「本当に! なんで! メディアに! 喧嘩を! 売るんですか! 特にトレーナーおふたり!」
会場から出るや否や、いかにも『怒ってます』という様子でほほを膨らませた駿川たづなの怒声が出迎えてくれた。
「いや、少なくとも私には怒る権利がありますし、デジタルが侮辱された以上は黙るわけにもいきません」
「スペを止められなかったのは私の落ち度です。しかし全力疾走で飛び出したスぺをたかがヒトの私が止められると本当にお思いですか、ミス・駿川?」
ふたりから揃って『次もやります』宣言に等しい回答が返ってきて、本当に頭を抱えるたづな。
「えっと、あれってあたしが侮辱されてたんですか?」
「お前はもっと怒ってもいいんだぞ。運だけで勝てるほど甘い勝負じゃなかっただろう。それに運に負けるような育て方はしてないつもりだぞ」
アグネスデジタルの頭を撫でながらそう言う佐久間。その様子を見て、たづなは盛大に溜息を吐いた。
「こちらとしても事情は汲みますが……ともかく、次回からはもう少し穏当にお願いします。トゥインクル・シリーズもメディアあってのものなんですから」
「ですが週刊ウイークリーなどという週刊誌は聞いたことがありません。あれほど低レベルな仕事しかこなせないのならば、いっそ離れていただければ丁度良いかと思いますが」
「週刊ウイークリーは結構な老舗ですよ、陽室さん……」
「これは失礼。スポーツ関連は日刊デイリーと月刊トゥインクルしか定期購読していないもので」
全くこの人は……とたづなが引き気味に呟く声が聞こえる。スペシャルウィークもこれには苦笑いだ。
「でも、デジタルさんもごめんなさい。記者会見に乱入しちゃって……」
「いえいえいえいえこちらこそ変な会見を見せてしまいいろいろとお見苦しいところをお見せした次第でありましていろいろ助かったというかスペ先輩のそういうところが見れて感謝感激といいますかそんな凛々しいご尊顔を間近で拝見できたことでこの一生一片の悔いもなく昇天できそうな勢いでありまして」
「はいそんな一気に語らない!」
佐久間にストップをかけられ、はっと口を閉じるデジタル。佐久間の方を見上げると、彼はアグネスデジタルの方ではなく廊下の奥にその視線を向けていた。
「お前の処世術はなんだった?」
「ウマ娘ちゃんへの不必要な干渉はノーセンキュー!」
「よろしい。とりあえず落ち着け、ここはまだ廊下だ。積もる話もあるだろうから、いったん楽屋に引くぞ。……陽室トレーナーも、それでよろしいですかな」
「ええ、勿論です。ミスター・佐久間」
佐久間は奥へ進む面々を見送りつつ、アグネスデジタルの横をゆっくりと歩き出す。それに速度を合わせてきたのは陽室だった。
「これはただの知的好奇心からの発言なのですが、ミスター」
成人女性にしては相当低い位置から──珍しい程に陽室の背が低いのが主な原因なのだが──そう声をかけられ、佐久間は目を細めた。
「以前……おそらくは数年ほど前にお会いしたことがありませんでしたか? 何度お目にかかっても、妙な引っ掛かりを拭えずにいるのです」
「……残念ながら記憶にない。そんな昔のことは忘れていてね」
「そうですか。昨日の事を尋ねた訳ではないのですが」
「さすが元俳優さんだ」
「『君の瞳に乾杯』とは言ってくださらないのですか?」
「生憎出国ビザの持ち合わせはなくてね」
その会話が耳に入ったのか、アグネスデジタルが怪訝な顔で佐久間を見上げる。
「トレーナーさん?」
佐久間は前を見て歩けとジェスチャーで伝えつつ、陽室とたづなに一瞬だけ視線を向けて、すぐに視線を周囲に戻した。
「それともあれか、『新しい友情の始まりだな』とでも言っておけばいいのか」
「なるほど。ボガート気取りとはなかなかプレイボーイですね」
「君だってイングリッド・バーグマンじゃないだろう」
「コンラート・ファイトと言われるよりはマシですね。どうも」
「陽室さんにジョーカーは似合いませんもんね」
たづながそう言って会話に割り込み、いたずらっぽく笑った。
「おや、ミス・駿川に映画鑑賞の趣味がおありとは。少々意外でした」
