Barブロンズ・開店記念(5)
「もう、本当にあのときは、というかあのころから、たいへんだったんれすからね!」
「デジタルちゃん、酔うの早くない……?」
安田記念の顛末を語り切るころには、アグネスデジタルはすでに顔がかなり赤くなっていた。
「大丈夫です。不肖デジタル、この程度では潰れません! 海外赴任中は付き合いで飲まなきゃいけないこともありましたし、水が合わなくてひどい目にあったりもしましたけど、乗り切ってきたんですから!」
「そうだね、デジタル頑張ったねー。というわけでネイチャちゃん、チェイサー。もうピッチャーごとデジタルに抱えさせて」
セイウンスカイがなだめすかしつつそんなことを言う。ナイスネイチャも慣れたものですぐに大きな氷入りのグラスになみなみとお冷を注いで出した。
「ピッチャーよりこっちで出した方が早いし、アタシが見るよ」
喉を鳴らして丸々いっぱい水を飲み干すアグネスデジタル。すぐにお冷が追加される。
「スカイさんも慣れてるねぇ。こういう扱い」
「フフン、自分が弱いと相手の扱いも慣れるもんよ」
「後で『とんでもないご迷惑を』と言い始めるアグネスデジタルさんが見えますわね」
「そっか、デジタルちゃんは記憶が残るタイプかぁ」
ナイスネイチャの声にメジロマックイーンが苦笑いを浮かべる。そのタイミングでチリンとドアベルが鳴った。
「あれっ!? もしかして集合時間間違えてましたかっ!?」
「いやいや、この面子が早すぎるだけ。ベルノさんもお疲れさま。今仕事あがり?」
学生時代から同じ髪飾りをつけたウマ娘──ベルノライトが中の様子を見て驚く。
「そうなんですよー。デアちゃんとカナロアちゃんのコーチングプランを見直してたらこんな時間になっちゃって」
「あのころからスぺちゃんの実質的なヘッドコーチだったしねえ。今でも頼られっぱなしなんでしょ?」
セイウンスカイがそう言って手を振る。控えめに振り返しながらもベルノライトは続ける。
「おかげで目が回りそうです。……というか、今日って平日ですよね? 皆さんはお仕事とか大丈夫なんですか?」
ベルノライトはそう言ってメンツを見回す。
「今日は午後半休でなんとかできたからね。明日の理事会には出るよ」
「私は
「もともと平日も休日もない仕事してるしねぇ、執筆業の面目躍如だねぇ」
「少しは休めと人事二課の警視正から怒られちゃったんで、問答無用の有給でお休みなんれすよぅ」
「……そうでした。この人たちはこういう人たちでした」
明らかに肩を落としながら、すごすごとカウンターにつくベルノライト。
「みんなキラキラ大驀進してて眩しくなっちゃうよねぇ。ベルノさんが来てくれてちょっとほっとしたわ」
「そういうネイチャさんもキラキラ組じゃないですか。3年連続有馬記念3着は伊達じゃないですよ?」
「たはー。マックイーンやテイオーみたいな華はないよ」
「そんなことはありませんわ!」
「おわっ」
何飲む? と聞く前に、メジロマックイーンが会話に割り込んで来た。
「ナイスネイチャさんはいつだって、私とテイオーの前に立ちはだかってきたではありませんか。テイオーも間違いなくそれを認めるはずです」
「マックイーン……」
「それに、ライバルとして認めていた相手がそうも卑下してくるのを聞いているのは、私としても心穏やかではありませんわよ。これでも人を見る目だけはあると思っているのです」
胸を張ったメジロマックイーン。それに、と続ける。
「私たちの代、栄光ある日本ダービーの優勝レイを手にしたのは貴女だったではありませんか」
「あ、あれはまぁ……うん、そうだけどさぁ……」
「皐月を獲ったテイオーも、菊花を獲った私も、ダービーには手が届かなかったのです。それをキラキラと呼ばずに何と呼ぶのですか」
