「私がフジさんのデートに?」
「そんな『正気ですか?』とでも言いたげな顔で見ないでおくれ。プリンセス」
「……とりあえず、どうしてか聞いてもいいですかー?」
そんなことを言われても、とフジキセキに返したい気持ちを抑え込みながら、セイウンスカイは聞き返した。
校舎の屋上で呆けた声を出してしまったが、昼休みとはいえ1月中旬の冷たい風が吹く屋上で聞き耳を立てている者がいるはずもなく、聞かれずに済んだのは幸いだ。
「そんなに身構えなくても大丈夫。私と踊るのはエキシビションなんだけど、正確にはチュートリアルと言った方がいいと思う。……君は生来のトリックスターだし、今回のリーニュ・ドロワットの相手にこそぴったりだと思ってね」
リーニュ・ドロワット──ドロワは例年3月の終わりに開催されるダンスパーティーだ。春という区切りの季節に
ドロワは自由参加であること、また季節柄トレセン学園を卒業して去っていくウマ娘にとってこれが最後の思い出になることもあり、卒業生とその関係者を主賓として進めるイベントである、というのがセイウンスカイの認識だった。
「ドロワって毎年やってますよね。どちらかと言えば卒業生と在校生の最後の思い出作り兼想い人への告白大会のイメージなんですけど、今回は違うんですか?」
「もちろん。だからこそ君に頼んでいるんだ。……ドロワを卒業生だけのものにするのももったいないと考えていて、もっと広く参加してもらおうっていう流れだよ」
フジキセキはそう言って続けた。
「会長はいつも通り気合いを入れて取り組んでいるんだけどね。やはりどうしても今年の卒業生とそのお世話になった子たちばかりになってしまう。衣装の手配のやり方とかも含めて、早いうちから関わる子たちを増やしたいって思ってたんだ。そこで、新しい形でのイベントが出来ませんかって私が呼びかけたんだよ」
「それで、セイちゃんを呼んで踊ってもらうことで、他の在校生も呼び込もうって魂胆ですか?」
「あはっ。さすが
肩をすくめるフジキセキ。セイウンスカイの上まぶたがすっと降りてくる。すでにトレーナーには話を通しているらしい。
「ドロワは確かに区切りのイベントだ。だから関係の深い子同士で組むのが一般的になる。実際、同じレースを競い合ったライバル同士で組むペアも多いし、私も何人かからすでにお誘いをもらっていたりもする。ヒシアマからも来たんだけど、時々足を踏んでくるから組みたくないんだよね」
「だったら────」
「でも、エキシビションをやるにあたって、私が求めるのは、みんなの前で踊って盛り上げてくれること。そう考えたときに、君以外浮かばなくなってしまった」
恥ずかしげもなくそう言って、フジキセキはくるりとその場で回って見せた。
「君ならしっかりと私をリードしてくれるだろうし、私が君をリードすることもできる。フェアで、良い模範となりつつ、時に刺激的に、時に優雅に振舞うことができる。君はなにより、そういう視線に敏感だ」
「……本当に、フジさんは人のことよく見てますよね。私は栗東の子じゃないんですけど」
「ふふっ、視線を注がれてきた者同士、わかるところはあると思ってるよ。それに、君の才能を眠らせておくにはもったいない」
演技くさく一礼をして視線を上げたフジキセキは、どこかいたずらっ子の笑みを浮かべながら続ける。
「ということで、受けてはくれないだろうか。きっと互いにとって有意義な時間になるはずだ」
「そうは言いますけどねー」
その情熱的な誘いを受けても、セイウンスカイはどこか腑に落ちていない様子だった。
「人を集めるならスペちゃんの方がいいんじゃないかなぁってセイちゃんは思うんですけど。三冠ウマ娘でダンスも慣れてるし」
「もちろん彼女にも関わってもらうよ。まぁ、私が声を掛けるよりも前から、会長が声を掛けてたみたいでね。運営側で入るみたいだ」
「スペちゃんが運営ぃ?」
「当日の司会進行とタイムライン管理を任せる、と言っていたよ」
思っていたよりも胡乱な声が出たことに自分で驚きながら、セイウンスカイは頭の後ろで手を組みなおした。