「ふふっ、家の関係で名作どころは見てますよ」
スペシャルウィークの隣を歩きながら、たづなは身体をくるりと回した。後ろ歩きをしつつ首をかしげる彼女は、笑顔を保ったまま続ける。
「私がルノー署長役に立候補するって言ったら、佐久間さんは認めてくださいます?」
「冗談は止してくれ」
佐久間は辟易とした様子でそう返したが、いきなりの痴話喧嘩じみたやりとりにアグネスデジタルがじとっとした視線を佐久間に向けた。
「……トレーナーさん?」
「誤解だ」
佐久間は腕時計を見ながら──正確には、時計を鏡代わりにして斜め後ろを確認しながら──そう諫めた。
「それより前向け前。……デジタル、今振り返るなよ」
「ミスター、それからミス・駿川にも、答え合わせがてらにもうひとつ質問させて頂きたいのですが……おふたりとも、ストーカーに心当たりは?」
「知らん」
「ありません」
「さっきから皆さん、私たちを放ってなんなんですか!」
アグネスデジタルの抗議と同時、佐久間が強く地面を蹴り、瞬間的に背後を振り返った。その動きに合わせるような形で、陽室とたづなが生徒ふたりを庇うような位置に立つ。
直後。
「うああぁぁぁぁああ!」
叫び声が響き、続いて誰かが飛び出してくる。
「────よし、その物騒なものを置くんだ。そのまま突っ込んできたところで、ウマ娘の速度には追い付けないぞ」
佐久間が廊下の数メートル向こうに立っている影と対峙していた。
「えっ……なにあれ、撮影……?」
「うそ……」
何が起こっているのかわかった者から悲鳴を上げて逃げていく。悲鳴を上げずにキョトンとしているのはアグネスデジタルのみで、それ以外にはせいぜい遠巻きにスマートフォンを構える者がいる程度だった。
「逃げろっ、刃物持ってるぞ……!」
廊下の角でスーツ姿のURAスタッフが叫ぶのが聞こえる。肩口を刃物で切られたか、あるいは刺されたかしたのだろう。首から提げた入構許可証からは血が滴り、彼が身体を預けた壁には赤い斑な模様が残っている。
佐久間はそれを一瞥し、目の前に立つ影に――警備員姿の男に視線を戻した。
「本気にしてはナイフの角度が悪いな。殺す気でいるのなら、もう少し腕を下げて手首を捻った方が良い。下から突き上げるようにしないとバイタルゾーンには届かないぞ。肋骨に当たっては痛いだけだからな」
佐久間は乱入者に対してそうおどけたように言いつつも、半歩足を前に出していた。
「お前さえいなければ……お前らさえいなければ……」
ぶつぶつとした呟きが聞こえる。佐久間と対峙している男は確かに警備員の制服こそ着ているものの、手に光る何かが異質だ。……それが血にまみれたナイフだと気が付いた時点でアグネスデジタルの力が抜けた。逃げなければいけないという思考だけは働くものの、足に力が入らない。
そんな彼女を見て、陽室があまり口元を動かさずに呟く。
「
「Vous l'emmenez vers les escaliers au-delà」
「......C’est entendu」
佐久間が英語でも日本語でもない言語で何かを呟いた。陽室もそれに答え、続けてウマ娘ならば聞こえる程度の声量で囁く。
「
陽室の言葉と同時。
「お前らさえいなければ、スペシャルウィークは、もっと輝けたんだああああああ!」
男がナイフを腰だめに構えて突進してくる。佐久間はアグネスデジタルと男の間に体を振り入れ、わざと大きく音を立てるように一歩踏み込んだ。彼はそのまま両手首をクロスさせ、相手の手首の上に叩き落とす。上に突き上げるようにナイフをふるおうとした男の腕の動きがそれだけで削がれ、佐久間の腹にナイフが突き刺さることを回避した。
そこまで見届けたアグネスデジタルの視界がぶれる。緑色のジャケットが視界の端にちらついた。佐久間の影が急速に遠くなっていく。
「武器を放せ! 三つ数えるうちに放せ! さもなくば腕をへし折る!」
そう叫びつつ、相手を地面に組み伏せた佐久間の影が壁に遮られて見えなくなった。そこからさらに進んだ先にある階段の踊り場でやっとたづなに降ろされたが、佐久間の怒声はここまで届く。