そう言うメジロマックイーンはどこか不満げだ。
「やはり、貴女はもう少し自信を持ってよいと思うのです。スペシャルウィークさんの後を追って、トゥインクルシリーズを駆け抜けた日々の中で、ナイスネイチャさんの姿は確かに光っていた。それをなかったことになどできませんし、させませんわよ」
ナイスネイチャの方を見ながらベルノライトは笑う。
「ですって。ネイチャさん」
「……まいったな。こりゃ」
ナイスネイチャは頬を赤くしつつ頭を掻いた。
「うん、ちょっと失言だったわ。忘れて」
「そうすることといたしましょう」
「ネイチャさん、おすすめのカクテルはありますか? サワーっぽいさっぱり系がいいんですけど」
すっと割り込んだベルノライトのオーダーに頷くナイスネイチャ。
「じゃあギムレット・ハイボールでも作ってみようか。ライム系だけど大丈夫?」
「はい。……ギムレットって度数が高いイメージがあるんですけど」
「それをソーダで割るから、度数はそんなに心配しなくていいよ?」
「ではそれで」
「うっし。ちょっと待ってね」
ナイスネイチャはシェーカーを取り出し、ライムジュースとジン、さらにシロップを手際よく注ぎ、氷と一緒にシェーカーを振る。それをベルノライトがきらきらとした目で見ていた。
「やっぱりバーテンダーさんだぁ……」
「バーテンダーですからねぇ」
ロングのグラスに出来上がったギムレットを注ぎ、ソーダ水を注いであっという間にドリンクが出来上がった。
「あい、ギムレット・ハイボール。度数気にしてたから少しジン薄めにしてるよー」
「ありがとうございますー!」
淡い緑色のカクテルを渡されて手を合わせて喜ぶベルノライト。その様子を見ていたセイウンスカイが笑う。
「修行したっていうのは本当なんだねぇ」
「そりゃあお出しするお飲み物は自信もって出せるだけ練習したからね」
ウインクをするナイスネイチャ。
「それでさ、アタシはベルノさんとかの話も聞きたいわけですよ」
「わ、私の方こそあんまりそういう話は……」
「とか言っちゃって、大活躍だって聞いてますよ、ベルノライト
「あれはデアちゃんが大活躍なだけですから……カナロアちゃんに関してはカレンちゃんがサブトレとして見てくれてますし」
そう言いながら、ベルノライトは赤くなって俯いた。
「またまたそんな。チームテンペルがどれだけURA賞ウマ娘を出してるのか知らないと思ってる?」
「デアちゃんやカナロアちゃんはもちろん、ブエナちゃん、キズナちゃん、ヴィクトちゃん、リスちゃん……琥珀さんがまだチーフトレーナーだったときだって、トレーニングに関してはみんな琥珀さんよりベルノさんに見てもらった時間の方が長いからね。私もそうだし」
「とんでもない名前しか並んでないけど、それを語ってるスペちゃんが結局一番とんでもないあたりもうね」
溜息を吐きながらセイウンスカイが言う。
「今でも時々思うよ。あのころの私はこんな化物相手に頑張って走ってたんだなあって」
「そんなこと言われたら傷ついちゃうなあ」
「それ、他人の頭撫でながら言う台詞じゃないからね。ほんとスペちゃんのそういうところ苦手だよ」
「やめよっか?」
スペシャルウィークの問いに対するセイウンスカイの返事はない。
「はいはい、いちゃつきはそのくらいにしてもらって。このままじゃドリンクにシロップ入れ忘れかねないから」
「あはは……」
ナイスネイチャの言い草に苦笑するベルノライト。
「チームテンペルで見てる子はみんなすごく頑張ってくれてますし、結果も残してくれてます。でも、やっぱり私はトレーナーさん……あ、陽室さんのことですけど、あの人にはかなわないなあって」
「そういえば、トレーナーさんは最近何をなさっていらっしゃいますの? 最近はあまりトゥインクルの情報を追えていないのですが……」
