Barブロンズ・開店記念(4)
「アグネスデジタルが来ましたよっ!」
「えっ!?」
「デジタル!?」
「デジタルちゃんなんでっ!?」
店に飛び込んで来た小柄な影に、店内の全員が振り返る。そこにいた彼女は、ピンクブロンドの髪を現役時代と同じツーサイドアップにまとめていた。両手には紙袋を携えている。
衝撃から真っ先に立ち直ったのはスペシャルウィークだった。
「デジタルちゃん、どうしてここに? 今は東ティモールにいるって……」
「東ティモールにいたんですけど、野暮用で桜田門まで呼び戻されまして、超短期で一時帰国です。明後日には成田空港からインドネシア経由で戻ります」
向こうのネット回線が弱いとはいえ、オンラインでなんとかなると思うんですけどねぇ……などとアグネスデジタルがぼやくのを尻目に、やれやれとセイウンスカイが肩をすくめる。
「マックちゃんも大概だけど、一番大概なのが来たよ……」
「なんですかそれー。マックイーンさんみたいに、皆に黙って紛争地帯に飛び込むようなことはしてませんよ?」
「その言い方はかなり語弊がありますわよ!?」
ふくれっ面を作って爆弾を投下するアグネスデジタル。メジロマックイーンは席を立ってわたわたと手を振りながらアグネスデジタルの方へと寄っていく。
「貴女こそ! 南スーダンでばったり会った時点で大概ではないですか!?」
「あたしは家族にも佐久間さんにもちゃんと相談してからアンミスに志願してますー」
アグネスデジタルは反論しながらカウンターへと寄っていく。
「はい、お土産のコーヒー豆です。焙煎はしてますけど、豆のままなのでミルで挽いて飲んでください」
「どんな感じの豆なのこれ……東ティモールのコーヒーって初めて聞くけど……」
ここにいる面々全員にアグネスデジタルが紙袋を配っていく。それをまじまじとみつめながらナイスネイチャがそう問い返した。
「えとですね、酸味が強いタイプですねー。あたしとしては生クリーム系と合わせるのが好きな感じです」
「おけおけ。じゃあ、あとで淹れてみよう。みんなそろってからになるけど、レアチーズケーキ作ってあるからそれと一緒にお出ししますよー」
「チーズケーキっ!」
とたんにメジロマックイーンの目が輝く。皆の生暖かい視線が集まったことで、咳払いをしてなにもなかったように振る舞うメジロマックイーン。
「それよりもですね、アグネスデジタルさん。百歩譲って私の方が業が深いとしても、貴女も相当なのは自覚してくださいまし! 貴女も今はすでに責任ある立場なのですよ!」
「もちろんわかってますよー。そろそろ警部任官に向けていろいろと考えないといけない状況ですしねー」
「そちらもそうですが、そういう意味ではなくてですね!」
そう言われて苦笑いしながらカウンターにつくアグネスデジタル。メジロマックイーンの左隣の背の高いスツールに半ばよじ登るように座る。アグネスデジタルがあまり背が伸びずに成長期が終わってしまったことを気にしているのは公然の秘密なので、だれも口にしない。どこか優しい笑みでナイスネイチャが身を乗り出す。
「デジタルちゃんは何飲む? アルコールは大丈夫?」
「はいっ! 明日は午後からの取材と会議にちょこっと顔を出せばいいので、午前は美容室に行くだけなんです。ということでビールください! ファインさんのおすすめなんですよね?」
「あんまり強くないんだからペース考えてよ?」
「大丈夫です! 最悪の場合でも佐久間さんが来てくれるハズなので!」
元トレーナーを送迎車扱いしているアグネスデジタルの暴挙に苦笑いを浮かべつつ、ナイスネイチャがビールタップを操作する。
「今回の帰国で佐久間トレーナーには会えたの?」
「それがですねネイチャさん、聞いてくださいよ! 今日帰りますからねってLANE入れても『了』の一文字しか返ってこないんですよ! 社会人同士になったらいきなりドライだし!」
「あはは……相変わらず激務をこなしてるんだよきっと。アタシとのLANEもそんな感じだから気にしたらだめだし、そう言いつつデジタルちゃんのことはちゃんと気にしてくれてるんでしょ?」
差し出されたビールを受け取ってアグネスデジタルは一口分だけビールを口にする。答えないのがもはや答えだった。
「でもさ、スペちゃんほどじゃないにしても、デジタルは大きく変わったよね」
「ほえ?」
セイウンスカイの声に首をかしげるアグネスデジタル。