「3! 2! 1! 勧告終了!」
直後、男の絶叫が廊下に乱反射した。
「え? なんで? なんで襲われてるんですか? トレーナーさんは!?」
アグネスデジタルはまだキョトンとしたままだ。隣にいるスペシャルウィークに視線を向けてみるが、彼女も状況がよくわからないという意味ではアグネスデジタルと同じようなものだった。
一方、遅れて飛び込んできた陽室と階段の入り口まで戻ったたづなは、外の様子を慎重に伺っていた。
「駿川秘書官、周辺の確認を。他に不審者はいないわね?」
「と、とりあえず大丈夫そうです……やっと他の警備員が来ました」
「警備員だと、犯人とグルの可能性をまだ否定できないけれど」
「いえ、犯人を取り押さえにかかっています。問題はないかと」
たづなの返答を聞いて、陽室は鋭くしていた目つきをようやく緩める。
「…………まったく、人騒がせな。ミス・駿川が偶然いらっしゃったのは幸いでしたね」
陽室が普段通りの口調で呆れたのと時を同じくして、無傷の佐久間が踊り場の方に走ってくる。
「全員無事ですね?」
「どなたかが奮闘してくださったおかげですね。それで、折ったのですか?」
「さすがに折りませんよ。肩関節を外しただけです。……相手はここの警備員のIDカードを持っていました。偽造かもしれませんが、どちらにせよ色々とまずい状況です。駿川秘書官」
階段のところで外を見張っていたたづなを呼び寄せつつ、佐久間は私物のスマートフォンを取り出し、高速で文字を打ち出しはじめる。
「とりあえず、私とデジタルは学園の方に急いで戻ります。襲われた以上、私はデジタルの身の安全を第一に動きます。ライブは中止か後日開催としてください。荷物なども全部置いていくので、後から持ってきてもらえますか?」
「え、……わ、わかりました」
たづなの回答はどこかおぼつかない。それもそのはずで、佐久間のスマホには全く別の文字列が打ち出されていた。
──盗聴の可能性あり。メモの通り動きます。私とデジタルのみで関東外へ向けこのまま車で脱出します。手荷物要警戒、全員分。沖野さんにも伝えて。スピカも危険かもしれない
「私とスぺも別ルートで学園に戻りましょう。ミス・アグネスデジタルを狙い撃ちした犯行というより、元々スぺを付け狙っていた可能性の方が高いですからね」
陽室もそう言いつつ、佐久間同様にスマホのメモ帳を起動する。
「わかりました。おふたりが避難する以上、ライブの開催はできませんね。そちらは私の方で調整します。荷物周りも理事長と相談して、追って連絡します」
たづなが会話を繋いでいる間に、陽室のメモ帳に文字が打ち出された。
──タクシーで移動し続けます。避難先が確定したら連絡を。テンペルは全員同行させます
それを互いに確認して、頷きあう。
「では、詳細は後ほど。デジタル!」
「ひゃいっ!」
「逃げるぞ」
アグネスデジタルをお姫様抱っこして佐久間はそのまま階段を駆け下りていく。それを見送った陽室は一瞬溜息を吐いた。
「スぺ。ベルノとマックイーンに今すぐタクシー乗り場に来るよう連絡してください。貴重品以外何も持たなくていいので、3分後までに来るようにと」
「3分後!?」
「それぐらい急げということです。私たちも逃げますよ」
そう言いながら1階に向かって降りていく陽室。スペシャルウィークは慌てて後を追いつつLANEのコールを掛け始める。
「ベルノさん、今大丈夫ですか? ごめんなさい、ちょっと緊急事態なんです。かさばる荷物はいいので、貴重品だけ持ってタクシー乗り場まで今すぐ全速力で、3分後までに来てくれますか? はい、3分です。それからマックイーンちゃんも隣にいますよね? マックイーンちゃんも一緒に来てください。はい、絶対にふたりとも一緒で、とにかく急いでお願いします」
その会話を聞きながら階段部を出ると、一気に喧噪が戻ってくる。
「来てくれるそうです」
「大変結構。さて、どこへどう逃げましょうね。とりあえず適当に走っていただきながら考えましょうか」