「えっと……情報を追えてなくても、最近ダート戦線が盛り上がってるのはマックイーンちゃんも知ってるよね?」
ベルノライトの言葉にメジロマックイーンは頷いた。
「その程度は当然聞き及んでおります。URA所属のウマ娘があろうことか米国三冠を達成したのですから、盛り上がらないはずもありませんわね。ダートを主戦場にする方々は、誰もがコパノリッキーさんに続け、あるいは倒せと息巻いて────」
「そう、リッキーちゃんだよ」
「…………まさか」
「そのまさか。陽室さん、リッキーちゃんを見つけるなりスカウトして、『チームテンペルは任せました』って置き手紙ひとつで権限全部私に回した挙句、いつの間にかアメリカに行っちゃってたんだよ……それでリッキーちゃんに米国三冠獲らせちゃったの……」
アメリカクラシック三冠。ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスの3レースからなる、アメリカのクラシック期ウマ娘の頂点を決めるレース群だ。
特徴的なのは、その全てがダートコースであること。アメリカでは芝よりもダートでのレースが盛んであり、格上だと見做されている。これは世界的にも珍しいケースであり、すなわちアメリカのダートで頂点に立ったウマ娘は、世界中のダートでトップに立ったウマ娘であると言っても過言ではない。
そんな国でクラシック三冠を成す偉業を、米国外のウマ娘として初めて成し遂げたのがコパノリッキー。そしてその立役者こそ、他ならぬ陽室琥珀であった。
「ってことは陽室トレーナーって、今テンペルじゃないんですか?」
「ダートのために……というか、リッキーちゃんのために『チームトレミー』を作って出て行っちゃいましたよ……」
少しずつ呂律が回るようになってきたアグネスデジタルの問いにそう答えるベルノライト。既に半泣きの様相だが、そうやって出て行った陽室はこれ以上ない成果を上げてしまっているのでなおのことたちが悪い。
「なるほど、トレーナーさんがコパノリッキーさんを……何と言いますか、納得の方が先に来ますわね」
「ネイチャさんも知ったときは驚いたけど、よくよく考えてみればいつもの陽室トレーナーって感じだよねぇ」
メジロマックイーンとナイスネイチャがいっそ呑気な口調でそう言ったが、一方でベルノライトは落ち込んでいる様子だった。
「私もトレーナーとしては結構頑張ってるつもりだし、そこを認めなかったら私が受け持ってきた子たちに申し訳なくなっちゃうから、そんなことをするつもりはないよ。でもね、実は……デアちゃんもカナロアちゃんも、私がスカウトしてきたわけじゃないの」
「そうなのですか? ではどなたが?」
「カレンちゃんだよ。トレーナーとしては新米だけど、伸びそうな子を見極めて連れてくるのがすっごく得意みたいで……」
「じゃあカレンちゃんが来る前はどうしてたの?」
セイウンスカイの疑問にますます落ち込む姿を見せるベルノライト。
「全部陽室さんが引っ張ってきてました。……実は、陽室さんにも面と向かって『ダイヤの原石を磨く才能は青天井ですが、ダイヤの原石を掘り当てる才能にはいささか乏しいものがあります』って言われたことがあって……」
自覚もあるんだけどね、とベルノライトはしょげた声で付け加えた。
「あのトレーナーさんがベルノライトさんに厳しいことを仰るとは、あまり想像できませんわね」
「琥珀さんがトレーニング絡みでベルノさんにダメ出ししたことなんてあったっけ?」
「記憶の限りでは……恐らく一度もありませんわ」
「うん、私もそうだと思うよ」
「……チームテンペルってさ、ベルノさんに全幅の信頼を置いてるよね。下手すると陽室トレーナーより信頼してるでしょ」
