前話にて多数の感想を頂戴しました。個々に返信させていただきましたが、この場で改めてお礼申し上げます。ありがとうございました!
昨夜には共著ともども「感想一気に増えて良かったな」「みんなが読んでくれてるって事実が可視化されてホッとした」などと二人して喜んでおりました。これからも会長スペちゃんをよろしくお願いします!
「それでは、スペの毎日王冠勝利と、ベルノのテンペル正式加入を祝して」
「かんぱーい!」
夜。トレセン学園にほど近いマンションの一室──他ならぬ、陽室の自宅である──において、『チームテンペル』として初めての祝勝会が催されていた。
「改めておめでとう、スペちゃん!」
「ありがとうございます、ベルノさん! ベルノさんの蹄鉄、すっごく走りやすくて……あの蹄鉄じゃなかったら、コーナーで一気に追い抜かすのは難しかったと思います!」
「そ、そうかな?」
「そうです! ベルノさんがいなかったら、きっとスズカさんを直線で捕まえるのも無理でしたよ!」
ジュースの入ったコップを持ったまま、ベルノライト相手に力説するスペシャルウィーク。さらに、テーブルを挟んで向かい側に座る陽室も会話に加わってくる。
「私も同意です。我々は蹄鉄の力を思い知った……というより、今までが無知すぎたのですが。今日の勝利はスペの勝利であると同時に、ベルノの勝利でもありますよ」
「え、えへへ……ありがとうございます」
「そして貴女には正当な報酬を手にする権利もあります」
「……あれ、やっぱり本気なんですか?」
「当然でしょう。むしろ学園を介して契約書まで作ったのですから、破れるわけがありません」
ベルノライトの言う『あれ』とは、もちろん蹄鉄作製を含めた彼女の献身的なサポートに対する報酬のことである。
「賞金7000万円のうち、700万円は学園の運営資金に。そして4900万円はスペに、700万円は私に、700万円はベルノに。おおよそ妥当なところですね」
「いやいや、やっぱり貰いすぎですって! トレーナーさんとおんなじ額って考えるとちょっと過剰ですよ私の分が!」
「……ベルノさんのおかげで勝てたようなところもありますし、やっぱり私が貰う分からも出した方がいいんじゃ」
「スペちゃんもますます話をややこしくしないで!」
「そうは言いますがね、ベルノ。この一カ月半で貴女がテンペルのためにやったことを挙げてみてください」
陽室の言葉に、ベルノライトは自分の仕事を指折り数えていく。
「ええと、まずスペちゃんの蹄鉄作り、フィッティング、調整。それから東京レース場のレースデータを分析して、まとめたものをトレーナーさんに渡して、あとは有力なウマ娘の偵察をして、こっちも情報をまとめて渡して、あとはスペちゃんのトレーニングをサポートして……それくらいですよね?」
「えっ、ベルノさんそんなに働いてたんですか!?」
多すぎる仕事量に驚愕するスペシャルウィーク。しかしベルノライトは何に驚いているのかわからないという顔のまま答える。
「はい。それがサポーターの仕事なので」
「……トレーナーさんより働いてるんじゃないですか?」
「怒りますよ、スペ」
スペシャルウィークのあまりにもあんまりな疑問に口を挟む陽室。
「とはいえこのまま全てをベルノ任せにしていると、そのうち本当に仕事量で追い抜かれそうなのも事実ではあります。少なくともレース面のサポートでは追い抜かれました」
「やっぱりトレーナーさんより働いてるんじゃないですか!」
「私はライブのプロフェッショナルであって、レースのプロフェッショナルではありませんからね。レースサポートではベルノに及ぶべくもありません。セントラルライセンスの筆記試験通過もギリギリ、正直なところを言えば暗記の賜物です。その分を他の場所で補ったために、こうして中央のトレーナーを生業にできているわけですが」
陽室はそう言いながらベルノライトの方を向いた。
「ベルノ、セントラルライセンスの試験を受ける気はありませんか? 正式にサブトレーナーとなれば学園からも給料が出ますよ」
「そ、それはまた追々ということで……それよりも! それよりもです!」
言葉を濁して話題転換にかかるベルノライト。しかし今回はいつぞやとは違い、話題転換する正当な理由が彼女にはあった。
「スペちゃん、その……本当になんともないの? どこか痛かったりとかしない?」
「はい、大丈夫ですっ! 大きな怪我をしたことがないのが取り柄なので!」
