生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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スペシャルウィークは疑わない

 年末快晴、中山レース場。今日のメインレースはGI、ホープフルステークスだ。

 

 ゴール板まであと3ハロンに至り、スペシャルウィークは未だ先頭に立っていなかった。自らの前を走るのは二人のウマ娘。

 

 先頭を駆けるセイウンスカイが第4コーナーに入りつつある。後続はとうに突き離し、二番手の位置にいるキングヘイローとの差はおそらく7バ身か8バ身。それに追随し、2バ身ほど間が開いたところにスペシャルウィークは陣取っていた。

 

 セイウンスカイとの差はおよそ10バ身、25mほど。それをあと3ハロン、600mで差し切らなければならない。しかし中山レース場の最終直線はたった300m、しかもその途中には100m走るうちに高低差2mを登らされる急坂。基本的にまだ身体能力が仕上がりきっていないジュニア級のウマ娘には困難なオーダーと言える。

 

 だが、スペシャルウィークは決して慌てていなかった。まだまだ体力に余裕は残っている。そういう走りをするように、とトレーナーに言われていたからだ。

 

『メイクデビュー、そして札幌ジュニアステークス、どちらも先行策を採りました。今のところ、貴女をライバル視する誰もが貴女のことを先行ウマ娘だと……下手をすると逃げウマ娘だとすら考えていることでしょう。ゆえに、今回は差しを選択します』

 

 スペシャルウィークよりも小柄な、女性というより少女という形容の方が似合うトレーナーの言葉がリフレインする。

 

『残り3ハロンまでは()()()です。先頭から10バ身以上離されずに走ることさえ守れるならば、他に何をしようが構いません。中団を維持しつつ少し後ろ目に構えられれば素晴らしいですが……レース展開次第では上手くいかないこともあるでしょう。そのときは私がトレーニングで教えてきた内容よりも貴女自身の勝負勘を信じなさい。そちらの方がよほど信頼できます』

 

 じりじりと距離を詰めていく。前を走るキングヘイローは内ラチぎりぎりを攻めているが、スペシャルウィークはその一歩外側を駆けていた。すぐ前のウマ娘が垂れてくる可能性を鑑みて、そういう走り方をするようにと指導されていたのだ。

 

『3ハロンを切っても、コーナーでは無理をしないように。無論コーナーで差を付けられるならばそれに越したことはないですが、今回はあくまで最終直線で差し切る意識を強く持ちましょう。中山でそれを可能としたならば、どのレース場でも最終直線で差し切れます』

 

 トレーナーの言葉を忠実に守ろう、とスペシャルウィークはレース前に決めていた。トレーナーが『最終直線で差し切る意識を持て』と言ったのだから、それはつまり最終直線だけで余裕を持って捲れるということだとスペシャルウィークは受け止めていた。

 

 だが、今の彼女の中には妙な感覚があった。競り合いということ自体をしなかった、する機会のなかった前走や前々走では知りようもなかった、予想できなかった感覚。

 

 ────苦しくない。

 

 他のウマ娘を相手に競り合って前に出ようとするという行為は、もっと厳しくて苦しいものだと思っていた。そう教わってきたし、レースの映像を見てもきっとそうなのだろうと理解していた。

 

 なのに、どうにもあっさりと前へと踏み出せる気がしてならない。

 

「……無理をしない、なら」

 

 その思考が自らの口から言葉として出たことに、彼女自身も驚きを隠せなかった。そんな余裕が今の自分にあるなんて。仮にもGIレースの、仮にも最終盤で。けれども、そうすることができたという事実こそがなによりの証明だ。

 

 息を大きく吸って、スペシャルウィークは決意を固めた。

 

 ターフを強く蹴りこむ。追い抜くためにさらに外側にズレつつ、速度を上げる。1秒、2秒、3秒……数えているうちに、眼前に見えていた深緑色の勝負服が視界の右側に消えていく。それがキングヘイローに追いつき、そして追い越したということの証左だと気付くまで、スペシャルウィークはさらに数秒を要した。

 

 ────追い抜いた? たったこれだけで? 