「警察官になるなんて思わなかったもんねー。やっぱりトレーナーの影響だったりするわけ?」
「……否定できないんですよねぇ。佐久間さんは嫌な顔しそうですし、私も否定したいところなんですけど」
そう言って目を伏せるアグネスデジタル。
「ウマ娘ちゃんのために何ができるだろうって考えた結果、結局警察官に落ち着いちゃったんですよぅ。推し活はプライベートでもできますし、アーカイブの確認はどこでもできますから。ウマ娘ちゃんがいればどこでも良バ場、絶好調で働けるあたしの強みを活かすならこれほどの適職はないですからねぇ。ウマ娘ちゃんを守る仕事、ひっじょーにやりがいがありますっ!」
「その結果海外派遣で地球の裏側まで飛び出した結果がアレ?」
セイウンスカイにいじわるな質問を向けられ、う゛ッと言葉に詰まるアグネスデジタル。
「いやぁ、あの時は大変なご心配とご迷惑をおかけしました……」
「え? もしかしてマックイーンが巻き込まれてたアレにデジタルも絡んでるの?」
ナイスネイチャの声が半オクターブほど下がる。
「絡んでるといいますか……。マックイーンさんより一足早くから
「そういえば、耳の傷は大丈夫なのですか?」
メジロマックイーンがそう言いつつ、アグネスデジタルの左耳を触る。
「おひょん」
「くすぐったいからって脱力しないでくださいまし。……あまり目立たない感じで塞がりましたわね。よかったですわ」
「いやぁ、ご心配をおかけしました」
「やっぱり髪の毛までは回復しませんでしたか……」
「大丈夫ですっ! 耳の付け根はいくらでもごまかし効きますし、普通にしてても目立たないので!」
アグネスデジタルはそう言って恥ずかしそうに笑うが、どこかしゅんとした様子なのはナイスネイチャだ。
「怪我……してたの?」
「え? あ! 大丈夫です大丈夫です! 文字通りの『かすり傷』なので!」
「カラシニコフでできた『かすり傷』は相当なものですわよ」
「デジタルちゃん?」
ナイスネイチャの声がさらに半オクターブ下がった。それに続いて口を開いたのはスペシャルウィークだ。
「ファイン殿下から私にも問い合わせがあったんだよ? デジタルちゃんがトレセン学園関連の仕事に就きたいとか言ってたりしないかって」
「ほえ? いや、スペさんが学園関係者なことはファインさんなら知ってるでしょうけど、なんで私の進退の問い合わせがスペさんに行くんです?」
本当に状況が理解できていないらしいアグネスデジタルが首をかしげる。
「
そこで言葉を切ったスペシャルウィークが声真似を始めた。
「『デジタルちゃんが乗り気なら、アイルランド陸軍体育学校のどこかに幹部として席を設けてうちが引き取りたいの。それが無理でもダブリントレセンの椅子を空けさせる。だから、この件について日本トレセンはちょっと目をつぶってほしいな。
「おっひょ」
「私とファイン殿下が正面衝突したら、実質的には日本と
スペシャルウィークに更なる追い打ちをかけられ、アグネスデジタルが白目を剥きながらカウンターに倒れ込む。そのままバンバンとカウンターを叩く。
「そりゃファインさんにも山ほど心配かけましたけど! SP隊長さんがヘリで飛んできてしこたま怒られましたけど! 打診も確かにありましたけど! そこまでやりますか普通!」
「いつの間にか陸軍大尉だし、とんでもないことになり始めたよね、ファイン殿下。軍から出向でURAアイルランド副総裁で次期総裁。ウマ娘関連の体育教育関連部署の全権を実質的に掌握したって聞いてるよ?」
スペシャルウィークがそう言ってお冷やを口に運び、喉を湿らせる。
「たぶんデジタルちゃんが頷いた翌日には、アイルランド陸軍体育学校の教務部部長補佐で陸軍中佐相当の事務官とか、そんな感じの通達が来るんじゃない?」
「中佐相当って! 下手したらファインさんより上位じゃないですかっ!」
がばっと身体を起こすアグネスデジタル。よく動くなぁと思いながらスペシャルウィークはにこりと笑った。
「下手しなくても上位だよ? とは言っても、王族の大尉の方が優先されそうな気もするけど」
「なかなか強引なことをしますわね、ファインモーション殿下……」
メジロマックイーンが呆れた様子でそう呟くと、スペシャルウィークがアグネスデジタルの方を静かに見る。
「それぐらい首輪をつけておかないと危なっかしいってことだよ?」
「デジタルちゃん?」
ナイスネイチャが胡乱な目を向ける。向けた先は当然アグネスデジタルだ。
