生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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ベルノライトは祈らない

 雨粒がベルノライトの傘を強く叩き続ける。ぽつりぽつりと降る程度ならば雨音にも風情があるが、こうもどしゃ降りだとただただ耳障りな音の集合体でしかない。

 

 12月26日、第5回中山開催8日目。レースが開催される天候としてはおよそ最悪に近い状況で、有馬記念が始まろうとしていた。

 

 先々週あたりの時点から既に、年末の中山レース場が荒天に見舞われる可能性は指摘されていた。当然彼女もそれを承知していたし、スペシャルウィークや陽室と打ち合わせた上で対策を考えてトレーニングもしてきた。だが、このレベルの大雨は流石に想定外だ。

 

 それでも、観客席の最前列を陣取るベルノライトの周囲には大勢の観客が傘を持って発走の瞬間を今か今かと待ちわびている。流石は一年の総決算たるグランプリ、有馬記念といったところか。

 

 実のところ、ベルノライトがこうして観客席に居座る必要性は薄い。出走ウマ娘のチーム関係者である都合上、彼女にはスタンドの一角に設けられた関係者席への進入許可証が与えられているからだ。特に彼女はただの関係者ではなく明確なチームメンバーなので、関係者席どころか控室にもスタッフルームにも入ることが許されている。

 

 そんな彼女がわざわざ傘を差してまでここにいる理由は大きく分けてふたつ。

 

 ひとつは陽室にそうすることを勧められているから。『スタッフルームよりも関係者席を、関係者席よりも一般の観客席を。貴女にはその方が好ましいでしょう』というのが陽室の弁だ。正直なところベルノライトはその発言の意図を未だに掴みかねているが、殊更反対する理由もなかったので言われた通りにしている。

 

 そしてもうひとつの理由は、他ならぬベルノライト自身が観客席やそれに近い場所での応援を好んでいるからだ。

 

 名前も知らない観客達の歓声に包まれながら、自らも声を張り上げて必死に応援する。それこそがレース観戦の醍醐味だと彼女は思っていたし、『誰かを応援する自分』が一人ぼっちではないことを確信できる貴重な瞬間でもあるのだ。

 

 他人に話せば、変わった理由だと思われるかもしれない。だが、実際にレース場で走ったことのあるベルノライトにとっては──今更語るべくもないが、彼女はローカル・シリーズのレースを幾度か走り、ついぞ勝利を掴めないままサポートの道を選んだ──レース場という空間自体が孤独を感じさせるものだった。もうレースで誰かと競うことはないのだと理解していても、その感情は未だ拭えないままだ。

 

 ベルノライトがぼんやりと黄昏れていると、スマホの着信音がスカートのポケットから鳴り響く。手に取って確認してみると、LANEの通知だった。

 

「誰から……あ、オグリちゃん」

 

 思わず声が漏れる。

 

 オグリキャップはメールやLANEよりも直接通話するのを好む性格なので、こうしてメッセージを送ってくるのは珍しい。ベルノライトはいそいそとLANEを立ち上げた。

 

『そっちは大雨らしいが、大丈夫なのか?』

 

 シンプルな心配の言葉。電話をかけてこなかったのは、発走直前であることを慮ってだろうか。

 

『大丈夫だよ』

 

 そう打ち返してから、ベルノライトは遠く離れたスターティングゲートを見やる。

 

 普段でも遠すぎて肉眼では見えづらいレベルの距離だが、こと今日に至っては大雨による視界不良も相まって、ゲート前の様子はろくに確認できない。

 

 色とりどりの勝負服で辛うじて判別が付かなくはないが、動き回っている影の中に白と紫の勝負服は見当たらない。余計な消耗を避けるために、スペシャルウィークは早々ゲートの中に入ったのだろう。

 

『スペちゃんは雨でも雪でも走れるから、むしろラッキーかも』

 

 一言だけではそっけないので、付け加えて送信しておく。もちろん、実際のところはラッキーとは言い難い。練習中にスペシャルウィークが悪天候をそこまで苦にしなかったのは事実だが、レース本番で練習通りにいかないなどということは日常茶飯事だ。

 

 そのうえ先にも述べたように、こんな土砂降りはベルノライトにとってもスペシャルウィークにとっても当然想定外である。流石の陽室も今回ばかりは想定外だったようで、不良バ場のレースデータを真面目にかき集める様子をベルノライトは少し前に目撃していた。

 

『なら、スペは勝てるな』

 

 オグリキャップらしいあっけらかんとした言葉にくすりと笑ってしまう。

 

 どのようないきさつで知り合ったのかは定かでないが、オグリキャップはスペシャルウィークと以前から親交があったらしい。オグリキャップがカサマツに戻って以降も、二人は度々連絡を取り合っているという。そんな事情もあってか、ベルノライトがチームテンペルのサポーターとなったときにも、オグリキャップはいっそ大袈裟なほどに祝福してくれていた。