 

 その困惑が抜けきる間もなく、今度は白色の勝負服が見えてくる。もうラストスパートに入っているはずのセイウンスカイ。コーナーで出せる最高速度に乗っていることは疑いようもない。

 

 だというのに、どんどん彼女の背中が大きくなってくる。残り2ハロン、400mを示すハロン棒の横を通り過ぎた。あと5秒するかしないかでコーナーは終わりだ。……5秒あれば。そんな思考が頭に浮かぶ。

 

 そうだ。5秒あれば、目の前を走るウマ娘を抜き去るには、あまりにも充分すぎる。

 

 スペシャルウィークはさらに加速。二段階目のスパート。もう外への膨らみを気にすることもない。最短距離など譲って構わない。荒れた芝を避け、理想のルートを選択する。

 

 最終直線への接続点が間近に迫る。ゴール板まで300mと少し。ちらりと内ラチ側を確認すると、必死な顔でゴールを目指すセイウンスカイの横顔が見えた。少なくとも余裕があるようには見えない。そして横顔が見えたということは、つまり横並びになっているということで。

 

 コーナーの300mで10バ身を詰めた。トレーナーの、そしてスペシャルウィークの事前想定では直線の300mで詰めるはずだった差をすでに埋めた。感慨のひとつも生まれないほどにあっさりとそれは達成された。しかし彼女は現状にまだ納得していなかったし、妥協する気もなかった。

 

 トレーナーがスペシャルウィークに求めたのは『中山の最終直線で10バ身差を差し切って勝利すること』だ。それが今の彼女には可能だと、今日そのように勝利することが彼女の今後に繋がるのだと、トレーナーはそう考えたに違いない。その思慮と期待を裏切ることはできない。

 

 ────ここから10バ身差をつけてゴールしたら、似たようなものかな。

 

 今しがた走っているウマ娘が聞けば、間違いなく激昂するか絶句するかの二択であろう目標がスペシャルウィークの脳裏に浮かんだ。

 

 彼女は純粋で、良くも悪くも疑うということを知らないウマ娘である。そしてその純粋さこそ、あらゆる競走ウマ娘に対して鋭く突き刺さる彼女の武器にして本質だった。

 

 最終直線、セーブする理由も消えた。三回目の加速は正真正銘のラストスパート。彼女が発揮しうる理論上の最高速度に近づいていく。きっと後続も死に物狂いで追走してきているはずだ。全力を出さなければ、差を広げるどころか逆に追いつかれるかもしれない。

 

 最後のハロン棒が視界から消える。そしてスペシャルウィークの前方に待ち受けるは、中山レース場名物の急坂である。脚力(パワー)の足りないウマ娘を絶望させ、持久力(スタミナ)の足りないウマ娘の心を折る、ゴール前最後の障壁。

 

『飛びなさい、スペ。登り坂は飛ぶように走ることです。貴女にそれ以上の助言が必要だと私は考えていませんし、貴女自身も坂道を苦にしたことはないでしょう?』

 

 姿勢を少し起こす。フォームは大きく崩すことなく、けれども可能な限り前へ()()ために、ふわりとした着地をイメージとして描きながら急坂に突っ込む。

 

『でもトレーナーさん、飛ぶような走り方をしたら……着地するときに脚の負担が大きくなりませんか?』

『なりますね。ですが、脚の負担の分散は貴女が常日頃から無意識にやっていることです。でなければその脚力でターフを蹴り、その速度で走り続けるのは不可能ですよ。私が求めるのはその延長線上に過ぎません』

 

 右脚で着地。平地よりも少しだけ重心を後ろ側に。衝撃を地面へ均等に逃がし、今度は飛翔に備えて重心を前に。つま先を軸にして、身体を普段よりも若干上方向に跳ねさせるようなステップ。100mの急坂を抜けるまで、トップスピードを維持しながら狂いなく左右交互にそれを繰り返す。