「あの……デジタルさんが襲われた理由はなんとなくわかるんですが、どうして……」
「ミスター・佐久間は最悪の事態を前提として動いています。おそらく先程の襲撃自体がブラフである可能性を鑑み、組織的な犯行、複数犯による計画的な襲撃を想定しているのでしょう。そういう意味ならば、着の身着のままで逃げる彼の判断は間違いではない。このような事態では本職の判断を尊重するべきです」
陽室は羽織っていたスーツのジャケットを、スペシャルウィークの勝負服を少しでも隠せるようにと肩にかけさせる。
「ほ、本職……ですか?」
「彼の歩き方を見て、随分と綺麗に歩くと思いませんでしたか? あれは訓練を受けている人間の動きです」
陽室にそう言われても、スペシャルウィークは疑問符を浮かべることしかできない。
「そのうえ、彼のスーツは吊るしのものではありません。あれはロロ・クロアーナの特注品でしょう。武装携行用に各所が強化され、袖に防刃素材を縫い込んである警備員やSP御用達のテーラーメイドです。付け加えれば、腕時計も10時の位置に竜頭がありました。銃を使用する際邪魔にならないようにと開発された、ドイツ製のダイバーズウォッチ────ミスターは明言こそしませんでしたが、ほぼ間違いなく桜田門か市ヶ谷に縁があるはずです。あるいは
「朝霞……」
「……ああ、
「な、なるほど。そうなんですね」
陽室とスペシャルウィークは会話を続けながら、モータープールへと繋がる関係者用の出入口を抜けた。派手なデザインのタクシーを捕まえたタイミングで、ベルノライトとメジロマックイーンも追いついてくる。
「乗りなさい。話は車中でします」
有無を言わさず教え子たちを後方座席に押し込め、助手席に乗り込む陽室。そのまま間髪入れず、タクシードライバーに行き先を伝える。
「一先ず国道20号を東に向かって走ってください。場合によっては別の行先へ変更することになりますが」
「ちょっと! 自分で走れますから!」
アグネスデジタルが抗議しても佐久間は取り合わず、地下2階にある関係者用の駐車場に飛び込むまで抱えたまま走った。そのまま車の間を抜け、アグネスデジタルは地味な黒色のハッチバックの後ろに降ろされる。
「すまん、そこでしゃがんで待っててくれ。トランクとかには触るな。爆発物とか仕掛けられてないかだけ確認する」
佐久間はそういうと、車の下をスマートフォンのライトを使って覗き込むようにしていろいろと確認していき、周囲をぐるりと回る。
「よし、大丈夫だ。助手席の方に座ってくれ」
デジタルを呼び、そのまま助手席に座らせる。シートベルトも閉めた彼女の上半身を隠すように、スーツの上着を被せた。
「髪留めもできれば外しておいてくれ」
佐久間は静かに助手席のドアを閉め、運転席に回り込んだ。ボタン式のエンジンスターターを押し込むと、すぐにエンジンがかかり各種コンソールが息を吹き返す。
「すまない、デジタル。怖い思いをさせた」
「いえ、あの……もしかして、トレーナーさんって……映画俳優とか武道の達人とか、そういう類の方でいらっしゃる……?」
「少なくとも俳優ではない。出すぞ。安全運転は心がけるが、万が一の際は急発進急ハンドルの可能性がある。気をつけるように」
そう言うと佐久間はゆるりとブレーキを解除し、ショックもなく車を滑らせる。
「……トレーナーになる前は警官だったんだ。おかげでこういう事態には少しばかり慣れててね、最悪の事態を想定して動いていく。この先しばらく窮屈だろうが耐えてくれ。ちょっとばかり難しい対応になるかもしれない」
佐久間はそう言って地上に続くスロープを上がり、なめらかに車列へと合流する。
「最悪の事態って……」
「今回の襲撃が俺たちを狙ったものにしろ、スペシャルウィークを狙ったものにしろ、URA関係者しか入れない場所で、それも警備員のIDカードを持った人間がやっている。単独犯ならいいが、複数犯が計画的に犯行に及んでいた場合は、厄介なことになる。……とりあえず、今は逃げるぞ」
佐久間の運転する車は、一路高速に乗るべくインターチェンジを目指す。
それぞれの逃避行が始まった。