 

『スペちゃん、オグリちゃんと同じくらい強いからね』

 

 競走ウマ娘の強さを比較するのは……特に全盛期が被らず、同じレースに出ることのなかったウマ娘たちの強さを比較するのはあまり意味のないことだ。比較されることに良い顔をしない者も少なくはない。

 

 それでも、ベルノライトにとって強さの象徴とはすなわちオグリキャップだ。スペシャルウィークの隔絶した走りを目の当たりにしてもなお、その基準は変わっていない。

 

『いや、今のスペは私よりも強い。ベルノのサポートを受けてるから』

 

 だからこそ、オグリキャップが送り返してきた言葉にベルノライトは浮き足立った。

 

「……ずるいよ、オグリちゃん」

 

 凍えるほどの寒さを全身で感じながらも、ベルノライトは自分の顔が少しだけ熱くなっていることを自覚した。その理由は嬉しさか、気恥ずかしさか、あるいはその両方か。

 

 どう返事するか一瞬だけ悩んで、結局ベルノライトは『ありがとう』とだけ打ってからスマホをポーチの中に放り込んだ。

 

 それとほぼ同じタイミングで、ベルノライトから少し離れた場所の話し声が聞こえてくる。

 

「レースを開催できるのが不思議なほどの雨……この有馬は間違いなく荒れるぞ」

「どうした急に」

 

 傘を片手に突如解説を始めたメガネの男性に、パーカーの男性が冷静なツッコミを入れた。雨音で若干聞こえにくくはあったが、それでもウマ娘たるベルノライトの耳にはしっかり届いていた。

 

「横風が相当なものだったり、あるいは大雪で走るのもままならないような状況にならない限り、悪天候でもレースは開催される。だが、ウマ娘にとっては太陽が照りつける真夏のレースよりも厳しい環境だ」

「そりゃそうだよな……時速数十キロで全力疾走してたら、雨粒が冷たいどころか雨粒が当たるだけで痛いに決まってる」

 

 彼らが口にした言葉は的確だった。メガネの男性はなおも続ける。

 

「前のウマ娘を雨除けにするにも限度があるし、足元のコンディションが最悪なこの状況でお互いが接近しすぎれば、事故の可能性も跳ね上がる。そして極め付けに、冷え切った外気と雨に濡れた勝負服が余計にスタミナを奪っていく。ただでさえ持久力が必要な中山の2500、そこにダメ押しのスタミナと普段求められる以上のパワーを兼ね備えていないと今日の掲示板争いには食い込めないだろう」

「しかも、これほどの不良バ場でレースを走った経験のあるウマ娘はいない……クラシック勢に至っては、稍重や重の経験すらない子が大半。そう考えると、やっぱり本命はシニア勢かつパワーもスタミナもあるウマ娘か。スペシャルウィークを始めとするクラシックの面々には厳しい戦いになるわけだ」

 

 互いに頷きあう二人。しかしまとまりかけた会話に待ったをかける声が響く。

 

「スペシャルウィークさんは負けないもんっ! インタビューでも雨は大丈夫って言ってたし!」

 

 声の主は、彼らの隣でターフを覗きこんでいた黒いショートヘアの幼いウマ娘だ。その横には彼女と同年代であろう、亜麻色のロングヘアが特徴的なウマ娘もいる。二人揃ってウマ娘用の合羽を着こんでいる。

 

「ご、ごめん!」

 

 ふくれっ面の少女に謝罪する男性二人。

 

「もう、キタちゃんったら」

「だってスペシャルウィークさんが勝ったら年間無敗だよ? 菊花賞だってあんなに強かったんだもん、絶対勝てるよ!」

「……うん、きっと。『三冠ウマ娘はその年のうちに必ず一回は負ける』ジンクスなんて、きっと破ってくれるよね」

 

 そう言いながら期待に満ちた瞳でレース開始を待つ少女たちを見て、メガネの男性もパーカーの男性も微笑ましいものを見守るように笑みを浮かばせた。

 

 一方のベルノライトは、幼いウマ娘の片方が口にした言葉に意識を引き寄せられていた。

 

「ジンクス……」

 

 トゥインクル・シリーズにおいて囁かれているジンクスは、それこそ数え切れないほどに存在する。例えば『青葉賞ウマ娘はダービーウマ娘になれない』などは典型的にして最も有名なジンクスのひとつだ。

 

 しかし実のところ、ジンクスと呼ばれて不思議がられている話の中には、その理由を推測できるものもある。青葉賞ウマ娘がダービーを勝てないという話はこれまた典型例であり、『青葉賞の疲労がダービーまでに抜けきっていない』『そもそも強いことがわかっているウマ娘なら皐月賞に挑み、そこから直接ダービーに行く』といった理由を想定することができる。