 

 言うは易く行うは難しとは、まさしくこのときのためにある言葉に違いない。重心の調整や衝撃の分散はミスすればタイムロス必至、場合によっては怪我にも繋がりうる。飛ぶ瞬間にしても、跳ねないと普段の走りと何も変わらないものになってしまうし、跳ねすぎるとやはりタイムロスなうえ最悪着地時にバランスを崩して転倒しかねない。

 

 そんな手間をかけて得られるものは、まず1秒にも満たないだろう時計の短縮。ハイリスクローリターンにも限度というものがある。

 

 ここまでおよそ1800mを走り続けてきた身体、足りない酸素を欲し続ける脳。その双方をこんなことで酷使するくらいなら、速度が落ちても普通に急坂を走り抜けた方がよっぽどマシだ。真っ当に走ろうとする者はそう結論付ける。

 

 しかしスペシャルウィークは真っ当に走るウマ娘ではなかったし、彼女がそうなった原因の一端を担う彼女のトレーナーも、また言わずもがなであった。

 

 思考せずとも直感で身体が動く。そこに割くリソースはいらないし、彼女は自らの直感を疑うことはない。これまでずっとそれに委ねて上手くいったのだから、失敗などありえない。失敗しないのならば、そこに躊躇いや恐れを抱く理由もない。

 

 未だ浅い経験と突き抜けすぎた実力、そして天性の勝負勘が合わさって生まれた、傲慢極まる成功理論。それが今のスペシャルウィークにとっての真理だった。

 

 ひたすら飛ぶように走り続ける。振り返る余裕はなかったが、後方の足音は遠のきつつあるように感じられた。100と黒文字で示された内柵が見えて、すぐに消え去る。

 

 ────ここ! 

 

 残り70m、急坂がついに終わる。その予感を感じ取って、普段通りの走りに切り替える。がっしりと地面を踏みしめて、勢い任せに芝を蹴る、シンプルな動作の繰り返し。先程までとは打って変わって、特別なことは何もしていない。

 

 だからこそ、彼女の走りに誰も追いつけない事実が重くなる。

 

 重さは枷になり、毒になる。その事実を彼女自身は知り得ない。前へ、前へ、ゴールに向けて、一歩先にある栄光に向けて、遥か先にあるはずの夢に向けて。

 

 スペシャルウィークはその輝きを目の当たりにした。

 

『……圧倒的な幕切れだ! スペシャルウィークが凄まじい差し足で全てを置き去りにして圧勝! 今年のジュニア王者はスペシャルウィーク、文句なしの勝利です!』

 

 興奮した実況を皮切りに、観客たちの歓声が現実として一気に押し寄せてくる。

 

 自分がゴール板を駆け抜けたのだと気付いたときには、彼女は余計に100mほどコースを走ってしまっていた。後ろを振り返ると、ずいぶん遠くから呆然とした顔でこちらを見ているセイウンスカイやキングヘイローの様子が見えた。どうやら、相当な差でゴールしたことは確からしい。

 

 勝負服に袖を通して得た、初めてのGIレース勝利。スペシャルウィークにとって、その体験は思っていたよりもずっと淡白なものだった。もちろん嬉しくないわけではないのだが、どう表現するべきか。

 

「こんな感じ、なんだ」

 

 皐月賞や菊花賞ならもっと心躍るのだろうか。日本ダービーなら全力の先に飛び込まないと勝利を掴めないのだろうか。天皇賞なら、ジャパンカップなら、有馬記念なら? 