「スペちゃんが運営ねぇ……絶対柄じゃないと思うんだけどなぁ」
「疑問かい?」
肩をすくめてそれに答える。
「意外というかなんというか……最近はなくなりましたけど、スペちゃん結構上がり症気味で掛かりやすいところがある分、そういうところを避けることが多いし、誰かに指示を出すのも苦手なんですよね。結局全部自分でやろうとするから直前でキングちゃんに泣きつくことの多いこと多いこと……」
肩をすくめつつそう言うとクスクスと笑うフジキセキ。
「なるほど、結構前に彼女が補習用の宿題を泣きながら図書館でやっていたのはそれだね」
「教科書を頭から丸暗記しようとして後半がガタガタになってたりしたのもありましてー。器用に世渡りするスペちゃんなんて思いつかないんですよねー」
それにはフジキセキから「おや」と返ってきて、思わずそちらに目を向けるセイウンスカイ。
「それがそうでもないらしくてね。会長が珍しく手放しで褒めていたよ」
「……ふぅん」
「この話はお嫌いかな?」
「にゃははー、まさか。スペちゃんはライバルですからねぇ。ライバルが活躍するのは悪い話ではないですとも」
でも、とセイウンスカイが続ける。
「やっぱりお受けできません。他の子を探してください」
「おや、どうして?」
驚いたような表情を
「驚いてないですよね、それ。……下手に繕っても通用しないでしょうし、はっきり言いますよ。今の私に、そんな思い出作りに関わっている余裕は、ない」
その言葉にフジキセキは首をかしげる。
「そうなのかな?」
「私は誰よりもスペちゃんと走ってきたし、誰よりもあのスペシャルウィークを見てきた自信もある。春の天皇賞こそは取らなきゃ気が済まないし、取れるだけの準備をする必要がある」
「そして、ドロワを蹴ればその時間が捻出できて、間に合うはず……というわけだね?」
「フジさんは話が早くて助かります」
そう言って、セイウンスカイはさっさと腰を上げた。
「伊達に寮長をしているわけではないよ。……そうそう、これは完全に蛇足なんだけどさ」
まだ話を続けようとするフジキセキを置いて、階段室に繋がるドアに手を掛ける。
「────君は本当にスペシャルウィークを知っているのかい?」
聞くべきではなかった、と後悔しても遅い。セイウンスカイの動きは完璧に止まってしまった。
「……どういう意味です?」
「額面通りだよ。君は
そう言ってにやりと笑うフジキセキ。くそ、と悪態が出なかったのは文字通りの幸運だった。
「君はパドックでのスペシャルウィークを知っている。君はターフでのスペシャルウィークを知っている。君は教室での、寮でのスペシャルウィークを知っている。……だが君は、シンボリルドルフ会長に処世術を叩き込まれ、権力の扱い方、威厳の扱い方、周囲の利用法などエトセトラ、それら帝王学と呼ばれる類いの知識を身につけているスペシャルウィークのことを知らない」
フジキセキはそう言って腕を組んだ。
「君はスペシャルウィークがドロワの運営に入ることを驚いていた。でも私は驚かなかった。それは最新のスペシャルウィークを知っているからだ。追いかけているからだ。……少なくとも、君のトレーナーは驚かなかったよ?」
「私の鮮度が落ちている、ってことです?」
「手が届かないと諦めたつもりで諦めきれなかった、そんな惨めな私でも掴めた情報を取りこぼす程度には」
そう言うとフジキセキは一歩前に出た。
「もし、立ち振る舞いで相手を圧倒しようと思うなら、情報のアップデートは欠かさないことだ」
「あなたに────」
「何が分かるのか、なんて言わせる気もないよ。少なくとも、それは敗者の台詞だ。君はまだ戦ってもいないのに負ける気かい?」
言葉を飲み込む。完全に相手にペースを握られた。良くない兆候だ。
「さて、本題に戻ろうか。私は君の『どうしてセイウンスカイを選んだのか』の問いには答えられてないと思っているんだ。説明したのは公にできる建前の方だ。私個人の理由ではないよ」
そう言って、完璧に制御されているとわかる笑みを浮かべるフジキセキ。おそらくそれは、スペシャルウィークを前にして、セイウンスカイが取るべき笑みだった。
