「……私は、ルドルフさんのような生徒会長にはなれないってことですか?」
可能なかぎり感情を露わにしないよう気を遣いながら、スペシャルウィークは前を歩くナリタブライアンの背中に問いかけた。
「『ルドルフのような』と条件を付すならその通りだ。そもそも
「え?」
青天の霹靂だった。これまでの三カ月間、スペシャルウィークはずっとシンボリルドルフのような生徒会長になることを目指して努力してきたからだ。
生徒会長とはかくあるべきという見本のような存在。彼女の後を継ぐ以上は、それに見劣りしないような存在にならなければならないという一心でここまで来たというのに、まさかそれを副会長たるナリタブライアンに否定されるとは思ってもいなかったのだ。
「会長は……ルドルフは理想主義者な上に天才だ。『全てのウマ娘に幸福を』などと素面でのたまい、しかしそれを言葉だけでは終わらせまいと自ら動き続ける。言葉だけの理想主義者はろくでなしだが、理想を実現する手腕を持つ理想主義者はろくでなしより性質が悪い」
「理想が実現できるなら、それは良いことじゃないんですか?」
「その理想主義者が上に立っている間はな。スペシャルウィーク、オマエは次代の会長となるにあたって何故ルドルフを真似ると決めた?」
何故。その理由は簡単だ。スペシャルウィークの知るトレセン学園の生徒会長はシンボリルドルフのみで、その彼女が生徒会長として模範的だったからに過ぎない。
スペシャルウィークが陽室から受けている演技レッスンの主軸は、本音を隠すために普段とは違う自分を演じる方法だ。誰かを真似るための方法ではない。『演技が上手くなれば余裕があるように見せることはできる。それがいずれ本物の余裕になる』というのが陽室の言だった。
だが、『いずれ』『いつか』ではダメなのだ。スペシャルウィークが余裕ある振る舞いのできる自分を、そしてそこから生まれるはずの威厳を備えた自分を求めているのは今だ。先延ばしにし続けて、それらを手にする前に生徒会長の椅子に座るようなことがあってはいけないのだ。
ならば、それらを備えている誰かを真似るしかない。そして真似るべき誰かとはシンボリルドルフに他ならない。それが彼女の出した結論だった。
「そうしないと、生徒会長にふさわしくなれないと思って……」
「オマエにそう思わせてしまうことこそ、模範的な理想主義者の悪辣な点だ」
「……でも」
「あれは埒外の存在だ。生徒会長としてのルドルフを常人が真似れば壊れる。オマエの走りとローテーションを常人が真似れば壊れるのと何も変わらん」
ナリタブライアンは吐き捨てるように言った。
「
ぽかんとしたままの後輩を鋭い視線で見つめながら、なおも彼女は続ける。
「他人の使い方はルドルフやエアグルーヴがいずれ教えるだろう。上に立つ者として避けては通れんからな。そして、オマエに強さの示し方を教えなければならないと考える節穴はこの学園にいる資格すらない」
「……ターフの上で、勝ち続けること。それが答えですよね?」
「さてな。だがオマエがそれを答えだとするのならば、優先すべきものが何かは明らかだろう」
そこで会話が途切れ、無言の時間が続く。そしてスペシャルウィークはこのタイミングで、自分が一体どこに連れていかれようとしているのかをようやく理解した。
ライブレッスンスタジオA棟。トレセン学園で最も充実したレッスン設備の備わる場所にして、他ならぬチームテンペルの実質的な部室。ナリタブライアンが向かっている先がそこなのは明らかだった。むしろスペシャルウィークからすれば普段から通っているはずの通路なのに、今まで気付かなかったのがおかしいくらいだ。それだけ注意散漫になっていた、ということか。
「あの、もしかして……私のトレーナーさんにご用事が?」
「陽室トレーナーがオマエのオーバーワークを許すとは思えない。だが事実として、オマエは疲れを隠しきれない程度には疲弊している。ならばチームテンペルの間に何か認識の齟齬があると見るのが自然だ。それを確かめに行く」
「そ、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ? ちゃんと休んでるのは本当なんです、ただちょっと気が抜けちゃっただけで……」
「信用ならん。オーバーワークに陥った奴は全員同じような言葉をぬかす」
彼女の主張をばっさりと切り捨てて歩みを進めていくナリタブライアン。そのままスペシャルウィークが二の句を継げられないでいるうちに、二人は目的地であるライブレッスンルームに到着してしまった。
「……先客がいたか」
ドア越しにレッスンルームの中を伺いながらナリタブライアンがぽつりと呟く。
「ええと……この時間だと、たぶんチーム『ティコ』のセイちゃんやスマートファルコンさんがレッスン中だと思います」
「他チームの予定をわざわざ覚えているのか?」
「テンペルは私とベルノさんだけなので、人数の都合でいつも他のチームと合同レッスンになるんです。特にティコ所属のセイちゃんとは時間を合わせてレッスンすることが多くて……」
スペシャルウィークはそこで口を閉じたが、その先の言葉は容易に想像できた。
────五度も同じステージで一緒に踊っているので。
なるほど確かに、どうせ同じレースに出て同じ曲を歌い踊ることになるならば、ライブレッスンを同じくして行うのは合理的と言える。
ナリタブライアンの所属するチームリギルはトレーナーがライブレッスンの指導も行うが、そのようにレースの指導もライブの指導も行えるような人材はトレーナーの中でも極めて少数派だ。大半のチームはライブの指導をチームのトレーナーとは別の人物に委ねることになる。
最もポピュラーなパターンで言えば、学園に雇用されているライブ専門のトレーナーだ。それこそチームテンペルの陽室琥珀などは当初その枠で学園に採用された、とナリタブライアンは聞いたことがあった。