ベルノライトの心配事。それはスペシャルウィークの身体についてだった。
「安心しなさい、ベルノ。わざわざ専門医にも診てもらったではないですか」
「でも、芝1800mのワールドレコードを3秒も更新したんですよ? しかも上がり3ハロンが31秒5って……脚に負担がないほうがおかしいです。現にサイレンススズカさんは……」
そこまで言葉にして、ベルノライトは自らの手でぱっと口を塞いだ。スペシャルウィークの表情が少し沈んだことに気付いたからだ。
「幸い、ミス・サイレンススズカの炎症はすぐに完治するとの見立てでした。秋の天皇賞は
ベルノライトに対してというよりは、スペシャルウィークに対して語り掛けるように陽室がそう言った。
「とはいえベルノの心配も理解はします。率直に言って、スペが今日樹立した記録は尋常ではありません。タイムを見た観客も盛り上がるというよりは信じられない様子でしたからね。そのスペとラスト200までまともに競っているあたり、やはりミスは侮れない存在です」
東京レース場におけるこれまでの上がり3ハロン最速は32秒ジャスト。URA全体で見ても、新潟レース場の直線1000mという好条件のレースで31秒6や31秒7というタイムが数えられる程度に記録されているのみ。スペシャルウィークの上がり3ハロン31秒5というレコードは、文句なしにURAの歴代最速記録なのだ。
「ミス・サイレンススズカの上がり3ハロン32秒5という記録すら、東京レース場では五指に入りうる記録なのですよ。例えば昨年のダービー、ミス・エイシンフラッシュが叩き出した末脚が32秒7です。そして今年のダービーにおけるスペの上がりは……」
「35秒3、ですよね」
「その通りです、スペ。そしてそれがGIウマ娘の標準でもあります。今日の毎日王冠における31秒5という記録の異次元具合が、これだけでもよく理解できることでしょう。当然距離やコースに左右されますが、33秒台で『速い』、32秒台で『凄まじい』、31秒台ともなれば『異様』というものですよ」
陽室にそこまで言われても、そしてベルノライトにどれだけ心配されても、スペシャルウィークはそれらがどれだけの偉業なのかをいまひとつイメージできなかった。それを察してか、陽室はこう付け加えた。
「文句なしの日本一です」
「日本一、ですか?」
「もしかすれば世界一かもしれませんがね。東京レース場の上がり3ハロン31秒5という記録を破るウマ娘が今後出てくるとしても、向こう数十年は貴女の名前が記録と記憶の双方に残り続けることでしょう。おめでとう、スペ」
「……はいっ! ありがとうございます!」
無邪気に喜ぶスペシャルウィーク、そんな彼女に笑いかける陽室。そんな二人を間近で眺めるベルノライトも、当然嬉しい気分に……とはいかなかった。
「喜んでるところ申し訳ないですけど、私の心配事はまだあるんですよっ」
「はて、何かありましたか?」
「トレーナーさんがスペちゃんにやらせてた自己暗示です!」
「ああ」
納得したように陽室が手を叩いた。
「それこそ安心してください。スペに悪影響が残るようなやり方は教えていませんよ。万が一レースが終わったにもかかわらず暗示が解けなかったときの手段に関しても、私の方で別途用意してありますからね」
「……悪影響はないって本当ですか? レース中はずっとスペちゃんの様子を見てましたけど、仕掛けるときも追い抜いた後も最後の直線も、いつ見ても真顔で……その、ちょっと怖かったです」
隣に座るスペシャルウィークに配慮してそう表現したが、観客席でレースを見ていたベルノライトが実際に感じたのは『ちょっと怖い』どころではなかった。
レースは体力と精神力を削るものだ。そして同時にウマ娘の感情が真正面からぶつかる舞台でもある。どれだけ普段が無表情のように見えるウマ娘でも、レースで全力を出せばその疲労と闘志の全てを隠し通すようなことはできないはずなのだ。さらに言えば、これまでのスペシャルウィークはむしろ感情豊かな方だったという事実もある。
しかし今日の彼女は感情を全く表に出さないまま走り抜けてみせた。率直に言って不気味だったし、ただ観戦していただけでもそう感じたのだから、彼女とレースを走ったウマ娘が抱いた恐怖は想像したくもない。