 

 また、破られたことによってジンクスではなくなった話も数多い。例えば『弥生賞ウマ娘は皐月賞ウマ娘になれない』というジンクスはここ数年で複数のウマ娘たちによってあっさりと覆され、最早過去の言葉となった。

 

 クラシックレースとそれに挑戦するためのステップレースという関係性は同じだが、弥生賞は青葉賞と違い、クラシックレースを勝てる強いウマ娘が叩きで出走し、そのまま勝ってしまうというパターンが度々起こる。特にここ数年は強いウマ娘が異様に多いので、自然とジンクスとは呼ばれなくなっていったというわけだ。

 

 翻って、『三冠ウマ娘は年内に必ず一度以上負けている』というジンクスは確かに存在する。しかも、その明確な理由は明らかでない。

 

 クラシック三冠を獲るほどのウマ娘でも、不思議とその快進撃の最中、あるいはその後に敗北を経験している。無敗でクラシック三冠ウマ娘となったシンボリルドルフですら、直後のジャパンカップでは敗北を許しているのだ。付け加えれば、トリプルティアラウマ娘にまで対象を広げてもこのジンクスは破られていない。

 

 そして、今日のスペシャルウィークはこのジンクスを破るか否かの岐路に立っている。

 

「……スペちゃん。私に、みんなに……見せて」

 

 傘を持つ自分の手がこわばっていることにベルノライトは気付いていた。レース直前の独特な緊張感。期待よりも畏れが先行している。あまり良くない兆候だ。

 

 サポーターであるベルノライトの役割は、レース本番の前にすべて終わっている。あとは見守り、そして応援することしかできない。しかしその事実を悲観したことはないし、そんな自分を無力だと思ったこともない。自らのサポートを力に変えて、自らの応援を背中に受けて、ウマ娘たちが走ってくれるからだ。

 

 かつてオグリキャップは夢を見せてくれた。ベルノライトはその輝きに照らされて、オグリキャップと共に夢を祝福した。ならば、スペシャルウィークは何を見せてくれるのか。彼女の輝きはあまりにも眩くて、見た者全ての瞳を焼いてしまうのではないだろうか。

 

 ベルノライトの緊張は、スペシャルウィークが負けるかもしれないという心配からではない。

 

 確かに不安要素を挙げればキリがない。

 

 スペシャルウィークに対するマークが今までのあらゆるレースよりも苛烈になることは間違いない。ここを勝てば、デビュー以来彼女が積み重ねてきた連勝数は11。トゥインクル・シリーズの連勝最多記録タイだ。ましてやそれらの白星には五つのGIレース、そしてクラシック三冠の栄誉が含まれている。

 

 また、今日のレースは彼女の他にも三冠ウマ娘があと二人参戦する『三冠ウマ娘の三つ巴対決』でもある。三冠ウマ娘が近い時期に生まれるだけでも極めて珍しいのに、それが三人揃って同じレースを走るなどもうあり得ないかもしれない。

 

 そしてこの不良バ場。ベルノライトは今日のためにスペシャルウィークの蹄鉄を再調整してきたし、降雨予報が確定的になってからはそれに合わせてグリップ性能を強めたり、わざと鉄頭部を削って前傾姿勢でも接地面を増やせるようにするといった改造も突貫作業でこなしていた。しかしそれらが実際のレースで上手く機能するかは未知数だ。

 

 ここまで様々な条件が積み重なってもなお、ベルノライトはチームテンペルの一員としてスペシャルウィークの勝利を疑ってはいない。

 

 ならば、この期待もこの畏れも本質的には何も違わない。ただ、スペシャルウィークの走りに対して無意識に抱いている感情に過ぎないのだ。

 

『大雨が波乱を生むか、年末中山のグランプリレース。数多の夢を背負いしウマ娘たちが挑む有馬記念、まもなく出走となります!』

 

 ゲートに収まっていく出走ウマ娘の面々。その様子が、つい先ほどよりもいくらか鮮明に見えている────雨の勢いが少し弱まっていた。どのみち芝のコンディションが最悪であることに変わりはないが、走る上では多少マシになるかもしれないとベルノライトは思った。

 

 勝利は祈らない。勝ってほしいという気持ちは本物だし、それを願う誰かの応援がウマ娘を強くすることだってもちろんある。けれども、勝利の応援を祈りにするのは……神様に委ねるのは、他ならぬスペシャルウィークのサポーターとして無責任だ。

 

 ベルノライトは空を見上げた。重い灰色の雲が見渡す限りを覆い、太陽の姿は見えない。

 

「みんな、無事に走りきれますように」

 

 彼女がそう言葉を漏らしてから数秒後。大きな音と共に、スターティングゲートが開いた。

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