「陽室トレーナーは今でもテンペル以外に所属するウマ娘のライブ指導を日常的に行っているのか?」
「はい。ただ、チーム全体を受け持つというよりはGIに出走する子向けの集中指導をメインにしているみたいです」
若干の苦笑を顔に浮かべながらスペシャルウィークは続ける。
「トレーナーさん、前に『基本こそ肝要とは言いますが、あらゆるウマ娘に代わる代わる延々と “Make debut!” だけを教えていてはこちらもいい加減飽きるというものですからね』って言ってました。すごくあの人らしいというか、本当にそんなことを言って大丈夫なのかなとは思ったんですけど……」
「いかにも陽室トレーナーが口に出しそうなことだ。今更何も思わん」
「やっぱり他のチームから見てもそういう扱いなんですね、私のトレーナーさんって」
「『やっぱり』とはなんですか、『やっぱり』とは」
聞こえてきた声にばっと振り返る二人。半開きになったドアの向こう側から、目を細めた陽室が顔を見せていた。
「スペ、貴女はもう少し自分のトレーナーを信頼してもよいと思うのですがね」
「信頼はしてますよ? ……トレーナーさんはいつでも、トレーナーさんのやりたいことに一番忠実だって」
「ふむ、言い訳したいところですが効果的な文言が見つかりませんね」
そう言いつつレッスンルームから出てくる陽室。彼女の視線はスペシャルウィークを、そしてその隣に佇むナリタブライアンを順番に捉えた。
「それで? スペはともかく、ミス・ナリタブライアンがこちらを訪ねるということは……何か問題でも起こりましたか?」
「ああ。スペシャルウィークに疲れが見えるが、オーバーワークに陥っていないか」
竹を割るような単刀直入すぎる言葉に、陽室は困惑の色を顔に浮かべた。想定していない、という表情だ。
「当然のことですが……スケジュールはスペの体力を考慮した上で組んでいますし、土曜と日曜は完全オフとして設定しています。代わりに平日は生徒会の件もあって忙しいでしょうが、それでも睡眠時間はしっかり確保できているとこれまで聞いています」
再びスペシャルウィークに視線を戻す陽室。
「念のため聞きますが、スペ。私に隠れてトレーニングなどはしていませんね?」
「はい、してないです」
「最低でも毎日6時間、しっかりと睡眠時間をとっていますか?」
「いつも夜の10時に寝て、朝の4時に起きてます」
「……そもそも貴女の主観的感覚として、ミス・ナリタブライアンに指摘されたような疲労を少しでも感じているのですか?」
一瞬だけ答えるのをためらうスペシャルウィーク。陽室にとってはその反応だけで十分だった。
「なるほど、よく理解しました。……ミス、ありがとうございます。もしもスペを連れてきていただけなかったならば、私も気づけなかったかもしれません」
「礼には及ばない。だが、陽室トレーナーは教え子のことをもっとよく見ておけ。万が一この大事な時期に潰れられてはかなわんだろう」
「忠告痛み入ります。平日のスケジュールについては……そうですね、近いうちに再度調整すべきかもしれません。ミス・シンボリルドルフにその旨をお伝えいただけますか?」
ナリタブライアンは無言で頷いた。そのまま踵を返し、自らの仕事は終わったと言わんばかりに去ろうとする。
「あの、ブライアンさん」
「なんだ」
スペシャルウィークの呼びかけに対して、ナリタブライアンは億劫そうに振り返った。
「どうして、私のためにわざわざここまでしてくれたんですか?」
「言っただろう。この大事な時期に潰れられてはかなわん。私からしてもそれは同じだ」
鋭い視線を容赦なくスペシャルウィークに向けながら、ナリタブライアンは堂々と宣言する。
「今年の有馬記念にはクラシック三冠が三人集う。後にも先にもまずないことだろう。そして……認めよう。今最も強いクラシック三冠は、私でもルドルフでもない。オマエだ」
そこまで告げて、ナリタブライアンは再びスペシャルウィークに背を向けた。
「だとしても私は挑み、そして勝つ。だからこそ万全のコンディションで出てこい。でなければ勝利の意味がない」
クラシック三冠を成し遂げ、怪物と讃えられ、しかし怪我からの長いスランプに陥ったナリタブライアン。彼女は、ある意味でスペシャルウィークを最も心配する者の一人でもあった。
「中山で待っている。失望させてくれるなよ、
その言葉を最後に、今度こそナリタブライアンは去っていった。
「直球の宣戦布告を頂いてしまいましたね、スペ?」
「はい……」
「……立ち話もなんですし、入りなさい。察するに、今日は生徒会の仕事を切り上げさせられたのでしょう?」
「え、でもまだ他の人のレッスンをしてるんじゃないんですか?」
「都合良く終了のタイミングです。それに、今しがたミスに『教え子をよく見ろ』と言われたのにもかかわらず、貴女を放っておくほど愚かでもありませんよ」
そう言ってレッスンルームの中に入っていく陽室。スペシャルウィークも慌ててその後を追う。
部屋の中はがらんとしていた。そもそも広い空間であり、少人数でのレッスンではいささか持て余すことも珍しくはないのだが、今日はそういうレベルの話ではなかった。なにせスペシャルウィークが見渡す限り、陽室の他にはもう一人しかいなかったのである。
「あれれ? スペちゃん、この時間に来るのはなんだか珍しいね?」
そのたった一人であるところのウマ娘──スマートファルコンは、スペシャルウィークのことを見つけるなりすぐに声をかけてきた。
「お疲れ様です、スマートファルコンさん」
「もー、そんな堅くならずに『ファル子』って呼んでくれていいんだよ☆」
「……お疲れ様です、ファル子さん」
若干遠慮しながらそう挨拶し直せば、彼女は満足気に頷いた。