至極真面目な顔で言葉を交わすふたりにそうツッコむナイスネイチャ。対してベルノライトは、半ば涙目になりながらカウンターに身体を預ける。
「だいたい、スカウトの才能がないって言われても困るんですよ! 新入生から見込みのありそうな子を連れてくるようにって言われても、中央に入れるような子ならリステッドやオープンは勝たせてあげられますし……どう選べばいいかわかんないです」
ベルノライトの言葉に、当人以外全員の耳がぴくりと動く。
「重賞を勝てるかどうかっていう話になると指導方針との相性や天運も絡みますから、三冠クラスの子じゃないと絶対なんてとても言い切れませんし……陽室さんもカレンちゃんも、どうやって素質を見極めてるのかな……」
相談のようにも取れる発言は至極真面目であるが、ナイスネイチャは目をそらした。
「…………うん、さっきも失言を取り消しといてなんだけど、もうひとつ取り消すわ。ベルノさんもキラッキラに輝いてる。なんかもうすごいくらいに」
「なんでそうなるんですか!?」
ガバッと跳ね起きて抗議するベルノライトだったが、彼女を擁護する声はなかった。
「GIウマ娘たる身で言うのもどうかとは思いますが……本来、トゥインクル・シリーズとはメイクデビューや未勝利戦を勝利した時点で上澄み、オープンやリステッドともなれば一度勝てば胸を張って地元に帰ることが叶うものですわよ? それを『勝たせてあげられる』の一言で片付けるのは異常だと自覚してくださいまし」
「ベルノさんらしいっちゃらしいけどねぇ……スペ会長始めテンペルのみんなと、そのライバルに目を焼かれてるから」
「目を焼かれてるってなんですか!?」
「なんならスペちゃんの前だってずーっとオグリ先輩のサポートでしょ? オグリ先輩のころから数えれば、かれこれ10年以上ずっとGIウマ娘のサポートをしてたって考えるとねえ」
「み、味方が誰もいない……!?」
ベルノライトは思わずアグネスデジタルの方に視線を向けるが、彼女の酔い潰れ具合を鑑みるに味方してくれてもさして意味がないことにすぐ気づいた。残るひとり、スペシャルウィークをすがるように見つめる。
「ベルノさんはキラキラしてるよ、最初からずっと」
まるでダメだった。
「なんか感動的な感じにしてくれたけど今それ求めてないよ!? スペちゃんわかっててやってるよね!?」
「嘘は言いたくないからね」
「だからそういうところだよ本当に! ほんっとうに悪辣! 鬼! 悪魔! 陽室さんみたい!」
「最後の一言だけは断固認めないよ?」
「あ、そこはベルノさんに同意で」
「ですわね」
「だねぇ。というか鬼の自覚はあったんだ?」
「皆も掌返しが上手くなったよね。私と同じくらい悪辣度が上がってると思うんだけどなあ」
突如形勢を逆転されて、恨めしそうな声で言うスペシャルウィーク。悪辣と言われても笑顔で流せる彼女だが、陽室に似ていると言われるのは本気で抵抗したいようだった。
「……なんだかこうやって話してると、生徒会で頑張ってたころに戻ったみたいだね」
「なんだかんだで変わりはしたけど、根っこはおんなじってことでしょ」
ベルノライトの言葉にそう返すナイスネイチャ。
「あとはアルダンさんが来れば、70期生徒会執行部も全員集合だけど……」
セイウンスカイがそう呟くと、メジロマックイーンの顔が凍った。
「……セイちゃん、それ指摘するの禁忌だって言わなかったけ?」
「あっ」
「え、あ、アルダンさんが、来る……のですか? 今日、ここに……?」
メジロマックイーンがすがるようにナイスネイチャを見るが、目が合う瞬間に反らされる。
「……っ、謀りましたわね! 謀りましたわね!」
がくがくとナイスネイチャの肩を揺らすメジロマックイーン。無情にも店の扉が開いた。