 

 そこまで考えてからスペシャルウィークは我に返った。そんなことをじっくり考えるような時間の余裕は、少なくとも今の彼女にはない。

 

 緩やかに速度を落としてから、くるりと反転してウイナーズサークルへ向かう。レースに勝利したウマ娘はそこで記者からの勝利インタビューを受けるのが通例になっており、自らのトレーナーとも大抵そのタイミングで合流することになる、のだが。

 

「あー……そっか、今日は」

 

 レース前、トレーナーに掛けられた言葉を思い出す。

 

『スペももう少しマスコミに慣れていくべきでしょう。記者会見はともかくとして、勝利インタビューは貴女だけで受けなさい。私は控室で待っていますよ』

 

 ……初めてのGIレースで緊張していたので半ば聞き流していたが、今になって考えてみると中々にひどい言い草である。まずもって勝利しないとインタビューを受けることもないだろうに、そんなことは前提だと言わんばかりだ。それとも、そのような物言いこそがトレーナーなりのスペシャルウィークに対するエールだったのだろうか。

 

 そんなことをぼんやりと思いながら、彼女はウイナーズサークルにやっと到着する。それを確認するや否や、テレビカメラとスタッフたちが一気に押し寄せた。

 

「プリティーダービーチャンネルです! スペシャルウィークさん、初のGI勝利おめでとうございます! まずは今のお気持ちを!」

 

 インタビュアーにマイクを向けられても、スペシャルウィークは慌てなかった。

 

 以前トレーナーに言われた通り、まずは一拍置いて気持ちを落ち着かせる。表情は気にしすぎず、見られているという意識さえあればいい。口調は普段通り。予想していない質問が飛んできたら感じたことを率直に答え、答えるかどうか一瞬でも迷った質問はごまかして終わらせる。

 

 教わったインタビュー対応の注意点を頭の中で復習しつつ、彼女は口を開いた。

 

「ありがとうございます! 今日このレースを勝てたことで、また一歩夢に近づけたと思います。故郷のお母ちゃん、スカウトしてくれたトレーナーさん、そして応援してくれた皆さんに勝利という形でひとつ恩返しができて本当に良かったです!」

 

 お手本のような優等生の回答。紛れもなく彼女にとっての本心ではあるが、当然ながらこれは準備していた回答だ。

 

「今日の勝因をひとつ挙げるならば何でしょうか?」

「予定通りにレースを進められたことだと思います。スタートからずっと最終直線で差し切るつもりの走りをして、それが上手くいったので」

「作戦通りに勝利できた、ということでしょうか?」

「はい、満点のレースだったと思います!」

 

 元々、スペシャルウィークは記者会見やインタビューでの受け答えがとにかく苦手なタイプだった。気の利いたことを言わなければならないという意識ばかり前に出て、自然な回答とは何なのかが分からなくなってしまうのだ。しかし苦手だからといって、それらを避けるわけにはいかないのが競走ウマ娘というものである。マイクを前にした彼女は、いつも四苦八苦しながら辛うじて言葉を捻り出しているような状態だった。

 

 そんな彼女の不器用さを見かねたトレーナーがわざわざ何日もかけて──そのために普段のトレーニングを取りやめることまでして──方法論を実践と共に叩き込み、結果として重賞ウマ娘として恥ずかしくない程度にはスペシャルウィークもマスコミ相手の受け答えができるようになっていた。あらかじめ用意しておいた定型文で、という形ではあるが。

 

「今後目標にされるレースなどはすでに決まっていますか?」

「日本ダービーです。そのためにまずは皐月賞……皐月賞のトライアルレースへ出走できるように、トレーナーさんと一緒に調整していくつもりです」

 

 そこで彼女は一旦言葉を切って、視線をインタビュアーからカメラの方に移した。こうした方がただ喋り続けるよりも印象に残る、とトレーナーが語っていたのをしっかりと覚えていたからだ。

 

「私の夢は『日本一のウマ娘』です! 本気で日本一を名乗るなら、日本ダービーは避けて通れませんから!」

 

 堂々とそう宣言したスペシャルウィークの表情は、これ以上ないくらいに真剣で、気合の入った笑みだった。

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