「そもそも、私が行ったのはスペが暗示に入るための下地作りと指針の提示のみですよ。結局のところ、暗示というものは本人がその暗示を信じることができなければ意味がありません。細かい部分まで他人が押し付けるより、スペが自分で考えた方が効き目も良いだろうと思いましてね」
そう言いながらスペシャルウィークの方に視線を向ける陽室。まずは貴女から説明しなさいという無言の意志を読み取って、スペシャルウィークは口を開いた。
「えっと……走ってる皆にプレッシャーを感じてもらうより、何も感じてもらわない方が私にとって簡単なのかなって思ったんです」
「……どういうこと?」
ベルノライトが聞き返す。無論、これで伝わるとはスペシャルウィークも思っていなかった。
「私もちゃんと全部考えてたわけじゃないんですけど……トレーナーさんに『貴女が信じる理想のウマ娘』を目標にするのがいいって言われて、じゃあ理想のウマ娘ってなんなんだろうってことから始めないといけないなって。そうしたら最初に思いついたのはスズカさんでした。私が最初に憧れて、今でも一番憧れているので」
スペシャルウィークの憧れがサイレンススズカだという話は以前にも聞いたことがあった。ベルノライトが頷くのを見て、スペシャルウィークは話を続ける。
「でも、スズカさんの大逃げは私には真似できません。だから『スズカさんみたいに誰にも邪魔されない走りをしたい』ってことは忘れずに、他にも参考になる方がいるはずだと思って、いろんな方のいろんなレースの映像を見たんです」
「そして補足すると、そのころに私からスペに課題をひとつ提示しました。『レース中に他者へプレッシャーを与え、掛からせる』ことについてですね」
言うまでもないことだが、スペシャルウィークは心優しい性格である。彼女の性格は間違いなく美徳である一方で、レースの世界においてはその優しさが邪魔をすることもあると陽室は判断した。
「私からの課題を受けて、スペの『理想のウマ娘』像は若干の変化を見せたはずです。具体的には、ミス・シンボリルドルフのようなレース中の圧力、ミス・ナリタブライアンのようなプレッシャーの発露……そういった、今のスペに不足していたものを理想に組み込めるようになったのではないですか」
「はい、トレーナーさんの言う通りです。……それで、シンボリルドルフさん以外にもいろんな方のレースを見て、気付いたんです。一言にプレッシャーと言ってもそれぞれ違いがあって、参考にするにはどれかを選ばないといけなくて。でもただ真似をするだけだと、それは理想じゃなくなるのかなって」
スペシャルウィークの言わんとするところはベルノライトにも理解できた。優秀な他者の真似をしようとして、結局のところ劣化コピーになってしまう……よくあることだ。
「それで悩んでいたら、ダービーのことをふと思い出したんです」
「ダービーって……スペちゃんのダービー?」
「はい。そのダービーです」
もちろんベルノライトも今年の日本ダービーのことはしっかりと記憶に残っている。というより、ただでさえダービーなのだから忘れがたいところを、あんな異質なレースを見せられた日には忘れるわけがない。
「あのとき先頭を走ってて、みんなが焦ってるのが手に取るようにわかってたんです。あれが『周りを掛からせる』感覚なんだってことをずっと覚えていて。……けれどあのとき、セイちゃんだけは掛からなかったんです。最終直線で競り合うまで私の後ろにいるセイちゃんが何を考えているのかわからなくて、でも慌ててないことだけがわかって、それがすごく怖かったなって」
スペシャルウィークはそれまで、レースを通して自分の後ろをセイウンスカイが走り続けるという状況を一度も体験したことがなかった。体験して初めて、『理解できないことへの恐怖』を実感したのだ。
「それで気付いたんです。予想できない走りをしたり、プレッシャーをぶつけたりして『掛からせる』よりも、自分が考えていることを隠して『掛かってもらう』方が楽なんじゃないかって。その上で、それで掛かってくれない相手にはプレッシャーをぶつけて掛からせる。これがトレーナーさんの課題に対する理想だと、私は考えました」
「な、なるほど……」
「スペから一通り聞かせてもらったときには私も感心しましたよ。ここまで明確にビジョンが定まっているのであれば、暗示自体は容易でしたからね」
そもそも陽室が自己暗示という手段を持ち出してきたのは、それがスペシャルウィークの抱えるメンタル的な問題を解決する方法として効果的である以上に、彼女が暗示されるのに向いた性格をしていたからだ。