「私の世代、誰が三つの冠を持っていったのか。君は知ってるよね?」
言われるまでもない。ライバルと言われつつ、怪我を始めとするトラブルで全力を出せないままにフジキセキが惨敗した相手。
「…………ナリタブライアン、生徒会副会長」
「そうだ。君と私は、三冠ウマ娘のライバルなどと世間に囃し立てられたにも関わらず、その当人とは
「これでもダービーはハナ差なんですけどねぇ」
「でも実際のところ、スペシャルウィークはその瞬間まで君を見てもいなかっただろう?」
反射的に手が出そうになったのを、なんとか睨む程度までに押さえ込む。
「そう怒らないでほしいなぁ。私だってブライアンには皐月で1/2バ身だし、なのにあの子はビワハヤヒデお姉さんに首ったけだったからね。おあいこだよ。そういう意味で私は君に強いシンパシーを感じている」
「勝手に押しつけられても困るんですけど」
「その気持ちもわからないでもないが、まさかそれを君以外が背負っていないとでも?」
そう言って、フジキセキは初めて笑みを仕舞った。
「私は君を応援したいと思っている。その上で、君は戦う相手を正確に把握していないと判断した。寮長という立場からして、誰かに過剰な肩入れをすることは許されないんだけど、今回だけはその鉄則を破ろうと思う。……私は、君に春の楯を獲ってもらいたいんだ、セイウンスカイ」
セイウンスカイは表情を変えないまま言葉の続きを待つ。
「君には二つの道がある。二つの扉に続く鍵がある。一つはその後ろの扉を開けてトレーニングに向かう日常の鍵だ。誰も君を責めはしない、もちろん私も、ね。そのトレーニングの結果勝てばハッピーエンドだね。勝てなくても、あれだけ頑張ったんだものと周囲は君を責めはしないだろう。そしてそう自分に言い訳できるだろう。……だけどね、それだけだ」
手のひらにトランプカード大の招待状を手品のように出現させて笑うフジキセキ。どうやら袖口に隠していたらしく、本当に手品用のトリックなのだろう。
「だけど私は、もう一つの可能性を提示する。敵を知り、己を知る、世界の鍵だ。天候やバ場状況に左右されるのと同程度、レースにはトレーニング以外の走者のコンディションや関係性が影響する。対人関係もそうだし、思考の方法もそうだよね。だけどそれらは、天候と違ってある程度予測と対処ができる。運任せではない勝利へと繋がる鍵だ。一方でどうしても追いつけないという事実を
一歩分距離を空けた位置で立ち止まり、フジキセキは笑った。
「私は君という『デート』を得て学園のイベントを盛り上げることができ、君のレースに対して勝手に私の未練を載せる理由を得る。君はスペシャルウィークの最新の情報を得て対策を練る時間を得る。もちろん私たちのダンスは余興だ。そう本格的じゃなくてもいい。トレーニングの邪魔にならない程度にすることを約束する。もちろん登森トレーナーとの調整には最優先で応じる。……悪くない取引だと思うけど?」
「……怖いなぁ。他の子にもこんなことしてるんですか?」
脇の方が汗で冷えてきていることを感じながら、セイウンスカイはそう返す。
「まさか。君だから、だよ。他のポニーちゃんだと泣いちゃうからね」
「そんな鈍感だと思ってます?」
「肝が据わってるって意味だよ。それに、頭も回る」
差し出された招待状『親愛なるセイウンスカイ殿』と書かれたトランプサイズのカードはとても皮肉に見える。
フジキセキの対応はきっと嘘ではないし、誠実さを重ねている。しかし、こちらを丸呑みにしてくるようなこのプレッシャーこそが……おそらく彼女の正体なのだ。
「こんなビジネスライクな『デート』のお誘いはどうかと思いますけどね」
「でも、そこから芽生える恋慕だってあるだろう?」
差し出された招待状を半ば乱暴に受け取る。フジキセキはどこか満足そうに頷いた。
「ありがとう。ドロワ当日まで頑張っていこう、私のデート」
「よろしくお願いしますねー、フジさん」
こうして、彼女たちの奇妙な相乗り関係が始まった。