げ、後半で差せばどんなレースでも勝利できる……そんな楽観的かつ実現不可能な走りを可能にするウマ娘。強くて当然だ。人気で当然だ。

 

 だからこそ今日彼女に勝利したならば、スペシャルウィークの行く手を明確に阻む者はいなくなる。陽室はそう考えていた。

 

『二人を追って久々タイキシャトル、エアグルーヴもまた顔を見せる、しかし離されていく、これはどちらも届かないか!』

 

 後方を置き去りにして、サイレンススズカとスペシャルウィークが非常識的な速度でゴールに迫る。それはつまり、ウイナーズサークル目前にまで二人が迫りつつあるということでもある。

 

 もう双眼鏡を使う必要もない。執拗な追撃をものともせず、未だにトップスピードで走り続けるサイレンススズカの真剣な表情が沖野と陽室の眼にしっかりと映った。そしてその外側、未だに彼女を追い続けるスペシャルウィークの無感情な顔も見える。

 

 ……無感情? この局面で? 

 

 見間違えたかと一瞬困惑したが、沖野の眼は間違いなく正しかった。苦しむでもなく、笑うでもなく、ただ真顔で走るスペシャルウィーク。

 

「さて、今ですよ」

 

 陽室が隣でそう呟いた次の瞬間、沖野は聞こえるはずのない声を確かに聞いた。

 

 ────そこは私の場所だ、()()()()()()()()

 

 サイレンススズカが瞳を見開く。動揺が彼女の速度を鈍らせる。

 

 しかし、沖野が確認できたのはそこまでだった。

 

『サイレンススズカここまでか、スペシャルウィークが間を詰めて、あっという間に──』

 

 実況の声が驚愕に染まる。

 

『並ばない、並ばないッ! あっという間にかわした! スペシャルウィークがあっという間にかわして先頭に立った!』

 

 スペシャルウィークが一歩前に出る。そのまま二歩、三歩と差を増やす。

 

 対するサイレンススズカも食らいつくが、届かない。彼女にスパートするための体力はもう残っていない。ひとたびスピードを失えば、もはや先頭の景色を見ることは叶わない。

 

『スペシャルウィークだ、スペシャルウィークだ! 伝説はまだまだ終わらない!』

 

 誰の目にも明らかな、疑いようのない勝利。

 

『今ゴールイン! GII毎日王冠、勝者はスペシャルウィーク! クラシック最強の実力を見せつけましたスペシャルウィーク、まさしく常勝無敗の流星、底が見えないウマ娘です!』

 

「大変結構。今後の課題も増えましたが、スペにとって重要な勝利になったことでしょう」

「……待ってくれ、陽室」

 

 すたすたと足取り軽く去ろうとした陽室を、沖野はなんとか呼び止めた。

 

「なんでしょうか、ミスター」

「お前さん、どこまで仕込んだ。スペシャルウィークにどこまで……」

「『ゲートに入れば始まる。ゴールを駆け抜ければ解ける。その間だけは、貴女が信じる理想のウマ娘になれる』。そう教えただけですよ」

 

 沖野の問いにそう答えて、陽室は今度こそ去っていった。

 

「……あれが、理想のウマ娘か?」

 

 その言葉に答えるものはもういない。

 

 純粋な敵意のみで構成されたスペシャルウィークの声。あれが陽室の求める、そしてスペシャルウィークの信じる理想のウマ娘だとは思えなかったし、思いたくなかった。

 

 しかし沖野が顔を上げれば、電光掲示板の光が目に入る。赤々と浮かぶ『レコード』の四文字。その真下には『1.40.3』という常軌を逸したタイムが記録されていた。

 

 東京レース場の芝1800mで1分40秒3を叩き出すウマ娘が、理想のウマ娘でなければ何だというのか。東京レース場の上がり3ハロンで31秒5を叩き出すウマ娘が、理想でないのならば。

 

 あの化物を、スペシャルウィークを、これから何と呼べばいいんだ?

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