自己肯定感が高く純粋無垢で、他人を疑うよりも信じることの方が好きで、演技という自分と他人を欺くための行為を学んでいる最中で、暗示で引き出すための潜在能力を備えている。ここまでの好条件が揃うのは間違いなく稀だ。
そして今日、暗示によって自らを『理想のウマ娘』だと信じ切った状態でスペシャルウィークが臨んだレースにおいて、今現在の彼女では不可能な演技力で無感情を装い、しかし同時に秘めたままだった闘志を外側に向け、レースを支配することが可能だと立証した。スペシャルウィークの自己暗示の効力は、陽室の予想を遥かに超えていたのだ。
「率直に言って、ここまでスペが暗示によって強化されるものとは想定していませんでした。当初の予定では、憧れのウマ娘を自己投影することでメンタルの好調を保つ程度の効力があれば御の字だと考えていましたからね」
「え、そうだったんですか!?」
「そうですとも。その点、貴女は私の想像を超えて『理想のウマ娘』とは何か、にしっかりと向き合いました。今日の主たる勝因は貴女の努力とベルノの献身のふたつだと言えるでしょうね」
「……あれ、ちょっと待ってください」
ベルノライトが口を挟む。あまり気付きたくない事実に気付いてしまった、という顔だ。
「もしかして、スペちゃんが今日のレースで最後方から追い込んだのって……
「おや、気付きましたかベルノ。それも理由のひとつですよ」
スペシャルウィークの想像した理想のウマ娘の戦術が通用するか否かの試金石として、重賞レースに出走する。一見すると真っ当なように見えなくはない……いや、見えない。全く見えない。
勝ったから良かったようなものであって、二週間後に無敗クラシック三冠が懸かった菊花賞を控えているのに、シニア級のウマ娘たちが待ち構えている毎日王冠に突っ込んでいくだけでも本来正気の沙汰ではないのだ。ましてやその毎日王冠でやったことが新戦術の試験運転、それも成功するかわからないような前例のないものをぶっつけ本番でだ。
常軌を逸している。それを思いついて実行するウマ娘も、そんな教え子の勝利を疑わず背中を押すトレーナーも。
「……チーム加入、もうちょっと考えるべきだったかなぁ」
本当に小さな声だったが、隣のスペシャルウィークにはしっかりとその呟きが聞こえていた。
「えっ、ダメですよベルノさん! もうベルノさんはテンペルの仲間ですっ!」
「もう少し落ち着きなさい、スペ。……ああ、ベルノ。もちろん私も今更貴女を逃がす気はさらさらありませんので、そのつもりでいてください」
「あっ、いえ、ええと……はい、頑張ります」
苦笑いを浮かべながらそう返すベルノライト。
決してこのチームが嫌いなわけではない。ただ、こうして会話の輪に入るようになってから幾度となくスペシャルウィークと陽室の常識外れな思考に驚かされ続けて、自分がいかに普通のウマ娘なのかを実感させられているような気持ちになってくるのだ。けれどもその常識外れに惹かれて加入を決めたのも事実で、難儀なものだと思わざるをえない。
普通が特別に混ざるには並大抵の努力では足りないということなのだろうと、ベルノライトは一人で勝手に納得していた。実際には、他者から見れば彼女も充分すぎるほどに特別の枠に入る存在なのだが。
……笑顔の裏に隠していたが、彼女にはまだ言っていない心配事がもうひとつだけあった。
彼女はそれを言葉にするかどうか迷ったが、結局口を噤むことを選んだ。この平和で柔らかい空気にこれ以上水を差したくなかったし、なによりそれは主観的なものでしかなかった。けれども、心の片隅で考えずにはいられない。
今日のスペシャルウィークは強かった。もしかすると、彼女が走ってきたレースの中で一番強い勝ち方をしたのかもしれない。それ自体に異論はない。そしてその勝ち方にはスター性があった。最後方からサイレンススズカを差し切る走りにスター性がないのならば、どんな走りにもそんなものは存在しないだろう。なにより、あの上がり3ハロンは文句なしに速かった。時計がそれを客観的に物語っている。
だというのに、ベルノライトの中にはもやもやした何かが渦巻いていた。圧倒的な支配力と揺るがない勝利を得たのと引き換えに、スペシャルウィークが何か大事なものを失ったように思えてならなかった。
例えば……そう、流星のようなきらめきを。