「あう……まぁ、南スーダンの時は地元の子どもの保護をしなきゃいけなかったので致し方なく」
アグネスデジタルはそう言って目線をそらしながら頬を掻くが、それを見てメジロマックイーンが溜息を吐いた。
「その結果、村を救った
「デジタルちゃん?」
ナイスネイチャのトーンがどんどん下がる。
「本当に何をしたの……?」
「……ある村の小学校に、国連の教育スタッフと公衆衛生スタッフをつれて視察と教育活動にいったんです。そのタイミングで国連スタッフや村の子ども達の拉致を目的に敵対部族が襲ってきちゃいまして……」
「襲ってきちゃいましてじゃないでしょ!? 大丈夫なの!?」
ナイスネイチャが青い顔をするが、アグネスデジタルの耳は垂れたままだ。
「全然大丈夫じゃなかったです。相手はおそらく30人以上、国連スタッフは10人いましたけど、銃で武装してたのは護衛役の現地スタッフ2人だけ。あたしは派遣時の規則で、実弾ゼロの拳銃と盾と警棒だけ。それで子ども49名と現地の先生3名、非武装の国連スタッフ7名の合計59名を守り切らなきゃいけなかったんです」
「そうして子どもを併設してた教会の納骨堂にかくまって、アグネスデジタルさんが盾と警棒だけ持って囮として飛び出して集中砲火を受けながら30分以上逃げ回った、ということでしたね。その結果子どもはみんな無事だったので、感謝と敬意を込めて村の名前が変わり、ODAで建てた小学校の名前になり、名誉族長として表彰された、と」
勇者は戦場を選ばないとはよく言ったものです、とメジロマックイーンが呆れる。
「正直な事言うと、PKO部隊……というより、派遣中だったアイルランド陸軍が処罰上等で独断専行してくれなかったらたぶん死んでました……持ってきた盾もライフル弾相手じゃ意味なかったですし……」
それを聞いて盛大に溜息を吐きつつ、頭を抱えるナイスネイチャ。
「デジタルちゃんといい殿下といい……どうしてチームペルセウスはこうもアクセル全開が多いかな……あんまし無理しないでよ?」
「ハイ、ソレハモウ」
「うさんくさいなぁ、返事が」
セイウンスカイが茶化すと、デジタルが膨れた。ナイスネイチャが吹っ切れたように今日何度目かの呆れ顔を見せる。
「そういう所も含めて、似ちゃったよねぇ、トレーナーと」
「なんだかんだで付き合いが一番長いのはあたしですから」
どこか誇らしげにそう言うアグネスデジタル。
「お互い癖の強いトレーナーに当たると大変だよね」
「ですねぇ。でもテンペルの陽室トレーナーには負けると思いますけど」
「デジタルちゃんも手厳しいなぁ……」
「今度から理事として管理側に回らなきゃいけないとなると大変そうですねぇ。陽室さんをコントロールする必要があるわけでしょう?」
アグネスデジタルはビールを一気にあおった。その様子に優しい笑みを浮かべるスペシャルウィーク。
「理事長からも『懇願ッ! あのトレーナーをなんとかしてくれ!』って言われちゃった」
その言い草に皆ケタケタと笑う。
「実際スペさんから見るとどうなんですか?」
「陽室さんは相変わらずだし、無理に何とかしようとしても絶対無理だからね……」
スペシャルウィークは曖昧に答えてミルクセーキを口に運ぶ。
「トレーナーさん周りといい、安田記念のころからデジタルちゃんには色々迷惑かけてるからね」
「あ、いえいえ! あれはスぺさんのせいなんかじゃないですからね?」
「その安田記念って22年の?」
ナイスネイチャの確認にこくりと頷くスペシャルウィーク。そこに口を挟むのはメジロマックイーンだ。
「今でも語り草ですのよ。前代未聞のライブ中止があり、私もベルノライトさんと一緒に訳もわからないまま飛行機に詰められ……」
「あれはトレーナーふたりの暴走の果てというか、全体像が分からない状況下でのリスクヘッジの果てだからね……」
スペシャルウィークがフォローに入るが、アグネスデジタルにジトっとした目を向けられる。
「その記者会見で爆弾を放り込んだのはどこの三冠ウマ娘でしたっけ?」
「……デジタルちゃん、本当に成長したよね。ガチガチになってたり、早口で喋ってることが多かったデジタルちゃんが、そんなことを言えるようになるなんて」
「嫌でも磨かれましたからね……ほんと、あの安田からですよ。こんなことになったのは」
そう毒づきつつも、まんざらでもなさそうな顔でアグネスデジタルは言った。